(9)洗脳とは無縁のスピリチュアリズム
――この世の宗教とすべての点で対極にあるスピリチュアリズム
地上には正しい宗教は存在しない
これまで地球上には、数えきれないほどの宗教が存在してきました。その中で勢力と影響力を誇ってきた宗教は例外なく、組織的な展開によって教団を大きくしてきました。なかでも人類史上、最も巨大な宗教組織をつくり上げてきたのがキリスト教で、それに次ぐのがイスラム教です。キリスト教やイスラム教には多くの宗派があり、それぞれが組織を形成して教団の拡大にしのぎを削っています。
人間のいる所には必ず宗教が存在し、組織を形成することで大きな勢力を築いてきました。現在の地球上には、実に多くの宗教(宗教組織・教団)が存在しています。しかしそれらの内容を霊的観点から見ると、真の意味で正しい宗教と言えるものはありません。大半の宗教組織では、自分たちの教えや指針を教義としてまとめていますが、霊的真理と完全に一致しているものは一つもありません。部分的に一致しているものはあっても、その多くは人工的につくり上げられた偽りの教義です。
宗教の洗脳が、信者の魂を“牢獄”に閉じ込める
間違った教義に基づく宗教組織は、事実でないことを信者に教え込むという大きな罪を犯していますが、弊害はそれだけにとどまりません。宗教組織は“洗脳”によって信者に対し、「自分たちの教団こそが唯一絶対の存在である。自分たちだけが正義であり、真実の教えを説いている」との意識をつくり上げていきます。こうした宗教組織の洗脳によって信者たちは、「自分の属する教団(宗教組織)だけが正しくて、他の宗教は間違っている」と考える“盲信者・狂信者”となり、人生を組織のために捧げるようになります。
真実でない教団の教え(教義)を強いられることによって、信者は霊的成長という人間にとって最も重要な霊的宝を捨て去ることになります。霊的観点から見ると、地上の宗教は常に“組織エゴ”によって支配され、組織の拡大と利益だけを目的にして信者に活動を強制していることが分かります。その結果、救いを求めて入信したはずの人間の魂を“霊的牢獄”に閉じ込め、無意味な人生を送らせるという悲劇を生み出しています。
人間が真に忠誠を捧げるべきは「大霊の摂理」のみ
シルバーバーチは霊的観点から、地上の宗教組織の根本的な間違いを指摘し、人間が忠誠を捧げる対象は「大霊の摂理」以外にはないことを強調しています。
「いかなる人物であろうと、一人の人間に服従してはいけません。いかなる書物であろうと、いかなる教会であろうと、それを盲信してはいけません。地上界の人間であれ、霊界の存在であれどのような指導者にも盲目的に服従してはいけません。絶対的忠誠を捧げるべきは「大霊の摂理(法則)」だけです。それだけが誤ることもなければ裏切ることもないからです。だからこそ私たちは、大霊の摂理を説いているのです。それを“スピリチュアリズム”と呼ぼうと何と呼ぼうとかまいません。(中略)地上界では指導者たちが重んじられてきました。そして過大評価され、“神学”という厄介なものをつくり出すことになりました。」
「宗教の教義(信条)による束縛は、地上界の悲劇の一つです。それは重い疫病よりも悪質で、肉体の病気の苦しみよりも、はるかに酷い苦痛をもたらします。なぜならそれは「魂の病」を生み出し、霊に目隠しをしてしまうからです。(中略)私たちはあなた方に、いかなる教義も儀式も作法も要求しません。ただひたすら、大霊の愛がその子供たちを通して顕現するように努力しているだけなのです。そのためには、いかなる書物にも、いかなるドグマ(教義)にも縛られてはいけません。いかなるリーダーにも、いかなる権威にも、いかなる学識にも、また崇敬の対象とされるいかなる聖遺物にも縛られてはいけません。あなた方はひたすら、大霊の摂理に従うようにしてください。大霊の摂理こそが宇宙で最も偉大なものであり、唯一最高の権威あるものなのです。」
宗教組織による“洗脳”が、すべての悲劇の元凶
