もう一度、スピリチュアリズムの大原則と全体像の確認を!
――スピリチュアリズムの全体像を、もう一度確認してみましょう。
ニューズレター第5号
高級霊による史上最大のビッグ・プロジェクト
スピリチュアリズムは、今日、欧米や日本で流行しているニューエイジや精神世界ムーブメントとは全く次元が異なるものです。まず、スピリチュアリズムは地上サイドから始まったものではないことを、しっかりと理解しておかなければなりません。スピリチュアリズムとは、霊界の高級霊団によって直接おこされた地上人類救済のための一大事業です。そして、それは地上においては、高級霊が働きかけるための唯一の足場なのです。スピリチュアリズムは霊界の高級霊団によって組織された、人類史上はじめての地球規模の大プロジェクトです。人類が地球上に誕生して以来、何十万年という長い時がたっていますが、その中で最大規模の大事業が、今はじめて、霊界の高級霊団によって進められているのです。かつてのナザレ人イエスを頂点として、地球に係わる何百億という高級霊が一丸となって、この大事業を推進しています。
高級霊団によるこの大事業は、地上の人類を救済するために、霊界の最上層において詳細に計画・立案されました。その完璧な計画に基づいて、地球上への働きかけがなされているのです。高級霊の働きかけの最大の目的は、地上に「霊的真理」をもたらすことです。その霊的真理は、スピリチュアリズムを通して人類に伝えられるようになっています。高級霊団の霊的真理を伝えるための働きかけは、「スピリチュアリズム」という一点の足場に凝縮して向けられているのです。そのため高級霊団の地上における計画は、スピリチュアリズムを中心に展開することになります。この意味で地球上で、スピリチュアリズム以上に高級霊団の意志をストレートに反映しているものはないのです。
また、スピリチュアリズムとは、「霊界中心主義・高級霊中心主義」ということができます。私達は現在地上で生活していますが、スピリチュアリズムを体現するためには(スピリチュアリストとして生きるためには)、自分という存在の中心点を霊界におくことが必要です。肉体は地上にあっても、心は霊界の一員としての立場に立つということです。すべての物事を霊的視点から眺め判断し、高級霊を手本として行動するのです。そして霊界の人々と心を合わせ道具として地上に働きかける――霊界と一緒になって地上に手を差し伸べるということです。このような立場にあるのは、スピリチュアリズム以外にはありません。
それに対し、地上の宗教やニューエイジは、「地上中心主義・人間中心主義」ということになります。霊界への興味・関心を持っているものの、それはどこまでも地上サイドに立ってのものなのです。地上から霊界を見上げる(仰ぐ)――地上から霊界に手を差し出すということです。
このように、スピリチュアリズムと他の宗教やニューエイジでは、拠って立つところが根本的に違っているのです。
「皆さんは今、霊界での審議会で用意された叡知がこの私を通して届けられるのをお聞きになっていらっしゃるのです。」
「その計画の推進は、皆さんの想像も及ばないほどの協調体制で行われております。背後の組織は途方もなく巨大であり、細かいところまで見事な配慮がなされております。すべてに計画性があります。そうした計画のもとに霊界の扉が開かれたのです。このたび開かれた扉は二度と閉じられることはありません。」
「これは大変な仕事です。これを正当な手段で遂行していくことによって、私たちもそして皆さんも、真の意味での大霊の道具となることができるのです。地上世界は“下”からでなく“上”から支配されているのです。」
「私の背後には延々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意志の統一のもとに、一丸となって臨んでおります。」
明るい地球の未来
――すでに軌道にのった高級霊界の計画
喜ばしいことに、こうした地球に対する計画はすでに軌道にのり、もはや後退することはありません。現時点では地球上のすみずみにまで、高級霊界の影響が及ぶようになっています。今後、霊的真理は時間の経過とともに、確実に地球上にくまなく普及していくのです。私達の知らないうちに、霊界の人々の働きかけによって、地球の将来は良い方向に決定づけられたのです。
ゆえに私達は、現在地上で騒がれているような“終末論”を心配したり、地球の未来に不安を抱かせるような情報に左右される必要はありません。遅かれ早かれ、高級霊団の計画は間違いなく地球において実現するのです。私達は幸いにも、そうした明るい地球の未来を教えられています。
