(10)胎児霊の再生について

再生とは、前世を持った霊が霊的成長やカルマ清算のために、再び地上に誕生することです。ところが現実には、さまざまな理由によって地上に生まれる前に母親の胎内で死亡する場合があります。そしてせっかくの再生のチャンスを失ってしまうようになります。

こうして物質界に誕生できなかった胎児は、その後どのような運命をたどることになるのでしょうか。もう一度、再生のチャンスは与えられるようになるのでしょうか。ここではそうした「胎児霊」の再生の問題を取り上げます。

1)胎児霊の存在

流産や中絶によって肉体を失う胎児霊

妊娠の瞬間から、霊は母親の子宮に宿ることになります。ところが何らかの理由で、流産したり中絶されるような事態を迎えることがあります。そうした時、その霊はたとえ未熟であっても霊的身体(霊体)を携えて生き、成長していかなければならなくなります。流産や中絶によって肉体という物的表現の媒体、地上生活のための乗り物を失っても、それによって霊と霊体は滅ぶことにはなりません。

こうした肉体を失った「霊的胎児(胎児霊)」は、日本では水子霊と呼ばれてきました。胎児霊は一個の独立した霊であり、妊娠の瞬間から“永遠に生き続ける存在”としてすでに出発しているのです。そして肉体という物質世界での表現器官を失っても、霊界で成長を続けることになります。

流産や中絶によっていわゆる“水子霊”ができることになりますが、自然流産と中絶人工流産も含む)では、その内容は違っています。地上人の動機や再生霊の事情、またそれによる罪の内容は全く異なることになります。

流産に関わる再生霊の事情と霊的背景

地上の親が、子供の誕生を願っているにもかかわらず、胎児が母親の子宮内で死亡することがあります。これが流産ですが、こうした流産にはさまざまな霊的原因が関係しています。霊界にいた霊が胎児に宿り、再生人生を始めることについては、すでに述べました。この場合、霊は再生に先立って、自分のカルマを清算し、霊的成長をもたらしてくれる両親・肉体を選ぶことになります。新しい人生について、自分で納得したうえで再生に臨みます。しかし、そうした再生霊も時として、自ら選択した試練に後込みし、やがて地上に誕生することを強く拒絶するようになる場合があります。そのようなとき胎児の肉体は死亡し、流産することになります。せっかくの地上への誕生というチャンスを自ら放棄した再生霊は、たいへんな苦しみを持って、その罪を償わなければなりません。一方、地上の両親は、流産によって大きなショックを受けることになりますが、それがカルマの清算や霊的目覚めのきっかけになることが多いのです。

また再生霊が地上に誕生することを願い、地上の両親もそれを心待ちにしながらも、予期せぬ事故や体調の悪化などによって流産するようなこともあります。このようなケースでは、再生霊には優先的に次のチャンスが与えられることになります。同じ親、あるいは別の親を選んで地上に再生することになります。この場合も、親は念願の子供の誕生が叶わず、一時的に悲しみの中に落とされることになりますが、時間の経過とともに少しずつ心が癒されていくようになります。こうした流産のケースも、やはり地上人にとっては試練とカルマ清算の意味合いがあります。場合によっては両親は死後、霊界にいる自分の子供になる予定だった胎児霊と会うようなこともあります。

これとは別に『霊の書』には、胎児に霊が宿らないために流産するという特殊なケースがあることが述べられています。初めから生まれることが計画されていなかったにもかかわらず、妊娠することがあると言うのです。

こうした特殊なケースが本当にあるかどうかについての確証はありませんが『霊の書』では、このようなケースでは、胎児の肉体はあるところまでは成長するが、やがてその物質的な肉体は機能しなくなると言っています。

流産と中絶の罪の違い

胎児霊(水子霊)をつくるという結果は同じであっても、自然流産と人工妊娠中絶(*人工流産も含む)では、それに関連する霊的状況は全く異なっています。先に述べた自然流産のケースでは、地上の両親が罪をつくることにはなりません。流産によって地上の親は苦しみの体験をするのが普通ですし、もともとエゴ的な要素はありません。

それに対し中絶の場合は、地上人のエゴによって、一方的に胎児の肉体を葬り去ることになります。それは地上の人間を殺すのと同じ殺人の罪を犯すことであり、水子となる胎児霊は不当な被害をこうむることになります。中絶を行った罪は、すべて地上人に科せられることになるのです。罪の償いは、人それぞれ異なりますが、苦しみや後悔といった強い心の痛みがともなうようになることは共通しています。

地上で罪の償いができなかったときには、死後、自分の子供になるはずであった胎児霊と対面させられることになります。おそらくその時には、針のムシロに座らされるような心境を味わうことになるでしょう。

霊的事実に対する無知が、中絶の最大原因

地上人が「中絶」という殺人を犯してしまうのは、霊的事実に対して無知であるためです。胎児には受精時にすでに魂が宿り、私たちと同じような独立した人間になっていることを知らないからです。地上人と胎児は、霊的な本質において何の違いもないことが分かっていないのです。胎児は肉体を奪われると、小さな霊体にくるまれてその後も生き続けなければなりません。その胎児霊と、いつか必ず霊界で対面させられることになるのです。

こうした事実を知らないために、胎児を単なる肉体(物質)と考えて、安易に中絶に走ってしまうのです。

奇形の胎児も、生存する権利を持っている

胎児が私たち地上人と同じ生命的存在である以上、法律によって「中絶」を殺人罪に定めることは当然です。生まれたばかりの子供を殺したり捨てたりすれば、現在の法律でも罪が問われ罰せられることになりますが、胎児に対してもそうあるべきなのです。

