霊と招霊に関するQ&A

1.死の直後の霊の気持や様子

ニューズレター第22号

ここでは死んで間もない霊達が、自分の死体や葬儀・法事など、自分自身に関する事柄をどのような思いで眺めているのかを見ることにします。死の直後の霊の様子を知っておくことは、先祖供養や招霊に関する基本です。

霊は自分の死体を見て、どのように思うのか

霊は自分の死体を、どのような気持で眺めますか?

自分が死んだことを自覚できた霊は、肉体を脱ぎ捨てて、さっぱりしたような気持になるのが普通です。自分の肉体が野ざらし状態に置かれ、腐敗していくのを見る場合もありますが、そうしたときでも自分の肉体に対しては無関心です。「どうでもいい」という感じです。もっとも死を自覚できていないときには、何がなんだか分からずに混乱したり、単なる夢を見ているに過ぎないと思います。

世の中には、「先祖が成仏できずに、もっと立派な墓をつくって欲しがっている」などと言う霊能者がいますが、それは嘘をついていると思って間違いありません。インチキ霊能者です。

霊は自分の葬式に出席するのか

霊は自分の葬式に出席するのでしょうか?

出席するケースがよくあります。いまだに死の自覚ができていない霊の場合は、死にともなう意識の混乱状態の中にいるため、出席しても状況が理解できないのが普通です。人々が集まって誰かの葬式をしていることはぼんやりと理解できても、それが自分の葬儀であるとは分からないことが多いのです。

また自分の死を自覚して葬儀に参加するケースもあります。地上時代に大勢の人間に囲まれて生きてきた霊は、自分の葬儀にたくさんの人々が集まり、長蛇の列ができているのを見て、生前と同じように得意な気持になることもあります。もっともそうした世俗的な満足心は、やがて恥ずかしさに変わるのが普通です。

霊は遺族の遺産相続の会合に立ち会うのか

霊は自分の死にともなう“遺産相続”の会合に立ち会うものでしょうか?

自分の葬儀に出席しなかった霊も、自分の遺産相続の会合には必ず立ち会います。本人に対する教育の意味から、また地上時代の生き方の反省を促すために、あるいは遺族の実態を見せつけるために、高級霊や指導霊が参加させるように取り計らいます。 

多くの霊は、遺産相続の場であらわになる親族の強欲さや醜態を目の当たりにして、彼らが自分に向けていたのは本当の愛情ではなかったことを知って愕然がくぜんとします。

霊は自分の銅像や石碑がつくられるのを喜ぶのか

故人を記念した銅像や石碑が建立されることがありますが、当の霊自身はそれを見て喜ぶのでしょうか?

大半の霊は、自分の銅像や石碑がつくられるのを名誉と思うようなことはありません。それよりも、自分のことを思ってくれている地上人の気持そのものを、ありがたく感じるものです。自分に向けてくれる愛情を嬉しく思うのであって、銅像や石碑には特別な感動を覚えることはありません。

どのような霊でも、地上の縁ある人々によって自分に対する記念の行事が行われるのは嬉しいものですが、それはその際に自分のことを思い出し、自分に愛情を向けてくれるからです。

霊は地上時代の自分の作品を誇りに思うのか

地上時代に有名だった芸術家や作家は、死後もそれを誇りに思うものでしょうか?

芸術家や作家一人一人の霊性によって違いますが、死後一定の期間を経て霊的意識が明確になると、大半の人々は地上時代と考え方が根本的に変わるようになります。そして自分のかつての作品には“霊的価値”が全くなかったことを知って、そのお粗末さに嫌気がさすようになります。地上時代の作品に恥ずかしさを感じるようになるのです。これが霊性の低い多くの芸術家・作家の実情です。

霊は自分の法事に参加するのか

霊は自分の死後、定期的に行われる法事に参加するものでしょうか?

地上で自分のために親類・縁者が集まってくれるならば、当の霊は人々の念に引き付けられてその場に赴きます。しかし参加者が単に義理で集まっているようなときには、そうした場所には行かないでしょう。心から自分のことを祈念してくれる一人一人のもとを訪れます。

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