良きスピリチュアリストになるためにはまず何から始めたらよいのか
――霊的人生の第一歩を、どのように出発すべきか
ニューズレター第30号
1.スピリチュアリスト人生を出発するうえでの大原則
――すべての改革は、まず自分から
スピリチュアリスト人生に、たどり着くことができた幸運
地上においてスピリチュアリズムと出会える人は、きわめて限られています。その中でスピリチュアリズムの霊的真理、特にシルバーバーチの霊訓を最高のものと実感できる人は、ごく一握りにすぎません。
スピリチュアリズムやシルバーバーチの霊訓と出会いながら、その価値を実感できない人達も大勢います。シルバーバーチよりもっと優れたものがある、シルバーバーチの霊訓は間違いではないが、最高の真理ではないと言う人々もいます。霊的真理の価値の実感は霊的直観によるものである以上、そのように思う人がいても仕方ありません。霊性の問題があるからです。
シルバーバーチの霊訓が最高だと思える人の中で、「霊的真理普及」を自分のライフワークにしようと決心できる人は、最も幸せな人間です。なぜなら限られた地上人生を、最高に価値あるものにすることができるからです。
スピリチュアリズムのために人生を捧げようとの決心に至るまでには――「霊界からの導き→スピリチュアリズムの霊的真理との出会い→霊的真理の価値の実感→スピリチュアリズムのために人生を捧げる決心」というプロセスを踏むことになります。今、シルバーバーチを深く理解し、スピリチュアリズムの霊的真理普及のために人生を捧げる決心をした人は、地球人として最も崇高な生き方を始めようとしていることになります。
霊的人生の第一歩を、どのようにしたらよいのか?
霊界の導きによってシルバーバーチの霊訓と出会った方々から、私達のところに、たびたび次のような質問が寄せられます――「シルバーバーチの霊訓や霊的真理を、一人でも多くの人々に伝えたいと思います。そのために人生を捧げようと決心しましたが、具体的に今、何を始めたらよいのでしょうか?」
火がついたように燃え上がる人達
一方、シルバーバーチの霊訓と出会って感激した人達の中には、突如、火がついたように燃え上がり、ホームページを開設したり、読書会を始める人もいます。あちらこちらの知人にと、手当たりしだいにシルバーバーチの霊訓を配り始める人もいます。なかには「イギリスに行ってスピリチュアリズム・チャーチを見てきたいのですが、紹介していただけませんか」といった手紙を送ってくる人もいます。
そうした方々に対して私達は、その純粋さと熱意は理解できるものの、「ちょっと待ってください」と言わなければなりません。そして、次のようなシルバーバーチの言葉をお伝えすることにしています。
「地上には、自分を変えようとせずに世の中を変えようとする人が多すぎます。他人を変えようと欲するのですが、すべての発展、すべての改革はまず自分から始めなくてはなりません。(中略)地上人類の霊的新生という大変な事業に携わっていることは事実ですが、それにはまず自分を霊的に新生させなければなりません。真の自我を発見しなければなりません。心を入れ替え、考えを改め、人生観を変えて、魂の内奥の神性を存分に発揮しなければなりません。」
まずは、自分自身を「霊的新生」させることから
ここでシルバーバーチは、きわめて重要なことを述べています――「情熱に駆られてすぐに行動しないように」ということです。人々に働きかける前に、社会を変革しようとする前に、まず自分の心や考えを根本から徹底的に入れ替えなさいと言っているのです。スピリチュアリズムの霊的真理を一刻も早く人々に伝えたいという思いは素晴らしい利他愛ですが、伝道に走る前に、まず自分自身を確立しなさいと言っているのです。
自分を「霊的真理」でしっかりつくり替えないうちに伝道や読書会などの働きかけに奔走すると、いつの間にか単なる“活動家”になってしまいます。この世のボランティアと同じようになってしまいます。それどころか「人のため」という純粋な思いは、やがて自分自身の実績を真っ先に追い求める“利己心”になってしまいます。
これでは、スピリチュアリズムを自己満足のために利用するのと同じことです。人々の救いのためと言いながら、結局は自分のためだけの利己的行為になってしまいます。当然、霊的成長とは無関係な歩みをすることになります。
2.伝道を始める前の大切な準備
――スピリチュアリズムの伝道は、単なる活動ではありません
「霊的新生」のためにすべき3つのこと
