5.『シルバーバーチの霊訓』の画期的な「再生観」
「再生」を認める立場と、「再生」を認めない立場
一度死んだ人間が再び地上に生まれてくる“人間の生まれ変わり”は、「再生」とか「輪廻転生」と呼ばれてきました。古来、世界各地の宗教が「再生」を説き、それは宗教における重要なテーマとされてきました。その中で、古代インド宗教の輪廻再生思想はよく知られています。
シャカによって始められた仏教は、古代インド宗教の流れを汲む一つの思想として輪廻の存在を大前提としています。シャカの思想は、輪廻のサイクルから脱け出せないために生じる苦しみをいかに克服するか、というところから出発しています。とは言え、シャカは生まれ変わりや死後の世界に関心を向けたのではなく、現世の苦しみをどのように克服すべきかをテーマとして教えを説きました。一般的には、輪廻のサイクルから脱け出すことを「解脱」と考えますが、シャカは、現世にあって苦しみを克服し平安な心の世界(涅槃・ニルバーナ)に至ることを「解脱」と解釈したのです。古代エジプト宗教も、古代インド思想と同様に輪廻転生を中心としており、ミイラは死者が再生したときの身体としてつくられたものです。
現在、地上で最も多くの信者を抱える世界宗教はキリスト教とイスラム教ですが、それらの宗教では、人間はいったん死を迎えると再び地上に生まれることはないとします。人間には一度限りの地上人生があるだけで、死後には別の運命が待ち受けていると考え、再生を否定します。人間は死後、墓に留まり、終末の時を待ち続けることになります。そして終末に“最後の審判”を受け、天国に行くか地獄に行くかが決められると信じてきました。
再生観(輪廻転生説)は「循環的他界観」と呼ばれます。それに対して、キリスト教やイスラム教のような一度限りの地上人生を想定するものは「直線的他界観」と呼ばれます。このように地上の宗教が説く来世観は、再生を認める循環的他界観と再生を認めない直線的他界観に二分されます。双方の違いは決定的であり、両者が歩み寄ることはありません。「再生」を認めるか認めないかで教義の内容は大きく異なり、信仰の姿勢も根本から違ってきます。驚くべきことにスピリチュアリズムでも、「再生」をめぐって長い間、肯定派と否定派が反目してきました。
多くの霊界通信を通じて形成されたスピリチュアリズムの「死後世界観」は、従来の宗教では説かれてこなかった数々の霊界の事実を明らかにしました。とは言え、霊界のすべてが解き明かされたわけではなく、地上人の霊性レベルに合った霊的知識が示されたにすぎません。地上人の霊性レベルからかけ離れた内容や、その時点の地上人には秘密にしておくべきと判断されたものについては、ベールで覆われ隠されたままにされました。「再生」の真相は、まさにそうした問題の一つだったのです。
スピリチュアリズムの霊界通信によって示された霊的知識の多くは、地上人が霊的成長をなすのに必要な基本的な知識です。しかし「再生」に関しては、スピリチュアリズムの初期においては時期尚早とされ、その真相はほとんど明らかにされてきませんでした。そしてスピリチュアリズムが地上で展開を始めて半世紀以上が経ってからシルバーバーチが登場し、それまで謎とされてきた「再生」の真相が解き明かされることになりました。シルバーバーチが登場する以前は、「再生」についてはスピリチュアリズムの中で最も難しい未解決の問題とされてきました。その最大の難問に、シルバーバーチは明確な見解を示しました。それは、従来の宗教では明かされることのなかった画期的な霊的知識でした。地球人類はシルバーバーチによって初めて、「再生」の真相を知る時代を迎えることになったのです。
スピリチュアリズム内部における再生論争
「再生」についてはスピリチュアリズムの内部でも諸説が入り乱れ、長い間、混乱状態にありました。同じスピリチュアリズムを標榜しながらも「再生観(再生論)」をめぐって対立し、英国系スピリチュアリズムとフランス系スピリチュアリズム(スピリティズム)に分裂してしまいました。スピリチュアリズムは、地上の宗教とは比べものにならないほど多くの霊的知識をもたらしましたが、そのスピリチュアリズムであっても「再生」の問題には長い間、決着をつけることができませんでした。「再生」は、スピリチュアリズムの中でも最後まで結論が出せなかった、きわめて難解な問題だったのです。
