スピリチュアリズムから見た肉食と動物虐待の問題

ニューズレター第27号

仏教をはじめ多くの宗教では、生命あるものの殺生を禁じています。“肉食”に反対しています。スピリチュアリズムでは、この肉食の問題をどのように考えているのでしょうか。今回のニューズレターでは、肉食に関係する問題を幅広く学んでいくことにします。

1.肉食に対するスピリチュアリズムの基本的見解と一般人の反応

“肉食”に反対のシルバーバーチ

スピリチュアリズムの中で、この問題を大きく取り上げているのが他ならぬシルバーバーチです。モーゼスの『霊訓』やカルデックの『霊の書』には、肉食についての言及はほとんど見られません。高級霊からの優れた霊界通信には、内容的に多くの共通性がある一方で、それ独自の特徴・個性もあります。

シルバーバーチの霊訓の際立った特徴は、再生の問題と心霊治療の問題を集中的に取り扱っていること、また動物への愛を強調している点にあります。シルバーバーチの霊訓をすでに読んでおられる皆さん方には、シルバーバーチが“肉食”に対して明確な反対の姿勢を取っていることをご存じです。狩猟や動物実験などの“動物虐待”に対しても強い批判の声を上げています。実はそれによって、シルバーバーチの教えが『霊訓』や『霊の書』以上の高いレベルにあることが示されているのです。

シルバーバーチは――「人類は霊性の進化とともに、その大半が“菜食主義”になっていく」と極めて重大な内容を述べています。

肉食問題に対する反応

今回、ニューズレターで改めて肉食の問題を取り上げることは、おそらくスピリチュアリストである皆さん方にとって、あまり嬉しいことではないでしょう。なぜならスピリチュアリズムに導かれたといっても、大半の方々がいまだに肉食をしているからです。自分は“ベジタリアン”であると断言できる人は、むしろ少数派です。肉食の問題には触れずに、何とかやり過ごしたいと思っている人が、ほとんどではないでしょうか。

日本では、たかだかここ30~40年のうちに、急速に食生活が欧米化されました。それにともなって肉食が一般大衆の間に広がって、今では肉食は日本人の中にしっかり根付いています。肉を用いない料理本や料理番組を探すのは一苦労です。欧米では、日本に比べ肉食の食習慣が長い間続いてきました。肉食が食生活の中に占めるウェイトは、日本の比ではありません。したがって、もし「肉食は廃止されるべきだ」などと言おうものなら、間違いなく大きな反発を引き起こすことになります。その圧力は、日本とは比較にならないほど強烈なものでしょう。

シルバーバーチは、その辺りの事情は百も承知のうえでわざわざ――「こんなことを言うとまた私は不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げなければなりますまい」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.130)と述べています。シルバーバーチは別のところで「純粋無垢の真理は時として苦く、また心を傷つけることがあるものです。しかし、あくまでも真実なのですから、いずれは良い結果を生みます」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.177)と言って、真実は真実として、人々に迎合することなく述べ伝えなければならないという毅然とした姿勢を貫いています。

私達も当然、そうしたシルバーバーチの姿勢を見習わなければなりません。シルバーバーチは、たとえ人々から嫌われるようなことになっても、真実は真実として主張していく良き手本を示しています。今回、ニューズレターで肉食反対の主張をすることは、多くの人々の心に痛みを与えることになりますが、それを承知のうえで敢えて取り上げていきたいと思います。

スピリチュアリズムが“肉食”に反対する4つの理由

スピリチュアリズムは肉食に反対しますが、それは肉食が「神の摂理(宇宙の法則)に反している」からです。肉食は、神の摂理から逸脱した行為であるという理由によって許されません。摂理に反する内容とは、具体的に次の4点にまとめられます。

第1点は――生命はすべて神のものであり、人間が勝手にそれを奪う資格は与えられていないということです。人間に生存権があり尊重されなければならないように、動物にも神によって生存する権利が与えられています。肉食は、この神の摂理を根本から犯すことになります。

第2点は――人間と動物は利他性・利他愛という神の法則(摂理)に基づいて共利共生の関係を築くように造られています。“利他愛”という神の法則は、人間同志の間においてばかりでなく、人間と動物の関係においても等しく適用されなければならないものなのです。肉食はこの利他愛という摂理を根底から犯すことになります。

第3点は――肉食は大地の恵みを不公平に分配するようになり、人類に対する利他愛という神の法則を犯すことになります。肉食は、人類に対する利他愛とは全く逆の“人類虐待”という結果をもたらします。

第4点は――肉食は、私達地上人の霊的成長に悪影響を及ぼすようになるということです。

肉食は、こうした4つの点で神の摂理に反しています。そのためにスピリチュアリズムでは、肉食を間違いとしています。次に、これら一つ一つの内容について詳しく見ていくことにします。

2.肉食の間違いの1つ目の理由

――神が与えた動物の生存権を奪い取る

生命は神のものであって、人間のものではない

人間をはじめ地球上のすべての生物は、神から生命を与えられ、存在するようになりました。人間も動物も、等しく神から生命を与えられ、神によって創造されたのです。宇宙の生命体に内在する生命の一つ一つが、神の表現であるからこそ“神聖”なものなのです。

私達の生命は、私達が地球上で生きるために「神から与えられたもの」であり、自分自身でこしらえたものではありません。「生命は神のもの」であり、勝手にそれを断つことは許されません。自分の生命は自分だけのもののように思っている人がいるかも知れませんが、本当は私達人間の所有物ではないのです。そして同様のことが動物の生命についても言えるのです。動物にも、神によって人間と等しい“霊的価値”が与えられています。

人間には生命を造る力はありませんし、その生命が顕現する他の動物達の身体を破壊する資格もありません。当然、人間が他の動物達の生命を奪うことは許されません。人間が他の動物を殺すのは間違いであり、神の摂理に背くことになります。「動物を殺せば、人殺しと同じ霊的罪を犯すことになる」のです。

殺した動物の肉を食料として食べることが、現在の地球上では何の罪意識も心の痛みもなく当たり前のように行われていますが、それは現在の地球人の霊的進化のレベルが、いかに低いものであるかを如実に示しています。地球はすべての惑星の中で下から2番目の霊的進化のレベルにあることが明らかにされていますが、その霊性の低さは、肉食という“悪”が堂々と行われているところに端的に現れています。宇宙に無数にある惑星の中で、現在の地球のように他の動物を殺してそれを食料にしているところは、たった一つの惑星を除いてはないのです。