自分を霊的新生させるためにすべきことは3つあります――「祈り」「徹底した真理の学習」「スピリチュアリストとしての基本的な心がまえの確立」です。3つ目の基本的な心がまえとは、スピリチュアリズムに導かれたことへの感謝・守護霊への信頼、そしてスピリチュアリズム人生への決意です。
これらは「霊的新生」のための重要な実践項目であると同時に、自らを神の道具・霊界の道具とするための「霊的訓練」の内容ともなっています。外部に向けて働きかけ(伝道)を始める前に、一定の準備期間が必要です。この3つの内容は、霊界の道具として伝道に携わるための準備の条件なのです。1~3年は、一人でじっくりとこのために時間をかけなければなりません。自らをしっかりと確立しなければなりません。
次に、その一つ一つの内容について見ていきます。
祈り
まず初めに「祈り」を覚えましょう。神に語りかける祈りは、最も神聖な霊的実践です。どのように語るのかは、ニューズレターや続スピリチュアリズム入門、シルバーバーチの祈りを参考にしてください。祈りは皆さんの心を深め、霊的世界との交わりを確立するために不可欠な行為なのです。
瞑想だけでなく声に出して、神に語りかけましょう。瞑想だけでは意識を集中できないまま終わってしまいがちです。あらかじめ祈りの言葉を準備してもかまいません。部屋を薄暗くして目を閉じ、神と守護霊と3人だけの静寂な時間を持ちましょう。毎日わずか10分でも続けることが大切です。
神の前に一人で出るとき、人間は自分のありのままの姿をさらけ出すことになります。それによって自分の心を浄化することができるのです。本当の祈りをする者は、決して人を騙したりするようなことはできません。祈りは人間を徹底して謙虚にし、物質欲を超越した純粋な霊的心を養います。私達は祈りを通じて“魂”を裸にし、最も深い安らぎとリラックスの時間を持てるようになります。日常生活での思い煩い、人間関係のストレスを一瞬にして取り除き、心の底からほっとする
徹底した真理の学習
スピリチュアリストであることの第一条件は「スピリチュアリズムの霊的真理を正しく理解している」ということです。これは当たり前のことなのですが、実際には多くの人々が中途半端な理解しかできないうちに、他人にそれを伝えようとします。
もちろん真理の細部に至るまで、すべてを理解しなければならないということではありません。霊的真理の核心部分、ポイントと全体像(アウトライン)を正しく理解しておくということです。この基本的で重要な内容を理解していないと、人々にスピリチュアリズムの素晴らしさを伝えることはできません。人々に語り教える前に、自分自身がまず正しく理解しておくということは最低限の義務なのです。それができないうちに伝道に走るなら、単なる“軽率な人間”ということになってしまいます。
「教えを説く者には深刻な責任があることは、ここにおいでの皆さんがご存知ないはずはありません。知識には責任が伴うことを何度申し上げたことでしょう。自分を他の人たちより高め、人を教え導きたいと思うのであれば、まずは自分自身が拠って立つ足場をしっかりと固めないといけません。
徹底的に探求し試してみることを怠り、批判に身をさらすこともせずに自己満足し、本当かどうかの確信もないまま人に教えを説くようなことをしていると、その怠慢と軽率さに大きな代償を払わされる時が必ず来ます。」
「真理をしっかり学ぶ」ということは、人に伝えるためばかりでなく、何よりも自分自身のためになることなのです。真理は困難や誘惑から皆さんの魂を守り、心を支えてくれます。心を高め、清らかにし、パワーアップしてくれます。心を強くし、忍耐力をつけ、広い霊的視野を与えてくれます。そして心を明るく楽天的にしてくれます。まさに「霊的真理」は、魂にとっての最強の原動力であり武具なのです。
もちろん初めから真理のすべてを理解するということはできません。何度も何度も繰り返し読み、まとめたり書き出したりすることを通じて理解は深まっていきます。率直なところ「シルバーバーチを読んだ」と言っても、せいぜい1~2回というのが大半の人達の実情ではないでしょうか。
スピリチュアリズム関連の本はあまりにも多く、一通り読むだけでも5年、10年とかかってしまうかも知れません。したがって霊的人生を歩み始めた初期には、良い本を選び、効率よく、集中的に学ぶことが必要となります。(*スピリチュアリズム普及会ではそのための指針を提示していますので、参考にしてください。)
今述べたように霊的真理を学ぶのは、単に知識を増やすためではありません。また伝道という活動の手段として身につけるのでもありません。何よりも真理を知った本人が、それを実践して霊的成長をなすことが重要です。そのために霊界の人々は、苦労して私達に真理を伝えてくれたのです。
