地上の政治・経済の土台となっている物質中心主義と利己主義

ニューズレター第15号

1.「物質中心主義」と「利己主義」に覆われた地上世界

――地球は、きわめて霊的に未熟な惑星

地上世界を論じる際の基本認識

私達スピリチュアリストが、まず押さえておかなければならないことは、現在の地球上の問題の大半が、究極的には「物質中心主義(マテリアリズム)」と「利己主義」に起因しているということです。現在の地球は、物質的満足・本能的快楽を真っ先に求めようとする「物質偏重主義」と、そこから派生する自分だけの利益・幸せを優先する「エゴイズム(利己主義)」に支配されています。地球は、きわめて霊的に未熟な惑星であるということです。

先月、世界中を震撼しんかんさせたアメリカの同時テロ事件も、根本的には、地上人類の霊的未熟さから引き起こされたものなのです。

これは地上世界の問題を論じるときに、常に頭にとどめておかなければならない最も重要な霊的視点です。もし、この重要な視点を忘れたところで地上世界を論じるならば、すべてが的外れなものとなります。

地上世界が、物質主義と利己主義に覆いつくされた非常に醜い世界であるということは、その中にどっぷり浸かり、それ以外の世界を知らない地上人にとっては、なかなか実感しがたいことです。しかし霊界という別の素晴らしい世界と比較するとき、地上世界における一番の問題点が浮き彫りにされるのです。霊界の人々は異口同音いくどうおんに、地上は物質主義と利己主義に覆われた暗黒の世界であると述べています。

ここでもう一度、シルバーバーチの言葉を振り返り、地上世界を論じる際の基本を確認してみることにしましょう。

「問題のそもそもの根源は、人間が霊的法則によって支配されずに、明日への不安と貪欲、妬みと利己主義と権勢欲によって支配されていることにあります。残念ながらお互いに助け合い協調と平和の中に暮らしたいという願望は見られず、我が国家を他国より優位に立たせ、他の階層の者を犠牲にしてでも我が階層を豊かにしようとする願望が支配しています。すべての制度が相も変わらず唯物主義の哲学を土台としております。唯物主義という言葉は今日ではかなり影をひそめてきているかも知れませんが、実質的には同じです。誰が何と言おうと、この世はやはりカネと地位と人種が物を言うのだと考えています。そしてそれを土台として、すべての制度をこしらえようとします。」

『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)p.81

お金こそが幸せの源泉と考える現代人

――“拝金主義”を当たり前とする現代人

シルバーバーチの指摘のように、地球上に住む大半の人々は、物質的な豊かさこそが幸福の源であると思っています。そして地上人生を、その追求のために費やしています。人々は、お金があれば幸福を手にすることができ、お金がなければ幸福は得られないものと思っています。現代人にとっては、お金こそが最も頼り甲斐のあるものであり、神のような存在となっています。

これまで宗教は心の大切さを説き、物質欲のとりこになることを厳しく戒めてきました。現在でも多くの人々は何らかの宗教に籍を置いてはいますが、彼らの大半は、心より物質を優先した生き方をしています。時には心の大切さを強調する人もいますが、そのような人であっても、いざ自分の所有している物質的財産を犠牲にするとなると、とたんに本性を剥き出しにして抵抗します。お金よりもっと大切なものがあると口で言う人は多いのですが、それを本当に実生活で実行している人は、現実にはきわめて稀なのです。

もし、そうした人がいるなら、その人は現在の地上世界においては聖人と言われることになるでしょう。あるいは世間知らずの変人・奇人と見なされるかも知れません。金持ちでありながら、質素な生活を送っている人、貧しい人々のために気前よく自分の全財産を犠牲にしようとする人はめったにいません。結局、恵まれない人々への奉仕は、自分の財産や家族を守った上で、片手間にすべきものとなっています。

