(11)前世ブームの問題点
――前世リーディング・退行催眠・前世療法の詐欺性
地上人は、しばしば自分の前世を知りたがります。再生の事実を受け入れた人は、自分の前世はどのような人物であったのかに関心を持つようになります。しかし前世に対する低俗な好奇心は、“百害あって一利なし”といった結果をもたらすようになります。
世間では、本人の直感(インスピレーション)や霊能者(チャネラー)のリーディングや霊界通信、あるいは退行催眠などによって前世が分かると思われていますが、果たしてそうした方法によって、本当に前世の身元が明らかにされるようになるのでしょうか?
ここでは世間に流行している“前世探し”を検証し、前世を論じる際のさまざまな問題を取り上げます。
1)好奇心に駆られた前世探しブームと、ニセ霊能者(チャネラー)の暗躍
現在の前世探しブーム
多くの日本人は仏教の影響で「輪廻転生」を違和感なく受け入れてきました。それが「前世を知りたい!」という願望を、人々の中に引き起こしてきました。最近では新たな“前世探しブーム”が巻き起こっています。さまざまな書籍やメディアには、占い師や霊能者による前世占いがひんぱんに取り上げられています。
また前世探しは、日本国内ばかりでなく海外のニューエイジ――特にアメリカのニューエイジにおいて大きなブームとなりました。ニューエイジのリーディングやチャネリング、あるいは退行催眠や前世療法によって、これまで再生や前世などとはあまり縁のなかった欧米社会にも、その存在が知られるようになってきました。
前世も守護霊も知る必要はない
心霊世界に関心のある人は、「自分の前世は誰であったのか?」「自分の守護霊は誰であるのか?」を知りたがります。ここでいきなり重大な結論を述べると、スピリチュアリズムでは「自分の前世も守護霊も知る必要はない」と教えています。さらに「世間一般の霊能者を通じて示される前世や守護霊は、そのほとんどすべてが真実ではない」ということを明らかにしています。
スピリチュアリズムでは――「前世の過ちを償うために今生の人生があり、その今生の地上人生は、前世における霊的成長の到達点から出発している」と説いています。こうした霊的事実が分かれば、前世の自分がどの程度の人間であったのかを容易に知ることができます。今の自分を見れば、前世の霊的レベルは、はっきりと推測できるのです。前世に関心を持つ多くの人々は、前世の自分がどのような身分であったのかを知りたがります。有名人であったのか、どのような職業に就いていたのかといった「霊性」とは無関係なことだけに関心を向けるのです。しかし、そうした世俗的な事柄に関心を持つこと自体が、その人の霊性の低さを証明しています。もし、ある人が世俗レベルのことだけに関心を持っているとするなら、本人の前世の霊性はその程度であったということなのです。
前世と同様のことが、「守護霊の身元」についても当てはまります。地上人と守護霊の間には、霊的レベルの相応性があります。すなわち霊性の高い地上人には優れた霊が守護霊となり、霊性の低い地上人にはそれに見合った低い霊がなるということです。守護霊の身元を知りたいと固執することは、決して霊性の高い人間のすることではありません。そうした低俗な地上人に付く守護霊は、それに等しい霊性レベルということなのです。
安易に前世や守護霊を指摘する霊能者・チャネラーは“ニセモノ”
安易に、前世が誰であったのか、守護霊が誰であるのかを指摘するような霊能者・チャネラーは、一切信じてはなりません。本物ではないからです。彼らの言うことのいい加減さは、複数の霊能者・チャネラーに、同時にお伺いを立ててみればすぐに分かります。それぞれの霊能者・チャネラーの指摘する前世が、まるで違っているのです。もし冷静で客観的な観察眼を持っているなら、彼らがいかに口から出まかせのデタラメを言っているかに気づくはずです。
しかし大半の人々は、たとえ“嘘”であっても霊能者という特別な人間から、自分の前世が立派であったと言ってもらいたいのです。そうした霊的無知と低俗な願望が、馬鹿げた前世探しブームをつくり出しています。
2)本人の直感(?)による前世の思い出しの嘘
“デジャブ”は前世の記憶か?
