(4)利他愛を実践するうえでの3つのポイント

これまでの説明から、「利他愛の実践」の重要性について理解することができました。私たちがなすべきことは利他愛の実践です。“スピリチュアリズム人生”とは、利他愛の実践に他なりません。スピリチュアリズムの膨大な霊的真理は、利他愛の実践という現実の生き方に集約されます。利他愛は、単なる理論にとどまっていてはなりません。実生活の中で実行に移してこそ、本物の利他愛と言えるのです。残念ながら現在の地上世界では、利他愛ではなくて利己愛が大手を振っています。スピリチュアリズムは、これまでの利己愛支配の世界に「利他愛の実践」という新しい生き方の伝統を打ち立てようとする、地球規模での“愛の革命運動”なのです。

利他愛を力強く行うためには、実践の観点から愛についてもう一歩、理解を深めておく必要があります。利他愛の実践には、重要な3つのポイントがあります。「先に愛を与える」「愛を与え続ける」「相手を選ばずに愛を与える」ということです。この3つの中に、利他愛の実践のすべてが含まれます。これらは愛の摂理、すなわち利他性を別の言葉で述べたものです。

以下では、その3つのポイントを中心に利他愛の実践について見ていきます。

1)先に与える

――与える(愛する)ことを、与えられる(愛される)ことよりも優先する

愛を求めることは人間の“霊的本性”だが……

人間は、老いも若きも皆、愛されることを心の底から願っています。「優しさを求めること」――それは人間が“愛”の中で生きていくように造られている以上、何も間違ってはいません。人間関係は、愛する立場か、愛される立場かのいずれかに属します。上の人から愛され、下の人を愛するという関係から成り立っています。愛を求めるのは人間の“霊的本性”であって、自然なことなのです。それが問題となるのは、与えることをせずに、ただ与えられること・愛されることだけを求めるからです。愛されることを、愛することよりも常に優先するからなのです。

人間が霊的成長をなすためには、「愛を与えること」を身につけていかなければなりません。しかも、与えることを優先することが必要です。人間は、積極的に愛を他者に与えることができるようになって初めて「真の霊的自立の時」を迎え、霊的成人の仲間入りをすることができるのです。

神が定めた「利他性の法則」

――先に与える・先に愛する

神が人間を愛する方式が、宇宙・霊界の「愛の法則(愛の摂理)」となりました。神が人間を愛する方法が、宇宙の万物間における、また人間同士の間における「愛の法則」となったのです。この愛の法則とは、具体的には「利他性」のことです。

利他性とは、相手に対して先に与える、相手の利益・全体の利益のために先に働きかけることです。自分のためではなく、他者のため・全体のために生きることです。相手や全体の幸福を、自分の幸福よりも優先するということです。その際、先に与える立場に立つのが「霊的上位者」です。上の者が先に与える・先に愛する、霊的上位者が下位者に対して見返りを期待せずにひたすら与え続ける――これが「利他性(利他愛)の法則」です。

「最高の徳は愛他的です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.143

愛の関係の主体者・出発者となる

愛の世界とは、愛のサイクルのことです。愛の世界(愛のサイクル)は、両者の間にギブ・アンド・テイクの関係がつくられたときに成立します。霊的上位者が先に愛を与える中で、相手がその愛を受け入れ、愛を返すようになって初めて築かれるものです。

愛のサイクルが成立するためには、自分が「霊的上位者」になる必要があります。「先に愛を与える立場、一方的に与える立場に立つこと」――これが愛の関係づくりの第一歩となります。愛の関係は、見返りを一切求めることなく与えるという、霊的上位者の純粋な行為から始まるのです。自分が与えた愛を相手が受け入れ、愛を返すようになるにつれて、少しずつサイクルができ上がっていきます。そして両者が積極的に与え合うようになると、サイクルはスムーズに展開していくことになります。

「霊的真理」に対する確信と勇気が必要

自分が霊的上位者・愛の主体者となって先に愛すること――これが「利他愛実践」の始まりです。愛の主体者となるためには、時にはたいへんな勇気が必要とされます。単なる同情心から愛を与える場合もありますが、与えるものが大きければ大きいほど、それに比例した固い決心と勇気が要求されるようになります。自分の利益を考えている人間は、思いきって与えることはできません。

また、自分が与えようとしているものが間違いなく相手のためになるという信念がなければ、与える勇気を持つことはできません。何を与えたら、相手の霊的成長と幸福にとってプラスになるのかを知らなければならないのです。ここに「霊的真理」の必要性があります。霊的真理は、それを的確に教えてくれます。そして自信と勇気を与えてくれます。無条件に相手に愛を与えるためには、すなわち愛の主体者となるためには、霊的真理に対する確信が必要とされるのです。

2)与え続ける

――与え続けることの困難を克服する

ひたすら与え続ける

自分の利益を後回しにして一方的に相手に与え続けることには、大きな困難がともないます。たいへんな忍耐と寛容性が要求されます。誰でも途中で、相手からの見返りを期待したくなるものです。愛が返ってこないと、相手から裏切られたという思いを持つようになるのが、この世の人間の当たり前の姿です。

