(2)道具意識
1)高級霊の資質
――道具意識と謙虚さ
霊界人の謙虚さと道具意識
高級霊の教え(霊訓)に触れるたびに、その謙虚な姿勢に強く心を打たれます。高級霊の人格は、謙虚さの中にそのまま表れています。霊的な高さを示すものは愛の深さと謙虚さであり、魂の成長度(霊性レベル)と謙虚さは比例します。
霊界の人々の謙虚さを前にすると、私たち地上人は本当に傲慢なのだと実感させられます。高級霊が、私たち地上人には想像もつかないような謙虚さを身につけているのは、自らを「神の道具」としているからです。神の道具としての意識が、高級霊に真実の謙虚さをもたらしているのです。
シルバーバーチの言葉に見る高級霊の謙虚さ
『シルバーバーチの霊訓』の中には、道具意識に徹した高級霊の謙虚な姿勢がよく示されています。それは私たちスピリチュアリストが持つべき心がまえであり、手本とすべきあり方です。
「私自身はいつも謙虚な気持ちです。本当の意味で謙虚なのです。というのは、私自身はただの道具にすぎない――私をこの地上に派遣した神界のスピリット、すべてのエネルギーとインスピレーションを授けてくれる高級霊の道具にすぎないからです。」
「私たちは大霊の使いにすぎません。ですから、賞讃も栄光も祈りも感謝も、私たちが戴くわけにはまいりません。あなたも私も、一つの大きな目的のための道具であり、その目的をより容易に、より立派に、そして人をより幸せにするために、お互いの役割を果たそうと努力しているところであることを忘れないように致しましょう。」
高級霊の謙虚さと道具意識を手本とする
高級霊の人格の素晴らしさは、道具意識に基づく謙虚さに表れています。高級霊たちは「自分は、ただ神の道具として地上人の救いのために働けるだけで十分である」と言います。そこには地上で当たり前になっている個人主義的な自己主張は、全く存在しません。高級霊は決して、自分の手柄を披露したり、自分の能力を自慢するようなことはしません。「自分は、神とより高い世界の
幸いなことに私たちは、地上人類の中で真っ先に霊的真理と出会い、霊的人生を歩むことができるという最高の霊的恩恵にあずかりました。そうした私たちが見習うべきは、高級霊の道具意識であり、謙虚さなのです。
2)スピリチュアリストにとっての道具意識とは
高級霊に対する全幅の信頼から生まれる道具意識
高級霊が持つ「本物の道具意識」を身につけるために、私たちはどのような考え方をすればよいのでしょうか。
道具意識の出発点は、自分を神と高級霊の道具として位置づけし、自分のすべてを捧げる決意をすることにあります。いったん自分を「霊界の道具」とした以上、自分自身の個人的な要求は無条件に後回しにしなければなりません。自分の人生であっても、自分で自由に決めることはできなくなります。自分の将来も、日々の歩みも、同様です。霊界の人々が最善の導きをしてくれることを信じ、すべてを委ね、次のように神に祈って道を求めていくのです。
「自分のすべてをあなたに捧げますから、どうか良きようにお使いください。いかなる道が示されてもそれに従いますから、どうぞ命令してください」「この世の利益や名声や評価は一切求めません。自分は、ただ霊界の道具として与えることに徹します。高級霊の方々の道具として働けるだけで嬉しいのです。役に立てるだけで十分なのです」――こうした高級霊に対する“絶対的信頼”と“完全服従”が道具意識を持つということです。自分の人生と自分のすべてを高級霊に委ねるという決意があって初めて、高級霊の道具として立つことができるようになるのです。
道具意識によって得られる霊的成長と人類への奉仕
霊的真理の実践を通して私たちは、地上で魂を成長させることができるようになります。霊的成長を達成するための具体的な実践内容とは、霊優位の努力・利他愛の実践・霊的真理の伝道・苦しみへの正しい対処ですが、これらはすべて「道具意識」に徹することによって強化されるようになっています。スピリチュアリズムの霊的真理の実践は、純粋な霊界の道具を目指す努力の中で最高次元にまで引き上げられることになるのです。
真の道具意識は、霊界との愛の絆(霊的パイプ)を太くし、本人の霊的成長を促し、最大の伝道結果をもたらすことになります。自らを「霊界の道具」として提供することによって、全人類への貢献が最高レベルで展開するようになります。そして人類への奉仕と同時に、自己の“魂の救い”が達成されるようになるのです。