最近、デジャブという言葉をよく耳にするようになりました。ある場所を旅行すると、初めてきたにもかかわらず以前にもそこを見たことがあるような強い感覚を持つことがあります。これを“デジャブ・
しかし“デジャブ”なる感覚は、そのほとんどが錯覚であったり、単純な思い込みにすぎません。もし本当に初めてきた場所であるのに、細部にわたるまで内面の記憶と現実が一致しているとするなら、それは睡眠下での「幽体離脱中に見てきた記憶」ということになります。いずれにしてもデジャブは前世の記憶とは関係ありません。強い妄想癖や空想癖のある人、あるいは前世を知ることに異常な執着を持つ人に生じるある種の錯覚なのです。
繰り返し見る夢と、一目惚れ
何度も、同じ場所や同じ人物の夢を見ることがあります。すると前世を信じる人々は、これも前世の記憶の蘇りであり、前世において深いつながり・因縁があった場所や人物だと思うようになります。それと似たようなことが“一目惚れ”についても起こります。ある男性が、初めて出会った女性に強く心を惹かれ、この人こそ自分の結婚相手だと思い込むようになります。自分と相手の女性は、前世で夫婦であったために、今生においても強く惹かれ合って再会したのだと考えるのです。
夢の中で繰り返し見る場所や人物の大半は、単なる「潜在意識の中の記憶の再現」であったり、「幽体離脱中の記憶」であることがほとんどです。もちろんそれらは前世とは何の関係もありません。霊的親和性がある人とは、幽体離脱中にたびたび会っています。とは言っても、その相手が必ずしも顔見知りとは限りません。もし地上人の霊性が一定のレベルにまで進化していれば、こうした睡眠中の体験や人との出会いについて、覚醒後に正確に思い出すことができるようになります。何度も夢に出てくる場所や人物が、自分とどのような関係にあるのかも正しく知ることができるようになります。
もし一目惚れが、本当に前世での恋人関係・夫婦関係によるものならば、とてもロマンティックな話ですが、残念ながら現実にはそうしたことはめったにありません。一目惚れのほとんどが、前世とは無関係な単なる肉体レベルでの好み・親和性にすぎません。前世に憧れる思いが、事実でないものを勝手に事実であるかのように決めつけているのです。
強い前世の直感
世の中には、自分の前世を正確に知っていると自信を持って答える人がいます。そのような人は、さまざまな直感体験を通じていつの間にか自分の前世を自覚するようになったと言います。またある人は、前世の記憶がインスピレーションとして呼び起こされ、自分の前世が分かるようになったと言います。こうしたケースは、前世に強い憧れを抱いている人、妄想癖を持った人、思い込みの強い人にしばしば見られます。
結論を言えば、自分が直感したという前世のほとんどは、実際には単なる本人の願望であったり、本人の自覚がないところで潜在意識がつくり出したニセの人格であったり、あるいは地上人をからかう目的で低級霊が与えたニセの情報なのです。
その中で、スピリチュアリストにもあまり知られていないケースが「潜在意識」がつくり出す“ニセの人格”です。次に、これについて見ることにします。
潜在意識と低級霊の働きかけによるニセの人格形成
自分の前世が立派であってほしいと願うのは、いかにも人間らしい感情かもしれません。しかし霊的真理に照らしてみると、それは決して褒められた願望とは言えません。そうした願望を持つ人々の多くが、霊的真理を知らず、霊的成長のために何をすべきか自覚していません。
前世に対する間違った期待が大きくなると、本人の「潜在意識」が記憶の層にある言葉を用いてフィクションをつくり出すようになります。そこに、さらに低級霊の働きかけが加わるようなこともあります。低級霊は潜在意識内の記憶の層から引き出した知識を素材として“ニセの人格”をつくり出し、本人に強く吹き込みます。すると本人は、それが自分の前世であると思い込むようになっていきます。
こうしたニセの人格の中で最も多いケースが、歴史上の人物です。悲劇の王妃であったり、名の知られた武士の妻であったり、戦で非業の死を遂げた武将であったりします。この段階ではすでに軽い憑依現象が進行しているため、本人は疑いを持つことさえなくなり、いっそう“低級霊”に翻弄されるようになっていきます。
自分自身で前世を思い出すことはできるのか?
