(5)人霊以外の霊的存在者〈2〉
――“妖精”
1)妖精の存在
小さな精霊たち
これまで地上に一度も誕生したことのない霊的存在を「自然霊(精霊)」と言いますが、この自然霊の中で高級なものが「天使」であり、低級なものが「妖精」とか「原始霊」と呼ばれます。霊視能力の優れた者(*特に幼い子供)が偶然、人間の周りや自然界で忙しく働いている妖精を見ることがあります。また、物語で見たことがあるような小さな人間の姿をした妖精が突如現れて、人間に挨拶をするようなこともあります。
天使に関する内容の多くが地上人には明らかにされていませんが、この小さな霊的存在(妖精)についても、ほとんど知らされていません。とは言っても妖精の世界は、天使の世界のように、霊界サイドの深い配慮のもとで秘密にされているというわけではありません。妖精というあまりにも繊細な存在者についての認識は、人間の霊を認識する以上にデリケートな側面があるため、なかなかその実態を知ることができないのです。
霊界の存在でさえ信じられない人間が多くいる中で、天使や妖精の存在を信じることのできる人はさらに限られます。一般の人々にとって妖精は、ファンタジーやおとぎ話の中だけの登場人物であり、実在するものとは到底思えません。スピリチュアリストを自称される人の中にも、天使や妖精の存在については、にわかには受け入れがたいと思っている方がいらっしゃることでしょう。しかし天使も妖精も現実に存在し、私たち地上人と深い関わりを持ち、大きな影響をもたらしています。
ここではスピリチュアリズムにおいて明らかにされた範囲内で「妖精」について述べていきます。
妖精あっての人間の存在
自然界の造化・営み・維持という摂理の遂行は、精霊の働きによって成立しています。自然界の運行と維持に、天使と妖精の存在は欠かせません。妖精あっての自然界なのです。
また自然界ばかりでなく私たち人間の一つ一つの行為にも、妖精は深く関わっています。その意味で私たちは、妖精なしには存在することができない、と言えます。それほど人間と妖精は密接な関係にあるのです。
幽界は妖精の雲海
私たちが住んでいる物質世界をミクロの視点から眺めると、バクテリアやウイルスなどの微小生物の大海が存在していることが分かります。この無数の微生物からなる世界は私たちの目には見えませんが、それは地球上の生命界の底辺層を形成し、すべての生命体を支える重要な働きをしています。この無数の微生物の生命活動のうえで、動物や人間といった上位の生命体が存在するようになっているのです。
霊界の妖精は、地上世界における微小生物から小生物に至る下位の生命体に相当します。幽界には、無数ともいえる妖精が存在し、それはさながら“妖精の雲海”と言ってもよいほどです。妖精の大群は、自然界の背後のあらゆる場所に存在し、幽界の下層全体を包み込んでいます。
地球全体を一つの有機的生命体であるとする“ガイアの思想”は、こうした妖精の存在を抜きにしては考えられません。妖精と地球の関わりを考慮したとき、初めてその深い意味が理解されるようになります。神の造られた世界の中で、妖精が存在しない場所はないのです。
2)妖精の役割・使命
天使は、神の王国の役人として摂理(王国の法律)を執行し、王国全体を管理する立場にあります。「神の摂理」を離れて存在するものは何ひとつありません。したがって神の王国の役人である天使の支配を受けない世界(霊界・宇宙)と存在物はない、ということになります。そうした天使の末端の仕事を受け持つのが妖精です。天使という神の王国の役人に雇われ使われる職人たち・労働者たちが、妖精なのです。
霊界全体が「高級天使―天使―下級天使」という天使界となっており、このヒエラルキーを通じて神の意志が伝えられ、神の愛とエネルギーが神の王国の隅々まで届けられるようになっています。妖精は、こうした天使のヒエラルキーの底辺、すなわちヒエラルキーの最下層に位置する下級天使のもとで働いています。下級天使の指揮下で、現場の仕事に携わっているのです。
