(5)地上世界の悲劇〈2〉
――貧困・飢餓
戦争に次ぐ2つ目の悲劇は、「貧困」と「飢餓」です。この貧困・飢餓も、すべて地球人類の霊的無知による「物質中心主義」と「利己主義」から発生しています。飢餓は自然災害によってもたらされることもありますが、21世紀の地球上、特に発展途上国における飢餓の大半は、人間の“エゴ”によって引き起こされています。現在の飢餓は、まさに“人災”であって、従来の自然災害とは規模においても悲惨さにおいても比較になりません。
1)極度の貧困と飢餓という悲劇
高級霊の嘆き
貧困にともなう「飢餓」は、霊の道具である肉体を弱らせ、その結果「霊的成長」ができない状況に人間を追い込みます。肉体は霊的成長のために神から与えられたものですが、それが飢餓によって極度に衰弱するなら、霊的成長どころではなくなってしまいます。そうした哀れな人間が、この地球上には何千万人、何億人もいるのです。
こうした事態は、地球人類を霊的成長へと導こうとしている高級霊にとって、嘆き以外の何ものでもありません。シルバーバーチは次のように述べています。
「今、地上全体には(中略)どこから手をつけたらよいか分からないほど沢山の、悪疫ともいうべき文明の汚点が存在するからです。しかし、その中でもいちばん急を要する改善は、私に言わせれば、数え切れないほどの人間を苦しめている無くもがなの貧困、悲惨、窮乏です。(中略)内部の神性を発揮しようにも、肝心の身体が惨めなほど疲弊し衰弱している魂に対して、いったい自我の発見などということが説けるでしょうか。」
地球規模の極端な貧富の格差
物質的な富をめぐっての利己的な競争や奪い合いは、必然的に一部の富裕者と多くの貧困者を生み出すことになります。こうした貧富の格差は、1つの民族内、1つの国家内ばかりでなく、現在では地球規模で発生しています。アフリカやアジア・中南米に代表される第三世界と経済先進諸国との間には、あまりにも大きな貧富の格差が生じています。これが“南北問題”です。
「貧困」が進んでいくと、最終的には「飢餓」という最悪の事態を招くようになります。今、地球人類は経済先進国という金持ちと、発展途上国という貧困者に二分されています。そしてこうした状況の中で、極度の貧困者に「飢餓」という悲劇が襲いかかっているのです。
21世紀を迎えた現在、きわめて少数(6%)の富裕層が、半分以上(59%)の富を独占しています。そしてその富裕層は、アメリカをはじめとする一部の先進諸国に集中しています。地球規模で進展する経済のグローバル化・ボーダーレス化によって、世界人口の5人に1人(約13億人 )は1日1ドル未満の生活をし、2人に1人は1日2ドル未満の生活を余儀なくされています(*日本人は1日40ドルです)。また、グローバル経済の拡大によって富裕国と貧困国の所得格差はここ数十年の間に数十倍に広がり、貧富の格差はより大きくなっています。経済のグローバル化とともに富はますます先進諸国に集まり、貧困国の富はそうした国々に吸い上げられています。
このように地球上の富は、あまりにも不平等・不公平に分配されています。物質的な富の極端な偏りがなければ、「飢餓」という悲惨な問題が発生することはありません。
「全体としては十分なものが用意されているのに、物的生活の基本的必需品にも事欠く人がいるということは間違ったことです。有り余るほど持っている者と不足している人たちとの間の隔差を修正すること、これこそが現在の地上の焦眉の急です。」
発展途上国における飢餓の大発生
現在、第三世界(発展途上国)における「飢餓」は一部の貧困層にとどまらず、人口の半分、もしくはそれ以上に及んでいます。世界では8億人以上もの人々が「飢餓」で苦しんでいると言われます。栄養失調で頬がこけて腹の大きくなった赤ん坊、その赤ん坊を抱くやせ細った母親、道端に枯れ木のように横たわる死体……、世界人口の20%以上の人々が栄養失調の状態に置かれ、1%の人間は死の間際にいます。その一方、15%の先進諸国の人々は“過食”から太り過ぎの状態にあります。地球上にはこうした食料の不平等分配が存在し、多くの発展途上国の人々を飢餓に追いやっているのです。