人間の生存権同様に、「動物の生存権」も尊重すべき

霊的真理を一般の人々に先駆けて知ることができた私達スピリチュアリストは、殺害の観念がつきまとう食品は食べないようにすべきです。肉食を避けた方がいいのは、いい加減な霊能者が言うような、殺された動物の恨みの念が込められているためではなく、肉食が「動物の生存権を奪う」という神の摂理を犯した結果であるからなのです。神の摂理に反した行為の結果であるという理由によって、肉食は避けなければなりません。

霊性が極めて低い地球であっても、長い人類歴史にともなう進化の結果、他の人間を殺すのは間違いであることに気がつくようになりました。人間はお互いの生命を尊重しなければならない、すべての人間に等しい生存権を認めなければならないという神の摂理が、地球人類の常識になりました。

人間社会の中で最も嫌われる存在は独裁者ですが、それはこの“生存権”という神の摂理を平気で犯すからです。人間に対する生存権が等しく尊重されるようになったということは、地球人類における一つの進歩です。人間がお互いに殺し合う(戦争)のは間違いであるとの共通認識を持てるようになったことは、地球人類の霊的進歩を示しています。

しかし現在の地球は、まだ動物に対する生存権を認める段階にまでは至っていません。「動物に対する生存権の尊重」は、人間の生存権の尊重と同様、神の摂理に一致した在り方なのです。生存権は人間だけでなく、動物に対しても認められなければなりませんが、“人間は万物の霊長”などと勝手に間違った優越心を持ち、平気で他の動物を殺しています。

しかも、その残虐さは目を覆うばかりです。動物達にも人間と同じ生存権が神から与えられている事実に全く気がついていません。現代人は、人間としての権利を盛んに主張しますが、動物の持っている権利を犯して平気でいるのです。人間は地球上で最も偉大で大切な存在であると錯覚し、動物の生命を奪っても許される権利があると思い込んでいます。しかし、それは霊的に明らかに間違っているのです。

人間と同じ痛み・苦しみを味わう動物達

食料にするために、動物を牢獄のような狭い場所に閉じ込めて育て、大きくなれば容赦なく殺す。こんな残虐なことが許されるはずがありません。

殺され食料とされる家畜は、いずれも私達人間と同じように「痛みも苦しみも感じている」のです。狭い場所に閉じ込められれば、発狂しそうになるほどの「苦しみを味わっている」のです。怪我をすれば、私達と同じように「痛みから逃れたいと悶え苦しむ」のです。殺されることが分かれば「恐怖に駆られ、必死に逃げて生き延びようとする」のです。食料とされる動物達にも、私達人間と全く同じ痛み・苦しみ・恐怖があることを忘れてはなりません。

“ナチス”と同じことをしている現代人

第2次大戦のナチスドイツによるユダヤ人の虐殺は、地球人類に大きな衝撃と傷痕きずあとを残しました。私達は、ガス室で殺された人々の大量の死体が、まるで物体のように山積みにされたり、死体が無造作に穴の中に投げ込まれるシーンを見て大きなショックを受けました。「ナチスは、何とひどい残虐なことをしたものか!」と誰もが怒りを覚えました。

しかし私達人間は、それと全く同じようなことを、何の罪もない動物達に対して行っているのです。つい最近では“狂牛病”がヨーロッパで猛威をふるい、パニック状態を引き起こしました。テレビでは、感染した家畜を残虐な方法で殺し、廃棄処分していく様子が放映されました。それはまるでアウシュビッツの虐殺シーンそのものです。ナチスドイツは「残虐な人殺し」という罪を犯しましたが、人類は「残虐な動物殺し」という罪を犯しているのです。

狂牛病の真の被害者は、家畜業者でも消費者でもありません。家畜自身なのです。人間は病気になれば病院に駆け込み早く病気を治そうとします。ペットが病気になっても急いで獣医に連れて行きます。もしペットが病気で死ぬようなことになれば、落胆し悲しみに暮れることになります。

しかし、哀れな家畜は伝染病が発生すると、自分は病気になっていないにもかかわらず何万・何十万の仲間とひとまとめに殺されてしまいます。こうした残虐非道な犯罪が、今もって堂々と行われているのです。そして大半の人々は、それが間違っていることにさえ気がついていないのです。

3.肉食の間違いの2つ目の理由

――動物に対する利他愛の欠如

進化の頂点に立つ人間と、その責任

肉食が間違っている2つ目の理由は、動物への利他愛という摂理に反逆しているからです。人間は身体的進化の点では、地球上における生物の頂点に立っています。そして唯一、永遠の霊的個性が与えられています。人間が他の創造物よりも進化しているという事実は、それ以下の存在物に対して、先輩としての責任があるということなのです。進化の段階において高い位置にあるということは、それ以下の生き物・より低い生き物を援助する義務があるということなのです。

“利他愛”という神の摂理・宇宙の法則に照らしたとき、人間は「動物を愛し、援助し、その進化に貢献する使命」を持っています。人間以外の動物を愛するということは、人間に与えられた義務であり責任なのです。

人間と動物は、共利共生の関係

人間が動物を愛すれば愛するほど、動物も愛を発するようになります。そして“類魂”としての進化が促進されることになります。シルバーバーチは人間の類魂「グループ・ソウル」と区別して、動物の類魂を「グループ・スピリット」と呼んでいます。)

ペットとしてかわいがられる犬やネコ・小鳥と同様に、家畜である牛や馬・羊も、とても柔順で愛嬌があり、まさに家族の一員になる資格を持っています。神が人間を愛してくださることで人間は霊的進化の道を歩むことができますが、それと同じように、人間が神の代身として動物を愛することによって動物の霊的進化が促進され、個性的な意識を発達させるようになります。人間はこうして“神の造化ぞうか御業みわざ”に参加することができるようになっています。

動物は人間の愛によって吹き込まれた霊的要素を、死後、類魂(グループ・スピリット)に持ち込み、類魂全体の向上に寄与することになります。これまでペットとして人間から多くの愛を受けてきた犬やネコ・小鳥の類魂が、他の動物の類魂に比べ大きく進化の道をたどることができたのはこのためです。こうした類魂の進化は、家畜である牛や馬・羊などにも同様に起こり得るのです。