「基盤はすでに出来上がっているのです。何年も前から、その基盤づくりはこちらの世界で終わっているのです。苦痛は伴いながらも、ゆっくりと各界の名士あるいは名もなき男女が、永遠の霊の実在の証言に立ち上がり、神の計画の一刻も早い実現のために刻苦したのです。新しい世界はかならず実現します。」
「私は、できることなら霊的ビジョンがどうなっているかをお見せしたいものだと思わずにはいられません。そうすれば、霊の世界に存在する複雑・微妙な組織と、計画が立案され地上の各国に影響力が行使されていく、その背景に行きわたる配慮、絶妙ともいうべき配剤を、目の当たりにすることができるのですが……」
現在の地球上の問題を“霊的視点”から見ると
ところがその一方で、現在の地球上には悲惨な問題が山積しています。毎日、暗く絶望的なニュースばかりが報道されています。そのため、本当にこれで地球は良い方向に進んでいるのかしらと思ってしまいます。しかし霊界においては、地上天国に向けての計画が着々と進められているのです。今、地球上で騒がれている出来事も、霊的に見ればさして深刻な問題ではありません。日本の将来を左右しかねないような重大な出来事も、霊的には特別大きな問題ではありません。今後、日本の経済がさらに悪化したとしても、そして仮に世界恐慌が起きるような事態を迎えたとしても、それは地上人類の霊的発展にとって本質的なマイナスとはなりません。
現在、地球上に生じているさまざまな問題は、概して物質世界における全体のバランスを取るための一時的な現象にすぎません。それは、物質への偏り過ぎというアンバランスを修正するために引き起こされるプロセスであったり、人類が霊的方向に踏み出すための必要な苦しみの道なのです。「霊的視点」から見た時、日本経済のバブルが弾けたことは、日本人の“霊性”にとってむしろ良いことでした。こうした事態にでもならない限り、異常な物質至上主義・経済至上主義に対してブレーキはかからなかったし、冷静な反省もできなかったことでしょう。
地上人類にとって「霊的成長」こそが最も重要であるとの観点に立てば、これから生じてくる世界規模の問題も、良い方向に向かうための不可欠な苦しみであると言えます。飽食から生じた病気には、断食療法というショック療法が最も効果的です。経済不況もそれと同じことなのです。拡大再生産という無限の経済拡大が、人類の本能性・物質欲をいっそう煽るだけのものであることを考えれば、経済不況というショックこそ、本当はありがたいものなのです。経済規模が縮小されることは、人類にとって決して悪いことではありません。
日本のように物質的に恵まれた国が、自らその富を持たざる国に分配できないとするなら、すでにそのこと自体が“霊的摂理”に反しています。特定の個人や国に富が集まるのは、その富を他の持たざる人達・国々に与えるためなのです。自分達だけが豊かになるために、お金が入ってきているのではありません。地球規模における貧富の差は、いつかは完全になくさなければなりません。それにはまず、富裕な国が恵まれない国々の経済的自立と発展のために、積極的に自国の富を用いることが必要です。それが同じ地球上に存在する国としての義務であり、霊的真理にそった国の在り方なのです。
もし、そうした国家的な奉仕が自発的にできない時は、いやおうなく富を放出せざるを得ないような動きが生じるようになります。そうした動きは大きな視点から見れば、消極的ではあっても国レベルでの一種の奉仕(愛の行為)に駆り出されることで良いことなのです。日本人にとっては苦しくとも、恵まれない外国人にとって恵みであるとするなら、それは結局、日本人にとって良いことになるのです。日本国民に質素な生活を強いて、その分を貧しい海外に与えてこそ、日本の将来的繁栄は約束されます。それが“霊的摂理”にそった国の繁栄の方法であり、そのように仕向けるのが本来の政治家の役割なのです。
そうした観点に立って見る時、現在、世界中を巻き込んで混乱におとしめている米国のマネーゲームは、物質主義・拝金主義の極まった姿であると言えます。世界中の国々を苦しめても、米国一国だけの繁栄を目指す“エゴイズム”の極限的異常さは、いずれ大きなツケとなって米国民の上に返ることになるでしょう。近い将来における、米国の没落と破滅を暗示しています。
スピリチュアリズムは地上における“霊的中心点”
地球上の人類にとって最も深刻で悲惨な問題は、大半の人間の魂が物質に閉じ込められ窒息しかけているということです。「物質主義」とそこから派生する「利己主義」が地球上を支配し、人々の魂の成長は完全にないがしろにされています。地上人類の霊的成長を阻んでいる地上の最大の“ガン”とは、この物質主義と利己主義です。地球上のすべての問題はこの二つに起因します。そして、この二つの地上のガンを根本から打ち砕くことができるのは、「霊的真理」以外にはないのです。