3)道具意識は真の謙虚さをもたらす道
主役は霊界人であって、地上人は脇役
自らを高級霊の道具として提供することにより、栄光を自分のものにすることがなくなります。どこまで行っても付きまとう地上人の自己中心性と傲慢さは、自分自身を高級霊の道具として位置づけることによって初めて、払拭できるようになります。それにともない「本物の謙虚さ」が心に宿るようになります。
霊界の道具になるということは、主役である霊界の人々の手伝いをする、霊界の人々に自分を使ってもらうということです。道具である以上、独りよがりの力みや利己的な実績追求の野心を持ってはなりません。すべては霊界の人々がやることだからです。
道具意識のないところでは、他者への奉仕に携わる中で必ず“傲慢さ”が忍び込んできます。そしてそれを拭い去ることができなくなります。良い結果が出ると、自分が優れているからだと思い上がってしまうのが地上人の実態です。しかし「道具意識」に徹するかぎり、全力を尽くしつつも、なお謙虚さを持ち続けることができるのです。
道具意識は、謙虚さを身につけるための“最短の道”
道具意識は、スピリチュアリズム精神の真髄です。道具意識は、真の謙虚さを持つための最短の道です。自意識にまつわる醜さを根底から払拭するには、道具意識を深めることが最も良い方法です。スピリチュアリズムが霊的実践において他のいかなる宗教や道徳にまさっているのは、「道具意識」という優れた霊的処世術があるからです。
とかく人間は他人に教える立場に立つと、自分の方が相手よりも優れているかのような錯覚に陥ってしまいます。世の中には、愛を語り人助けの大切さを説く宗教家や思想家が大勢いますが、実はそうした人間が傲慢そのものであることが多いのです。地上人は、自分が偉い人間であるかのように思いたがる強い性向(虚栄心)を持っています。地上人にとっての弱点である虚栄心や自己顕示欲に翻弄されないためには、「道具意識」に徹することが何よりも大切です。「自分は霊界の人々の道具である、自分は道具としてただ使ってもらう立場にある」という意識を持つことによって、本当の謙虚さを身につけることができるようになるのです。
今、スピリチュアリストにいちばん求められていること、また霊能者やヒーラーに最も要求されていることは、知性でも霊能力でもなく「道具意識に立った真の謙虚さ」です。これこそがスピリチュアリストとして持つべき人格性であり、磨かなければならない霊的資質と言えます。
自分の知識や能力を自慢したり、自分を立派だと思っている人の心には、純粋な道具意識は存在しません。自分の霊能力や治療実績を誇ったり、自分の背後霊は誰それであると声高に自慢するような霊能者やヒーラーは、とうてい霊界の道具になることはできません。
4)道具意識に立った霊的真理の普及活動(伝道)
霊界を挙げての大事業(スピリチュアリズム)の目的は――「地上に霊的真理をもたらす」という一点に集約されます。霊的真理が地上の人間にとって“最高の救い”となることを、決して忘れてはなりません。私たちスピリチュアリストは「霊的真理の普及」という歴史的な仕事を、霊界の人々の地上の道具となって進めていく立場に立っているのです。
「霊的真理の伝道」の主役は霊界人
道具としての純粋さがあるところに、高級霊は大挙して働きかけます。その人間を中心として“救いの道”を展開するようになります。霊界の高級霊は常に、私たちを最大限に使いたいと思っているのです。伝道の主役は、霊界の億万の霊たちです。したがって地上の人間が高級霊の援助を得られるような条件を整えるなら、自分一人の能力に頼った伝道の何十倍、何百倍もの成果がもたらされることになります。
それとは反対に自分の力を過信し、何もかも一人でやろうとしてガムシャラに突き進むなら、この世のセールスマンの営業活動や組織宗教の布教活動と同じことになってしまいます。焦りと疲労だけが大きくなり、実績も上がらないという結果に終わってしまいます。
道具である以上、私たちは高級霊を信頼して委ね、精いっぱいやるだけでよいのです。自分で実績を上げようとするのではなく、「霊界の人々に自分を道具として使ってほしい、そしてもっと伝道の実績を上げてほしい」と考えることが重要です。スピリチュアリストには、自らを純粋な霊界の道具として提供することが求められているのです。
伝道において、自分の能力の乏しさを嘆く必要はない
