イエスの再臨が、スピリチュアリズムから発生した大衝撃!

――イエスの再臨を最も待ち望んだキリスト教からではなく、予想さえしていなかったスピリチュアリズムから地上再臨が実現

インフォメーションNo.50

2021年4月に、イエスが突如、日本に再臨しました。それはまさに人類の歴史上、前代未聞の大事件でした。クリスチャンは二千年間、「イエスの再臨」を待ち望んできました。それが事もあろうに、キリスト教が敵視してきたスピリチュアリズムから実現することになったのです。今後、「イエスの地上再臨」が日本から発生したことが知られるにともない、世界中のキリスト教徒がその事実を受け入れることができず、激しい反対や攻撃に出てくるものと思われます。

しかし、キリスト教徒以上に「イエスの地上再臨」に驚いたのが、日本のスピリチュアリストでした。日本の大半のスピリチュアリストは、キリスト教徒と違って、イエスの地上再臨についての知識はなく、関心も持っていません。イエスが“スピリチュアリズム運動”の主導者であり総司令官であることは知っているものの、まさかそのイエスが地上次元に降りてくるとは考えたこともなかったのです。

スピリチュアリストが「イエスの地上再臨」の事実を受け入れるのが難しいのは、ある意味で当然と言えます。スピリチュアリズムの中で最高レベルの霊界通信と言えば、文句なしに『シルバーバーチの霊訓』が挙げられます。『シルバーバーチの霊訓』は、人類が手にした最高の霊的叡智であり、スピリチュアリズム思想の最高峰です。そのため熱心な日本のスピリチュアリストは、シルバーバーチを心から尊敬し、信頼を寄せてきました。ところがシルバーバーチは、イエスの地上再臨について一切言及していません。

実はシルバーバーチ自身が、「イエスの地上再臨」が実現するまで、そんなことが起きるとは全く思っていなかったのです。シルバーバーチがイエスの地上再臨について知ったのは、それが実現する直前に開かれた高級霊界での大審議会(2021年3月末の大審議会)においてです。そのとき初めて、イエスから直接、地上再臨に臨むことが伝えられたのです。それを聞いて、シルバーバーチをはじめ大審議会に参加していた高級霊たち全員が驚愕しました。

超高級霊であるシルバーバーチでさえ予想していなかった「イエスの再臨」について、私たち地上のスピリチュアリストが知らなかったとしても当然です。ところがそのスピリチュアリズムに、イエスが突然、再臨したのです。その歴史的大事件は、世界中がコロナ・パンデミックで大騒ぎしていたのと同じ時期に発生しました。

実はイエスの地上再臨が実現する2年前(2019年8月)から、私たち普及会にイエスから直接、通信が送られてくるようになりましたこのこと自体が人類史上、前例のない、きわめて画期的な出来事です)。それと同時に、霊界における只ならぬ大変化の様子が伝えられてきました。そのため私たちは、「イエスの地上再臨」という前代未聞の歴史的大事件の発生を、何とか悟ることができたのです。

「イエスの地上再臨」という大事件に最も衝撃を受けたのが、日本のスピリチュアリストたちです。前触れが全くないところで突如、イエスの地上再臨という思いも寄らない出来事に直面することになったのです。しかし、驚いたことに「シルバーバーチ読書会」に参加しているスピリチュアリストたちは、普及会を通して伝えられたイエスの再臨について、事実として受け入れてくれました。それは、普及会がイエスの再臨を真っ先に認め受け入れたことに続く、歴史的な快挙でした。

今回のインフォメーションでは、19世紀以降に欧米で盛んになった“再臨運動”の動向を見ていきます。そのときつくられた、キリスト教の“再臨派教会”について紹介します。今から200年ほど遡る時代に、「イエスの地上再臨」を待ち望むキリスト教徒の動きが活発になりました。そして多くの再臨派教会が設立されました。それらの再臨派教会は独自の教義をつくり、イエスの再臨を熱心に待ち続けましたが、キリスト教の正統派(カトリック・東方正教会・プロテスタント)からは“異端”と見なされ、激しい非難を受けることになりました。

再臨派の人々は誰よりも、イエスの再臨を待ち望んできました。しかし、彼らの純粋で熱心な信仰は、2021年の「イエスの地上再臨」の実現によって、根底から覆されることになりました。キリスト教の間違った教義の上で展開してきた“イエスの再臨信仰”は、「霊的無知」から生まれた的外れな信仰だったのです。

(1)キリスト教における“イエス・キリストの再臨信仰”の形成と、キリスト教の来世観の変化

最初に、キリスト教においてどのような過程を経て“イエス・キリストの再臨信仰”がつくられることになったのかを見ていきます。イエスの死後、初期のキリスト教徒は「イエスの再臨」を熱心に待ち望みました。しかし、いつまで経ってもイエスの再臨は実現しませんでした。イエス・キリストの再臨信仰が期待外れに終わる中で、キリスト教の「来世観」に変化が生じることになりました。