神は、人間と動物が“愛”によって共利共生の関係を築くように造られました。「愛こそが人間と動物をつなぐ絆」なのです。地上人類は一刻も早く、そうした摂理を認めるようにならなければなりません。2000年前のイエスの教えの中には、動物に対する愛はほとんど言及されていません。それは当時の人々の霊的レベルが、現代人ほどには至っていなかったためです。地球人類の霊性は、イエスの時代と比べ少しずつ向上してきていることが、この一件からも明らかになります。

“肉食”は、動物に対する利己性のきわ

それなのに現在の地球上では、本来人間から愛されるべき動物が、人間から残酷な方法で扱われ、人間の欲望を満たすために無残に殺されています。人間は動物への利他愛という神の摂理から、最も離れたことを平気で行っています。動物に対する無益な殺生は、動物への愛に極めて逆行する行為です。動物を愛しかわいがるどころか、反対にそれを食料にするために殺したり、動物実験の道具にしたり、趣味や飾りやスポーツの対象として殺すという残酷なことをしています。そうした行為には、弁解の余地はありません。

何の罪もない動物達に残酷な仕打ちをすることは、愛から最も懸け離れた在り方で「利己性の極み」と言うべきものです。動物に対する残酷さや肉食習慣は、現在の地球の霊性のレベルの低さを示す指標なのです。

日本人は仏教の影響によって長い間、肉食を避けてきました。欧米人と違い肉食の習慣がなかったという事実は、霊的に見れば罪を犯すことが少なかったということです。しかし現在の日本人は、せっかくのそうした歴史的長所を根底から捨て去ってしまいました。明治維新以降の肉食解禁によって、かくも短期間に肉食が急増し定着したという事実は、日本人は霊的に見たとき、大きなマイナス方向に踏み出してしまったということなのです。欧米の間違った食文化に毒されて、大切な霊的遺産を捨て去ってしまったのです。

ペット飼育の素晴らしさと矛盾点

ここ20~30年の間、日本でもペットを飼う人々の数が急増しています。多くの人々がペットとして動物をかわいがり、家族の一員として愛情関係を築き上げています。「動物を愛する」という神の摂理にそった生き方をする人が増えているという状況は、とても喜ばしいことです。

主人から家族同様にかわいがられたペットは、霊界で主人が来るのを待ちます。そして主人が他界したときに出迎えることになります。こうして霊界で、愛するペットとの再会が果たされるのです。その後しばらく人間と動物は一緒の生活を送りますが、人間がさらに霊的に成長する段階に至ると、両者は永遠に離れ離れになり、動物は類魂の中に吸収されて個性を失うことになります。このように人間と動物が愛情で結ばれていた場合には、その関係は死後もしばらくの間続くようになります。動物を愛しかわいがるということには、こうした重要な意味があるのです。

動物をペットとしてかわいがるのは素晴らしいことですが、残念ながらその一方で、自分は毎日家畜の肉を食べ、ペットにもそれを与えるという矛盾したことが行われています。動物に対するせっかくの素晴らしい愛の行為を帳消しにしてしまっているのが実情です。

動物を愛することは人間の義務

人間と動物は「同じ地球上の仲間」として協力し合って生き、「お互いの進歩に貢献し合う」ように造られています。人間と動物は、愛の関係を築くことで共に成長できるようになっているのです。そうして両者は、神の摂理に一致した方向に歩むことになるのです。

そのためにはまず、進化のプロセスで上位にある人間が、先に動物を愛さなければなりません。人間が先に愛を示せば、動物は人間の子供がそうであるように、必ず人間に愛を返してくれるようになります。こうして地球上に愛の世界が拡大していくことになります。

現在のような、罪のない弱い動物に対して一方的に苦しみを与え虐待するようなところでは、人間の霊的進歩も、動物の進化ももたらされることはありません。

4.肉食の間違いの3つ目の理由

――貧しい人々を虐待し人類愛に反する

大地の恵みの「不公平な分配」と、「飢餓の問題」

肉食が間違っている3つ目の理由は、神が与えた大地の恵みを公平に分配せず、一部の人間に独占させ、その結果、多くの人々を苦しめることになっているからです。

肉食は、毎日の最低の食事さえも事欠くような「貧困な人々をつくりだす最大の原因」となっているのです。肉食は一部の人々のエゴ的快楽を満たしますが、それと引き換えに、「地球レベルでの貧困と飢餓」という深刻な問題を引き起こすことになります。肉食は、利他性・共利共生という神の摂理を根本から崩し、地球全体を利己的な生活の場所にしてしまい、人間の利己性をさらに増幅させることになっています。

神は、地球上で生活するすべての人々に十分に行き渡るだけの生産物を与えています。現在、地球上に住む63億の人々が誰一人、飢えて死ぬことがないだけの大地の恵みをもたらしています。地球上に生をけた神の子供である人間は、決して飢えて死ぬようなことがあってはならないのです。

しかし現実には、63億の地球人類のうち、4分の1以上の人々が十分な食料を手に入れることができず、飢えの状態で毎日を過ごしています。霊界の人々にとって、こうした地球上の飢餓は、最も心を痛める問題です。神から与えられている大地の産物は、地球人のエゴイズムの支配下で平等に分配されず、特定の人々にのみ集中するようになっています。食料はお金のある先進諸国の人々に優先的に回され、貧しい国々の人達には行き渡りません。現在の地球には、このような大地の産物を不平等に扱い、不平等に分配するシステムができ上がっています。そのために貧しい人々の中から、飢え死にする人間が出てしまうのです。

物質文明・科学文明がこれほどまでに進歩した21世紀の地球にあっても、神から与えられた食料を公平に分配するという、ごく当たり前のことができずにいます。先進諸国の多くの人々は、有り余るほどの贅沢な食事をし、食べ切れずに残して捨てるといった愚かなことを平気でしています。贅沢三昧の食生活の結果、肥満になって病気で苦しむことになっています。

そうした現実の一方で、毎日の食事にさえありつけず、骨と皮だけになって飢え死にしていく多くの子供達がいます。これは明らかに利他愛の世界から遠く懸け離れた矛盾以外の何物でもありません。地球はエゴに支配された、まさに地獄的世界なのです。