前世に強い憧れを抱く人は、何とか自分の前世を思い出したいと考えますが、スピリチュアリズムの観点から見たとき、それは本当にできることなのでしょうか。霊性の高い人なら、努力によって自分の前世を知ることは可能なのでしょうか。こうした疑問に対して、シルバーバーチは明確な答えを示しています。
(質問)「人間は自分の前世を思い出して、それと断定できるものでしょうか。」
(答え)「もしその人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることができれば、それは可能です。ですが、はたして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうか、きわめて疑問です。(中略)あなたの現在の進化の段階においては、はたして今この地上においてそれが可能かとなると、きわめて疑問に思えます。つまり理屈ではできると言えても、あなたが今までに到達された進化の段階においては、それは不可能だと思います。」
進化の進んだ惑星では、前世を思い出すことができる
シルバーバーチは、地上人が前世を思い出すことは理論的には可能であるが、現実には不可能であると言っています。現在の惑星地球はきわめて未熟な進化のレベルにあり、そこに生きる人間が自分の前世を知ることは無理だということなのです。一方、宇宙には私たちの地球とは比較にならないほど霊的に進化している惑星もあります。そしてそこの住人には、前世を思い出すことが可能となっています。アラン・カルデックの『霊の書』には、次のような内容が示されています。
(質問)「地球より発達した天体上では、前世をもっと正確に思い出せるのでしょうか。」
(答え)「その通りです。まとう身体の物質性が薄らぐにつれて、宿る霊の回想力が鮮明になります。波動の高い天体で生活している者にとっては、過去の記憶は地球の人類より遥かに鮮明です。」
惑星地球よりも、進化の歴史が長い惑星にあっては、大半の人々が自分の前世を知っているのです。そしてそれと同じようなことが、何千年、何万年後の地球においても実現可能となるでしょう。もちろんそのときには、「再生」についての正しい認識が定着しているはずです。人類全体の霊性は今とは比較にならないほどレベルアップしており、現在の地球上で見られるような戦争や肉食といった野蛮な習慣などは、とっくになくなっていることでしょう。
3)霊能者による前世の指摘の嘘
自分自身で前世を思い出すことができないとしても、霊能者に見てもらえば、自分の前世を知ることができるのでしょうか。自分の前世を何とか知りたいという人々が、霊能者のもとに足を運んでいます。現在では、前世を教えてくれる霊能者が巷にあふれ返っています。スピリチュアリストの中にも、霊能者によって自分の前世を指摘してもらい、それをまともに信じている人がいます。
結論を言えば、霊能者が指摘する前世のほとんどが“嘘・ニセモノ”なのです。霊能者の口を通じて語られる前世情報は信用できませんが、それは以下の4つの理由によります。
①霊能者が意図的につくり上げた嘘(ペテン的霊能者の嘘)
霊能者の語る前世の多くは、意図的につくり上げられたニセモノです。依頼者の低俗な好奇心に合わせたインチキなのです。霊能者にとってみれば、適当に相手を喜ばせるだけで簡単にお金が入ってくるのですから、こんな“ウマイ話”はありません。口からどんな出まかせを言っても、相手はそれを鵜呑みにして疑いもせず、お金を落としてくれます。おまけに新たな客まで紹介してくれるのです。ニセの前世情報で一番多いのが、このケースです。テレビやメディアに登場する霊能者の大半が、こうしたペテン的霊能者です。
②霊能者の無知から出た思い込み
霊能者の中には、自分の単なる思いつきや想像を、すべてインスピレーションと決めつけるような傲慢で思い上がった人間がいます。霊性・人格ともに優れた霊能者を通じて稀に善霊が前世を啓示することがあり、それが本物のインスピレーションなのですが、自分から「前世を知りたい」と願うような地上人の低俗な要求に、善霊がまともに応えるはずがありません。それなのに相手の要求に合わせて都合のいいことを言うニセ霊能者が、あふれ返っています。
リーディングの大半がこの手の霊能者によるもので、本物のインスピレーションとは無縁です。そこで言われる前世なるものは、霊能者の無知から出た勝手な思い込みにすぎません。
③低級霊のカラカイ
霊能者が低級霊に騙されないようにするためには「霊的真理」に基づく武装が必要ですが、そうした防備が一切ないところでは、霊能者は、低級霊にとって格好の“カラカイ”の対象となります。低級霊は、ありもしない前世のヒントを霊能者に送ったり、映像を見せたりします。そして地上の霊能者が自分勝手な解釈をして人々を驚かせたり、また人々が騒ぎ立てる様子を見て楽しんでいるのです。
④低級霊のつくり出したニセ前世像(低級霊からの霊界通信)
霊媒的能力を持っている霊能者の場合には、低級霊はさらに強烈に、しかもストレートにニセの情報を送ることができるようになります。ニセの情報は、前世を知りたがっている地上人に、すべて真実として受け入れられます。また低級霊は、霊媒の潜在意識の中にある知識を用いて、地上人が喜びそうなストーリーを上手につくり上げます。実に詳細で手の込んだフィクション・ストーリーをつくり出すのです。
こうした作り話に、大半の地上人は簡単に騙されてしまいます。「霊の言うことは疑ってかからなければならない」という最低の常識さえ持っていない人々は、低級霊に好き勝手に
霊能者が、リーディングやインスピレーション・霊界通信を通じて指摘する前世情報のほとんどがニセモノです。「前世を知りたい!」という地上人の低俗な欲求が、ニセ霊能者をはびこらせることになっているのです。
エドガー・ケイシーの“アーカシックレコード・リーディング”による前世指摘は本当か?
