スピリチュアリズムこそ地上世界変革の担い手

――変革の主役は政治ではなく“スピリチュアリズム”

ニューズレター第15号

1.地上世界の根本変革は、スピリチュアリズムによってのみ可能となる

地上世界の問題の根本解決は、一人一人の「心の変革」から

スピリチュアリズムでは、政治によって、地上世界の諸問題を根本的に解決することは不可能であると考えています。政治という方法では、どんなにがんばってみても、地上世界を根本的に変革することはできません。政治家の中には、社会を改革し、もっと住みやすい世の中にしようと人生を捧げている純粋な人もいます。しかし、そうした奇特な心がけにもかかわらず、政治という手段には初めから大きな限界と制約があるのです。それは、政治では、人間の心を最も深いところから変えることはできないからです。

「肉主霊従」という人類の底辺に共通する問題を解決しないうちは、いくら人間社会の改革を目指しても、結局は徒労に終わってしまうのです。現在、地上世界に生じているさまざまな問題は、「物質中心主義」と「利己主義」に起因します。この根本的な原因にメスを入れない限り、次々と表面化してくる新たな問題の根を断ち切ることはできないのです。空しい、いたちごっこのようなことを続けなければなりません。すべての問題解決は、最も根本的な原因から出発しなければならないのです。

「摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると、混乱と無秩序が生じます。必ず破綻をきたします。」

『シルバーバーチ霊訓(11)』(潮文社)p.186

政治によって表面上の社会制度を変えることはできても、本当に公正・平等な社会を築くことはできません。一人一人の心の変革によって、「霊主肉従」が地上人類の支配理念になったとき、初めて公正・平等という理想が地上世界に根付くことになるのです。

繰り返しますが、地上世界の根本変革を図るには、人間の「心の変革」から出発しなければなりません。一人一人の人間が「霊的真理」を受け入れ、それを実行に移すことによって、地球上に真の変革が進行していくようになるのです。したがって「霊的真理の普及」が、あらゆる政治活動に優先されなければなりません。たとえ民主主義が世界の隅々にまで行き渡ったとしても、人間の心の問題が解決しないうちは、地上により良い世界が実現することはないのです。

現在の地球は、霊的進化のレベルにおいて下から二番目という低さにあります。“霊的光”がほとんど見られないような暗黒の世界となっています。そしてその低い霊性が、利己的主張と利権獲得のための弱肉強食の世界をつくり出すことになってしまっています。永い時を経て、この地上世界が「思いやり」と「利他愛」の論理によって支配されるようになるまでは、エゴのぶつかり合いがなくなることはありません。日本を含め地上世界の政治は、今後もエゴイズムに翻弄され、“弱肉強食”の醜い争いの中で推移していかざるを得ないのです。

スピリチュアリズムほど、確実で効果的な変革はない

霊的真理による心の変革は、気の遠くなるほど時間が掛かることのように思われるかも知れません。しかし現実には、それに優る確実で効果的な方法はありません。スピリチュアリズムにおける地上世界の変革は、一人一人の人間の心に向けての働きかけから始まります。一人一人の地上人が、「肉主霊従」から「霊主肉従」へと心の内容を変化させていくことによって進んでいきます。

当然、そうした変革のスピードは非常にゆっくりとしたものにならざるを得ません。そのためスピリチュアリズムのような方法では、実際に世界を変えることなど、とてもできないと考える人も現れます。スピリチュアリズムは立派な理想を説いているけれども、現実的ではない。目的が成就するまでに、あまりにも時間が掛かり過ぎて、その間、苦しむ人々を救うことができないと言う人もいます。

確かに地上の政治と比べるならば、スピリチュアリズムにおける変革の進み具合はゆっくりとしているように見えます。変革の具体的な進展状況が、地上人の目からは分かりにくいのも事実です。しかし、スピリチュアリズムによる地上世界の変革は、現実離れした理想主義的なものではないのです。それどころか、スピリチュアリズムによる変革ほど、トータル的に見て、最も確実で効果的な方法はありません。結果的に、これほどスピーディーな変革はないのです。

霊界の高級霊によって進められる地上の変革

スピリチュアリズムにおける変革こそ最高のものである、という意見に批判的な人は、霊界という人間にとって最も重要な世界の事実を知りません。地上は霊界へ行くための大切な準備の場であることや、地上の生活は一時的であり、霊界での生活が永遠であることを知りません。