①イエス・キリストの再臨信仰の形成と、近代の再臨運動の発生

新約聖書によれば、二千年前、十字架上で死を迎えたイエスは、3日後に復活しました。処刑され、亡くなったイエスが、生前の姿で弟子たちの前に現れたのです。この死んだイエスが、生まれ変わって(蘇って)地上人の前に現れた出来事を、キリスト教では「復活」と呼んでいます。「復活」という奇跡を通してイエスは、ユダヤ教で予言されてきた救世主(キリスト)と見なされるようになり、ここから二千年に及ぶキリスト教の歴史が始まることになりました。復活したイエスは40日間、弟子たちの前に姿を現し、親しく言葉を交わし、時には食事まで一緒にしました。そしてその後、イエスは彼らの見ている前で天に昇り、姿を消しました。これをキリスト教ではイエス・キリストの「昇天」と呼び、その際、天使によってイエスが再び地上に戻ってくることが予告された、と言われてきました使徒行伝1章9節~11節)

キリスト教徒たちは、天に昇ったイエス・キリストがすぐに地上に戻ってくるものと思い、その日の到来(再臨)を期待して待ちました。当時のキリスト教徒たちは、イエスが再臨する時、地上に“神の国(天国)”がつくられ、キリスト教徒は新しい身体を持って復活し、そこで永遠に生き続けることができると思っていました。そしてパウロも、そのように考えていました。当時のクリスチャンたちは「イエス・キリストの再臨」とともに、地上に“神の国(天国)”が出現するようになると信じていたのです。

その後も、クリスチャンたちは「イエス・キリストの再臨」を待ち続けました。しかし、いつまで経ってもイエスの再臨は実現せず、1800年近くの時が過ぎ去りました。

19世紀になって、「イエス・キリストの再臨」を待ち望む動き(再臨運動)が再び活発になり、新たな“再臨派教会”が次々とつくられるようになりました。そうした再臨派教会では、聖書の記述どおりに「イエス・キリストの再臨」が実現すると考えていました。「終末が到来し、イエス・キリストが雲に乗って天から降下し、地上に神の国(天国)が出現する。そしてその時、人間は復活して“最後の審判”を受けるようになる。最後の審判によってすべての人間が裁かれ、天国と地獄に振り分けられ、永遠の人生が決定することになる」と信じていたのです。いずれの再臨派教会も、「自分たちの教えに忠実な者は天国に行くようになり、教えに反する者は地獄に堕ちるようになる」と主張しました。近代の再臨派教会については、この後で詳しく見ていきます。)

②キリスト教の他界観(来世観)の形成

初期のキリスト教徒は、近いうちに「イエスの再臨」が起こり、地上に“神の国”がつくられ、そこで自分たちは喜びに満ちた永遠の生活を送ることができるようになると思っていました。しかし、いくら待っても「イエスの再臨」は実現せず、信徒たちの間に動揺が広がり、不満が高まりました。

困り果てたキリスト教会は、イエスの再臨の日がいつかは誰にも分からないが、いつか必ずくるとして、次のような苦しい言い訳をしました。「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々が遅いと思っているように、主は約束の実行を遅くしておられるのではない。ただ、一人も滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなた方に対してながく忍耐しておられるのである。しかし、主の日は盗人のように襲ってくる。」(ペテロの第二の手紙3章8節~10節)

一方、当時のキリスト教徒は、昇天したイエスは天国で神の右に座している、と信じていました。そこでキリスト教会は、イエスの再臨によって地上に出現することになる“神の国”を、イエスがいる“天国”にすり替えてしまいました。さらにそこに別の意味が加わって“神の国(天国)”は、キリスト教徒が死後、イエスと共に過ごすことになる“楽園(パラダイス)”と言い換えられることになりました。

こうして“天国と地獄”という「他界観(来世観)」が生まれ、地上時代の信仰によって天国と地獄に振り分けられる、と説かれるようになりました。初期のキリスト教において「イエスの再臨」にともなって到来すると言われてきた地上の“神の国”は、いつしか、死後の行き先である“天国”になってしまったのです。

こうしたプロセスを経て、キリスト教の「他界観(来世観)」が形成されました。地上での生き方によって死後の行き先が決められる、という他界観ができ上がりました。キリスト教の教えに忠実であった者は死後、神が支配する“明るい天国”に行って幸福な生活を送るようになる。反対にキリスト教の教えに不忠実な者や異教徒は死後、悪魔(サタン)が支配する“暗い地獄”に行って苦しみの生活を送るようになる、という教えです。

現在のキリスト教の「他界観(来世観)」を図示すると、次のようになります。これは生前の生き方(信仰姿勢)によって、死後の行く先が“天国と地獄”に分けられるという「二分的他界観」と言えます。

キリスト教の他界観

この図に、①人間は死後、墓に留まる ②終末が到来し、イエス・キリストが再臨する ③その時、死者を含め人間は復活する(新しい身体を持って蘇る) ④最後の審判を通して“天国と地獄”に振り分けられる――こうした項目を付け加えると、キリスト教の「他界観(来世観)」の全体が完成することになります。イエス・キリストの再臨から最後の審判までの期間をキリスト教では千年(ミレニアム)とし、この期間に「至福の千年王国」が現れると考えています。

キリスト教の他界観の全体

③キリスト教徒にとっての「イエス再臨」の重大な意味

キリスト教徒にとって「イエスの再臨」は、きわめて重要な意味を持っています。イエスの再臨によって、自分たちの死後の行く末が決定されることになるからです。「イエスの再臨」は、すべての人間にとって永遠の幸福と不幸の分岐点となり、“救い”が成就するかどうかが決まる重大な瞬間となるのです。

