(2)宗教における修行の本来の目的と意義

――「霊優位」の状態の確立

1)宗教における修行の本来の目的

「霊優位(霊主肉従)」の確立と霊的成長

肉体という物質の牢獄から「霊魂」を解放するためには、内面における真剣な闘いが必要とされます。実はこれこそが宗教における修行の真の目的であったのです。地上人生のすべては「霊的成長」のためにあります。人間は霊的成長をするために地上に生まれ、生活していると言っても過言ではありません。

この最も重要な霊的成長を実現するためには、人間は霊的存在としての立場を確保しなければなりません。「霊優位(霊主肉従)」とは、まさにそのための必須条件なのです。人間は「霊優位」の状態を保って初めて霊的存在としての資格を持ち、霊的成長をすることができるようになります。物質の牢獄の中に霊魂が閉じ込められていて自由に活動できないうちは、霊的成長は望めません。

宗教の修行の目的

宗教の修行の目的は――「霊優位の状態をつくって霊魂を肉体から解放し、霊的成長を促すこと」です。宗教の修行とは、心と生活全体を霊優位にするための手段・方法に他なりません。それを通じて人間は、霊的存在としての最低限のラインに立つことができるようになるのです。宗教の修行や禁欲は本来、「霊優位の状態をつくり出す」という目的のためにあります。修行や禁欲は、霊能力をつけるためのものではありません。霊能力を求めての修行や禁欲は邪道であり、人間の霊的成長に何のプラスももたらしません。霊的成長を求める本当の信仰生活は――「霊優位の努力」から始まることになります。霊優位の努力は、宗教者ばかりでなく、地上人類のすべてに不可欠な実践内容と言えます。

これまで地上人類は、「霊優位(霊主肉従)」というシンプルであるけれどきわめて重要な真理を明確に知ることができませんでした。スピリチュアリズムによって初めて、霊優位の重要性と霊的成長の関係が明らかにされたのです。

2)「霊優位」を達成するための3つの修行方法

さて「霊優位」を確立するための手段(修行方法)として、3つの方向性が考えられます。1つ目は――肉体の力を弱めて、結果的に霊を優位の状態にしようとするものです。“肉体行”と言われるものの多くがこれに属します。断食行や断睡行、肉体を極限まで酷使する荒行は、肉体の力を弱めて霊優位をもたらそうとする修行です。2つ目は――肉体本能に歯止めをかけ、肉体本能の放縦を一方的に阻止しようとするものです。従来“戒律”と言われてきたものがこれに相当します。意志の力によって肉体本能を抑え込もうとするものです。宗教にはさまざまな戒律がありますが、その究極の目的は肉体本能に歯止めをかけて霊を優位にするところにあります。3つ目は――霊的エネルギーを取り入れて霊の力を引き上げ、霊の優位性を確保しようとするものです。「真理の学習・祈り・礼拝」などは、こうした形で霊の優位性をもたらします。

スピリチュアリズムで「霊優位」の確立のために最も勧めているのは、3番目の方法です。そして2番目の、意志の力によって肉体本能に歯止めをかけるという方法も重要視します。また状況によっては1番目の、肉体の力を弱める方法(肉体行)を用いることもあります。これは、より効果的に霊優位の状態をつくり出すための“補助手段”として利用します。これまで多くの宗教が1番目と2番目の方法を中心としてきたのに対して、スピリチュアリズムでは3番目と2番目の方法をメインとします。

「霊優位」を達成するための3つの修行方法

3)正しい霊優位と間違った霊優位

肉体を否定する間違った霊優位

「霊肉二元論」を説く宗教では、霊魂に価値があり、肉体には価値がないと考えるのが普通です。そして霊魂を肉体よりも上位に置き、重要性を持たせています。さらにそれがエスカレートして、肉体の全面否定というところにまで至ってしまうことがあります。

霊肉二元論のもとでは、しばしば霊魂は“善”と、肉体は“悪”と結びつけて考えられます。こうして霊肉二元論から「善悪論」が展開するようになります。その結果、霊魂に対立する肉体は徹底して軽視されたり、否定されるようになるのです。時には肉体は悪の権化・悪の根源のように忌み嫌われることもあります。従来の宗教の中には、こうした霊のみに価値を認め、肉体を否定したり嫌悪するといった傾向がよく見られます。

霊優位の重要性は言うまでもありませんが、それが今述べたような間違った方向にエスカレートすると、肉体を“悪”と見なして憎悪したり完全に否定するというようなことになってしまいます。キリスト教の一派や古代ギリシア宗教の一派(オルフェウス教)やマニ教などでは、肉体的欲望を徹底して否定し悪とします。しかしこうしたあり方は、決して正しい霊優位とは言えません。

肉体に対する正しい考え方と霊優位

スピリチュアリズムでは、霊肉の関係において「霊優位」を主張しますが、肉体を悪の根源とするような見方はしません。肉体も神によって与えられた必要なもの、霊的成長にとって不可欠なものと見なします。霊優位でなければなりませんが、肉体にも霊と等しい価値を積極的に認めるのです。

スピリチュアリズムにおける「霊優位」では、霊の力を高めて肉体をコントロールし、肉体を霊の支配下に置くことをメインとします。必要に応じて肉体の力を弱めることもありますが、肉体そのものを否定するようなことはありません。スピリチュアリズムでは霊も肉も、ともに神が与えた“善いもの”として認め、それらの間の力関係を重要視するのです。つまり霊が力を持つための努力や手段が、正しい霊的修行ということなのです。

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