肉食は、大地の恵みの不公平分配の最大の原因

さて、このように大地の産物が公平に分配されなくなっている大きな理由は、大地の恵みである穀物が家畜のえさに回されているからに他なりません。先進諸国の人々は、穀物をそのまま食料にするのではなく、穀物を家畜に餌として与え、その肉を食べようとします。つまり自分達が肉食をするために、大地の恵みを家畜の餌として浪費しているのです。家畜の肉を生産するためには、その何倍10~20倍という説を唱える学者もいます)もの穀物が必要とされます。これは「たいへんな穀物の無駄づかい」です。「犯罪的な浪費」というべき愚行を犯しているのです。

もし、米国人と日本人がいっせいに肉食を止め、その分の穀物を他の貧しい国々に回せば、地球上から飢えの問題はいっきに解決することになると言われています。たったそれだけのことで地球上から飢えて死ぬ人間がいなくなるのです。

肉食は人類愛に反する行為

こうした肉食が引き起こす悲劇が理解されるようになれば、常識的な思いやりや同情心を持っている人間なら、平気で肉食を続けることはできなくなるはずです。肉食に対して、強い心の痛みを感じるようになります。目の前に飢えて死んでいく人間を見て、自分だけが贅沢三昧な食事をすることなど、到底できなくなるでしょう。しかし現実には、飢え死にする人間を見殺しにするのと等しい冷酷なことが堂々と行われているのです。

これは地球全体が“利他愛”という神の摂理から、最も遠いところにあることを示しています。自分より恵まれない人、自分より貧しい人に手を差し伸べることは利他愛の当たり前の行為ですが、それとは全く反対のことが、多くの地球人によって日常的に行われているのです。

現在では、少しでも人々の役に立ちたいという純粋な動機からボランティアに携わる人間が増えてきました。それ自体はとても嬉しいことなのですが、残念なことに、そこにも矛盾が見られます。困った人々のために尽くすという利他愛の行為をしながら、その一方で肉食をするという相反したことをしているのです。

一般の人々は、肉食が人類愛に反することだとは気がつきません。間接的ではあっても、貧しい人々への虐待に手を貸す結果になっていることには理解が及びません。しかし、今述べてきたように肉食は、現実に人類愛に対する根本的な欠如と深く係わりがあるのです。多くの人々は、いつの間にか、知らずしらず大きな利己主義の当事者になってしまっています。

地上人類が肉食を止め、神が与えてくれた大地の恵みを食料とするとき、人間は初めて地球規模で人類愛を確立することができるようになります。肉食をしながら、その一方で人類愛を説くことは矛盾しています。肉食をしながら、環境問題を説くこと、人権問題を論じることは大きな矛盾なのです。

5.肉食の間違いの4つ目の理由

――人間の霊的成長にマイナスの影響を与える

肉食が間違っている4つ目の理由は、それが人間の霊的成長にマイナスの影響を及ぼすということです。シルバーバーチは――「肉食はアルコールやタバコと同様、人体の質を低下させる」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.130)と言っています。

人体に悪影響が及べば、それは人体に密着して存在する霊体と霊魂にマイナスの影響を及ぼすことになります。地上にあっては、霊は肉体を通じて自我を表現しているので、肉体の質が高ければ高いほど当然“霊”の表現も大きくなります。肉体はその意味で――「霊の宿る宮(家)」なのです。したがって私達地上人は、自分自身に対する義務として、自分の肉体を大切にし、よく手入れしなければなりません。肉体を粗末に扱うことは、神の摂理に反することなのです。

肉食が人体の質を低下させるということは、肉食それ自体が間違っているということを意味します。地上人類は基本的に、神から与えられた大地の恵みを食料とすべきです。神は人間の肉体を、大地の産物によって養うものとして造られています。そのとき「霊の宮」である人体は、摂理にあった状態になり、霊的成長にプラスの作用をもたらすようになるのです。

もちろん少量であれば、肉食もアルコールも、それほど大きな害がないことは明らかです。しかし可能なかぎり神の摂理にそっていくためには、こうした肉体にマイナスの影響を及ぼすものを避ける努力をするのは当然です。特に一般の人々に先立って「霊的真理」と出会ったスピリチュアリストにあっては、真実が明らかな形で示された以上、最大限の努力をすることが求められています。

6.現代栄養学の観点からの肉食の間違い

以上、「スピリチュアリズムの観点・霊的真理の観点」から、肉食が間違いであることを述べてきました。しかし肉食が間違いであるのは、こうした霊的理由から明らかにされるばかりではありません。現代科学の最新の研究成果も、肉食の間違いを明らかにしています。

ここ20~30年の間に、「科学の一分野としての現代栄養学」が注目されるようになってきました。現代栄養学は、今後ホリスティック医学の中心的な位置を占めるようになると言われていますが、その現代栄養学は“欧米型食事”の中心をなす肉食が、多くの現代生活習慣病(成人病)を引き起こす原因となっているということを科学的に解明しています。ここでは専門的な詳しい説明はできませんが、現代栄養学が明らかにした肉食の間違いについての研究成果の一部を紹介します。

肉食は、高血圧・動脈硬化・心臓病・脳梗塞のうこうそくを引き起こす

肉食によって体内に取り入れられた動物性脂肪(ファット)は、血液や循環器系の機能に異常を引き起こし、高血圧や動脈硬化・心臓病・脳梗塞などの原因となります。現在では動物性脂肪を摂取した数時間後の血液の状態が、顕微鏡を通して直接見られるようになっています。動物性脂肪の摂取が血液の粘度を高め、血液をドロドロの状態にしていることを誰の目からも確認することができます。

欧米では30年程前から、動物性脂肪の有害性が一般人の間にも知られるようになってきました。そして肉食を減らしたり、脂肪を避けて赤身だけを食べたり、直火焼きをしてあぶらを落とすといったことが行われるようになってきました。

肉食は、大腸ガン・乳ガン・骨粗鬆症こつそしょうしょうを引き起こす

また、動物の肉が腸内で発ガン物質を生成し、さらに腸内細菌の状態を悪化させるなどして大腸ガンを引き起こすことが明らかにされています。肉食の多い女性に、乳ガンの発生率が高いことも臨床的に確かめられています。