宗教とは、神にすがって救いを得ようとする人間の行為・営みです。キリスト教徒にとって“永遠の救い”は、「イエス・キリストの再臨」を通してもたらされることになります。人間の永遠の幸福と不幸は、イエスの再臨によって決定されることになるのです。このため二千年間、クリスチャンたちはイエスを信じ、イエスに救いを求めてきました。死後の救いと幸福を「イエス・キリストの再臨」に委ね、信仰を維持してきたのです。

④イスラム教における“終末”と“最後の審判”の意味

イスラム教の教義の中には、キリスト教から多くの内容が取り入れられています。そのためキリスト教とイスラム教の教え(教義)には、多くの点で共通性が見られます。イスラム教における聖典(啓典)は、ムハンマド(マホメット)が神(アッラー)から伝えられたクルアーン(コーラン)を中心としますが、それ以外にも、キリスト教で用いる旧約聖書の一部(律法と詩編)と新約聖書の一部(福音書)が啓典の中に組み込まれています。このためイスラム教徒(ムスリム)は、ユダヤ教徒とキリスト教徒を“啓典の民”と呼んでいます。

また「他界観(来世観)」においても、キリスト教とイスラム教の間には共通性が見られます。キリスト教の他界観をそのまま取り入れたものがイスラム教の他界観となっていて、「他界観」の大枠は、ほぼ一致しています。

イスラム教ではキリスト教と同じく、信者は死後、墓で“終末の到来”を待ち続けることになります。終末が到来すると「再臨」が起こりイスラム教では終末が到来すると、最後の預言者ムハンマドの末裔であるマフディー「イスラム世界での救世主」と、預言者イエスが救世主として再臨するとしています)、死者は復活して“最後の審判”を受けることになり、そこで天国に行くか地獄に行くかが決定される、と説いています。ただしイスラム教では、イスラムのために殉教した者は初めから天国に行くことが約束されているとし、この言葉を信じて多くの若者が“自爆テロ”に走りました。過激なイスラム原理主義組織は“自爆テロ”をジハード(聖戦)による殉教として正当化し、若者をテロに駆り立てています。“ジハード”とは本来、信仰を深める努力、あるいはイスラム教を広めるための努力や郷土を防衛するための戦いのことを意味しています。)

⑤仏教における“仏の降臨信仰”

キリスト教やイスラム教とは違うものの、仏教においても降臨した“弥勒菩薩みろくぼさつ”に救済を求める信仰が存在しました。釈迦の死後、56億7千万年の未来に、弥勒菩薩が下生げしょう(降臨)し、人間に対する最終的な救済がもたらされることになる、という信仰が生まれました。このため弥勒菩薩の降臨に備えて、弥勒経典を土器の筒に入れて埋め、塚をつくることが行われました現代で言うタイムカプセルづくり)。日本の各地に、こうした経塚がつくられました。

一方、平安末期には“末法まっぽう(終末)思想”が流行しました。釈迦入滅後、正法しょうぼう像法ぞうぼう・末法と時代が下るにつれ、仏法が衰え、戦乱の世の中になるという考えが広まりました。1052年が末法の始まりとされ、そうした時代背景(終末思想状況)の中から“浄土信仰”が盛んになりました。これは“阿弥陀仏あみだぶつ”にすがって死後、極楽浄土に生まれ変わることを願う信仰で、鎌倉時代になって浄土宗や浄土真宗などの新仏教が設立されました。

(2)近年における、キリスト教の再臨運動の高まり

――19世紀以降の“再臨派教団”の登場

二千年にわたるキリスト教の歴史の中で、「イエスの再臨」を最も待ち望んできたのが初期のキリスト教徒と、近年における欧米の再臨派のキリスト教徒たちです。多くのキリスト教徒が、イエス・キリストの再臨は実際には起きない、と考えるようになっていた中で、再臨派の人々は、聖書の記述どおり「イエスの再臨が近いうちに実現する」と固く信じてきました。

先のインフォメーションで述べたように、イエスの1800年間に及ぶ準備の結果、霊界にイエスの手足となって働く“一大霊団”が形成されました。この大霊団を通してイエスは、1848年に“スピリチュアリズム運動”を興し、地上に向けて働きかけを開始しました。イエスの指示の下で、地上世界に霊的影響力がもたらされるようになったのです。こうした霊界からの強烈な働きかけは、必然的に地上世界に大きな霊的反応を生じさせることになりました。19世紀以降、欧米のキリスト教の中から“再臨運動”が起こり、新たな教会が次々と登場するようになりました。

そうした“再臨派教会(教団)”の多くが、正統派のキリスト教(カトリック・東方正教会・プロテスタント)とは異なる教えを説いたため“異端”と見なされ、激しい非難を浴びることになりました。それでも彼らは「イエス・キリストの再臨が間近に迫っている」と信じ、熱心にその時を待ち続けました。

以下では、近年に発生した“再臨派教団”について見ていきます。それを通して、キリスト教徒が「イエスの再臨」を待ち望んできた足跡を振り返ります。

①セブンスデー・アドベンチスト教会

アドベンチストという名称は、“キリストの再臨を待ち望む者”を意味しています。19世紀半ば、米国ニューヨーク州に住むウィリアム・ミラーは「キリストの再臨が迫っている」と主張し、その日が1844年10月22日であると予言しました。その日、人々は仕事を放棄してキリストの再臨を待ちましたが、予言は外れ、再臨は実現しませんでしたこの辺りの状況は、二千年前に「イエスの再臨」を今か今かと待ち望んだ初期のキリスト教徒と似ています)

