2.利己愛との闘い(苦しみに負けないように踏んばる闘い)

――人を愛せない自分と闘って利他愛を実践する

憎しみ・嫉妬の思いを乗り越えるために

いかなる問題においても、私たち霊界の者は、地上的観点から見ていないということ、地上的尺度で判断しないということ、人間的な憎しみや激情には絶対に巻き込まれないということ、往々にして人間の判断力を曇らせている、近視眼的無分別に振り回されることは絶対にないことを、まず申し上げておきます。

『地上人類への最高の福音』p.62

霊的成長は、思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。言いかえれば、内部の神性が日常生活において発現されてはじめて成長するのです。よこしまな心、憎しみ、復しゅう心、悪意、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身がその犠牲となり、ゆがんだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。

『霊的新時代の到来』p.76

嫉妬心・貪欲・恨み・憎しみといった邪念は、身体的行為よりも大きな悪影響を及ぼします。思い切り人をぶん殴ることによって相手に与える身体的な痛みよりも、その行為に至らせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす悪影響の方が、はるかに強烈です。

『霊的新時代の到来』p.116

私は誰も憎みません。憎むということができないのです。なぜなら、私は大霊の子すべてに神性を認めるからです。そしてその神性が全く発揮できずにいる人、あるいは、わずかしか発揮できずにいる人を見て、いつも気の毒に思うからです。

『霊的新時代の到来』p.117

私は憎しみを抱くことはできません。摂理を知っているからです。大霊は絶対にごまかせないことを知っているからです。誰が何をしようと、その代償はそちらにいる間か、こちらへ来られてから、支払わされます。いかなる行為、いかなる言葉、いかなる思念も、それが生み出す結果に対しては、その人自身が責任を負うことになっており、絶対に免れることはできません。ですから、いかにみすぼらしくても、いやしくとも、大霊からいただいた衣をまとっている同胞を憎むということは、私にはできません。

『霊的新時代の到来』p.118

恨みを抱くことは悪いことですが、霊的知識を知った人がもし誰かに恨みを抱くようなことがあったら、それは千倍も悪質な罪となります。知識はすべてのことに厳しさを要求するようになります。私がいつも“知識は責任をともなう”と申し上げているのはそういう意味です。

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)p.43

人を憎むことのできる者はそのエネルギーを愛に転換することができるのです。愛と憎しみとは同じコインの表と裏です。どちらを選ぶかはあなた次第です。

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)p.42

自分の好き嫌いの感情に流されないために

霊格が高いことを示す一番の指標は、人を選り好みしないということです。

『霊的新時代の到来』p.169

好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感のもてない人を愛する――これが魂の霊格の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければいけません。他人にできないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以ゆえんだからです。可哀そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心の合った人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.142~143

最高の徳は愛他的です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいことです。しかし、奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容貌の人を治療するのは並大抵の心がけではできません。が、それが奉仕です。真の愛は大小優劣の判断を求めません。愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.143

何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、ぜひ自分をお役立てくださいという祈りの気持ちで包んであげることです。ですが、それを自分が愛着を覚える人のみにかぎることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色あいを帯びているものだからです。

『シルバーバーチの霊訓(2)』(潮文社)p.169

孤独感・寂しさを乗り越えるために

あなた方は一時いっときとして独りぼっちでいることはないこと、周囲には常にあなた方を愛する大勢の人々が見守り、導き、援助し、鼓舞せんとして待機していることを知っていただきたいのです。

『シルバーバーチは語る』p.83

悲しみの涙に暮れている時も、あるいは嬉し涙に暮れているときも、その背後では霊団の者もあなたと共に悲しみの涙を流し嬉し涙を流していることを知ってほしいのです。

『シルバーバーチは語る』p.281

背後には霊団が控えていて、困難に遭遇したときには元気づけ、疲れたときには希望と力を与え、落胆しているときには魂を鼓舞してくれるということです。見放されることは絶対にないということです。