ニューエイジのチャネリング、ケイシーやシュタイナーなどの神秘学では、よくアーカシックレコードという言葉が用いられます。実際、霊界には、宇宙・地球に関するありとあらゆる情報が収められた巨大な貯蔵庫・記憶層――“アーカシックレコード”が存在します。そして霊界にいる霊たちは、そこから必要に応じて情報を入手しています。
アメリカのエドガー・ケイシーは、入神中にこのアーカシックレコードにアクセスして、前世を含むさまざまな情報を入手したとして知られています。多くのアメリカ人が、このアーカシックレコードのリーディングによって前世を指摘されました。
霊界にアーカシックレコードが存在する以上、ケイシーがその特殊な能力によって、これにアクセスすることは理論的には可能です。現に多くのケイシー信奉者は、彼には特別な能力があったために、アーカシックレコードのリーディングが可能になったと主張します。しかしスピリチュアリズムの霊的真理の観点から見れば、ケイシーのリーディングによる前世の指摘は、きわめて信憑性に乏しいと言わざるをえません。
ケイシー信奉者たちは、ケイシーによる“アーカシックレコード・リーディング”は、彼の特殊な能力によるものであると言います。つまり、ケイシーは並外れた霊能力者であったと主張します。確かに、そうした見解は部分的には的を得ているかもしれませんが、それを全面的に受け入れることはできません。スピリチュアリズムから見ればケイシーは、どこまでも一人の霊能者、ただの霊媒にすぎません。実は、こうしたケイシーに関する質問が、シルバーバーチに投げかけられています。
(質問)「有名なアメリカのヒーラー、エドガー・ケイシーは、単なる霊媒と言っていいのでしょうか? ケイシーの信奉者のある者は、そうした見解を否定してきましたが……。」
(答え)「言うまでもなくケイシーは、一人の霊媒にすぎません。どのような言葉を用いてケイシーを表現したいと思っているのか知りませんが、彼はチャネルであり、霊の道具に他なりません。彼は霊力の受取人でした。彼が成し遂げた功績は、彼の肉体能力によってなされたものではありません。彼は、はるか遠くにいる病人のもとへ足を運んで病気の診断をしたのではありません。透視能力を用いて病人を診断したのです。これは彼が、紛れもなく霊媒であったことを示しています。
地上世界の人間は、時にお決まりの言葉を嫌います。“霊媒”と呼ばれると価値をけなされたように感じ、“霊的に鋭敏な人間”と言われる方がずっと価値があるように思うようです。しかし重要なことは、どのような言葉で呼ばれるかより、事実は何かということなのです。」
シルバーバーチはこのように述べて、ケイシーに対する誇大視・特別視に注意を促しています。ケイシーは一人の霊媒でした。霊媒の中では確かにその能力は優れていたかもしれませんが、霊界の高級霊から見れば、単なる地上の一人の霊媒にすぎませんでした。世の大半の霊媒が、その未熟さから間違いを犯したり勘違いをしたり、また低級霊の干渉を受けたりするのと同様に、ケイシーも多くの問題点を持っていました。
彼が“アーカシックレコード・リーディング”によって指摘したとされる前世も、霊界から見れば、ほとんど価値のないようなもの、地上人の低俗な好奇心に応じただけのものが大半でした。(*ケーシーについてはニューズレター11号で取り上げていますので、関心のある方はそれをご覧ください。)
詳しく知りたい
4)退行催眠による前世の指摘の嘘
ニューエイジや精神世界・新新宗教の登場で、輪廻転生を信じる人々の数が増えてきました。それと同時に、自分の前世への関心も高まっています。その一方で、もっと別の科学的な方法で、自分の前世を知りたいと考える人がいます。そうした人々の願いに適うものとして注目を集めるようになったのが“退行催眠”です。
催眠術は現在の心理学で、すでに市民権を確立しています。学問の一分野として認められています。その催眠術を用いて前世を探求するとなれば、いかにも科学的な方法のように映ります。また何よりも、退行催眠によって前世探求に乗り出しているのが心理学者や科学者であるという点が、いっそう信憑性を高めることになっています。最近では、心理学者や医療関係者などによる書物も数多く出版され、そこでは催眠術を用いて明らかにされたという前世が公表されています。(*また現在では、退行催眠を用いて前世のトラウマを解消するための“前世療法”が一種の流行となっています。)
ニューエイジャーや霊的世界に関心のある人々は、この科学性のある退行催眠によって、正確な前世情報がもたらされると堅く信じています。しかし一見、科学的な装いをまとった退行催眠によってもたらされるのは、錯覚や間違ったイメージでしかありません。退行催眠による前世の指摘は真実ではありません。
退行催眠による前世情報が事実でないのは、次の5つの理由によります。
①催眠術自体が、客観的な情報をもたらさない
催眠術は、「前世を知るには信頼できる方法ではない」ということです。催眠術は真実を引き出すには、あまりにも問題の多い手段であることは、心理学に携わる専門家にとって常識となっています。施術者の誘導によって、被術者の答えが簡単に左右されてしまうからです。