「再生」について、スピリチュアリズムの内部で共通の見解が得られず解決できなかった大きな原因は、最も信頼すべき霊界通信自体が「再生」を認めるものと否定するものとに分かれていたからです。霊界通信の内容が一致しないという状況は、スピリチュアリズムにとって深刻な事態でした。霊的認識能力が乏しい地上人が、再生現象の真相を知り得ないとしても当然と言えます。しかし、地上人とは比較にならない霊的認識能力を持った霊界人の間においても見解が一致しないということは、「再生」の問題が地上人の手には負えないほど複雑で難解なものであるということを意味しています。
*英国系スピリチュアリズムのバイブルと言われている『霊訓』は、再生を否定している霊界通信のように思われてきました。しかし、モーゼス(霊媒)の死後、スピーア夫人によって編集された『続・霊訓』には、インペレーター霊(通信霊)が再生の事実を認めていたことが明確に示されています。ただしインペレーター霊は「再生について詳細に述べることは時期尚早である」として、深入りしないようにしています。一方、モーゼスは当時の英国スピリチュアリズム界の代表的な人物であり、その彼が「再生」に否定的であったため、『霊訓』も再生を否定しているかのようなイメージがつくられてしまいました。
このように実際は、インペレータ-霊からの霊界通信(『霊訓』)は「再生」を否定してはいません。インペレーター霊は明らかに「再生」を肯定しています。
言うまでもなく、シルバーバーチは再生肯定派の代表格です。シルバーバーチは再生問題に関する霊界通信の不一致について、次のような説明をしています。
霊界にいる霊たちは、自分が所属する界層とそれ以下の世界のことしか分かりません。通信霊の中には、自分が知っていることが霊界のすべてだと思って通信を送ってくる霊がいます。通信霊の霊格にはピンからキリまであり、一口に“通信霊”と言っても、高い界層にいる高級霊から地上近くの幽界にいる未熟霊まで含まれます。こうしたさまざまな霊たちによる通信には、当然、その内容に大きな違いが生じることになります。これが「再生」に関する通信内容が一致しない原因です。
実は「再生」の真相については、霊界の高い界層にまで至らないかぎり理解できないようになっています。低い界層にいる霊には「再生」の事実は分からず、その真相を理解することなど到底できません。霊界下層には「再生はない」と思い込んでいる霊がたくさんいます。そうした霊たちが、自分の間違った見解をそのまま地上に送ってくるのです。地上に通信を送ってくる霊の多くは、幽界にいる霊たちです。幽界にいる霊たちは「再生」について全く分かっていません。しかしそうした未熟な霊たちも、霊性が進化して高い界層に至るようになると「再生」の事実に気がつき、それまでの見解を改めることになります。
このようにシルバーバーチは、霊界サイドの事情を説明して「再生」の問題についての霊的背景を明らかにしました。そのうえで「再生現象」に関する深遠な霊的事実を解き明かしました。
「再生」の真相を解き明かすカギは「類魂」
再生についての真実を解明するキーワードは、「類魂(グループソウル)」です。霊界の界層では、同じ霊的成長レベルに至った者同士が集まって一つの「霊的グループ(霊的家族)」を形成し、共同生活を営むようになります。スウェーデンボルグはすでに霊界のグループ(霊的家族)の存在を認識しており、それについて述べています。スピリチュアリズムの霊界通信でも、多くの霊たちが霊的グループの存在を明らかにし、そこでの生活がいかに素晴らしいものであるかを伝えています。
「再生」はスピリチュアリズムの中でも大きなテーマの一つであり、その真相は、今述べた「霊的グループ(霊的家族)」の存在を抜きにして語ることはできません。霊的グループ(霊的家族)では、メンバーの間に共通の意識が形成されるようになります。霊的家族である霊たちの意識が集合して、一つの大きな意識がつくられるようになるのです。これは霊界特有の現象で、地上ではあり得ないことです。
霊的家族では、他のメンバーと自分の心(意識)が融合して“大きな心(意識体)”が形成され、各自はその大きな心(意識体)を共有するようになります。これが「類魂(グループソウル)」です。「類魂」とは、集合化した“大きな意識体(心・魂)”のことなのです。「類魂(共有意識)」の中では、自分が他人と一つとなり、他人が自分と一つとなってしまうような心の融合現象・意識の融合現象が発生します。地上とは異なり霊界では、霊的家族である一人一人の心が集合化して、一つの大きな意識体を形成することになるのです。
「類魂」に関する霊的知識は、スピリチュアリズムの中で最も深遠なものです。物質的感覚に支配されている地上人に「類魂」という純粋な霊的現象を正確に説明することは不可能です。それがこれまで「類魂」の事実を正しく伝えることができなかった最大の理由です。そのため「類魂」については、現段階の地上人の霊性レベルと知性では理解できないものとして長い間、その真相は意図的に知らされずにきたのです。
