『シルバーバーチの霊訓』が誕生するまでのいきさつ

『シルバーバーチの霊訓』は、スピリチュアリズムの歴史上“最高の霊界通信”であり、地球上における“最上の宗教思想”であり、地球人類共通の“バイブル”と言えます。『シルバーバーチの霊訓』は、イエスを中心とする高級霊が結集して「地球人類救済」のために綿密な計画を立て、地上世界に送り出したものです。

「シルバーバーチの霊界通信(交霊会)」は、1920年代から始まり、1981年に霊媒バーバネルが亡くなるまで、延々50年以上にわたって行われました。当初、交霊会は週に1回、金曜日の夜に開かれていましたが、霊媒の高齢化にともない月に1回となり、晩年には不定期に行われるようになりました。ここでは「シルバーバーチの交霊会」が始まって間もない頃の地上の様子を見ていきます。

交霊会の開始に先立って霊界サイドでは、『シルバーバーチの霊訓』を地上に送り出すための周到な準備が進められました。ここでは「シルバーバーチの霊界通信(交霊会)」を実現するための霊界における万全の準備体制についても見ていきます。それを通して、地球人類救済の切り札とも言うべき『シルバーバーチの霊訓』を誕生させるまでの霊界側の努力と苦労について理解を深めていきたいと思います。

「シルバーバーチの交霊会」の始まり

シルバーバーチの交霊会は、“シルバーバーチ霊”が自分の霊媒となるモーリス・バーバネルに対して働きかけるところから始まりました。当時18歳のバーバネルは不可知論者でしたあるいは「無神論者だった」とも言われています)が、ある日、ロンドンの貧民街で行われていた“交霊会”に冷やかし半分の気持ちで出席しました。そこでは何人かの霊能者(霊媒)が代わるがわる入神して、インディアンだのアフリカ人だの中国人だのと名乗る霊が次々に現れ、いろいろな言語でしゃべっていました。それを聞いてバーバネルは、思わず吹き出してしまいました。すると出現した霊の一人が、「そのうちあなたも同じようなことをするようになりますよ」と諌めるように言いました。

その日はバカバカしいという気持ちで帰りましたが、翌週バーバネルは、再び同じ交霊会に出席しました。ところが、途中でうっかり居眠りをしてしまい、目を覚ましたバーバネルが慌てて非礼を詫びると、すぐ隣に座っていた人が「あなたは今、入神してインディアンになっていましたよ」と言ってから、こう続けました。「入神中にあなたの指導霊シルバーバーチ)が名前を名乗ってから、今日までずっとあなたを指導してきて、そのうちスピリチュアリストの集会で講演をするようになると言っておられましたよ」と。

これを聞いてバーバネルは笑い飛ばしましたが、間もなくそれが現実のこととなりました。その後、交霊会に出席するたびに、バーバネルは入神するようになったのです。

当初、シルバーバーチは多くを語ることができず、それもひどいアクセントの英語でした。それが年を経るにつれて、語る回数が増えたことも手伝って、その英語は飛躍的に上達していきました。やがてシルバーバーチは、実に流暢に英語を話すようになり、参加者たちを感動させるまでになっていきました。

「シルバーバーチの交霊会」の転機

細々と行われてきたシルバーバーチの交霊会に、1924年、大きな転機が訪れました。当時“フリート街の法王”ロンドンの“フリート街”は、新聞社が集まっていた地区)と呼ばれていたハンネン・スワッファーが、交霊会に参加するようになったのです。スワッファーは、「シルバーバーチの交霊会」に参加する前に他の交霊会に出席し、そこで先輩に当たるノースクリッフ卿の霊と出会い、死後にも生命が存続することの動かしがたい証拠を示されました。そうして死後の世界の実在に確信を持つようになったときに、シルバーバーチの交霊会に参加することになったのです。

スワッファーは次のように述べています。「私とシルバーバーチとの出会いは、1924年、私がスピリチュアリズムの真実性を確信して間もない頃のことでした。以来、私は毎週1回1時間あまり、シルバーバーチの教えに耳を傾け、助言をいただき、いつしかその霊を地上のいかなる人物よりも敬愛するようになりました。」スワッファーは、シルバーバーチの交霊会を自宅で催すことになり、それは「ハンネン・スワッファー・ホームサークル」と呼ばれるようになりました。スワッファーは自らの知名度を利用して、当時の各界の著名人を交霊会に招待していきました。

