本物のスピリチュアル・ヒーラーになるための修行とは

ニューズレター第30号

多くの方々からの問い合わせ

これまで私達のサークルには、次のような問い合わせや質問が寄せられています。

  • ①ヒーラー養成のためのセミナーはやっていないのか?
  • ②「日本スピリチュアル・ヒーラーグループ」のメンバーに加えてもらえないか?
  • ③どのようにしたらスピリチュアル・ヒーラーになれるのか?
  • ④ヒーラーグループではどのような修行をしているのか?

まず①の質問についてですが、セミナーは開いていません。英国では霊能養成セミナーがさまざまな機関によって催されていますが、私達のところではやっておりません。霊能養成セミナーの存在意義をすべて否定するつもりはありませんが、私達のヒーラーグループでは、その必要性は全くありませんでした。今後の状況如何によっては、何らかの霊能養成セミナーを開催するようなことがあるかも知れませんが、当分は考えておりません。

②の私達の「ヒーラーグループのメンバーに加えてもらえないか」との申し出については、これまでもお伝えしてきましたとおり、お断りしております。なぜならヒーラーグループは、スピリチュアリズム普及会のメンバーが、スピリチュアリズムヘの貢献の一つとして行っているボランティアであるからです。スピリチュアリズム普及会の中でたまたまヒーラーとしての素質を持った者が、自発的に行っている奉仕にすぎません。私達は、メンバーを増やしてサークルを大きくしようという意思は全くありません。もし、すでにヒーラーとして純粋にスピリチュアリズムのために貢献の道を歩んでいる方がいらっしゃるなら、喜んで同志としてのお付き合いをさせていただきます。

「日本スピリチュアル・ヒーラーグループ」のヒーラー達の実情

スピリチュアリズム普及会は少人数のサークルであるにもかかわらず、多くの者がヒーリングに携わっています。これは常識的には考えられないことです。もちろんヒーラーの全員が同じ能力を持っているわけではなく、その能力の強さや種類は一人一人で異なっています。

しかしいずれのメンバーも、これまで20年以上の厳しい霊的修行の結果、自然にヒーラーとしての道が開かれるようになりました。必要な人材が、必要な時に、必要な数だけ揃いました。そこに一切の背伸びや無理はありませんでした。意識的にヒーラー養成などをしたこともありません。それどころか大半の者は、自分がヒーラーとして歩むようになるとは想像もしていませんでした。こうした現実の結果を前にして私達は今、霊界からの導きと願いを強く感じとることができます。

私達ヒーラーグループは、本物のスピリチュアル・ヒーリングを通じて一人でも多くの人々にスピリチュアリズムを伝えていきたいと願っています。純粋に霊医のもとで行われるヒーリング(スピリット・ヒーリング)を世の人々に示し、本当に霊が地上人に働きかけていることを知っていただきたいと思っています。私達はこれまで「霊界の道具」として歩む中で、常に多くの霊達に導かれていることを実感してまいりました。

ヒーラーに要求される第一条件とは?

「どうしたら私は皆さん方のようなスピリチュアル・ヒーラーになれるのでしょうか。自分もヒーラーになって人々のために役立ちたいのです」といった熱意のこもったお手紙をいただくことがあります。「スピリチュアリズム普及会さんは、どのような訓練によって多くのヒーラーを育てたのでしょうか。何か特別な霊能養成訓練でもしているのでしょうか」といった質問も寄せられます。

そうしたお便りをいただくたびに、いつも次のようなシルバーバーチの言葉をお伝えしています。

(質問)どうすれば霊媒や霊視能力者になれるのでしょうか。

「大霊のために自分を役立てようとする人間はみな大霊の霊媒です。いかにして魂を向上させるか――これはもう改めて説くまでもないでしょう。これまで何回となく繰り返し説いてきたことではないでしょうか。自分を愛するごとく隣人を愛することです。人のために役立つことをすることです。自我を高めるよう努力することです。内部に宿る神性を発揮させることです。それが最高の霊媒現象なのです。こうすれば霊視能力者になれるという方法はありません。が、大霊の光が見えるように魂の目を開く方法なら教えられます。それは今述べたとおりです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.246~247

ヒーラーになるための決まった方法はないけれど、もっと価値のある「神の霊媒」になる方法はあるとシルバーバーチは言っています。霊能者になるための特別な方法はないけれど、「神の道具」になる確実な方法はあると述べています。それは自らの霊的成長を促す努力を通じてなされます。具体的には、純粋な利他愛の実践をすることで神の霊媒・神の道具になることができると言っています。

