(5)思念が現実化する霊的世界
思っていることが現実化する
さらに幽界に入って驚くのは、自分が心で思っていることが、たちどころに現実化するようになるということです。そのため自分が欲しいと思うものが、何でも自由に手に入るようになります。幽界では意念を集中させるだけで、自分の欲しいものが幽界の大気中に充満する素材から、アッという間につくり出されるのです。地上のマジシャンがハトや花などを突然取り出すように、幽界では心の中で願っているものに意識を集中するだけで、それが目の前に瞬間的に現れるようになるのです。
例えば食べたいと思うものを思い浮かべるだけで、それが突如目の前に現れます。そして、それを地上で生活していたときと同じように食べることができます。また、お気に入りの洋服があれば、それも思い浮かべるだけで自然と身に付けるようになります。地上時代にはあまりにも高価で手に入れることのできなかったブランドものの洋服も、思いどおりに自分のものとなります。
こうしたことを聞くと、まるでアニメやおとぎ話のように感じられるかもしれませんが、幽界とは実際にこのような世界なのです。地上では全く想像もつかないようなことが現実に起こる世界なのです。さらに驚くべきことは、次に述べるように自分の好みに合った環境さえもつくり出せるようになるということです。
家や庭をつくり出す
地上世界では「こんな家に住めたらいいのに……」と思っても、お金がなければその夢は実現しません。しかし幽界では、いつの間にか希望どおりの家に住むようになります。何の苦労もなく、自分好みの邸宅に住むことができるようになるのです。庭園も自然な形で存在するようになります。手入れが必要であると思えばおのずと手入れされるようになります。
意念によってつくったモノを消すのは簡単です。意識を集中させるだけで、地上で水が蒸発するように簡単に消滅させることができます。また意念によってつくったモノに対する関心がなくなれば、いつの間にかそれは目の前から消え去ってしまいます。
朝・昼・夜をつくり出す
他界後、あまり日が経っていない霊の場合、どうしても地上的な感覚を持ち続けています。それを完全に拭い去るには、幽界における一定の期間が必要となります。したがって新参者(霊)の中には、幽界にも地上と同じように朝・昼・夜があると思い込んでいる者がいるのです。そうした場合、その者の思い(意念)にしたがって朝・昼・夜という環境が現実に展開するようになります。幽界にいる他の霊には、そのような区別はないのですが、その霊だけに地上のような朝・昼・夜ができてしまうのです。そして意念でこしらえた夜になると、辺りは暗くなり、睡眠をとるようになります。
実際には幽界には、朝も昼も夜もありません。しかしあると思い込んでいると、その通りになってしまいます。これが霊の世界における「意念による環境創造」なのです。その霊自身に霊的悟りが芽生えるようになると、自動的に朝・昼・夜の区別はなくなります。
地上時代、働くことしか知らなかった人の生活
地上時代、ただ与えられた仕事をすることしか許されず、自分のやりたいことが全くできなかった人がいます。そうした人間は、幽界でどのような生活をすることになるのでしょうか。
世の中には実際に、生きていくためにひたすら働かざるをえないというような気の毒な人がいます。また日々の忙しさの中に埋没し、ワーカーホリックとして人生の大半を過ごしてしまうような人もいます。そうした人間が人生の半ばにおいて急死したような場合、毎日の仕事に対する意識しか持てないまま幽界に入っていくことになります。
残念なことにこのような人々の多くは、意念による創造力を発揮するチャンスがないまま地上人生を終えています。そのため死後の世界に入ってから、いったい何をしたらよいのかを自分で決めることができません。地上でやってきた仕事以外のことは何ひとつ思いつかないため、幽界では自動的に地上時代と同じような仕事をすることになります。
ある人は地上時代のように、工場で機械を使ってモノをつくり続けます。もちろん工場も機械も製品も、本人の思いによってでき上がったモノなのですが、本人はそのことに気がつきません。ちょうど夢を見ている地上人が、夢に出てくるものが現実であると錯覚するように、幽界の工場も、そこでつくり上げる製品も現実であると思ってしまうのです。そうしたモノはどれだけつくっても増えません。ただ「つくる」という虚しい行為を繰り返し続けることになります。
また生前、商売だけに時間を過ごし、商売でお金を稼ぐことにしか関心を持てなかった人の場合も同様です。地上時代と同じように、店に立ってお客に商品を売り続けます。しかし売っても売っても、商品はなくなりません。すぐにまた、どこからともなく現れるのです。そしてモノを売って貯めたお金も、いつの間にかなくなっていきます。こうした虚しい状況が、しばらく続くことになります。
*ここまで「幽界」の様子を見てくると、ここ数年のうちに亡くなった人々の中には、今述べたような生活をしている人がいるかもしれないと、思い当たるかもしれません。また現在、地上で生活している大半の人々が死後、幽界でどのような時を過ごすようになるのかということも、おおよそ理解できるようになります。
意念による創造力は、重要な霊の能力
霊的な世界では、意念による創造力が、実際にモノをつくり出すことになります。とは言っても、誰も初めから、自由に思いのまま意念による創造力を発揮できるわけではありません。幽界でこうした創造力を発揮するためには、地上時代に物質次元で体験を積み、それを通して意志の力と集中力を身につけていることが必要条件となります。地上時代の生き方が問題となるのです。意志の力と集中力が十分でない人は、幽界にきても思うようにモノをつくることはできません。
そうした新参者に対して幽界では、意念による創造力を養うために、指導霊のもとで訓練に似たようなことが行われます。指導霊は彼らに一定の仕事を与え、それを通してより広範な意念の使い方をマスターするように仕向けます。創造力の弱い新参者を集め、一人一人にそれぞれ異なる仕事を分担させ、意志を用いて担当の仕事を達成させるようにします。初めはなかなか与えられた仕事に意識を集中することができません。その度にいびつな家をつくったり、グロテスクでへんてこな庭をつくったりしてしまいます。やがてそうしたプロセスを経る中で、徐々に正しい意念発揮のコツを覚えていきます。そして全員の意念の力を結集して、より大きな美しい家や庭園をつくり出せるようになります。
霊の世界では何事においても「意念による創造力」が重要となります。霊界における仕事も奉仕も、すべて意念によって行われます。意念集中による創造力の発揮は、霊にとっての重要な能力の1つなのです。