5.黄金期から低迷期への移行
――低迷期移行への内部兆候
(1)スピリチュアリズムは第一次大戦時期がピークか?
1860年から第一次世界大戦に至る期間に、スピリチュアリズムは世界中に拡大し、一世を風靡しました。当時の各界の多くの著名人を引き入れ、一大センセーションを巻き起こしました。そのエネルギーは唯物論やキリスト教と激しく対立し、世界中の人々に新しい世界観を示してきました。この時期は、まさにスピリチュアリズムの黄金時代と言えます。しかしその黄金期も、20世紀の2つの世界大戦を境に低迷期に入っていきます。
現代人の中には、スピリチュアリズムは第一次世界大戦をピークに、その後衰退の道をたどるようになったという人もいます。そうした見解には一理ありますが、それは物質次元だけから見た表面的な認識にすぎません。スピリチュアリズムは“フォックス家事件”以降も、ずっと霊界主導の人知を超えた綿密な計画のもとで進められています。「霊的真理と霊的知識を地球上にもたらす」という大目的にそって計画は着実に進展してきました。霊的真理を地上世界に送るためのふさわしい環境を整えながら、同時に段階的に霊的レベルアップを図ってきました。
そうした中で、これまで華々しかった物理的心霊現象は、地上の物理学の進歩による物質観の根本変化にともない、新たな段階へ移行する必要性が出てきました。心霊研究の中心であった物理的心霊現象が縮小され、代わって別の心霊現象が出現することになりました。スピリチュアリズムが新たな段階へ移行するために、必然的に古いものが縮小されるようになったということです。
こうした表面上の変化が、物質的な視野からするとスピリチュアリズムの後退のように映ったのです。霊的に見ればスピリチュアリズムは、2度の世界大戦を期に衰退したのではなく、さらなる発展のための準備段階に入っていたということなのです。
(2)スピリチュアリズムの進展は、すべて霊界の働きから
スピリチュアリズムの歩み・歴史を正しく理解するためには、それを主導している霊界サイドの事情を考慮しなければなりません。霊界側からの働きかけなくしては、スピリチュアリズムの展開はなかったのです。物質的視野からすると、スピリチュアリズムの動向は地上の人間(スピリチュアリスト)の努力によって決定されるかのように映りますが、本当はそのほとんどすべてが、霊界サイドによって決められているということなのです。
霊界の視点に立って、スピリチュアリズムの歴史を眺める必要があります。単にスピリチュアリズム関連の出来事や登場人物を年代史として追っていくだけでは、スピリチュアリズムの歴史の本質は見えてきません。
(3)第一次大戦~1930年が、心霊現象のターニング・ポイント
スピリチュアリズムにおける心霊現象の動向を巨視的に眺めると、第一次大戦~1930年の間に、明らかな変化の時期があることが分かります。それまで華々しかった物理的心霊現象が減少し始め、それとは別のスピリチュアル・ヒーリングや心理的(精神的)心霊現象(霊視現象や霊聴現象)のウェイトが大きくなってきたことです。そしてこれらの新しい心霊現象が、次の時代(1950~2000)の主流となっていきます。
スピリチュアル・ヒーリングは、1927年、パリッシュによって始まりました。そしてC・A・シンプソンやW・H・リレイなどの優れたヒーラーによって発展していきます。1946年にパリッシュが他界すると、かの有名なハリー・エドワーズが英国スピリチュアル・ヒーリングの指導的立場に立ちました。
物理的心霊現象が心霊治療(スピリチュアル・ヒーリング)に移行していった霊的背景について、シルバーバーチは次のように説明しています。
「その後、科学の世界にも大きな変化が生じております。今や科学みずからが不可視の世界へと入り込み、エネルギーも生命もその根源は見かけの表面にはなく、目に見えている物質のその奥に、五感では感知できない実在があることを発見しました。
原子という物質の最小の粒子は、途方もない破壊力を発揮することができると同時に、全人類に恩恵をもたらすほどのエネルギーを生み出すこともできます。科学はすっかり展望を変えました。なぜなら、かつてはこれ以上は分解できないと思われていた原子を、さらに細かく分裂させることができることを知り、それが最後の粒子ではないとの認識を持つようになったからです。