ある地域では、子供たちの半分が5歳になる前に食料不足による病気で死んでいます。世界全体で見ると、すべての子供の5分の1は栄養失調であると言われています。さらに国連によると、世界人口の8人に1人が飢え、半分は栄養失調の状態にあるということです。
2)地球規模の飢餓発生の原因
大地の恵みの不平等分配が「飢餓」を発生させる
神は、地球上の人口が増大しても、食べていけるだけの食料を大地から得られるようにしています。どれだけ人口が増えても、飢えて死ぬことがないよう十分な食料を産出できるようにしています。神がもたらしてくれたその食料を、一部の人間が不当に搾取し、不平等に分配しているために世界的規模で「飢餓」という悲劇が発生するようになっているのです。
シルバーバーチは次のように述べています。
「地上にはすべての人に行きわたるだけのものが用意されているのです。しかし、そこに貪欲が立ちはだかります。」
「何よりもまず人類が知らなくてはならないのは、大霊の恩寵はみんなで分け合わなくてはいけないということです。現在の地上には今日の食べものに事欠く人がいる一方で、有り余るほど貯えている人がいます。もちろんこれは間違っています。余るほど持っている人は足らない人に分けてあげなくてはいけません。別に難しいことではないと思うのですが……。」
「大霊の心(利他愛)が顕現して互いに助け合う風潮になれば、平和と調和が生まれ、生きるための糧も必要な分だけ行きわたります。」
“肉食”という贅沢が招く飢餓
先進諸国は、第三世界よりも人口が少ないにもかかわらず、はるかに多くの食料を消費しています。世界の穀物(食料用および飼料用)の半分は、世界人口の4分の1の人間が住む先進諸国によって消費されています。先進諸国の家畜は、世界の全穀物生産量の4分の1を(飼料として)消費しています。これは中国とインドの両国民を合わせた全消費量に匹敵します。もし中国が今後、穀物飼料に頼るアメリカ流の飼育法を始めたなら、世界中で飼料が不足し、肉の欠乏状態を引き起こします。それによって肉の値段は、今の何倍にも跳ね上がることになるでしょう。当然、人間の口に入る穀物は世界中で大きく不足することになります。
発展途上国の人々は穀物を、米やパン・麺類の形で食べています。実はこれが、摂理に合った正しい食生活なのです。しかし先進国の人々は、穀物を飼料にして育てた家畜の肉を食べています。肉を生産するためには、その何十倍もの穀物が必要となります。先進国の人々は“肉食”という食の贅沢によって、全人類のためにある穀物を無駄づかいしているのです。発展途上国の人々が口にすべき穀物を奪い取って、自分たちの快楽のためだけに浪費しているのです。もし、アメリカで生産される穀物を家畜の飼料ではなく飢餓に苦しむ人々に回すことができたなら、地球上の「飢餓の問題」は、あっという間に解決されるはずです。
先進国で行われている工業化された家畜の飼育は、生き物をまるで工業製品のように扱っています。そこでは穀物飼料によって家畜を育て、“食肉”として生産しています。人間は無慈悲にも自分たちの食欲を満たすために、神が与えた動物の生命を残虐の限りを尽くして奪い取っています。先進国の人々が行っている間違った工業的な家畜の飼育は、「飢えて死にそうになっている人間よりも、自分たちの口に入れる家畜の肉の方が大切だ」と言わんばかりの気違いじみた行為なのです。そもそも、生命ある動物を殺して人間の食料にすること自体「神の摂理」に反しています。地球上から“肉食”という悪しき食習慣を一掃しなければなりません。(*こうした問題については本章の(8)やニューズレター27号などで詳しく取り上げていますので、ここでは省略します。)
