(10)霊的愛の拡大と、霊的同胞世界の確立
1)霊的愛の拡大と現実の問題
家族愛を霊的次元に広げる
家庭は、異なる愛情関係の中で「真の愛(利他愛)」を身につける訓練場所でした。家族愛は、血縁に基づく肉体次元・本能次元の愛です。その中で「与える愛(利他愛)」を訓練するところが“家庭”という場所だったのです。
家庭環境の中で身につけた「与える愛」を、血縁とは関係のない人々・自分の利害とは無関係な人々に広げていくことによって、その愛は本物になっていきます。物質次元の与える愛(利他愛の原型)は、霊的次元の本物の利他愛へと飛躍することになります。血縁関係のない人との間に「愛のサイクル」を築くことによって、霊的成長が促されるようになるのです。
「私は、同じ愛でも、家族的な絆に根ざした愛よりも、奉仕的精神に根ざした愛の方がはるかに尊いと信じている者の一人です。奉仕的精神から発動した愛の方がはるかに偉大です。」
これまでの地球人の愛のあり方
――血縁愛・利己愛の拡大
これまで地球人類は「利己愛」に支配されてきました。自分たちの血縁者の利益と幸せを真っ先に求め、自分たちの民族や自分たちの国家の利益を最優先して求めてきました。それは血縁的仲間意識の拡大であり、本能的愛の拡大です。肉体次元の共通要素(血縁・物欲)を土台とする結びつきの拡大と言えます。
地上の大半の争い・戦争は、「物質中心主義」とそこから派生する「利己愛」に端を発しています。部族抗争や民族紛争は、血縁や共通の利害をつながりとする集団が、物質的利益を求め奪い合って引き起こされます。また現在では多くの国々は、複数の民族が集まって一つの国家を形成しています。そこでは国家の内部で民族同士が激しく対立し、ひどいときには武器を取って内戦状態にまで至ることもあります。また反対に国益がそれぞれの民族にとって共通の利益となるときには、一致団結して他国と戦争をするようなことになります。
現在の地球上では、物質的な豊かさと武力が実質的な国力となっています。多くの富(経済力)と武力を持てば持つほど、その国家の政治的影響力が増大するようになります。そしていずれの国も自国の利益を最優先して求め、少しでも他国に対して優位性を保とうとします。全世界への奉仕を最優先して求めるというような国家は存在しません。このように見ると、地球上の争いの原因が、血縁共同体に発する利害関係・物質欲追求にあることが分かります。まさに地球は「物質中心主義」と「利己主義」によって支配されている惑星なのです。
さて、その結びつきですが、血縁性が濃くなるに従い、すなわち家族関係に近くなるに従い、内部の結束と排他性が強くなります。国家より民族、民族より部族(血族)、部族より家族というように、その結束は強固になります。血縁性から発する利己性は最も強いものです。
一方、利己愛・共通利害に基づく集団は、規模が大きくなればなるほど、利己性の現れ方が極端な様相を呈するようになり、外部に対する攻撃性が大きくなります。個人のレベル・家族のレベルでは温和で争いを避けようとする傾向があっても、それが民族レベル・国家レベルになると急に利己性を
2)霊的同胞世界と宗教の使命
宗教の本来の目的
神の摂理は「利他性」であることを考えると、利己的世界の大もとである血縁意識の壁を打ち破る使命は、宗教に課せられることになります。血縁関係に発する利己的世界を、利他的世界に変えることが宗教の本来の役割なのです。
宗教は、霊的な結びつきを土台とする世界づくりを目指すものです。血縁関係の延長世界ではなく、霊的絆によって結ばれた人間関係を拡大することです。それは宗教によって導かれる「霊的共同体意識」が、民族意識・国家意識を
そこでは神を共通の「霊的親」とし、すべての人類が等しい「霊的兄弟」となります。霊的絆が強固に各人の魂を結びつけ、言葉や皮膚の色の違い・血縁関係の壁を乗り越えて、あらゆる分野において霊的関係が優先されるようになります。人類が理想としてきた真に平和な世界が実現するようになります。宗教の本来の使命とは、地球上にこうした「霊的同胞世界」をもたらすことなのです。
血縁・物質縁の壁を破れない地上の宗教
しかし、これまで宗教は、その使命を全うすることなく現在に至っています。宗教の究極の目的は、地球上に「霊主肉従の世界」を築くこと以外にはありません(*東アジアの“儒教”のような血縁的関係を土台とする宗教、血縁次元の結びつきを最重視する宗教は例外です。それは「神の摂理」から大きく外れた宗教と言えます)。
