(1)地上人生に苦しみ・困難は付きもの
――霊的真理が明らかにする苦難の意義と重要性
1)苦しみ・困難に遭遇することは、地上人の宿命
どのような地上人も必ず苦しみを持っている
何の問題もなく外見上は幸せそのものに見える人も、内面には何らかの悩みや苦しみを持っています。どのような人間も必ず、その人なりの問題を抱え、苦しみを味わっているのです。
「痛みも苦しみもない人生、辛苦も悲哀もない人生、常に日向を歩き、日陰というものがない人生を送る人は、地上には一人もいません。少なくとも私は、そういう人を知りません。」
「いかなる人間にもかならず試練と困難、すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて陰を知らないという人は一人もいません。」
「金持ちを
羨 ましがり、金持ちの生活には悩みがないかのように考えます。金持ちには金持ちとしての悩みがあることを知らないからです。神の摂理は財産が多いか少ないかでごまかされるものではありません。」
地球上で生活している人間の中に、苦しみから解放されている者はいません。それは神がこの地球(地上世界)を、苦しみを体験する場所として造られたからです。人間の「霊的成長」を促すための厳しい訓練場所として用意されたのです。
地球人類は長い間、どうしたら苦しみから解放されるようになるのか、その答えを探し求めてきました。2600年前に地上に誕生したシャカは、まさにそうした人間の代表でした。今、地球人類は“スピリチュアリズム”を通して、その疑問に対する明確な答えを手にすることになりました。
苦しみの意味を知ることは、スピリチュアリズムを正しく理解すること
「地球人類として生まれた以上、苦しみから完全に逃れることはできない」――驚くようなこの単純明快な言葉に、すべての地球人類に共通する真実が示されています。苦難との遭遇は私たち地上人にとっての宿命であり、それから逃れることは決してできません。つまり私たちは――「苦しみや困難のない人生を安易に期待してはならない」ということです。もし、苦しみのないことを願って霊的人生を歩むとするなら、必ず大きな絶望を味わうことになります。地上人として物質世界で生きる以上、これからもさまざまな苦難に遭遇することは覚悟しておかなければなりません。
地上人生における苦しみの意味を知ることは、スピリチュアリズムを正しく理解することであり、同時に「神の摂理」について知ることです。苦しみや困難から闇雲に逃れようとすることは、スピリチュアリズムの教えから外れることなのです。
スピリチュアリズムの「霊的真理」は、苦しみ・困難を避けるためではなく、これに正しく立ち向かうためにある
大半の人々が宗教に求めるものは、日常生活で遭遇する苦しみや困難を取り除き、幸せを手に入れることです。宗教も一般の人々も、苦しみを人生における“最大の敵”と見なしてきました。この敵を取り除かないかぎり、人間は幸福になれないと考えてきました。
しかしスピリチュアリズムは、全く違った見方をします。苦しみは人間にとっての敵であるどころか、霊的成長を促してくれる“大切な友”であるとしています。苦しみや困難は、正しく対処すれば人間の魂を大きく成長させてくれる、ありがたいものと考えるのです。
スピリチュアリズムは、人々から苦しみや困難を取り除こうとするものではありません。必ず遭遇することになる苦しみや困難に、どのように対処すべきかを教えるものなのです。スピリチュアリズムは、他の宗教のように苦しみを敵視するのではなく、苦しみに正しく対処することを主張します。苦難に堂々と立ち向かい、それを克服する方向性を示しているのです。
「もしも私の説く真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださることが私どもの真の目的なのです。」
霊界に行くと、苦しみ・困難の意味が地上とは正反対になる
霊界には、私たちが体験するような地上的な苦しみは全くありません。死んで霊界に行けば、今地上で抱えている大半の苦しみはなくなります。宿命的に苦しみがともなう地上世界と比べ、霊界はまさに天国のような所です。霊界入りした当初は誰もが、地上の苦しみから解放されたことを心の底から喜びます。
しかし霊界での生活に慣れてくると徐々に、地上人生における苦しみの重要性が分かるようになります。霊界で生活を送るうちに「霊的視野」が開かれ、誰もが地上での苦しみの体験の意味と価値を、実感を持って理解するようになります。地上時代には必死になって避けようとしてきた苦しみが、実は自分自身の「霊的成長」にとって不可欠なものであったことに気がつくようになるのです。