道具意識に立てば、伝道を進めるうえで、自分の能力の乏しさに悩む必要はなくなります。何度も述べてきましたが、伝道の主役は霊界人だからです。自分一人の力で、できるだけ多くの人間に真理を伝えようなどと考えてはなりません。「自分を道具として最大限に用いてください」と祈る純粋さと一途さが、何よりも大切なのです。
伝道は、その大半が霊界サイドによって進められます。霊界からの働きかけの結果、「時期のきた人」との出会いが与えられるようになります。霊界の導きによって「時期のきた人」が私たちスピリチュアリストのもとに来たり、私たちの方から相手の所に出向くようになるのです。こうした伝道のプロセスを考えると、個人レベルでの能力の足りなさなどは、さして大きな障害にはなりません。
5)道具意識がもたらす大らかな生き方
霊界の道具としての“自己反省”
スピリチュアリストは、自分自身を厳しく反省する時間を持たなければなりません。その際、大切なことは――「道具としての自分の姿勢をチェックする」ということです。一日の終りに、自分の心の持ち方が道具として正しかったかどうかを振り返るのです。自分自身の複雑な心理分析などは、不要です。
「自分なりの勝手な判断をしなかったか」「自分の力に対する過信や気負いはなかったか」「傲慢ではなかったか」「高級霊を信頼し、しっかり委ね任せていたか」「他人からの見返りや評価を期待していなかったか」「相手に与えるだけで満足していたか」「取り越し苦労をしなかったか」――こうした点から自分の内面を厳しくチェックすることが、スピリチュアリストにとっての自己反省の内容であり、謙虚な道具となるための日課なのです。
「霊界の道具」として、すべてを捧げて歩むだけ
道具意識に徹すれば、悲観的な考え方をする必要がなくなります。自分の心を暗く狭いところに閉じ込め、自分で自分をいじめることがなくなり、大らかに生きられるようになります。私たちは高級霊という最高の権威者の道具である以上、自分自身について、あまり深刻に悩んではなりません。最高の力を持った存在に、しっかりとつながっているからです。
当然、将来についても自分なりの心配をする必要はありません。私たちには、間違いなく“ベストの道”が開かれていきます。霊界の導きの中で、道具として最善を尽くすのです。進むべき方向を自分であれこれ探し求め、エネルギーを浪費する必要はありません。霊界の導きに委ね、ただ自分の人生を道具として捧げることだけを考えればよいのです。
今後の人生を、すべて高級霊に任せることにしましょう。高級霊の導きを心から信頼し、自分にできる精いっぱいの努力をしていきましょう。「霊界の道具」として働けるなら、それ以上望むものは何もないはずです。今、自分が高級霊の道具として貢献しているなら、他人の反応、他人の不道徳に心を痛める必要はありません。私たちに求められているのは、道具として全力を尽くすことだけです。それがすべてなのです。
「案ずることはありません。あなた方は自分なりの最善を尽くせばよいのです。もうこれ以上はできないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、あとは私たちに任せる気持ちにおなりなさい。人間は自分にできるかぎりの努力をしていればよいのです。それ以上のことは要求しません。」
6)私たちの能力の足りなさを補ってくれる道具意識
私たちを最大限に活用しようとする高級霊たち
現実の私たちは、多くの点で未熟さを抱えています。心には、醜い思いがいっぱい詰まっています。自分の清らかさにも、愛の深さにも、自信が持てません。とても立派な信仰者とは言えません。足りなさばかりが目立ち、スピリチュアリストとしての合格点は、もらえそうにありません。
しかし、そうした私たちの未熟さ・醜さは、神はもとより高級霊たちも細部に至るまで知り尽くしています。そのうえで私たちに、「地上の道具」として立つことを期待してくれているのです。私たちは自分の決意ひとつで、高級霊の道具となることができます。「霊界の道具」としての純粋な決意さえあれば、高級霊は私たちをスピリチュアリズムのために最大限に用いてくれるのです。そして自分一人の力をはるかに超えた、大きな働きができるようになるのです。
年老いても、能力がなくても、問題はない
