(5)霊界の時間と空間
時間と空間の制約を受けない霊界
霊的世界では、霊は時間と空間による制約を受けずに移動することができます。行きたい場所を念じるだけで、その瞬間に移動するのです。地球上のどの地域にも、思念の速さで行き着くことができ、その速度は光以上です。
ただしこうした霊的世界の移動でも、霊の「霊的成長度」が唯一の制約となります。霊的に成長した霊であればあるほど、より速く移動することができます。そして霊性の低い霊は、移動に時間がかかるようになります。思念の力が弱いからです。特に幽界では、まだ地上的な観念が残っているため自らの思念によってつくり出した地上風の乗り物に乗ったり、歩いて移動するようなこともあります。しかし、そうした霊たちも霊界での生活に慣れてくると、瞬間に移動するコツを覚え、時間と空間の制約を超越することができるようになっていきます。
“霊界には時間と空間がない”との間違った解釈
こうした霊的世界での移動状況を知って、霊界には時間と空間はないものと早合点する人がいます。そして霊界には時間がない以上、未来も過去も存在しないし、未来に行くこともできると考えるのです。さらには未来は、すでに実現している事実であるというような訳の分からない理屈を言う者もいます。
しかしこれらは明らかに空論であり、霊界の事実とは一致しません。霊界における移動が思念のスピードでなされるという事実は、「霊界には地上のような(地上と同じ意味での)時間と空間がない」ということを示しているにすぎません。霊界は地上的な時間と空間を超越している所である、ということなのです。
霊界には、地上世界のような時間と空間はない
霊界においても物質世界においても、およそそこに何かが存在する以上、必ず時間性と空間性が備わっています。“何かが存在している”ということは、それがいる時間と空間があるはずです。宇宙も霊界も超越した神(大霊)には時間も空間もありませんが、神によって造られた人霊や天使といった霊的存在には、必ず時間性と空間性がともないます。存在物がある限りは、そこには必ず時間と空間的広がりがあるのであって、地上世界だけに時間と空間があるわけではありません。もし時間性が全くないとするなら、霊が霊界で仕事をするということもなくなります。もし空間性が全くないとするなら、霊も天使も存在しないことになります。
霊的世界であれ地上世界であれ、そこに住む人間には時間と空間の実感があります。ただし霊界と地上では、それらに対する感じ方が全く違っています。霊界には、地上のような物理的な時間と空間は存在しません。しかし霊界に住んでいる霊たちには、常に時間と空間の実感がともなっています。霊界の時間と空間は、地上世界のものとは全く性質を異にしますが、それをもって“霊界には時間も空間もない”と言ってしまうなら間違いです。
要するに霊界と地上界では、「時間と空間を計る尺度が違う」ということなのです。霊界と地上に住む人間は、それぞれ異なる時間と空間の尺度を持っていますが、「時間と空間の実感を持っている」という点では同じなのです。霊界に住む霊であっても、常に時間と空間の感覚の中にいます。もし“未来はすでに実現している”ということになるならば、原因と結果という神の造られた「因果の摂理」――それ自体が存在しないことになってしまいます。
霊界における時間とは、体験する時の流れのこと
霊界では霊は、別の所(*他の界層や地上)にいる人間に会いに行くときには思念の速さで移動します。その際、当然本人には、移動前と移動後という時間の流れが存在します。「移動する」という経験の過程の中で、時の流れを感じ取ることになるのです。言うまでもないことですが、この“時の流れ”は、地上のような物質的な時間の経過とは異なります。一種の「精神的時間の流れ」と言うことができます。しかし精神的な体験であっても、当事者本人には、明確な時の流れの実感がともなっています。
シルバーバーチは――「私たちの世界の太陽は昇ったり沈んだりしませんから、夜と昼の区別はありません。したがってそれを基準にした時間はありませんが、物事が発生し進行するのに要する時間はあります。私も本日この場所へやってまいりました。それには時間がかかりました」
(『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.183)と述べています。言い換えるならば、霊界においても何らかの変化が生じるとき、つまりある出来事が発生し変化する際には、必ず時間がともなっているということなのです。
霊的世界での体験を物質的尺度で理解しようとすると、霊界には時間も空間もないということになり、それがエスカレートすると“霊界では過去と未来が入れ替わる”というような、へんてこな理屈ができ上がってしまいます。現にニューエイジの中では、こうした空想が真面目に信じられたことがありましたが、実際の霊界にはそのようなSF小説まがいの出来事は存在しません。「霊界には地上のような時間はない」あるいは「時間の計り方が霊界と地上では全く違う」「霊界の住人にも“時の流れ”というものは常にある」――これが霊界における真実なのです。
霊界における時間の精神的要素
霊界では、状態の変化で時の流れを計ります。経験していく過程の中で時の流れを感じ取ります。それは一種の精神的体験です。したがって霊界における時の流れは、霊の置かれている状態によってさまざまに変化します。霊界の下層では、生活自体が苦しみであるため、時間が永く感じられます。罰として与えられている“苦しみ”が、永遠に続くように感じられるのです。それとは反対に上層界では、生活が喜びと幸福感に満たされているため、時間の流れが短く感じられます。次々と新しい刺激があるからです。
こうした主観的な時間の違いは、地上世界でもしばしば体験されます。苦しみは長く、楽しみは短く感じられます。人間は常に1時間を1時間として感じているわけではありません。置かれている状況によって、短く感じたり長く感じたりします。もう1時間も経ったのかと思ったり、まだ1時間しか経っていないのかと感じたりします。5分が1時間のように感じられることもあります。これが時間の精神的流れであり、精神的要素です。
霊界では、そうした「精神的要素」に時が支配されているのです。地上では固定した時間の流れがあるため、主観的時間にいっとき埋没してもすぐに元に戻されてしまいます。現実の時間の流れに引き戻されてしまいます。しかし霊界では、そのままの状態が続いていくのです。
霊界には、地上人が考えるような固定的な時間はありません。しかし精神的な体験にともなう時間の流れ・時の感じ方という時間があります。それに完全に支配されているのです。霊界では周りの出来事との関連において時の流れや成長・進化を意識します。刻々と過ぎ去っていく地上のような時間は、霊界には存在しません。