また現在では超音波などの検査技術が発達して、子宮内の胎児の状態もはっきり分かるようになっています。そのため胎児の身体に異常が見つかれば、当たり前のごとく中絶してしまいます。最近では、喫煙や乱れた食生活の影響で女性の身体が弱化し、奇形児の発生率が非常に高いと言われています。奇形の胎児を中絶することは、心情的に理解できないわけではありませんが、それでも“殺人”という罪を犯すことには変わりありません。身体障害者を殺せば殺人罪に問われますが、奇形の胎児を中絶することは、それと同じ罪を犯すことなのです。

奇形児を身ごもったということは、実は単なる偶然ではありません。奇形の胎児にも霊は宿り、地上に生まれる日を待っています。このような霊は、わざわざ辛い地上人生を選択して奇形児に宿ったのです。一方、奇形児を持つことによって地上の親も、辛い人生を体験することになります。しかし霊的に見たときその親は、霊的成長のために、そうした体験が必要であったということなのです。奇形の胎児を霊的視野から見ると、以上のような状況が浮かび上がってきます。

単に肉体的な異常があるから生まれさせてはならない、親が苦労するから中絶するというのは、唯物的視野に立った身勝手な考え方です。奇形児の中絶は、肉体という物質的外形しか見えないこの世の人々には何の問題もないことのように映るかもしれませんが、実は大きな罪を犯しているのです。中絶する医者も殺人実行犯として、同じ罪に問われることになります。

ただし、何としても子供が欲しいと願っていたにもかかわらず、母体の健康上の理由によって、母親の生命を取るか、胎児の生命を取るかの選択を迫られる場合があります。こうしたケースでは、母親の生命維持を優先して中絶したとしても「霊的摂理」に反することにはなりません。同じ中絶であっても内容的には自然流産と同じで、罪に問われることはないのです。状況によっては中絶のために生命を落とした水子霊と、霊界に行ってから喜びの再会をするようなこともあります。

2)胎児霊の再生

胎児霊は必ず再生する

再生霊にとっては、せっかく地上人となるチャンスを与えられたのに、地上人のエゴによって一方的にそれが奪われることになるのですから、そのショックはたいへんなものです。再生霊は、霊界における念入りな準備のもとで、悲壮な決意を持って再生人生を出発します。自分の霊的成長のためには、何としても地上に再生しなければならないことを自覚し、退路を断って新しい人生を歩み出すのです。したがって不幸にして「胎児霊(水子霊)」になるような事態を迎えても、再度、地上に誕生するチャンスを探し求めなければなりません。

一方、初めての霊(新しい霊)の場合も、地上への出発をすでに始めています。一個の独立した霊として存在し、永遠の進化の道を歩んでいかなければなりません。永遠の旅路を歩み出そうとするまさにその出発点で、中絶によって道が閉ざされてしまうことは大きな不幸です。しかし永遠の進化という宿命を与えられた以上、「胎児霊」となった霊は時をおいて別の母胎、あるいは同じ母胎に宿り、再び地上人生を始めることになります。

(質問)「堕胎された霊は、いつかまた誕生してくるのでしょうか。」

(答え)「そうです。責任は免れません。物質界への誕生の目的が自我の開発であり、そのせっかくの機会が叶えられなかった場合は、もう一度、必要とあれば何度でも、再生してきます。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.132

しかし胎児霊に、すぐに再生のチャンスが与えられるとは限りません。失敗に備えて次の再生の準備が整えられていた場合は別として、一般的には新たな出発をするのに、それなりの時間がかかることになります。再生のための準備期間が必要となります。

次に、再生に先立つ準備期間について見ることにします。

胎児霊のその後と、再生への準備

胎児霊が霊界(幽界)で歩むプロセスは、それぞれの霊によって異なります。すべての霊が、みな等しいプロセスを歩むわけではありません。受胎期間や霊的成長度、胎児霊になった状況など各自の霊的内容によって、その後の道筋が変わってきます。また新しい霊と古い霊でも、当然その後の状況は異なります。一般的な流産の場合には、以下に述べるようなプロセスを経て、霊界での成長の道をたどり、再生に臨むことになります。

胎児霊は、幽界でまず、彼らを専門的に扱う役目を持った女性たちの世話を受けることになります。そうした役目に就く霊の多くは、地上時代、子供が欲しくても叶わなかった女性たちです。あの世で、地上時代に実現しなかった「子供を愛し育てる」という体験をするのです。それは同時に哀れな胎児霊たちに対する利他愛の奉仕となっており、胎児霊たちは、こうした女性たちによって現実に救われることになります。

胎児霊たちは、女性たちに面倒を見てもらう中で、徐々に霊的世界に馴染んでいくようになります。そうして霊界に適応し霊的世界の事情に慣れるようになると、次に地上世界に関係した体験をさせられることになります。胎児霊はその道の別の専門家の手に預けられ、地上近くに連れて行かれます。そこで間接的に、地上生活を体験することになるのです。前世を持たない「新しい霊」の場合は、これまで一度も地上生活の体験がありませんが、すでに地上人として生まれていることには変わりありません。そのため霊的成長にとって“地球”という物質世界との関わりと、そこでの体験がどうしても必要となるのです。

「古い霊(再生霊)」の場合は、前世での地上体験や霊界での生活がありますが、いったん地上人として再生人生を踏み出した時点で、かつての記憶は霊の奥にしまい込まれてしまいます。そして地上人生を無事に終えて霊界に戻って行く場合には、徐々にその記憶が蘇るようになります。しかし胎児霊になってしまった場合は、ミニチュアの霊体に閉じ込められ、しばらくの間、胎児としての個性の中に押しとどめられることになります。そのため、かつての記憶をすぐに呼び戻すことはできません。そうした古い霊(再生者)の胎児霊も、一定のプロセスをたどって再び地上人の胎内に宿ることになります。

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