(7)聖書に見る利他愛の教え(イエスの教えの真髄)
先にも述べましたが、イエスの使命は、それまで知られることがなかった本当の神の愛を地球人類に知らせ、神の愛を中心とする「霊的大家族世界」を地球上にもたらすことでした。イエスは本能中心の人間愛に代わって、霊中心の神の愛・利他愛を人々に教えようとしたのです。「神の愛」すなわち自己犠牲のともなう「利他愛」こそが、真の愛・最高の愛であることを示そうとしたのです。これがイエスによる“愛の革命”でした。地球人類はイエスによって、初めて本当の愛を知ることになりました。
さらにイエスは短い人生の中で、「与えることを優先する愛」「愛しがたい者をも愛する愛」の見本を示したのです。神が人類を愛するように、人間も神の愛に倣って本能・血縁を超えた愛の実践を行うことの重要性を訴えたのです。
聖書の多くの部分は後世の人間によって手が加えられ改ざんされ、真実ではない内容が付け加えられています。そのためイエスが語ってもいないことが、イエスの教えとして広まってしまいました。新約聖書には、あまりにも真実とは懸け離れた内容が盛り込まれていて、そのまま受け入れることはできません。その多くが、神の言葉・神の教えとは大きく隔たっています。
しかしそうした中でも「利他愛」に関する内容については、間違いなくイエスが示したものと思われます。シルバーバーチがたびたび引用する聖句は、イエスが語った言葉と思われます。イエスによって始められた“愛の革命”は、スピリチュアリズムという形で現代にまで引き継がれ、今活発に展開されているのです。
ここではイエスによって示された利他愛についての記述を拾ってみます。
「“隣り人を愛し、敵を憎め”と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。(中略)
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。」
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」
「敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
しかしあなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。」