3.遭遇する苦しみ・困難との闘い(苦しみに負けないように踏んばる闘い)

――苦しみ・困難を小さなものに位置づけする

自分と家族の病気の苦しみに負けないために

人間の内部にはいかなる病気でも自らの力で治す治療力と、いかなる困難をも克服する霊力をそなえているのですが、あなた方はまだそれを実感しておりません。いざという窮地において引き出せる霊力の貯蔵庫を持っているのです。

『シルバーバーチは語る』p.77

霊性というものは苦悶と病苦と悲哀の体験を通して初めて覚醒するものです。かくして自我に目覚めた魂は他人の苦しみに心を配る、大きな魂へと成長するのです。

『シルバーバーチは語る』p.206

病に苦しむ人を見て気の毒に思い胸に同情心が湧いてくるのは無理もないことであり、私もそれを咎めるつもりは毛頭ありません。しかし、その時のあなたは苦しみの一面のみを見ておられ、その人が苦しみの中で過ごす時間は、その代償として得られる喜びに較べれば実に些細ささいなものであるということまでは理解が及びません。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.139

もしもその霊にとって、次の発達段階にそなえる上での浄化の過程として、その肉体的苦痛が不可欠の要素である場合には、あなた方治療家を通していかなる治癒エネルギーが働きかけても、絶対に治りません。(中略)苦痛も大自然の過程の一つなのです。摂理の一部として組み込まれているのです。

『霊的新時代の到来』p.144

私たちは肉体そのものよりも、その奥にある霊の方により大きな関心を向けていることを、よく理解していただかねばなりません。霊が正常であれば肉体も健康です。霊に異常があれば、つまり霊と精神と肉体との関係が一直線で結ばれていなければ、肉体も正常ではあり得ません。

『霊的新時代の到来』p.159

どうか“不治の病”という観念はお持ちにならないでください。そういうものは存在しません。治らないのは、往々にしてその人の魂がまだそうした治療による苦しみの緩和、軽減、安堵あんど、ないしは完治を手にする資格を身につけていないからであり、そこに宿業(カルマ)の法則が働いているということです。こう申し上げるのは、あきらめの観念を吹聴ふいちょうするためではありません。たとえ目に見えなくても、何ごとにも摂理というものが働いていることを指摘したいからです。

『霊的新時代の到来』p.177

病気は当の患者に、人生の目的と存在の意義を成就するためになさねばならぬことを啓示するための手段であったのです。

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.133

自分と家族の心身の障害の苦しみに負けないために

困難・障害・ハンディキャップ――こうしたものは魂の試練なのです。それを克服したとき、魂はより強くなり、より純粋になり、より充実し、かくして進化が得られるのです。

『シルバーバーチは語る』p.98

地上へ生まれ出るときに授かる身体は、授かるべくして授かったものです。つまり前世の中身に照らして相応ふさわしいものを携えて新たな地上生活を始めるのです。ですから、遺伝性の病気を持って生まれたからといって、それを不利と見るのは間違いです。当人の霊的進化にとって必要な人生を送らせるような身体を授かっているのです。

『シルバーバーチは語る』p.111

身体という外形だけで魂の価値を判断してはいけません。魂の進化と、それが地上生活で使用する身体の進化とを混同してはいけません。父親または母親、あるいは双方から受け継いだ遺伝的法則の結果として傷害をもって生まれてくることがあるのは事実ですが、それが魂の進化を阻害することはありません。

『シルバーバーチは語る』p.190

障害をもって生まれてくる子供には、その魂にそれなりの埋め合わせの原理が働いているものです。正常な身体を持って生まれた子供よりも優しさ・寛容心・他人への思いやり等の強い性格をしていることがあります。永遠の時を尺度とした、因果律の一環としての『埋め合わせの原理』というものがあり、それは逃れようにも逃れられません。

『シルバーバーチは語る』p.190

脳細胞に障害があるために引き起こされる混乱は地上次元だけの話であって、宿っている霊は、脳という器官に欠陥があるために自我を正常に表現できなくても、霊的な意味での自分の責任は自覚しているものです。

『シルバーバーチは語る』p.191

――脳に障害があるために霊的自我の欲求とは正反対の行動に出ることがあり得ますか。

あり得ます。精神病患者の場合がそうです。が、この場合は魂の進化を阻害することはありません。機能障害のために物質界での表現が阻害されているだけです。魂の進化と、その地上生活での表現とは別であることを考慮しないといけません。

『シルバーバーチは語る』p.434

表現の器官を失うことによって開発のチャンスを失うことにはなっても、本来の霊的資質を失うことはあり得ません。その分、つまり失われた開発のチャンスは、埋め合わせの原理によって、他の何らかの手段によって与えられることになるでしょう。