霊的真理を地上にもたらすという高級霊界の働きかけは、スピリチュアリズムにストレートに向けられています。スピリチュアリズムは地上において最も霊界に近い立場にあるため、霊界からの働きかけは、スピリチュアリズムを頂点にして展開していきます。霊界からの働きかけは地上のあらゆる分野に及んでいますが、その中で、スピリチュアリズムは特別な立場に立っているのです。
「地球浄化の一環として私たちが携わっているのは、物欲第一主義の打破です。これは言わば地球のガンです。利己主義・どん欲・強欲・暴力――これらはみな物欲第一主義の副産物です。これらを無くし、地上の子らが精神的にも霊的にも豊かさを享受して、互いに協調し合える世界を築くことが目的です。」
「あなた方は地上の混乱や戦争、悲劇や憎しみ合いの根源である物欲第一主義が生み出す見苦しい悪感情のかずかず――どん欲・強欲・愚かしい利己主義等々――との大々的な闘争にたずさわっているのです。」
スピリチュアリズムは無条件に、地上における霊的な中心的位置に立たされています。三角錐の頂点にスピリチュアリズムがあり、その下にニューエイジや他の宗教が位置しています。そしてニューエイジも他の精神世界ムーブメントも、無意識のうちに、三角錐の頂点にあるスピリチュアリズムを目指すようになっています。それは高級霊による霊界通信によって、霊的真理がより完璧な形でスピリチュアリズムにもたらされているからです。スピリチュアリズムを通じて地上に与えられた霊的真理こそ、地球上における最も価値あるものです。そして地上人の霊的成長にとって必要不可欠なものなのです。スピリチュアリズムを通じて霊的真理を地上にもたらし広めることが、霊界の大事業・大計画の目的でした。そしてその計画は、すでにレールにのって順調に進んでいます。時間の経過とともに、霊的真理は地球上のすみずみにまで行きわたり、すべての宗教・思想に取って代ることになります。スピリチュアリズムによって示された霊的真理は、いずれ地球上の人類の“常識”となるのです。
「大きな仕事が待ち受けています。背後には物質界のあらゆる勢力を結集してもなお太刀打ちできない強大な力が控えていることを忘れずに励んでください。何一つ恐れるものはありません。」
スピリチュアリズムに携わる私達の立場
スピリチュアリズムに携わる私達は、今述べたような事の重大性を強く自覚していなければなりません。一人一人が、すでに歴史的な中心的立場に立っているのです。そして同時に、現在、地球上における最大の栄光に浴しているということです。今この時、高級霊団の総力上げての活動が、常に私達の周りで展開していることを忘れてはなりません。私達は霊団と同一のメンバーであり、別々に活動しているのでなく、一緒になって地上に働きかけているのです。霊界と力を合わせ、地上において最も価値ある霊的業を遂行し、地球の歴史を変えつつあるのです。
私達は、地上のいかなる宗教者や霊能者よりも大きな使命を担っています。その使命の重大さは想像を超えたものです。しかし、そうした重要な立場に立つ私達は、それにふさわしい内容を持っていると言えるでしょうか。自分自身の内容――特に自分の清らかさに自信を持つことのできる人はいないはずです。また世の中には、優れた能力を持った人達が大勢います。それなのに、背負い切れないほどの大きな使命が真っ先に与えられているのです。
私達一人一人を見ると、あまりにも足りない点ばかりが目につきます。その足りなさゆえ、自信を失いかけそうになることもあります。しかし私達には、高級霊団の一員としてともに働けるという特権が与えられています。霊界の多くの人々の援助を得ることができるという、他の人々にはない、特別な資格が与えられています。個人としては力はありませんが、霊界の人々の力を活用することができるという特別な立場におかれています。そのため状況によっては“百人力”というようなことが、実際に可能となるのです。
そうした霊界の人々の援助を得るためには、霊界の人々が安心して用いることができるような内容を持っていなければなりません。霊界の人々が働きかけることができるような状況をつくれるかどうかということです。それによって、私達の地上における貢献度は大きく左右されます。高級霊の援助を得るためには、ひたすら自分のエゴ的思いを払拭し、ただ霊界の道具として純粋に歩むことが必要です。高級霊の良き道具となるためには、自分の生活を正し、心身を清く保つ努力を欠かしてはなりません。絶えず自分の心を反省し、傲慢な思いがなかったかどうかを、厳しくチェックしていかなければなりません。こうした日々の地道な霊的克己の努力をしてこそ、スピリチュアリズムという人類歴史最大のプロジェクトに参加する者としての義務を果たすことができるようになるのです。
