(2)類魂について

1)霊界における霊的家族の形成

霊界ではその人の霊的成長レベルに見合った界層に行くことを述べましたが、その界層の中で、魂の類似性を持った者同士が惹き合い、グループをつくるようになります。“類は類をもって集まる”といったことが現実に起こるのです。そうした霊的レベルの等しい霊の集合グループは、小さなものでは数十人から、大きなものでは数千人にも上る霊たちから成り立っていると言われています。

このように霊界では同じ霊的レベルに達した者同士が集まり、一緒に生活するようになります。そして1つの霊的家族というようなグループをつくります。こうした霊界における霊的グループの存在については、スウェーデンボルグをはじめ、モーゼスの『霊訓』やアラン・カルデックの『霊の書』などの霊界通信の中にも示されています。

2)類魂の成立

「類魂」とは?

そうしたグループを構成する霊たちは「霊的親和性」によって結ばれており、まさに「霊的家族」と言うべき親密な関係にあります。そしてそこで1つの大きな意識体をつくり出すようになります。メンバー全員の意識によって、1つの大きな共通意識ができ上がります。このようにしてつくり出された意識体を「類魂(グループ・ソウル)」と言います。「類魂」は、それぞれの霊たちの単なる集まり(霊的家族)のことではありません。霊的家族全員がつくり出す「共有意識」「意識の統一体」なのです。こうしたことは物質世界である地球上には決して存在しません。そのため私たち地球人には、類魂の内容を実感を持って理解することは、きわめて困難になります。

ここではそうした難しさを承知のうえで、可能なかぎり説明していくことにします。ここに50人の霊が集まって、霊的家族・グループを形成しています。当然、一人一人の霊は、地上のグループと同じように“個”としての意識・心を持っています。ところが霊界ではそれだけにとどまらず、一人一人の意識・心が惹き合って融合し、1つの「大きな意識体・大きな心」をつくり出すようになります。各自の意識は、1つの大きな意識体の中に溶け込むような状態になるのです。これが「類魂(グループ化した1つの大きな魂)」です。類魂について別の表現をするならば、霊的家族全員の融合意識、あるいは共有意識と言うことができます。

このように霊界では“個”としての意識がありながら、同時に「心の融合化・共有化・一体化」といったことが起こるようになります。「類魂」とは、多くの霊の意識からつくり出された1つの大きな心・大きな意識体(霊的意識)なのです。

「グループ・ソウル(類魂)」と、「ソウル・グループ(霊たちの集合体・霊的家族)」の違い

類魂(グループ・ソウル)の概念をさらにはっきりとさせるために、ソウル・グループ(霊的家族・霊たちの集合)との違いを説明します。今、地上に50人の人間がいます。そこでは50人の意識は、はっきりと区別されています。50人の人間が集まれば1つのグループができますが、その際、とても仲のよい友人同士であっても50人の意識・心は、それぞれ別々です。そんなことは当たり前だと誰もが思うに違いありません。ところが霊界では、そうした地上人の常識が根本から覆される想像もつかないようなことが生じるのです。それが意識の融合化、すなわち類魂化なのです。

地上では、どこまでも50の別々の意識が存在していますが、霊界では、1つの大きな意識体ができ上がります。そしてその大きな意識体(類魂)が、個々の意識よりも優先されるようになります。1つの大きな共有意識が存在し、その中に50の個々の意識が含まれ、融合するという状態になるのです。

霊界における霊的家族の集まりは、ソウル・グループです。1つ1つのソウル(霊)が集まってグループをつくっています。しかし、それだけではまだグループ・ソウルではありません。言うまでもないことですが、地上世界ではこうした大きな共有意識、類魂はつくられません。霊界のような「類魂(グループ・ソウル)」――1つに集まってグループ化した「大きなソウル・大きな魂」はできません。これを分かりやすく図示すると次のようになります。

グループ・ソウル(類魂)