そしてある者は「カルマ清算」とさらなる「霊的成長」のために、あえて苦しみの体験を求めて地上への再生を願い出るようになります。霊界人からすれば、苦しみや困難があればこそ、地上人生には価値があると言えるのです。もし地上人生に苦しみがないとするなら、わざわざそこに生まれる必要はないということになります。
地上人生に苦しみは付きものです。物質世界ならではの苦しみが体験できるからこそ地上人生には意義があり、価値があるのです。地上で生活している間はなかなか実感を持って理解することはできませんが、死後には、地上で味わった苦しみを心の底からありがたいものと思えるようになるのです。
「そのうちあなたも、地上人生を明確な視野のもとに見つめ直す時がまいります。その時、苦難こそ最も大切な教訓を教えてくれていること、もしもあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうことを、しみじみと実感なさいます。」
2)『シルバーバーチの霊訓』の「苦の思想・哲学」は霊的真理の真髄
――地上世界での苦しみ・困難の霊的意味
シルバーバーチの「苦の思想・哲学」
高級霊の教えは、常に霊界という永遠の世界の観点から説かれています。霊界の高級霊を大人とするなら、私たち地上人は小学校入学前の幼児のようなものです。霊界人、とりわけ高級霊の視野の広さと洞察力の深さ・判断力の鋭さは、私たち地上人とは比べものになりません。その高級霊が、地上人の霊的成長にとって苦しみは不可欠なものであると繰り返し述べているのです。
『シルバーバーチの霊訓』は、これまでの歴史にはなかった苦しみに関する高遠な思想・哲学を地球人類にもたらしました。『シルバーバーチの霊訓』の「苦の思想・哲学」は、まさにスピリチュアリズムにおける最大の教訓と言えます。それは私たちが地上で体験する苦しみや困難は、本当はありがたいものであるということを教えています。
この世の多くの宗教は、苦しみを取り除くことを売りにして信者を獲得しようとしますが、シルバーバーチの教えはそうした宗教とは正反対です。『シルバーバーチの霊訓』の苦しみに対する考え方・姿勢は、従来の地上の宗教の常識を超えています。スピリチュアリズムは、地上の宗教とは次元を異にする“超宗教”ですが、それは「苦の思想・哲学」の中に端的に示されています。スピリチュアリズムは人類史上初めて、苦しみの意義(霊的意味)を明らかにしました。
以下では、『シルバーバーチの霊訓』の苦の思想・哲学が示している「苦しみ・困難の意義(霊的意味)」について見ていきます。
苦しみ・困難の意義【1】
――苦しみ・困難は「カルマ」を清算し、霊的悟りをもたらし、霊的成長を促す
スピリチュアリズムでは、苦しみ・困難という試練を通して「霊的成長」という最高の宝がもたらされるようになることを繰り返し説いています。地上人生における苦難の体験によって「前世のカルマ」が清算され、霊的成長のプロセスがリセットされることになります。そして霊的悟りがもたらされ、霊的視野が開かれるようになります。このように苦難の体験は、人間にとって最も価値がある「霊的財産(霊的成長)」を与えてくれるものなのです。
ただし、そうした最高に価値があるものが簡単に手に入るようなことは決してありません。苦難に直面し、正しく乗り越えようと奮闘した結果、初めてもたらされるようになるのです。「霊的成長」という宝は、それに見合った苦労と犠牲なくして獲得することはできません。それが「神の摂理」なのです。
「地上生活での出来事は、時には辛さと絶望、痛みと悲惨さに満ちていることもあるでしょうが、そのすべてが、永遠の旅路に向かうための試練なのです。(中略)困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップ――こうしたものは魂の試練なのです。それを克服した時、魂はより強くなり、より純粋になり、より充実し、かくして進化が得られるのです。」
「苦しみは無くてはならない大切なものなのです。なぜなら、それを通じて魂の目が開かされ、隠れた力を呼び覚まされ、その結果として霊的に、時には身体的に、いっそう強力になってまいります。そうなるべきものなのです。多くの人にとって苦しみは、全人生をまったく別の視点から見つめさせる大きな触媒となっています。」
「神の真理を悟るには苦を体験するしかないからです。苦しい体験の試練を経て、初めて人間世界を支配している摂理が理解できるのです。(中略)地上に苦難がなければ人間は正していくべきものへ注意を向けることができません。痛みや苦しみや邪悪が存在するのは、神の分霊であるところのあなた方人間がそれを克服していく方法を学ぶためです。」