さらには肉食が血液の酸度を高め、これを中和するために骨などの体内組織からカルシウムを溶かし出すことで、骨粗鬆症の進行が早まることが確認されています。カルシウムをそれほど摂っていないように思われる“ベジタリアン”に骨粗鬆症が少なく、肉を多く摂取している人間に骨粗鬆症が深刻化している事実が臨床的に明らかにされています。

現代栄養学には、動物への配慮はない

このように現代の科学は、肉食の悪影響を、医学的にあるいは栄養学的に証明するようになっています。こうした研究成果はどれもが素晴らしいものであり、人類に多くの恩恵をもたらすことになっています。

しかし考えてみれば、それはどこまでも人間サイドの利益の観点に立脚したものであることが分かります。人間はいかにしたら健康であり得るのか、病気にならずにすむのか、あるいは病気を治すことができるのか、また長生きできるのかといった、言い換えれば人間の利益のためだけの研究に過ぎないということなのです。そこには動物への思いやり・愛情という要素は全くありません。

そもそも人間が動物を殺して食料にさえしなければ、人間は今よりずっと健康で生きられるはずなのです。

7.神は人間を“ベジタリアン”として造っている

霊性の低さが、肉食の一番の原因

現代の人間社会における「限度を超えた肉食」という異常さは、地球人類の霊的進化の低さ・霊性の未熟さから発生しています。地球人類の霊性はあまりにも低いために、神からの霊的エネルギーを吸収できず、「霊的エネルギーを枯渇」させるようになっています。それが「霊・霊の心(精神)・霊体・肉体のアンバランス状態」をもたらし、身体全体を不調和にさせています。その結果、肉体は必然的に本来の健全性を失い、多くの病気を引き起こすことになっています。「霊的エネルギーの不足」と、その結果としての「霊・心・身体の三位一体のアンバランス」が、現代人の病気の根本原因です。

不健康な肉体は、おのずと不健全な刺激を求めるようになります。現代人の肉食・アルコール・砂糖・タバコの過剰摂取は、すべてそうした肉体ならびに身体全体のアンバランスの結果、引き起こされるものなのです。そもそも霊的エネルギーが身体に満たされ、生き生きしている人は、肉など人体に悪影響を及ぼす食べ物は自然に避けるようになります。現代人の「霊性の低さ」が、肉食という間違った嗜好をつくり上げることになっているのです。

人間は“ベジタリアン”として造られている

神は、地上人類を大地からの恵みを食料として生きていくように造られています。そうした神の摂理にそった食生活を維持していけば、現代人を悩ませている多くの病気はおのずと減少していきますただしカルマから生じる病気は別です)。神は、人間を本質的に“ベジタリアン”として造られているということを忘れてはなりません。

「理想を言うならば、霊媒スピリチュアリストは、みな神の霊媒です)は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます。」

『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.131

シルバーバーチは人間の身体構造から見ても――「人間は肉食に適してはいない」と言っています。その一例として人間の歯の構造を挙げることができます。

人間の歯は、穀類・豆などを砕いてすりつぶすための臼歯20本、野菜や果物を噛み切るための門歯8本、引き裂きちぎるための犬歯4本で成り立っています。これを見ても、人間が肉食をするようにはできていないことが分かります。これまでの研究者の中には、4本の犬歯は肉などを食べるための歯であり、歯全体の構造は雑食的につくられていると言う人がいましたが、そうではありません。人間の犬歯は尖った動物の犬歯とは異なり、肉食には向いていません。)

「人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。(人間の)身体的構造を見てもそれが分かります。全体として見て、人間は肉食動物ではありません。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)p.21~22

肉を食べなくても、栄養失調にはならない

「人間はベジタリアンであるべきだ」と言うと、必ず次のような反論をする人が現れます。「完全な菜食主義では、必須アミノ酸やビタミンB12といった人体に不可欠な栄養素を欠乏させることになり、深刻な栄養失調を引き起こすようになる」、一時代昔の栄養学でも、こうした問題が議論されたことがありました。

確かに人間の体内では合成できない9種類のアミノ酸(必須アミノ酸)があり、それは食事を通じて外部から摂取しなければなりません。もし食事から摂取できないと、深刻な栄養失調状態を引き起こし病気になってしまいます。肉食は、この必須アミノ酸を摂取するための最もてっとり早い方法なのです。すべての必須アミノ酸を含む動物の肉は、実に理想的なアミノ酸補給源なのです。

ここで大切な点とは、そのための肉の摂取は少量で十分であるということです。しかし現実には、大半の人々が適量の何倍もの肉を摂取しており、それが逆にさまざまな弊害を引き起こしています。必須アミノ酸を補うためだけならば、現在の日本人が摂取している肉の量の何分の一かで事足りるのです。

さらに言えば、必須アミノ酸の補給源は、何も動物の肉でなくてもいいのです。魚でも十分その役目を果たすことができます。さらには穀類と豆類を組み合わせて摂るなら、必須アミノ酸は過不足なく補うことができるようになっています。肉を摂らなくても、穀類と豆類をしっかり食べていれば、必須アミノ酸の不足という問題はきれいに解決されるのです。

したがって、肉を食べなければ栄養失調になって生きていけなくなるというような理屈は全く通用しないことになります。

菜食主義というと日本人は、厳格な玄米菜食を勧める“マクロビオティック”を思い浮かべます。これは東洋の“陰陽理論”を食事や日常生活に応用したもので、世界中に普及しています。マクロビオティックには、「狂った欧米食」が原因となっている現代病・成人病に効果的な多くの長所があります。

しかしマクロビオティックは、せっかくの功績を台なしにしてしまうような根本的な問題点・間違いを抱えています。その間違いを一言で言うなら――「食事や健康という科学の領域の問題を、一方的に“陰陽”という思想ですべて解決できるとしている」ということです。「思想と科学を同一扱いにして混同し、カテゴリーエラーという根本的な間違いを犯している」ということなのです。

マクロビオティックは、必ずしも優れた食事法とは言えません。あまりにも間違った現代欧米型の食事に対する牽制として、また欧米型食事に対する一時的なショック療法としてはいいかも知れませんが、厳密に長期にわたって続けるものではありません。深刻なマイナスが生じるようになります。それについての詳細は、別の機会に譲ることにして、ここでは省略します。