そうした限られた物質的視野しか持てない人々には、地上世界の出来事を正しく評価することはできません。霊界という永遠の世界を考慮しなければ、正しい判断を下すことはできないようになっています。より高い世界に立ってこそ、低い世界の全体を誤りなく見通すことができるのです。

霊界の存在を信じられない人々にとって、スピリチュアリズムが目指す世界は、ほとんど現実離れしたもののように映ります。しかし、それはスピリチュアリズムが、霊界の人々が主役となって進めている「人類救済のためのプロジェクト」であることを知らないからなのです。もし地上人の力だけで、人類の救いを成し遂げようとするなら絶対に不可能なことですが、スピリチュアリズムの背景には、何百億という高級霊の軍団が控え、全力で働きかけているのです。それゆえ地上人の常識では想像もつかないほどの、遠大なプロジェクトが実現可能となるのです。スピリチュアリズムが掲げる「地球変革」は、単なる理想論や実現不可能な観念論ではありません。時間とともに、間違いなく地上世界に展開していく確たる事実であり、具体論なのです。

こうしたスピリチュアリズムの広大な組織的活動と比較してみると、地上の政治はまるで子供の遊びのようなものと言わざるを得ません。本質的な内容においても、スケールにおいても、比べものにならないのです。

スピリチュアリズムの普及にともなう地上の政治の自動的変化

ここ200年の間に、霊界からの働きかけによって、地上人類の霊性はかなり向上してきました。そうした霊性の進化が物質世界に反映し、旧来の独裁的・非人間的な政治制度や社会制度が撤廃され、より摂理に適ったものへと改善されてきました。人種や家柄・階級による差別、男女の違いによる差別といった長い間の悪習慣が、少しずつ取り除かれるようになってきました。困った人に手を差し伸べ、社会全体で弱者の世話をするという社会福祉・互助の精神が、徐々に地上世界の制度に反映されるようになってきました。地球規模での利他愛のシステム・助け合いのシステムが、少しずつ確立しつつあるのです。

とは言っても、現時点における社会改革は、まだまだ表面的な次元にとどまっています。それは霊的真理が、人類の中に十分浸透・定着していないためです。何度も述べますが、地上世界のさまざまな問題を根本的に解決するには、霊的真理による「心の変革・価値観の転換」以外にはあり得ません。まさにスピリチュアリズムこそが、「霊的真理の普及」という最も効率の良い方法で地上の変革を推し進めているのです。

スピリチュアリズムによる霊的真理の普及にともない、人類全体の精神レベル・霊的レベルは確実にアップすることになります。何百年か後には、霊的真理に基づいて考え判断し、真理にそった生活を心がける人々が世界人口の半数以上を占めるようになるでしょう。その時には、政治も、経済も、法律も、教育も、社会制度も、すべてが真理に適ったものに変化しているはずです。それまでは霊的真理の普及とともに、あらゆる方面で徐々に霊的改革が進んでいくことになります。

「霊的真理を理解する人が増えるにつれて、その知識にのっとった生き方をする人が増え、その人たちの生活が依存している各種の制度も、霊と精神と身体がその幸福と成長と成熟にとって必要な体験が得られるように改善されていくことでしょう。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)p.175

2.スピリチュアリストとしての政治との係わり

――私達は今、どのように政治と付き合うべきか

地上に霊的真理が広まり、人類共通の道徳・価値観となったときには、地上の政治・経済は、自動的に真理と一致したものになっていきます。政治は、地上人類の霊的進化に貢献するものへと変化していくことになるでしょう。しかし私達が生きている間に付き合うことになる地上の政治は、「物質主義」「利己主義」に支配された、きわめてエゴイズム性の強いものです。およそ霊的理想とは懸け離れた低次元の営みです。

私達スピリチュアリストは、そうした地上の政治と、どのように係わったらよいのでしょうか。

地上の政治を、小さなものとして見る

霊界から見れば、地上における政治的な立場の違い、主義・主張の違いなどは無きに等しいものです。霊界の高級霊達は、そうしたものに全く重要性を認めません。私達スピリチュアリストも、霊界の人々と同じような視点から、地上の政治を見ていかなければなりません。常に霊界の視点から眺めていくように心がけなければなりません。

霊的真理を知った者は、地上の政治的出来事に対して、超然とした姿勢で臨んでいればよいのです。そして何より大切なことは――「スピリチュアリストは、一国の大統領や首相よりも、永遠的で価値のある仕事をしている」ということを、しっかりと自覚していることです。地上の政治に過大な期待を寄せるのは、霊的世界の存在を、いまだ信じられない人がすることです。