しかし「利他性の法則」とは――ただ与えること、与え続けること、完全に与え尽くすことです。見返りを期待せずに、与えるだけで良しとすることなのです。この世の人間の常識とはかけ離れていますが、それが「神の摂理」なのです。

高級霊の忍耐と寛容性に倣って

高級霊たちは、そうした「愛の法則」を遵守し、見返りを一切期待することなく地上人の救いのために献身的に働いてきました。スピリチュアリズムという人類救済運動に、すべてを捧げてきました。“スピリチュアリズム”は、霊界の高級霊たちの忍耐と寛容性によって進められている、まさに純粋な利他愛からの大計画なのです。

地上的な見返り、この世的な利益を少しでも期待する思いがあると、利他愛の実践はたちどころに頓挫してしまいます。無条件に与えることができなくなり、自分が損をすると考えるようになってしまいます。利他愛の実践は、霊的世界への確信と、神と高級霊に対する信仰・信頼がなくてはできないことなのです。

与え続けても決して損はしない

――与えれば与えるほど、より多くの霊的宝を得る

愛の実践の第一歩が「先に与えること」であるとするなら、次になすべきことは「愛のサイクルを維持・強化するための努力」です。それは自分の利益を考えずに、相手のため、相手の霊的成長と幸福のために与え続けるということです。

こうしたあり方は、現在の地球上の人々にはなかなか理解できません。無償の利他的行為は、一方的に自分の利益を失うだけの損をする生き方であると考えます。しかし本当は、それとは全く逆で「与え続けること」によって結果的に、より多くのものが得られるようになるのです。純粋な利他愛であればあるほど、与えるものが多ければ多いほど、それに応じてさらに多くのものが与えられる(返ってくる)ようになるのです。利他愛は、物質次元の世界に限定して見れば“モノを失う・損をする”ということになりますが、「霊的価値観」に立って見るなら失うものは何もありません。それどころか人間にとって一番大切な霊的宝(神の愛・霊的成長・霊的幸福)が、ますます与えられるようになるのです。

その意味で多く与えることは、最も得をする賢い生き方と言えます。「愛を与える」という行為は、霊的成長を達成するためのプロセスそのものとなっているため、最高の宝が与えられることになるのです。

「施しを受けるよりも施しを授ける方が幸せです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.109

与えることだけに意識を向ければよい

より多くの愛を与えれば与えるほど「愛のサイクル」は強化され、その結果としてさらに多くの愛と喜びがもたらされ、霊的成長という本当の幸福が得られるようになります。私たちは、与えることだけに意識を向けていればよいのです。利他愛の価値は、多く与えることにおいて決まります。

もし、私たちの心に少しでも見返りを期待する思いがあるなら、やがてそれがエスカレートし、最後には見返りをもらうのが当たり前と考えるようになってしまいます。そして期待どおりのものを与えてくれない相手に対する不満が生じ、苛立ちと寂しさが募っていきます。そのうち見返りをくれない相手を、礼儀知らずとか裏切り者と考え始めるようになります。そうなったらこの世の人々よりも、もっと醜いことになってしまいます。

常日頃から――「自分は与えるだけでよい。相手の反応とは関わりなく、ただ与え続けよう」と、心をしっかりと固めておかなければなりません。「与えることが自分の務めであって、人からもらうことではない」と、きっぱりと割り切った心がまえを持つことが必要です。利他愛を実行し続けるためには、見返りを期待しない心のタフさが求められます。徹底した純粋さと無私無欲の精神、そしていかなる困難に遭遇しても踏んばる強さが必要です。すべてを明るくやり過ごす前向きで広い心が大切なのです。

私たちは、霊界の人々が地上人を愛する姿に倣っていかなければなりません。それこそがまさに、地上における最高の修行なのです。そうした努力をしてこそ、高い意識を持って「利他愛の実践」を続けていくことができるようになるのです。

3)相手を選ばない

――“好き嫌い”という人間的感情を乗り越える

イエスの教えの真髄

――“敵をも愛せ”

イエスは短い人生の中で、「与えることを優先する愛」「愛しがたい者をも愛する愛」の見本を示しました。神の人類に対する愛に倣って人間も、本能・血縁を超えた愛を実践することの重要性を教えたのです。

イエスによって始められた“愛の革命”は、スピリチュアリズムという形で現代にまで引き継がれ、今も活発に展開しています。イエスの利他愛の教えの真髄は――“敵をも愛せ”という言葉の中に示されています。まさしくイエスは、相手を選ばない愛の重要性を人々に訴えたのです。

「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。(中略)

あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。」

『聖書マタイ5章』  43~47節

「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」

『聖書マタイ22章』  39節

「敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。(中略)人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。

しかしあなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。」

『聖書ルカ6章』  27~28/31~35節

相手を選ばない愛

純粋な利他愛には、自分の欲求を優先的に満たそうということがありません。何ひとつ“自分のため”という要素がないのです。さらに本当の利他愛には“相手を選ぶ”ということがありません。