「霊的資質は永いあいだ潜在的状態を続け、魂が十分に培われた時点でようやく発現し始めるものです。それが基本のパターンなのです。すなわち悲しみや病気、あるいは危機に遭遇し、この物質の世界には何一つ頼れるものはないと悟った時に、初めて魂が目を覚ますのです。」
「往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。いつも日向で暮らし、不幸も心配も悩みもなく、困難が生じても自動的に解決されてあなたに何の影響も及ぼさず、通る道に石ころ一つ転がっておらず、征服すべきものが何一つないようでは、あなたは少しも進歩しません。向上進化は困難と正面から取り組み、それを一つひとつ克服していく中にこそ得られるのです。」
苦しみ・困難の意義【2】
――苦しみ・困難は「霊の道具」としての資質を高める
より多くの人々のための奉仕活動に携わりたい、スピリチュアリズム運動の一員として人類の救いのために働きたいと思う人間は、自動的に「霊界の道具」となります。霊界の人々にとっては、地上のスピリチュアリストが道具として優れていればいるほど、地上に向けて大きな働きかけができるようになります。「地球人類救済」のための活動を、強力に進めることができるようになります。
スピリチュアリズム運動を推進するために霊界の高級霊は、使命を持った地上人を訓練し鍛えようとします。その訓練は多くの場合、“苦難の体験”としてもたらされることになります。地上のスピリチュアリストは苦難を乗り越えることによって「霊の道具」としての資質を高め、さらに多くの貢献のチャンスが与えられるようになります。
また、地上時代の苦難の体験は死後、霊界に行ってからの活動のための訓練にもなっています。苦難を通して精神と人間性が鍛えられ、霊的力が強化され、霊界で大きな貢献ができるようになるのです。
「霊の大軍に所属する者は、いかなる困難にも耐え、いかなる障害にも対処し、あらゆる問題を征服するだけの強さを身につけなければなりません。(中略)最大の貢献をする道具は浄化の炎で鍛え上げなければなりません。それによって
鋼鉄 の強さが身につきます。一見ただの挫折のように思えても、実際はみな計画された試練なのです。人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり、試練もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては、その後に待ちうける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう。」
(質問)――では、苦難は霊性の開発に必要なことを気づかせるために意図的にもたらされることがあるということでしょうか。
「そうです。魂がその深奥にあるもの、最高のものを発揮するには、さまざまな体験を必要とするからです。」
「本人には障害と思える出来事も、実は背後霊が必要とみた性質――忍耐力・根気・信頼心・愛といったものを植えつけるために用意した手段である場合があります。」
「新たな挑戦を求め、先輩霊たちにも援助を要請します。その中には守護霊となるべき霊もいます。守護霊は前回の地上生活での失敗原因を熟知していますから、同じ条件下で遠慮のない試練を与えます。」
「それはその人が(再生前に)覚悟していた挑戦です。それを克服することによって、それまで未開発だった資質が開拓され、霊性が一段と発現されるのです。しかもそれは、死後霊界において為さねばならない、より大きい仕事のための準備でもあるのです。」
苦しみ・困難の意義【3】
――苦しみ・困難は、再生前の決意を呼び戻す
スピリチュアリズムではさらに、苦しみによって再生前の決意が呼び戻されるようになる、という霊的事実を明らかにしています。再生が、霊的成長の一つのプロセスとして展開するものであることはすでに述べてきましたが、地上に再生する本人(霊)は、自分がどのような「カルマ」を清算しなければならないのか、前もって知らされます。そのために地上人生でいかなる苦しみを体験することが必要なのか、さらにはカルマを清算した結果、どのようなことになるのかが明確に示されます。そのうえで再生を決断するようになるのです。
また、こうした一般的な再生のケースとは別に、高級霊が「地球人類救済」の使命を持って再生する場合があります。この場合も、地上で体験することになる苦しみの内容と、その結果についての明確なビジョンが示され、それをあらかじめ承知して再生に臨むことになります。
ところがいったん地上に生まれると、再生前に霊界で知らされた内容や、自分で再生を決意したことなどは、すっかり意識にのぼらなくなります。それは“潜在意識”の隅に閉じ込められ、通常の意識では全く自覚できなくなるのです。