先進国の人々が、思いやりを持って飢えている人々に穀物を分配してあげるなら、世界中の飢えは消滅します。“肉食”という間違った食習慣をやめれば、何千万、何億という人々が救われるのです。穀物をわざわざ肉に変えるような無駄なことさえしなければ、地球上の「飢餓の問題」は、瞬く間に解決するのです。
飢餓を発生させるエゴ的農業生産システム
飢餓はいつの時代においても発生してきましたが、20~21世紀における発展途上国での飢餓は、こうした天災によるものではありません。多くの人々は、食糧危機や飢餓は自然現象の結果生じたもの、あるいは後進国の人々が子供をたくさん産んでいるために起きているもの、また労働に対する意欲の欠如が招いたものと考えています。しかし、それは間違いです。本当の原因を一言で言えば――「農産物が公平に分配されない」ということなのです。第三世界の人々は、いくら働いても飢えから逃れられないようなシステムの中に組み込まれ、生産されたものは先進諸国や特権階級の人々に奪い取られているのです。
皆さんは、「飢えた人々はどうして食料を自給しようとしないのか?」「自給こそが食糧危機を解決する唯一の方法ではないのか?」と思われることでしょう。第三世界の飢餓というと、大都市周辺のスラム街を思い出すかもしれませんが、飢餓は都市ばかりでなく、農産物を生産する農村にも存在しています。農村に住みながらまともに食べていけない人々、農産物を生産しながら飢えている多くの人々がいるのです。
そこでは、農地は一部の人間(土地所有者という少数の特権階級)の手に握られています。南米では、農村人口の3分の1以上の人々がわずか1%の農地に押し込められ、17%の土地所有者が土地全体の90%を所有しているといった所もあります。またアフリカでは、全人口の4分の3の人々が自由にできる耕地は、全体の4%にすぎないという状況です。発展途上国の22カ国では、平均して3分の1の農民は全く土地を所有していません。こうした土地制度がネックとなって、本来自分たちの食料となるはずの農作物をつくることができなくなっているのです。
貧しい人々は、怠けているのではありません。飢えから逃れるために自分たちの食料を生産したくても、それが許されないのです。そして自分たちの食料にならない作物(換金作物)だけを無理やりつくらされているのです。これが貧しい人々を飢餓に追い込んでいる1つ目の理由です。土地所有者という特権階級の“エゴ”が、悲惨な飢餓を生み出しているのです。
2つ目の原因は、先進国サイドにあります。先進国は、発展途上国から換金作物と呼ばれる農産物(コーヒー・バナナ・砂糖・茶・落花生・小麦・綿花・ゴム・花など)だけを買い上げています。そのため第三世界の土地所有者は、農産物を先進国に売ってお金を得るために、こうした作物だけを生産しようとします。決して飢えた農民のための作物を生産しようとはしません。さらにそうした貧困国は、海外から国家開発に必要なものを買うために外貨を稼ぐという政策を推し進め、換金作物の生産を奨励してきたのです。
その結果、先進諸国の人々は第三世界から安く提供された換金作物によって、より快適な生活を楽しむことができるようになりました。先進国は、第三世界から換金作物以外は買おうとしません。当然、国際価格は第三世界サイドでは自由にならず、ほとんどが安く買い叩かれ、いっそう先進国の従属下に置かれるようになります。まさに、かつての植民地時代の支配と同じような構図ができ上がっています。貧困国はそうしたシステムに巻き込まれる中で、ますます飢餓を増大させていくことになったのです。こうした農産物の独占システムを利用し、それを意図的に操って莫大な富を稼いできたのが、アメリカを代表とする先進諸国の多国籍企業だったのです。