シルバーバーチの交霊会(「ハンネン・スワッファー・ホームサークル」)は、毎週金曜日の夜に開かれました。そしてその通信内容は、定期的に“サイキック・ニューズ”紙に掲載されました。これによって『シルバーバーチの霊訓』は、英語圏を中心にして広く世界中に知られるようになっていきました。

「シルバーバーチの交霊会」では、シルバーバーチ霊が語る言葉は、点字速記によって書き留められました。当初、交霊会は暗闇の中で行われたため、点字速記が威力を発揮することになりました。たいていの場合、シルバーバーチはゆっくりと語りますが、時には早口になることもあります。そんな時でも文字にしたものを見ると、一語たりとも訂正する必要はなかったと言われています。後ですることといえば、句読点を書き込むだけで、それほどシルバーバーチの英語は完璧だったのです。

スワッファーはシルバーバーチが語る言葉について――「いったん活字になってしまうと、シルバーバーチの言葉の崇高さ・温かさ、その威厳に満ちた雰囲気の一片しか伝えることができません。交霊会の参加者はシルバーバーチの言葉を聞いて、思わず感涙にむせぶことさえあるのです」と述べています。

当初、サークル(交霊会)のメンバーは6人で構成されていました。その中の3人はユダヤ人で、それはスピリチュアリズムでは民族の違いも宗教の違いも問題ではないことを表しています。残りの3人は懐疑論者で、うち一人は元メソジスト派の牧師だった人物バーノン・ムーア氏)です。彼はスピリチュアリズムの真理を知って牧師の職を辞し、一生をスピリチュアリストとして歩むことになりました。

交霊会を始めた頃は、シルバーバーチ以外の霊が現れることもありました。“デイリー・メール”の創始者であるノースクリッフ卿、米国のジャーナリストだったホーラス・グリーリー、政治家だったギルバート・パーカー、英国の聖職者ディック・シェパード、さらには米国大統領リンカーンなども出現しています。こうした霊たちの出現は、ある意味でのデモンストレーションとして行われたものです。また最初は、簡単な「物理的心霊現象」も引き起こされ、メガホンを用いた交信が行われたこともありましたが、やがて「入神談話」に移行していきました。

交霊会開始に至るまでの霊界サイドの準備のプロセス

ここまで「シルバーバーチの交霊会」が地上で展開を始めた当初の様子を見てきましたが、歴史的な使命を背負った「シルバーバーチの交霊会(霊界通信)」を演出するために、霊界サイドでは時間をかけて周到な準備が進められました。ここでは「シルバーバーチの交霊会」を開始するまでの霊界の様子と、交霊会が始まって間もない頃の地上界の様子を、シルバーバーチの言葉を引用しながら見ていきます。

シルバーバーチが高級霊界で生活しているとき、さらなる上層の高級霊から“スピリチュアリズム運動”への参加を要請されました。シルバーバーチはそのときの様子を、次のように述べています。

「ずいぶん前の話になりますが、他の多くの指導霊と同じように私も、地上圏に降りて協力者の一団を集め、霊的メッセージを地上界へ届ける仕事を引き受けてくれないかとの懇請を受けた時、私はそれを使命としてお引き受けしました。そのためにはメッセージを受け取ってくれる霊媒を探し出す必要があることも知らされました。そこで私は霊界の記録簿を調べ、この霊媒に白羽の矢を立てました。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.22

こうしてシルバーバーチは、地上に通信を送るための準備に取りかかることになりました。「霊界通信」の準備として一番重要なことは、“専属霊媒”にふさわしい者を選んで、自分の良き道具に育て上げることです。シルバーバーチが選び出した将来の霊媒候補は霊界で、地上への再生の時を待ちました。そして霊媒候補の霊が、いよいよ地上に再生する時を迎え、それを機に霊界から地上の霊媒を養成していくという苦労の道が始まることになりました。

「それはこの霊媒がまだ母胎に宿る前の話です。私はその母胎に宿る一瞬を注意深く待ち、いよいよ宿って自我を発現し始めた瞬間から、私なりの影響力を行使し、今日まで続いている一体関係がその時から始まったのです。

私はこの人間の霊とその小さな精神の形成に関与しました。誕生後も日常生活のあらゆる側面を細かく観察し、互いの一体関係を促進し、物の考え方や身体上の癖を呑み込むように努めました。つまり私はこの霊媒を霊と精神と肉体の三面から徹底的に研究したわけです。

次に私がしなければならなかったことは、この霊媒を霊的真理の理解へ向けて指導することでした。まず地上の宗教を数多く勉強させました。そして最終的には彼はそのいずれにも反発を覚えて、いわゆる無神論者になってしまいました。が、それはそれなりに当人の精神的開発にとって意味があったのです。これで霊言霊媒となるべき一通りの準備が整いました。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.22~23

