(2)霊界の全体的様相

これまでの宗教は、空想としか言いようのない事実から懸け離れた死後の世界を人々に説いてきました。実際の霊界は、これまでの宗教が教えてきたような所とは全く異なります。スピリチュアリズムは、霊界にいる住人から直接、霊的世界についての情報を入手してきました。その結果、これまでの宗教では想像もつかないような多くの霊的知識が地上にもたらされることになりました。

ここではスピリチュアリズムによって明らかにされた霊界全体の様子を見ていきます。スピリチュアリズムの思想[Ⅰ]で取り上げた内容と部分的に重複するものもありますが、復習をかねてもう一度整理します。

1)光り輝く素晴らしい世界

私たちの住む地上が暗黒の世界であるのに対し、霊界はまさに光り輝く世界です。しかしこれまでの宗教は、霊界の素晴らしさを教えることができませんでした。それどころか暗く恐ろしいイメージばかりを地上人に示してきました。そのため人々は、死後の行く先に恐れを抱き、“死後は今よりもっと辛く苦しい生活を送るようになるのかもしれない”と不安を募らせてきました。しかし今後は、そうした恐れや心配は一切不要です。なぜならスピリチュアリズムによって、すべての人間が死後赴くことになる世界、永遠に住むことになる霊界は、光り輝く素晴らしい所であることが明らかになったからです。

最高に贅を尽くした王侯貴族や大金持ちの生活でさえも、霊界での最低の生活に遠く及びません。霊界から見ると、地球はまさに暗黒の世界なのです。さまざまな霊界通信が、「霊界の素晴らしさを地上の言葉で表現することはできない」と伝えています。「地上では見ることができない無数の色彩が満ち溢れた霊界は、まさにパラダイスのような所である」と述べています。地上人にとって霊界は、夢に描いてきた理想郷であり、魂の奥底から求めてきた極楽浄土そのものなのです。あらゆる不安から解放された理想の世界なのです。仏教で説く“極楽浄土”とは、霊能力を持った地上人が垣間見た霊界の様子ではなかったかと思われます。

その極楽浄土は、私たちが今住んでいる地球から遠く離れた所にあるのではなく、私たちが生きているこの場所に、次元を異にして存在しているのです。

2)「界層」の世界

――霊的成長に応じて住み分けがなされる

霊界は光り輝く素晴らしい広大な世界ですが、その霊界は、驚くことに無数の「界層」から成り立っています。人間は皆、永遠の霊的進化・霊的成長の道を歩んでいます。そしてすべての人間が、それぞれ異なる霊的成長の段階にあります。この霊的成長のレベルによって霊界では、一人一人の生活する場所が違ってくるのです。霊界には無数の「界層」が存在し、人間は死後、各自の霊性レベル(霊的成長レベル)に見合った界層に赴くことになります。一人一人が自分の霊性にふさわしい界層に自動的に引き寄せられ、そこで生活することになります。このように霊界では、霊的成長に応じて住み分けがなされるようになっています。

昔から宗教では、死後の世界を“天国”と“地獄”に分けてきました。また神秘思想家や霊能者の中には、霊界は7つの界層あるいは9つの界層から成り立っている、というようなことを述べる者がいました。しかし現実の霊界には、そうした限定された界層があるわけではありません。霊界とは、グラデーション的変化をともなう無数の界層からなる一つの世界であり、それぞれの界層には地理的な区切り・仕切りといったものは存在しません。

3)「類魂の仲間」としての霊的成長

――魂の家族としての共同生活・共同進化

一つの界層には、霊性レベルが同じ霊が集まるようになります。まさに“魂の家族”といえる者たちが共同生活を送り、共同進化の道を歩むことになります。このように同じ成長レベルの霊たちが集合すると、霊界では「心の融合化」という現象が起きるようになります。全員の意識が融合し、一つの大きな意識体(心)を形成するようになるのです。これが「類魂(グループ・ソウル)」です。

霊界の各界層では、すべての霊たちが互いの心を共有し、地上の物質的制約を完全に超越した状況が展開するようになります。そして「類魂」を中心とした全体進化のプロセスとして、「再生」という重要な出来事が行われることになります。