したがって真理を学ぶについては、常に実践の観点を忘れてはなりません。実生活の中での実践を通じて、真理の深い世界をさらに知ることができるようになります。「何を行うべきか」ということを意識した読み方が必要です。そして自分の置かれた環境の中で、それを実行に移していくことです。実践こそ真理の学びの現場であり、真理を深く体得する効果的な道なのです。(*当サークルではその助けとなるように、スピリチュアリズム入門・続スピリチュアリズム入門・ニューズレターを発行しています。)
スピリチュアリストとしての基本的心がまえの確立
祈りと真理の学習・実践を通じて、スピリチュアリストとしての基本的な心がまえが確立されていきます。実はこれこそが“伝道の準備”としては一番大切なことなのです。スピリチュアリストとしての基本的な心がまえとは――「スピリチュアリズムに導かれたことへの感謝」「守護霊の導きに対する絶対的信頼」「今後の人生をスピリチュアリズムのために捧げる決心」です。
分かってみれば、スピリチュアリズムのためにすべてを捧げられることほど価値ある人生はありません。その恩恵に感謝するばかりです。こうした恵まれた人生を送れるようになったのは、再生前からの決心だけでなく、今日まで陰から献身的な導きをしてくれた守護霊の存在があればこそです。この守護霊への感謝と同時に、「これからも最高の導きをしてもらえる」という信頼の思いをしっかりと自覚することが大切です。地上人が守護霊の導きを自覚するとしないとでは、霊界からの働きかけも大きく変わってきます。
そのうえで次に、手にした恵みを自分だけの喜びとしてとどめるのではなく、「自分の人生を最高の人助けのために捧げよう」と決心することです。スピリチュアリズムをライフワークとする決意を固めるということです。どのような困難や反対があっても「この道を貫く」と、心を定めなければなりません。
守護霊に対する絶対的信頼とスピリチュアリズム人生への堅い決意がなければ、困難に出会うとあっという間に挫けてしまいます。スピリチュアリストとしての基本的な姿勢が確立していないのなら、何をしても意味がありません。
詳しく知りたい
日常生活を霊中心にする
――「霊主肉従の努力」
さらにシルバーバーチは、次のような重要なことを述べています――「あなた方の第一の目標は、一人でも多くの人々に真理を届けることです。それに劣らず大切な目標は、(中略)仕事の神聖さを自覚し、日常生活においても、最大限の霊力が自分を通して流入するように、身持ちをきちんとすることです。」
(『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版) p.166~167)
真理の伝道は大切であるけれども、それと同じように自分自身の日常生活を正すことも大切であると言っています。日常生活を正すとは――「霊主肉従の努力をする」ということです。物質や肉体本能に翻弄された生活を送らないように自制する、質素で清潔な生活、物質中心でなく霊中心の生活をするということです。これは、まさに霊的真理を実行するということです。
こうした内容については、続スピリチュアリズム入門やニューズレターで何度も取り上げていますので、それを参考にしてください。
自らを霊的新生させて初めて「伝道実践」に移る
ここまでのプロセスを、すべて一人で成し遂げなければなりません。人に頼らず自分で準備をするのです。それは伝道実践のための準備であると同時に、自分自身を霊的に立たしめるプロセス、霊的新生させるためのプロセスとなっています。これを達成して初めて「伝道実践」に移ることができるようになります。他人に真理を伝える資格ができることになります。
こうした準備が十分でないまま活動に入っていくと、必ず失敗します。一人でしっかり神と霊界と真理に向き合い、それらとの関係を深める期間が必要なのです。祈りと真理によって、自分自身を新しくつくり上げなければなりません。皆さんが、自分の日常生活を真理にそってきちんと管理できるようになったとき、いよいよ伝道実践に入っていくことができます。
*本当に優れた読書会(*ワイワイ、ガヤガヤと議論したり自己主張する読書会ではなく、真剣に実践することを目的とした読書会)があるならば、それに参加することもよいでしょう。しかし本質的には、「すべて自分自身でする」ということを忘れてはなりません。読書会は、あくまでも補助手段と考えるべきです。
3.伝道実践の開始
――さあ伝道に踏み出しましょう!