8.自然界の“弱肉強食”について

弱肉強食は、神の摂理という意見

動物を殺してその肉を食料にするのは、神の摂理に反しているから間違っていると言うと、なかには反論する人も現れます。彼らは――「動物達は人間とは違って罪はなく、神が与えた本能に忠実に従って生きているが、そこでは強い動物が弱い動物を襲って殺し、食料にするという“弱肉強食”の現実があるではないか。これは神が、動物達が殺し合いをするのを善しとしているということであり、人間が他の動物を殺して食料にするのと大差はない。だから肉食は、必ずしも間違っているとは言えない」と主張するのです。

こうした意見は、一応もっともらしく聞こえます。スピリチュアリストを含め良心家達の中にも、神がなぜこうしたむごたらしい弱肉強食の世界を造られたのか不思議に思い、矛盾を感じている人々が多くいます。

動物愛護者の反論

そうした良心家の典型的な立場にいるのが、動物愛護運動を進める人々です。彼らは次のように考えます――「動物界は弱肉強食によって各動物間の数比が一定に保たれ、それが全体の種が生き延びていくための自動調整システムの働きをしている。テレビや映画で弱肉強食シーンを見ると残酷さだけがアピールされるけれど、巨視的に見れば動物界全体が調和を維持して存在するようなシステムになっている」

さらに次のようにも言います――「弱肉強食は確かに動物界の現実であるけれども、野生動物の本能は、常に神の見えざる手によってコントロールされている。そのため野生動物は、必要以上に他の動物を殺すことはないし、また食べ過ぎて肥満になったり、それがもとで病気になるようなことはない。人間の手の加わらない野生動物の世界では、自然状態と秩序が保たれ、無益な殺生が行われるようなことはない。それに対し人間は、神から与えられた自由意志を悪用し、欲望をエスカレートさせて必要以上に罪もない動物達を殺している」

こうした動物愛護者の見解はまさに正論であり、説得力を持っています。人間が無軌道・無秩序に家畜を惨殺するのと比べ、動物界の殺し合いには明らかに一定のルールとコントロールが見られ、残虐性は最少限にとどめられています。動物界の“弱肉強食”と、人間の“動物虐待”は本質的に異なっています。人間の動物虐待の程度はひどすぎるのです。限度を超えているのです。人間は動物を食料にしなくても生きていくことができるようになっている以上、なおさら動物を残酷に殺す必要などないのです。

「限りある知恵で無限の叡知を理解することはできません。(中略)全体のごく限られた一部しか見えないからです。確かに自然界には弱肉強食の一面があり、腹が空けば互いに食い合うこともしますが、それは自然界全体としては極めて些細な話であって、人間界と同様に動物界にも調和と協調の原理が働いております。チャンスに恵まれれば、その原理を如実に見ることができます。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.178

シルバーバーチの“弱肉強食”についての見解

動物愛護者達は、未熟な地球における動物虐待に対して孤軍奮闘し、神の正義のために戦ってきました。彼らこそ、まさに神の兵士にふさわしく戦いの前線で大きな働きをしてきました。シルバーバーチは、そうした地上の動物愛護者達を励ます一方で、さらに次のような重大で本質的な見解を述べています。

シルバーバーチによれば、現在の地球上に見られる動物界の弱肉強食は、神の意図した最終的な世界そのものではなく、進歩のプロセスにおけるひとこまに過ぎないと言うのです。弱肉強食は現時点の地球における現実なのですが、地球が進化するにともない、遠い将来には消滅するようになると言います。

シルバーバーチは――「自然界は弱肉強食であるとよく言われていますが、それは大自然の進化の部分的現象に過ぎません。大自然がすでに完成されていると述べている霊界通信はないはずです。自然界も進化の途上にあるからです」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.131)と言っています。

捕食動物は、将来は地球上から消滅する

シルバーバーチの見解に従うならば、動物界も進化の途上にあり、現在見られるような弱肉強食は、いずれ変化していくということになります。

では、どのように変化していくかということですが、結論を言えば、捕食動物が滅んで、草食動物だけになっていくということです。何千万年、何億年後には、動物界は進化のプロセスの結果、利他性という神の法則にそった世界に変わっていくことになります。そのときには恐竜が滅び地球上から姿を消したように、残虐性を持った捕食動物も地上から姿を消すことになるのです。

そうした動物世界の進化を促進するのに、人間の愛が大きな役割を果たすことになると、シルバーバーチは述べています。

「低い動物形態においては、見た目には残忍と思える食い合いの形を取ります。が、進化するにつれてその捕食本能が少しずつ消えていきます。先史時代をごらんなさい。捕食動物の最大のものが地上から姿を消し、食い合いをしない動物が生き残ってきております。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.179

「動物界にも進化の法則があります。歴史をさかのぼってごらんなさい。有史以前から地上に生息して今日まで生き延びている動物は、決して他の動物を食い荒らす種類のものでないことがお分かりになるはずです。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)p.22

現在、私達が目にする動物界の弱肉強食は、神の摂理そのものではなく、また神が最終的に決められた姿でもありません。進化の過程の一つの姿に過ぎないということなのです。したがって動物界の“弱肉強食”が、私達人間の肉食を正当化する理由にはならないのです。

9.殺生の罪について

――どのような生き物も殺すことは罪なのか?

ゴキブリや蚊・病原菌も殺すことは罪なのか

動物を殺すことはいけない、神から与えられた生命ある存在を殺すことは神の摂理に反することになると言うと、ここにもまた一つの疑問が生じてきます。生命あるものを殺すことは罪であるという論理を徹底すると、私達地上人は地球上で生きていくこと自体が不可能になってしまいます。ゴキブリや蚊などの有害な昆虫を殺すことも罪になるのか、ごく普通の日常生活をしているだけで、私達は知らずしらずのうちに目に見えない微生物を殺しているがそれも罪なのか、ということになります。それを罪と言うなら、当たり前の日常生活さえ送れないことになってしまいます。

さらに私達の食料として最もふさわしいとされる植物にも生命があることを考えると、植物を食料として食べることも間違いになるのではないか、ということです。植物は、それが死んでからでないと食べてはいけないということになるのでしょうか。そうだとすると、生命ある新鮮な野菜を食べることも罪になってしまいます。それともこうした矛盾は、人間進化の一つのプロセスと考えるべきものでしょうか。こんな疑問が、次々と湧いてきます。