「自分は年老いてしまったから……」「自分には能力がないから……」「今は忙しくて十分な時間がとれないから……」というような言い訳は、口にすべきではありません。高級霊の方から、私たちを待ち望んでくれているのです。高級霊は、地上人の何十倍、何百倍もの力を持っていることを忘れてはなりません。その高級霊が全面的に援助してくれるのです。
高級霊は必要に応じて、私たちの足りなさを補ってくれます。純粋な道具意識を持ち続けてさえいれば、必ず最高の奉仕の場が与えられるようになります。「自分は本当に人類への奉仕ができるのだろうか?」といった心配は、きっぱりと捨て去ってください。スピリチュアリズム運動の“主役”は霊界人であり、私たちはその“脇役”であることを忘れてはなりません。
自分の足りなさを嘆くことより、ひたすら高級霊の「良き道具」を目指す
自分の足りなさ・醜さを嘆くのではなく、自分のすべての意識とエネルギーを「霊界の良き道具」となるために費やしましょう。道具としてスピリチュアリズムのために貢献することに力を傾けましょう。シルバーバーチは――「皆さん方には、精いっぱいやることだけが期待されているのです」と言っています。シルバーバーチのこの言葉を素直に受け入れ、スピリチュアリズム普及のために霊界の道具として可能なかぎり役に立ちたいとの思いで心を満たし、自分の人生と時間を高級霊に委ねることにしましょう。
高級霊の道具としての歩みが始まったときから、私たちにとって“ベストの道”が展開するようになります。他の地上人には決して真似のできない、価値ある人生が開かれるようになります。私たちは霊界の道具として働く中で、かけがえのない地上人生を最高に価値あるものへと高めることができるのです。死後、霊界に入ったときに高級霊たちから、「よく頑張ってくれた」とお褒めの言葉をいただけるように、その導きを信じて奮起するのです。
7)狂信・盲信とは無縁なスピリチュアリズムの道具意識
従来の宗教の間違った“殉教”
「神にすべてを委ねる」という信仰は、スピリチュアリズム以外の他の宗教にも見られます。その代表が、キリスト教やイスラム教やユダヤ教などの一神教の宗教です。一神教における信仰では、自分という存在のすべて、生命までも神に捧げ、自らの人生を神の思し召しに委ねようとします。こうした宗教の歴史の中には、信仰の情熱と純粋さが“殉教”という形で結実しています。
しかし彼らの信仰がどれほど純粋であっても、「霊的事実」に照らしてみると、その内容は根本から間違っています。一神教における“絶対帰依”の信仰は、間違った教え・霊的事実とは異なる教えの上に立った的外れな行為にすぎません。一神教で説くような神もイエスも、現実には存在しません。彼らは、人間が勝手につくり上げた架空の神やイエスに人生を捧げてきたのです。
無知に付け込んだ“狂信”
キリスト教などの一神教だけでなく、他の多くの宗教にも強烈な“殉教精神”が見られます。現代の新宗教・新新宗教でも、殉教を厭わない熱烈な信仰が存在します。こうした組織宗教では、教祖が地上の神のような存在となり、絶対的な信仰対象となっています。
一人の人間を神に祭り上げる“人間信仰”は間違いであり、その偽善は霊界においてすべて白日のもとにさらされることになりますが、地上では無知に付け込んだ“狂信”や“人間信仰”がまかり通っているのです。信者の純粋な献身性は、信仰対象が本物でないために結局、こっけいな狂信となっており、本当に哀れとしか言いようがありません。
こうした信者の純粋さに付け込んで教祖や宗教組織が犯す大罪は、霊界においてそれに見合った厳しい償いの苦しみをもたらすことになります。
スピリチュアリズムだけが、すべてを捧げても狂信とはならない
こうした多くの宗教の実態を見るたびに、スピリチュアリズムの基盤が真実の霊的知識・霊的真理であってよかったと、つくづく思います。何千、何万とある地上の宗教の中で、唯一“スピリチュアリズム”だけが本物だからです。スピリチュアリズムの教えに従って自らを霊界の道具として提供し、自分のすべて、人生のすべてを捧げても決して間違いを犯すことはありません。
私たちスピリチュアリストが委ねる高級霊の巨大組織は、実在します。これがスピリチュアリズムと他の地上の宗教との根本的な違いです。「地球人類救済」の使命に立った正真正銘の高級霊たちに絶対帰依し、人生を託すことができるのは、スピリチュアリズム以外にはありません。スピリチュアリズムだけが、強烈な道具意識からすべてを捧げて歩んでも、狂信にならずに済むのです。
