(6)利他愛のさまざまな段階(レベル)

ここでは利他愛のレベルについて見ていきます。「利他愛」は相手に対しての無償の働きかけですが、愛の対象の範囲や与える内容、そのために払う犠牲によってさまざまなレベルに分けられます。非常にレベルの高い利他愛から、それほどではない利他愛といった差が生じます。

「愛の表現形態にもさまざまなランク(段階)があります。愛の対象への働きかけという点では同じであっても、おのずから程度の差があります。」

『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』(ハート出版)p.226

1)「愛の対象の範囲」によって利他愛のレベルが決定

――より多くの人々への奉仕であればあるほど、多くの愛を与えたことになる

愛の対象が多くなればなるほど、働きかける相手が多くなればなるほど、その利他愛は価値が高まります。言うまでもないことですが、血縁関係のない一人の人間の幸福のために自分の幸福を後回しにして与えることは真の利他愛であり、摂理に一致します。しかしそうした相手が多くなればなるほど、言い換えれば、より多くの人々の幸福を願っての働きかけであればあるほど、その利他愛の価値は高まることになるのです。

家族のためより一人の他人のために尽くすことは、利他愛となります。そして社会のため、民族のため、国家のために自分や家族を後回しにして尽くし与えることは、より偉大な利他愛となります。さらに人類全体のために自分の人生を捧げ奉仕することは、それ以上に価値ある利他愛となるのです。もちろんその行為が、本当に相手のため・人々のためになっていなければ愛とは言えませんそこにこの後で述べる「与える内容」の問題が関係してきます)。相手の霊的成長や真の幸福に貢献できる内容である場合、対象者が多ければ多いほど多くの愛を与えている、ということになります。

スピリチュアリズムは地球上の全人類を救済しようという最高の利他愛です。私たちスピリチュアリストは高級霊の道具として、人類全体を対象として利他愛を実践しているのです。一人でも多くの時期のきた人に霊的真理を伝えたいと願い、そのために与え続けることは「最大多数の人々への最大限の奉仕」です。いっさいの見返りを期待しないところでの霊的真理の伝道は、全人類に対する最高の利他愛なのです。それは人間として最も尊い歩みをしていることになります。

2)「与える内容」によって利他愛のレベルが決定

――より霊的価値があるものを与えれば与えるほど、多くの愛を与えたことになる

「与える」という行為は同じであっても、与える内容によって利他愛は、さまざまなレベルに分かれます。相手に対して、この世かぎりの一時的な救いや物質的な幸福ではなく永遠的な救いや幸福を与えることができれば、きわめて価値ある利他愛の行為ということになります。普遍的な叡智・霊的真理を与えることは、相手の霊的救いにつながり、霊的成長に直結します。それは相手に対する最も次元の高い愛の行為なのです。霊的な幸福は、物質的な幸福とは比較になりません。それこそが人間にとっての真の幸福です。人々の本当の幸せを願うなら、最終的には「霊的真理と霊的救い」を伝えなければならないのです。この意味でスピリチュアリズムの「霊的真理の伝道」は、最高に価値ある利他愛の実践と言えます。

次に価値ある愛は、肉体の維持に必要な最低限の食料や物質に事欠く人々に、それらを提供することです。肉体は霊的成長のための不可欠な道具です。その道具を維持できなければ、地上世界においてせっかくの霊的成長のチャンスを失うことになります。肉体を養うための援助は、間接的ではあっても“霊的な援助”の意味合いがあります。これも非常に高次元の利他愛の実践となります。

一方、同じ物質的援助が、人間の霊的成長に必ずしもプラスにならない場合もあります。必要以上の物質を与えることが、精神的堕落をもたらすことがあります。こうした場合その援助は、本当の利他愛とは言えなくなります。単なる与える側の“自己満足”にすぎないことになってしまいます。

スピリチュアリズムにおけるスピリチュアル・ヒーリング(スピリット・ヒーリング)では、肉体の病気を治すことよりも「霊的覚醒」がもたらされることを重視します。肉体の病気が治っても霊的自覚がもたらされなかったなら、そのヒーリングは失敗と見なされます。ここにスピリチュアリズムの姿勢が端的に示されています。「肉的救いよりも霊的救いを重視する」ということです。スピリット・ヒーリングは、他のヒーリングよりも深い愛を与えようとする利他的思いからの奉仕なのです。スピリチュアリズムは、より価値があるもの・霊的なものを優先的に与えようとする救済プロジェクトなのです。

マザー・テレサの愛とスピリチュアリストの愛

マザー・テレサは、無償の純粋な利他的行為によって多くの人々に感動を与えました。私利私欲を超越したキリスト教の愛の見本を世界中の人々に示しました。マザー・テレサは、キリスト教の教えの領域で最高次元にまで至った聖人と言うべき人間でした。