地上の宗教の根本的な間違いは、組織を形成して勢力の拡大をはかる点にあります。組織の維持・拡大を最優先するところから“偽りの教義”をつくり出し、それを“洗脳”によって信者たちに信じ込ませます。教団が神と同じ立場にあると思い込ませて、信者を教団の活動に押し出すのです。
「教団のために働くことは、神のため・全人類の救いのために貢献することであり、神に対して最高の忠誠を尽くすことである。人間として最高の善を行うことである」との考えを吹き込みます。そうして「自分たちの教団こそが最も優れていて、神から特別な権威を与えられている」と盲信させることが、宗教組織による“洗脳”の目的なのです。大半の宗教組織が、自分たちの教団を神と同じ位置に置き、それを信者たちに信じ込ませようとしています。
現在、地球上には目を覆いたくなるような“悲劇”が蔓延していますが、もし宗教組織がなかったなら、これほど多くの悲劇は発生しなかったはずです。地上世界におけるあらゆる悲劇の原因は、組織エゴに基づく宗教の“洗脳”にあると言っても過言ではありません。スピリチュアリズムは、人類を“魂の牢獄”へと引きずり込む宗教組織を厳しく批判してきました。
「私が非難しているのは“組織”です。組織が真理への道を閉ざし、古い慣習を温存し、精気みなぎる霊力が顕現するための場所を奪い去っているからです。」
宗教組織をつくらないスピリチュアリズム
地上世界の悲劇の多くが、宗教組織のエゴから発生しています。地球上の大半の宗教組織が、“洗脳”という手段を利用して勢力拡大をはかってきました。真実ではない教義を広めて新たな信者を獲得しようとする一方で、洗脳によって内部の信者たちを組織にとって都合のいい人間に仕立て上げてきました。「自分たちの教団は神と同じ立場に立っている」「教団への奉仕は神への奉仕であり、神に忠誠を尽くすことである」とのウソの教えを植えつけて組織の強化をはかってきました。
スピリチュアリズムは、これまでの地上の宗教のように巨大な宗教組織(教団)をつくるようなことはしません。スピリチュアリズムは、真理に出会った一人一人がそれを正しく理解し、正しく実践するというプロセスを通して広まっていきます。“自発性”と“自己責任”が、どこまでもスピリチュアリズムの原則です。一人一人の人間が基本的な単位であるスピリチュアリズムでは、組織はつくりません。宗教組織も教祖も存在しないのがスピリチュアリズムなのです。
宗教と無関係な一般的な組織でも、組織内の人間関係から問題が発生し、内部分裂に至ることがあります。そもそもこの世に、完璧な人格を持った人間、自己コントロールによって利己性を完全に排除している人間はいません。スピリチュアリズムの真理を知ったからといって、その瞬間から完璧な人間になれるわけではないのです。霊的真理を受け入れ、スピリチュアリストになっても、この世の人々と変わらない醜さと弱さを持ち、多くの煩悩を抱えています。真理を知ったことで、正しい生き方とはどういうものかが分かった、というだけのことなのです。そうした未熟さを抱えた人間が集まって、ただちに真実の利他愛で結ばれた人間関係を築くことはできません。容易に一致団結はできないものなのです。
これまでの宗教は巨大な宗教組織をつくってきましたが、スピリチュアリズムはそういうことはしません。もしスピリチュアリズムが宗教組織をつくって活動を展開するなら、他の宗教と同じように内部崩壊の道をたどる運命は避けられません。スピリチュアリズムは宗教組織を持つことなく、一人一人の自発性によって展開していくものなのです。
組織的な布教活動をしないスピリチュアリズム
いずれの宗教組織も、自分たちの教団を大きくするために盛んに布教活動を行っています。布教活動こそが、宗教組織を維持し発展させる生命線です。教団からは決まって一定の落伍者・脱会者が出るため、次々と新しい信者を獲得しなければ組織は縮小していきます。そこでいずれの教団も布教活動を重視することになります。布教活動への熱意がなくなった教団は、必ず衰退していくようになります。