霊的摂理に一致した考えと行為に対してのみ評価を与える

このように言っても、地上の政治や政治家のすべてを、頭から無視するということではありません。真剣に人助けのために力を尽くしている政治家を、否定すべきではありません。私達はシルバーバーチにならって、地上の政治や政治家については、それが霊的摂理に一致しているとき、あるいは人類の霊的進化に貢献する要素があるときには評価するという姿勢を貫くことです。政治や政治家に対して、「霊的観点から見る」ということです。

政治家が本心から――「持たざる人々のために一身を捧げているとき」「人類の霊的進化を妨げる、さまざまな障害を取り除こうと努力しているとき」「利他性と滅私の精神に貫かれ、人類の肉主霊従化に歯止めを掛け、霊的進化を促すような活動をしているとき」、私達はそれを貴重な利他的行為として評価すべきです。その人の行為が霊的な価値観に合っているならば、政治的な主義・主張・党派が何であれ、利他的な行為そのものを認め、価値を見い出してあげるべきなのです。

人の行いは、「利他愛の実践・無私の奉仕」の程度にともない本当の霊的価値を持つようになりますが、政治家に対しても、そうした観点から見ていくことが必要です。

常に地上世界の出来事を、「霊的進化」という観点から見る

――“経済破綻”は、時にはありがたいもの

私達スピリチュアリストは、政治に限らず地上世界のあらゆる出来事を、常に霊界からの視点・霊的観点から眺めるようにしなければなりません。霊的視点に立ったとき、地上において価値あるものとは――「霊的進化に何らかのプラスとなるもの」ということになります。地上人類にとってきわめて重要に思われる出来事も、それが単に物質的な次元にとどまっているならば、全く価値はないということになります。政治的ないかなる改革も斬新な政策も、人類の霊的進化に寄与しない限り、真の価値を持ち得ないのです。

今、世界中の人々が最も関心を寄せ、その動向を注目しているのがアメリカ経済の行方です。もしアメリカ経済が下降するようなことになれば、現実に、世界恐慌が生じかねない状況に置かれています。それを世界中の人々は最も恐れています。実際に恐慌が起これば、多くの人々が苦境に立たされることになるでしょう。一生かけて築き上げてきた財産が、あっと言う間に失われたり、失業者が世界中の都市にあふれるようになるでしょう。

しかし、そうした世界経済の破綻は、霊界から見れば、さして重大なことではありません。それは、どこまでも物質次元の領域におけるパニックに過ぎません。昨日まで健康だと思っていた人が、突然ガンの宣告を受けたようなものです。「何とか生活できればよし」と心を定めた人、欲のない人にとっては、経済的な破綻はそれほどひどい打撃とはなりません。金銭欲に縛られている人、お金こそが一番大事だと思っている人にとってのみ、それは大きなショックとなるのです。お金よりもっと大切なものがあるという「霊的真理」の原則を実践している人には、経済的な後退は何の痛手にもなりません。

こうしたことを考えると、今後アメリカの不況に端を発した世界的な経済恐慌が現実に到来するようなことになったとしても、大袈裟に心配する必要はないということなのです。地上世界における経済問題は、その大半が、物質的・本能的欲望にかられた結果生じたものです。自ら神の摂理に反したために、自然の法則にそって苦しみを招来することなのです。自分でまいた種を、自分で刈り取るのは当たり前です。

経済破綻によって味わう痛みは、物欲追求に狂った地上人が、正常な状態に戻るために与えられる必要な苦しみです。経済破綻は、本当は地上人類にとって悪いことではありません。1990年、株価の暴落をきっかけにして日本はバブル経済の破綻を迎え、奈落の底に突き落とされることになりました。そして、いまだにその後遺症から立ち直れずに苦しんでいます。

しかし、もしこうしたショックがなかったならば、日本国民は、さらに「肉主霊従」の中にどっぷりつかり、本能的快楽に浸り続けたことでしょう。その意味で“バブル崩壊”は、日本にとって実にありがたいことだったのです。

「あなた方人間にとって大変な不幸に思えることが、霊的には大変な利益をもたらすことがあるのです。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.18