『霊的新時代の到来』p.52

私たちからすれば、目が見えないというのは、あくまでも相対的な問題としてしか考えておりません。霊的な盲目という問題をどうお考えになりますか。地上人類の霊的覚醒を使命としている私たちの立場からすれば、無数にいる霊的に盲目の人の方をむしろ見下したくなります。(中略)霊的覚醒の段階まで到達している人にとっては、目が見えないということは、別に障害とはならないでしょう。ただ物が見えるというだけの視力よりも、はるかに素敵な視野を得ていることでしょう。

皆さんはこうした問題をとかく物的身体の観点からのみとらえて、永遠という概念を忘れがちです。といって、そのことを非難するつもりはありません。無理もないことだからです。たしかに、目が見えなければ春の華やかさと美しさは分かりません。が、そんなものは、霊の華やかさと輝きに較べれば、物の数ではありません。

『霊的新時代の到来』p.57~58

精神的に異常のある場合は、精神が地上生活の目的である“発現”のチャンスが与えられなかったということであって、破壊されていたわけではありません。損傷を受けることはありますが、秘められている能力そのものは無傷のままです。発現のチャンスが奪われたということです。そうした人の場合は、知性が幼児の程度のままでこちらへ来ますので、その発育不足を補うための調整が少しずつ行われます。霊にかかわるものには永遠の傷というものはありません。一時的な状態であり、そのうち調整されます。

『霊的新時代の到来』p.246

金銭問題の苦しみに負けないために

時には挫折して不遇に喘ぐこともあるでしょう。しかし、完ぺきな信念に燃えていれば、いつかはきっとこの世的な不遇から立ち直ることができます。大霊の象徴である太陽に向かってこう言うのです――「私は大霊の一部だ! 私を破滅させ得るものは何もない。永遠の存在なのだ! 無限の可能性を秘めた存在なのだ! 限りある物質界の何一つとして私を傷つけることはできないのだ!」と。もしもこれだけのことが言えるようであれば、あなたが傷つくことは絶対にありません。

『シルバーバーチは語る』p.82

この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。この世に生を営んでいる以上それは不可能です。それに、社会の一員としての義務もあります。私が言っているのは、あなた方には大霊が宿っていること、そしてそれを自覚し発現すれば、あらゆる物的なものに超然としていられるということです。

『シルバーバーチは語る』p.264

経済的事情は物的身体を束縛することはあっても、魂まで束縛することはできません。束縛しているのは経済的事情ではなくて、その人自身の精神です。その束縛から解放されるための叡智は、受け入れる用意さえあれば、いつでも得られるようになっております。

『シルバーバーチは語る』p.303

私たちは金や銀の財宝をお持ちしてあげるわけにはまいりません。が、それより無限大に貴重な、霊的真理という名の宝石をお持ちしております。これは色せる心配がありません。永遠に価値を発揮しつづけます。

『地上人類への最高の福音』p.61

お金は霊的成長とは何の関係もないこと、進化は各自の生活そのものによって決まっていくのであり、それ以外にないことを言いたいのです。困ったことに、地上の人間は、直面する物的問題に心を奪われて、つい間違った人生観をもってしまいがちですが、いついかなる時も、霊的真理を忘れないようにしないといけません。これだけは永続性のある霊的な宝であり、いったん身につけると、二度と奪われることはありません。

『地上人類への最高の福音』p.247

人間の魂には宇宙最大の富が宿されているのです。あなた方ひとりが大霊の一部を構成しているのです。地上のいかなる富も財産も、その霊の宝にまさるものはありません。

『霊的新時代の到来』p.66

永遠の安らぎは魂の中にあることをお教えしようとしているのです。最大の財産は霊の財産だからです。

『霊的新時代の到来』p.72

霊は、物質の限界によって牛耳られてばかりいるのではありません。全生命の原動力であり、全存在の大始源である霊は、あなたの地上生活において必要なものを、すべて供給してくれます。

『霊的新時代の到来』p.196

一般的に言って人間は、肉体にかかわることはおろそかにはしておりません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応するために、また新たな慣習的義務を背負しょい込むという愚を重ねております。肉体にとって無くてはならぬものといえば、光と空気と食べものと運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにアレコレと必要なものではありません。慣習上、必要品となっているだけです。

『霊的新時代の到来』p.198

霊の道具としての仕事に励んでいる者は、物的生活の必需品に事欠くことには決してなりません。こちらから用意してあげます。飢えに苦しむようなことにはなりません。渇きに苦しむようなことにはなりません。きっと何とか切り抜けられるものです。

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)p.33

愛する人との死別の悲しみに負けないために

一人また一人と、縁ある人々が旅立って行きます。その時、取り残された気持になって寂しい思いをするのは無理からぬことかも知れません。しかし、その人たちは死後、本格的に自我を開発するための旅を続けていることを忘れてはいけません。

