霊と招霊に関するQ&A
4.霊の姿を見ること
ニューズレター第22号
一般の人々は霊の姿を見ることはできませんが、一部の「霊視能力者」は、霊の姿を見ることができます。そして招霊した際に、あの世にいる先祖の姿や特徴を正確に言い当てることもあります。
霊は時に半物質(エクトプラズム)で身体を形成し、普通の人にも見えるような特殊な姿(幽霊)で出現することがあります。人々は霊の姿を見るとたいへん驚き、つい
しかし「霊的真理」を知ったスピリチュアリストが、そうであってはなりません。霊は常に私達のすぐ側にいることを知っているのですから、霊の姿が見えたり、幽霊が現れたとしても、それを当然のこととして受け止めなければなりません。霊は目には見えなくとも、絶えず私達の周りに存在しているのです。
さらに重要なことは、地上人の一人一人に「守護霊」が付き添い、守り導いてくれているという事実です。この守護霊はまさに霊(幽霊)ですが、それを怖がることは滑稽としか言いようがありません。守護霊の存在を信じている者が、幽霊の出現に驚くようなことはナンセンスです。
霊能者の霊視能力は、みな同じなのか
霊能者は本当に霊の姿を見ることができるのでしょうか?
できます。霊能者でなくても、睡眠中には大半の人々は“幽体離脱”の状態で、霊界の霊達と会っています。そのときはもちろん相手の姿を見ています。しかし覚醒中に霊の姿を見るためには“霊視能力”という特殊な能力が必要となります。この能力を持った人が「霊視能力者」なのです。霊視能力がなければ、覚醒中に霊の姿を見ることはできません。
霊視能力者が霊の姿を見る場合、どの界層次元に霊視力をフォーカスできるかによって、見える霊が違ってきます。低い界層の霊の姿しか見られない霊能者もいれば、高級霊界の霊を見ることができる霊能者もいます。霊能者が「霊の姿を見ることができる」と言っても、霊視能力のレベルによって、その実状は全く異なるということなのです。低い世界の霊しか見えない霊能者には、高級霊がすぐ側に来てもその姿を見ることはできません。あるいはまぶしいほどの光源として認識するだけで、その姿を具体的に見ることはできないのです。
私達の周りにいる霊視能力者の大半は、低い次元の霊しか見ることができません。大多数の霊能者の目に映るのは“低級霊”の姿です。高い世界に視力を合わせられる霊能者であれば幅広い界層の霊の姿を見ることができますが、そこまでの霊視能力を持った霊能者はめったにいません。
この後で述べますが、低俗な霊能者が「高級霊の姿を見た」と言っても、それは低級霊がつくり出した化身体を、本物と錯覚しているに過ぎません。低級霊にまんまと騙されているのです。
霊が姿を見せる目的は
霊が、地上人の前にわざわざ姿を見せる目的は何なのでしょうか?
それは、霊それぞれによって違います。低級霊が、地上人を怖がらせたり、復讐しようというような悪意から姿を見せる場合があります。
また地上人にとっての罪の償いとして、霊の出現が許されることがあります。利己的な動機から人を死に追いやった場合など、殺された霊が地上人の前に姿を現します。その結果として、地上人に
死別したことを悲しみ続けている地上人を慰めるという目的から、他界した霊が姿を見せることもあります。自分は死後もちゃんと生きていて、いつも側にいることを知らせようとするのです。
善霊が姿を見せるのは、死後の世界の存在を人々に知らせるためです。人間は肉体の死とともに無に帰すのではなく、死後も個性を携えて存続していることを教えるためです。スピリチュアリズムにおける交霊会は、もっぱらこの目的のためにあります。
幽霊や心霊写真がつくられるメカニズムは
普段は肉眼では見えない霊が、幽霊となって一般の人々に見えたり、そこにいるはずのない人間が写真に写ることがあります。こうした幽霊や心霊写真は、どのようなメカニズムで形成されるのですか?
霊が地上人の肉眼に映じるようになることを「霊の物質化現象」と言います。幽霊も心霊写真もともに物質化現象によるものです。霊はエクトプラズムという特殊な半物質を地上の霊媒体質者から取り出して利用し、自分の身体や衣服をつくるのです。(*霊本人が無意識のうちにつくり出すこともあれば、霊界の複数の技術者達がつくることもあります。)
エクトプラズムの物質性が希薄なときには、ある程度は霊視能力を持った人でなければ霊の姿を見ることはできません。しかしエクトプラズムの物質性が濃厚なときには、誰にでも見ることができます。それだけでなく物質化した霊の身体に触れたり、握手するようなこともできます。
ここで大切なことは、幽霊が形成されたり心霊写真が撮られたりするときには、エクトプラズムを提供する「霊媒体質者」が必ず近くにいるということです。実は幽霊を見て驚いたり、霊障で苦しんでいる本人自身が霊媒体質者であることが往々にしてあるのです。自分が無意識のうちに提供したエクトプラズムによって幽霊が出現し、それを見て自分自身が驚いているのです。
また最近注目された“霊界テレビ”の現象も、これと全く同じメカニズムで画像が映し出されたものです。霊の映像化が成功する陰には、必ずエクトプラズムを提供する霊媒体質者がいるのです。
地上人が幽霊を怖がるのを、霊界側はどのように見ているのか
世間ではよく幽霊が出現して大騒ぎとなりますが、霊界にいる霊達は、地上人が幽霊を怖がるのをどのように見ていますか?