地上人生における苦しみの体験は、こうした再生前の意識を覚醒させることになります。覚醒といっても、霊界での意識をそっくりそのまま思い出すわけではありません。苦難に遭遇する中でそれまでの生き方に疑問を抱くようになり、方向転換をはかることになるという意味です。再生前に決意した地上人生の目的を果たすことができる方向に近づいていくようになる、ということです。あるいは再生前に望んだ方向に無意識のうちに心が惹かれ、自然とそれにそった歩みをするようになる、ということなのです。これが大きな苦しみを味わうことによって引き起こされる「再生前の意識の覚醒」の実情です。
「問題は、生まれる前に自覚した決意が必ずしも誕生後にそのまま顕在意識にのぼってくるとは限らないということです。それが危機一髪とか、人生の逆境の中で万策つき果てた時などに表面に出て、一気に魂を目覚めさせることがあるわけです。啓蒙の波が一気に押し寄せ、誕生に際して決意した目的に目覚めるのです。」
人間は地上人生の中で一度は、「霊的成長」のための決定的なチャンスと出会うようになっています。その多くが、こうした苦しみの体験を通して「霊的覚醒」がもたらされるケースです。苦しみが再生前の決意を思い出させ、霊的成長のきっかけをつくることになるのです。
3)苦しみと霊的成長に関する「神の摂理」
ここでは苦しみと霊的成長に関する「神の摂理」について見ていきます。これについてはすでに「スピリチュアリズムの思想[Ⅱ]」で学びましたが、そのポイントをもう一度、復習します。
「苦難の法則」「自己犠牲の法則」
――苦しみを多く乗り越えれば乗り越えるほど、自己犠牲を多く払えば払うほど、その分だけ霊的成長が促される
人間の霊的成長は「神の摂理」の支配のもとでなされていきますが、その際、苦しみ・困難を克服すればするほど、あるいは自己犠牲を払えば払うほど、その分だけ霊的成長が促されることになります。苦難に正しく立ち向かうこと、また苦難を乗り越えるために犠牲を払うことは“魂の糧”となり、霊的成長を促すようになるのです。摂理に一致した目的を達成するための苦労を多くすればするほど、あるいはそのためのハードルが高ければ高いほど、それを乗り越えたときにはより多くの霊的成長がもたらされるのです。これが神が定めた「苦難の法則」であり、「自己犠牲の法則」です。
*「苦難の法則」「自己犠牲の法則」と次に述べる「光と陰の対照の法則」は、本章の(2)で取り上げる「霊主肉従の闘いによる苦しみ」「利己愛との闘いによる苦しみ」の内容と関係します。
「光と陰の対照の法則」
――地上ならではの霊的成長のプロセス
神は地上世界を、対照的な体験を通して霊的成長をなす訓練場として創造されました。そのため地上世界は霊界とは異なり、“光と陰”という対照的な要素から成り立っています。苦しみ・困難は、霊的成長における“陰”の要素です。地上人にとってはその陰の体験が、結果的に霊的成長にプラスの作用をすることになります。地上人は光と陰という対照的な体験によって視野を広げ、魂を磨くことができるのです。このように地上世界では、両極の体験を通して霊的成長が促されるようになっています。これを「光と陰の対照の法則」と言います。
この法則は「苦難の法則」を別の角度から表現したものであって、地上では苦難を乗り越えることで霊的成長が促されるようになるということです。神は、苦難によって地上人類の霊的成長を強化しようとされたのです。
こうした霊的成長の仕方は、地上人だけに当てはまります。環境が善(光)一色となっている霊界では、陰の体験はありません。地上人生では摂理を達成するための困難や障害が必ず生じるようになっていますが、それは考え方によっては霊的成長が早められるありがたいことなのです。苦しみ・困難という“陰”の部分を知ることで、霊的成長の喜びという“光”の部分をより深く理解することができるようになります。陰の体験によって魂が純化され、鍛えられ、光のありがたさを実感できるようになります。苦難の体験は、まさに地上ならではの霊的成長のプロセスなのです。
「カルマの法則」「償いの法則」
人間が神の摂理に反した行為をすると、それが原因となって“苦しみ”という悪い結果がもたらされるようになります。反対に神の摂理にそった行為をすれば、「霊的成長」という良い結果がもたらされるようになります。これが「原因と結果の法則(因果律)」すなわち「カルマの法則」です。
カルマによって引き起こされる苦しみは、摂理からずれた分を埋め合わせるために発生するもので、その体験を通してカルマが帳消しにされます。その意味でカルマによる苦しみは、霊的成長の道をリセットしてくれるありがたいものと言えます。これが「償いの法則」です。大半の地上人は苦しみの深い意味を知らないために、そうした境遇に置かれると“不幸だ、不平等だ”と嘆くことになります。