これについてはスピリチュアリズムの思想[Ⅰ]で詳しく述べていますので、ここでは省略します。

4)利他愛が支配する世界

広大な霊界とちっぽけな地球(地上世界)の間には、さまざまな点で根本的な違いがあります。その一つが、霊界が「利他愛」によって支配されているのに対し、地上世界は「利己愛」に支配されているということです。霊界には利他愛だけが存在し、神の摂理に一致した“霊的同胞世界”が実現しています。神を共通の霊的親とし、すべての人間が霊的兄弟姉妹として愛し合う“霊的大家族世界”が存在しています。全員が「与えることを優先する愛(利他愛)」で結ばれ、地上のような他人に嫉妬し、憎しみを持つ人間は一人もいません。霊界では利己的な思いを持つだけで、それがすぐに外観に現れ、誰からも一目瞭然となります。そのため他人に対して悪意を抱いたり、憎しみを持つということができなくなります。“悪感情”を抱くことが、どれほど間違った愚かなことであるのかを、誰もが実感するようになるのです。地上世界では当たり前の意地悪な人間は、霊界には一人もいません。死後はすべての人間が、こうした世界の住人となるのです。そして利他愛の喜びが満ちあふれる中で、神が造られた世界の素晴らしさを満喫するようになるのです。

地上人はこれまで、キリスト教などを通じて理想の愛の世界を求めてきました。しかし現在に至るまで、それは永遠にたどり着けない高い目標のままにとどまってきました。地上世界では、自分の利益を後回しにして他人の利益を優先する人間は、ほとんどいません。ましてや他人のため・人類のために自分自身を犠牲にしようという人は、ごく稀にしか存在しません。もしそうした人間がいるなら、その人は聖人として人々から崇められることになります。

しかし霊界では、すべての人間が純粋な利他愛の持ち主であり、自己犠牲を当然のこととして受け入れています。霊界の住人とは、そうした徳の持ち主ばかりなのです。周りの人々に奉仕することに喜びを感じ、他人のために犠牲を買って出る人間ばかりなのです。

「利己愛」に支配された暗黒の地球

利他愛に支配され、すべての人々が摂理に一致した奉仕に専念している霊界――それとは正反対の世界が地上世界です。広大な宇宙の中で、地球は異常ともいえるほどの未熟さと悪がはびこる“暗黒の世界”となっています。

霊界から地上世界を見ると、霊的成長のために地上の人間がいかなる努力をすべきか、何を目標として努力をすべきかが明瞭になります。地上人は、霊界人の利他愛の生き方を見本として、これに近づく努力をしなければなりません。そうでない限り、いつまでたっても暗黒の世界から抜け出すことはできません。人間は「利他愛の実践」に励むことで、地上にいながら霊界人と同じ歩みをすることになります。肉体は物質界にあっても“霊的人生”を歩むことができるようになるのです。

5)飲食・睡眠・住居・お金が不要な世界

霊界では、飲食も住居も必要ありません。睡眠もとらなくていいのです。これらはすべて、肉体があればこそ必要だったものです。また衣服も必要ありません。衣服は、好みのものを意念によって簡単につくり出すことができます。

したがって霊界では、お金が全く意味を持たなくなります。当然、お金を稼ぐための仕事も必要ありません。地上人の多くが毎日仕事に追われ、疲労困憊しています。地上人生の大部分を、生計を維持するための辛い仕事に費やしていますが、霊界ではそうしたお金を稼ぐための仕事や労働は一切不要となるのです。

6)忙しく仕事に携わる霊たち

――霊界での仕事とは

活発に仕事に携わる霊たち

では霊界人は、いったい何をして時を過ごしているのでしょうか。地上のように働く必要がない霊界は、さぞかし退屈な所だと思うかもしれません。もし今、地球上に住んでいる人間が事故などで突如霊界に入るようなことになったなら、霊界の事実を知らない大半の人々は何をしたらよいのか分からずに戸惑うことになるでしょう。

霊界の人々は現実に、どのようにして毎日を過ごしているのでしょうか。霊界では、すべての人々が忙しく活動しています。いずれの霊も仕事に携わり、じっとしているような者は一人もいません。仕事をせずに勝手気ままな生活を送っているような者は、霊界の下層世界(幽界)を除いては存在しません。霊界では誰もが活発に仕事に携わっています。霊界では肉体がないため、どれだけ活動をしても疲れるようなことはありません。意欲があれば好きなだけ仕事に専念することができるのです。

完璧な適材適所の実現

霊界では、一人一人の人間の「霊的成長度(霊性レベル)」と「能力」に応じた仕事が与えられるようになっています。霊界における仕事(活動)は霊にとってある種の義務と言えますが、そこには一切の強制的要素はありません。霊界での仕事(活動)には、無理やり誰かから命令されたり、ノルマを課せられるといったようなことは全くありません。あらゆる仕事や活動が個人個人の自発性に基づいて行われ、自らが望み自らの意志で選択した仕事につくようになっています。