画期的なマイヤースの「再生観」
20世紀に入りスピリチュアリズムの歴史が半世紀以上経ったとき、マイヤース霊からの霊界通信によって「再生」の真相解明が一気に進められることになりました。マイヤースを通じて初めて「類魂」の事実が明らかにされました。これはスピリチュアリズムにとって画期的な出来事でした。「類魂」に関する事実が分からなければ、「再生」の真相を解明することはできません。それまでスピリチュアリズムの内部で再生問題に明確な結論を出すことができなかったのは、「類魂」の事実が地上人にはっきりと示されてこなかったからです。
「類魂(グループソウル)」とは、霊格(霊的成長度)が等しい霊たちのグループ(霊的家族・霊たちの集合体)における“共有意識”のことです。地上世界では他人との間で意識を共有するということはあり得ませんが、霊界ではお互いの意識が融合して一つとなり、“大きな意識体”が形成されるようになります。そして一人一人の霊は、その融合した大きな意識を共有することになります。そこでは“私”と“グループ全体”の意識が一つとなり、“私”と“他のメンバー”の意識が融合しています。まさに「個=全体」「私=あなた」という世界が出現するのです。
霊界では、霊格が等しい霊たちが集まって「霊的家族(霊的グループ)」を形成していることが、さまざまな霊界通信によって示されてきました。スウェーデンボルグをはじめ『霊の書』や『霊媒の書』、また『霊訓』などでもその事実が明らかにされています。マイヤースは、そうした霊的家族における共有意識(類魂・グループソウル)の事実を人類史上、初めて明らかにしました。そしてこれまで人類に示されてこなかった「類魂」に基づく画期的な「再生観」が、マイヤースによってもたらされることになったのです。
マイヤースは「類魂」について、次のような説明をしています。
「たった2回や3回の地上生活では(※霊的成長のための)十分な経験は得られないのではないか――そうおっしゃる方がいるかもしれない。が、その不足を補うための配慮がちゃんとなされているのである。(中略)その矛盾を解くのが私の言う類魂の原理である。我々はそうした無数の地上的体験と知識とを身につけるために、わざわざ地上へ戻ってくる必要はない。他の類魂が集積した体験と知識を霊界にあって我がものとすることが可能なのである。(中略)
私自身はかつて一度も黄色人種としての地上体験を持たないが、私の属する類魂団の中には東洋で生活した者が何人かおり、私はその生活の中の行為と喜怒哀楽を実際と同じように体験することが可能なのである。その中には仏教の僧侶だった者もいればアメリカ人の商人だった者もおり、イタリア人の画家だった者もいる。その仲間たちの体験を私がうまく吸収すれば、わざわざ地上へ降りて生活する必要はないのである。
こうした類魂という“より大きな自分”の中に入ってみると、意志と精神と感性がいかにその威力を増すものであるかが分かる。自我意識と根本的性格は少しも失われていない。それでいて性格と霊力が飛躍的に大きくなっている。」
(*マイヤースの類魂説と再生観は、『永遠の大道』4章・6章・7章、『個人的存在の彼方』第1部の4章・6章、第2部の1章で取り上げられています。)
マイヤースは――「地上人生を終えた霊的家族の1人(類魂を形成するメンバーの1人)が死後、その体験を類魂に持ち帰ることによって類魂全体が一歩、向上することができるようになる」と述べています。マイヤースは、「再生」が類魂全体の霊的成長のために引き起こされる現象であることを明らかにしました。「再生」とは、個人的な霊的成長を目的として行われるものではなく、類魂全体を一つの単位として引き起こされる「共同の霊的進化のシステム」であることが初めて明確にされたのです。
このようにマイヤースの「再生観」は画期的なものでしたが、そこにはさまざまな問題点や欠陥も含まれていました。シルバーバーチはそれらを修正して、スピリチュアリズムの「再生観」を完成させることになったのです。
*もし、マイヤースの「類魂説」とそれに基づく「再生観」がスピリチュアリズムの地上展開の初期に登場していたなら、英国系スピリチュアリズムも頭から再生説を否定するようなことはなかったでしょう。フランス系スピリチュアリズムの再生説とも接点が持てたかもしれません。しかしマイヤースの類魂説と再生観は、スピリチュアリズムの初期には時期尚早だったのです。
マイヤースの「再生観」の問題点