これは、犠牲的奉仕精神を持った道具になることがヒーラーの第一条件であるということを意味しています。ヒーラーになりたいという個人的な願望が問題ではありません。どのような形であってもかまわないから、一人でも多くの人々の役に立ちたい・手助けしたいという真実の愛の思いが重要なのです。「人のために役立ちたいという純粋な奉仕精神を持ち、ひたすら霊界の道具に徹すること」――これこそがヒーラーに対して真っ先に要求される条件なのです。

ヒーラーに固執する人の本音は“エゴ”

何が何でもヒーラーになりたいという意識は、本当は本人のエゴ(自己中心性)に他なりません。奉仕を装った単なる個人的な野心・欲望であって、真の奉仕・利他愛ではありません。ヒーラーは見方によっては、とても格好がいいし、時には名声や大きな富が転がり込んでくることもあります。口先ではどれほど「ヒーラーになって人のために役に立ちたい」と言ってはいても、“ヒーラー願望”を抱く大半の人達の本心は、「自分の低俗な欲望を満足させたい」というところにあるのです。そうした人々にとっては、他人の幸せより、自分の利益と幸せだけが大切なのです。

他人の幸せを本当に考えるなら、ヒーリングをすることより、霊的真理の伝道を優先すべきであると気がつくはずです。真理の伝道(最高の利他愛の実践)ができるなら、心からの満足を得られるのです。

「何としてもヒーラーになりたい」という“エゴ”にとらわれた人間がヒーラーになったとしても、純粋に人助けに専念するようなことはできません。自分の思いどおりにならないこと、嫌なことが生じると、すぐに醜い利己性をむき出しにするようになります。人助けどころか、人々を騙し苦しめるようになります。いつの間にか低級霊の手足となって自分の魂をおとしめ、せっかくの人生を台無しにしてしまいます。そして死後も長い期問にわたって後悔の思いで苦しまなければならなくなります。利己的な思いからヒーラーに固執する人間には、危険な“落とし穴”が待っているのです。

このようなケースが圧倒的に多いことを考えると、「ヒーラーなどになるより、むしろ平凡な人間である方がずっといいのに……」と思ってしまいます。しかしエゴ的野心や見栄は、なかなか捨て去ることができません。率直に言って、ヒーラーや気功師として活動している人には、こうしたエゴイストが実に多いのです。煩悩にまみれ、この世の野心や見栄に翻弄ほんろうされたヒーラーは何と醜い人間でしょうか。

ヒーリングは真理の伝道の一手段

そもそもスピリチュアリズムにおけるヒーリングは、「霊的真理の伝道」のために行うものです。したがって肝心な真理の伝道さえできるなら、その方がヒーリングに携わるよりずっとストレートで効果的なのです。それなのにヒーラーに固執するということは、スピリチュアル・ヒーリングの目的も、真理の伝道の意昧も全く分かっていないということです。

本来は真理の伝道さえできるなら、ヒーラーになるならないは、どちらでもいいことなのです。真理の伝道を通じて“最高の人類愛”を実践することができます。“最高の人助け”が可能になるのです。ヒーリングは、いまだ真理に直接相応できないレベルの人々を対象とする伝道の手段です。そうした肝心な点を忘れ、低俗な見栄やエゴ・幼稚さから“ヒーラー願望”にとらわれているのです。

低俗なヒーラーをつくり出すだけのヒーラー養成セミナー

こうした低俗で幼稚なヒーラー希望者にとって、実に好都合なのが巷で行われているヒーラー養成セミナーです。この種のセミナーの大半が、単なる人間のエゴを引き出し、魂をおとしめる手段になっています。「短期間であなたもヒーラーになれる!」をうたい文句にしたセミナーでも、時にサイキックな能力が発現することがあります。しかしそうしたセミナーで、本当のスピリチュアルな能力がつくことは決してありません。

無理をしてサイキック・ヒーラーになったとしても、いったい何の意味があるというのでしょうか。わざわざ低級霊を引き寄せるような結果になっていることに、主催者側も参加者も気がついていません。少し注意深く観察してみれば、いかに程度の悪い霊能開発をしているかは一目瞭然です。程度の悪いエゴまみれのヒーラーを量産することしかできない霊能養成セミナーが、人類に貢献することはできません。これはスピリチュアル・ヒーリングだけに関係することではなく、レイキや気功のセミナーについても等しく言えることなのです。