「たった一人の人間のすることです。見た目にはたった一人です。が、その背後には、自分を役立てたいとの願望に燃える者にかならず授けられる強大な霊力が控えております。」
「実はこのことが一ばん大切なのですが――高級な指導霊の協力を得ることができるように、人間性を磨くことが大切である……」
スピリチュアリズムの目的は地球の霊的浄化
霊界の高級霊団が地球に向けて働きかけるのは、地球上の人類を救済するためです。そのことは別の角度から見れば、地上を霊的に浄化するということです。物質と肉体の檻の中に閉じ込められ、霊的な息ができなくなってしまった地上人の魂を、霊的真理によって生き返らせることが霊界の人々の目的です。そして霊的に新生した人間が徐々に増えることによって、地球は霊的成長のための生活環境に変化していきます。霊的真理に基づく政治・社会制度もできていくようになることでしょう。これまで地上人類がつくり出してきたのは物質中心的・利己主義的世界であり、まさに本能的欲望が支配する“地上地獄”でした。そうした地上社会が、霊を優位とする人間が増えることによって、根本から変化していくのです。一人一人の「霊的新生」から地球の浄化が始まり、それがさらに広がることによって、地球は全体として霊的に浄化されるようになるのです。これが地上の「霊的浄化」ということです。
スピリチュアリズムとは、霊的真理に基づく信仰です
スピリチュアリズムは、従来の地上の宗教組織を徹底して批判してきました。本来宗教とは、神の道具として人類を霊的に新生させ、霊的成長を促すはずのものでした。しかし、そうした目的に反して地上の宗教は、人々を霊的成長の道から遠ざけ、物質・肉欲の中に閉じ込めてしまいました。人類の霊的成長に寄与するどころか、常に障害となってきたのです。地上には、高級霊の目から見て合格点のつく宗教組織は一つとして存在しません。そのため霊界から厳しく糾弾されてきたのです。
さて私達は霊訓を通じて、そうしたスピリチュアリズムの宗教に対する批判を何度も耳にしてきたため、つい、スピリチュアリズムは信仰ではないと思いがちです。確かにスピリチュアリズムはこの世でいう宗教ではありません。しかし、スピリチュアリズムは正真正銘の信仰です。地上にこれまで存在した信仰の中で、最も次元の高い信仰なのです。
シルバーバーチはよく、実践の重要性について述べています。何を信じているかより、どんな生き方をしているのか、実際に何をしているのかが重要であると言います。これはスピリチュアリズムが、まさに霊的真理の実践の道であること――地上的な言い方をすれば「信仰」であることを意味しています。もし霊的真理を知りつつも、毎日の生活がそれとは無関係な歩みであるなら、スピリチュアリストとは言えないということです。霊的真理が知識レベル・学問レベルにとどまり、信仰実践にまで至っていない人、人生のすべてが霊的真理の実践になっていない人は問題です。
「地上人類がみずからの力でみずからを救い、内在する神性を発揮するようになるためには、そうした単純な霊的真理を日常生活において実践する以外にないからです。」
スピリチュアリズムは、霊的真理に信仰を積み上げる生き方です
シルバーバーチはよく、「知識に信仰を付け加えなさい」と言います。この言葉はスピリチュアリズムが、霊的真理に基づく信仰、霊的真理を土台とした信仰であることを意味しています。スピリチュアリズムは信仰として、私達の中に根付かなければなりません。従来の地上の宗教は霊的真理に基づく信仰ではなかったために、どれだけ純粋に打ち込んでも正しい信仰をつくり上げることができませんでした。それどころか一生懸命にすればするほど霊的真理からズレることになり、狂信・盲信という結果に終わってしまいました。その点、スピリチュアリズムはどれだけ打ち込んでも狂信・盲信になることはなく、ますます純粋さが増し加わっていくようになります。
「霊的事実を土台として生まれた信仰は、いかなる嵐が吹いてもビクともしません。」
「そこで私は、知識の上に信仰を加えなさいと申し上げるのです。理性に裏打ちされた信仰、知識を基盤とした信仰は立派です。」