例えば、ある一人の人間に催眠術をかけます。そして深いトランス状態(催眠状態)に導いてから――「あなたは“蝶”になりました。美しいお花畑を飛び回りましょう」と誘導します。するとその人間は、まるで実際に蝶になったかのように、自分の両手を羽根にしてヒラヒラと飛び回る仕草をするのです。当の本人は自分自身が蝶になったような意識状態になっていて、決してニセの演技をしているわけではありません。催眠術を利用すると、このように人間を別の存在(動物や昆虫)にさせてしまうこともできるのです。こうしたことから催眠下では、ある人間を架空の前世の人格に仕立てるのは容易であることが分かります。催眠誘導の方法いかんで、どのような前世の人格もつくり出すことができるのです。
前世の問題と並んでひんぱんに取り上げられるのが、宇宙人に誘拐されてUFOの中に連れ込まれたという話(*アブダクション)です。この体験談も、そのほとんどが催眠術によって思い出されたものと言われます。本人は嘘をついているつもりはないのですが、催眠下でUFOに連れ去られた架空の体験を、実にリアリティーを持って説明するのです。
②催眠下では、潜在意識が催眠誘導にそってフィクションをつくり出す
催眠下では、本人の「潜在意識」がさまざまな知識を動員して、施術者の暗示誘導にそった答えをつくり出そうとします。例えば――「あなたは今、300年前に
その話を聞く施術者や周りの人々は、前世の記憶が蘇ってきたと錯覚するようになります。
③催眠下では、テレパシー能力が高まり、外部の情報を入手しやすくなる
催眠下では、霊的感受性が高まるのが普通です。そうした状態では、覚醒中には知ることができなかった他人の心の内を読み取ったり、外部の霊や人間から発せられる思念を“テレパシー”としてキャッチすることができるようになります。また施術者が心の中で勝手に想像しているような前世像を、逆に言い当てるようなこともあり、施術者は見事に騙されることになります。
このように催眠下では、テレパシー能力が高まることによって、通常では知り得るはずのない情報が入手できるようになり、それが前世の記憶と間違えられることになるのです。
④催眠下では、低級霊の働きかけが活発になる
催眠下では、理性的判断力や意志の力が抑制されるようになるため、低級霊が働きかけやすくなります。地上人をからかうチャンスを常に付け狙っている低級霊にとっては、低俗な催眠術はもってこいの働き場を提供してくれることになります。
ニセの情報を流せば、それがそのまま前世の情報として勝手に解釈されるようになります。催眠術にかけられている本人の常日頃の願望を読み取り、それに合わせた前世ストーリーをつくって語ることもあります。被術者の潜在意識を容易にコントロールできるようになるため、まさに“低級霊の思う壷”なのです。
⑤催眠下では、幽体離脱が生じる
催眠下では、容易に「幽体離脱」が生じるようになります。その際、本人の霊体がそれまで一度も行ったことがない場所を訪れ、そこでの情報を仕入れてくることがあります。その体験が、前世の記憶の蘇りとして間違って受け取られることになります。また幽体離脱中に霊界で仕入れた情報の一部が語られることもあり、それが前世に関係する情報と勘違いされるようになります。
以上で、退行催眠による前世探しが、どうして真実でないかの理由が明らかになりました。退行催眠の信憑性の欠如は、すべて催眠術それ自体が抱える問題点に起因します。“退行催眠”は、そうした問題点を曖昧なままにして、勝手に真実が明らかにされるとしているのです。施術者が意識的にか、あるいは無知からなのか、あまりにも催眠を楽天的に信じ込み過ぎています。
*生まれ変わりに関する研究の第一人者は、イアン・スティーヴンソンです。彼は、退行催眠を用いた前世探しに鋭い批判の矢を向けています。厳格なフィールドワークを土台とする彼の前世研究は、現代のニューエイジの軽率で安易な前世探しブームに、よい牽制となっています。
彼は、前世の記憶を持っていると思われる子供たちの身体上に現れる特徴を、前世との結びつきを示す重要な手がかりと考えています。しかしスピリチュアリズムの観点からすれば、そうした身体的特徴は、必ずしも前世を証明するものとは言えません。なぜなら霊が憑依している状況では、地上人の身体に、憑依霊の記憶に残っている身体的特徴が現れることがあるからです。例えば憑依霊の意識の中に、かつて地上時代に胸を刺されて殺された記憶が残っていると、地上人の肉体に同じような刺し傷の痕跡が現れることがあるのです。
同様のことが、幼少時の記憶にも言えます。憑依霊の記憶内容が地上の子供を通じて語られることは、よくあることなのです。
*前世というと、ニューエイジや精神世界に関心のある人たちの間では判を押したように「アトランティスやムー大陸の住人であった」また「歴史に登場する有名人であった」、最近では「レッドインディアンであった」というようなことを言う人間が多く見られます。
しかし、それはすべて作り話の類であったり、何の根拠もない馬鹿げた話です。単なる本人の願望がそのようにさせているのかもしれません。霊的真理を知らないところからの全く幼稚な話なのです。
5)霊媒現象と再生現象の混同
――“異言”は果たして前世の言葉なのか?