ミラーはこの挫折にめげず、その後も「イエスの再臨」を訴え続けました。1863年に正式に宗教団体として組織され、活発な伝道活動によって世界中に広がり、有力な保守的福音派の一つとなっています。日本では、セブンスデー・アドベンチスト教会は“幕屋まくや教会”とも呼ばれています。

セブンスデー・アドベンチスト教会は活発な“再臨運動”で知られていますが、それ以外にも、信者が禁酒・禁煙を徹底し、カフェインの含まれる紅茶やコーヒー、肉を控えるなど、禁欲的で節制を保った生活を送っていることでも広く知られています。医学校の建設や良質の自然食品の製造・販売などを推し進め、信者の健康度の高さが、現代の健康長寿研究の中で注目されています。

②エホバの証人(ものみの塔)

エホバの証人は、熱心な戸別訪問伝道で、日本でもその名前がよく知られています。文書・冊子を用いた伝道を通して“世の終わり”を告げ、イエス・キリストの再臨運動を展開してきました。日本では、同じく再臨運動を展開するモルモン教や統一教会とともにキリスト教の“三大異端”と見なされています。

エホバの証人は、1870年代に米国人チャールズ・T・ラッセルによって設立されました1884年に「ものみの塔聖書冊子協会」がペンシルベニア州で宗教法人として認可される)。ラッセルは、セブンスデー・アドベンチストのミラー派の流れを汲み、その影響を受けて「終末論」を唱えるようになりました。エホバの証人では、神をユダヤ教のように“エホバ”と呼び、キリスト教の正統派の教義である三位一体説を否定します。イエスを神とする見解を否定するため、正統派から“異端”とされました。エホバの証人では、「イエスの再臨が間近に迫っており、それによって悪が滅ぼされ、キリストの王国がこの地上に打ち立てられる」と主張しています。ラッセルは、「キリストの再臨は1874年に発生し、1914年には世の終わり(終末)が到来する」と予言しました。

ラッセルのこの予言は外れ、彼はその2年後に他界し、J・F・ラザフォードが後継者となりました。ラザフォードは、「1925年に地上に神の国がつくられる」と予言しましたが、この時も何事もなく過ぎ去りました。二度の再臨の予言が外れたため、信者の間に動揺が広がりました。しかし、ラザフォードは、「第一次世界大戦が起こった1914年に、イエス・キリストは目に見えない形で再臨を果たしたのだ」と主張しました。第一次世界大戦の悲惨な戦禍こそ、イエスの再臨にともなうハルマゲドンであり、千年王国の始まりであるとしたのです。

その後、ラザフォードは、1935年になって再び奇妙な予言をしています。それは、「天上におけるキリストの選民は14万4千人に至って満たされたため、それ以降の信者は、地上の楽園で永遠の時を過ごすことになる」というものです。

エホバの証人では、1914年から至福の千年王国が始まったとしていますが、それについての詳しい説明はなされていません。一方、天国を天上天国と地上天国に分けていますが、それについても具体的な内容は示されていません。世界各地に王国会館を設け、信者は定期的にそこに集まって信仰生活を営んでいますが、王国会館と地上天国との関係についても明確な説明はなされていません。1935年以降に他界した信者が行くことになっている地上天国は、いったいどこにあるのでしょうか。そうした信者が復活したという話は、一切伝わってきません。信者たちは、どのような思いで信仰生活を送っているのでしょうか。「イエスの再臨」は、具体的な出来事として発生するものです。しかし、ものみの塔による説明は、すべて空想の中での物語のように聞こえます。何ひとつ具体的な形として示されたものがないのです。

エホバの証人(ものみの塔)と言えば、上品で清潔感のある信者が熱心な伝道活動をしていることで知られています。それと同時に、教義によって輸血を拒否したり、信者の子供が学校でのイベントに参加しなかったり、武道を拒否するなど、さまざまな社会問題を引き起こしています。最近では統一教会の問題に関連して、ものみの塔の2世問題がクローズアップされるようになっています。

③末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)

末日聖徒イエス・キリスト教会は、1830年に米国人ジョセフ・スミスによって設立されました。スミスの話によれば、ある時、彼は天使に導かれて森に入り、文字が刻まれた黄金の板を発見しました。それを解読したものが1830年に『モルモンけい(モルモン書)』として出版され、その年の4月にニューヨーク州を拠点として出発しました。

『モルモン書』には、「アメリカ・インディアンは、イスラエルの失われた種族の一つで、アメリカに移住したが信仰を失って滅び、最後に預言者モルモンとその子供モロナイだけが残った。そしてスミスは、天使の姿をしたモロナイによって導かれた」といった内容が記されています。これについては、いろいろな説があります。)

初めはニューヨーク州に教会が建てられましたが、初期のモルモン教は“一夫多妻”を教義とするなど、社会通念に反する行動から人々の反感を買い、迫害によって転々と拠点を移すことになりました。1843年、スミスは暴動罪の容疑で逮捕・投獄され、そこで何者かによって殺害されてしまいました。スミスの後継者になったのがブリガム・ヤングで、彼もスミス同様、多くの妻を持ち、たくさんの子供をもうけました。ヤングは新天地を求めて西に向かい、当時メキシコ領だったソルト・レーク・シティ現在は米国ユタ州の州都市)に到達し、そこを拠点としました。そして積極的に布教活動を進め、勢力を拡大していきました。