摂理に基づく天使の支配は神の王国のすべてに及びますが、その末端には必ず妖精の一群が存在し、天使の手足として活動しています。自然界の創造・運行・維持は、すべて天使と妖精の働きによって進められています。妖精は霊界に充満する大気から「霊的エネルギー(生命エネルギー)」を取り入れ、それを物質条件の整った植物に届けます。その生命エネルギー(*これを“生命素”と言い、霊の一種です)が付与されることによって、植物は生命体として存在することになります。“生命素”は、植物の物的身体に合わせて「生命素体」を形成します。こうして生命体としての植物が成立するようになるのです(*この「生命素体」は、死とともに「生命素界」に戻るという形で消滅します)。
3)2つのタイプの妖精と、妖精界の全体
「想念霊」としての妖精
このように妖精は、天使の支配のもとで神の摂理を遂行する末端の仕事に携わっていますが、実は妖精は2つの種類に分類されます。
その一つが、下級天使によってつくられた“想念体”としての妖精です。下級天使が、自然界の造化・支配・運行という使命を果たすために、自らの想念で自分の分身となる霊的存在をつくり出すのです。霊界では、天使や人間の霊が一つのイメージを強く思い続けると、それが形を取って現れるようになります。こうした想念・思念によって発生した霊的存在を「想念霊」とか「思念霊」と呼びます。妖精の一つの種類が、この下級天使によってつくられた霊的分身です。
想念による妖精の誕生は、ちょうど孫悟空が自分の毛を一本引き抜いて息を吹きかけ、無数の小さな分身をつくり出すのと同じようなものです。
下級天使によってつくられた無数の「想念霊」は、精密なリモートコントロール・ロボットとして忙しく働くことになります。ロボットといっても意識が全くないというわけではなく、低次元の意識のようなものを持っています。地上界においてミツバチやアリが、高次元の意識がないのに全体として優れた集団行動をするのと、よく似ています。妖精の場合は、天使の意識を“共同意識”として一つの目的に向けて働くことになります。
こうして自然界のあらゆる所で、天使の想念からつくられた妖精が群をなして活動しています。そして妖精たちはやるべき仕事を終えると、消滅します。「想念霊」としての妖精は、天使や人間のように永遠の個別性を持ってはいません。動物が死後、個別性を失い「集合魂(グループ・スピリット)」の中に吸収されるのと同じように消滅していきます。
本当の妖精
――「原始霊」としての妖精
想念霊としての妖精とは別に、天使と同様に“神の分霊”を与えられ、独立した「個別霊」として創造された妖精がいます。これを想念霊の妖精と区別して「本当の妖精」「原始霊」と呼びます。この妖精は、進化の低い霊的存在として下級天使のもとに置かれ、そこで神の摂理を遂行する役割を与えられることになります。下級役人(天使)の末端の仕事・現場の仕事に携わるようになります。
こうした妖精たちは、自然界(地球)を形成する空気・土・水・火の要素別に存在し、それぞれの仕事を担当します。すなわち“空気”に所属する妖精、“土”に所属する妖精、“水”に所属する妖精、“火”に所属する妖精に分かれて天使の支配を受けて働き、神に貢献することになります。まさに「原始霊」というべき存在者なのです。
この妖精たちの働きを一言で言えば、地球を形成する要素(世界)の進化に寄与する、ということになります。自然界の運行や自然現象、また自然災害は「神の摂理」によって展開していますが、それは具体的には天使と妖精の働きかけによってなされています。こうして地球を形成する物質界は、きわめてゆっくりとしたスピードで進化しています。
地球ならびに自然界の背後には、常に天使と妖精の存在があるのです。
*物質界(地球それ自体)が進化しているということは、なかなか受け入れられません。しかし物質界も神の摂理のもとで、徐々にではあっても確実に進化しています。自然界の変化・天変地異は、人間の側からは“自然災害”として映ることが多いのですが、それは物質次元における進化のプロセスの一つなのです。そしてその自然現象に、天使と妖精が直接関わっているのです。
下級天使に進化する妖精
妖精(原始霊)たちが所属する4つの領域の間には、明瞭な線引きがなされていて、他の領域に入ることはできません。妖精たちは、それぞれの所属領域において、長い時をかけて進化の道をたどることになります。
なかには進化の果てに“下級天使”になっていく妖精もいると言われます。
アニミズムにおける“精霊たち”とは?
