(3)地上世界の悲劇の根本原因

――霊的無知・物質中心主義・利己主義

これまで多くの宗教や思想・哲学が、人間の不幸や苦しみの原因について探求してきました。従来の宗教では人間が味わう悲劇を、神の怒りや神が与えた罰として、また悪魔(サタン・デビル)の仕業として考えてきました。しかしすでに学んで明らかなように、神が罰として人間に不幸や苦しみを与えるようなことは決してありません。サタンなどの悪魔が働きかけて、人間に不幸や苦しみをもたらすようなこともありません。そもそも霊界にも地上界にもサタンやデビルといった悪なる霊的存在はいませんし、神と対峙する悪の一大勢力も存在しません。これらは人間が勝手につくり出した想像物にすぎません。

では、スピリチュアリズムの高級霊界通信では、地球上を覆っている苦しみや不幸の“根本原因”をどのように説明しているのでしょうか。霊界の高級霊は、地球上の“悲劇の元凶”についてどのように教えているのでしょうか。ここでは、あらゆる悲劇の元凶を霊的観点から見ていきます。地球上に悲劇を発生させ、地球上を暗黒世界に陥し入れている根本原因とは何かを学んでいきます。

1)地上人類の霊的無知

「霊的無知」と死の問題

初めに重大な結論を述べることになりますが、地球上のあらゆる悲劇や苦しみの原因を突き詰めて考えると、「霊的無知」という一点にたどり着きます。地球上の悲劇や不幸の根源は、霊的事実に対する地上人の無知にあるということです。

このように言うと、あまりにも簡潔な答えに唖然とする方や反発を覚える方がいらっしゃることでしょう。それは多くの人々が、地球上の人間社会は長い歴史を経て形成されたきわめて複雑なものであり、さまざまな要因や原因が絡み合って問題が発生していると考えているからです。そんなに簡単な問題ではないと思っているのです。

しかしスピリチュアリズムは、最も大局的な観点に立って地球上の悲劇や不幸の元凶を明らかにしています。そして地球上のすべての問題の原因は――「霊的事実に対する無知」「霊的真理に対する無知」に集約されると断言しています。

シルバーバーチは次のように述べています。

「あらゆる問題を煮つめれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち、人間は本来が霊的存在であり、大霊からの遺産(神性)を受け継いでいるが故に、生まれながらにして幾つかの権利を有しているということです。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)p.66~67

「霊的事実に対する無知」とは、誰にも必ず訪れる“死”と“死後の世界”に対する事実を知らないということです。地球上の多くの人々は、死によってすべてが無に帰してしまうと思っています。死後の世界があることを認めず、人間が永遠の存在であることを信じられない人は、死はすべての終わりであると考えています。宗教を信じている人でさえも、「死は最大の不幸であり、悲劇である」と恐れています。これまで死と死後の世界について正しく認識してきた宗教は存在しませんでした。地球上の宗教はみな、霊的無知であったということなのです。

宗教にとっての最大のテーマは“死”であり、宗教は死の問題を解決するために存在していると言っても過言ではありません。しかし宗教は今日まで、この最も重要な問題に対する明確な答えを地上人類に示すことができませんでした。宗教を通じて部分的に霊的知識がもたらされることはあっても、そのほとんどが間違っていたり、単なる人間の作り話にすぎませんでした。

科学の発達によって多くの知識を得た近代人は、もはや従来の宗教が説くような幼稚な「死生観」では納得できなくなりました。現代の先進諸国では、大勢の若者たちが従来の伝統宗教に対する不信感をあらわにし、それに距離を置くようになっています。一方、死の問題に対する解答を見いだせない現代人は、不安と孤独の中に放り出され、それが自殺をはじめとするさまざまな悲劇を生み出すことになっています。死についての事実を知らない人は、人間社会の中で苦しみや困難に遭遇すると「どうせ人間はいつかは死ぬのだから、今死んでも10年先に死んでも同じだ」と思い、自殺の道を選択するようになるのです。

「大半の人間は、地上だけが人間の住む世界だと考えております。現在の生活が人間生活のすべてであると思い込み、そこで物的なものを、いずれは残して死んで行かねばならないものなのに、せっせと蓄積しようとします。戦争・流血・悲劇・病気の数々も、元はといえば、人間が今この時点において立派に霊的存在であること、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。」