しかしスピリチュアリズムの霊的観点からすると、スピリチュアリストは、マザー・テレサ以上の深い愛を与えることができる恵まれた立場に立っている、ということになります。それはスピリチュアリズムでは、死後も続く「霊的救い」を示すことができるからなのです。マザー・テレサは、与えること、そして自己犠牲を払うことにおいて、ほぼ完璧なレベルにまで達していました。ところが残念ながら「与える愛の内容」においては、最も価値ある霊的救いの方向性を示すことはできませんでした。私たちスピリチュアリストは決意しだいで、マザー・テレサと同じように純粋な奉仕の人生を送ることができます。しかしマザー・テレサはスピリチュアリズムの「霊的真理」を知らなかったために、私たちのような「最高の霊的救い(霊的成長の道)」を示すことができなかったのです。

霊界では、マザー・テレサのような無償の愛に生きる高級霊たちが何十億、何百億と結集して、地球人類の霊的救済のために日夜働きかけています。生前のマザー・テレサの姿は誰もが見ることができましたが、霊界で献身的に働いている霊たちの姿を大半の地上人は見ることができません。そのため地上世界では、マザー・テレサのような一部の奇特な人々だけに関心が向けられることになりました。しかし霊界の事実を知ったスピリチュアリストは、霊界で働く億万のマザー・テレサ(高級霊たち)にも意識を向けるべきでしょう。

おそらくマザー・テレサは、その優れた人格性と霊性により、死後は程なくしてイエスを中心とするスピリチュアリズムの本流の中に加わっているものと思われます。そしてその軍団の一員として、地球人類の「霊的救い」のために働きかけているのではないでしょうか。

3)「自己犠牲の多少」によって利他愛のレベルが決定

――自己犠牲は利他愛の指標

より多くの愛を与えれば与えるほど「愛のサイクル」は強められ、その結果として多くの愛と喜び・幸福・霊的成長がもたらされるようになります。私たちは、与えることだけに意識を向けていればよいのです。利他愛は多く与えることにおいて価値が決まるのです。

ところで皆さんは、どのくらい相手に愛を与えているでしょうか?――それは相手のために「どのくらい多くの自己犠牲を払っているか」ということに示されます。自分が与えた愛の分量は、そのために払った自己犠牲の多少によって知ることができます。相手のために真剣であればあるほど、必然的にそれに見合った自己犠牲を払うようになります。また真の利他愛ならば、そのための自己犠牲を喜んで受け入れるようになるものです。「自己犠牲の多寡によって利他愛のレベルが決定する」ということです。

果して今、自分がどのくらい人類を愛しているか?――その答えは「自分が人類のためにどのくらい自分の大切なものを犠牲にしているか」によって、はっきりと示されます。これは“愛”は口先ではなく、現実の犠牲的行為によって計られるということを意味します。

イエスは、全人類の霊的救いのために自らの生命を犠牲にしました。また現在、地球人類救済のために働いている高級霊たちは、霊界での生活・霊的進化の歩みという最大の霊的宝を犠牲にしてスピリチュアリズムのために献身しています。

自分の物質的財産や自分の大切なものをどれほど犠牲にしているか、自分の趣味や楽しみ・生活をどれほど犠牲にしているかによって、自分の愛の深さが明らかになります。自己犠牲を多く払っている人間であればあるほど、その利他性はますます高められるようになるのです。この「自己犠牲の法則」は、利他性の法則を強化するための法則と言えます。

「我欲を捨て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.145

「愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表れます。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.146

「(愛は)互いが互いのために尽くす上で必要ないかなる犠牲をも払わんとする欲求です。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.150

4)「無私の程度」によって利他愛のレベルが決定

利他性のレベルは、どのくらい自分自身を無にしているか、人々のために自分自身を後回しにしているか、ということにおいてもはっきりと示されます。“滅私奉公”というと多くの人々は嫌な感じを持つかもしれません。時代遅れの道徳のように思うかもしれません。しかし、それは神の利他愛の摂理に一致した崇高な精神なのです。「相手のために」という利他性が強くなり純粋になると、自分のこと・自分の利益などはすっかり忘れ、ただ相手のことだけに意識が占められてしまいます。こうした滅私の状態は、利他愛が最高レベルにまで高まった、あるいは利他愛が最も純粋なレベルにまで高まった理想的な心境なのです。

世の中には口先では利他愛を叫びながら、しっかりと自分自身の利益を計算している人々が大勢います。自分のことを常に確保しながら愛の大切さを訴えます。そうした愛はもちろん純粋なものとは言えません。利他愛のレベルにおいて、まだまだ低いものなのです。

「あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出す時、あなた方を通して大霊が働くのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.68

「自分のことより他人のためを優先し、自分の存在を意義あらしめるほど、それだけ霊性が発達します。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.135

「自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人のことを思えば思うほど、それだけ自分が立派になります。」

『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)p.180

「愛の最高の表現は己を思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、すべてのものを愛することができることです。その段階に至った時は神の働きと同じです。なぜなら自我を完全に滅却しているからです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.146

「最高の愛にはひとかけらの利己性もありません。つまりその欲求を満たそうとする活動に何一つ自分自身のためという要素がないのです。それが最高の人間的な愛です。(中略)そうした愛他的動機から人類の向上のために、言い換えれば、内部に秘めた無限の可能性を悟らせるために尽力する人は、愛を最高の形で表現している人です。」

『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』(ハート出版)p.226

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