私達の中には、霊的真理を学んだものの、それが人生かけての信仰にまで至っていない人達が多く見られます。いつまでも学問のレベルに踏みとどまったままでいる人もいます。どれほど霊的真理を学び多くの霊的知識に通じていたとしても、実践にまで至らなければ、それは単なる“エゴ”になってしまいます。現在のスピリチュアリストの中には、残念ながら、こういう人が多いように思われます。霊的真理という最高の知識を手にしたことが、その人の自己顕示欲と結び付くと、もはやどうにもならない弊害を生み出すことになります。霊的真理を何も知らない人よりも、人間性において劣ることになってしまいます。
繰り返しますが、スピリチュアリズムは、これまでの地上にはなかった全く新しい信仰です。そして最も次元の高い、最も純粋で、真に魂を高める信仰実践なのです。
「
訓 えは十分に揃っているのです。今必要なのは、その実行者です。」
スピリチュアリズムは、キリスト教の“殉教”を超える純粋な信仰です
私達に与えられた霊的真理がこれまでの人類歴史上最高のものである以上、その実践は、人類歴史上最高次元の信仰でなければなりません。そうでないかぎり、高級霊界の目的とする“人類救済”は実現しないことになります。スピリチュアリズムは、その深さ・純粋さ・情熱において、歴史上の最高レベルの信仰実践(霊的実践)でなければなりません。これまでの地上の宗教の中で、純粋さの点において最も優れていたのは、キリスト教に代表される“殉教“です。信仰のために生命を捨てる――スピリチュアリズムの信仰もまた当然そうでなければなりません。キリスト教によって示された信仰以下のレベルであってはならないのです。
私達が、スピリチュアリズムのために自分の人生・生命をすべて捧げるのは当然のことなのです。そうであってこそ、スピリチュアリズムははじめて“純粋な信仰”となります。地球上の全人類の命運を掛けた戦いの最中に、自分のことだけを考えたり自分のことを優先する人間を、霊界の人々は頼りにすることはできないでしょう。クリスチャンでさえ信仰のために生命を捨ててきたのに、それとは比較にならないほど重要な立場にある私達が、人生と生命を捧げないことは、霊界の人々の期待を根底から裏切ることになるのです。
幸いに年若くして霊的真理と出会った者は、霊的真理の普及を自分の人生の“ライフワーク”としなければなりません。この世における仕事は、真理普及のための手段であると位置付けすべきでしょう。
また年老いて霊的真理と出会った者も、地上の余生をすべて真理普及のために捧げようと決心しなければなりません。安穏とした隠居生活など望んでいてはならないのです。体の動くかぎり働き続け、病床にあっては祈り続け、地上におけるスピリチュアリズムのメンバーとして、最後の最後まで邁進しなければなりません。そうしてこそ死後ただちに、霊界の軍団の一員として、地上に向けて働き始めることができるようになるのです。
スピリチュアリズムの出発は、霊的真理を正しく理解すること
スピリチュアリズムが霊的真理に基づく信仰実践である以上、霊的真理を正しく理解することがその出発点となります。あまりにも当たり前のことで、いまさら何をと思われるかも知れませんが、実はこのことこそが、現在のスピリチュアリズムが抱えている大きな問題点の一つなのです。はっきりと言えば、霊訓を読んでいても、その内容を正しく理解している人が少ない、ということです。誰もが、自分はシルバーバーチを読んでいるからスピリチュアリズムについてよく知っていると思っています。しかし残念ながらそういう人達の多くが、霊的真理を正しく理解していないのが実情なのです。こうした言い方には、反発を感じられる方も多いでしょう。しかし事の重大性を考えると、厳しいこととは十分知りつつも、率直に指摘せざるを得ません。
シルバーバーチは、「スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる――つまり、生半可な知識で全てを悟ったつもりでいる人たちが、往々にして最大の障害となっている
」と述べています。(『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』ハート出版)
日本のスピリチュアリズムの内部から、スピリチュアリズムの敵は出て欲しくありません。これほど残念で悲しいことはありません。
スピリチュアリズムによって地上にもたらされた霊的真理は、高級霊界における知識の総結集したものです。それが霊界通信によって私達に示されたのです。ゆえにスピリチュアリズムによる霊的真理――特にシルバーバーチやインペレーター(『モーゼスの霊訓』の通信霊)、聖ルイ(『霊の書』の通信霊)といった特別な高級霊による霊界通信によって示された霊的真理は、人類史上、最高の叡知であり、人類の宝と言うべきものです。歴史上にも現在にも、これらの霊的真理に匹敵するものはありません。地上の宗教による教理や思想など、とうてい比較することさえできません。地上にある何十億、何百億冊という宗教書・思想書も、この霊的真理の前では色あせたものになってしまいます。