『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』(ハート出版)p.172

本能的快楽主義の暴走

死後の世界に対する明確なビジョンがないところでは、「人間は死ねば、どうせすべてが無になってしまう以上、今を楽しく愉快に生きなければ損だ」と考えるようになります。「できるだけ肉体的快楽を追求しなければ損だ」といった思いが心の中心を占めるようになります。そして本能的快楽を最優先して求め、美味しいものを食べ、セックスや娯楽に興じることになります。豪華な邸宅・高級車・華やかなファッション・地位・名声……といったものを手に入れることが人生の目的となるのです。

そうした欲望の追求は、際限なくエスカレートしていきます。「あれも欲しい、これも欲しい、もっともっと欲しい」とふくれ上がっていきます。やがてそれが人間を、物質と快楽を求めての奪い合いへと駆り立てることになります。

心の底から納得して受け入れられる明確な死のビジョンがないところでは、地球人類の心は“本能的快楽主義”に傾いてしまいます。従来の宗教の権威が失われるとともに、現代の先進諸国では本能的快楽主義が人々の心を強く支配するようになっています。

「そこで彼らは、人生は七十か八十か九十年、どう長生きしてもせいぜい百年だ。存分に快楽を味わうために金を儲け、財産を貯えようではないかと言います。イザヤ書にある“食べて飲んで陽気にやろうではないか、どうせ明日は死ぬ身よ”という一節がそれをうまく表しております。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.145

2)物質中心主義と利己主義の支配

地上人の心を支配する「物質中心主義」

“死によってすべてが失われてしまう”と考えるところでは、必然的に「唯物主義」が台頭し、人々の心は肉体本能に支配されるようになります。そして“物質的な富こそが幸福を決定する”という考え方(物質的幸福観)を生み出し、人間はより多くのモノとカネと本能的快楽を追い求めるようになります。肉体的快楽を手に入れるための手段としてお金を最も重要視し、お金こそが何と言ってもいちばん頼りがいのあるもの、価値あるものと見なすようになります。こうして「物質中心主義」と「物質的価値観」が人々の心を支配するようになり、他人より少しでも多くお金を稼ぐことが幸せに至る最短の道であると考えるようになるのです。

こうした傾向は国家にもそのまま反映し、経済成長こそが国民を豊かにし、幸せな社会を築くことになると見なされるようになります。絶対的な“価値基準”はモノとカネ(経済)にあるとされ、国民は真っ先に経済的な発展を政府(政治)に期待します。現在では、民意を尊重する民主主義制度のもとで、国民の物欲や金銭欲に迎合するような政治状況(衆愚政治)が展開しています。

一人一人の生き方から一国の政治、さらには国際関係に至るまで「物質中心主義」が支配的となり、物欲と金銭をめぐる“弱肉強食”の嵐が吹き荒れています。その結果、地球は物欲とエゴというどす黒いガスに覆い尽くされています。

物質中心主義が「利己主義」を生み出す

「物質中心主義」は、自分自身の利益と快楽を最優先して求める生き方へと人間を駆り立てていきます。そこでは自分だけが大切であって、他人は大切ではありません。何よりも自分の利益が重要となります。この自分中心、自分第一のあり方が「利己主義」です。

「それ(利己主義)は唯物主義(物質中心主義)がもたらした混乱、黄金の子牛の像の崇拝、すなわちお金第一主義がはびこりすぎたからです。唯物主義はその本質自体が貪欲、強欲、自分第一主義に根ざしています。同じ天体上に住んでいながら、自分以外の者への思いやりも気遣いも考えず、ひたすら自分の快楽と蓄財に励みます。敵対関係、戦争、怨恨――こうしたものを生み出すのは唯物主義です。物質がすべてである、死はすべての終わりである、だったら自分の思うままに生きて何が悪い、という論法です。こうした自己中心の考えが地上界に暗黒と困難、闘争と暴力と憎み合いを生み出すのです。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)p.180

利己主義は、物質や肉体的快楽を求めての奪い合いという醜い争いを引き起こします。利己的な者同士の間に衝突を生じさせ、最終的に力のある一部の者がより多くの物質・お金を独占するようになっていきます。その結果、地球上に次々と悲劇が発生するようになるのです。

シルバーバーチは次のように述べています。

「地上世界にもめごとや困難や不幸が絶えないのは、相変わらず強欲と利己主義と怨恨によって支配されているからです。物欲がガンのように人類の心の中枢に食い込んでいるためです。悪性のガンです。そのガン細胞が猛烈な勢いで増殖しております。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.139