モルモン教の教義には、正統派キリスト教とは、かなり異なる内容があります。モルモン教では、キリスト教の聖書よりも『モルモン書』を重視・優先しており、そのため正統派キリスト教から“異端”として非難されることになりました。その後、モルモン教は1890年に一夫多妻制を廃止し、家族の結びつきを大切にして禁酒・禁煙を守る、高い道徳性を持った宗教として知られるようになりました。

モルモン教の教義では「再臨観」が強く主張され、将来アメリカの地にイスラエルが復活し、そこにイエス・キリストが再臨して新天地を治めるようになるとしています。モルモン教では、「人間は死後、霊界(墓)に留まり、そこで未来の復活を待つことになる。そして終末における最後の審判を経て、最終的にパラダイス(天国)か霊の獄(地獄)に送られる。モルモン教の掟に忠実な者はパラダイスに入るが、不忠実な者やモルモン教徒以外のクリスチャンは霊の獄へ送られ、そこで罪滅ぼしをするようになる」と説いています。

④ホーリネス教会(ホーリネス派)

ホーリネス教会は、19世紀に米国のメソジスト派から分離してできたグループ(プロテスタント教会群)で、いくつもの教会を含んでいます。ホーリネス教会は、世俗化が進んだメソジスト教会内部から信仰復興のための“ホーリネス運動”が発生した結果、1870年代に始まりましたメソジスト派は、18世紀に英国のジョン・ウェスレーを中心に興されたプロテスタントの一派)。ホーリネス教会には、メソジスト派に近い教会から、ペンテコステ派に近い教会まで多様なグループが存在しています。

“ホーリネス”の名称は、宗教的清さ・聖潔を意味し、キリスト教の道徳性を厳格に実践することを目指します。そして聖書の記述をそのまま受け入れ、終末にイエス・キリストが雲に乗って天から降臨してくると考えています。

⑤ディサイプル教会(ディサイプル派)

ディサイプル教会は、19世紀初期に米国西部で起こった“信仰覚醒運動”を母体に、キャンベル父子らを指導者として形成されたプロテスタントの教会グループ(団体)のことを言います。

ディサイプルとは“キリストの弟子たち”を意味し、イエス・キリストの再臨と聖書への復帰を標榜しています。ディサイプル派は1811年、トマス・キャンベル、アレグザンダー・キャンベル父子によって出発しましたが、教会としての正式な設立は1832年とされています。

ディサイプル教会では、イエス・キリストの再臨が差し迫っていることを説き、当時のオーソドックスなキリスト教会(正統派)の形式主義的・権威主義的なあり方に異議を唱えました。そして新約聖書のみを基準とし、原始キリスト教会に回帰することを提唱し、キリストの再臨に備えて、すべてのキリスト教会が形式主義を排して一致団結することを訴えました。ディサイプル教会は、19世紀末には主要なキリスト教会の一つに数えられるまでに勢力を拡大しましたが、近年になって急激に信者が減少しています。

⑥ペンテコステ教会(ペンテコステ派・異言派)

ペンテコステ教会とは、20世紀初期に米国で始まった精霊運動(ペンテコステ運動)から生まれたプロテスタントの教会グループのことを言います。近代ペンテコステ運動は1906年、ロサンゼルスで行われた集会で起こった“異言現象”によって拡大することになりました。

“異言”とは、新約聖書(使徒行伝2章3節~4節)の中に登場してくる心霊現象のことで、聖書には、イエスが死から復活した50日後に集まった信者たちが聖霊に満たされ、トランス状態下でいろいろな外国の言葉を語り出したことが記されています。

異言現象が起きると、その場にいた人たちが、外国語と思われる意味不明な言葉を一斉に語り出します。異言で語られる言葉の意味は、当人にも分からないのが普通です。異言現象については昔からよく知られており、世界各地で頻繁に出現しています。そうした意味で“異言”は、かなりポピュラーな心霊現象と言えます。ただ周りの人間から見ると、それはある種の奇跡のように映り、驚きと畏怖の感情を喚起します。日本において“異言現象”で有名になったのが、高橋信次によって創設されたGLA教団です。

アメリカで発生した“ペンテコステ運動”は、たちまち全米に広がり、イギリスにも伝わり、世界中で流行しました。それはちょうど、スピリチュアリズムにおいて「シルバーバーチの交霊会」が始まった時期と一致しています。

1924年に、異言を語る70余りのグループが集まって「神の集会(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団)」をつくりました。神の集会は、ペンテコステ派で世界最大の一派となっています。そこに所属する教会では、“異言”が重要な信仰実践とされ、神による病気治癒心霊治療の一つで“神癒”と呼んでいる)を重要視しています。ペンテコステ派は、ホーリネス派と同じく聖書の無謬むびゅう性とキリストの再臨を掲げ、それを教えの土台としています。

⑦無教会主義と内村鑑三(日本人の再臨主義者)

ここまで、近・現代における海外のキリスト教再臨派の動向について見てきましたが、日本でもキリスト教徒の中から、熱心な再臨運動が展開されました。その中心人物が、内村鑑三(1861~1930)です。内村は、純粋なキリスト教信仰を求めて“無教会主義”を唱えたため、伝統的なキリスト教会(正統派キリスト教会)から“異端の徒”として非難されました無教会主義とは、教会の制度によらず、聖書のみを信仰の拠りどころとするあり方)。内村は第一高等中学校に在職中、教育勅語の天皇の署名への敬礼を拒む不敬事件を起こして免職となっています。また、日露戦争では非戦論を主張しました。現在においても内村は、誠実で熱心なクリスチャンとして尊敬され、キリスト教信仰者の良き手本とされています。