地球上で最大の勢力を誇るキリスト教やイスラム教を見たとき、それらは部族・民族・国家の利己性を克服させるどころか、逆に部族・民族・国家レベルの利己心・エゴに油を注ぎ、対立を激化させることになっています。もしキリスト教やイスラム教が存在しなかったなら、地球上の争いはずっと小規模で穏やかなものになっていたことでしょう。宗教は平和をもたらすどころか、反対に“宗教エゴ”という新たなエゴを生み出し、憎しみと対立を煽って戦争を拡大させることになっています。
こうした“宗教エゴ”が発生する最大の原因は、宗教の教えそのものが間違っているところにあります。すなわち宗教の教義が、「霊的真理」から大きく懸け離れているからです。そしてその間違った教えを、さも真実であるかのように人々に強要しているからなのです。一言で言えば、宗教が「霊的に無知である」ということです。現在、地球上に存在するすべての宗教は、霊界から見たとき、ことごとく失格なのです。
3)スピリチュアリズムによる霊的同胞世界の確立
スピリチュアリズムの目的は、「真の霊的同胞世界」の確立
地球上のどの宗教もなし得なかった「真の霊的同胞世界」「真の大家族」の確立が、スピリチュアリズムの目的です。これまで血縁的・物質的関係を土台としていた利己愛支配の世界を、霊的関係を土台とした世界に移行させることが、スピリチュアリズムが地上に登場した理由なのです。そして現実に、地球始まって以来の大プロジェクトが霊界の総力を結集して進められています。
宇宙のすべての惑星の中で下から2番目という霊性の低い地球は、他の多くの天体や惑星の住人が「霊主肉従」の世界を達成している中で、依然として「肉主霊従」のレベルにとどまっています。他の大半の天体が、程度の差はあっても霊的同胞世界を実現している中で、いまだに物質的な利益追求による争いの絶えない惑星となっています。
スピリチュアリズムは、家族の利益や民族・国家の利益を優先する世界ではなく、人類の共通利益を優先して求める世界を築き上げようとする働きかけです。全人類が霊的進化の道を歩み、物質的幸福よりも霊的幸福を優先して求める世界をつくり上げようとする地球規模の大プロジェクトです。“スピリチュアリズム”は、これまで地球上で重要視されてきた家族意識・民族意識・国家意識に代わって、「霊的同胞意識・霊的兄弟意識」を地球人の共通意識にしようとする人類史上初の“霊的革命”なのです。
摂理に一致した愛の世界の拡大とは
――家族愛から一気に全人類愛へ
これまでの地球では、「利己愛・本能愛」が拡大する形で人間世界が形成されてきました。そこでは人々は常に物質的な利益を優先的に求めるために、どこかで必ず衝突が起きるようになっていました。
スピリチュアリズムの目的とする「霊的同胞世界」の確立は、家庭から一気に世界レベルへと利他愛を広げるところからなされます。家庭という物質次元での訓練場を通じて身につけた「与える愛(利他愛の原型)」は、その対象を一気に世界人類へと飛躍させることで「人類愛」にまで高まります。部族愛・民族愛・国家愛という血縁的関係・仲間意識の壁を超越し、霊的な人類愛にストレートに向かうことによって「霊的同胞世界」が到来することになるのです。本来、民族愛・国家愛は、「霊的同胞意識(人類愛)」のベースの上で副次的に存在するものです。霊的同胞意識に包まれた民族意識・国家意識であるべきなのです。
「地上人類はすべてが大霊の子であるとの認識を持つことです。(中略)民族の別なくすべての人類に大霊の分霊が宿っており、それ故に全人類が等しく大霊の子なのです。」
「国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も大霊の一部なのです。みな大霊の目から見れば兄弟であり姉妹なのです。こうした私たちの教えは単純で子供騙しのように思えるかもしれませんが、やはり真実です。大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱と騒動が起きるばかりで、最後はすべてが破綻します。」
「あなた方は一国・一民族の概念で考え、私は大霊とその子の概念で考えているということを何度も申し上げてきたはずです。(中略)一国・一民族の概念は、私はとりません。すべての民族を一つと考え、大霊の一部という考えに立っております。すべての人類が大霊の子なのです。」
4)全人類愛について
「全人類を愛する」とは?