「つまり地上世界は何かにつけて貪欲と利己主義が優先しているから戦争と貧困、飢餓と悲劇、災難と混乱が絶えないのです。」

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.168

「地上世界の厄介な問題、および霊界の下層界の問題のすべてが、さまざまな形での利己主義、強欲、貪欲などの私利私欲によって引き起こされているというふうに考えればよろしい。原因はそれしかありません。」

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.215

「利己主義」の拡大と地球上への蔓延

地球人類は今日まで、「物質中心主義」と「利己主義」の強い影響を受けながら歴史を刻んできました。いつの時代にも、人間社会の底辺には物質中心主義がしっかりと根を下ろし、人々を利己主義的な方向に引きずってきました。宗教は本来、こうしたあり方とは正反対の「霊中心主義・利他主義」を標榜し、人々にそれを促す使命を持っています。しかし実際には、宗教自体が霊的無知であったため、正しい影響力を及ぼすことができませんでした。

一人一人の人間の心を支配する利己主義的傾向は、人間の集まりが家族・血族・民族・国家へと拡大するにともなって強められることになります。個人レベルでは幾分遠慮がちであったエゴ性は、家族・血族・民族というように集団の規模が拡大するに従ってむき出しになり、凶暴性を増大させるようになります。家族は自分たちの物質的幸福を真っ先に追求し、民族や国家は自分たちの物質的利益(国益)を優先して求めるようになります。そして自分たちの利益のために他民族や他国を侵略し、民族間戦争や国家間戦争を引き起こすようになるのです。

現在の地球上の国家を支配している共通の理念は、“国益”という言葉によって示される「物質的価値観」であり、物質的豊かさこそが国民を幸せにするという「物質的幸福観」です。地球上の国々は、そうした物質的豊かさを求めて日々しのぎを削っています。国際社会は、モノとカネとチカラ(政治力・経済力・軍事力)をめぐる熾烈な争いの中で展開しています。これが「利己主義」に支配されている地上世界の実態です。神の摂理である利他性(利他主義)を優先的に実践するような民族・国家は、一つとして存在しません。現在の国際政治においては「利他性」という神の摂理はタブーとされ、虚しい理想・観念論と見なされています。

「これら全てが、間違った物質万能主義、言い換えれば、霊的摂理についての無知から生じているのです。地上の人間は生活の基盤を間違えております。国家はその政策を自国だけの利益を中心に考えております。独裁者が生まれては、暴虐非道のかぎりを尽くしましたが、それは、力こそ正義という間違った信条に取りつかれていたからにすぎません。」

『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』(ハート出版)p.236~237

地球上では、人間によってさまざまな活動が行われています。経済活動・政治活動・宗教活動・文化活動・生産活動など、いろいろな営みがなされています。しかし、これらの活動の主役となる人間の心が「物質中心主義」と「利己主義」に支配されているため、その上に築かれる政治・経済・宗教・文化などいずれの分野も、利己的なものになってしまっています。そしてそこからさまざまな悲劇が生み出されています。

独裁者と独裁国家

「物質中心主義」と「利己主義」は地球上の人間の心を支配していますが、その強さの程度は人によって、あるいは民族や国家によって違っています。地上は利己主義に覆い尽くされていますが、その中でもとりわけ利己性の強い人間や民族・国家が存在するということです。言うまでもなく、その人間とは“独裁者”であり、その国とは“独裁国家”です。

「物質中心主義」と「利己主義」の争いの中で、富の独占化と権力の集中化が進み、その帰結としてきわめてエゴ性の強い“独裁者”や“独裁国家”が生まれることになります。物質中心主義と利己主義(エゴ)のエスカレートは、最終的に独裁者と独裁国家を生み出します。地上人の誰もが物質主義的傾向と利己的傾向を持っていますが、独裁者や独裁国家においては、それが極端な形で現れることになります。そこでは、権力を握った1人の人間や1つの組織がそれ以外の人間を強引に支配し、自分たちの利益のために非道の限りを尽くします。

利他性という「霊的摂理」に照らしたとき、摂理から最も大きく外れているのが“独裁者”と“独裁国家”であることは言うまでもありません。独裁国家は、常に他国を侵略して自らの国益と力(政治力・経済力・軍事力)を拡大しようと、そのチャンスを狙っています。弱小国家を餌食にしようとしています。独裁者や独裁国家は、まさに人類にとっての最大の敵なのです。しかし考えようによっては“独裁”は、地上人の誰もが持っている醜い心の凝縮体とも言えます。