地上の人間はとかく、難しい表現で書かれたものでないと、また理屈っぽく書かれたものでないと、内容がない・価値がないと考えがちです。霊的真理は決して難しい表現で語られることはありません。誰もが理解できるように分かりやすく説かれています。単純で分かりやすく、それでいて全てを包み込む最も深い内容を持っています。そのため理屈だけを追うことに意義を見い出すような霊性の乏しい人には、その価値が分からないようになっています。まさに霊的真理を理解するのは霊的な感性であって、ある程度の霊的レベルにまで至っていないとできないことなのです。すでに皆さん方が、スピリチュアリズムにおける霊的真理を最高のものとして認めることができたという事実は、皆さん方の霊性が優れていたことを意味しています。
霊的真理は、スケール・深さ・正確さのどれをとっても、他の宗教の教えや現在の精神世界ムーブメント、ニューエイジの内容を寄せ付けません。唯一、聖書の福音書の一部が、これに匹敵するのみです。
もし、スピリチュアリズムの霊界通信・霊訓に触れながら、いまだにそれを他のものと対等に考えているとしたら、残念ながらその方は、霊的真理が分かっていないということです。スピリチュアリズムにおける霊的真理を他のものと横並びに考えるということ自体が、その人の真理の理解の乏しさを示しているのです。
「人間が地上生活を生き抜き成長していくために必要な真理は、これ以上つけ加えるべきものは何もありません。あとは真理をより深く理解すること、神とのつながり、および同胞とのつながりに関してより一層理解を深めることです。新たに申し上げることは何一つありません。」
さて先程のシルバーバーチの、「スピリチュアリズムの最大の敵は内部にいる」という言葉について述べてみたいと思います。この言葉は、すでにスピリチュアリズムの霊的真理を知った私達に向けて語られています。いまだスピリチュアリズムの価値が分からない人達に向けられているのではありません。シルバーバーチは真理を手にしている私達に対して、「あなた方はスピリチュアリズムの敵になりかねない」と言っているのです。そしてその原因として、霊的真理を正しく理解していないことを指摘しています。せっかくスピリチュアリズムにまで至りつつも、スピリチュアリズムの敵になってしまうことほど悲劇はありません。霊界にとっても、これ以上の大きな損失はありません。霊界の高級霊にとっての最高の悲しみとは、スピリチュアリストがスピリチュアリズムの敵になってしまうことです。私達はスピリチュアリズムの敵になるような事態に至らないために、何としても霊的真理を正確に理解しなければなりません。
さて、これまでスピリチュアリストと自称される多くの方達を見て感じることは、霊訓を一生懸命読んでいるにもかかわらず、その理解が“自分流”であるということです。自分の感性と合う部分を中心として真理を理解し、それで良しとしています。傍から見ると、明らかに偏ってズレた理解をしているのですが、それが修正されることなく、その人のスピリチュアリズム観になってしまっているのです。
霊的真理を正しく理解しようとするならば、徹底して霊訓を読む必要があります。その上で、それらを体系化して全体の理解を図らなければなりません。そのためには何十回、何百回と繰り返し繰り返し読む必要があります。せっかく霊界から降ろされた霊的知識も、もし間違って理解されてしまうなら何の意味もなさなくなります。口をすすぐような読み方で、霊的真理の全体を正確に把握することはとても不可能なのです。
実際に真理の全体を正しく理解するには、かなりのエネルギーと時間が必要とされます。そのため多くの人々が、それをなし得ないでいることも事実なのです。しかし、だからといって私達は、スピリチュアリズムを正確に理解しないままで良しとするわけにはいきません。
*こうした実情を考慮して当サークルでは、『スピリチュアリズム入門』と『続スピリチュアリズム入門』を作成しました。これらの本の目的は今述べましたように、高級霊訓によって示された霊的真理の全体像(アウトライン)を理解していただくことにあります。霊訓を読む前の予備知識として、スピリチュアリズムの霊的知識の全体像を知っていただきたいということです。これらの本はあくまでも、霊訓を正しく理解するための手引書であって、霊訓に入る前のウォーミングアップのためのものです。私達の一番の願いとするところは、各自が直接霊訓を読み、日常生活においてそれを心の支えとし、霊的エネルギーを補給してほしいということです。そして時々これらの本を読み返し、スピリチュアリズムの霊的真理の全体像を再確認していただきたいと思っています。