彼は聖書の言葉を文字どおり真実であると信じ、イエス・キリストが雲に乗って再臨するものと思っていました。ある時、神から啓示を受けたと感じた内村は、信者と共に富士山のふもとに出かけ、イエス・キリストの再臨を待つことにしました。しかし、再臨は発生せず、内村の期待は外れてしまいました。この種の予言が外れると大抵の場合、一斉に非難され、袋叩きにあうことになりますが、内村の日頃の誠実な信仰姿勢を見てきた人々は、彼を非難することはありませんでした。

内村鑑三は、2021年4月の「イエスの地上再臨」後に、普及会に通信を送ってきました(4月9日)。地上時代のキリスト教に対する純粋で熱心な信仰は死後、彼の魂を“霊的牢獄”に閉じ込め、幽界で“地縛霊”になるという悲劇を生むことになりました。多くのキリスト教の聖職者がそうであったように、内村もその熱心な信仰が、地縛霊としての長い苦しみをもたらすことになってしまったのです。

イエスの地上再臨後、内村は生前信じていたキリスト教の教えの間違いに気がつき、地縛状態から解放され、霊界における真の宗教(スピリチュアリズム)の信者として再出発の道を歩み出しました。そして現在は、幽界で地縛状態に置かれているキリスト教の信者を救済するために、積極的に伝道活動をしています。

⑧統一教会(世界基督教統一神霊協会/現在の名称は「世界平和統一家庭連合」)

現在の正式名称は「世界平和統一家庭連合」ですが、旧・統一教会として広く名前が知られています。統一教会の創始者は文鮮明で、1920年に朝鮮(現在の北朝鮮)で生まれました。統一教会は1954年に韓国で創設され、ほどなくして日本に伝わり、1964年に正式に日本統一教会が設立されました。日本における活発な伝道活動の結果、統一教会は短期間に勢力を拡大し、世界に進出することになりました。統一教会は韓国に拠点を置き、日本やアメリカの統一教会はそれに従うようになっています。

2012年に教祖・文鮮明が他界すると、後継の地位をめぐって家族内に対立が起こり、統一教会は文鮮明の妻(韓鶴子)を中心とするグループと、2人の息子をそれぞれ中心とするグループに分裂することになりました。最終的に妻(韓鶴子)が後継者としての地位を確立し、教会組織の本体が維持されることになりました。

しかし、教団全体を巻き込んだ騒動の中で、新たに統一教会の中心者となった韓鶴子が“自分こそが本来の真のメシアである”と主張するようになり、文鮮明を再臨のメシアとして崇め、彼によって人類の罪が贖われ救済される、と信じてきた古参の信者たちの間に混乱と分裂が生じました。従来の統一教会の根幹教義が揺らぎ、多くの信者が離れることになりました。現在、統一教会は韓鶴子の権威づけ・神格化を図り、組織体制を維持しようと奔走しています。しかし、組織全体が混迷を深める中で、衰退・消滅の岐路に立たされています。

統一教会の教義は、『原理講論』と呼ばれる聖典にまとめられています。『原理講論』は、キリスト教の聖書を独自に解釈することで構成されています。統一教会の教義の最大の特色は、創始者・文鮮明を“人類全体の救済主・再臨のメシア”としている点にあります。また、ほとんどの再臨派が、イエス・キリストの再臨は、イエスが雲に乗って天から降りてくることによって成されるとしているのに対し、統一教会では、再臨のメシア(キリスト)はすでに地上に誕生している、それが文鮮明であるとしています。

統一教会の教義の特色は、「メシア観」だけでなく「救済観」にも見られます。「二千年前にイエスはメシアとして誕生したが、十字架にかけられたことで人類救済の使命は中途半端で終わってしまった。そのためイエスがやり残した人類救済は、“再臨のメシア”として地上に誕生した文鮮明によって完成されることになる」としています。一般のキリスト教では、十字架にかかったイエス・キリストを救世主として受け入れ信じることで罪が許され、救われることになるという贖罪救済論を説きますが、統一教会では人類の救い(贖罪)は、再臨のメシア・文鮮明の特殊な贖罪の秘儀(一連の合同結婚式での儀式)を通して達成されるとしています。こうした特異なメシア論・贖罪論は当然、一般のキリスト教会から異端視され、非難されることになりました。

以上、近代以降の再臨運動と再臨派教会(教団)について見てきました。近代以降の再臨派教会には、共通した考え方や要素がありますが、その一方で、それぞれの教会には独自性があり、中には相いれない正反対の考え方も存在しています。次に、それについて見ていきます。

〈再臨派内部における共通性と相違性〉

■イエス・キリストが、雲に乗って天から降りてくる

ほとんどの再臨派教会は、聖書の記述をそのまま受け入れ、「再臨とは、イエス・キリストが雲に乗って天から降りてくることである」としています。これが、現代の再臨派が描く「イエス再臨」のイメージです。こうした形で、近いうちにイエス・キリストの再臨が実現するようになると信じているのです。そしてイエスが再臨した後にすべての人間は復活し、“最後の審判”によって裁かれ、天国と地獄に振り分けられるようになると考えているのです。