物欲と利己性の全くない霊界

霊界と地上世界との根本的な違いは、霊界には地上世界を支配している「物質中心主義も利己主義も一切存在しない」ということです。霊界人には地上人のような物質的身体がないため、食べ物も衣類も住居も必要ありません。当然、それらを手に入れるためのお金はいりませんし、苦しい労働もしなくてすみます。そのため霊界では、地上世界のように物欲や肉欲にとらわれることがないのです。それどころかすべての霊界人にとって「霊的成長」が共通の目的となっており、利他愛の実践と他者への奉仕が常識となっています。

一方、地上人の心は肉体という物質に閉じ込められているため、霊的意識を自由に発揮することができません。そして本能的思い・利己的思いに簡単に支配されるようになっています。そうした人間も、死んで肉体を捨て去り霊界に行くと、物質的影響から解放され、霊的意識を持って生きられるようになります。霊界では地上世界で当たり前となっている物質中心性と利己性は消え失せ、霊中心性と利他性が心を占めるようになります。そして誰もが心の底から「霊的成長」を願うようになります。他から強制されなくても、自発的に利他的生き方を求めるようになります。霊界と地上世界とでは、このように本質的な点において根本的に違っています。

地上世界では、「物質的価値観」と「物質的幸福観」が人間の心を支配しています。物質中心主義と利己主義が地球人類の共通の傾向となり、その土台の上に政治や経済などのさまざまな制度・システムがつくり上げられています。これまで地上人が築いてきた制度やシステムのほとんどは、物質中心主義と利己主義に立脚したものです。地上世界の政治や経済は、物質中心主義と利己主義という土台の上に築き上げられた上部構造であるため、必然的に利己主義的にならざるをえなかったのです。スピリチュアリズムの政治観・経済観については、「スピリチュアリズムの思想[Ⅳ]」で取り上げます。)

3)使命を果たさなかった地上の宗教

「物質中心主義」と「利己主義」は、人類を悲劇・不幸へと追い込む2つの根本原因です。そしてその2つのガンを生み出す元凶は「霊的無知」です。したがって地球上のあらゆる問題は、「霊的無知」から発生しているということになります。宗教は本来、その霊的無知を克服することを使命としていました。霊的事実と霊的真理を示し、死と死後の世界に対する正しい認識をもたらし、地上人の「霊的成長」を促すことがその役目だったのです。霊中心的な価値観を説き、霊主肉従と利他愛の生き方を教えることが宗教本来の務めだったのです。

しかしこれまでの地上の宗教は、地上人を正しく導くことができませんでした。自らの「霊的無知」ゆえに、「利己主義」をさらに拡大させることになってしまいました。宗教組織を維持するためにモノとカネの追求に奔走し、権力の維持と拡大に野心をたぎらせてきました。地球上の宗教はいずれも、自分たちの権威を誇示するために豪華で荘厳な建物(教会・寺院)を建造してきました。そしてこの世的な偽りの幸福を説き、人々を間違った方向に導いてきました。霊的成長を促す方向ではなく、それとは反対の方向に人々を導いてきたのです。挙句の果てに、宗教同士が自分たちの利害をめぐって衝突し、戦争まで引き起こしてきたのです。

「かつて“黄金の子牛”と呼ばれていた物的な財産が崇拝の対象とされています。人生の基盤が霊的実在であることを宗教が説き明かすことができなくなったために、圧倒的大多数の人間が、物質こそ存在のすべてであり、五感で感じ取れるもの以外には何も存在しないのだと信じるようになっています。(中略)責任は教会やシナゴーグや寺院にあります。基本的な霊的原理の大切さすら説くことができないからです。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.144~145

4)地球上に蔓延する6つの悲劇・不幸(地球上の悲劇の全体像)

霊的無知から派生した物質中心主義と利己主義という2つのガンは、地球上に「戦争」「貧困・飢餓」「間違った宗教がつくり出す魂の牢獄」「精神の堕落・退廃」「動物虐待・環境破壊」「霊界下層における地獄の発生」という“6つの悲劇”を生み出しています。現在の地球は、幸福とは程遠い地上地獄の状態にあります。シルバーバーチは――「死ぬことが悲劇ではなく、利己主義に覆われた地上世界に生きなければならないことこそ悲劇である」と述べています。

下の図は、「霊的無知」から発生した「物質中心主義」と「利己主義」、そしてそこから発生する“6つの悲劇”の関係を図示したものです。現在の地球上の悲劇・不幸のアウトラインを示したものです。

「霊的無知」から発生した“6つの悲劇”の関係

以下では、上述した6つの悲劇について詳しく見ていきます。

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