(2)宗教組織による洗脳の本質とは

オウム事件やイスラム原理主義者による自爆テロなど、宗教が絡んだ凶悪事件が発生すると、人々は宗教による“洗脳”の恐ろしさを目の当たりにして、宗教に嫌悪感を抱くようになります。程度の差こそあれ、宗教に洗脳は付きものです。宗教は洗脳によって、人々が嫌悪するような凶悪事件や紛争・戦争などの悲劇を引き起こします。普通の感覚ではとうてい考えられないような人殺しやテロが、宗教の洗脳によって“正義の行為”にすり変えられてしまいます。

こうした信者を狂気に駆り立てる宗教の“洗脳”とは、どのようなものなのでしょうか。宗教組織による“洗脳”の本質とは、何なのでしょうか。

“洗脳”とは

洗脳とは、外部の人間が有形無形の働きかけを通して相手の心に圧力を加え、これまでの考え方を捨てさせ、新しい考え方を植えつけることです。相手の考え方を変えさせ、新しい考え方を植え込むことが広い意味での洗脳であり、そうした意味での洗脳は、一般的な人間社会や人間生活のあらゆる場面において見られます。育児や学校教育・道徳教育・社会教育、また職場での研修なども洗脳の一種と言えますし、政治団体における集会や勉強会なども洗脳ということになります。

そうした中で、短期間にしかも強烈な形でそれまでの考え方を捨てさせ、全く異なる新しい考え方を植え込むのが「宗教による洗脳」です。この宗教の洗脳に似ているものが、最近、大きな社会問題になっている“人間改造セミナー”です。宗教や人間改造セミナーで“洗脳”を受けた人間は、短期間にそれまでの考え方が大きく変わってしまいます。言葉づかいまで変化し、周りの人間の目には、まるで別人になってしまったかのように映ります。きわめて常識的でおとなしかった人間が、突然、過激な意見を述べるようになるため、気が狂ったのではないかと思うようになります。

宗教による洗脳は、人間の「霊的部分」に影響を及ぼす

宗教による洗脳の特徴は、短期間に、しかも大きく相手の考え方(心)を変えるという点にあります。宗教による洗脳がこうした急激な変化を引き起こすのは、その働きかけが人間の精神的な部分だけにとどまらず、人間の最も深い領域・霊的次元にまで及ぶからです。神や霊魂といった宗教的な対象は、理屈や理論や知性によって認識するものではありません。人間の霊的部分において直感的に認識するものです。宗教による洗脳は、人間の霊的領域に直接働きかけて刺激を与えます。「人間の最も深い領域・霊的次元に影響を及ぼす」ということが、宗教による洗脳の本質なのです。

宗教の洗脳に関してさらに詳しく知るために、私たち人間について掘り下げて見ていくことにします。

人間自身についての重要な真理を知らない地上人

地球人類はいまだに、自分たち人間に関する最も重要な真実に気づいていません。その真実とは、人間は神によって他の生命体(動植物)とは異なる「霊的存在者」として創造されているということです。こうした重要な霊的知識を全く知らないために、自分たち人間について正しく理解することができないのです。これは個人に限らず、地球上のほとんどすべての宗教にも、そのまま当てはまります。宗教も含めて地球人類は「霊的無知」の状態に陥っています。地上の人間は、自分自身についての一番重要な真実を知らないまま現在に至っているのです。

科学の大発展によって、これまで分からなかった物質世界(宇宙も含めて)の謎が次々と明らかにされるようになってきました。そのため将来には、科学によってすべての事実が解明されると信じている人もいますが、科学が明らかにできるのは物質世界に関することだけです。非物質世界である霊的世界については、科学の力は及びません。研究の対象分野が異なるため、科学は霊的世界の謎を解明することはできないのです。

スピリチュアリズムによって初めて明らかにされた「人間に関する真理」

スピリチュアリズムは、人間に関する最も重要な真理を初めて人類にもたらしました。スピリチュアリズムが明らかにした「人間に関する真理」のポイントは――「人間は、大霊である神によって“霊的存在者”として創造されている」ということです。

私たち人間は、目に見える肉体だけでなく、肉体に重複する形で不可視の「霊体」を持っています。そしてその霊体の中には「霊の心(魂)」があり、霊の心の最も高次元領域には「霊(大霊の分霊)」が存在します。肉体という物質次元の要素だけでなく、「霊体・霊の心(魂)・霊」という霊的次元の要素から構成されているのが私たち人間なのです。動物と違って人間だけが目に見えない霊的構成要素を持ち、それが肉体よりも優位に置かれているために「霊的存在者」と言えるのです。これは人間についての最も基本的で重要な真理であるにもかかわらず、地上人類はいまだにそれを知らずにいます。