経済大国より、霊的リーダー国を目指すべき

もし今後、日本の経済が破綻をきたし、経済中流国に転落するような事態に至ったとしても、憂える必要はありません。霊的世界から見たとき、日本が経済大国であり続けなければならない理由などどこにもありません。経済大国であることは、特別優れたことでも、日本民族の霊性の高さを証明することでもないのです。日本は、アジアの片隅にある経済二流国で十分なのです。

その代わりに、日本が全力を挙げて向かうべき方向は「霊的先進国」なのです。国益追求を最優先する弱肉強食のエゴイズムの地球において、日本は世界に先駆けて、霊的摂理を実践する霊的大国、霊的摂理の順守を目標とする霊的リーダー国を目指さなければなりません。金儲けよりも質素に生き、他国への奉仕を国策の中心とするような国家であって欲しいと願います。

経済大国であろうとする目的は、すでに時代遅れとなりつつあります。それは、いつまでも権力志向を抜けられない中国やアメリカ、あるいは発展途上国に任せればいいことであって、日本は一歩先を目指していかなければなりません。我が国は、経済成長を第一に考えるような霊的に未熟なレベルを卒業しなければならない時期を迎えているのです。物から心へと、国民の意識が飛躍しなければならない時に至っているのです。

積極的な政治不参加も、スピリチュアリストとしての正しい在り方

このように現代の政治に対する私達スピリチュアリストとしての見解が明確になったところで、最後に具体的に、どのように現実の政治と係わりを持つべきかを考えてみましょう。

私達スピリチュアリストが、欠陥だらけの地上の政治(民主主義)に期待を寄せたり、これを積極的に支持するような必要は全くありません。地上の政治と特別な係わりを持ったり、政治に参加する必要性はないのです。それどころか、民主主義という欠陥システムの上に立った現代の政治を批判する意味で、これと一線を画し、積極的な政治不参加の意思表示をしてもいいのです。

私達スピリチュアリストは、この世のいかなる政治家以上に、地上人の真の幸福のために働いています。もし私達が、「スピリチュアリズム」という全人類に対する貢献をなしていないならば、政治不参加の態度は、無責任のそしりを受けても仕方がないかも知れません。しかし私達は現実に、いかなる政治家にも優る人類への貢献をしているのです。それゆえ、この世の政治に対して一線を引いて臨む、明確な理由と資格があるということになります。はっきりと言えば、地上の政治には参加してもしなくてもどちらでもいい、ということなのです。

もちろん個人的に優れた精神と献身性を備えた政治家例えば石原慎太郎氏のような)に対して、これを支持し援助することは間違ってはいません。それについては、各自が自分の良心に基づいて判断すればいいことです。しかし、地上の政治家に過大な期待を寄せることは慎まなければなりません。

私達スピリチュアリストは、常に「霊的視点」に立って、地上の政治を高みから見下ろしていなければならないのです。

アメリカ同時テロ事件について

今回のテロ事件は、地上的な観点からすれば大事件ですが、地球人類の運命を変えてしまうようなことには決してなりません。これまでも世界中を震撼させ、人々を恐怖に陥れるような大事件は、たびたび発生しています。二度の世界大戦、冷戦中の核兵器開発競争、近いところでは中東湾岸戦争などがそうです。そして今回のテロ事件は、状況によってはさらなる報復戦争に発展し、日本もその中に巻き込まれる危険性もはらんでいます。

もし日本が最悪の事態に直面せざるを得なくなったとしても、スピリチュアリズムを知った私達は、動揺したり不安におののくようなことがあってはなりません。シルバーバーチは、いかなる危機的状況にあっても、常に楽観的な姿勢を取るように教えています。地上には、何ひとつ不安に思うようなことはないことを述べています。私達はどのような事態にあっても平静さと楽観性を持ち続け、心配の念を心に抱かないように努めなければなりません。霊的真理を知った者は、こういう時こそ、地上の事件を「霊的視点」から眺め、地上の興奮や感情に巻き込まれないようにすべきなのです。霊界の存在を知らない一般の人々と、同じような反応をしてはなりません。

今回のようなテロ事件も、結局は、地上人類が「霊的真理」を共通の指針としない限り、根本的に解決されることはありません。その意味で、私達スピリチュアリストが、一人でも時期のきた人に「霊的真理」を伝えることこそが、最も根本的な解決につながる道であることを、しっかりと自覚していなければなりません。“テロ”という暴力行為もそれに対する“武力報復”も、霊的に見たときには、ともに善しとされるものではありません。テロ・報復というそのいずれもが、「霊的真理」という絶対的な指針に基づかないところでの未熟な人間の行為に他ならないのです。