『シルバーバーチは語る』p.290

大勢の霊がこれまでずっとあなたを鼓舞し、保護し、導き、目にこそ見えなくても現実的影響力を行使してきたのです。喜びをともに喜び、悲しみをともに悲しんできました。まさしく笑いも涙も分け合ってきたのです。そうした霊とあなたとは文字どおり一体であり、決して見捨ててはおきません。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.71

スピリチュアリズムを知ったことによって生ずる一ばん大きな違いは、自分が独りぼっちでいることが絶対にない、ということを知ったことです。いつどこにいても、霊の世界からの愛と友情と親愛の念を受けているということです。

『地上人類への最高の福音』p.87

一人一人が何らかの存在価値をもち、小さすぎて用のない者というのは一人もいないこと、忘れ去られたりすることは決してないことを忘れないようにしましょう。そういうことは断じてありません。

『地上人類への最高の福音』p.199

地上の友だちがすベて逃げ去り、自分一人取り残され、誰もかまってくれず、忘れ去られたかに思えるときでも、背後霊の存在を知る者は、霊の世界からの温もりと親密さと愛があることを思い起こすことができます。

『地上人類への最高の福音』p.253

誰一人として忘れ去られることも見落とされることもございません。誰一人として無視されることも、あなたの愛が届かぬこともございません。孤独な思いに沈むのは、あなたの絶妙な摂理というものが存在し、心がけ1つで誰でもその恩恵にあずかることができることを知らぬからにほかなりません。

『地上人類への最高の福音』p.275

いついかなる時も、守護霊の任を引き受けた霊との愛の絆があなた方に霊力を引き寄せ、温かく包みこんでいることを忘れないでください。

『霊的新時代の到来』p15

あなた方が太陽の下を歩くと影が付き添うごとく、イヤ、それ以上に、私たちはあなた方の身近な存在です。

『霊的新時代の到来』p.128

偏狭な民族意識・国家意識・人種意識を乗り越えるために

地上の人間は大霊が授けた太陽と同じ七色の肌に上下の差をつけたがります。肌色だけを見て、霊性においては一つであることを知らずにいます。

『シルバーバーチは語る』p.31

そのうち地上のすべての人種が差別なく混じり合う日が来るでしょう。どの人種にもそれなりの使命があるからです。それぞれに貢献すべき役割があるからです。

『シルバーバーチは語る』p.34

私たちは一人の例外もなく大霊の一部です。そのうちのある者の肌を赤くし、ある者を黄色にし、ある者は無色(白色)のままにしました。しかし、こうしたことも大霊の無限の叡智による計画の一端なのです。その肌色の1つ1つに意味があり、目的があるのです。

『シルバーバーチは語る』p.78

いつの日か大霊の摂理の理解が行きわたった時点で、すべての肌の色の人々が混ざり合い、互いに愛の心でもってむつみ合う日が来ます。人間を肌の色で見分けるのではなく、その奥の魂で見分けるようになるまでは、地上界に真の平和は訪れません。

『シルバーバーチは語る』p.78

民族的対立をなくし、地上人類はすべてが大霊の子であるとの認識を持つことです。対立を生んでいるのは地上的概念であって、大霊は何の差別もしておりません。民族の別なくすべての人類に大霊の分霊が宿っており、それ故に全人類が等しく大霊の子なのです。

『シルバーバーチは語る』p.295~296

国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も大霊の一部なのです。みな大霊の目から見れば兄弟であり姉妹なのです。

『シルバーバーチは語る』p.297

一国・一民族の概念は、私はとりません。すべての民族を1つと考え、大霊の一部という考えに立っております。

『シルバーバーチは語る』p.304

物質的豊かさにおいて自分たちより劣る民族に対して行う残虐行為は、神に対する最大級の罪の1つといえます。

『シルバーバーチは語る』p.336

私たちは大霊を共通の父とする地上の全民族の霊的同胞性を説きます。

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』p.197

私たちの目には国家の別はありません。全体が霊的存在で構成された一つの民族であり、一人一人が、国家の法律ではなく、大自然の摂理によって裁かれるのです。

『地上人類への最高の福音』p.63

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