このようにしてシルバーバーチは、地上に誕生した霊(バーバネル)を霊界から導き、“専属霊媒”に育て上げるための働きかけを続けていきました。そして専属霊媒としての準備が整ったとき、バーバネルを交霊会の場に導き、実際に「入神談話」の霊媒としての歩みをスタートさせました。それはバーバネルが18歳の時でした。すでに見てきたように、ある交霊会に冷やかし半分で参加したバーバネルは、いつの間にか自分自身が入神し、霊媒になっていたのです。

実はこうした一連の出来事は、すべて霊界から仕向けたものだったのです。

「ある日、私は周到な準備のもとに初めて彼を交霊会へ出席させ、彼の口を使って私の意思を発言してみました。いかにもぎこちなく、内容もつまらないものでしたが、私にとっては実に意義深い体験だったのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.23

「霊的真理の受け入れ態勢」の準備

交霊会(霊界通信)の準備として最も重要なことは専属霊媒の養成ですが、通信内容を地上人に理解させるためには、地上の言語を習得する努力も欠かせません。通信霊であるシルバーバーチに、英語を学ぶ必要が生じました。とは言っても、シルバーバーチ自身が英語をマスターするということではなく、それは霊界からのメッセージを地上の言語に表現する役目を担った霊の仕事でした。つまり英語の習得は霊団の分業体制の中で進められていくことであって、霊界側の霊媒(レッドインディアン霊)の役割だったのです。

霊界サイドでは地上の言語をマスターする一方、霊界からのメッセージ(通信内容)を受け取った交霊会の参加者たちが、その知識を広めるための地上サイドの態勢も整えなければなりませんでした。「霊的真理」を受け入れ、それを普及させることができる人間を導いて“交霊会”のメンバーにする、ということです。シルバーバーチは霊界から、ふさわしいメンバーを集めていきました。霊界から選ばれて交霊会の中核メンバーになったのが、ハンネン・スワッファーであり、バーノン・ムーア元牧師)といった人物だったのです。

「私はさる筋から使命を仰せつかったのですが、その時こう言われたのです。“そのためには、あなたは物質界まで波動を下げなければならないし、また適当な道具を見出してから、その霊媒と霊的に親近性のある人間を数名見出して、その霊媒を通してあなたがメッセージを語る場を用意しなくてはなりません”と。それがあなた方です。私がここへ陰からお誘いしたのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.24

シルバーバーチの“決意表明”

上層界の高級霊からスピリチュアリズムへの参加を要請され、地上世界に「霊的真理」を届ける役目を引き受けた際に、シルバーバーチは次のような“決意表明”をしています。

「私はその使命をお引き受けした時にこう言いました――“これまでの長い霊界生活における多種多様な体験を携えて地上圏へ戻り、慈しみの心で人間に接してみます。まず何よりも理性に訴えたい。言うなれば大人の魂、つまり真理を受け入れられるレベルにまで成長した人間の魂に訴えてみたい。霊界からのメッセージをできるだけ単純明快な形で説き明かすべく努力します”と。

また、こうも述べました――“人間の理性が反発を覚えるようなことは絶対に述べないことにしたい。慈しみの心で接し、怒りをもって諌めることだけは絶対にしない。自ら公言している通り自分が確かに大霊の使者であることを、教訓と模範を垂れることによって証明したい”と。

さらに私は、地上時代の姓名を絶対に明かさないという重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号や地位、名声は持ち出さず、私が述べることと態度で私という存在を判断してもらいたいと思ったのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.25

翻訳原文の表現の一部を改めています。

交霊会のレベルアップ

バーバネルを専属霊媒とした「シルバーバーチの交霊会」は回を追うごとにレベルアップし、最初はぎこちなかった英語も、やがて名人の域に達するようになりました。スワッファーはシルバーバーチに対して、「これまで私が知っているいかなる演説家も、その右に出る者はいないほどである」と賞賛しています。

英語ばかりでなく「通信霊(シルバーバーチ)」と「霊界の霊媒」と「地上の霊媒」の連携プレーも上達し、霊媒現象に付きまとう「霊媒の潜在意識の混入」という厄介な問題も克服し、100パーセント純粋な最高次元の霊界通信が実現することになりました。

「その後は回を追うごとにコントロールがうまくなり、今ご覧の通りにまでなりました。今ではこの霊媒の潜在意識に邪魔されることなく、私の考えを100パーセント伝えることができます。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.23~24

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