人間が動物にはない高度な知性を持ち、さまざまな知的活動や精神的活動ができるのは「霊の心(魂)」があるからです。そこに人間と動物の決定的な違いがあるのです。人間にとって一番重要な要素は「霊」であり、霊こそが「人間の本体(真我)」です。魂の最奥に存在している霊は、大霊である神から「分霊」として付与されたものです。このようにすべての人間は、大霊の分霊を魂の最深部に宿しているのです。大霊である神の分霊を本体(真我)とする人間は、まさに神によって創造された「霊的子供」ということになります。

人間の「霊的本能」は常に神に憧れ、神を求め続ける

人間は大霊である「神」から分霊を付与され、神の「霊的子供」として創造されました。それゆえ人間の魂は「霊的親」である神を常に求めるようになっていますが、「肉体」という物質の身体に閉じ込められている地上人は、その事実を自覚することができません。そのため神の存在を否定するような人間が現れます。

しかしそうした人間も、何かの拍子に「神」を呼び求めるようになります。死に直面したときや苦しみのどん底に立たされたとき、また極限の孤独状態に置かれたときなど、無意識に神の名を口にするようになります。これは魂の深部に存在する「霊」が、絶対者である「神(大霊)」にすがりつき、一体化を求めるところから発した“霊的衝動”なのです。

人類のいる所には常に宗教が存在してきましたが、それは人間の「霊」が本能的に神(大霊)に憧れ、神を求めているからです。人間は心の一番深い部分、すなわち魂の最奥に大霊の「分霊」を宿しており、その霊から「霊的本能」が発露しているのです。宗教とは、こうした霊的本能に由来するものであり、神を畏敬し神に近づきたいと願う純粋な信仰心は、霊的本能と表裏一体の関係にあるのです。

宗教による洗脳は「霊的本能」に働きかける

宗教による洗脳は、人間の本体である「霊」と「霊的本能」に向けて働きかけます。人間の霊的本能は常に神(大霊)と霊的世界を求めており、宗教による洗脳はそこに影響を及ぼすのです。洗脳によって多くの人間が“霊的意識”を喚起させられ、信仰や霊的世界への関心が芽生えるようになります。霊的本能が刺激されることによって人間は、それまで自覚したことがない“霊的感覚”――“神を求める衝動”がインスピレーションとして湧き上がるようになり、神秘体験に惹かれるようになります。物質の中に閉じ込められていた「霊的本能」が発する衝動を、自覚するようになるのです。しかし残念なことに、そのとき大半の宗教が間違った知識を持ち込むために、霊的意識が間違った方向に操られることになってしまいます。

「知性もあり高い学歴を持った理科系の研究者が、どうして宗教の“洗脳”によって神秘体験など信じるようになったのか?」――“オウム事件”が発生したとき、多くの批評家がこうした疑問を投げかけました。そして事件を起こした人間には科学者としての倫理が欠落していた、今の科学には倫理観を教えるシステムがない、といった意見が述べられました。しかし、これらはすべて的外れな答えです。人間の内部には「霊」が存在し、それが常に神や霊的世界との一体化を求めていることが分からないところから生じた見当違いの見解です。

オウム事件は、教団の洗脳によって間違った方向に“霊的意識”が向けられたために発生した事件です。人間の「霊的本能」を、間違った教義の“洗脳”によって刺激したために、大事件を引き起こすことになってしまったのです。純粋な信仰体験を持ったことのない人間には、宗教的感情や宗教的霊性は全く分かりません。神秘体験について無知な人間がアレコレと的外れなことを言って批判しただけで、“オウム事件”の本質を霊的観点から説明した人間は、ほとんどいませんでした。

スピリチュアリズムの目的は、宗教による“霊的牢獄”から人類を救い出すこと

宗教組織による“洗脳”の本質とは、「人間の一番深い霊的領域に働きかける」ということです。そのためいったん洗脳されると、魂は牢獄の中に閉じ込められ、そこから脱け出すには長い時が必要となります。宗教による洗脳は魂を束縛し、人間を霊的成長から遠ざけてしまいます。宗教によってつくられる“霊的牢獄”は、地上世界における大きな悲劇の一つです。

スピリチュアリズムは、こうした「宗教による洗脳」によって生じた悲劇から地球人類を救い出すために救済活動を展開しているのです。

「どのようにすれば人間的産物である教義への隷属状態から脱け出せるかをお教えしようとしているところです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教的束縛を受けるようになると、迷信の厚い壁を真理の光が突き抜けるには、永い永い時間を要するからです。」

『シルバーバーチの教え(上)』(スピリチュアリズム普及会)p.40

「宗教の教義(信条)による束縛は、地上界の悲劇の一つです。それは重い疫病よりも悪質で、肉体の病気の苦しみよりも、はるかに酷い苦痛をもたらします。なぜならそれは「魂の病」を生み出し、霊に目隠しをしてしまうからです。」

『シルバーバーチの教え(上)』(スピリチュアリズム普及会)p.124

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