(9)家族愛の意義と、さまざまな利他愛のリハーサル

1)家族愛の本質と家庭の意義

家族関係は、血縁による結びつきを土台としています。それは“本能的愛”による結びつきであるということです。したがって“家族愛”の底辺には排他性が存在し、自分たちの家族の利益と幸せを最優先して求めるようになっています。家族は血縁的結びつきであり、肉体次元の愛の関係であるため、自然に「利己愛」が支配する場所になってしまいます。

真実の愛は霊的なものであり、物質的愛である家族愛をそのまま霊界にまで持ち越すことはできません。現実に多くの家族・夫婦は、幽界において一時的にともに過ごすことはあっても、霊界に入ってからは離ればなれになっていきます。家族が死後も関係を保つことができるのは、地上時代に摂理と一致した「真実の愛(霊的愛)」による結びつきをつくり上げた場合のみです。死後も存続する霊的関係とは、利他愛による霊的絆があって初めて成立するものなのです。

実はこうした血縁的愛によって築かれた“家庭”は、「真の霊的愛(利他愛)」を身につけるためのリハーサルの場所として、また訓練の場所として神がもうけられたものなのです。

2)家族関係は、物質次元での利他愛のリハーサル

家庭は、「利他愛(与える愛)」を身につけるためのリハーサルの場所であり、実地訓練の場所です。その意味で家庭は、霊的成長の土台をつくるところと言えます。シルバーバーチは――「元来、家庭というのは子供の開発成長にとっての理想的単位であるべき」『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)p.145)と言っています。

大半の地上人は、家庭において次のような道を歩みます。

家族関係は、物質次元での利他愛のリハーサル

人間は、それぞれの段階で異なる愛の関係を結び、それを通じて利他愛の基本を身につけ、霊的成長の基礎づくりをします。

①子供の時期

まず子供としての時期には、一方的に親から愛されることになります。こうして子供は、親との間に「縦の愛」の関係をつくり上げます。親と子供の愛の関係は、親が子供を愛するところから始まります。このプロセスの中で親は、本能次元であるけれども「一方的に与える」という利他愛の実践をすることになります最近では、親としての最低の本能さえも失われたのか、子供に与えることを嫌がり、子供を虐待したり、育児を放棄する人間が現れるようになっています。これは最も次元の低い動物的本能性の現れ・エゴの極みと言えます)

子供は、親からの愛を受ける中で少しずつ成長していきます。子供は無条件に親を信頼し愛を求め、自分のすべてを親に委ねることになります。それは親にとっては、「愛が返ってくる」ことを意味します本格的な親への愛の返却は、子供が大人になってから実現します)。こうした形で子供は、親との間に愛の関係・愛のサイクルをつくります。この段階で子供は、縦の愛情関係を体験し、将来における神と自分との霊的関係(縦の愛)の霊性を身につけることになります。子供は肉の親との関係を通じて、神という「霊的親」を無条件に信頼し、自分のすべてを委ね投げ出していく霊的感性と霊的絆の土台をつくっていくのです。

親と子供の愛の関係

②兄弟関係・友人関係・仲間関係を体験する時期

子供は成長にともない、兄弟関係を結ぶようになります。学校における友人関係・仲間関係は、兄弟関係の延長にあります。親との関係が「縦の愛」であったのに対し、兄弟関係・友人関係は「横の愛」です。この段階では、状況に応じて自分が先に与える立場に立ったり、先に受ける立場に立ったりします。親子の関係では、ほとんど親から愛が与えられましたが、兄弟関係では状況によって与える立場に立ったり、与えられる立場に立ったりと、かなり流動的になります。

その中で一番重要なことは、自分から与える「利他愛」の力を身につけることです。愛のサイクルづくりの主役になる能力を養うことです。

兄弟・友人との愛の関係

③夫婦関係を結ぶ時期

肉体が成長して成人となり、結婚して夫婦関係を結ぶようになります。“夫婦愛”は、兄弟愛と同様「横の愛」です。兄弟関係が複数の人間との間に結ばれるのに対して、夫婦関係は決まった相手との間に結ばれる横の愛です。夫婦関係においても、与える立場・与えられる立場は状況によって流動的に変化します夫婦関係が常に固定した上下関係となるのは、摂理に一致していません。それは人間の尊厳を無視し、相手を所有物として見る「利己性」を生み出します。上下関係が流動的であることにおいて、夫と妻の人権の平等性が保たれます)