経済的な豊かさにともなう肉主霊従と霊的退廃

物質中心主義と利己主義は、地上人の心を深く支配しています。それは経済的な豊かさを手に入れるにともない、さらに強く人々を支配するようになり、表面化し露骨な形を取るようになります。工業化に成功し先進国の仲間入りをした国々では、それまでの宗教的伝統は内部から骨抜きにされ、あっと言う間に崩れ去ります。それに代わって、物質欲追求の風潮が国中に蔓延するようになります。

肉体を持ちながら、物質欲の誘惑を退け、心を優先し続けるのは並大抵のことではありません。自らの意志によって「霊主肉従」の状態を維持することができる地上人は、めったにいません。近代以前までの人類は、物質的に恵まれなかったために、何とか霊主肉従の最低ラインの状態を保ち、心の荒廃に歯止めをかけてきました。しかし近世以降、物質的に豊かな時代を迎え、自由に物質欲を追求することができるようになると、未熟な霊性から生じる動物的本能が剥き出しにされるようになってきました。

今後、地球では、これまで以上の早いスピードで経済発展がなされていくことになります。それによって地球は物質文明をさらに推し進めることになりますが、精神的・霊的には、いっそうの荒廃が現出することになります。今まで厳格な戒律によって信仰生活を維持してきたイスラム教徒も、国家の経済発展につれ、内部から崩れ始めるようになるでしょう。霊性の未熟な地球人においては、物質的な力は、宗教も及ばないほどの強い支配力・影響力を持っているのです。

経済グローバル化という極端なエゴイズム

最近では、経済のグローバル化が叫ばれるようになっています。経済のグローバル化という言葉は、実に響きのよいものです。しかしその実態は、現在すでに物質的な力を持っている欧米諸国が、自由競争を進めるための都合のいい口実にすぎません。それは完全な自由競争の世界を目指そうというもので、地球規模での実力主義の拡大を意味しています。つまり大が小を食う“弱肉強食”の卑劣な競争原理を正当化するものなのです。そこでは結局、小は大に太刀打ちできず食われてしまうことになります。

完全な自由競争などというきれいごとの本音は、単なる強者サイドのエゴイズムの論理です。それによって利益を得るのは、現在すでに力を持っている国だけなのです。なかでも唯一の超大国であるアメリカが、最大の利益を手にすることになるのです。歯止めも規制もない物質欲追求が、地球規模で展開することで、地上世界はいっそうエゴ的競争に巻き込まれることになります。貧困国家はいつまでも貧しいまま取り残され、金持ち国家にはさらに多くの富が集まるようになり、経済格差が一段と激しくなります。

この経済グローバル化の中で、最も悪質で極端なエゴ的性格を持っているのが、最近アメリカを中心として出現し、東南アジア各国(タイ・インドネシア・マレーシアなど)の通貨危機を引き起こした「ヘッジファンド」の存在です。ヘッジファンドとは、他国の通貨を商品として売買し、時には悪質な操作をして、金儲けをたくらむ気違いじみた投機家(ギャンブラー)達のことです。彼らは、他国の通貨を自分のギャンブルの対象として物のように売買し、世界の為替市場を混乱させています。他国の人々がどれほど困ろうがおかまいなく、ただ自分が儲かることだけ、金が殖えることだけを考えているのです。カジノでギャンブルをする感覚で、他国の通貨をもてあそんでいるのです。自分が行うギャンブルの陰で、多くの人々が苦しんでいる姿は全く目に入っていません。

2.金の力に狂わされた日本民族

――“バブル経済”という悪夢

1980年代に始まったバブル景気は、1990年に崩壊し、その後遺症は10年後の今日まで尾を引いています。バブル景気の崩壊による痛手で、日本経済は不況にあえいでいます。バブルとは“泡”という意味の英語で、“バブル景気”とは実態のともなわない景気、嘘の好景気ということです。

1980年代、日本では国際情勢の中で、低金利政策が施行されました。その低金利政策によって、銀行が企業などに貸し出す金利が大幅に引き下げられたため、資金が借りやすくなりました。そして大金を借りた企業が、金儲けに走ることになりました。金儲け(投資)の対象となったのが、土地と株でした。

