(2)スピリチュアリスト・サークルの意義

スピリチュアリストの少人数の集まりである「スピリチュアリスト・サークル」は、スピリチュアリズム運動の展開のうえでも、スピリチュアリスト個人の霊的成長のうえでも、重要な意味を持っています。スピリチュアリスト・サークルは、さまざまな“霊的恩恵”を私たちにもたらしてくれます。

ここでは「スピリチュアリスト・サークルの意義」について見ていきます。

1)スピリチュアリスト・サークルは、スピリチュアリズム運動の前線基地

シルバーバーチは――「地上の組織宗教のすべては失格である」と厳しく糾弾しています。そのためスピリチュアリストの中には、“スピリチュアリズムでは一切集まりを持ってはならない”といった考え違いをしている人がいます。スピリチュアリストが少人数の集まりを持つことは、マイナスではないどころか、むしろ霊的に大きなプラスとなります。あとで述べるようにシルバーバーチも、スピリチュアリストの少人数の集まり、すなわち「スピリチュアリスト・サークル」については積極的にその意義を認めています。

今後、地上世界にスピリチュアリズムが展開していくとき、スピリチュアリスト・サークルは重要な役割を担うようになります。すでに見てきたように、スピリチュアリズムにおける「霊的真理の普及」は“草の根運動”によってなされます。スピリチュアリスト・サークルは、そのスピリチュアリズムの草の根運動の“前線基地”として、地上サイドの中心的役割を担うことになります。

スピリチュアリスト・サークルは、従来の欧米のスピリチュアリスト・チャーチを、すべての点で次元を高めたものと言えます。今後のスピリチュアリズムの発展にともない、世界各地において、質の高いスピリチュアリスト・サークルがつくられていくようになります。日本に「本物のスピリチュアリスト・サークル」が次々と現れるなら、日本人は世界の人々に対して大きな貢献をすることができるようになります。

霊界の大霊団は、地上のスピリチュアリスト・サークルに働きかけ、自分たちの計画を進めていくことになります。純粋で献身的な人間が集まるスピリチュアリスト・サークルには、何百、何千という高級霊が集結することになるのです。

2)スピリチュアリスト・サークルは、霊的エネルギーの補給所

「霊的意識」を持ち続けることの難しさ

霊的存在として造られた人間は、一日のうち、ほんのわずかであっても一人だけの静かな時間を持ち、“霊的エネルギー”を取り入れることが必要です。自分の心(霊的意識)を高めようと努力したことのある人なら、「瞑想や祈り」の重要性は身に染みて感じているはずです。日常の喧噪から離れて静寂な世界に入り、霊界の息吹に触れることが不可欠なのです。それを怠ると、私たちの心は“物質の牢獄”の中に閉じ込められてしまいます。

スピリチュアリストは、昼休みに一人で瞑想の時間を取ったり、夜の眠りにつく前の一時を瞑想にあてたり、あるいは誰もいない早朝のすがすがしい霊気の中で深呼吸をするなどの工夫が必要です。各自が努力して、霊界の霊たちと深く交わる時間を持たなければなりません。いつも身近にいて、私たちを導いてくれている「守護霊・背後霊」の存在を思い出すだけでも、日々の霊的歩みは全く違ったものになります。わずか5分、10分であっても、霊的エネルギーを取り入れることによって“霊的感覚”を取り戻すことができるようになるのです。

ところが現実には、たった10分そこそこの瞑想や祈りの時間を取ることがなかなかできません。そして霊的意識はどんどん薄らぎ、この世の人々と変わらない物質的意識で日常生活を過ごすようになってしまいます。スピリチュアリストと言えども肉体を持っている以上、常に心を「霊主肉従」の状態に保つのは大変なことです。あまりにも慌ただしい現代社会において、自分一人の力で心を高く引き上げるのは並大抵のことではありません。