夫が先に妻を愛することもあれば、反対に妻が先に夫を愛することもある――こうした流動的な愛の上下関係の全体が“夫婦愛”です。これが摂理に一致した夫婦のあり方です。それに対し結婚して夫婦となったものの、一方があまりにも霊的に未熟で、子供のように受けることしかできないというような場合には、摂理に合った夫婦関係は成立しません。俗に言う“マザコン夫”は、この典型です。こうしたケースでは、お互いが与え合うという健全な愛のサイクルは成立しません。夫婦がともに利他愛の持ち主で、愛の主体者として先に相手を愛することができるとき、摂理に一致した“夫婦愛”が確立されることになります。

夫婦愛の関係

④親になる時期

やがて子供が生まれ親になります。「親になる」ということは、子供に一方的に愛を与える立場に立つということです。すなわち血縁レベルで、自分が中心となって愛のサイクルをつくっていく主体者になるということです。子供にとって親は、「肉体を持った神」の立場にあります。親が神と結ばれているかぎり、子供は親に従い親を慕うことで神と結ばれることになります。こうして親は「神の代理者」として、子供の魂の創造に携わることになるのです。子供は親を無条件に信じることで「神の愛」を受けることができるようになっています。

子供が小さいうちは、親には一方的に与えることだけが要求されます。愛が返ってくることを初めから期待することはできません。やがて子供が大きくなるにともない、自分(親)の愛が受け止められ、子供から愛が返ってくるようになり、愛のサイクルが形成されることになります。親として「一方的に与え続ける」というプロセスを通じて、利他愛実践の訓練がなされるのです。

親は愛のサイクルの主体者

人間は家庭という“愛の訓練場”において、血縁とは無関係な人々を愛する能力を身につけ、霊的成長の道を歩む準備をしていくことになります。

3)霊的自立期と霊的発展期

霊的自立期は、愛の関係をつくる主体者としての内容を確立する時期

家庭における成長プロセスの中で最も重要な点は――「利他愛を身につけ、自分から与えることを覚える」ということです。そうした霊的資質は、結婚に至るまでにある程度、身につけておかなければなりません。基本的な利他愛の実践ができるようになってこそ、“夫婦愛”という愛のサイクルをつくる資格が与えられることになるのです。

愛のサイクルづくりにおいて「主体者」になるということは、「霊的自立者・霊的大人」の仲間入りをする資格を持つことを意味します。「他人を利他愛で愛することができる」――これが霊的自立の目安です。もしそれができないと、先に述べたように霊的に子供のままで結婚し、夫婦関係を結ぶようになります。当然、夫婦としての愛のサイクルを築くことはできません。また子供が生まれたとき、親としての「愛の主体者」の立場、一方的に与え愛し続ける立場を全うすることができなくなります。大人としての最低限の霊的資格を持たないまま子供をもうけることは、後になって大きな問題を引き起こすようになります。

霊的発展期は、利他的人格の拡大・霊性の向上をなす時期

この世に生まれ、親から愛され、兄弟関係・友人関係・夫婦関係・親子関係を結ぶ人生は“利他愛の原型”を身につけていくプロセスです。霊的自立期を迎えるとともに、家庭レベルでの利他愛を外部に広げ「真の愛の世界(霊的な愛の関係)」をつくっていく時期――「霊的発展期」に入っていきます。

家庭という血縁関係の中で与えることを覚え、愛のサイクルづくりの主体者となる資格を身につけて霊的に自立し、そして子供をもうけて親となる中で、さらに利他愛の訓練を重ねることになります。それと同時に“血縁的家族愛”のレベルを超えて、本当の意味での「利他愛の世界(霊的な愛の世界)」を拡大する段階に入っていくのです。

いつまで経っても血縁愛・家族愛のレベルにとどまり、霊的な愛にまで広がっていかないならば、霊的成長は達成されません。摂理と一致した愛の関係をつくり上げることはできません。