皆が先を争って土地を買い占めたため、地価がどんどん上昇しました。そして地価の上がった土地を担保にしてさらに銀行から資金を引き出し、投機目当ての土地の買い占めが続けられました。それによって土地の値段はさらに上昇しました。こうして「土地の価格は絶対に下がることはない」という錯覚(土地神話)が人々の中に生まれ、これがなおいっそう地価を高騰させることになりました。

一方、銀行から借りたお金で、株買いに走った企業もあります。また土地で儲かったお金も、株に向けられました。その結果、株の値段が急上昇することになりました。ピーク時には平均株価は4万円近くにまで上昇しましたが、現在は1万円を割るようになっています。これからもっと下がって8千円を下回るようになるのではないかと予想する専門家もいます。)

バブル経済のもとでは、手に入れた土地や株の値段が急激に上がったため、人々は金持ちになったような気分になり、高級乗用車やリゾートマンション・高級住宅・ゴルフ会員権などに飛びつきました。こうして日本中に異常な消費ブームが巻き起こったのです。危機感を抱いた日銀は、バブル景気の抑制に乗り出し、金利を上げて銀行からお金を借りにくくしました。これによって土地を買うための資金が途絶え、地価は急激に下がり始めました。そして土地で損をした人々が株を売りに出したため、株価が暴落することになりました。このようにしてバブル景気が弾けたのです。土地と株に踊らされた企業や不動産業者・一般の人々は、大損失をこうむり、どん底で苦しむことになりました。同時に気軽に金を貸し付けた銀行も、不良債権銀行が貸したのに返してもらえないお金のこと)を抱えて、苦境に立たされることになりました。

バブル景気が日本経済に残した傷痕は、単に経済の不況ということだけにとどまりません。金、金と踊らされたことで、日本民族が保ってきた精神性が根底から崩されることになったのです。バブル景気の中で、それまで律義に物づくりに精を出し、世界的にも誇る堅実な歩みをしてきた製造業までもが、土地や株を買い漁るようになり、マネーゲームに手を染めるようになっていきました。

土地や株によって大金が生み出されることを知ると、汗水たらしてまじめに物などつくっていることがバカバカしくなってきます。本業以外のマネーゲームで、こんなにも簡単に金が稼げると錯覚した製造業は、堅実さ・誠実さという精神的な伝統を捨て去ることになってしまいました。こうして製造業中心の日本の産業構造が、急激に変化することになりました。企業がこぞってマネーゲームという悪夢にとりつかれ、土地と株というバクチにのめり込み、金の亡者になってしまいました。マネーゲームというバクチに翻弄された企業は、5~6年のバラ色の日々を楽しんだ後、バブル崩壊とともに、奈落の底にたたき落とされることになったのです。

3.取るに足りない地上の政治

地上の政治に重要性を認めない霊界人

――どちらでもいい地上の政治

霊界の高級霊は、地上の政治を重要なものとは考えていません。政治的な主義・主張の違いや、政党の違いなどは全く取るに足りないものとしています。霊界の人々にとっては、地上の政治は、しょせん霊性の未熟な世界での、きわめて幼稚で不完全な人間の営みにすぎません。物欲と物質中心主義の上に立った、エゴ的活動の一側面にすぎません。それは、狂った「物質偏重主義」のもとで踊らされている人間の営みの一つでしかないのです。

私達地上人は、物質的視点しか持ち得ないために、物事の本質を正確に理解することができません。そのためにどちらでもいいことを必要以上に大袈裟に考えたり、さも重要なことであるかのように思ってしまいます。そして政党の主義・主張が、国民生活に重大な影響をもたらし、国の方向を大きく左右するかのように考えてしまいます。

しかし霊界の視点に立ってみると、そうした地上世界の政治的な主義・主張などは、大したことではありません。全く問題にもならないことなのです。民主主義と共産主義といったイデオロギーの違い、自民党や民社党・公明党といった政党の区別なども無きに等しいものなのです。どんな人間がアメリカの大統領や日本の首相になろうが、またどの政党が政権を握ることになろうが、霊界の観点からは、どちらでもいいことなのです。

