スピリチュアリストとしての霊的実践は、霊優位のための自己コントロールから始まります

ニューズレター創刊号

『シルバーバーチの霊訓』『モーゼスの霊訓』『アラン・カルデックの霊の書』に代表される三大高級霊訓は、人類が手にした最高の真理と言えるでしょう。まさしく人類の宝と言うべきもので、これ以上の真理はないと言ってもよいでしょう。そして、これらを正しく理解することで、私達は人類史上最高の叡知を得ることになるのです。

とは言っても、こうした霊訓のいずれもが膨大な量から成り立っており、それを全体的・総合的に理解するということはとても難しいことです。『シルバーバーチの霊訓』に心を引かれ、すでに何度も読み返したという方であっても、全体を体系的に把握しているのではなく、自分の気に入った部分だけを知っている、というのが実情ではないでしょうか。しかし部分だけを知ったのでは、シルバーバーチを真に理解したことにはならないでしょう。

優れた霊訓は、真理に関する部分と実践に関する部分から成り立っています。すなわち理論と実践の二面を持っているということです。私達が高級霊訓を正しく理解するためには、理論に関する知識のアウトライン(全体像)と、実践に関する知識のアウトライン(全体像)を知らなければなりません。またそれは、他の人に真理を伝えるためにも、どうしても必要なことなのです。その全体について体系的にしっかり把握してみましょう。


高級霊訓に示される実践的内容は、大きく次の四つにまとめられるでしょう。当然これは、私達が魂を成長させるための実践項目でもあります。

この四つの中に、霊訓によって明かされた魂の成長(霊的成長)のための実践内容が全て含まれています。

①の霊優位のための自己コントロール(霊主肉従の努力)とは、物質中心の生き方をしないということです。地上生活は魂を成長させるためにあるのですが、地上では肉体を持っているため霊の心と本能的な心が葛藤し、どうしても本能的な思いに引きずられがちになります。が、魂の成長は、霊の心が本能(物質欲・肉欲)をコントロールした霊優位の状態であってはじめてなされるものです。

自分の心を高めようと闘ったことのある方なら、肉体を持つことの重さをイヤというほど知っていらっしゃるでしょう。どれほど肉体の力が強いものであるかは、清らかさを求める方ならば痛いほど分かっていらっしゃることと思います。人類史上の宗教者の苦悩・信仰者の苦悩とは、この“霊肉の闘い”という一つの言葉で包括されてしまうのです。そしてまた、従来の宗教での数多くの修業方法も、肉体をコントロールして霊的な意識を優位にするための手段ということで説明されてしまうのです。断食・山中での隠遁・水行・さまざまな戒律、これらは全て肉欲の放縦に歯止めをかけて、霊優位の状態をつくりだすための手段だったのです。

霊の意識を優位にして本能的思いをコントロールすることを“霊主肉従”と言いますが、この霊主肉従こそ、魂成長のための大前提です。けれども地上生活を送る大半の人々は、よほどの厳しい内省的闘いをしていない限り、“肉主霊従”(霊主肉従の反対)という状態に陥ってしまいます。そうした状態では、物質欲だけに翻弄され、エゴ的思いが心を支配するようになります。それは霊的価値から見ると、本能だけで生きる動物と等しいことなのです。地上の人間は霊主肉従であってこそ、はじめて動物と違った崇高な価値を持てるのですが、残念なことに、大半の人々は肉主霊従の状態にあることが多く、地上生活で積極的に魂を高めることができません。


スピリチュアリストとしての私達が魂の成長をなすためには、自分が今、霊主肉従の状態なのか肉主霊従の状態であるのか、ハッキリと知らなければなりません。自分の心の状態をみきわめる敏感な感性がぜひとも必要なのです。私達が霊主肉従の状態にある時には、十分な霊的エネルギーが受け入れられ、心はすがすがしく、清らかな思い・愛の思い・大きな心が持てるようになります。反対に肉主霊従の状態にあると、心は暗くなり、重苦しくどんよりとして、スッキリとすることができなくなります。また人に対する批判的な思いが湧き上がり、自分の利益だけを先に求めるようになります。

たとえ真理を知った私達であっても、意識的に高い心境を持ち続けようと努力しない限り、動物と等しいところに落ちてしまうのです。このことは霊能者においても当てはまります。自己コントロールの努力を怠る霊能者やヒーラーは、いつの間にか肉主霊従となり、低級霊のもっとも格好な餌食になってしまうのです。霊能者やヒーラーの生命線(善霊の働きかけを受けるのか、低級霊の支配を受けるのか)は、この霊主肉従のための努力にかかっているのです。普通の人以上に、さらに厳しい自己コントロールの努力が要求されるのです。

スピリチュアリストとしての霊的実践の出発点は、この霊主肉従のための努力です。霊的コントロールの重要性について、シルバーバーチ、モーゼスの霊訓の中から見てみましょう。

「現今のように物質性が勝り霊性が劣る状態から、逆に霊性が物質性を凌ぐまでに発達してくれば、霊界からの指導も随分楽になることでしょう。それは、間をつなぐものが霊と霊の関係になるからです。しかし残念ながら大部分の地上の人間においては、その霊があまりに奥に押し込められ、芽をだす機会がなく、潜在的な状態のままに放置されております。これではよほどの努力をしないかぎり覚醒は得られません。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.99

「騒々しき世界は常に霊的なるものを拒絶する。人間は物的なるもの、すなわち目に見え手に触れたくわえ得るものに心を奪われ、死後に霊的生活が待ち受けていることを知らぬ。あまりに地上的になりすぎ、われらの働きかけに無感覚である。あまりに地臭が強すぎ、近づくことすら出来ぬ。暮らしがあまりに地上的打算に満ちているが故に、死後にも価値の残るものに心を配る余裕をもたぬ。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)p.71

ここでは魂成長のための四つの実践内容のうち、一つ目の霊優位のための自己コントロールについて見てきました。今述べたような観点から、もう一度、霊訓を読み返してみてください。かなり整理されることと思います。

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