勢いのある宗教組織(教団)は、新しい信者を獲得するために洗脳を利用して布教活動を展開します。また、さまざまな手法を駆使し、仰々しい宣伝をして信者の勧誘に奔走します。それによって一時的に大勢の人間が、教団の信者になります。
しかし、そうした不自然な形で教団の信者になった人間が、いつまでも教団に所属し続けるようなことはありません。やがて多くの信者が教団に不信感を抱き、教義に疑念を持つようになり、入信当初の宗教的情熱を失っていきます。そして教団と対立し、離れていくようになります。信者が次々と離脱していく状況は、教団にとって最大のピンチです。それを食い止めるために、さまざまな方法を試みるのですが、いったん衰退期に入った教団を立ち直らせることはできません。教団サイドの人間(教祖・指導者・幹部)にとって教団の衰退は、大きな苦しみをもたらすことになります。しかしそれは、出発点が間違っていたことに対する当然の結末と言えます。
スピリチュアリズムは、この世の宗教組織で行っているような布教活動はしません。一人一人の理性に訴えて、自ら求めてきた人間だけを布教(伝道)の対象とします。無理やり働きかけて改宗を迫ったり、洗脳するようなことはしません。そもそもスピリチュアリズムには組織がないため、無理をして組織を拡大させる必要はないのです。
スピリチュアリズムの布教について、シルバーバーチは次のように述べています。
「地上世界は、サウロがダマスカスへ向かう途中で体験したという目が眩むような閃光で一気に改革されるものではありません。霊的真理に目覚める人の数が増し、大霊の霊力の道具が増えるにつれて、少しずつ霊的な光明が地上界に行きわたるのです。霊に関わることは慎重な配慮による養成と進歩を要します。急激な変心は永続きしません。私たちの仕事は永続性を目指しています。一人また一人と大霊の道具となり、暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと這い出ることによって地上界は進歩するのです。」
「魂が真理に目覚めて感動するには、それぞれに時期というものがあるのです。(中略)あなた方は常に、私たちが魔法の杖で一気に悟らせるようなことはしないことを知っておいてください。魔法の処方箋があるわけではありません。(中略)ただ、それは地上界の騒々しい宣伝によって行われるのではなく、あなた方の魂に訴え、霊との一体関係を緊密にすることによって成就されるのです。」
「真理というものは受け皿が用意されて初めて受け入れることができるのであって、それ以前は知らん顔をしているものです。精神が受け入れる気になった時に真理の方からやってくるのです。せっかく訪れてノックをしても冷たくあしらわれることがわかっている時は、真理は近づこうとはしないものです。そろそろドアが開いて入れてもらえると思うまでは、少し離れたところで待機しているのです。」
シルバーバーチは、スピリチュアリズムの布教方法についてこのように述べ、洗脳による集団改心などではないことを明確にしています。多くの宗教組織では、短期間に信者の数を増やすためにさまざまな手段を講じていますが、そうした布教方法に永続性はありません。洗脳によって一時的に信者の数が増えても、時間とともにその宗教的情熱は冷め、一人また一人と教団から離れていくことになります。数だけを増やそうとするこの世の宗教組織の布教には、初めから限界があるのです。
洗脳ではなく「理性」に訴えるスピリチュアリズム
スピリチュアリズムには洗脳的な要素は全くありません。常に「理性」に訴え、本人の自発的な受け入れを基本としています。自らの理性に照らし、他の考えと比較吟味し、時間をかけてじっくりと考えるように勧めます。スピリチュアリズムの布教(伝道)は、「自ら求めてきた人間に真理を手渡す」という形で進められます。そこには洗脳によって教団に誘い込むといった要素は一切ありません。スピリチュアリズムの布教は、この世の宗教とは根本的に異なっており、洗脳とは無縁なのです。
