(2)地上人生における、さまざまな苦しみ・困難の実態

地上人生において必ず遭遇することになる苦しみ・困難には、さまざまなものがあります。私たちが体験する苦難には、今述べたように霊的成長を促す有益なものと、霊的成長を促さない無益なものがあります。

有益な苦しみとは――「肉体を持っているために発生する苦しみ」「人間愛から発生する苦しみ(愛に関する苦しみ)」「カルマによって発生する苦しみ」の3つに分類されます。無益な苦しみとは――「地上人類の霊的無知から発生する苦しみ」です。現在の地上世界には、こうした4つの苦しみ・困難が存在します。

ここではその一つ一つについて具体的に見ていきます。

有益な苦しみと無益な苦しみ

1)肉体を持っているために発生する苦しみ・困難

――「霊主肉従の闘い」による苦しみ

肉体の不自由さは、「神の愛」から与えられたもの

地上人は肉体を持っているため、さまざまな苦しみ・困難を体験するようになっています。病気や飢えはその一つです。肉体の疲労も老いによる肉体の衰えもそうです。また健康な人であっても、肉体は常に時間と空間の制約を受けているため、何をするにも不自由さがともないます。

一方、肉体を持たない霊界人は、こうした悩みや苦しみからは完全に解放されています。霊界には、病気も老いも飢えも疲労も一切ありません。さらに時間と空間の制約がないため、活動は自由自在に行えます。地上という物質世界に生きること自体が、重荷と不自由さを背負うということなのです。こうした肉体に由来するさまざまな制約や障害は、神がわざわざそのように設けたものであって、そこには深い意味があります。人間に不自由な肉体が与えられたのは、「霊的成長の道を歩ませたい」と願う、神の愛があったからなのです。

地上では何をするにしても、手間ひまのかかるプロセスが必要となります。霊界ではあっという間にできることも、地上では時間とエネルギーをかけなければなりません。しかしそうした面倒があるために、“善”を行う意志の力や忍耐力が鍛えられることになるのです。地上で培った精神力は、思念の世界である霊界に入ってから、大きな能力を発揮することになります。地上では肉体を持っているがゆえにさまざまな困難がともないますが、それが精神力を養い霊的成長にプラスとなるのです。

「霊主肉従の闘い」によってもたらされる苦しみ

地上人が霊的成長を求めて歩み始めると、肉体(肉体本能)が大きな制約となっていることに気がつくようになります。「霊的意識」の目指す方向性と「肉体本能」の目指す方向性が正反対であるため、絶えず内面(心の中)において激しい葛藤が生じるようになるからです。こうした「霊と肉の問題」は、霊的成長を願う地上人に大きな苦しみをもたらすことになります。自分自身の心さえまともにコントロールできない現実に、誰もが悩みや苦しみを持つようになるのです。

高い世界を求める霊的人生の中では必ず、「霊と肉の対立」という問題が発生するようになります。「清くなりたい!」と願っていても、さまざまな“本能的欲望”が湧き起こり、心を支配するようになります。肉体の力はあまりにも強く、すぐに私たちの心を「肉主霊従」の状態へ引きずり下ろしてしまいます。少しでも清らかな思いを持とうとすると、たちまち内面の葛藤が生じるようになるのです。本能的方向・物質的方向に流されることは実に容易で、しかも心地よさがともないます。心を高め、清らかさを維持するためには、厳しい“克己の努力”が要求されるのです。

特に男性の場合、性欲や名声欲・権勢欲との闘いにおいて、肉体の力の強さを痛切に感じるようになります。そうした体験を通して、これまで修道者を苦しめてきた「欲望との闘い」という試練の実態を、身をもって知ることになるのです。

「霊と肉の問題」で苦しむようになるということは、実はその人間の意識レベルが、より内面化しているからです。それは心が「霊的成長」を志向していることを示しています。それとは反対に、肉体本能に身を任せることに何のためらいも感じない者、肉欲の放縦を当たり前と考える人間には、「霊と肉の闘い」という内面の苦しみは生じません。「霊主肉従の闘い」による苦しみを体験するということは、霊的成長の道を歩んでいることの証明と言えます。そうした苦しみを多く体験すればするほど、結果的に大きな霊的成長がもたらされるようになります。

「霊主肉従の闘いによる苦しみ」と、次に述べる「利己愛との闘いによる苦しみ」は、「苦難の法則・自己犠牲の法則」「光と陰の対照の法則」と関係します。こうした高次元の苦しみを多く体験した者は、その分だけ霊的成長が促されることになります。