「その(神の)愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく、血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.142

「外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。(中略)家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残である防衛本能によって支配されていることがよくあります。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.145
“人生は利他愛の原型”を身につけていくプロセス

4)摂理と一致した育児・教育

――「霊性教育」について

親は神の代理者

親は子供にとって「第二の神」として、あるいは肉体を持った「神の代理者」として、子供に愛を与え魂の成長に関わることになります。こうして神の創造の業の一部分を受け持つことになるのです。“親の役割”を一言で言うなら――「子供の霊性を育て、霊的成長をさせる」ということです。それをもう少し具体的に言えば――「子供に霊優位(霊中心)の生き方を教え、利他愛という真の人助けを教える」ということになります。霊的自己コントロールの力をつけ霊的存在として物質に飲み込まれない自我を確立させること、そして人々のための奉仕精神を身につけさせることです。これが摂理と一致した育児・教育――すなわち「霊性教育」です。親は子供に、贅沢をせず質素な生活をし、人を差別せず精いっぱい尽くすことを教えなければなりません。それが親としての最大の務めなのです。

この世の多くの親は、口では立派なことを言いますが、本音では、やはり富・名声・地位が一番だと思っています。そして心の成長・霊的幸福より、物質的富と物質的幸福を重視します。「霊的真理」と「霊的価値観」を知らないために、物質的価値観でしか物事を考えられないのです。その結果、子供には霊的成長とは無関係な知識、大して重要でもない知識を教え込むことになってしまいます。それでは親として失格です。

霊的真理は不可欠

親が子供にまず与えなければならないものは、「霊的真理」です。真理にそった正しいものの考え方(霊中心の考え方)を教えなければなりません。したがって霊的真理を知らない人間は、親や教師になる資格はないのです。基本的な霊的知識がなくては、正しい考え方・判断の仕方を示すことはできません。霊的成長を促すことなど到底できません。

一番重要な利他愛の教育

家庭生活における一番重要な点は――「利他愛を身につけていく」ということです。大人になったときに「他人に奉仕することができる人格を養う」ということです。この目的にそってこそ“家族”という人間関係が「霊的価値」を持つことになります。つまりどれほど家族関係が完全であっても、肝心な「霊性教育(魂の教育)」ができなければ意味がないということなのです。残念ながら現在の多くの家庭が、霊性教育とは懸け離れた状況に陥っています。

反対に事情があって家族の人間関係に欠けたところがあっても、それに代わる人間関係の中で子供の魂は成長することができます。離婚や死別、その他の理由によって親がいない子供であっても、親に代わって正しい親の愛(利他愛)で愛してくれる祖父母や施設などの擬似親ぎじおやがいれば、順調に霊的成長をすることができるのです。子供自身のカルマによって、不遇な家庭環境を選んで再生してきている場合もあります。)

「霊的真理に通じていない人、子供が大人と同様、本来が霊的存在であり神の子であることを知らない人、宇宙における人間の位置を理解していない人――こうした人に育てられた子供は、健全な精神的発育を阻害されます。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)p.110

良き手本・良き見本

次に親が子供に与えるべきものは、「良き手本・良き見本」です。物質に偏らない質素な生活を送り、霊的コントロールの生きた見本を示さなければなりません。そして同時に、利他愛実践の具体的な手本を示さなければなりません。子供は親の姿を見て、それを真似することで霊的な生き方を覚えていきます。

育児・教育が成功したかどうかは、子供が成長したときに分かります。基本的な霊的知識を身につけ、霊的コントロールと利他愛実践の重要性を自覚し、それを実行できるような人間になっているかどうかで、はっきりします。家庭教育の成功・不成功は、血縁関係のない人々との間に「霊的な愛の関係」を築くことができる力を身につけているかどうかによって決定されるのです。血縁関係のない人々に対して、先に愛し与える「愛の主体者」になれるかどうかということです。こうしたことができていないなら、その子供の育児・教育は失敗ということになります。

霊的真理に基づく育児・教育、スピリチュアリズムの育児・教育を「霊性教育」と言います。「霊性教育」の詳しい内容については、別の機会スピリチュアリズムの思想[Ⅲ]に取り上げることにします。

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