好感を覚える相手には親切にし援助をするが、好きでない者に対しては手を貸さないというのが、この世の人々のあり方です。家族や血縁者には親切にするが、他人には親切にしないというのが大多数の人間の愛の実態です。

しかし「真の利他愛」は、相手を選びません。それは“好き嫌い”という素朴な人間的感情とは無関係に与えることであり、働きかけることです。気にいらない相手であっても、自分の感情を乗り越えて与えることなのです。家族も他人も外国人も、同じ「神の子供」であるという「霊的同胞意識・霊的家族意識」を持ち、すべての人を別け隔てなく愛することなのです。

シルバーバーチは次のように、純粋な利他愛について分かりやすく述べています。

「好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感の持てない人を愛する―これが魂の霊格の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければいけません。他人にできないことをする、これが奉仕の奉仕たるゆえんだからです。可愛そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心の合った人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。(中略)

愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいことです。しかし、奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容貌の人を治療するのは並大抵の心がけではできません。が、それが奉仕です。真の愛は大小優劣の判断を求めません。愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.142~143

私たちは常に目の前の人間を、自分と等しい神の子供であり、霊的兄弟(姉妹)として眺めなければなりません。神がその人を愛し、守護霊が愛している事実を思い出さなければなりません。そして誰もが霊的成長をなすために地上に生まれ、死後も霊界で永遠の人生を歩むことに思いを至らせ、広い眼差しで相手を包むようにするのです。

そうした「霊的視野」に立った見方ができてこそ、自分の好き嫌いの感情・自分の好みを乗り越えて、与え続けることができるようになるのです。正しい霊的知識とそれに基づく正しい信仰がなくては、自分の好みではない人間を愛することはできません。

家族愛以上に“人類愛”を優先

家族愛はとかく、無条件に素晴らしいものと思われがちです。そして多くのスピリチュアリストも、それを当然のことと考えています。しかしスピリチュアリズムに関わる高級霊たちは、必ずしも家族愛を手放しで賛美するようなことはありません。すでに述べてきたように世の中の大半の家族愛は、「肉体本能」から発する「利己愛」を土台としています。動物的本能に支配された利己的・排他的な愛が、ほとんどの家族愛のベースとなっているのです。

「霊優位」が、神の摂理です。これは血縁でつながる家族の幸せよりも、霊の絆で結ばれた人類の幸せを優先することに価値がある、ということを意味しています。したがって「霊的真理」を知ったスピリチュアリストは、家族愛よりも“人類愛”を重視しなければなりません。家族を後回しにすることは、時に家族を犠牲にするということです。それは一般の人々にはとうてい受け入れがたいことですが、「神の摂理」である以上、スピリチュアリストは家族愛よりも人類愛を優先しなければなりません。そうした犠牲をともなう努力が結果的に“家族愛”の次元を高め、家族に霊的成長と真の幸福をもたらすことになるのです。

「我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面とがあるものです。

家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残りである防衛本能によって支配されていることがよくあります。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.145

まとめ――利他愛実践の3つのポイント

本当の愛(利他愛)の実践には、3つのポイントがあることが明らかになりました。1つ目のポイントは――「先に与える・与えることを優先する」ということです。2つ目は――「与え続ける」ことです。そして3つ目は――「与える相手を選ばない」、つまり自分の好き嫌いの感情や物質的な利害関係や血縁関係を乗り越えて愛するということです。この3つが利他愛を実践する際の重要な点となります。

利他愛の実践には、かなりの努力が必要とされます。現在の地球上で真の利他愛を実践している人は少数です。キリスト教は利他愛を教えていますが、それを純粋に実践しているクリスチャンはあまりいません。

利己愛は、利他愛実践の3つのポイントのすべてに反しています。「先に与えられる(愛される)ことを期待する」「与え続けられることを期待する」「好きな相手には与えるが、イヤな相手や利益をもたらさない相手には与えない」――これが利己愛です。

利他愛実践の3つのポイント

先に与える――
愛されることを期待しない・愛する主体者になる
霊的真理に基づく確信と勇気が必要とされる
与え続ける――
見返りを期待しないで与え続ける
霊的視野に立った忍耐と寛容性が必要とされる
誰にでも与える――
好き嫌いで与える相手を選ばない
霊的視野に立った相手への見方と、真の人類愛が必要とされる

この3つのポイントを総合したものが「利他愛の法則」です。それは「愛の摂理」であり、神が人間を愛する方法でもあるのです。この3つの内容を満たしたとき、その人の愛は「本物の愛・摂理に一致した愛」となり、純粋な霊的愛と言えるのです。

そうした愛を実践する人間は、本当の幸福感を味わうことができるようになります。利他愛の実践こそが、最高の喜びと真の幸福をもたらすものであることを実感するようになります。人間は他人に与えることによって心が豊かになり、幸福になり、魂からの感動を得られるようになるのです。他人に与えず、与えられることだけを求める人間の内面は、空っぽです。上辺はどれほど立派で満ち足りているように見えても、人を愛することを知らない人間は、孤独で不幸なのです。

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