シルバーバーチは「再生」の事実を強力に説いています。ある日の交霊会で「あなた(シルバーバーチ)が言う類魂は、マイヤースと同じものですか?」との質問に対して、シルバーバーチは「全く同じものです」と明確に答えています(*『シルバーバーチは語る』19章)。しかしこの答えは、シルバーバーチの再生観とマイヤースの再生観の内容が100%同じであるということを意味しているのではありません。シルバーバーチが明らかにした再生観と比較してみると、マイヤースの再生観にはさまざまな間違いや矛盾が見られます。
マイヤースは、人類史上初めて「類魂」の事実に基づいて「再生」の真相を明らかにしました。類魂説を土台として再生現象を解き明かしたマイヤースの「再生観」は、まさに画期的なものです。それは、従来の宗教が説いてきた再生観・輪廻観とは根本的に違っています。しかしその画期的な再生観にも、不十分な内容や矛盾する点、曖昧な部分があります。
マイヤースは、「霊界の同一界層で共同生活を送る霊的家族の1人が、地上での体験を類魂に持ち帰ることによって、類魂全体の霊的成長が促されるようになる」と説きました。シルバーバーチが「自分の再生観はマイヤースと同じである」と言ったのは、この点についてです。マイヤースの再生観は再生現象の一面を解き明かしただけであって、再生に関する別の重要な内容についての説明には矛盾と曖昧さが見られます。
その一つが、個人レベルにおける「カルマの清算」に関する内容です。「カルマ」とは前世の地上生活における摂理への違反行為によって生じるものですが、再生はこの「カルマ」を清算することを大きな目的としています。しかしマイヤースの再生観には、この点についての明確な説明はありません。『霊の書』では「再生」と「カルマの清算」について徹底的に説明していますが、マイヤースにはそれがほとんどありません。部分的な説明はあるものの、矛盾が見られます。
霊界の霊たちは「類魂」の構成員になることで、他のメンバーの地上体験を共有し、自らの霊的成長が促されることになります。個人の体験をはるかに超えた多くの体験を自分のものにすることによって、霊的向上が促進されるようになるのです。こうした意味で「類魂」は、同一霊格の霊たちが共同成長をするためのシステムと言えます。
さて、ここで問題となるのは、霊的家族の構成員が地上でつくった「カルマ」を持っている場合、それはどのようにして償われるのかということです。「個人のカルマは、どのようにして清算されるのか?」ということです。マイヤースの再生観では、個人のカルマ清算と類魂全体の霊的向上の関係については、明瞭な説明はなされていません。それどころか、矛盾した言い方さえしています。「再生」は類魂全体としてみたときには存在しても、個人としての「再生」はないかのような言い方をしています(*この点については、シルバーバーチの交霊会でも取り上げられています。『シルバーバーチの霊訓・4』p58 参照)。その一方で、1人の人間が数回にわたって地上へ再生することがあるかのように述べている箇所もあります。
このためマイヤースの霊界通信を克明に読めば読むほど、次々と混乱が生じるようになります。「カルマ清算」は霊的成長のうえできわめて重要な要素ですが、マイヤースはこの問題に対して答えを示していないのです。それについては分からなかったのかもしれません。シルバーバーチは「カルマ清算」という重要な問題を解明し、マイヤースの不備を補って「再生観」を完成させることになりました。
シルバーバーチが明らかにした「再生」の2つの目的
「カルマ」は霊的成長の足かせとなり、霊的成長を妨げます。カルマを償って帳消しにしたとき、霊的成長のプロセスがリセットされることになります。霊的成長をなすためには、それ以前につくってしまったカルマを清算することが不可欠なのです。
「カルマ清算」は、摂理違反に相当する苦しみを体験することによってなされます。地上人生では誰もが次々と苦しみや困難に遭遇するようになりますが、その多くがカルマを清算するために摂理の働きによって引き起こされるものです。地上人が体験する大きな苦しみは、「カルマ清算」のために発生したものなのです。地上人には苦しみは不幸としか思えませんが、霊的観点から見ると苦難の体験は、カルマを償って霊的成長を促してくれるありがたいものと言えるのです。
霊的成長のためには地上世界における新しい体験だけでなく、「カルマ清算」という埋め合わせのプロセスが必要となります。霊界の霊的家族の一員が大きなカルマを持っている場合には、それが「類魂」としてさらなる霊的成長を目指すうえでの足かせとなります。1人のメンバーの「カルマ」が、類魂全体の霊的成長を足止めすることになってしまうのです。