日本人は古来より土の神・水の神・火の神といったように多くの神々の存在を認めてきましたが、実はそれらはこうした妖精たちを霊視したものだったのです。アニミズムは無数の神々や霊的存在を認めるところに成立しますが、アニミズム信仰の対象となる精霊の多くは、自然界に遍在する妖精たちだったのです。
こうした観点からすると、すべての存在物と自然界に神々が宿るとする“アニミズム”は、まさに正しい霊的認識の上に立っていたことが分かります。
4)妖精の外見・身体・知性・意識・性別
外見・身体
妖精は地上近くに(ほぼ地上世界に接して)無数に存在していますが、それを認識することができる霊能者は、ほとんどいません。その理由は、妖精は人間の霊のように常に一定の身体形式(霊体)を維持してはいないからです。また妖精は天使とは異なり、地上人が認識しやすいような姿をなかなか取ってはくれません。妖精たちは普通、エネルギーの
稀に地上人が妖精の姿を見ることがありますが、それは妖精が無意識のうちに地上人の“エクトプラズム”を引き寄せて、自らを物質化させたものです。物質化した妖精の多くが人間のような容貌や身体をしていますが、実はこれは地上人の先入観に相応してでき上がった姿なのです。時に妖精は、地上人の思いを汲み取って自分の姿を物質化させ、地上人に見せることがあります(*世界各地で妖精に出会ったという話が聞かれますが、その“妖精の姿”は国や地域によって違っています。それは人々が抱いている妖精のイメージが、それぞれ異なっているからです)。
天使はもともと光り輝く存在(光源体)として存在していますが、地上圏に降りてくるときには、地上人と同じ身体形式をわざわざこしらえます。妖精が小さな人間の姿をつくり出すのは、(天使のような意識は持っていないとしても)これと同様のことなのです。
知性・意識
本当の妖精(原始霊)であっても、天使や人間のような高度な知性と意識を持っている者は、それほどいません。しかし進化した妖精の場合には、地上の動物よりも遥かに高次の知性と意識を持っています。
一方「想念霊」としての妖精の行動は、地上の動物や昆虫のように無意識的・本能的になされます。想念霊の妖精は、自発的な知性的判断ができませんし、理性的思考に基づく意識もありません。支配する天使の意識が一群の妖精の“共通意識”を形成します。当然、そこには天使や人間のような個別意識・独立意識はありません。そして役目を終えると消滅するようになります。
性別
天使と同じく妖精も、男女(雌雄・陰陽)間の生殖行為によって繁殖するようにはつくられていません。したがって妖精には、本来、性別はありません。しかし天使と違って妖精は、地上人の意識に大きく影響される要素を持っています。知性的にも進化の点でも地上の人間の方が高いため、妖精は地上人の影響を受けるようになるのです。
次で述べますが、人間は妖精の進化に影響を与えるため、ある意味で妖精に対して責任を負っています。人間は動物に対して支配力を持っている代わりに、動物の進化について責任を負うようになっていますが、それと同様に妖精に対しても責任を負っているのです。
妖精は地上人を真似て結婚したり、夫婦生活を演出することがあります。しかしこれは小さな子供が、大人を真似て“ままごと遊び”をするようなものです。したがって妖精が男女の区別をもって現れ、その姿が霊視されたとしても、それを真に受けて“妖精にも男女の区別がある”と考えてはなりません。どこまでも演出した男女である、ということです。演劇で男役・女役を演じているのと同じことなのです。
一方、妖精は自然界の存在と営みに直接関与しますが、その際、地上世界の男女・雌雄・陰陽の区別に相応した身体をつくるようなこともあります。地上世界の状況に合わせて、無意識のうちに男女・雌雄の区別をつくり出すのです。
5)地上人と妖精の関わり
妖精の進化に対して責任を負っている人間
天使とは異なり、妖精には強い個別意識や独立意識がないため(*よほど進化した妖精は別として)、進化の進んだ存在者の支配や影響を受けるようになっています。妖精に対して最も支配力を持っているのは言うまでもなく天使ですが、地上の人間も大きな影響を及ぼします。その点で妖精は、地上の動物たちと似たような境遇にあると言えます。
これは、心がけの良い人間が近くにいれば妖精は素晴らしい霊的存在者となるが、悪い人間が近くにいるとその影響を受けて邪悪な精霊にもなりかねない、ということを意味しています。地上世界の犬でも、愛のある飼い主に育てられればその性格は穏やかになり「集合魂(グループ・スピリット)」としての進化が促されますが、人間に苛められ愛を与えられなかった犬は、性格もいじけ、人間を恐れ嫌うようになります。当然、集合魂の進化は促されません。妖精もそれと同じような状況に置かれています。
地上人は、「動物を愛してその進化に寄与する」という責任を神から与えられていますが、幽界の妖精たちに対しても――「彼ら(妖精)の進化を促し神の王国の進歩に貢献する」という責任を負っているのです。
地上の物質中心主義・利己主義は、妖精世界の破壊者
地球上の大半の人間は、物質中心主義・利己主義に陥っています。地上人の「物質中心主義」と「利己主義」は、自然界にとっては破壊勢力以外の何ものでもありません。神が計画し、天使と妖精が関わってつくり上げた地球上の自然界は現在、とても惨めな状況にあります。そして人間は、霊界からの天使と妖精の働きかけを妨害し続けています。
人間が「神の摂理」に忠実に従ってその責任を果たすなら、天使と妖精との協力関係の中で、もっと素晴らしい環境・自然界をつくり出していくことができるのですが、これまでの地球人類の歩みは、それとは正反対のものでした。動植物を痛めつけ苦しめて悲惨な状態に追い込んできたばかりでなく、動植物を支配・管理する天使や妖精に対しても大きなダメージを与えてきました。
妖精の復讐?