伝道は、最高の利他愛の実践・人類への奉仕
シルバーバーチは――「霊的真理を説き聞かせることは、神の愛を注ぐことです」
(『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)p.170)と言っています。また「わたしたち霊団側としては、霊的真理を普及することと霊力の威力を発揮することにしか関心はありません」
(『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)p.146)と述べています。
真理の伝道は、私達スピリチュアリストにとって最高の利他愛の実践です。スピリチュアリストだけに与えられた最高の奉仕活動です。私達のライフワークは、「霊的真理を人々に伝えていくこと」なのです。
焦って伝道に走ってはならない
しかし、ただ単にやみくもに真理を伝えればいいというわけではありません。そのためにはまず、先に述べたような最低限の準備をすることが必要です。その条件を満たして初めて――「人に真理を伝える資格が与えられる」ということなのです。
伝道がいかに大切だからといって、焦って活動に走ってはなりません。せっかちに活動するようになると、自己流・自己中心的になって、伝道の目的がいつの間にかずれてしまいます。利他愛から離れ、自分の実績を追い求める利己的な行為になってしまいます。スピリチュアリズムを“自己満足”のために利用するといった結果になりかねません。
「じっくりと時を待つことです。人間の一番いけない点は、何でも性急に求めすぎるということです。その態度を見ていると、まるで大霊に代わって自分が早く片付けてしまいたいと思っているかのようです。何年もの間モグラのように暗闇の中にいたのが、ある日ふと見上げて“光”というものがあることを知ります。するともう、それに夢中になって、今すぐにでも世の中を変えてしまわないと気が済まないような態度を取り始めます。」
「私たちも、あなた方が長い眠りから覚めるのを根気よく待っているのです。何十年も掛かるかも知れません。ところが、ようやく覚めると、いきなり“何をぼやぼやしているのです!早くやらなくては!”と言い出します。大霊は急ぎません。すべてが計画どおりに着実に進化するように、摂理を配剤しておられるのです。」
「私のほうから言わせていただきますが、あなた方が霊的真理に目覚めるまで、私たちはどれほど待たねばならなかったことでしょう。」
伝道実践で一番大切なもの「道具意識」
――自分の力に頼った伝道は失敗する
伝道実践において一番重要なことは――「自分自身を常に霊界の道具とする」ということです。伝道の主役は霊界の人々であって、私達は地上の道具としてそれに協力する立場なのです。時期がきて真理を受け入れられるようになった地上人を、霊界の霊達が私達のところに導いてくれます。時のきた人との出会いは、霊の働きかけによって実現するのです。
ところがこうした「道具意識」に立った伝道を知らないと、すべてを自分の力でやろうとします。自分のがんばりだけで真理を伝えようとやっきになります。これが多くの人々の現実です。そうしたやり方では、必死になればなるほど疲れ果て、最後は必ず失敗してしまいます。
また中には、真理のレベルを下げて一般受けするようにすれば、多くの人間が受け入れてくれると考える人もいます。しかし、そうした自分の力に頼った自分流の伝道が成功した
自分流の伝道は、知らずしらずのうちに自分の実績だけを求める自己中心的な行為にすり替わっていきます。道具意識に立たない伝道は、この世の人気取りや名声を求める自己満足の行為に成り下がり、結局、自分の心さえも醜くすることになってしまいます。
伝道は「道具意識」に立ったとき、最高に利他性が高められることになります。そして結果的にも、最高の実績を上げることができるようになるのです。霊界には、皆さん方の伝道に協力して「一人でも多くの地上人に真理を伝えたい!」と切望している無数の霊が待機しています。皆さん方が自らを「霊界の道具」として伝道を心がけるとき、それを霊界の霊達が見逃すはずがありません。
「私の世界には大霊の使者の大軍が控え、いつでも地上世界のために手助けをする用意を整え、あなたのような道具が“私はいつでも用意ができております。どうぞお使いください”と言ってくださるのをお待ちしている事実を、この目で見て知っているのです。」
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動機と方法が正しければ、いつか必ず道が開かれる
霊界の道具に徹することは、本当の利他愛に立つことです。自らを霊界の道具と位置づけしてスピリチュアリズムのために貢献することは、最高の人類愛の実践なのです。伝道における動機の純粋性は、「道具意識」によって明確になります。
それに対し道具意識のともなわない伝道は、いつの間にか自分の満足だけを求める利己的な行為に陥ってしまいます。伝道の動機が不純になって、相手のためという利他愛から大きく外れることになります。