「類魂」は、最新の霊的知識である

このように説明しても、類魂についてはなかなか実感を持って理解することはできません。なぜなら意識の融合化・一体化という類魂化現象は、地上には全く存在しないことだからです。肉体を持った地上人には、絶対に体験できないことだからです。

この「類魂」という概念は、スピリチュアリズムによってもたらされた最も深い霊的知識の1つです。類魂の事実は、これまでの人類にはとうてい理解が及ばないものとして、秘密のベールがかけられてきました。しかし地球人類が20世紀に至る段階を迎え、“マイヤース”や“シルバーバーチ”などの高級霊からの霊界通信によって、初めてその実態が明らかにされるようになりました。アメリカのニューエイジでも、1970年代に“セス”からのチャネリングによって、こうしたグループ・ソウル(類魂)について部分的に言及されるようになりました。

「類魂」について知るということは、霊界における奥義の1つを垣間見るというほどの重要な意味を持っています。もともと地上には存在しない類魂の内容を地上の言葉を用いて説明することには、たいへんな困難がともないます。説明する側、それを受ける側、ともにきわめて難しい状況に立たされるのです。しかしスピリチュアリズムを代表するシルバーバーチの努力によって、現在では類魂について、かなりの部分まで明らかにされるようになりました。

以下では「類魂」について、もう少し詳しく見ていくことにします。

3)類魂という地上にない共有意識の内容

感情・思考の共有化

霊界において、霊的家族の中に入ってみると、周りの霊たちがあまりにも自分に似ていることに驚きます。意識や考え方・性格が、まるで自分とそっくりなのです。この親しさは地上のどんな人間関係とも違っています。オシドリ夫婦も、生死を共にした兄弟や友人もはるかに及びません。そこにいるメンバー全員が、まさに自分の分身のようであり、真の心の兄弟・霊的兄弟であると実感します。

さらに驚くことは、他の霊の感情までが自分の心の中に入ってきて、自分の心に溶け込み、自分の感情の一部となるのです。すなわち他の霊との間に「感情の共有化」が起こるのです。他の霊の喜びが自分の喜びそのものとなります。また感情ばかりでなく、他の霊の考えていること・思考も共有することができます。他の霊の考えていることが自分の考えのようになるのです。これが「類魂意識」――すなわち霊的家族間の共有意識(心)なのです。

個と全体の意識の一体化・融合化

このように霊的家族の一員となり自分の意識が類魂の一部となると、他の霊たちの感情や考えが自分のものとなりそれを全員で共有するという、地上では考えられないような意識状態が発生するようになります。そればかりでなく「類魂」の中では自分と他人という区別が希薄なものとなり、自意識がほとんど消え去り、自分の存在がメンバー全体の中に融合し、メンバー全体と自分が1つとなったような状態になるのです。すなわち個と全体の一体化・融合化といった驚くような状況が生じるようになります。

心と心が融合するなどということは、地上人の常識では考えられないことですが、類魂内では――「私の心はあなたの心」「あなたの心は私の心」、そして「自分の心はグループ全体の心」というような状態になるのです。自分の心という“個”としての意識は、類魂という1つの大きな共有意識体の中に融合してしまうのです。

実は地上でも、霊媒のオーラと通信霊のオーラが融合すると、一時的に自意識が消滅して自他の区別がつかなくなります。また低級霊に憑依された場合にも同じような状況が発生します。霊界における意識の融合化(類魂化)は、これがもっと強烈な形で引き起こされたものと言えます。こうした状況を譬えで図示すると、次のようになります。

霊界における意識の融合化(類魂化)
※容器の中に、網目の仕切り(個の区別)があります。容器の中の水(類魂)は、自由に行き来でき、共有化されます。

地上時代の体験の共有化

また類魂内では、「地上時代の体験の共有化」もなされるようになります。類魂を形成する霊的家族のメンバーが地上で生きていた時代は、さまざまです。400年前に地上人生を送った者、100年前、さらには10年前まで地上にいた者などがいます。当然のことですが、メンバーの中には西洋人もいれば東洋人もいます。そこには人種も民族も国家の区別もありません。