「私どもは人目を引くことばかりしたがる見栄っ張りには用事はありません。使われずに居眠りをしている貴重な霊力を引き出し、同胞のために、人類全体のために有効に使うことを目的とした人たちの集まりには大いに援助いたします。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.248

「スピリット・ヒーリング」こそが本物のヒーリング

スピリチュアル・ヒーリングは、使用する治療エネルギーによって3種類に分類されます。1つ目はヒーラーの肉体エネルギーを用いるもので「マグネティック・ヒーリング」と言います。2つ目はヒーラーの霊体エネルギーを用いる「サイキック・ヒーリング」、3つ目は霊界の医者(霊医)から送られてくる治療エネルギーを用いる「スピリット・ヒーリング」です。

この中でスピリチュアリズムが認める正式なスピリチュアル・ヒーリングは――「スピリット・ヒーリング」です。スピリット・ヒーリングは、霊界の霊達(霊医)の協力があって初めて成立します。

スピリチュアル・ヒーリング

①スピリット・ヒーリング
(霊医の治療エネルギーを使用)
②サイキック・ヒーリング
(ヒーラーの霊体エネルギーを使用)
③マグネティック・ヒーリング
(ヒーラーの肉体エネルギーを使用)

「スピリット・ヒーリング」は霊界主導の治療であり、ヒーラーはその道具にすぎません。ヒーラーが霊医の魅力ある対象とならないかぎり、どれほど願ってもその道具となることはできません。まさに「スピリチュアルな能力」がヒーラーに要求されるヒーリングなのです。言うまでもなくスピリット・ヒーリングの威力は、他の2つのヒーリングとは比較になりません。

「心霊的能力サイキック能力)を具えた人は大勢います。が、それを霊的レベルスピリチュアル能力)まで高めた人は多くは居ません。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.163

本物のスピリット・ヒーラーになるための霊的修行とは?

本物のヒーラーになるためには、スピリチュアルな能力(霊界の医師達の協力を取りつける力)を身につけなければなりません。では、このスピリチュアルな能力は、どのようにしたら養うことができるのでしょうか?――これが、まさに本物のヒーラーになるための霊的修行の内容なのです。

結論を言えば、スピリチュアルな能力は、長い長い期間をかけた厳しい霊的成長のための努力によって得られるものです。具体的には――「霊主肉従の自己克己の努力」「自分の利益を忘れた犠牲的な利他愛の実践」「純粋な道具意識」を通じて養われるものなのです。これ以外に本物のスピリチュアルな能力を身につける方法はありません。別の言い方をするならば――「真理に一致した厳しい日常生活の努力が、そのままスピリチュアルな能力を養う修行になっている」ということです。

スピリチュアルな能力は、世の霊能養成セミナーのような短期間の実習で身につくものではありません。全身全霊で人類のために奉仕しようとしている高級霊の助力を引き寄せるには、ひたすら純粋で自己を滅却した犠牲精神が必要とされます。お金を払って講座を聴き、わずかばかりの実習をして身につくような次元の低いものではないのです。セミナーによっては、自分達のヒーリングは“霊”によるものであると吹聴しているところもありますが、そんな子供だましの話を信じてはなりません。

本物のスビリット・ヒーラーを目指すなら、他人の病気を治そうとするより先に、まず自分自身を高める努力を始めなければなりません。自らが真理によって生まれ変わって、まともな霊的人生を歩めるような人間になることです。

無理をしてヒーラーになろうと思わない

高級霊の道具となって貢献したいと願うなら、世俗的見栄からのヒーラー願望を捨て去り、ひたすら自分の心を正し、質素で清らかな生活を求めるべきです。同時に可能なかぎり利他愛の実践に励み、必要ならば自己犠牲を厭わず、より完璧な霊界の道具を目指して内面を深めることです。

こうした生活を何年、何十年と過ごすうちに、やがて時がきて突如ヒーラーとしての道が開かれるかも知れません。何一つ自分自身の利益や名声を求めず、霊界の道具として純粋に人生をスピリチュアリズムの奉仕に捧げるとき、そうした道が用意されるかも知れません。

しかし、決して自分から結果を強く望んではなりません。焦って特殊な瞑想や呼吸法・肉体行に走っても、スピリチュアルな能力は身につきません。たまたまサイキックな能力が発現しても、利己性の強く巣くった心に低級霊の進入を許すのが関の山です。ヒーラーになりたいと固執した人間で、優れたスピリチュアル・ヒーラーになった例は一つもありません。

