霊と招霊に関するQ&A
2.霊が出現する場所
ニューズレター第22号
「先祖の霊は、一体どこにいるのでしょうか?」――これは、すでにスピリチュアリズムに導かれた私達にとっては、あまりにも常識的すぎる質問ですが、一般の人々はよくこうした疑問を持ちます。
言うまでもないことですが、先祖の霊は霊界にいます。なかでも先祖供養の対象となる地縛霊や、招霊会でひんぱんに登場する低級霊・未熟霊は、地上近くの下層域(幽界)にとどまっています。
そうした霊界の下層にいる霊達は、地上のどのような場所を好み、どのような場所に引き付けられるのでしょうか。また、どのような場所に出現するのでしょうか。
死の直後の霊の、特定の場所への執着について
死んで間もない霊が、自然に引き付けられる地上の場所や、好みの場所があるのでしょうか?
死の直後の相当数の霊は、地上の特定の場所への執着を残しています。そして長年住んでいた家にしばらくとどまることになります。また一時的に墓にいる場合もあります。
やがて自分が死んだことを自覚し、霊本人の関心が“物”から“霊”へと変化するようになると、自動的に地上への執着が薄れ、地縛状態から脱します。そして霊の世界へと赴き、幽界でさらに地上臭を拭い去ることになります。こうして身体と意識の霊的浄化のために、一定の期間を費やすのです。
地縛霊は必ず邪悪霊なのか
先祖の霊が、墓や仏壇などへの執着を持っている場合、その先祖は“邪悪霊”になっていると考えるべきでしょうか?
一概にそうとは言えません。霊性の発達程度は低くても、性格的には邪悪性がない霊もいます。それは地上でも同じではないでしょうか。“地縛霊”は地上的な感覚からすれば、むしろ善人(よい人)と言えるような人間である場合が多いのです。この世的にあまりにも真面目すぎたり、保守的な性格が災いして、間違った宗教的教えをいつまでも持ち続け、それが結果的に不幸を招くことになるのです。こうした霊性の未熟さと霊的真理への無知が、地縛霊となる大きな原因となっています。つまり「悪い性格でなくとも地縛霊になる」ということです。
一方“邪悪霊”と呼ばれる低級霊は、同じ地縛霊でも性格が悪く、地上人にさまざまな有害な影響をもたらします。また邪悪性はそれほど強くなくても、性格的にイタズラ好きで、地上人を困らせては喜ぶといった地縛霊もいます。これも地上人に混乱を巻き起こし、害を及ぼします。このような地縛霊は、まさに地上人にとっての厄介者です。
地縛霊は寂しい場所に多くいるのか
よく霊は廃墟のような暗く寂しい場所を好むと言われますが、これには何か根拠があるのでしょうか?
根拠はありません。霊がそうした場所へ行くことはありますが、特に好んで行くわけではありません。霊はどこへでも行きます。そういうことが言われるようになったのは、廃墟のような場所に漂う哀愁や悲愴感が人間の想像力をかき立て、霊がさ迷っているかのように感じられるからです。
人間は恐怖心から、木の影を幽霊と錯覚したり、動物の泣き声や風の音を幽霊のうめき声と思い込むことがありますが、それは人々が勝手につくり上げた想像的イメージに過ぎません。霊はどちらかと言えば、寂しい場所よりも、にぎやかな場所の方を好みます。人里離れた寂しい場所に「幽霊が出現する」と騒がれることがありますが、その多くは事実ではありません。
もっとも霊にもいろいろな性格の者がいて、なかには人間嫌いから、人のいる場所よりも人のいない寂しい場所を好む者もいます。そうした事情は地上人と全く同じです。霊にも自由意志があり、各自の好みがあります。したがって幽霊が寂しい場所に現れたという話が事実であるとするなら、その霊が孤独の中で暮らしたがっているというだけのことです。
はっきり言えることは、霊は寂しい場所よりも、都会のような人間が大勢いるにぎやかな場所にいる方が圧倒的に多いということです。“地縛霊・低級霊”は、田舎より人間の欲望が渦巻く都会にたむろしています。特に、歓楽街・娯楽施設・遊技場・お参り場所・祈祷所といった、人の込み合う場所に集まっています。
世間でいう“心霊スポット”とは
テレビではよく幽霊が出る場所(心霊スポット)が取り上げられますが、本当にそこには幽霊が住み着いているのでしょうか?
先に述べたように、ある場所の不気味さが人間の想像力をかき立て、何か超自然的なものがそこにいるかのように錯覚したケースが大半です。それがさも事実であるかのような噂が広がることになります。テレビなどでは幽霊の出没する“心霊スポット”が興味半分に取り上げられ、霊能者を名乗る人物が登場して、まことしやかに解説していますが、実際は、そのような場所は都会の至るところにあるということなのです。
人のいない寂しい場所だけが“心霊スポット”として騒がれることは、霊的事実から見たとき明らかにおかしなことです。本物の霊能者なら、そんな常識的なことを知らないはずがありません。一般の人々の無知に付け込んで、噂の心霊スポットにまるで多くの霊が集まっているかのように話を合わせ、上手に嘘をついているのです。
このように大半の心霊スポットは単なる噂話であって事実ではありませんが、なかには稀に幽霊がよく出没する本当の心霊スポットが存在します。霊の中には時に物的なものへの執着が異常に強い者がいます。そうした霊はある一定の場所へ引き付けられ、その引き付ける要因が消えるまでは、そこに住み着き“地縛化”することがあります。これが本当の心霊スポットと言うべきものです。
世間でしばしば耳にする魔の交差点とか魔の踏み切り、あるいは自殺の名所として騒がれている場所には多くの地縛霊が集まり、霊媒体質の地上人を引き寄せているといった話のほとんどは事実ではありません。人々の勝手な作り話に過ぎません。
地縛霊が特定の場所に居座り続ける理由とは
地縛霊はどのような原因で、特定の場所に居座り続けることになるのでしょうか?