また、この二冊の入門書にはそれ以外の目的もあります。それはスピリチュアリズムが霊的真理を土台とした信仰であること、そしてスピリチュアリズムの霊的真理は地上における最高のものであることを、しっかり理解していただくということです。
こうした目的をもって二冊の本を作成しました。将来、これらをたたき台にして、もっとすばらしい入門書をつくってくださるとするなら、喜び以外の何物でもありません。
霊的真理実践の真髄“道具意識”
私達は、霊的真理の実践を通じてはじめて魂を成長させることができます。そのスピリチュアリズムの信仰実践の具体的内容については、これまでのニューズレターで述べてきました。それは霊主肉従の努力、苦しみの克服(甘受)、利他愛の実践、祈りという四つでした。さらにこの四つの内容は大きく、「自己克己・自己内省(自己コントロール)」と「利他愛の実践」という二つにまとめることができます。
このうちの利他愛の実践とは、自分のことより他人の幸せを優先すること、他人のために自己を犠牲にすることです。イエスは、「人のために生命を捨てることほど大きな愛はない」と言っています。これは、まさに利他愛のことを言っています。
自分のことを後回しにして、霊的真理の普及(最高の利他愛の実践)に自分のすべてを捧げ、自分の人生を神と霊界の導きに任せることは、別の言い方をすれば、「道具意識」を持つということです。地上において霊的真理を伝えることほど大きな愛の行為はありませんが、その愛が“真の利他愛”として実を結ぶためには、道具意識が不可欠です。
自らの立場を高級霊の道具と定めることによって、自分自身に栄光を帰することがなくなります。どこまで行っても付きまとう地上人の自己中心性と傲慢さは、自らを道具として位置付けすることにおいてのみ、初めて払拭することができるのです。それによって純粋な謙虚さを心に宿すことができるようになります。「霊界の道具」ということは、主役は霊界の人々であって、自分はそのお手伝いをさせていただく、使っていただくということです。そこには、一人よがりの力みも、不純で利己的な実績追求の野心もありません。すべては霊界と二人三脚でやることになるからです。道具意識のないところでは、たとえ他人への奉仕であっても、そこに傲慢さが忍び込んできます。そしてそれを拭い去ることができなくなります。良い結果がでれば、自分が優れていたからだと思い上がってしまうようになるのが、地上の人間の常なのです。しかし純粋な道具意識のあるところでは、全力を尽くしつつも、なお謙虚さを持ち続けることができるのです。
私達は、心掛け一つで霊的真理のメッセンジャーとなれることの重要性を忘れてはなりません。霊界総動員しての大事業の目的が、地上に霊的真理をもたらすという一点にあること、そして霊的真理が地上の人間にとって「最高の救い」となることを、決して忘れてはなりません。そして私達はそうした歴史的な仕事を、霊界の人々の「地上の道具」となって、一緒に進めていくということなのです。
「霊の大軍の一員なのです。私たちの背後に、そしてさらにその向こうにも、たぶんあなた方には理解の及ばないほどの霊格を身につけた高級霊の集団が幾重にも連なって控えているのです。あなた方も、この私も、そして大事業に参加している者すべてが、そうした軍団の援助をうけることができるのです。唯一それを制約するものがあるとしたら、それはその人の受容力、吸収力の程度だけです。」
霊的真理の伝道は、地上における最高に価値ある行為
シルバーバーチは繰り返し、霊的真理を伝えることの重要性を強調しています。私達地上の人間にとって霊的真理の伝道は、何より重要で価値のある霊的実践です。「たった一人でも霊的真理を伝えることができたら、あなたの人生は無駄でなかったことになります
」――これはあるスピリチュアル・ヒーラーに向けてのシルバーバーチの言葉です。シルバーバーチの心霊治療観は、常識では全く考えられないような爆弾的内容を持っています。病気が治ることよりも、患者が霊的意識に目覚めることが大切であると言うのです。これは心霊治療は、どこまでも霊的真理普及の一つの手段にすぎないということを意味しています。
新興宗教による浄霊治療、いま流行しているヒーリングや気功治療では、病気が治ったことを誇張して宣伝します。彼らは病気が治ることだけに価値をおいています。そしてそれを自己宣伝の格好の材料とし、本人もたいそう立派なことをしているかのように思い込んでいます。