そうなると、地上界へのこちら側からのアプローチの仕方も必然的に変わってきます。心霊治療が盛んになってきたのは、その一つの表れです。身体の病気を治すという意味では物質的ですが、それを治すエネルギーは霊的なものです。現代という時代の風潮は、そういう二重の要素を必要としているのです。」
1850年から1950年の心霊現象の動向を図に示すと次のようになります。1930年前後が転換点になっています。
(4)スピリチュアリズムの内部矛盾と低迷化の兆候
スピリチュアリズムは黄金期(1860~1930)に大きく発展しました。そしてその時期に、これまで述べたようなスピリチュアリズムの組織がつくられました。しかしそうした表向きの発展の陰で、同時にスピリチュアリズム内部には深刻な内部矛盾が発生していました。その矛盾がスピリチュアリズムを徐々に混乱状態に陥れ、低迷化の兆候を生み出すことになっていきます。
その内部矛盾の1つが――先に述べたSPRの問題です。SPRは本来、「霊魂説」を科学的に研究してその真実性を明らかにすることを目的として設立されました。そして途中まではその思惑通りに進展していきました。ところがSPRはいつまで経っても肝心な結論を出そうとはしませんでした。そのためにSPRは、コナン・ドイルやオリバー・ロッジのようなスピリチュアリズムの指導者から手厳しく非難されることになりました。世界的に名声のある科学者が積極的に心霊現象の研究に参加し、しかも彼らの大半がその真実性を肯定するという経過があったにもかかわらず、SPRは公に見解を発表することをしませんでした。それが、やがてスピリチュアリズムと心霊研究を仲違いさせることになっていきます。本来ならばスピリチュアリズム発展のために手を携え協力すべき者同士が、敵対関係になってしまったのです。
2つ目の内部矛盾とは――スピリチュアリズムのキリスト教主義の問題です。本来スピリチュアリズムの教えとキリスト教の教義は全く相容れないものですが、それを折衷するような形のスピリチュアリズムができてしまったことです。その最大の組織が先に述べたGWCSAでした。こうしたキリスト教主義の影響は、スピリチュアリズムの内部にかなりの混乱を発生させることになりました。
3つ目の内部矛盾は――「再生論」をめぐる思想的問題です。英国スピリチュアリズムの正統派(SNUなど)は、再生否定の立場を強く主張してきました。それに対してアラン・カルデックによって始められたフランスのスピリティズムは、明確な再生論の立場をとります。このために英国スピリチュアリズムとフランスのスピリティズムは、別々の道を歩むことになりました。
さらに19世紀の後半に、ブラヴァッキー夫人によって“神智学”が設立されたことも、英国スピリチュアリズムに大きな影響を与えました。神智学では死後の魂の存在を認めると同時に再生論を主張します。その一方で神智学は、霊と地上人の間の交流を否定します。交霊会を中心とする英国スピリチュアリズムにとって、交霊会そのものを否定する神智学を受け入れることはできません。
しかし再生を唱える神智学の教義が、当時のスピリチュアリストの間にも浸透し、正統派スピリチュアリストたちの間に反発と警戒心を引き起こすことになりました。英国スピリチュアリズムの正統派は再生論に強く反対します。SNUは、まさにその代表的立場にあります。そのためSNUの会長を務めたこともあるスワッファーは長い間、再生否定論者でした。またシルバーバーチの霊媒を務めたバーバネルも、最初は強固な再生否定論者でした。
そうした中にあって、シルバーバーチやホワイトイーグルなどの霊界通信によって「再生論」が強く打ち出されるようになっていきます。これは英国スピリチュアリズムの主流派にとっては大きな脅威となりました。再生論はスピリチュアリズムの教えの中でも重要性の高い問題です。「救済観」に直結してくる深刻な内容を含んでいます。したがって再生論の是非をめぐって、英国スピリチュアリズム界は思想的中心点が定まらないという状況に置かれることになりました。
黄金期にすでにこうした内部矛盾をはらんでいた英国スピリチュアリズムは、それらが原因となって混乱し低迷化の兆候を示すようになります。さらに従来のような物理的心霊現象が減少していったことが、人々のスピリチュアリズムへの関心を失わせることにもなっていきます。華々しい現象が次々と演出される中では否応なく人々の熱気は高まりますが、そうでない心霊現象ではあまり心に刺激が与えられません。
やがてこうしたさまざまな諸条件が重なり合って、1930年以降、英国スピリチュアリズムは外見上の低迷期に入っていくことになります。