以上は、純粋な霊的観点に立ったテロ事件に対する見解です。ここでもう一歩踏み込んで、地上的観点から考えてみましょう。地上では常に、二つの善くない方法のうち、より善い方法を選択しなければならない事態に直面します。今回のテロ事件も、まさにその観点から見ていかなければなりません。

テロと武力報復では、どちらが「より悪い(エゴ性が強い)」のでしょうか。まず、先に暴力を引き起こしたテロ側に「悪質性の度合いが強い」と言わなければなりません。しかも自分達の主張のために、無差別な殺人をする、手段を選ばない殺人をするということは、最もエゴ的な行為であることは明白です。

一部のマスコミや学者は、イスラム世界での貧困が、こうしたテロを生み出す原因であり、貧困の問題を解決しないうちはテロは無くならないと言います。しかし、それは間違いです。貧しいから暴力に走るのではなく、間違った考え(思想)があるから暴力へと走るのです。暴力の第一原因は「貧困」という環境ではなく、「間違った心」にあるのです。

無差別テロは、エゴの極致です。テロによる被害を受けた側が報復に出ることは、“正当防衛”として認められます。さらに、それをきっかけにテロの一掃を図るということであれば、動機としては決して間違っていません。武力を用いるという点については問題があっても、エゴ性という点から見たとき、悪質さの程度はそれほど大きくないということです。“正当防衛とテロ撲滅”は、スピリチュアリズムの観点から見ても是認されるものです。今回のテロ事件は、「テロ」という極悪に対して、「武力報復」という小悪で対応するという構図で考えるべきです。

次に今回のテロ事件に対して、日本が取るべき姿勢について考えてみましょう。この問題はまず、何十人という日本人が一方的に殺されている、という事実から考えなければなりません。日本国家は、このテロ事件を、日本の“正当防衛”の問題ととらえなければなりません。その観点から、自分自身で立ち上がって、テロを引き起こした相手に抗議すべきなのです。それが国民の命を守るという、政府としての当たり前の義務なのです。アメリカの報復攻撃に協力するというのは、その後の話なのです。この肝心な点が認識されていないために、的外れの議論がなされています。

武力報復に反対する、それは確かにスピリチュアリズム的であり、正しい主張です。しかし、スピリチュアリズムという広大な思想的背景があってそれを主張するならよいのですが、今の時点で、単なる「暴力はいけない」というレベルで問題を論じるべきではありません。暴力はいけないと言っていても、すでに相手が暴力をふるってきているという現実があるのです。またこれから、いつ日本国家がテロで脅しを受けるかも知れないのです。

武力行使には悪の要素が付きまといますが、他国が犠牲を払い、血を流す陰で、「自分達だけは犠牲にならない」ということは、自己中心的でありエゴイズムとなってしまいます。「国が滅んでもやむなし」との決意がないところで、武力報復へは協力すべきではないと主張することは、必然的にエゴイズムと同じことになってしまいます。そうしたエゴ的国家を、どの国も信用しなくなるでしょうし、国家存亡の危機に直面しても助けてはくれないでしょう。

日本が具体的に、どのような態度を取るべきかの問題については、ニューズレターは結論を出す立場にはありませんが、霊的観点からは低い次元であっても、武力を含めての協力関係の中で国家を存続させていくことが、当面の現実的な選択肢であるように思います。平和主義という薄っぺらなきれいごとを掲げることで、最も大切な他国との信頼関係、心と心のつながりを失うことになると思います。

しょせん人間が考え出したにすぎない規則(憲法)に縛られ、エゴ的平和主義・空想的平和主義に固執することは、国を滅びに至らせることになるでしょう。「平和憲法のこって国滅ぶ」という事態を迎えることにもなりかねません。利己主義の支配する惑星地球にあって、武力によって国を守ろうとすることは、必要悪なのです。武力という小悪によってしか平和が維持できないのが、悲しい地球の現実なのです。「小悪(軍事行動)」にこだわり、「善(国際協調・助け合い)」を捨て去るような愚を犯すべきではないと思います。

ここでは問題点を提起するにとどめ、後は、皆さん方それぞれの判断に任せることにします。スピリチュアリズムを信じる人々の中にあっても、いろいろな意見に分かれる問題だと思います。

ホーム

はじめての方へ

サイトマップ

サイト内検索

トップ