2)人間愛から発生する苦しみ・困難

――「利己愛との闘い」による苦しみ

利己愛・自己愛が当たり前になっている物質世界

物質世界(地上世界)と霊的世界には、多くの点で根本的な違いがあります。その中で特に大きな違いは――「地上世界で生きる人間は常に、肉体の持つ圧倒的な力の支配を受けるようになっている」「地上世界では、魂の成長レベルが異なるさまざまな人間が同じ平面上で生活している」ということです。

こうした地上世界の特性が、人間の霊的成長にとって最も重要な要素である“愛”に対して制約を加え、影響を強く及ぼすことになります。その結果、地上人類が持つ愛の多くは「利己愛・自己愛」になっています。現在、私たちが住んでいる地球では、利己愛・自己愛が当たり前になっています。地球は、利己愛という「神の摂理(利他性の法則)」に反する偽りの愛が蔓延する世界に堕ちてしまっています。

すぐに利己愛・自己愛に陥ってしまう苦しみ

霊的真理を知らない人間が、肉体の影響をストレートに受けて利己愛を持つようになるのは、ある意味では仕方がないことです。ところが霊的真理を知り、「霊的成長」の道を意識的に歩んでいるはずのスピリチュアリストの心にも、絶えず利己的な思いが湧き上ってくるのです。大半のスピリチュアリストは「利他愛を実践したい」と思っているのですが、その意に反して、心はすぐに利己愛・自己愛に傾いてしまいます。利己愛が醜いことを知りつつも、他人の成功や成長を羨んで嫉妬し、自分に都合のいい人・愛しやすい人だけに好感を持ち、気に食わない人間とは距離をおいたり、批判や非難をしてしまいます。

誠実なスピリチュアリストの多くが、こうした自分自身の醜い実情に直面してショックを受け、打ちひしがれることになります。利己愛を心の中から取り除きたいと思いながら、いつの間にかそれにとらわれている自分の姿に気がついて、自己嫌悪に陥ってしまいます。キリスト教では、“人間は皆、罪人である”と説いてきました。もちろんその教えは間違っていますが、醜い欲望と利己愛にまみれた人間の姿を見ると、“罪人である”との言葉にある意味で妥当性を感じてしまいます。

霊的成長の道を真剣に歩もうとする人間であればあるほど、「霊的真理」が示す利他愛の実践の難しさ・純粋な利他愛を持つことの厳しさを、いやというほど実感するようになります。霊的成長を目指す者は必ず、利己愛を拭い去ることができない醜い自分の姿を直視せざるをえなくなります。そして闘っても闘っても克服することができない利己愛・自己愛の根深さに、苦しむことになるのです。

実はこうした苦しみが生じるのは、私たちが“肉体”を持っているところに一番の原因があります。肉体を持たない霊界人には、嫉妬や憎悪といった醜い感情は一切ありません。肉体を持っているために、「利己愛・自己愛」にまつわる苦しみが発生するようになるのです。

地上世界では、利他愛を実践しようとすればするほど、自分の利己性に苦しまざるをえなくなります。しかし、その苦しみは霊的な高みを目指しているがゆえに発生するものであり、向上心の裏返しの現象と言えます。こうした苦しみを多く体験した人間は、結果的に霊的成長がもたらされることになるのです。

利己愛を克服するための闘いは、「苦難の法則・自己犠牲の法則」と「光と陰の対照の法則」に関係します。こうした闘いにともなう苦しみを多く体験すればするほど、霊的成長が促されることになります。

利己愛が支配する中で生じる、さまざまな人間関係の苦しみ

利己愛に支配されている地上世界では、利己性の強い者ほど成功を収めやすくなります。反対に利他愛に富んだ者は、とかく劣勢の立場に追いやられることになります。日常生活では否応なく、利己的な人間と付き合わざるをえませんが、それによってさまざまな苦痛を味わうことになります。さらに、エゴ性の強い人間の支配を受けなければならないような事態も生じます。そうなると心に寛容な思いを持つことが、とても難しくなります。時には周りの人々から、嫉妬や憎悪の対象とされるようなことも起こってきます。このように現在の地上世界は、利他愛を実践するどころか、利他愛を心に宿すことさえもきわめて困難な状況にあります。

一方、利己愛に関わる苦しみは、個々の人間の間においてのみ発生するものではありません。民族と民族、国家と国家というような広範な人間社会の中にも発生します。社会を構成する一人一人の心が「利己愛」に支配されているため、憎しみやエゴ的感情が人類全体に及び、争いや戦争を引き起こしています。それが多くの人々に苦しみをもたらすことになっているのです。

霊界には、こうした利己愛から発する人間関係のトラブルや争い・戦争は一切存在しません。それは霊界の者たち全員が、「利他愛」だけを持っているからです。さらに霊界では「霊的成長レベル」に応じて明確な住み分けがなされ、霊性のレベルが等しい人間とだけ付き合うようになっています。そのため地上のような人間関係のトラブルや苦しみは存在しません。