ここで勘違いしてはならないのは、「全人類を愛する」と言っても、何も世界中を回って地球上のすべての人々と関係を持たなければならないということではありません。それは物理的に考えても不可能です。「全人類を愛する」ということは、物質次元ではなく、純粋に霊的次元においてのことなのです。霊的に全人類を愛するのと同じレベルに立って、直接触れ合う人々に対して利他愛の実践をするということです。相手の数が問題ではありません。“愛の質”が問題なのです。「誰に対しても自分を犠牲にして完璧な利他愛を実践できる」――これが全人類を愛するということの真意です。何人の人間と関係を持つのかということではないのです。
全人類を愛するということは、相手が誰であっても、相手の国籍・人種・民族が何であっても摂理に一致した真の利他愛を実践し、自分から愛のサイクルをつくろうとすることです。純粋な霊的兄弟関係を結ぼうとすることです。
どのような人間に対しても区別・差別をすることなく、同じ霊的兄弟として利他愛を実践できるなら、その人は世界中どこへ行っても「霊的同胞関係」をつくることができます。困っている人々には、自分の家族にするのと同じように手を差し伸べ、時には血縁者に対する以上に他人に向けて利他愛を実践できる人は、すべての人間を真実の愛で愛することができます。またマスメディアなどを通じて知る世界の人々の苦しみ・痛みを自分の苦しみ・痛みとして感じ、可能なかぎりの援助をしようとする人は、地上人の苦しみを自分の問題として受け止め、救済のために全力を尽くしている霊界の霊たちと同じように真の霊的同胞意識を持つことができます。これが「全人類を愛する」ということです。全人類を愛するとは、「霊的同胞意識」に立って出会ったどのような人に対しても利他愛を実践することなのです。
そして忘れてはならないことは――私たちスピリチュアリストには「霊的真理」の伝道によって人々の魂に永遠の救いをもたらす「最高次元の全人類愛(霊的同胞愛)実践」のチャンスが現実に与えられているということです。
全人類を愛することは、神を最高に愛すること
シルバーバーチは、次のように言っています。
「大霊に奉仕すると言っても、それは大霊の子である地上の同胞に奉仕することになります。同胞のために役立つことをしている時、神の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全なる安らぎをもたらしてくれることになります。」
シルバーバーチがここで言っているのは――「神を愛するとは人類を愛することであり、人類を愛するならば神を愛することになる」ということです。全人類を愛する、すなわち霊的同胞(隣人)を正しい愛(利他愛)で愛するならば、神を愛することになるのです。神と私たち子供との愛の関係は、同じ神を親とする兄弟姉妹との愛の関係の中に結実することになります。神の愛は、兄弟愛の中に含まれることになります。
神に向けて誠心誠意の祈りを捧げることは、立派な神への愛の行為です。しかし霊的同胞を利他愛で愛することは、それにも増して立派な神への愛となるのです。全人類のために真の利他愛を実践するとき、その中にはすでに神に対する愛も含まれています。利他愛の実践こそ、まさに最高に純粋な信仰であり、神を最高に愛することなのです。