憑依霊の記憶を、前世の記憶と混同
憑依霊は、たびたび前世の人格と間違われます。憑依霊が、自分の地上時代の生い立ちや生活状況・人間関係について語り、その内容を検証すると、まさに事実と一致するというような場合があります。こうしたとき、それが地上人の前世の記憶によるものと誤解されます。また憑依霊が、取り憑いている地上人が一度も行ったことがない場所の様子を正確に述べたり、知るはずのない過去の建物の所在地をピタリと的中させるようなこともあります。この場合も、前世の記憶が蘇ってきたと錯覚されます。言うまでもないことですが、そうした情報はすべて「憑依霊の記憶」であって、地上人の前世の記憶ではありません。
憑依現象について必ず知っておかなければならないことは、「霊が地上人のオーラの中に入って憑依状態を引き起こすと、霊自身に、自分が地上人に取り憑いているという自覚が全くなくなってしまう」ということです。それと同時に「霊に憑かれた地上人の方も、自分の意識と霊の意識が混同して区別がつかなくなってしまう」ということです。つまり憑依した霊の側と、取り憑かれた地上人の側それぞれが、自他の区別がつかなくなってしまうのです。
憑依霊は、自分が地上人の肉体に取り憑いておきながら、しばしばそれを自分自身の肉体のように思い込んでいます。憑依霊と地上人の当事者同士がこうであるなら、それを外から見ている人間には、特に“前世の情報は簡単に得られる”との先入観を持った人間には、両者の区別はきわめて難しくなります。結果的に、憑依霊の記憶を前世の記憶と勘違いしてしまうことになります。
“異言”を前世の言葉と混同
異言という霊現象が昔からよく知られています。ある日突然、霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のことです。聖書にもそうした異言についての記述が見られます(「使徒行伝」2章)。また現代のキリスト教や新新宗教の中にも、異言を語る宗派や教団が存在します。
異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象で、取り立てて騒ぐようなものではありませんが、問題はこの“異言”を、どのように解釈するかということです。心霊世界や前世に関心のある人間は、異言を“地上人が前世の言葉を使用している”と考えます。つまりギリシア語を語れば、その地上人の前世はギリシア人であったとするのです。しかし、それは事実ではありません。
霊界通信のメカニズム
スピリチュアリズムでは、“異言”を霊媒現象の一種と考えます。スピリチュアリズムの中で最も多く見られる「霊媒現象(霊界通信)」の形式は、シルバーバーチに代表される「間接談話」やモーゼスの霊訓の「間接自動書記」です。シルバーバーチによる通信の初期には、エクトプラズムでつくったメガホンで喋る「直接談話」の方式も用いられましたが、やがて間接談話の形式をとることによって霊界通信のレベルが向上しました。
こうした霊媒現象では、霊界の通信霊が地上の霊媒に向けて「思念の言葉(霊界の普遍的言語)」で語りかけます。霊の思考内容が、地上の言語という形式を用いずに“インスピレーション”として地上の霊媒に伝わります。それを霊媒の潜在意識が、地上の言語に変換・翻訳することになります。
このメカニズムをもう少し詳しく述べると、次のようになります。通信霊が、地上の霊媒と自らのオーラを融合化させることによって、霊媒の「潜在意識」を支配下に置くことになります。こうした状況下で霊は、霊媒の潜在意識の中に存在する単語や文体を用いて自分の思想の言語化を図ります。それと同時に潜在意識につながる発声機能や書記機能を用いて、言語化した思想を発声表現したり、筆記表現することになります。多くの霊媒現象では、こうしたプロセスを踏んで地上人に、霊界からの思想・教訓が届けられることになるのです。
したがって霊媒の口から出る言葉や霊媒によって書かれた文章は、霊媒が日常生活で用いている言語になります。英国人の霊が日本人の霊媒を通じて通信を送る場合は、当然、日本語になります。また大昔の日本人が現在の日本人霊媒を通じて通信を送ってくる場合も、通信は現代日本語として届けられることになります。
高級霊の通信方法
高級霊が通信を送る場合、できるだけ負担のかからない方法を選択します。間接談話や間接自動書記は、そうした目的に適っています。直接談話や直接自動書記(*霊が直接筆記する)では、通信内容を表現するために、霊にたいへんなエネルギーが要求されることになり、長時間の通信や込み入った内容の通信は難しくなります。
高級霊が、地上人にできるだけ正確に純粋なままの通信を伝えようとするとき、結局は「間接談話」や「間接自動書記」といった方法を選択することになります。(*間接談話のような入神中の霊媒を支配する方法ではなく、覚醒している霊媒に“インスピレーション”を送るという直接的な通信方式が、霊にとっては一番負担が少ないのです。しかしこの方法では、受信能力と翻訳能力が常に大きな問題となります。実際には通信が正確に受信されなかったり、受信されても霊媒の翻訳がいい加減で内容がデタラメになるといったことが多いのです。)