■聖書より、自分たちの教会(教団)の聖典を優先

ところが現代の再臨派の中には、そうした一般的な「再臨説」とは異なる考え方をしているところがあります。彼らはキリスト教の聖書とは別に、自分たちの教会独自の聖典を持ち、それに基づいて特殊な見解を主張しています。一般の聖書は信頼できないとし、教会の聖典を優先します。モルモン教やエホバの証人や統一教会などが、その代表です。

■すでに再臨のキリストが地上に誕生している、と主張する再臨派

再臨派教会の中には統一教会のように、再臨のキリスト(メシア)はすでに地上に降臨している、と主張しているところがあります。ただし、再臨しているキリストは、二千年前に地上を去ったイエスその人ではなく、イエスと同じ使命を持った別の人物である、としています。これは、きわめて特殊な「キリスト観」です。

二千年前に他界したイエスが、地上人のような身体を携えて雲に乗って降臨するという一般的な再臨の構図は、近代科学思想に染まっている大半の現代人にとって、真実として受け入れがたいものです。それは、他の天体に住んでいる宇宙人がUFOに乗って地球にやって来るのと同類の話に聞こえます。イエスが雲に乗って降臨するというようなことは、空想や作り話・伝説であって、実際にそんなことが起きるとは、現代人には信じられません。

それに対して、統一教会が主張しているような「イエス・キリストと同じ人類救済の使命を持った別の人間が、再臨のメシアとして地上に誕生する」という説は、現代人にも受け入れやすいものです。統一教会は、従来のキリスト教を空想的で現実性がない、と言って批判してきましたが、その主張には一理あります。

■一貫性のない再臨の予言

一方、エホバの証人(ものみの塔)では、再臨についての見解が変節し、一貫性がありません。最終的にラザフォードの見解にそって、イエスは1914年に見えない形ですでに再臨を果たした、ということになっています。その点で、イエスが雲に乗って地上に再臨するという正統派のキリスト教の見解とは食い違っています。また、エホバの証人では天国は認めるものの、地獄の存在を否定していますが、これについても一般のキリスト教とは考え方が違っています。

いずれの再臨派も、自分たちの見解のみが真実であると主張

このように同じ再臨派であっても、考え方に大きな違いがあり、特徴があり、そのすべてを同一に扱うことはできません。それでいて、いずれの再臨派教会(教団)も、自分たちこそが「キリストの再臨」に関して真実を述べている、と主張しています。同じ再臨派同士で争っているのです。

(3)再臨派のクリスチャンに待ち受ける“死後の悲劇”

――イエスと出会うために、すべてを捧げてきた再臨派クリスチャンの悲劇

2021年4月の「イエスの地上再臨」の実現によって、再臨派の主張が崩壊

地球上に存在した宗教の中で、キリスト教の再臨派ほど「イエスの再臨」を待ち望んできたところはありません。再臨派のクリスチャンたちは、ひたすら「イエスの再臨」を求めて時間とエネルギーを傾けてきました。彼らは誠実に真剣に、そして犠牲を厭わずに、イエスの再臨に出会うために人生のすべてを捧げてきたのです。先が全く見通せない中で、一途にイエスの再臨を待ち続けてきた信仰は、敬意に値します。しかし、そうした信仰は「神の摂理」から逸脱しています。それは「霊的無知」なキリスト教の教義に立脚した、真実からかけ離れた信仰です。

2021年4月、クリスチャンたちが長い間、待ち望んできた「イエスの地上再臨」が突如、発生しました。その瞬間、イエスの再臨を待ち続けてきた人々の夢は、根底から崩れてしまいました。イエスの再臨は、クリスチャンたちが信じてきたような形で実現したのではなく、思いも寄らない形で実現したからです。それによって、クリスチャンたちが思い描いてきた「イエス・キリストの再臨」のイメージが、すべて間違っていたことが明らかにされました。

「イエスの地上再臨」の事実を受け入れられないクリスチャン

二千年間、高級霊界にいたイエスが、2021年4月に特殊な霊体をまとって地上次元に降臨しました。これが、「イエスの地上再臨」です。私たちは、「イエスの再臨」を心の底から待ち望んできた再臨派のクリスチャンたちに、真っ先にその事実を伝えたいと思っています。しかし、残念ながら彼らには、日本のスピリチュアリズムから「イエスの再臨」が実現したことを認めることはできないでしょう。認めるどころか、猛烈に反発するはずです。

再臨派のクリスチャンは、自分たちの考え方と信仰に絶対的な自信を持っているため、それ以外の考え方を受け入れることができません。そして“スピリチュアリズムはサタンの手先”といったお決まりの幼稚な批判を繰り返すことになります。霊界の事実が分からないクリスチャンにとって、“サタンの存在”など確かめることはできません。ただやみくもに同じ批判を繰り返すことしかできません。そうした行為が、死後における“地縛霊への道”を決定づけることになってしまうのです。

再臨派のクリスチャンに待ち受ける“死後の悲劇”

人生をかけて「イエスの再臨」を待ち望んできた再臨派のクリスチャンたちには、死後、“地縛霊”になるという悲劇が待ち受けています。地上でつくり上げた間違った信仰(再臨信仰)が彼らの魂を束縛し、“霊的牢獄”に閉じ込めてしまうようになるのです。