あらゆる人間関係が「利己愛」に支配されている地上世界では、利他愛を実践したり、利他愛の思いを持ち続けるためには厳しい内面の闘い・克己の努力が要求されるようになります。利他愛の実践を目指す人間は必ず、自分自身の醜さに直面することになるからです。しかしそうした利己愛を克服するための努力や苦しみは、結果的に利他愛を求める意志を強固にし、本人の心に利他愛を深く根付かせることになります。「肉体本能」の満足だけを追い求める人間には、利他愛を持つための努力や苦しみはありませんが、それでは霊的成長はもたらされません。自分中心の生き方を良しとする人間は、ますます「負のカルマ」をつくり出し、いずれそれを償うための苦しみを味わうことになります。

利己愛が支配する世界や人間関係の中にあって、それを自分が利他愛を持つための訓練と位置づけするなら、どのような環境も「霊的成長」のために活用することができるようになります。利己愛に支配された人間関係の中で利他愛を実践するにはたいへんな困難がともないますが、その苦しみに負けることなく利他愛を貫くための克己の努力を続けるなら、さらなる霊的成長がもたらされるようになるのです。利己愛に覆われた環境が、霊的成長のために役立つことになるのです。

3)カルマによって発生する苦しみ・困難

――“自業自得”の苦しみ

カルマによって引き起こされる、さまざまな苦難の体験

苦難の体験について考えるときには、神の造られた世界が「因果律(カルマの法則)」という摂理によって支配されている事実を忘れてはなりません。人々が味わっている苦しみや困難の多くが、「負のカルマ(悪いカルマ)」によって引き起こされているのです。特に前世で「大きなカルマ」をつくった場合、再生人生では例外なくカルマを清算するための苦しみや困難を体験することになります。

悪いカルマとは、「神の摂理に背くこと(摂理違反)」によって生じるものです。具体的には、物欲中心の生き方と利己的行為を意味します。前世での物欲・肉欲に流された生き方や利己的行為は「大きなカルマ」となって、再生時に多くの苦しみや困難をもたらすようになります。一方、今回の地上人生でつくってしまった「小さなカルマ」に対しても、「カルマの法則」が働きます。そうした前世と現世のカルマによって、病気や人間関係のトラブルや経済問題など、さまざまな苦しみが発生するようになるのです。

悪いカルマがあると、摂理の働きによってそれを償い帳消しにするためのプロセスが展開するようになります。これが「カルマ清算の法則(償いの法則)」です。苦しみはカルマ清算のプロセスとして、摂理によって発生するものです。摂理に反した行為(悪いカルマ)は、「償いの法則」を通して逃れられない苦しみとして自分自身に返ってきますが、実はその苦しみは、カルマを帳消しにして“霊的成長の足かせ”を取り除くプロセスでもあるのです。人間は、かつて自分が犯した「摂理違反(肉主霊従・利己的行為)」を、それに等しい苦しみをもって償うようになっているのです。

苦しみによって罪(摂理違反)が償われ、魂を縛る足かせが取り外されることによって「霊的成長」の道がリセットされ、再出発できるようになります。この意味でカルマによる苦しみは、とてもありがたいものなのです。前世の存在を信じられない大半の地上人は、苦しみをただイヤなもの、何としても避けたいものと考えますが、霊界人からすれば、それは霊的成長にプラスとなる歓迎すべきものなのです。

前世のカルマと再生人生での苦しみ・困難

人間の再生は、「カルマの法則」と「償いの法則(カルマ清算の法則)」に基づいて行われます。死後、霊界での地上人生に対する反省を通して、かつて地上で犯した罪が、今の自分の霊性にどのような障害を引き起こしているのかを自覚するようになります。そして自分の罪を償い、カルマを清算することができる再生人生を願い求めるようになるのです。

再生人生では、自分自身で選んだ試練の内容が、絶妙なタイミングで生じることになります。「カルマ(罪)の償い」のための苦しみの体験は、病気であったり、さまざまなトラブルであったりします。ただし、ほとんどの地上人は肉体を持つことによって、再生に先立って自ら苦しみの試練を選択したという事実をすっかり忘れてしまいます。そのため、何の理由もなく一方的に苦しみや不幸が降りかかってきたと考えるようになります。しかし本当は、地上人生において避けることができない形で発生する苦しみは、自分自身が求めたものなのです。

前世のことが全く分からない地上人にとって、カルマによる苦しみの体験は、いわれのない不幸・不運な出来事のように思われます。しかし地上で遭遇する大きな苦しみは、その多くが「前世のカルマ」に由来しています。すなわち「自分が苦しみの原因をつくっている」ということです。