霊界の人々は、政治によって、地上世界が決定的に向上していくようになるとは考えていません。政治による変革は、せいぜい人間社会の表面的な部分を少し変える程度のものなのです。地上の政治は、高級霊にとっては、肉主霊従(物質主義・利己主義)に支配された地上人の低次元の営みに他なりません。地上のもろもろの政治問題は、「霊的進化」という人類にとって最も根本的・本質的な問題とは、およそ係わりのない事柄ばかりなのです。

私達地上人の視野からは、地上世界を大きく揺り動かすように思える政治的事件も今回の、アメリカでのテロ事件も含めて)、何百年という長いスパンから見ると、実にささいな出来事であることが多いのです。現在、地球上を騒がせている出来事のほとんどが、数百年後にはすっかり忘れ去られることになるでしょう。永く語り継がれるのは、ほんのわずかな事柄にすぎないはずです。地上の政治的な事件は、霊的視点から見たとき、人類の進化の歩みの中のごくごく小さな部分でしかないのです。

共産主義の脅威さえも問題視していなかったシルバーバーチ

ー般に宗教に係わる人々は、共産主義を毛嫌いするのが普通です。キリスト教では、共産主義を神に敵対する勢力・サタンの支配する帝国と考えてきました。共産主義下の諸国では、かつてのローマ帝国時代と同じように、徹底した宗教弾圧と迫害が行われてきました。共産主義(マルクス・レーニン主義〉は、弁証法的唯物論を思想の支柱とし、宗教特にキリスト教やイスラム教)をアヘンと同様の価値なきものと見なし、神の存在を否定しています。こうした点からすると、共産主義はスピリチュアリズムにとっても、大きな敵であることは間違いありません。

1960年代といえば冷戦の真っ最中で、ソビエト連邦が強大な力を誇り、世界の3分の1を支配していました。自由主義陣営の国々は、ソ連の世界赤化の野望に、恐れおののいていました。米ソによる核兵器競争がエスカレートし、やがて第3次世界大戦が勃発し、世界中が核戦争に巻き込まれるのではないかとの不安が国々を覆っていました。当時は日本でも左翼勢力が力を伸ばし、共産革命が起こって、やがてソ連か中共の支配下に入るような事態が生じるのではないかと危機感を募らせていた人々も多くいました。

そうした時代に、シルバーバーチに対して、“共産主義”について次のような質問がなされています――(共産主義は)既成宗教のいずれよりもはるかに頑強で、その影響力は強烈です。これこそ純粋な唯物観を説いている点で、われわれの本当の敵ではないかと思うのですが……」(『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)p.178

この質問について、シルバーバーチは、地上社会の問題の根源は「物質偏重主義」にあること、それに対し、イエスをリーダーとするスピリチュアリズムが真っ向から戦いを挑んでいることを述べています。そしてスピリチュアリストは、明日のことを思い煩うことなく、最善を尽くして霊達に協力していればよいこと、そうすれば地上の問題は徐々に取り除かれていくようになることを教えています。

シルバーバーチや高級霊達から見れば、地上での民主主義・共産主義といった区別は、しょせん政治上の立場の違いにすぎません。シルバーバーチは、地上世界の最も根源的問題は、そうした政治的イデオロギーの差にあるのではなく、「物質主義」と「利己主義」というより内面的な問題にあることを明言しているのです。人類共通の“エゴイズム”という本質的問題の前には、自由・共産などという政治的イデオロギーは取るに足りないと言っているのです。シルバーバーチの、これほどまでの超然とした見解を聞くにつけ、霊界の視点とはまさにこういうものかと驚かされます。

シルバーバーチの答えを聞いた当時のサークル参加者の大半は、その真意を理解することができず、一抹の不安を感じていたに違いありません。なぜなら当時の共産主義勢力の勢いはあまりにも大きく、とても楽観視できるような状態ではなかったからです。シルバーバーチの答えは、到底、現実的なものとは考えられなかったことでしょう。しかし、それから30年後、ソ連の崩壊によって共産主義の脅威は消え去り、シルバーバーチの言葉は現実のものとなりました。当時は、ソ連が将来そのような形で終焉を迎えるようになるとは、誰一人予想さえできないことでした。