これまで何度かインフォメーションで取り上げましたが、地上時代を熱心なキリスト教徒として過ごしてきた多くの聖職者・修道者たちは死後、幽界で“地縛霊”として悲惨な生活を送ることになりました。生前、熱心で真面目なクリスチャンだった者ほど、“地縛霊”になる可能性が高いのです。クリスチャンたちは地上時代、死後は天国に行って、イエスと共に至福の時を過ごすようになることを夢見てきました。そこにすべての希望を託し、信仰生活の励みとしてきました。ところが実際には、その願いとは裏腹に、彼らは地獄のような“暗黒のスポット”に閉じ込められ、辛く苦しい時を過ごすことになってしまったのです。

これは、本当に悲劇です。イエスを愛し、すべてを捧げて信仰の道を歩んできた人間が死後、イエスから最も遠い所に追いやられ、イエスに近づくことさえできなくなってしまうのです。それどころか、神の光が全く届かない“霊的暗闇”の中で、永遠に続くかと思われるような苦しみに満ちた時を過ごすことになってしまうのです。

熱心なクリスチャンが死後、“地縛霊”になってしまうのは悲劇としか言いようがありませんが、「イエスの再臨」を強烈に待ち望んできた再臨派のクリスチャンの場合には、さらに悲劇性が増すことになります。「イエスの再臨」に対する期待が大きい分だけ、より頑強な“霊的牢獄”をつくり出し、彼らは死後、例外なく地縛状態に陥ってしまいます。インフォメーションNo.42No.44では、地上時代を再臨派のクリスチャン・カリスマ伝道師として過ごしてきた“霊の証言”を取り上げています。)

イエスの幽界降臨によって“霊的牢獄”から解放

キリスト教の間違った教えに縛られ、幽界下層で苦しむクリスチャンたちの姿を見たイエスは、心が張り裂けるような思いを味わってきました。何度も、悲しみの涙を流してきました。クリスチャンたちがイエスを愛するあまり、死後、“地縛霊”になってしまうことは、イエスにとって何よりも辛く悲しい出来事です。そのため2021年4月に「地上再臨」を果たしたイエスは、真っ先に“地縛霊”となっているクリスチャンたちの救済に乗り出しました。

何十年、何百年も、幽界下層で絶望的な信仰を続けてきたクリスチャンたちの前に、イエスは直接、姿を現しました。光り輝くイエスの姿を目の当たりにし、その愛と光に触れたクリスチャンたちは、自分たちの信仰の間違いを悟るようになりました。そしてキリスト教の教義によって閉じ込められていた“霊的牢獄”から、解放されることになったのです。インフォメーションNo.39~No.42では、キリスト教の聖職者・修道者として歩んできた霊たちの声(証言)を紹介しています。)

こうしてイエスによって救済された元クリスチャンの霊たちは、地上のクリスチャンに向けて、懸命な働きかけを開始しています。今この時も、地縛状態から解放された無数の霊たちが、自分たちのような苦しみを味わってほしくないと願い、地上の同じ宗教の信者に向けて必死に働きかけています。再臨派のクリスチャンに対しても、霊界から強力な働きかけがなされているのです。

(4)イエスの地上再臨がもたらす、二千年にわたるキリスト教の歴史の終焉

2021年4月、イエスは突如、地上次元に降臨しました。二千年間、クリスチャンが待ち望んできた「イエスの地上再臨」が、日本のスピリチュアリズムから発生しました。イエスの再臨を熱望してきた再臨派からではなく、キリスト教とは無縁な(キリスト教から敵視されてきた)スピリチュアリズムから実現したのです。

「イエスの地上再臨」によって人類史上、初めて“霊的新時代”が訪れました。地球人類の前に“霊的成長の道・真の救いの道”が開かれることになったのです。

キリスト教の歴史の終わり

「イエスの地上再臨」が実現したことによって、従来のキリスト教の「再臨」に対する考え方が根本から間違っていたことが証明されました。「イエスの再臨」は、キリスト教の再臨派にとって驚愕すべき出来事であり、天地がひっくり返るような衝撃的な大事件です。スピリチュアリズムからイエスの再臨が発生したことは、人生を捧げて打ち込んできた自分たちの信仰が間違っていたこと、的外れであったことを示しています。とは言え、クリスチャンたちは、スピリチュアリズムから「イエスの再臨」が実現した事実を認めることはできないでしょう。

しかし今後、キリスト教の衰退は、誰の目にも明らかになっていきます。「イエスの地上再臨」は、二千年にわたるキリスト教の支配に終焉を告げることになります。キリスト教という地球上で最大・最強の宗教の歴史が幕を閉じることになるのです。

地球全土に“大宗教革命”が進行

「イエスの地上再臨」という人類史上、前代未聞の大事件は、キリスト教だけでなく、世界中のすべての宗教にメスを入れ、地球上から追放・消滅する動きをつくり出していきます。あらゆる宗教が「霊的無知」をさらけ出し、その無力さと偽善性が人々に知られるようになっていきます。地球規模で宗教革命が進展し、スピリチュアリズムという“真の宗教”、神と神の摂理だけを信仰対象とする“普遍的な宗教”が、地球人類共通の宗教となっていくのです。

これから、地上に再臨したイエスによって「霊的真理(神の摂理)の普及」が強力に進められていきます。それにともない、地球上の間違った宗教は淘汰されていくことになります。こうして地球の歴史が始まって以来、初めての“大宗教革命”が展開していくことになるのです。地球上の人間は、好むと好まざるとにかかわらず、イエスによって進められる“大宗教革命”の渦に巻き込まれ、“霊的新時代”に踏み出していくことになるのです。

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