(8)利他愛を継続するにあたっての障害

利他愛は、ある時だけ、一時的に実行すればよいというものではありません。生涯、常に実践すべきものです。この地上世界は、神が人間の霊的成長のために準備した訓練場であり、一生にわたる利他愛の実践を通して、その目的が達成されるようになっているのです。

利他愛を実践するためには、“新鮮な霊的感性”と“奉仕に対する情熱”を持ち続けることが必要となります。肉体を持ちながら、利己主義に支配された地上世界で利他愛を実践するのは並大抵のことではありません。利他愛の実践を継続するためには、さまざまな障害を乗り越えていかなければなりません。その障害の最たるものが、内面における霊的エネルギーの枯渇状態です。

感動と情熱の枯渇

最初に霊的真理と出会った時の目の覚めるような感動は、いつまでも続くものではありません。奉仕にかける情熱も、いつの間にか色あせるというようなことが起こってきます。これは私たち地上人が肉体を持っているため、霊的意識が本能的な思いに覆われてしまうからです。もしそうした状態が続けば、霊的感性と霊的意識はどんどん低下し、真理を知らないこの世の人々と何も変わらないことになってしまいます。

さらに困ったことに、そうした状態に陥っているにもかかわらず、本人は“自分は立派にスピリチュアリズム人生を歩んでいる。この世の人々とは違うのだ”と思い込んでいるのです。霊的真理を知っていることで、自分が利他愛の持ち主であるかのような錯覚にとらわれている人もいます。実際には霊性はしぼんで涸れ果て、霊的にはほとんど“死人”のようになっているのですが、その事実を自覚できないのです。

利他愛意識の危機

こうした「肉主霊従」の状態にはまり込んで霊的エネルギーを枯渇させるようになると、知らず知らずのうちに、「愛することよりも愛されること」を相手や周りの人々に期待するようになります。人々からよく思われたい、褒められたい、賞賛されたいと願うようになります。頭では与えることの大切さを知り、チャンスがあったら世の中のために働きたいと思っているのですが、現実の心は、与えることよりも与えられることばかり求めるようになってしまうのです。これが“霊的マンネリ(霊的ボケ)”であり、利他愛を継続するうえでの最大の障害です。

実は誰もが、こうした利他愛継続の危機に陥る危険性と背中合わせにいます。自分の心を厳しくチェックできない人・謙虚でない人は、自分が霊的にボケていることや心霊が下がって肉主霊従の状態に陥っていることに気がつきません。何か大きなショックがないかぎり、なかなか元の意識を取り戻すことはできません。

“霊的マンネリ”に陥らないためには、「霊主肉従の闘い」が不可欠

霊的にボケてマンネリに陥らないためには、常に新鮮な「霊的意識」を持ち続けることが必要です。それが、霊的成長ができる人といつまでも霊的成長ができない人の分岐点となります。“霊的ボケ”とは、肉主霊従の状態が長いあいだ続き、霊的意識が本能的意識に閉じ込められてしまうことです。その状態では霊的エネルギーが枯渇して、本能的意識が心を支配するようになります。新鮮な霊的意識を持ち続けるためには、日頃から「霊主肉従」の努力をしていることが不可欠なのです。

利他愛が成立するためには霊主肉従の状態をつくることが大前提ですが、利他愛を継続するためにも霊主肉従の努力は欠かせません。「霊主肉従」になれば、自然と利他愛の意識が高まるようになります。反対に「肉主霊従」の状態になると、利他愛の意識は薄れ利己心が心を支配するようになります。肉主霊従の状態に陥ったときには、頭では利他愛の重要性を知りつつも、心は愛を実感できなくなり、利他愛の実践に対する気力が湧いてこなくなります。

利他愛の実践を続けるためには、霊的真理を繰り返し読み、絶えず祈り、高い霊的意識を持った友人と交わり、肉体の管理を心がけるといった「霊優位(霊主肉従)の闘い」が必要とされます。日頃から霊主肉従の努力を意識し、霊的感性を研ぎ澄ませていないかぎり、利他愛の実践を継続して霊的成長の道を歩むことはできないのです。

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