霊によってさまざまです。善霊ならば、地上人の悲しみを慰めてあげようとしたことが、結果的に地上人に不安や恐怖を与えることになったのを見て残念に思うでしょう。反対にイタズラ霊や低級霊は、地上人が怖がるのを見て喜び満足するでしょう。そしてもっと怖がらせるにはどうしたらいいのかと、悪知恵をめぐらすことでしょう。
また霊的無知から地縛霊となっている未熟霊が、たまたま自分の近くに霊媒体質者が来たために、無意識のうちに物質化され自分が幽霊となってしまうようなケースもあります。そうしたケースでは、おそらく霊自身が動揺したり、何が何だか分からなくて混乱することになるでしょう。
いずれにしても、出現するのがどのような霊であれ、幽霊の方が地上人より危険性が少ないことは、ちょっと考えてみれば分かることです。霊はどこにでもいます。皆さんのすぐ側にもいます。見えるか見えないかの違いがあるだけのことなのです。したがって「霊的真理」を知った者が、幽霊を見て怖がるようなことがあってはなりません。本当に怖いのは、低級霊を呼び寄せる地上人の“醜い心・利己心”なのです。
幽霊と対話をしてもいいのか
もし霊が幽霊として現れたとき、その霊と対話をしてもいいのでしょうか?
もしそれが明らかに“低級霊”と分かるときは、無視して相手にしないことです。こちらが相手にしなければ、邪悪霊はそのうち姿を消してしまいます。
それとは反対に、単に霊的無知のために“地縛霊”となっている霊に対しては、ぜひとも対話をしてやるべきです。「名前は何と言うのか」「何の用事なのか」「何か役に立つことはないのか」など質問してみることです。辛いことや苦しいことがあれば、それを聞き出し、霊的自覚を持たせるために真理を語って聞かせることもできます。
その場合、現場に霊媒がいるならば、地上人と同じように“言葉”で語り合うことができますが、そうでないときは、霊聴能力やテレパシー能力を用いて対話を行うことになります。こうした能力がない場合には、普通は霊との対話はできません。
霊視能力者は、意識的に霊の姿を見ようとするのか
霊能者が霊の姿を見る場合、意識的に見ようとするのでしょうか? それとも意識しなくとも自然に見えてしまうのでしょうか?
霊視能力のある者は、普通の状態(覚醒中)でも、霊を見ようと思えば見ることができます。しかし実際には、うつらうつらしかけたような“半トランス状態”で見ていることが多いのです。その方が霊的視力が働くからです。特に霊視を始めたばかりの頃は、半トランス状態で霊を見るのが普通です。
霊視能力者が霊姿を見るといっても、肉眼で相手の霊の姿を見ているのではありません。霊能者本人はそう思っているでしょうが、実際は“霊的視力(霊眼)”で見ています。その証拠に、目を閉じても霊の姿が見えるはずです。
やがて霊視能力者は霊視に慣れるようになると、霊を見ようとして意識を集中するだけで霊の姿を見られるようになります。望遠レンズのピントを合わせるのと同じようなプロセスで霊を見ることができるのです。つまりある程度「霊視をコントロールできるようになる」ということです。
それに対して“憑依現象”などでは四六時中、一方的に霊の姿が視界に映ずるようになり、日常生活に支障をきたすことになります。これは明らかに異常な状態です。本人は霊の姿を見たいと思わないのに見えてしまったり、霊の声を聞きたいと思わないのに聞こえてしまうのです。
正常な霊視能力とは、どこまでも自分自身でコントロールできるものを言います。
詳しく知りたい
- スピリチュアリズムの心霊現象論霊視現象
霊視能力は訓練で身につくものなのか
霊視能力は、訓練によって発揮できるようになるものでしょうか?
他のすべての能力と同じように、訓練しだいで発揮できるようになります。しかし、なるべくなら自然な発達を待つ方がよいのです。霊能力を発揮させようとする意欲が強すぎると、想像力をかき立てて妄想を生む恐れがあります。そして低級霊や邪霊の格好の
長期の断食・激しい滝行・その他の肉体的苦行によって、一時的に霊視能力が開かれることがありますが、あまりよいことではありません。霊視力を日常的にいつでも使用できるほどの人は、現在の地上人ではごく稀な人間であって、普通は霊能者といっても、そこまでの霊視能力は持っていません。
大切なのは、そうした霊能力よりも「霊的真理」を正しく理解し、人々への奉仕にエネルギーを向けるということです。霊的能力を持つことより、真理の実践によって霊性を高めることなのです。心を高める努力こそ「真の霊的修行」であり、それに専念するうちに自然な形でサイキック能力が身につくようになります。いつの間にか霊的能力が発揮できるようになります。そうした霊的能力は、自己コントロールのともなう正常なものです。
病人は霊を見やすくなるのか
病気になると霊を見やすくなるそうですが、本当でしょうか?
霊視能力のある人ならば、健康なときでも見えることがありますが、そうした能力がない人でも、病気の状態では肉体が弱り、物的な束縛が緩んで霊的感性が敏感になるため見えるようになるのです。病気になって肉体が弱ると“霊的視力”ばかりでなく“霊的聴覚”も敏感になり、霊の声を聞き取れるようになります。
ちょうど長期の断食などで肉体が弱ると、一時的に霊視能力が開かれるようになるのと同じことです。