異言のメカニズム
さて、先程の“異言”に話を戻します。異言も霊媒現象の1つである以上、当然、霊媒の潜在意識を利用します。しかしこの場合は、一般の霊媒現象のような潜在意識による言語化というプロセスは省略され、霊媒の潜在意識につながる発声機能の領域だけが支配されることになります。霊界にいる霊たちの記憶の中から、あるいは霊界の記憶の層の中から、かつての地上時代の使用言語が取り出され、それが直接、霊媒の発声機能に乗せられるのです。こうして霊媒の使用言語とは別の言語が音声化されることになります。これが異言のメカニズムです。
潜在意識は普通、言語機能・発声機能と連携して作動するようになっています。異言では、これらの連携を切り離して発声機能だけを利用しようとするのですから、霊の側には不自然な負担がかかることになります。霊は、自分や霊たちの記憶の中から取り出した言語や、霊界の記憶の層から取り出した何らかの地上の言語を、ただ音声化することにのみ、すべてのエネルギーを費やすことになります。
高級霊が異言を語ることはない
“思想内容を伝達することより音声化”というこうしたショー的な意味のない通信――本来の目的を失った通信的行為を、わざわざ高級霊がするようなことはありません。高級霊にとっては、内容(思想・教訓・真理)を伝えることが通信の一番の目的です。その目的にそわないうえに、ただエネルギーを浪費するだけの行為に加わるはずがありません。
そうした行為は、地上人に対する霊界の“デモンストレーション”として、下級の霊に任されることになります。漢字を全く知らない霊媒を通じて漢字を書いたり、外国語を全く知らない霊媒を通じて外国語を書くようなことも、霊の力をもってすれば可能ですが、それは低次元のデモンストレーションとしての意味しかありません。
したがって“異言”は、霊媒現象の中でもさほど重要度の高いものではありません。それを演出する霊も、実際には大して霊的レベルの優れた霊ではないのです。(*こうした現象は高級霊の監視の下で、物質的影響力を行使しやすい下級霊・低級霊によって演出されることになります。)
6)前世を知る必要はない。前世より今をいかに生きるかが大切
自分の前世を知りたいと願う人々の心の底には、自分の前世が今よりもっと素晴らしかったことを確信したいという思いがあるのかもしれません。自分の前世が、有名人であったり歴史的な人物であったり、身分の高い人物や名の通った宗教者・修行者であってほしいということなのでしょうか。
しかしスピリチュアリズムでは――「前世を知る必要はない」と教えています。前世を知ることは、特別な人間以外には何の意味もないことなのです。再生の目的を理解すると、それが明瞭になります。
再生の2つの目的
前世を知りたいと願う人々に共通する傾向は、“再生についての肝心な知識がない”ということです。再生は、いったい何のためにあるのでしょうか? これについてはすでに取り上げましたが、もう一度復習します。
再生には2つの目的があります。1つは――「前世の地上生活で十分に果たせなかった霊的成長の不足分を埋め合わせること」です。もう1つは――「前世でつくり上げた霊的成長を阻害する悪因縁(悪いカルマ)を償い清算すること」です。
前世より、今を正しく生きることが大切
こうしたことが分かっても、なお自分の前世を知りたいと思う人間がいるかもしれません。しかし前世の自分の霊性が、今とは懸け離れて高かったというようなことは決してありません。前世に憧れることは、全く馬鹿げています。再生の事情をしっかり理解すれば、もはや自分の前世が何であったのかを探索する必要はなくなります。前世を知ろうとするより――「今この地上人生でいかに霊的成長をなし、前世のカルマを清算するか」ということに意識を向けるべきなのです。
前世など知る必要はありません。自分の前世など知らなくても、地上人生を最高に価値あるものにできるのです。前世にこだわる人間に限って「霊的成長」への関心が乏しく、利他愛の実践を心がけようとはしません。低俗な好奇心に駆られて、かけがえのない地上人生を無駄に過ごしてはなりません。高い理想を目指した生き方、利他愛の実践を第一とするような生活に、自分の意識とエネルギーを向けなければならないのです。
高級霊は決して安易に前世を教えない
前世の歩みの結果として今の自分があるということを知れば、前世の自分がどの程度の人間であったのか、容易に想像がつくはずです。今、何の意味もない前世探しに奔走するような人は、前世もその程度の人間であったということになります。
