(3)地上の宗教的偏見と間違いに気がつく

――“地獄も悪魔も存在しない”

地獄もなく、悪魔もいないことに気がつく

多くの人間が、地上人生を間違った宗教の中で過ごしています。そこで教会の教えに背くと地獄に堕ちるとか、悪魔がいて悪の道に誘惑するといったことを吹き込まれています。あの世では神とサタンが対峙し、善の勢力と悪の勢力が霊界を二分して戦っていると信じ込んでいる人々もいます。間違った宗教の教えは、真面目な信仰者に“恐れ”を抱かせたまま死後の世界に送り込むことになります。

こうした信仰者が他界して、自らの死を自覚すると、真っ先に辺りを見回します。「今、自分がいるのは地獄なのか、悪魔やサタンはいるのか」と恐怖に駆られながら、おそるおそる周囲を眺めるのです。しかし、やがてそうした不安を持つ必要など全くないことに気がつくようになります。指導霊から、地上時代に信じ込んできた神と悪魔(サタン)との戦いなどないこと、地獄に引きずり込んでいくサタンもいないことを教えられます。実際に地獄も悪魔も見当たりません。また幽界にいる誰に聞いても、サタンとなった堕天使の話など作り話としてしか取り合ってくれません。

キリストの再臨を信じてきた者たちも、こうした幽界の現実に遭遇する中で、これまで信じてきた宗教の偏見性と間違いに気がつくようになります。そしてそれほど時を置かずして、地上時代の宗教を捨て去ることになります。

地上時代の再臨信仰・人間崇拝信仰の間違いに気がつく

幽界に入ると、地上時代に教え込まれてきたような地獄やサタンは存在しないことに気がつくようになります。またキリストの再臨を待ち続ける信仰の間違いにも気がつくようになります。あれほど人生を懸けて待ち望んできたキリストの再来はないということ、“スピリチュアリズム”による霊的影響力こそがそのキリストの再臨の真の意味であったことを理解するようになります。そしてスピリチュアリズム展開の総責任者がイエスであることを知るようになるのです。この時点で、地上時代の間違った再臨信仰を捨て去ることになります。

しかし中には地上時代に、すでに再臨主が地上に現れていると信じ、その人物に人生を懸けてきた狂信者たちもいます。そうした者たちも、自分たちがキリストの再臨者と信じてきた人物の霊性の実態を幽界から知るに及んで、地上時代の信仰の間違いを悟ることになります。

地上で、教祖・メシア・預言者・大いなる現人神あらひとがみとされてきた人物の死後は、惨めです。彼らの真実の姿と霊的内容は、霊界では誰の目にも明らかになるからです。大半の狂信者は生前、神のように崇拝してきた人間の醜態を目のあたりにして、愕然とするようになります。地上時代に信じてきたものがガラクタ同然であったことを知り、大きなショックを受けるようになります。地上人生を無駄に過ごしてきたことを知って、後悔の念に駆られるようになるのです。

今、地上で特定の人間を教祖であるとかメシアであるとか、預言者・現人神として崇拝している人間は死後、必ずこうした絶望の時を迎えるようになります。地上時代にガラクタを宝と信じ込んできた自らの愚かさに、恥ずかしさを覚えるようになるのです。

このように地上の間違った信仰は、死後にも重大な影響をもたらすことになります。しかし、それでも幽界に入って地上時代の信仰の間違いに気づいた者は、まだましと言えます。

地縛霊となる狂信者たち

以上が、地上の狂信者が幽界においてたどる道ですが、なかには地上時代の狂信を死後も長い間、引きずってしまう者もいます。幽界で、これまでの信仰の間違いを指摘されても依然としてそれを捨て去ることができず、そこでも地上と同じ信仰を続けるようになります。周りの者たちが、「地上時代にあなたが信じてきた宗教は間違っているのです」と説得しても、頑として聞き入れません。それどころか事実を教えてくれようとする人間に対して「あなたは悪魔の手先だ」と非難したり、「サタンが誘惑している」と思ってしまうのです。そして同じような狂信者とともに、幽界に地上のような教会をつくり、一緒に信仰を続けることになります。

しかし、そうした“地縛霊”の状態はいつまでも続くものではなく、霊的世界の現実の中で徐々に目覚めていくようになります。

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