「道具意識」とは――自分のすべてをより大きなものに結びつけ、より広くて高い価値的世界で自分を活かそうとする生き方です。それは地上的・物質的な視点からは“自己放棄”の生き方のように映るかもしれません。しかし、霊的世界の事実を何も知らない人たちが物質次元から根拠のない批判をしても、私たちは取り合う必要はありません。霊界に行けば、何もかもはっきりすることです。そうした相手に対しては、哀れに思ってあげればよいのです。
この世にあって、この世を超越した生き方
スピリチュアリズムにおいては、委ね捧げる対象が霊界の高級霊たちという現実の存在であるがゆえに、安心して身を投げ出すことができます。何の心配もなく自己を積極的に預けることができます。その結果、この世にあって、この世を超越した生き方が可能となるのです。スピリチュアリズムと出会い、「高級霊の道具」として歩めることは最高の幸運です。私たちはまさに、スピリチュアリズムならではの特別な恩恵にあずかっているのです。
8)高級霊の願いに応え、霊の道具に志願する
「スピリチュアリズム普及」にかける高級霊の決意と真剣さ
高級霊たちの「地球人類救済」にかける決意とそれを実現するための周到な準備、そして霊界を挙げての計画的な働きかけによって地上で“スピリチュアリズム運動”が展開するようになりました。今この時も、高級霊たちは全力を傾けて働きかけています。世界に向けて、アジアに向けて、日本に向けて、そして一人一人に向けて、総力をあげて働きかけています。その結果、人類史上最大のプロジェクトが着々と進行しているのです。
シルバーバーチはしばしば、霊界の高級霊たちの「スピリチュアリズム普及」にかける決意と真剣さを披露しています。何としても地球人類に救いの道を示そうとする“使命感”の強さを繰り返し述べています。スピリチュアリズムは、自分たちの利益を一切求めることなく、ただ地球人類の救いだけを願う高級霊たちの「犠牲的精神・真の利他愛」からすべてが進められているのです。
シルバーバーチの悲痛な訴え
次の言葉は『シルバーバーチの霊訓』の中で、最も感動的なものの一つです。シルバーバーチが霊界の高級霊たちの思いを代弁して、私たち地上人に必死に語りかけています。
「しかし忘れないでいただきたいのは、皆さん方のような地上での道具がなくては、私たちも何も為し得ないということです。皆さんは私たちに戦いのための武具を供給してくださっているようなものなのです。皆さんの力をお借りする以外に、地上には頼りにすべき手だてが何もないのです。喜んで私たちに身を委ねてくださる人以外に、道具とすべきものがないのです。
その道具が多すぎて困るということは決してありません。こちらの世界では、使用に耐えられる人物の出現を今か今かと待ちうけている霊がいくらでもいるのです。私たちの方から皆さんを待ち望んでいるのです。皆さんが私たちを待ち望んでいるのではありません。(中略)
もっともっと多くの人材――これが私たちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却する用意のできた、勇気と誠意と率直さにあふれた男女――霊力がふんだんに地上世界へ降下して人生を大霊の意図された通りに豊かさと美しさと光輝にあふれたものにするためなら、いかなる犠牲をも厭わない人材がほしいのです。」
高級霊の道具への志願は、スピリチュアリストとしての使命
何と切々たる、そして何とストレートな訴えかけでしょうか。この言葉を読むたびに、高級霊たちの心情が伝わってきて、胸が締めつけられます。自己の利益を一切求めず、ひたすら地上人の救いを願い、犠牲を買って出てくれた高級霊たち――その高級霊が私たちに、心の底から絞り出すようにして「自分たちの道具になってほしい!」と訴えているのです。霊界の人々の方から、「霊の道具として、スピリチュアリズムに志願してください」と言っているのです。
ここまで霊界サイドの願いを知りつつも、道具として志願しないとするなら、スピリチュアリストとしての使命に背くことになります。「霊界の道具」に志願し、自分の人生をスピリチュアリズムのために捧げることは、スピリチュアリストとしての義務であり責任なのです。
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