この地球には、世界中の全人口を養えるだけの天然資源が十分に与えられています。数千万、数億の人々が飢えにさらされている実情は、天災によるものではありません。現代の世界政治・経済秩序は、かつてヨーロッパ各地を支配していた階級秩序(支配階級と被支配階級)に相当します。現在のアジア・アフリカ・ラテンアメリカに住む5億の人々は、昔の労働者階級・被支配階級と同じ立場にいます。そして日本を含む先進諸国は、貧困者を搾取して労働させる上流階級・支配階級と同じなのです。
飢餓の加害者となっている先進諸国の人々
先進諸国の人々は、第三世界の人々から換金作物を買い上げて贅沢をする中で、知らず知らずのうちに「飢餓」を進める加害者になっています。私たちも日本という先進国に生まれたために、いつの間にか貧困国の人々を苦しめる立場に立っています。神が与えた作物を不公平に分配し、飢餓をつくり出す加害者になっているのです。
現在の地球上で食べることが問題とならないのは、少数の経済先進国の人間だけです。世界には食べ物にありつけず、一日一日をやっとの思いで生き延びている人々があまりにも多くいます。貧困・飢餓の状態を、いつまでも脱しきれない人々が大勢いるのです。それはこれまで見てきたように、すべて人間の“利己性”から発生したものです。
日本では、お金さえ出せばいつでも世界中の美味・珍味を手に入れることができます。多くの日本人にとって、グルメに興じることが楽しみの一つとなり、ある種のステイタスとなっています。なかには国内だけでは物足りず、海外にまでグルメツアーに出かける人々もいます。こうした贅沢・飽食三昧の摂理に反した行為が、いつまでも続くわけがありません。
近年の日本人の食事は、かつての王侯貴族をしのぐような世界中から集められた豊富な食材で成り立っています。そしてカロリーの過剰摂取による肥満や現代成人病(生活習慣病)が人々を脅かすようになっています。以前の貧しい時代には、一部の金持ちや貴族といった特権階級にしか見られなかった糖尿病や痛風・ガン・心臓病・脳卒中などの病気が蔓延しているのです。現在の経済先進国では例外なく、ガン・心臓病・脳卒中が死因の上位を占めるようになっています。こうした生活習慣病は、50年前の貧しい時代の食事に戻しさえすれば、たちまち減少するものなのです。
実は、先進国の問題はこれだけにとどまりません。先進国では貧しい人々を犠牲にして飽食・美食を追い求めるだけでなく、驚くほど多くの食べ物を無駄にしています。身体が必要とする以上に食べ過ぎて病気になっているばかりか、せっかくの食べ物を惜しげもなくゴミ箱に捨てているのです。
先進国の人々は「自分のお金で買うのだから、自分の好き勝手にして何が悪い」と主張しますが、同じ地球に住む霊的家族・霊的同胞が飢餓に苦しみ、死に直面しているときにそうした理屈は通りません。飢えに苦しみ、大勢の人々が瀕死の状態でいるにもかかわらず、日本をはじめ先進諸国では至る所で毎日、山のような食べ物が無駄になっているのです。各家庭ではつくり過ぎた食べ物が生ゴミとして捨てられています。学校給食や食堂、パーティー・宴会が開かれるホテルではご馳走の数々が残飯として捨てられています。また、スーパーやコンビニでは毎日、一定時間を過ぎた食品はそのまま廃棄処分されています。
こうした現状をアフリカの人々が見たらどう思うでしょうか。悲しみを超えて憎しみの思いを抱いたとしても不思議ではありません。おそらく涙が止まらないことでしょう。もし、無駄になっている食べ物をアフリカの人々に与えることができたなら、何百万人もの人々が救われることになるのです。
毎日の食べ物に不自由し苦しんでいる人々が何千万、何億人といる一方で、彼らの作物を奪って贅沢・飽食三昧の生活をし、しかも食べ残した大量の食料を平気で捨てる――これを“罪”と言わずして何と言うべきでしょうか。大半の人々は、そうした行為に対する罪の意識は全くありません。しかし本当は、きわめて利己的で非道なことをしているのです。他人を飢えに追いやっているのに、その事実すら気づいていないのです。私たち日本人は、利己的なシステムの中に組み込まれ、そこで飼いならされた家畜のように飽食・美食を追い求めているのです。