そのため霊界では、常に“完璧な適材適所”が実現するようになっています。

「利他愛の行為」としての仕事

霊界ではすべての霊が、自分に合った仕事に携わるようになっています。仕事を持たない霊は存在しません。それは仕事それ自体が「利他愛の奉仕」であり、神の摂理と一致する道となっているからです。霊界では、仕事という利他愛の行為を通じて「霊的成長」が促され、それによって喜びと幸福がもたらされるようになっています。仕事は奉仕のチャンスであり、霊的成長を促す最も尊い行為であり、まさに喜びと幸福の源泉なのです。

こうした理由から霊界では、霊たちは必ず仕事(活動)に携わるようになっています。すべての霊が霊性レベルと能力に応じた仕事につき、それによって互いに与え合い、協力し合い、支え合い、助け合い、学び合って、ともに成長するようになっています。「利他性(利他愛)」に貫かれた霊界では、各自が他者のために仕事に励むことで摂理にかなった道を歩むようになっているのです。

最も重大な仕事

――“スピリチュアリズム運動”の推進に関係する仕事

霊性と能力に優れた高級霊は、スピリチュアリズム運動を進める「指導霊」としての役割を担い、大きな責任を持つことになります。「地球人類全体の救済」という最も重要な仕事を担当することになるのです。こうした中心的立場に立つ指導霊のもとに、国家レベルの指導霊・民族レベルの指導霊が配置されます。

スピリチュアリズムに直接関係する指導霊としての役割分担は、すべて厳格な適材適所の原則に基づいて決められます。

霊界での仕事は、最終的には人類の霊的進化と霊的救済に集約される

地球人類の霊的進化に貢献する「指導霊」としての役割はさまざまですが、その中には、地上の政治家・医者やヒーラー・芸術家や音楽家・動物愛護や環境問題に関係する人間を霊界から導き援助するという仕事もあります。さらには一つの社会や家庭を導く役目を与えられる者もいます。また「守護霊」として一人の地上人を導き援助する役目につく者もいます。

このように霊にとっての仕事は無限にありますが、そのいずれもが最終的には人類の「霊的進化・霊的救済」という一つの目標に集約されるようになっています。すべての霊が与えられた仕事を通して“スピリチュアリズム運動”の一翼を担い、地球人類の霊性進化のために奉仕し貢献することになっているのです。

霊界を支配する「霊的成長至上主義」

霊界のすべての霊たちに共通している姿勢・一貫している内容があります。それは何をするにも常に「霊的成長」が最重要視され、すべての行為が「霊的成長」を目的としてなされているということです。いかなる霊も霊的成長を自分の人生の一番の目的とし、最大の願いとしています。

また霊界全体のあらゆる活動が、「人類全体の霊的成長」を目的として営まれています。すべての霊が人類全体の霊的成長を自らの願いとし、そのために働くことを喜びとしているのです。霊界人主導の「地球人類救済計画(スピリチュアリズム)」も、そうした霊界人の願いから出たものです。霊界人が総動員で進めているスピリチュアリズムは、地球人類の霊的成長を目的として展開されている霊的救済計画なのです。

現在の地球上では、ほとんどの活動や営みが、モノとカネと権力を手にすることを目的としています。大半の人々が、より多くのモノとカネを持つことが幸せであると思い込んでいます。まさに物質を重要視する「物質的価値観」が地球人類の心を支配しているのです。

しかし霊界には、そうした物質的価値観にとらわれているような者は一人もいません。霊界における価値あるものとは「霊的成長」のことであり、それ以外のものには一切価値を認めません。霊的成長だけが人間に真の喜びと幸福をもたらすことを、すべての霊が実感しているのです。「霊的に価値あるものを追求することを人生の目的とする」―こうした考え方が「霊的価値観」です。物質的なものではなく霊的なものに価値を見出すことが霊的価値観ですが、それは「霊的成長至上主義」において徹底化されることになります。

霊界では、すべてにおいて「霊的成長至上主義」が行きわたっています。それは神が、人間を永遠に成長する存在として造られた事実に基づきます。「霊的成長を願い、どこまでも霊的成長の道を歩み続けること」――それがそのまま神の摂理に一致したあり方となります。霊界全体の営みは霊的成長に集約され、常に霊的成長という一点に向けられています。「霊的成長至上主義」は、霊界における常識であり、すべての霊界人の心を貫く大原則となっています。

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