『シルバーバーチは語る』p.206

死ぬということは決して悲劇ではありません。むしろ今その地上で生きていることこそ悲劇といっても良いくらいです。(中略)死ぬということは、肉体という牢獄に閉じこめられていた霊が自由になることです。

『シルバーバーチは語る』p.212

死は魂にとっては、より自由な世界への入り口のようなものですから、二人の結びつきは地上よりいっそう強くなります。

『シルバーバーチは語る』p.220

お二人には宇宙最大の力があります――愛の力です。それが地上でお二人を巡り合わせ、これからも永遠にお二人に“別れ”はありません。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.75

死は愛する者どうしを裂くことは絶対にできないということです。愛はすべての障害を打ち砕きます。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.157

愛する人は今もなお、あなたの身近にいらっしゃるのです。死は愛を滅ぼすことはできないのです。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.157

死は消滅ではありません。霊が別の世界へ解き放たれるための手段にすぎません。誕生が“地上生活へ入る”ための手段であれば、死は“地上生活から出る”ための手段ということができます。

『霊的新時代の到来』p.255

あなたが愛する人、そしてあなたを愛する人は、今もなお生き続けております。

『霊的新時代の到来』p.256

本当に大事なもの――生命・愛・本当の自分、こうしたものはいつまでも存在し続けます。死は生命に対しても、愛に対しても、まったく無力なのです。

『霊的新時代の到来』p.262

理解すれば“死”を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇ではないからです。あとに残された家族にとっては悲劇となることはあっても、死んだ本人にとっては、少しも悲しいことではありません。新しい世界への誕生なのです。

『霊的新時代の到来』p.279~280

あらゆる苦しみを乗り越えるために

苦難は魂の目覚めのきっかけ

魂は辛い体験、試練、苦難のるつぼの中で真の自我に目覚め、純化され、強化されて、より大きな人生の目的と意義を理解する素地が培われるのです。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.50

そのうちあなたも、地上人生を明確な視野のもとに見つめ直すときがまいります。その時、苦難こそ最も大切な教訓を教えてくれていること、もしもあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうことを、しみじみと実感なさいます。

『地上人類への最高の福音』p.48

葛藤を余儀なくさせられる困難が多いほど、それだけ魂が成長するものです。霊的自我に目覚めるのは常に厳しい環境を克服せんとする葛藤の中においてこそです。

『シルバーバーチは語る』p.194

安易さ・呑気・怠惰の中では魂は目を開きません。刻苦と奮闘と難渋の中にあって、初めて目を覚ますのです。

『霊的新時代の到来』p.138

大切な知識、大きな悟りというものは、悲しみと苦しみという魂の試練を通して初めて得られるものだということです。

『霊的新時代の到来』p.253

魂は苦難によって磨かれる

賢明な人間とは、すべての体験を魂の養分として摂取する人のことです。辛いことや煩悩の誘惑に負けることなく、霊性のすべてを傾けて困難に立ち向かう人です。その気迫に満ちた生き方の中でこそ霊性が磨かれ進化するのです。

『シルバーバーチは語る』p.185

人生の苦難は魂が向上していくための階段です。困難・障害・不利な条件――これらは魂の試練なのです。それらを克服していくことによって魂がいっそう充実し、向上し、一段と強くそして純粋になってまいります。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.136

辛い教訓ではあります。が、教訓とはそういうものなのです。もしも教訓がラクに学べるものだとしたら、もしも人生に苦労も誘惑も困難もなく、気楽な漫遊の旅だったら、それは頽廃への道を進んでいることになります。

『地上人類への最高の福音』p.48~49

霊性の発達は、各自が抱える問題をどう対処していくかにかかっています。物事がラクに、そして順調にはかどるから発達するのではありません。困難がともなうからこそ発達するのです。

『霊的新時代の到来』p.74

価値あるものは、苦難と悲哀なしには達成できません。地上は地上なりの教訓の修得方法があるのです。それを避けて通るわけにはいきません。

『霊的新時代の到来』p.83

克服できない苦難はない

あなた方は個性の強化のために地上界へ来ているのです。その強化は日々の難問にどう対処するかによって決まります。そのときに忘れてならないのは、地上界で生じる難問には人間の魂に内在する霊力で克服できないものはないということです。

『シルバーバーチは語る』p.87

いかに暗い体験も――暗く感じられるのは気に食わないからにすぎないのですが――克服できないほど強烈なものはありません。あなたに耐えきれないほどの試練や危機に直面させられることはありません。

『霊的新時代の到来』p.196

いかなる事態に遭遇しても、心を平静に保てるようになれば、その無尽蔵のエネルギーが湧き出てきます。それは霊的なものですから、あなたが直面するいかなる困難、いかなる問題をも克服することができます。