スピリチュアリズムでは、前世を知ることを重要視してはいません。前世を知ることが大切であると述べている高級霊は、一人もいません。地上人がどれほど前世についての質問をしても、決して教えようとしないのが普通です。高級霊の目には、地上人の前世など一目瞭然です。また守護霊も、地上人の前世を知っています。しかし、それでも安易に前世を教えるようなことはありません。もし前世について簡単に教えてくれるような霊がいるなら、それは“低級霊”と判断して間違いありません。
地上人の霊的成長にとって前世を知ることが不可欠であるなら、霊的成長を最も願ってくれている高級霊や守護霊が、それを教えないはずがありません。聞いても教えてくれないということは、霊的成長とは無関係であるか、霊的成長にとってマイナスになるからなのです。霊的に未熟な今の地球人には、前世など知らせない方がよいということなのでしょう。
アラン・カルデックの『霊の書』の中に、次のような興味深い内容が示されています。
(質問)「再生した霊は、なぜ過去の記憶が消えるのでしょうか。」
(答え)「神がその無限の叡知によって人間にすべてを知ることができないように、また知らしめないようにしているのです。」
高級霊による本物の前世の指摘
もし、ある地上人の霊的成長にとって前世を知ることがどうしても必要となるような状況が生じるなら(*その判断はどこまでも「霊界サイドから見て」ということですが)、そのときには次のようなプロセスを通じて、真実の前世が示されることになるでしょう。以下は、アラン・カルデックの『霊媒の書』からの抜粋です。
「大霊は、時として、ある特殊な目的のために、いくつかの前世を啓示することを許すことがあります。あくまでも、それを知らせることが当人の教化と啓発に役立つと判断された時に限られます。そうした場合は、必ず何の前ぶれもなく自然発生的に見せられます。ただの好奇心から求めても絶対に許されません。(中略)
過去世の啓示は、次の条件下においてのみ信用性があります。すなわち思いも寄らない時に突如として啓示された場合、まったく顔見知りでない複数の霊媒によって同じ内容のものが届けられた場合、そして、それ以前にどんな啓示があったかまったく知られていない場合、これだけの条件が揃っていれば信じるに足るものと言えます。」
ここに挙げたようなプロセスによってのみ、本当の前世を知ることができます。しかし実際には、これほどの厳しい条件を満たすようなケースは、万が一にもありません。1%どころか、0.01%にも満たないと思われます。これは逆に言えば、世の中の前世の指摘は「ほぼ100%本物ではない」ということなのです。テレビなどのメディアにおける前世の指摘は、すべて真実とは程遠いものなのです。霊能者の作り話であったり単なる錯覚であったり、あるいは低級霊のカラカイにすぎません。
死ねば自分の前世は明らかになる
低俗な好奇心に駆られて、意味のない前世探しに奔走することは馬鹿げています。死ねば誰にでも、大きな意識の変化が訪れます。まず、睡眠下での霊界訪問のあらゆる体験を思い出すようになります。また、自分の守護霊が誰であったのかも知ることができるようになります。そして霊界での生活に慣れ、かつての霊的意識を取り戻すにともない、これまでの前世に関するすべての記憶が蘇ってくるようになるのです。
一定のレベルに至った霊は、前世のありとあらゆる出来事を細部にわたるまで思い出すことができるようになります。とは言っても「霊的成長」とは関係のない内容については、必要がないかぎり思い出すことはありません。それは記憶の層の隅にしまい込まれ、忘れ去られたような状態に置かれます。前世について優先的に思い出すのは、「霊的成長」に直接関係する内容です。霊は、自分の霊的成長に影響を及ぼすことになった地上人生の体験(*その多くは苦しみであったり、純粋な奉仕であったりします)については、完全に思い出すようになります。
7)ニセ前世探しブームに警告を発する使命
スピリチュアリズムの“前世”に対する見解は――「地上人は知る必要がない」ということです。「現在の地上人の霊性から見たとき、前世を思い出すことは不可能である」「現在、テレビなどのメディアで取り沙汰されている前世像なるものは100%真実ではない」ということです。
霊的成長を願い、霊的真理の実践に全力を傾けようとするスピリチュアリストにとって、自分の前世を知ることは重要な問題ではありません。死んで霊的意識を取り戻せば、誰もが自分の前世について正確に知ることができるようになるのです。スピリチュアリズムと出会い、最高の霊的知識を手にしたスピリチュアリストが、低俗な好奇心から前世を知りたいと願うような、そんな愚かなことをしていてはなりません。
それどころか私たちスピリチュアリストは、世間で流行している前世探しの間違いを人々に教え、導いていかなければならない立場に立っているのです。世間一般で行われている“インチキ前世探しブーム”に警告を発していかなければなりません。それが今、真っ先に「霊的真理」に導かれ、スピリチュアリストとして歩んでいる私たちの使命でもあるのです。