スピリチュアリスト・サークルは「霊的意識」を取り戻す場所

こうした厳しい状況に置かれている地上人にとって、スピリチュアリスト・サークルはまさに“救いの場”となります。心がどれほど「肉主霊従」の状態に陥っていても、サークルに足を運ぶだけで霊的エネルギーが補給され、たちどころに霊的意識を取り戻すことができるようになります。サークルに参加するだけで、自分の心が無条件に引き上げられるようになるのです。こうした意味から、スピリチュアリストにとって「スピリチュアリスト・サークル」は、霊的な救済場所と言えます。

物質的意識の中にどっぷり浸かって霊界があることさえ忘れてしまっていた心が、スピリチュアリストの集まり(サークル)に参加することによって、一気に高い霊的意識にまで引き上げられるようになります。一人ではなかなか吹っきれなかった「肉主霊従」の思いが消滅し、「霊主肉従」の高い心境を取り戻すことができるようになります。物欲にとらわれていた先程までの自分が一変し、別人に生まれ変わるのです。

このようにスピリチュアリスト・サークルは、霊的エネルギーを補給して日常の物質的意識を拭い去り、霊的意識を取り戻させてくれます。スピリチュアリスト・サークルに参加することによって、物質世界に閉じ込められ息も絶え絶えになっていた霊と霊体にエネルギーが与えられ、心に安らぎと休息がもたらされ、傷ついた魂を癒すことができるのです。

「こうしたサークル活動は、あなた方が霊的存在であって物的存在でないことを忘れさせないようにする上でも役立っております。人間には、こうしたものがぜひとも必要です。なぜなら人間は毎日毎日、毎時間毎時間、毎分毎分、物的生活に必要なものを追い求めてあくせくしているうちに、つい、その物的なものがからにすぎないことを忘れてしまいがちだからです。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)p.36

3)スピリチュアリスト・サークルは、霊的な礼拝所

スピリチュアリスト・サークルに参加することによって、大半の地上人が欠乏させている霊的エネルギーを補給して「霊主肉従」の高い心境を取り戻し、神の前に出ていく条件を整えることができます。その結果、参加者(スピリチュアリスト)が一堂に会して、神の前に礼拝するという状況ができ上がります。サークルに足を運ぶことによって、「霊的な礼拝」に参加することになるのです。

スピリチュアリスト・サークルは、霊的真理の実践に励むスピリチュアリストが揃って神の前に出て、神を賛美し、神に感謝を述べる聖なる場所です。「霊的親」として慕い敬う神の前に立ち、共に祈りを捧げる礼拝所・教会なのです。

4)スピリチュアリスト・サークルは、地上における霊的家庭

スピリチュアリスト・サークルでは、メンバーにとって共通の霊的親である「神」のもとに子供たち(スピリチュアリスト)が集まり“霊的家庭”が形成されます。メンバーはサークルに参加することによって、神を中心とした霊的家庭の一員となります。そこでは親である神への意識と、家族である他のスピリチュアリストへの同胞意識が強まり、家族意識・共同体意識が育まれるようになります。スピリチュアリスト・サークルが「神」を中心とする“霊的家族”であることを実感するようになるのです。

人生の目的・価値観を共有するスピリチュアリストの間では、深い愛の交わりが可能となり、純粋な愛の関係が築かれます。一般の家庭や社会には見られない高次元の愛の交わりが現実のものとなります。高い目標を理想として努力するスピリチュアリストの集まりを通して、この世のいかなる血縁関係よりも深くて純粋な愛の関係が形成されることになるのです。

こうしたスピリチュアリストの集まり(サークル)は、私たちが霊的人生を歩むうえで大きな励みとなり、利他愛を実践するための活力源となります。スピリチュアリスト・サークルは、まさに地上における“霊的家庭”と言えます。それは血縁中心のいかなる家庭よりも、はるかに次元の高い場所なのです。

5)スピリチュアリスト・サークルは、人間の訓練場

霊的家庭であるスピリチュアリスト・サークルでは、地上世界にはめったに見られない純粋な愛情関係・真の利他的人間関係が築かれます。そこには相手の心を不用意に傷つけるような人間はいません。メンバーの間には、常に相手に対する配慮と思いやりがあります。何よりも重要な点は、スピリチュアリスト・サークルでは「一人一人のメンバーの霊的成長を最優先する」というスピリチュアリズムの大原則が共有されていることです。優しさだけがあって厳しさが何もないというような人間関係は、霊的成長には大きなマイナスとなります。“利他愛”に基づく本当の人間関係には、「相手の霊的成長のためには注意を与え、欠点を指摘して正させる」という厳しさも含まれます。