21世紀の先進国に生まれた私たちは否応なく、エゴ的システムの中で加害者の立場に立たされています。いつの間にか非道で利己的な人間の側に属しているのです。自分はそんな人間ではないと言っても、現実に飢えて死んでいく人々から貴重な食べ物を奪い取っています。先進国に生まれたというだけで、知らないうちに貧しい人々を虐げ、鞭打ち、死に追いやっているのです。かつてのヨーロッパ貴族のように、自分は贅沢三昧の生活に浸りながら、民衆の苦しみに全く心を向けることがなかったのと同じことをしているのです。それはまるで、あまりの贅沢な暮らしぶりから民衆の反発を招き処刑された、フランス革命時のマリー・アントワネットのようです。
もし、飢餓で苦しむアフリカの難民が自分の家族の一員であったとしたら、誰がじっとしていることができるでしょうか。飢えている家族がいるのに、自分一人だけ飽食三昧の生活を送ることができるでしょうか。しかし、これが未熟な霊性レベルにある現在の地球の実情なのです。私たちの住む地球は、「利己主義」が支配する“地獄”と言ってもいいような所なのです。
3)「飢餓の問題」の解決方法
さまざまな方法が考えられるが……
人間の“利己心”がつくり上げた現在の地球規模の飢餓は、まさに“人災”です。その飢餓を克服するには、どうしたらよいのでしょうか。さまざまな方法が考えられています。まずは、第三世界における土地改革が不可欠です。農民の多くを自作農にすれば、飢えて死ぬような最悪の事態は避けられます。とは言っても、これには必ず土地所有者の激しい抵抗が付きまといます。さらに海外の先進国からも、そうした改革に対する妨害がなされるはずです。しかし土地改革をしないかぎり、「飢餓の問題」は根本的には解決しません。
次に挙げられるのは、自給自足による経済システムの確立です。そのためには現在のような換金作物ではなく、その地方の人々の食料となる農産物を生産して、欧米をはじめとする先進国への依存体質を断ち切ることです。発展途上国の人々にはこうした努力が必要とされますが、そこにも人間の所有欲、富を手放したくないという“利己心”が大きく立ちはだかることでしょう。
地球規模での飢餓をなくすためのもう1つの努力は、先進国サイドにあります。カネに任せた飽食をやめ、質素な食生活で満足するようになることです。同時に、大々的に行われている穀物飼料による家畜の飼育と、肉食中心の間違った食生活をやめることです。そうすれば大地から与えられる作物は、それを必要とする人々に正しく分配されるようになります。しかしここにも、本能的な喜びを捨てられない人間と、これまでのエゴ的経済システムによって莫大な利益を得ていた人間からの大きな抵抗が予想されます。
いずれの方法も理屈としては正しいのですが、それを実行に移そうとすると、人間の物質中心主義と利己主義からの反対・妨害に遭遇することになります。
霊的真理による人類の“魂の革命”こそが唯一の方法
多くの人々は、こうした飢餓問題の解決を政治に求めますが、今の政治にそれを期待することはほとんどできません。なぜなら、政治自体が「物質中心主義」と「利己主義」の上に築かれているからです。人間の心に巣くう物質中心主義と利己主義の根を断ち切ることができなければ、どのような方法を試みても成功は望めません。たとえ一時的には効果があったように思われたとしても長続きしません。飢餓の根本的な解決は、スピリチュアリズムの「霊的真理」によって引き起こされる“魂(心)の革命”を通してのみ可能となるのです。地球上の人間の心が深いところから変化し、物質的な利益に縛られることがなくなり、助け合いの精神が常識となったときに初めて、根本的な改革が進むようになります。