しかしスピリチュアリズムのヒーリングにおいては、病気が治るかどうかは、どちらでもよいことなのです。もっと重要なことは、ヒーリングを通じて相手の魂が高まるかどうかということなのです。この点で、スピリチュアリズムにおけるヒーリングと他のヒーリングは根本から違っています。
もしスピリチュアル・ヒーリングに係わりながら、いまだに表面上の治療実績だけにこだわったり、それを自慢するような人がいるとするなら、それはスピリチュアリズムのヒーリングの本質を外れて、何の価値もないこの世のヒーラーと同じレベルに落ちているということです。霊的真理普及の一手段としてのヒーリング以外はする必要はありません。そうしたヒーリングは単に自己満足を増大させ、自分の心を傲慢にするだけなのです。スピリチュアリズムの霊的真理を知った人は、高級霊の願いからズレたようなヒーリングはやめるべきです。現代医学に見放された患者を治せる程度のヒーラーは巷に数多くいます。しかし、ヒーリングを霊的真理普及の手段とできるヒーラーはめったにいないのです。それゆえスピリチュアリズムのヒーラーは、他のヒーラーと、その内容において根本的に違っていなければなりません。
「心霊治療の目的はきわめて単純です。魂を目覚めさせること、これに尽きます。身体の症状が消えても魂が霊的なものに目覚めなかったら、その治療は失敗したことになります。反対に病気そのものは治っていなくとも、魂が目覚めて霊的なものに関心を抱くようになれば、その治療は成功したことになります。」
再度、伝道について述べますが、霊的真理を伝えるということは、ヒーリングにまさる霊的実践をしているということです。霊的真理を語れない100人のヒーラーよりも、ずっと重要で価値ある仕事をしているということです。空中浮遊するサイキッカーのどこがすばらしいのでしょうか。霊の声を聞けるという霊能者のどこが優れているのでしょうか。どちらでもよいような地上レベルの人生相談に応じる霊界通信に、何の価値があるのでしょうか。
霊的真理には、日常生活の中で生じる問題を解決するための答えがすべて示されています。それなのに霊界にお伺いを立てるというのであれば、それは霊的真理が全く分かっていないか、スピリチュアリズムを逸脱したということ以外の何物でもありません。霊的真理が与えられているということの重要性が真に理解できていないのです。
「あなた方が霊的真理を手にしたということは、人類が抱えるすべての問題を解くカギを手にしたことを意味します。」
「私たちの説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くものです。宇宙のどこを探しても神の摂理の届かないところがないように、地上生活のどこを探しても、私たちの説く霊的真理の適用できない側面はありません。」
霊能力があることは、それ自体には何の価値もありません。ないどころか往々にして傲慢さを生み出し、その人の人間性を堕としめてしまうことが多いのです。霊能力は霊的真理普及の手段となって初めて価値を持つのです。それゆえ霊的真理を伝えられる私達の立場は、いかなるヒーラー・霊能者よりも重要であり、大きな使命が与えられているのです。
シルバーバーチより
「忘れないでいただきたいのは、皆さん方のような地上での道具がなくては、私たちも何もなし得ないということです。皆さんは私たちに闘いのための武具を供給してくださっているようなものなのです。皆さんの力をお借りする以外に地上には頼りにすべき手だてが何もないのです。喜んで私たちに身をゆだねてくださる人以外に、道具とすべきものがないのです。
その道具が多すぎて困るということは決してありません。こちらの世界では、使用に耐えられる人物の出現を今か今かと待ちうけている霊がいくらでもいるのです。
私たちの方から皆さんを待ち望んでいるのです。皆さんが私たちを待ち望んでいるのではありません。地上への降下を待ち望んでいる霊力には、その表現形式が無数にあります。種類も様式もおびただしい数があり、さらには、用意された通路に合わせて形態を変えます。
もっともっと多くの人材――これが私たちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却する用意のできた、勇気と誠意と率直さにあふれた男女――霊力がふんだんに地上世界へ降下して人生を大霊の意図された通りに豊かさと美しさと光輝にあふれたものにするためなら、いかなる犠牲をも厭わない人材がほしいのです。
私たちの仕事は、人生意気に感ず、の気概なくしては出来ない仕事です。その仕事の尊厳に誇りを覚えて全身全霊を打ち込むようでなくては成就できません。」