こうしたことが分かるため、私達はヒーラーを希望する方に対して、いつも次のようにお伝えしています――「あなたがヒーラーになりたいと思うなら、ヒーラーにならない方がいいのです。それがあなたの“エゴ”を消し去る良い方法であり、あなたの魂を守ることになるのです」と……

「地上人類の霊的新生という大変な事業に携わっていることは事実ですが、それにはまず自分を霊的に新生させなければなりません。真の自我を発見しなければなりません。心を入れ替え、考えを改め、人生観を変えて、魂の内奥の神性を存分に発揮しなければなりません。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.164

日常生活が霊的修行となっていない人は、本物のヒーラーにはなれない

良きスピリチュアル・ヒーラーになるための修行とは――日常生活における「霊主肉従の努力」と「自己犠牲・道具意識に基づく利他愛の実践」に他なりません。言い換えれば――「日常生活がそのまま霊的修行となっていないような人間は、本物のヒーラーにはなれない」ということです。分かってみれば当たり前のことですが、霊性の優れた人間でないかぎり優れたヒーラーにはなれないのです。

これについてのシルバーバーチの言葉を確認しましよう。

(質問)立派な霊能者となるには日常の生活面でも立派でなくてはいけませんか。

「生活態度が立派であれば、それだけ大霊の道具として立派ということです。生活態度が高尚であるということは、それだけ内部に宿された神性が多く発揮されているということになるからです。日常生活で発揮されている人間性のレベルが霊能者としてのレベルを決定づけます。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.242~243)

(質問)ということは、霊格が高まるほど霊能者としても向上すると言って良いでしょうか。

「決まり切ったことです。生活面が立派であれば、霊能も立派になります。自分を犠牲にする覚悟の出来ていない人間に、いい仕事は出来ません。このことは、こうして霊界での生活を犠牲にして地上へ戻ってくる私たちが身をもって学ばされてきた教訓の最たるものではないでしょうか。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)p.243

「それに劣らず大切な目標は、霊的能力を授かっている人たちがその能力を正しく開発し、仕事の神聖さを自覚し、日常生活においても、最大限の霊力が自分を通して流入するように身持ちをきちんとすることです。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.167

本物のヒーラーとは、「高級霊の道具」であること

本物のヒーラーになるということは、「高級霊の道具」になるということです。謙虚で無私無欲の精神を持ち、この世の富や名声を一切求めない心の持ち主であって、初めて本物のヒーラーになることができます。高級霊が喜んで働きかけをするようになります。

先に述べたように、ヒーラーになるための特別な修行方法などというものはありません。“霊性”を高めるための当たり前の努力をする以外にないのです。常により多くの霊界の働きかけを受けられるような「良き道具」を目指して努力することです。この世から認められず、たとえ反対されても、ひたすら道具に徹して誠意を尽くすことなのです。

良き霊界の道具としてのチェック項目を次に示しておきます。

〈ヒーラーとしての資格チェック〉

  • ①一切のお礼も報酬も感謝の言葉も期待せずに、与え続けることができますか?
  • ②誰からも注目されず、誰に知られることがなくても、喜んで与え続けることができますか?
  • ③相手から不当な非難の言葉が返ってきても、腹を立てずにやり過ごすことができますか?
  • ④一人の人間のために、自分の仕事や家族との団欒・家族サービスを後回しにしたり、取りやめることができますか?
  • ⑤一人の気難しい患者のために、自分の趣味や楽しみをきっぱりと諦めることができますか?

ここに挙げたチェック項目がすべて実行できないかぎり、その人はヒーラーとしての資格はありません。

「こうして霊力の道具として役立つだけの資格を身につけるまでには、それなりのトレーニングが要ります。それは大変なことです。(中略)それは苦難の体験以外には方法がないからです。霊力の道具として歩む道は厳しいものです。決して楽ではありません。容易に得られた霊能では仕事に耐え切れないでしょう。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)p.161

「要するに霊の道具として少しでも完璧に近づくことを心掛けることです。ご自分の人間性から人間的煩悩をすべてご法度にするくらいでないといけません。そう心掛けただけ、その治療家を通して、より多くの霊力が流入します。治療力の質や量を決定づけるのは、その治療家の生活そのものです。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.195

「実はこのことが一番大切なのですが――高級な指導霊の協力を得ることができるように、人間性を磨くことが大切であることを繰り返し説くのは、そこに理由があります。最高の結果を生み出すために、適切な治癒力を適切な形で適切な分量だけ流入させるようになるには、永い年月をかけた厳しい鍛錬が必要です。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)p.121

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