現在、地上人類が抱いている脅威は、環境問題や新たな核開発に向けられています。しかしシルバーバーチは、これらの問題についても楽観的な見解を示しています。人類は将来、滅んでしまうことになるのではないかとの不安に対して、その心配はないこと、楽観的に考えるべきであることを述べています。当然、今回のアメリカでのテロ事件についても、大袈裟に考える必要はありません。(『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.34~p.35)、『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)p.32、p.59

ソ連崩壊は、米ソの軍拡競争が、ソ連側に経済的な破綻を引き起こしたことに最大の原因があります。米ソの経済力の差が、軍拡競争を決着させ、ソ連崩壊を招くことになったのです。ゴルバチョフという一人の偉大な政治家の決断がソ連崩壊の引き金を引くことになったのは事実ですが、本質的な原因は、どこまでもソ連自体の経済的破綻にあるということなのです。

こうした地上の状況については、霊界サイドは完璧に知っていたはずです。そして間もなくソ連が崩壊することも、分かっていたものと思われます。

日本の外交について

最近、日本の政治で問題となった首相の靖国神社参拝問題も、スピリチュアリズムの観点から見ればどちらでもいいことです。霊界や霊魂に対する明確な死生観のないところでの議論が繰り返されているだけであり、どこまでいっても平行線をたどることは明らかです。

ただ地上的な視点から見れば、8月15日に参拝するとの公約を首相みずからひるがえした今回の出来事は、日本外交のまずさを内外に示すことになりました。他国(中韓)からの圧力に対する弱腰、首相自身の外交的ポリシーの乏しさ、首相・外相をはじめとする国家のリーダー達の外交音痴という、決定的な弱点をさらけ出すことになりました。靖国問題は、首相が公約を覆して日程を変更したということよりも、日本の外交的欠陥を改めて認識させたという点において問題を残したのです。

現実の地上世界における国際関係は、国益追求を第一としています。まさに国と国とが利己的関係にあるということです。こうした「利己的国家関係(エゴ的国家関係)」とは、端的に言えば弱肉強食の競争関係、たえずケンカをしているような状況にあるということです。そうした現実の国際関係の中で、日本がどのような外交スタンスを取るかということが問題とされるのです。

これまで日本政府は、ケンカの場に立たされながら、当たり前の自己主張もせず、最低の正当防衛の努力さえも真剣に行ってきませんでした。それどころか、ケンカを売ってくる外敵と、ひたすら仲良くしようとしてきました。「戦争がいいか平和がいいか、ケンカがいいか仲良しがいいか?」と問われれば、誰でも「平和で仲良しがいい」と言うに決まっています。しかし、すでにケンカに巻き込まれた中で、一人だけ争いを避け、周りと仲良くしようとすることは、現実には不可能なことなのです。本気で仲良くしようという気持ちがない相手と、真の友好関係を築くことなどできません。それは単なる理想論にすぎないのです。

弱肉強食が当たり前となっている未熟な惑星地球にあっては、自己防衛という現実的な路線を取るのか、自国が滅ぶことを承知で友好という理想を優先するのか、という選択に迫られるのです。「霊的真理」が共通の理念となっていない現状では、二つの未熟な方法のうち、より良い道を選択しなければならないのです。

これまでの日本外交は、世界の中で珍しいほど理想路線に偏ってきました。日本外交は幼稚であると、たびたび言われてきました。利益を奪い合う競争世界においては、常識的ともいうべき国益保護・正当防衛・自己主張の要素が、あまりにも軽んじられてきました。そのために外国からなめられ、いいように利用されてきたのです。

今回のテロ事件は、日本外交の本質的問題を浮き彫りにすることになりました。もしテロをちらつかせて脅迫されたとき、日本国家がどのような対応をするかを、否応なく考えさせられたのです。