シルバーバーチは、スピリチュアリズムが一人一人の「理性」による判断に基づいて進められる運動であることを、次のように述べています。
「私が申し上げることを全部受け入れる必要はないのですよ。あなたの理性を使って、私の言うこと、あなたがお聞きになっていることを吟味なさって、私に挑戦してください。もしも理性が納得しないものがあれば、どうぞ拒否してください。」
「私たちは、すぐに聖典の文句を持ち出したり、指導者の言葉や権威に頼るようなことはしません。人間が神から授かっている理性を頼りとして、これに訴えます。私たちがお届けする真理は“聖”の文字を冠した書物の言葉を引用することで広められる性質のものではありません。理性に照らして納得がいかなければ、拒否してくださってけっこうです。」
「『理屈を言ってはいけません。ただ信じればよいのです』――私はそんなことは申しません。反対に『神が与えてくださったもの(知的思考力・理性)を存分に使って私を試してください。しっかり吟味してください。そして、もしも私の言うことに卑劣なこと、酷いこと、道徳に反することがあれば、どうぞ拒否してください』と申し上げます。」
このようにシルバーバーチは、スピリチュアリズムはどこまでも本人の「理性」に基づく自己判断によって進められるべきものであることを明らかにしています。スピリチュアリズムにおける布教は、洗脳とは無縁であり、この世の宗教とは正反対のものであることをはっきりと示しています。
「大霊の摂理」だけを信仰対象とするスピリチュアリズム
――教条主義とは無縁のスピリチュアリズム
地上世界の組織宗教を霊的に見ると、すべて失格です。教団がつくり上げた偽りの教義を神からもたらされた真理として信者に教え込み、洗脳しています。その間違った教義は信者にとって“魂”の足かせとなり、霊的成長を妨げることになります。キリスト教に代表される組織宗教の多くが、神の名のもとに争いを起こし、同じ神の子供である同胞を殺してきました。真実の宗教とは、組織や教祖や教義や儀式を必要とするものではありません。「神の摂理」――特に「霊主肉従の摂理」と「利他愛の摂理」を忠実に実践することに他なりません。
スピリチュアリズムには、従来の組織宗教のような教義(ドグマ)はありません。従うべきものは、神が造った摂理だけです。「一人一人が自己責任において摂理に一致した生き方をし、それに見合った霊的成長という真の救いを得る」――これがスピリチュアリズムの教えです。そのためスピリチュアリズムには、組織も教祖も必要ではないのです。
スピリチュアリズムは神を崇拝し、神に祈りを捧げるという点で、他の宗教と変わりありません。しかしスピリチュアリズムには、他の宗教のような組織や教祖や儀式はありません。立派な建物や聖堂もありません。その意味でスピリチュアリズムは、人類史上初めての「超宗教」と言えます。「大霊」と「大霊の摂理」だけを信仰対象とし、それらに対して忠誠を尽くす人類史上初めての超宗教が“スピリチュアリズム”なのです。
「私たちが忠誠を尽くすのは、一つの教義ではなく、一冊の書物でもなく、一つの建造物でもなく、生命の大霊とその永遠なる摂理です。」
「基本的な教えがすべての宗教から、一つの例外もなく、忘れ去られているのが事実ではないでしょうか。厖大な量の教義と神学と教条主義――要するに宗教とは何の関係もない、そして宗教として何の価値もない、人間の勝手な説に置き換えられているのです。」
「多くの魂を束縛し、怨念と敵意と憎しみを助長し、神の子を迷信と偏見と無知による真っ暗闇の中で暮らさせている教条主義の呪いから解放しさえすればよいのです。(中略)宗教の名のもとに行われている欺瞞と誤謬を一掃することができれば、この地上を毒している問題の多くが解決されていきます。私は改めてここで、私に可能なかぎりの厳粛な気持で申し上げますが、地上世界はこれまで“教条主義”によって呪われ続けてまいりました。」