その苦しみに正しく対処することによってカルマが清算され、霊的成長の道を再び歩み出すことができるようになります。カルマによる苦しみは「摂理違反」に対する償いのために発生するものですが、それを通して霊的成長の道がリセットされることになるのです。この一連のプロセスを広い観点から見るなら、カルマによる苦難の体験は、地上人にとって結果的に「霊的成長」を促すことになる不可欠なものと言えるのです。

4)地上人類の「霊的無知」から発生する苦しみ・困難

――地上世界を支配する無益な苦しみ・悲劇

霊的成長をもたらす有益な苦しみ

先に述べた2つの苦しみ(霊主肉従の闘いによる苦しみ・利己愛との闘いによる苦しみ)は、より高い世界を目指すところから生じるものです。それは自ら求めた内面的な苦しみであり、霊的成長の努力をしない者には縁のないものです。こうした高次元の苦しみを多く体験した人間であればあるほど、霊的成長が促されることになります。したがってこの2つの苦しみは、きわめて“有益な苦しみ”と言えます。

それに対して3つ目の「カルマによる苦しみ」は、自らが求めた苦しみではなく、「カルマの法則」「償いの法則」によって一方的にもたらされるものです。避けられない形で与えられる苦しみの体験を通してカルマが清算され、霊的成長の道がリセットされることになります。この苦しみに正しく対処するなら、足かせとなっていたカルマが消滅し、再び霊的成長のための一歩を踏み出すことができるのです。カルマによる苦しみは、本人の対処いかんで良い結果がもたらされるようになる“有益な苦しみ”なのです。

霊的成長をもたらさない“無益な苦しみ”

一方、そうした有益な苦しみとは別に、地上人類が「霊的無知」ゆえにつくり出してしまった苦しみもあります。それは霊的成長をもたらさない“無益な苦しみ”であり、それを体験することは“悲劇”以外の何ものでもありません。現在、地上世界では多くの人々が、この無益な苦しみに喘いでいます。戦争・殺りく・虐待・搾取・貧困・飢餓・間違った宗教による霊的牢獄化などは、すべて「霊的無知」と「物質中心主義・利己主義」から発生した悲劇であり、霊的成長につながらない無益な苦しみです。

スピリチュアリズムは、「霊的真理」によって人類の霊的無知を解消し、地球上から無益な苦しみ(悲劇)を追放しようとする霊界主導の大計画なのです。

「それ(神の摂理)を知らないがために引き起こしている愚かしい過ちによる余計な苦しみ、無くもがなの苦しみが実に多いのです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)p.229

霊的成長をもたらさない無益な苦しみ(さまざまな悲劇)は、「霊的無知」という根本原因から発生したものであり、地上人の未熟さがつくり出したものです。こうした悲劇は本来、地球上に存在してはならないものですが、人間は自分たちがつくり出した悲劇の中で地獄の苦しみを味わっています。こうした問題については「スピリチュアリズムの思想[Ⅱ]」の7章で詳しく説明していますので、それを参考にしてください。)

戦争などによる苦しみは、本来あってはならない“無益な苦しみ”ですが、それが個人の「カルマ清算」や「奉仕精神の鍛錬」のために利用されることがあります。その場合は、結果的に苦しみの体験が本人の「霊的成長」にとって有益な働きをすることになります。自ら積極的に霊的成長を目指す人間には、無益な苦しみもプラスの材料となるのです。

しかし一般的には、戦争などの苦しみが、被害者となる多くの人間に霊的成長をもたらすことはありません。

霊的無知から生じる不安や恐怖も“無益な苦しみ”

不安や恐れはある種の苦しみと言えますが、「霊的事実」を知らない多くの地上人は、的外れの不安や恐れを抱いています。こうした無益な苦しみの代表が、「死に対する不安や恐れ」です。死後の世界についての事実を知らないために、大半の地上人は死を恐れています。「人間は死後も生き続ける」という基本的な霊的知識がないために、死によってすべてが消滅すると錯覚し、恐怖に駆られているのです。しかし“死”は本来、決して恐れるようなものではありません。それどころか“死”は、楽しみに待つべきものなのです。シャカは生前、死を苦しみの一つと考えましたが、それは間違いです。

また、地震や洪水・噴火・雷といった自然現象を恐れ、不安を抱くことも無意味な苦しみです。人間はこうした自然現象を「神の罰」や「カルマ」と結びつけて考えがちですが、自然現象は物質次元の摂理に基づいて発生しているにすぎません。“天変地異”は地球の進化のプロセスの一環として起きるものであり、神の罰や人間のカルマとは無関係です。自然災害によって甚大な被害を受け、多くの人命が失われたとしても、死後の世界(霊界)があることを思い出し、深刻に苦しまないようにすべきです。

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