4.政治より個人の霊的成長の方が重要

――大切なのは政治ではなく、個人の生き方

ラベル・党派は全く無意味

シルバーバーチは、地上世界での政治的主義・主張に対して、全く関心がないと繰り返し述べています。

「私は、ラベルや党派には関心はありません。私が関心をもっているのは“真理”だけです。」

『シルバーバーチの霊訓(7)』(潮文社)p.64

「私はラベルというものには全く関心がありません。私にとっては何の意味もありません。地上世界ではラベルが大切にされます――共産主義者・社会主義者・保守党・労働党・スピリチュアリスト・セオソフィスト・オカリスト等々、挙げていったらキリがありません。しかし大切なのはラベルではなく、その中身です。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)p.180

「霊性進化」が唯一の判断基準

こうした意見の背景には、霊界人の明確な価値観があります。霊界の高級霊達は、私達地上人をどのような観点から判断しているのでしょうか。どのような基準をもって、地上人を評価しているのでしょうか。結論を言えば、霊界の人々は「霊性の進化」という一点において判断しているということです。一人一人の地上人を、霊的人格性という物差しで評価しているのです。霊界では一切の地上的肩書やポジションは通用しません。その人の「霊格」があらわにされ、何一つごまかすことはできません。その霊がどの程度の進化のレベルにあるかが、誰の目にも明らかなのです。

霊界の人々は、私達地上人をそれと全く同じ観点から見ているのです。言うまでもなく霊界からは、地上人の霊的進歩のレベルは“オーラ”によって正確に知られるようになっています。「霊的成長度・霊性進化のレベル」こそが、霊界の人々の評価の基準なのです。

利他的実践・無私の奉仕こそが、最高に価値あるもの

霊的成長は、純粋な利他的実践によってなされます。無私の奉仕という霊的実践によってなされます。そこでシルバーバーチをはじめ霊界の人々は、地上人の――「霊的摂理にそった生き方をしているか」「純粋な奉仕を実践しているか」という点に、関心を向けているのです。地上人の目からは、どれほど素晴らしいと思える行為や政治改革なども、人類の霊性進化に寄与するものでないかぎり、価値は認められません。

霊界の人々の視点は、常に地上的利害関係を一切超越した、「霊的成長」という一点だけに向けられているのです。

「私はどの主義にも属しません。私にはラベルはありません。名目に惑わされてはいけません。その目的としているものは何か、何を望んでいるのか、そこが大切です。なぜなら、敵と味方の双方に誠実で善意の人がいるからです。(中略)

つまり霊的真理を知ることによって覚悟を決め、物的生活のあらゆる事柄に奉仕と無私の精神で臨めるようになれば、地上に平和と和合が招来されます。それは主義・主張からは生まれません。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)p.189

「私たちは人間がとかく付けたがるラベルにはこだわりません。政党というものにも関与しません。私たちが関心を向けるのは、どうすれば人類にとってためになるかということです。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)p.232

共産主義者の中にも、霊性の高い人はいる

そうした霊界人の見方からすれば、唯物論者の代表である“共産主義者”の中にも霊性の高い人はいるということになります。主義・主張は何であれ、人類のためを思い、純粋な利他愛の実践に全身全霊で打ち込んでいる人は、最も価値ある生き方をしていることになります。信じている主義それ自体は間違っていても、個人的な心の動機によって、善し悪しが決まるのです。その人の動機が純粋で、人類の霊性進化に貢献する歩みとなっているならば、どのような組織に属していても、霊界人の認めるところとなるのです。

それは逆に言えば、たとえスピリチュアリストであっても、自分のためだけに生きているならば、唯物論者よりも霊的に劣ることがあるということです。スピリチュアリストであっても、一切のごまかしはききません。今この時も、純粋に心の底から、人類のために貢献したいと思っているかどうかが、霊界の人々によってチェックされているのです。

「そのための道具となる人であれば、いかなる党派の人であっても、いかなる宗派の人であっても、いかなる信仰をもった人であっても、時と場所を選ばず働きかけて、改革なり改善なり・改良なり、一語にして言えば奉仕のために活用します。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)p.232

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