ケースバイケースです。霊それぞれで原因は異なります。ある霊においては、その場所をよく訪れる人間との霊的親和性による場合もあります。その者と意志を通じ合いたいという場合もあります。
また恨みを抱き仕返しのチャンスを狙って、ある場所に居座り続ける邪悪霊もいます。さらには、その場所で大きな罪を犯した者が、一種の罰としてそこを
地上で守銭奴と呼ばれていたような人間は、死後もある場所に隠した財産を見張り、気づかれないように守っていることがあります。
かつての住居に住み続ける地縛霊はいるのか
霊はかつて住んでいた住居に住み続けるというようなことがあるのでしょうか? ある霊能者に、「数年前に死んだ祖父の霊がいまだに家に住み着いている。そのため家族に不幸が続き霊障が絶えない」と言われました。そんなことが本当にあるのでしょうか?
そうしたケースは全くないとは言えないまでも、実際にはほとんどありません。先祖の霊が死後もかつての住居にいたとしても、せいぜい数日~数カ月のことです。それ以上にわたって“地縛霊”として住み続けるといったケースは、特別な場合を除いてめったにありません。霊能者や祈祷師が、何年も前に死んだ先祖の霊が居座っているために不幸が起こされるなどと言ったとしたら、そのほとんどが嘘・作り話と思って間違いありません。
大半の霊は、埋葬された自分の遺体には関心がありませんが、それと同じように、地上時代の住居についても何の未練も持っていません。生前の住居には、特定の人物との親和力の作用によって引き寄せられる以外は、関係のない低級霊が気まぐれに出没しているに過ぎません。
先祖の霊を、かつての住居で招霊すれば戻って来ますが、それは死後も同じ場所に居座り続けていたということではありません。一時そこに呼び寄せられただけのことです。
心霊スポットを怖がることについて
地上人が、幽霊が出るという噂のある場所(心霊スポット)を恐れるのは、仕方がないことでしょうか?
いいえ、幽霊が出ると騒がれている場所に出没するのは、何かと話題の種を蒔いて面白がっているイタズラ霊がほとんどです。特に邪悪な意図があるわけではなく、騙されやすい人間や、怖がり屋の人間を相手にして楽しんでいるだけです。
霊は至るところにいることを忘れてはなりません。皆さんがどこにいようと、どんなに静かな場所にいようと、周りには常に霊がいるものと思ってください。つまり「あらゆるところに心霊スポットはある」ということです。特に霊的なことに関心がある人の周りには、数多くの霊が集まり、
地縛霊となった先祖の霊は、自分の墓に関心があるのか
地縛霊は、自分の遺体が埋葬されている場所に関心を持ち続けるものでしょうか?
死後は墓に住み続けるものと強く思い込んでいたり、あるいは一部のクリスチャンのように「死後は墓で終末の時を待ち続ける」といった信念が染み付いたような者でないかぎり、関心を持ち続けることはありません。低級霊や未熟霊・邪悪霊であっても墓には行きたがりませんし、自分の墓など、どこにあるのかさえも忘れているのが普通です。
肉体は単なる衣服のようなものであり、肉体を持っていたために苦しい目に遭ったのですから、それを脱ぎ去った後にはもう未練はありません。鎖につながれていた囚人が、解き放たれた後は、その鎖に未練など持たないのと同じです。
霊の心に残るのは、自分に愛の思いを向けてくれた人々の記憶だけです。したがってもし霊能者や祈祷師が、「先祖の霊が墓参りをして欲しがっている」と言ったら、それはイタズラ霊がからかっているか、霊能者が適当に嘘をついていると考えるべきです。そんな作り話をまともに信じてはなりません。
墓での祈りは、先祖霊に通じやすいのか
地上人が墓地で祈ると、霊は特別に何か感じるのでしょうか? 墓での祈りは、自宅での祈りよりも先祖の霊に届きやすいのでしょうか?
霊を引き寄せるのは、地上人の思い以外にはありません。地上人の思念に熱意と真摯な気持がこもっていればいるほど、その祈りは霊に通じやすくなります。墓地に限らずどこであっても、真剣な祈りならば霊に届くということです。真剣さがともなわない形だけの祈りであれば、霊には届きません。どこで祈るか、いつ祈るかが問題ではないのです。
霊との交わりで大切なことは、物的なものや場所ではなく、地上人の心であり思いなのです。そうした霊的事実が分かれば、これまで地上人が行ってきた盆や彼岸の墓参りには、特別な意味はないことになります。墓参りはいつしても同じですし、先祖の霊に対する思いさえあるならば、わざわざ墓にまで足を運ばなくともいいということなのです。
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