人間が生きていくうえで必要な環境として造られた自然界は、人間が摂理にそって生きるかぎり、快適さと喜びを与えてくれるようになります。しかし「物質主義」と「利己主義」という摂理に反した地球人類の生き方は、自然界を破壊し、人々はそれ(罪)に見合った罰を受けるようになっています。「神の摂理」から逸脱した地球人類を正道に立ち戻らせるために、修正プロセスとしての「償いの摂理」が自動的に働くようになっているのです。
地球人類の利己的生き方の償いの道は摂理によって展開し、人々にとって辛い状況(苦しみ)を招くことになります。その代表的なものが“自然災害”です。自然災害は実際には、摂理にそった地球の活動の一つ・自然現象の一つにすぎませんが、それを人間サイドから見ると“神が天罰を与えた・自然界が人類に復讐した”というように映るのです。
こうした自然現象を通して地球人類は、摂理への違反という「カルマ」を清算することになります。これは“自然災害”は結果的に「償いの摂理」と関連して生じているということになり、霊的視野から見れば、人類にとって必要なもの・ありがたいものと言えます。
天変地異・自然界の異変・自然災害のすべては「神の摂理」に基づいて発生し、それらには天使と妖精が関わっています。そうした状況を霊的能力の優れた霊能者が霊視すると、無数の妖精(想念霊の妖精)が集団を形成し、人間に復讐しているように映ります。
しかし妖精は、復讐心や明確な目的意識があって“自然災害”を引き起こしているわけではありません。地上の昆虫が無意識に人間が丹精込めてつくった農作物を食い荒らすように、妖精による自然災害もすべて無意識のうちに進められているのです。毛虫には“人間がつくった農作物を食べて困らせてやろう”などという悪意は全くありませんが、人間には悪意・敵意があるかのように感じられてしまうのと同じことです。
地上人のオーラは、妖精にとっては毒ガス
物質主義・利己主義・本能主義に支配された地上人から発せられるオーラは、妖精にとっては“毒ガス”に等しいものです。ただでさえ物質界は重苦しい所であるのに、利己的・本能的な人間が発するオーラはどす黒い覆いのように感じられます。人間の心は悪意と敵意と嫉妬に満ちていて、そのエネルギーは妖精を窒息させてしまいます。
したがって人間の欲望とエゴが渦巻く大都会には、妖精は長居をしません。自分の仕事が終われば、サッと姿を消してしまいます。神を心から信じ、利他的精神に満たされた人間を妖精は好みます。妖精は、そうした人間にエネルギーを与えたいと思うのです。霊性の高まりとともに人間は無意識のうちに自然界の雰囲気を好むようになりますが、それは妖精との触れ合いを求める“霊的本能”があるからです。妖精は、自然を愛する人間に親しみを感じ、近づきたくなるのです。
6)妖精と農業問題・環境問題
妖精との協力関係に基づく農業
地上の人間が摂理にそった生き方を心がけ、高い霊的意識を持ち、純粋な利他的愛で心を満たすとき、妖精と最も近しい関係を築くことができます。地上人の思いはそのまま妖精に届き、妖精の心を喜ばせます。
そうした関係ができ上がると、地上人は自然界に対して“愛”による支配力を持つようになります。心の清らかな農夫、奉仕精神にあふれた利己心のない地上人が育てる農作物は、そうでない人のものとは明らかに違っています。妖精からの全面的な協力を引き出した農業は、理想的な農作物を育てることができるのです。飼い主によって動物が変化するように、農作物や植物も、育てる人間の「霊性」によって大きく変化するのです。
将来の農業は、妖精とともに行う“霊性農業”が主流になっていきます。現在では、物質欲に駆られた農業が支配的であり、自然を破壊し、妖精の努力を無にする“収奪・エゴ農業”となっています。その結果、人間にとって理想的とは言えない作物を収穫するようになっているのです。
「環境問題」の究極の解決法
人間が神の摂理に忠実に従っていれば、妖精の協力のもとで、ある程度までなら自然界を支配することが許されるようになります。妖精の全面的な協力を得られるような状況においては、自然界を部分的にコントロールして雨を降らせたり、自然状況を変えることもできるようになります。
妖精の中で高級なものは“デーバ”と呼ばれ、かなりの知性を備えています。地上で特殊な心霊現象を起こす際には、このデーバが背後から現象現出のための働きをします。その力が、人間の希望に応じて自然界を部分的に変化させてくれるのです。
このように見てくると、現在の地球人類が抱えているさまざまな「環境問題」の究極的な解決法は、人類が「霊性」を高める努力をする以外にはないことが分かります。環境問題の解決は、人々が摂理にかなった生き方をして初めて可能となるのです。
現在の地球上では、人間のエゴ的な物欲追求の結果“地球温暖化問題”が発生して大騒ぎをしています。こうした問題は、人間自身が「神の摂理」にそった経済活動をするようにならないかぎり、根本から解決することはできません。