では、その「カルマ」は、他のメンバーが代わって清算することは可能なのでしょうか。結論を言えば、「カルマは、それをつくってしまった本人が清算しなければならない」ということです。自分が犯した摂理違反は、自分自身が苦しみを持って償うというのが「神の摂理(自己責任の法則)」なのです。他人にカルマの清算を肩代わりしてもらうことはできません。
そこで「カルマ」をつくった本人が地上へ再生し、苦しみの体験を通して自らのカルマを清算することになります。実は再生者の多くが、「自分のカルマ清算」と「類魂全体の霊的成長のための新しい体験」を求めて地上人生を歩んでいます。1人の人間が、2つの目的(本人のカルマ清算と類魂全体の霊的成長)を同時に果たすようになっているのです。
こうしてシルバーバーチによって初めて、「再生」の目的が明らかにされることになりました。地球人類は『シルバーバーチの霊訓』によって、「再生」に関する真実を明確に知ることが可能となりました。マイヤースが説いた再生観の矛盾や問題点が解明され、完成した再生観が示されることになったのです。こうした点を踏まえてシルバーバーチとマイヤースを比較してみると、その霊格と知性において、大ベテランと新人ほどの大きな差があることが分かります。
*今述べたように「再生」には2つの目的がありますが、『霊の書』では「カルマ清算」にウエイトを置き、一方、マイヤースの霊界通信では「類魂全体の共同成長」にウエイトを置いて再生が論じられています。
シルバーバーチが明らかにした、驚くべき「再生現象」のメカニズム
マイヤースの再生観にはさまざまな矛盾や問題点がありましたが、シルバーバーチの「再生観」によってそれらが克服されることになりました。さらにシルバーバーチは、マイヤースの再生観を補完しただけにとどまらず、「再生現象」の複雑なメカニズムの真相を初めて明らかにしました。「再生」についての真相解明は、再生の目的と同時に再生のメカニズムが明確になったときに達成されることになります。
「再生」には地上人の理解の範囲を超えた複雑な事情があり、地上サイドからそのメカニズムを理解することは不可能です。そのためスピリチュアリズムの内部に混乱が発生し、再生肯定派と再生否定派に分かれて対立状態が続くことになりました。シルバーバーチは「再生」に関する複雑で深遠なメカニズムを、地上人が理解できる次元にまで降りて説明してくれました。
再生現象のメカニズムを論じるうえで最も重要な点は――「いったい何が再生するのか?」ということです。常識的に考えるなら、「前世と同じ人間が、次の地上人生においても現れる」ということになりますが、シルバーバーチはそうした「再生」の常識を根底から覆しました。地上人が考えるような「同一人物・同一意識を持った人間の再生はない」と言うのです。
シルバーバーチは、何が再生するのかについて次のように述べています。
「ただし再生するのは個的存在の別の側面です。同じ人格がそっくり再生するのではありません。ここに1個の意識的存在があって、そのごく小さな一部がちょうど氷山のように地上に顔を出します。それが誕生です。残りの大きい部分は顕現しておりません。次の誕生、つまり再生の時にはその水面下の別の一部分が顔を出します。2つの部分に分かれても個的存在全体としては1つです。これが霊界において進化を重ねていくと、その潜在している部分全体が顕現した状態となります。」
シルバーバーチは――「再生とは、今と同じ人格的存在が次の地上人生において現れることではない」と述べています。それは言い換えれば「次の地上人生で現れるのは別の人間である」ということです。シルバーバーチは、この難解な問題についてさらに詳しく解説しています。
シルバーバーチは、人間の意識を「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」に分けて説きます。「インディビジュアリティー」とは人間の「意識の総体」のことであり、肉体を持たない霊界人の意識がそれに相当します。肉体を持つ地上人は、この「インディビジュアリティー」をそのまま自覚することはできません。地上人は“脳”という物質を通して“意識”を自覚するようになっているからです。地上人が“自分”だと思っている意識(心)は、“脳”という物質を経てにじみ出た「インディビジュアリティー」のほんの一部分にすぎません。地上では、こうした意識(霊的意識の一部分)に肉体本能的意識が加わって顕在意識が形成され、“物質的な人物像”が表現されることになります。これが「パーソナリティー」です。