殺すのは“意識”を基準とすべき

この難解な問題に対するスピリチュアリズムの見解は、どのようなものでしょうか。神は、人間が他の生き物を殺しても許可される一定の基準を決めているのでしょうか。

シルバーバーチは、こうした難しい質問に対して、次のような明快な解答を示しています。さすが高級霊であると思わせる画期的な指標を明らかにしています。

「(殺すということは)意識を基準とすべきです。意識があるかぎり、それを殺すことは間違いです。」

『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.223

シルバーバーチは――「意識ある存在を殺すことは間違いである」と言っています。これは裏を返せば、意識のないものは、状況によっては、たとえそれが生き物であっても殺しても罪にはならないということです。

「進化した動物」には、類魂意識がある

では、ここで言う“意識”とは何かということになります。まず、私達人間に意識があることははっきりしています。では、動物はどうかということになります。ここでシルバーバーチは、次のような動物界における最高の秘密事項を明らかにします。人類に初めて明かされた重大な事実です。

それは、「進化した動物には人間と同じような意識ではないが、その奥に類魂(グループ・スピリット)としての意識を内在させている」ということです。そうした動物は死後、個性を失い、類魂という大きな魂の中に融合し溶け込むことになりますが、地上にいる間にも“類魂意識”が内在していると言うのです。地上で肉体を持っている間は、類魂という全体魂の一部分が内在して意識をつくり出しているということです。

つまり――「進化した動物には、(人間のような独立した意識ではないが)類魂から派生する一種の意識がある」ということなのです。シルバーバーチは、進化レベルの高い動物にはこの類魂意識があるために、それを殺すことは罪になると言っているのです。

ここで注意していただきたいことは、一般に動物というと哺乳動物・爬虫類・両生類・魚類・鳥類・微生物・細菌などを含めて考えますが、シルバーバーチが動物と言っているのは主として“哺乳動物”のことです。

さて、類魂意識を持つのは進化レベルの高い動物に限られますが、その進化とは、一般的に考えられているような進化論的な観点に立ったものではありません。シルバーバーチが言う進化とは、霊界の観点から見た進化であり、強いて言えば“霊的進化論”と言うべきものです。地上の進化論的観点では、サルが人間に次いで進化レベルが高いとされていますが、霊的進化論ではサルではなく、イヌやネコの方が高いとされます。こうした動物の類魂の進化には、人間の愛が大きな役割を果たしていると言われます。

ところで、どの動物に“類魂意識”があり、どの動物にはないのかということですが、残念なことに現時点では、その全貌については示されていません。ただペットとして飼われている動物や、家畜として飼われている動物には類魂意識があることが明らかにされています。

進化レベルの低い生物には、類魂意識もない

では、進化レベルのそれほどでない動物・生き物の場合はどうなっているのでしょうか。ヘビやトカゲといった爬虫類や、蛙などの両生類には類魂意識はあるのでしょうか。

シルバーバーチは動物よりさらに下がると、類魂意識さえもなくなると言っています。また、ヘビには意識がないと明言していますから、こうした動物達には類魂意識はないと考えられます。それら以上に進化レベルの低い生き物(魚類・昆虫・微生物・細菌類など)の場合、当然、類魂意識はないと考えるべきでしょう。このような類魂意識さえ持たない生命体は、死後は「生命素」というべき霊的要素が、それぞれの種の類魂の中に吸収されていくことになります。

“意識”という観点から地球上の生物を見ていくと、次のように大きく3つに分類されます――「人間(永遠の個別意識を持ち続ける)」「霊的進化した高等動物(地上では類魂意識を持つものの、死後は類魂に吸収されて個性を失う)」「進化レベルの低い動物(地上では類魂意識を持たず、死後は生命素が類魂に吸収される)」

牛や馬・羊といった家畜などの動物には、類魂の意識が内在している以上、それを殺すことは罪になりますが、類魂意識を持っていない他の生き物を殺しても、神の摂理に背くことにはなりません。ノミやシラミや微生物には意識はないので、こうした昆虫や微生物を殺しても摂理に反することにはならないのです。

また、植物には生命はあっても意識はないのは明白ですので、これを食料にしても何の問題もありません。人間が動物を殺して食料にすれば罪を犯すことになりますが、植物の生命を奪って食料にしても罪を犯すことにはならないのです。

“無慈悲”という罪

意識を持たない生き物を殺すことは罪にはならないといっても、無慈悲に他の生き物や植物を虐待し、残酷に扱えば、進化の頂点にいる存在としての責任に係わる問題が生じるようになります。自分より進化の遅れた存在に対し、それを愛していかなければならない人間としての使命に背くことになります。「愛がない」という点において、自分自身の進化を遅らせることになるのです。類魂意識のない生き物を殺す場合、残酷さがないかぎりにおいて、罪にはならないということなのです。

また、最近になって環境問題が急に注目されるようになってきましたが、その問題の本質は、人間が愛を持って動物界や植物界に接し、協力しながら共生していくという観点からなされなければなりません。環境問題については、別の機会に取り上げることにします。

10.肉食をめぐる理想と現実の問題

――スピリチュアリストの取るべき姿勢とは?

これまでの話から、「肉食が悪い」ということが明らかになりました。後は、私達がこの問題について、どのように対処していくかということだけが残されています。真実が分かったことと、それに正しく対処することは別問題です。正しいと知りつつ、なかなか実行に移せないのが私達地上人の実態なのです。

今すぐ地球上から“肉食”をなくすのは不可能

現在の地球人類の霊的状況に照らしたとき、地球上から今すぐ肉食を廃止することは不可能です。霊的真理も知らない、死後の世界があることも知らない、そして地上かぎりの物質的・本能的喜びだけを必死に追い求めているような人々に、肉食を止めさせることなど到底できません。

生命あるものを勝手に殺さない、人間と同じような痛みと苦しみを感じる弱い相手を虐待しないという当たり前のことができないのが、地球という未熟な世界の悲しい実情なのです。戦争反対・核兵器廃絶を声高に叫びながら、自らが平和を崩壊させる当事者になっているのです。

「霊的真理の普及」こそが、肉食問題の最終的解決法

地球上から今すぐ肉食をなくすことができない現実は、霊界の人々は百も承知しています。霊的真理が地球上に広まらないうちは、理想が実現されることはありません。霊的真理の普及こそが、肉食問題の最終的解決法なのです。