「人のため」という利他愛が伝道の動機でなければなりませんが、それは道具意識によって最も純粋になるのです。伝道における正しい動機とは、道具意識に徹しているかどうかで決定されます。「自らを霊界の道具とする」――すなわち伝道の動機が正しければ、必ず霊界の人々の応援を得られるようになるのです。
私達は“真理の種蒔き”に徹すればよいのです。手紙でもインターネットでも直接足を運んでも、また読書会を開いてもかまいません。どのような方法でもよいのです。ひたすら道具として種蒔きに徹することです。
ただし、その際に注意すべきことがあります。それは「無理な押しつけをしない」ということです。そっとドアを押すように真理を示し、足元において相手の様子を見て、受け入れられそうなときには真理を伝えるということです。これが正しい伝道の方法・進め方です。
時期がきて真理を受け入れられるようになった人は、霊界の霊達によって導かれ、皆さん方の前に現れるようになります。皆さんは、誰が時期のきた人か、分からなくてもかまいません。真理をそっと足元に置けば、その反応で時期がきているかどうか分かります。そうした人は、自分から皆さんに近づいてきます。
このように皆さん方の動機と方法が正しければ、霊界の人々の導きの中で、いつか必ず時期のきた人に真理を手渡しすることができるようになります。
「あなたの方から探してまわることはありません。あなたから発せられる霊的な光輝によって、そういう人が引きつけられるのです。その時こそ、あなたが人のために役立つことができるチャンスです。」
「そこで背後霊というものが用意されていて、自己実現にとって最善の道へ導こうと努力します。あなた方のもとを訪れる人の中には、そうやって背後に導かれて来ている場合があるのです。その時こそあなた方の活躍の好機です。」
あなたの信仰と忍耐力が、必ず試される
動機と方法が正しければ、いつかきっと伝道の実績は上げられるようになります。時期のきた人との出会いが与えられるようになります。
しかしその前に必ず、皆さんの信仰と忍耐力が試されるような時がやってきます。霊界の人々がどれほど協力したいと思っていても、すべては霊的摂理にそった形で働きかけることしかできません――「相手となる地上人に、真理を受け入れられる時期がきているかどうか」「真理を伝えるあなたに、道具としての本当の内容が整っているかどうか」ということです。こうした条件が満たされているとき、初めて霊界の霊達は働きかけることができるのです。
よく、「なかなか良い人と出会えません。何年も伝道しているのに時期のきた人と出会えません。自分は本当に伝道できるのでしょうか?」といった質問を受けます。そうした中で多くの人々は孤独を味わい、時には自信を失ってしまいます。もう自分は伝道などできないと諦める人もいます。孤独に耐えられず、世俗に迎合して人集めに走る人もいます。真理を曲げたり、レベルを下げてPRしようとする人もいます。
しかしそんなことをしても、結局は失敗するだけなのです。
なかなか良い人に出会えないのは……
一生懸命にやっているのに、なかなか良い人と出会えないという場合には、2つの理由が考えられます。1つは――「動機が純粋でない」ということです。思い当たる人は、もう一度真理を読み返し、祈り、道具としての意識と決心を固め直すことが必要です。道具としての謙虚さが欠如していると、いつまでたっても伝道の成果は上がりません。
もう1つの理由は――すでに霊界サイドでは伝道が進行しているのに、「まだ出会いの時期に至っていない」ということです。この場合は、正しい動機に立って今までどおりの努力を続けていけば、やがて時期がやってきます。今はその出会いに向けて、一歩一歩近づいているのです。霊界の導きを信頼し我慢していれば、近々素晴らしい人との出会いがもたらされるはずです。
どのような状況にあっても、霊界の人々が導いてくれていること、目に見える実績は得られなくてもベストの状況が霊界で進行中であることを確信していなければなりません。霊界の人々の導きを信頼して忍耐することが試されているのです。それはあなたの魂を鍛えるチャンスであると同時に、霊界の人々との絆をいっそう強くするチャンスでもあるのです。
たった一人でも……
シルバーバーチの次のような言葉も忘れないようにしましょう。
「たった一人でいいのです。(中略)この地上において元気づけてあげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。」
大切なのは目に見える実績ではなく、あなたがスピリチュアリズムのため、人々のために「どれだけ真剣に誠意を尽くしたか」ということなのです。結果よりも、誠意のプロセスこそが重要なのです。
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