苦しみによる「カルマ清算」のプロセスが完了に近づくと、人によっては「霊的覚醒」がもたらされるようになります。そしてこれまでの物質中心の生き方を反省し、新たに霊を中心とした人生を歩み出すことになります。こうした形で地上人に「霊的新生の時」が訪れるのです。
*「カルマの法則」「償いの法則」は、本章の(2)で述べる「カルマによる苦しみ」の内容に関係しています。
4)苦しみの体験と霊的成長に関するさまざまな誤解について
スピリチュアリズムでは、“苦しみ”の体験の重要性を強調します。そのため、苦しみを体験するだけで「霊的成長」が促されるようになると勘違いする人がいます。苦しみと霊的成長の関係について、多くの誤解が生まれています。
ここではそうした問題について見ていきます。
誤解【1】
――苦しみを体験するだけで霊的成長ができる
苦しみを体験するだけでは、霊的成長はできません。苦しみの体験は、正しく対処してこそ霊的成長を促すことになるのです。ところが現実には、多くの人々が苦しみへの間違った対処によってせっかくの霊的成長のチャンスを無駄にしたり、霊的成長に逆行することになっています。苦しみによって妬みや憎しみなどの自己中心的な思い・マイナスの感情を増幅させ、心を醜くしてしまっています。“苦しみ”が霊的成長のきっかけとなるためには、「正しく対処する」ということが不可欠です。苦しみに正しく対処するとは――「霊的真理に一致した歩みをする」「神の摂理にそって乗り越える」ということです。ここに霊的真理を学ぶことの重要性があるのです。
霊的真理を手にしたスピリチュアリストは、“苦しみ”という霊的成長のチャンスを確実にものにしなければなりません。苦しみに対する姿勢が、霊的真理を知らない一般の人々とは根本的に違っていなければなりません。
誤解【2】
――苦しみだけが霊的成長の唯一の手段
苦しみと霊的成長に関する2つ目の誤解は、苦しみの体験が霊的成長の唯一の手段であるとする考えです。苦しみの体験以外にも、霊的成長を促すものは多くあります。例えば――「霊的真理を真剣に学ぶこと」「霊優位の努力をすること」「他人に対して純粋な利他愛を実践すること」などです。こうした行為は、いずれも霊的成長を促します。苦しみの体験は霊的成長を促すための一つの手段であって、唯一のものではありません。
「私は、苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれるとは決して申しておりません。苦難は地上にいるかぎり耐え忍ばねばならない、避けようにも避けられない貴重な体験の一つで、それが人間性を磨くことになると言っているのです。」
(質問)――苦しむことだけが向上の唯一の道ではないと思いますが……
「もちろんそうです。ですが、大切な道の一つであることは間違いありません。(中略)目的を達成しようとすれば、あるいは、持てる資質を磨き上げようとすれば、試練の炎をくぐり抜けなければなりません。鍛えられ、しごかれないといけません。」
「たしかに地上生活の目的は霊的成長にありますが、その目的を成就する手段はいくらでもあります。苦しみはその中の一つということでして、それしかないわけではありません。」
誤解【3】
――すべての苦しみが霊的成長に結びつく
苦しみと霊的成長の関係を考えるうえでもう一つの重要な点は、地上人生において遭遇する苦しみの中には、霊的成長に結びつかないものもあるということです。霊的成長をもたらす“有益な苦しみ”だけでなく、霊的成長をもたらさない“無益な苦しみ”もあるということです。すべての苦しみが霊的成長にとってプラスになるのではなく、霊的成長に結びつかない苦しみもあるということなのです。これはスピリチュアリズムによって初めて明らかにされた重大な真理です。
地球全体が「物質中心主義」と「利己主義」によって支配されているため、さまざまな“悲劇”が地球上を覆うようになっています。多くの地上人が“悲劇”の中にあって塗炭の苦しみを味わっていますが、その苦しみは必ずしも霊的成長とは結びつきません。苦しみを生み出すだけで霊的成長を促さない“無益な苦しみ”は、何としても地上世界から駆逐しなければなりません。スピリチュアリズムはまさに、それを目的の一つとしているのです。
一方、霊的成長を促す“有益な苦しみ”は、スピリチュアリズムが地球上に広まり悲劇がなくなった後も、依然として存在し続けることになります。そうした苦しみは、地上人が“肉体”を持っていることに由来しているからです。したがって遠い将来、地球上に“地上天国”が実現するようになっても、有益な苦しみがなくなることはありません。