霊界の人々は、地球の現状を理解したうえで、少しでもましな方向へ人類を向けさせようと心を砕いています。私達スピリチュアリストが「霊的真理の普及」に励むことこそが、“動物虐待”と“肉食”をなくすための最も効果的な戦いとなっているのです。

「時間は掛かりますが、まず霊的知識の普及が必要です。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.44

動物救済は、スピリチュアリズム活動の一環

霊界では、スピリチュアリズム活動の一環として、地球上から動物虐待や肉食を止めさせるための活発な働きかけがなされています。その動物救済活動の責任者が、聖フランチェスコであることが、シルバーバーチによって明らかにされています。

霊界の人々が、地球上から動物虐待や肉食をなくそうと必死になって働きかけているときに、霊的真理を真っ先に知ったスピリチュアリストが依然として肉食を楽しみ、間違った味覚を追い求めるようなことは許されません。「禁欲はイヤ、そんな堅苦しいことは気違いじみて偏狭だ」などと愚かなことを言っていては、自らスピリチュアリストとしての立場を否定することになってしまいます。

シルバーバーチからの悲しい提言

今すぐ理想を実現できない状況の中で、シルバーバーチは次のような提案をしています。地球人類の現状に見合った“次善の策”を示しています。

「どうしても殺す必要がある時は、なるべく苦痛を与えない方法を取らないといけません。残酷な殺し方は止めてください。(中略)一足跳びに到達することはできない以上、殺し方をできるだけ苦痛を与えないように工夫してください。」

『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.132

何と悲しい提案なのでしょうか。しかし、これが現時点における地球人の霊的レベルの反映なのです。シルバーバーチは――「地上では2つの良くない方法のうち、よりましな方を選択しなければならないことがある」と述べています。神の摂理に反した悪いことにも、その悪の程度によって小悪と大悪が存在するということです。そして、どうしても悪を行わざるを得ないときには、小悪を選択しなさいと言うのです。

動物を殺すことは明らかに神の摂理に違反しています。“悪”であることは明らかです。しかし残虐な殺し方が大悪とするなら、苦痛を減らした殺し方は小悪ということになります。同じ悪を犯すのであっても、少しでも摂理に近い方向を目指す必要があるのです。地球全体としては今すぐ善なることを実行できないのが実情ですが、スピリチュアリストは、少しでも苦痛を与えない殺し方をするように人々に働きかけていかなければならないのです。

まずは「スピリチュアリストから」実行すべし

シルバーバーチは――「未熟な世界においては、完全な理想が実現されることは期待できません。しかし、だからといって、理想に向けての努力をしないでよいということにはなりません。(中略)私たちも、どうせ今すぐには実現できないと知りつつ理想を説いております」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.131~132)と言っています。

今すぐ地球上から肉食を一掃することはできないとしても、肉食の間違いに気がついた者から、理想に向けての努力を始めなければなりません。その者とは、私達スピリチュアリストに他なりません。私達は「霊的真理」を通じて真っ先に肉食の間違いを知らされました。理想に向けての努力は、そのスピリチュアリストから始めなければなりません。真理を通じて肉食の間違いに気づいたスピリチュアリストが、「まず自らそれを実行」していかなくて、どうして地球上から“肉食”という悪習慣をなくすことができるでしょうか。愛すべき動物を虐待して食料にするような邪悪な生き方を改めることができるでしょうか。

一般人とは違うスピリチュアリストの立場

霊的真理を通じて肉食の間違いに気づいた以上、「知ったことの責任」が問われることになります。私達スピリチュアリストには、もはや知らなかったという言い逃れはできません。スピリチュアリズムも霊的真理も知らず、肉食が罪だということを全く知らない人々の場合は、肉食は霊的罪にはなりません。

しかし、真理によって「肉食は罪である」という自覚を持ったスピリチュアリストにとっては、肉食は罪となるのです。何も知らない一般の人々には許されることも、私達スピリチュアリストには許されないのです。悪いと知りつつ間違ったことをしている場合は、その結果に対して責任を負うことになります。

「動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、いけないことと知りつつやることは何事であれ許されないことですから、やはりそれなりの報いは受けます。その段階まで進化しておらず、いけないとも何とも感じない人は、別に罰は受けません。知識にはかならず代償が伴います。責任という代償です。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.230~231

スピリチュアリストとしての“試金石”

もちろんスピリチュアリストであっても、肉体を持っている以上、弱さがあり、なかなか理想どおりに実行できません。肉食を当たり前と考える環境で生活している場合には、周りの人々から激しい反対や反発を受けるようになることは避けられません。あるいはそれより何より、自分自身が肉食を断つことに耐えられないといったことがあるかも知れません。肉食に対する味覚的喜びを捨て去ることができず、二の足を踏むような人もいるでしょう。

しかし、たとえどのような個人的理由があるにせよ、理想に向けて努力しなければならないのです。そうでなければスピリチュアリストとは言えません。まさに肉食の問題は、スピリチュアリストとしての“試金石”なのです。今は高い理想・目標のように感じられても、それに向けて最大限の努力をする中で、徐々に神の摂理に一致した生き方が自分自身のものになっていきます。

これまで毎日肉食をしていたなら、少なくとも当面は、それを2週間に1回、1カ月に1回にするとか、肉を止めて魚にするといった方向に切り替えていかなければなりません。また、どうしても食料確保のために他の生き物を殺さざるを得ないときには、できるだけ進化レベルの離れた生き物を殺すようにすべきです。例えば動物を殺して食料にするよりは、魚を殺して食料にする方が、より摂理に近い選択をしたことになるのです。

人類全体に「霊的真理」が行き渡り、現在行われている“動物虐待”と“肉食”が間違いであることに気がつくまで、この地球上に理想が実現することはありません。それまでは真理を知った私達スピリチュアリストが率先して理想を実行し、見本を示していくしかありません。そうして少しずつ善なる光を地上に招来することができるようになるのです。

現在は2000年前のイエスの時代とは違うのです。肉食の問題は、戦争や貧困・環境破壊・核兵器の問題と同じように重要なことなのです。ここ10年程の間に“禁煙運動”が世界的な広がりを見せています。しかし肉食は、本当はタバコよりも悪質で有害なものなのです。禁煙運動が広まったように、将来“肉食禁止運動”が地球規模で普及することを願っています。

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