地上人は、この“物質的な人物像”が自分自身であり、自分のすべてであると考えます。再生を認める大半の人々が、再生とはこの「パーソナリティー」が次の地上人生においてそのまま出現することであると思っています。すなわち「今と同じ意識の持ち主が、次の地上人生にも現れる」「現在の自分が、そっくりそのまま再生する」と考えるのです。これは「機械的再生論」と呼ばれるもので、従来のほとんどすべてがこの再生論でした。
しかし、シルバーバーチは「機械的再生論」を否定します。現在の人物像である「パーソナリティー」は一回限りのもので、死後には「パーソナリティー」は「インディビジュアリティー」の中に吸収され消滅することになると言います。シルバーバーチによれば、「再生時には、今の意識を持った人間とは別の人間(人物像)が現れる」ことになります。“自分”という意識を基準にするなら、再生時には別の人間が現れるということであり、「今のあなたは過去には存在しなかった」すなわち「前世はなかった」ということになります。再生時に現れるのは、地上では自覚できない「大きな意識体(インディビジュアリティー)」の別の一部分であって、“今のあなた”ではありません。これがシルバーバーチが明らかにした「再生」の真相です。
「再生」の真相はあまりにも複雑で地上人の理解を超えた内容であるため、これまでベールに包まれてきました。その再生現象の真実が、シルバーバーチの登場によって初めて明らかにされることになりました。シルバーバーチは、マイヤースが示すことができなかった「再生」の事実とそのメカニズムを、地球人類のために解き明かしてくれたのです。
シルバーバーチによる、スピリチュアリズム内部の再生論争の決着
シルバーバーチが示してくれた知見(再生観)によって、それまでの再生肯定派の見解にも再生否定派の見解にも、それなりの正当性があることが明らかになりました。再生現象を「インディビジュアリティー」の観点から見るなら、「再生」とは「インディビジュアリティー」の別の部分が地上に現れることであり、その意味からすれば再生は間違いなく事実であるということになります。
しかしこれまで、そうした観点から「再生」を考えてきた地上人はいませんでした。古代インド思想をはじめとする再生肯定派の見解の多くは「機械的再生論」であり、再生の事実に立脚したものではありませんでした。再生を認める人のほとんどが「今と同じ人間が再生時にも現れる」と考えていますが、それは事実ではありません。彼らが今“自分”だと考えている人間は、過去(前世)には存在しなかったのです。その意味からすると、これまでの再生肯定派の見解は間違いであったということになります。「再生がある」と主張すること自体は正しいのですが、彼らが考える「再生」は間違いであり、そうした「再生」は実際には存在しません。再生肯定論者はこれまで、事実とは違う的外れな「再生」を信じてきたのです。
それに対して再生否定論者は、「再生自体を否定する」という点で間違いを犯してきました。とは言っても、これまでの再生肯定論者の間違った再生観を否定したという点では正しかったのです。世の中の大半の再生論は「パーソナリティー」を中心とする機械的再生論であり、それは事実ではありません。こうした意味で、再生肯定派も再生否定派も共に間違いを犯し、同時に両者とも部分的には正しいことを主張してきたということになります。
シルバーバーチは、再生現象の複雑な事実を詳細に示すことによって、スピリチュアリズム内部の再生論争に決着をつけました。シルバーバーチによって初めて「再生」の真相が明らかにされ、「真実の再生論」がもたらされることになりました。こうした点で『シルバーバーチの霊訓』の登場は、まさに画期的な出来事でした。『シルバーバーチの霊訓』は、地球上のすべての宗教思想の中で文句なしに最高峰と言えます。数あるスピリチュアリズムの霊界通信の中で、頂点に位置するものです。シルバーバーチが説いた「再生観」は、『シルバーバーチの霊訓』がこれまでの宗教思想や他の霊界通信とは次元が異なるものであることを証明しています。
「再生」をめぐる、さまざまな霊界通信の比較
ここまで「再生観」に関するさまざまなスピリチュアリズムの霊界通信の見解を見てきました。ここでそれらをもう一度整理し、比較します。それによってシルバーバーチの「再生観」がスピリチュアリズムにおける最終的見解であり、集大成であることが明確になります。
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