地上時代の職業も種々にわたっています。僧侶だった者もいれば、商人や医者だった者もいます。また教師や農夫だった者もいます。しかし「類魂」という共有意識の中では、こうした人種・民族・時代・階級・文化的背景・職業などの区別は一切なくなります。そして地上時代の各自の体験は、全員で共有されるようになるのです。類魂の中では、まさに地球上のさまざまな区別・差別が一切取り除かれた「人類一家族」という理想的な人間関係ができ上がります。

それと比べると、地球上に今なお強く見られる人種差別や民族意識・国家意識・階級意識は、現在の地球人類が、いかに低俗な物質的意識に支配されているかということを示しています。

地上の血縁信仰の偏狭さ

霊界における霊的家族の存在と、そこで発生する意識の一体化・共有化という事実に照らしてみると、これまで地上人類が固執し縛られてきた“血縁信仰・家系信仰・血筋信仰”の偏狭さが浮き彫りにされます。地球人類は、人間は霊的存在であるという霊的真理を深く理解することができなかったために、肉体と肉体の結びつき、血縁の結びつきを必要以上に重要視してきました。血筋(肉体生命の連続性)を維持することが、最も重大なことであるかのように錯覚し、こうした認識の上に立った血縁信仰が人々の心と生き方を強く支配してきました。

しかし霊界の事実を前にすると、地上のそうした血縁信仰などは跡形もなく霧散してしまいます。死後に残るのは血縁関係ではなく、霊的な愛の関係でしかないからです。日本の伝統的な死生観では、先祖の霊は死後において進化し、個性を持たない“祖霊”となると考えられてきました。ここには「類魂」に通じる深い内容が含まれていますが、同時に大きな誤謬もあります。個性を超越した祖霊は、血縁関係にある先祖霊たちの集合体として見なされていますが、実際には霊界で類魂を構成する霊たちの中には、血縁関係のある者はほとんど含まれていません。この点で日本の伝統的死生観の核である“祖霊”と、スピリチュアリズムで言う「類魂」は全く違っています。もちろん霊界には、祖霊なる集合魂は存在しません。

また中国や朝鮮・韓国などの儒教圏に見られる血縁信仰を土台とする“先祖崇拝”の習慣も、霊界の事実と照らしてみると何の根拠もないことが明らかになります。地上でどれほど血縁関係を重視していても、霊界に入るとそれには何ひとつ重要性がないことに気がつくようになります。先祖崇拝の儀式にともなって現れる先祖霊なるものの多くは、単なる低級霊にすぎません。

血縁信仰の強いところでは、先祖から現在に至る家系図を大切にし、血のつながりを誇り、また定期的に儀式を行って先祖との結びつきを確認・維持するといったことが延々と行われてきました。しかし霊界から見れば、それらは物質レベルでの無知な慣習に他なりません。そこにあるのはきわめて物質色の濃厚な霊魂観で、およそ真実の霊魂観とは言えないものなのです。

「類魂」と「再生」の事実は、霊的真理の奥義

「類魂」という霊的事実は、高級霊によって明かされた霊界の奥義です。今この時期に至って、初めて地球人類に開示されることが許された重大な霊的真理の1つなのです。「類魂」に関する霊的事実が明らかにされたことによって、人類にとって長い間、難解なテーマとされてきた「再生」について、初めてその真実が解明されるようになりました。

『霊訓』の通信霊インペレーターは――「今(1880年代)はその時期ではない」と言って再生について詳しく述べることを避けました。しかしその後、時を経て、マイヤースやシルバーバーチによって類魂を中心とする再生論が説かれるようになりました。わずか30~40年ほどの間に、地上のスピリチュアリズム運動は大きく進展したのです。

以下では、シルバーバーチによって初めて明らかにされた「類魂説」に立脚した画期的な「再生論」について見ていきます。

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