土地も農産物も、ともに神が人間に与えてくれた恵みです。それを公平に分けるのは当たり前のことなのです。たとえ天災などによって不作が起きたとしても、「利他愛の精神・霊的同胞意識」のもとで助け合えば、何も問題は生じません。そうであってこそ富と食料は、地球人類に平等に分け与えられるようになるのです。
こうした意味において、スピリチュアリズムの目指す世界は“共産主義”と言えます。ただし、これまで共産主義と言われてきた“マルキシズム(マルクス主義)”は唯物主義に立脚するものであり、独裁政権によって人権を
4)現代のグローバル経済が生み出す先進国内での極度の貧困
“グローバル経済”という最も利己的な資本主義の登場
レーガン政権以降、アメリカが進めてきたのが経済のグローバル化でした。自由な市場こそ最善のものであり、国境さえもそれを妨げてはならないとする経済のボーダーレス化を世界中に広げてきました。経済のグローバル化は、国際規模で“弱肉強食”の経済戦争を引き起こし、その結果、最も強い国(アメリカ)が圧倒的な利益を手にする一方で、弱い国の経済に壊滅的なダメージを与えることになりました。国際競争力を持つ者だけが生き残りを許されるという時代を迎えることになってしまいました。
こうした流れの中で、アメリカの金融業界は世界中のマネーを吸収し、集まった膨大な資金は世界中のマーケットを席巻しました。株式や石油などの商品だけでなく、一国の通貨さえも投機の対象としたのです。そして当時、経済の行き詰まりを見せていたタイやマレーシア・イギリス・韓国・ロシア・アルゼンチンといった国々が餌食にされました。
ヘッジファンドと呼ばれる投資家集団は、ある国の経済が弱いと見るとその国を標的にし、その国の通貨を徹底的に売り叩いて巨額の利ざや(マージン)を稼ぎます。莫大な資金を瞬時に移動させて、無防備な国から国富全体の何割かに匹敵するほどの資金をわずか1~2日の間に奪い取るのです。アメリカの企業や投資家は、自分たちが利益を得るためなら、他国の人々が何十年もかかって蓄えた富を一瞬にして奪い、地獄に突き落としても何ら良心が痛まないのです。他国の人々は誰ひとり、そんなマネーゲームの餌食にされることなど望んでいないのに、ゲームに巻き込まれ身ぐるみ剥がされてしまうのです。その一方で敵対的企業買収によって、創業者が手塩にかけて育て上げた会社を、力づくで不当に安く奪い取るといったことが当たり前に行われるようになりました。
このように20世紀後半から世界経済のボーダーレス化が進む中で、国際的経済戦争が激化し、最も利已的で
先進国内で拡大する貧富の格差
現在、世界で最も裕福と言われているアメリカですが、国内には貧富の格差が広がり、大都市には行き場を失ったホームレスがあふれています。ここ20年で、富める者はますます富み、貧しい者は恩恵にあずかれないという構造が顕著になってきています。
弱肉強食の自由競争を“善”とする資本主義の中では、倫理道徳的な正当性よりも「儲かるかどうかがすべて」といった“拝金主義”が支配的になります。自由放任主義の弱肉強食的経済システムの中で、一部の勝者が新たな経済貴族として君臨する一方で、食べるだけで精いっぱいという貧困者(移民・ヒスパニツク・黒人など )が底辺層を形成しています。世界一豊かなアメリカで、1千万人以上の人間が空腹に悩んでいるという事実は、利己的な競争が他国民ばかりでなく、自国民をも痛めつけるという皮肉な結果を生んでいることを示しています。
アメリカ国内では、上位1%の金持ちがアメリカ全体の富の40%を所有しています。そのあまりの不平等さに驚かされますが、グローバル経済の進展にともない、日本をはじめとする他の先進諸国にも、今後同じような極端な貧富の格差が生じるようになっていきます。その結果、先進国内においても一部の金持ちと大多数の貧困者という二極化が進み、貧困問題や飢餓問題が発生することになります。(*スピリチュアリズムから見た地球上の経済については、スピリチュアリズムの思想[Ⅳ]で詳しく取り上げます。)