『霊的新時代の到来』p.213

忘れてならないのは地上界で生じる難問には人間の魂に内在する霊力で克服できないものはないということです。

『シルバーバーチは語る』p.87

自分の力で解決できないほどの問題に直面させられることは決してありません。克服できない困難というものは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷物は決して与えられません。しかも、あふれんばかりの自信に満ちた雰囲気の中で生きていれば、霊界から援助し、導き、支えてくれる、あらゆる力を引き寄せることができるのです。

『地上人類への最高の福音』p.195

両極の体験の中でこそ成長が得られる

悲哀の極みをなめ尽くして初めて、魂の奥底からの喜びが味わえるのです。生命の階段を低く降りるほど、それだけ高く上がれるのです。地上人生の陰と思える体験を多く味わうほど、それだけ日向の喜びがひとしお身にしみるのです。

『シルバーバーチは語る』p.99

人生は日向と日陰、静寂と嵐というふうに二面性から成り立っています。一本調子にはできておりません。幸せと喜びの生活にも、時には悲しい出来事が生じます。その極端な差異を味わってこそ性格が伸びるのです。かくして悲しみからも、人生の嵐からも、苦痛からも教訓を学び取ることができます。その必要性が理解できない人は神に不平を言いますが、日陰の生活を味わってこそ日向の生活のありがたさが分かるのです。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.200

魂は比較対照の中にあってこそ本当の意味で生きることを始めます。もしもあなたの体験が良いこと、楽しいこと、美しいことばかりだったら、その人生は空虚なものとなることでしょう。そこには深みというものがないからです。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.200

地球は学習のために通う“学校”です。その学習は、比較対象の体験による以外にはあり得ません。日向ひなたと陰、嵐となぎ、愛と憎しみ、善と悪、健康と病気、楽しみと苦しみといった相反する体験を通して学習していくのです。相対的体験と、その中での試行錯誤の努力を通して、魂が磨かれていくのです。

『霊的新時代の到来』p.25

地上生活の目的はいたって簡単なことです。死後に待ち受ける次の生活に備えて、本来のあなたであるところの霊性を強固にすることです。身支度を整えるのです。開発するのです。となると、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、病気も健康も、その他ありとあらゆることが、あなたの受け止め方ひとつで、あなたの霊性の成長の糧となることがお分かりでしょう。

『霊的新時代の到来』p.196

苦難の克服は良き道具となるための必須条件

最大の貢献をなさんと心がける人は、困難や難問を避けようとしてはなりません。その困難、その難問こそが、そうした志を持つ人々の魂の奥底を掘り起こし、奉仕の仕事に役立つ道具として、ぜひとも備えねばならない隠れた資質を活用させることになるからです。

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.41

霊力の道具として役立つだけの資格を身につけるまでには、それなりのトレーニングが要ります。それは大変なことです。何となれば、その結果としてある種の鍛錬、ある種の確信を身につけなければならず、それは苦難の体験以外には方法がないからです。

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.161

試練に耐え切れないようでは、自分以外の魂を導く資格はありません。自ら学ぶまでは、教える立場に立つことはできません。それは苦難の最中、苦悩の最中、他に頼る者とてない絶体絶命の窮地において身につけなければなりません。

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.162

艱難辛苦――辛く・厳しく・難しく・苦しい体験の中で自らが学ばねばなりません。それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です。

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.163

人助けをするための霊的才能を授かるには、自ら苦しみと悲しみを味わうという条件が付きものなのです。霊の道具としての自覚を持つに至るには、苦を体験しなければならないということです。苦の体験の本質は、霊的才能を手段として仕事をする者の試金石です。それを耐え抜いて初めて、自分のもとを訪れる人の力になってあげることができるのです。

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)p.52

苦しむ地上人を見守る霊界人の思い

私は人間の苦痛の叫び声に無神経なわけではありません。できることなら重荷のすべてを私が背負ってあげたいくらいの気持です。ですが、地上世界のことは地上世界で片づけないといけないのです。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.69

こちら側にいる私たちにとって耐え忍ばねばならない最大の試練は、愛情の絆で結ばれている地上の人間が苦難と闘っているのを目のあたりにしながら、それがその人の魂にとって、ぜひとも必要であるとの認識のもとに手をこまねいて見ていなければならないときです。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.137

この私も、人間が苦しむのを見て涙を流したことが何度かあります。でも、ここは絶対に手出しをしてはならない、と自分に言い聞かせました。それが摂理だからです。そのときの辛さは、苦しんでいる本人よりも辛いものです。しかし、本人自らの力で解決すべき問題を、この私が代わって解決してあげることは許されないのです。

『霊的新時代の到来』p.73

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