現代人の人間関係には、相手の嫌がることを極力避けようとする傾向が強く見られます。親子関係・夫婦関係・兄弟関係・教師と生徒の関係・上司と部下の関係であっても、ごく当たり前の注意すらしないようになっています。注意や指導が相手の霊的成長にとって不可欠である場合でさえも、自分が悪く思われたり相手から嫌われることを恐れて、当たり障りのない関係を維持しようとします。一方、相手の人間も注意されたり指導されることを毛嫌いし、少しでも厳しい指摘を受けると“愛がない”と決め付けます。肉体は大人でも、霊的には子供のままなのです。そうした人間は、いつまでたっても自分の欠点を自覚したり矯正するチャンスを持つことができません。そして最も大切な霊的成長の機会を失うことになってしまいます。

スピリチュアリスト・サークルでは、お互いの「霊的成長」を重視し、そのために必要な注意や助言を与え合います。それはお互いが霊的成長を最優先し、霊的成長に最も価値があることを認めているからです。メンバー全員が、霊的成長こそが地上人生の目的であることを理解し、スピリチュアリズムの普及という願いを共有しているのです。そうしたところでは、自分に対する注意を“ありがたいもの”として受け入れることができるのです。

スピリチュアリスト・サークルでは、ただ優しいだけの人間関係、甘えて頼るだけの人間関係を良しとはしません。何よりもお互いの霊的成長を優先し、それを共通の目標としている以上、時に厳しい注意や指摘をするのは当然のことなのです。他人から指摘されずに自分の欠点を自覚できる人間は、なかなかいません。他人から注意されなければ、人はいつまでたっても自分の欠点や悪いクセを改めることはできません。“霊的人生”という霊的成長の歩みには、周りの人間からの注意や助言が不可欠です。スピリチュアリスト・サークルにおいてそれができるのは、霊的真理に立った深い人間的絆と信頼関係があるからです。

6)スピリチュアリスト・サークルは、霊界人との霊的絆を強化する場所

スピリチュアリスト・サークルが世間一般のグループと根本的に違っているのは――「そこに集まるのは地上人だけではない」という点です。スピリチュアリズムの理念を中心としてスピリチュアリストが集まるとき、その場には霊界の霊たちも同時に加わるようになります。サークルの様子を肉眼で見れば、ごく少数の人間が存在しているだけですが、霊眼で見ると、部屋の壁を突き抜けてあふれるほどの霊界人が集結している事実を認識することができます。スピリチュアリスト・サークルは、地上人と霊界人が心を一つにして“霊的絆”を強化する場所でもあるのです。

霊界との一体関係を求めて過ごす時間が無駄に終わることは決してありません。サークルの背後では、霊界からの働きかけが着々と進展し、霊界との絆が強化され、参加者の霊的感受性が鋭くなっています。地上人が霊的世界を重視し、スピリチュアリズムに対する献身性と霊界の導きに対する信頼性を高めれば高めるほど、霊界人との絆は強くなります。霊界人との絆を強化するために、長時間にわたる瞑想や祈りが必要とされるわけではありません。何よりも純粋な「道具意識」と「犠牲精神」が求められるのです。メンバー全員が心を一致させ、高い心境を持って霊界の人々と共鳴するならば、そこでつくり出された霊的エネルギーが新たな人間をスピリチュアリズムに導くことになるのです。

「大霊への畏敬の念を胸に皆さんがこの部屋に来て、私たちと1時間かそこらを共に過ごすということそのことが、ここに霊的神殿をこしらえる上で大きな力になっているということです。(中略)調和の心で集う時に蓄積されるエネルギーが、大いなる架け橋を築く上で役に立つのです。その架け橋を通って新しい光、新しい力、新しい希望を地上界へ届けんとする霊が大挙して降りてきます。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.262~263

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