(1)平均的人間の死の直後の様子

地上から霊界に入っていくプロセスは、本人の霊的成長の度合や霊的知識の有無・地上での体験によって千差万別となります。決まった一律のプロセスというものはありません。聖人と言われるような人間と、単なる普通の人間、また極悪非道な人間が死後、全く同じ道筋をたどるようなことはありません。

とは言っても大部分の平均的男女、長所も短所も持ったごく普通の人間一般的に言う善人)には、ほぼ共通した傾向が見られます。ここではそうした常識的人間・平均的人間がたどる死後のコースを見ていくことにします。そのコースは次のようになります。

  • 死の眠りからの目覚めと混乱
  • 死の自覚の芽生え
  • 迎えの霊たちとの対面
  • 幽界の休息所
  • 幽界の審判
  • 幽界での本格的な生活の開始

1)死の眠りからの目覚めと、死の自覚の芽生え

シルバーコードの切断

シルバーコードは、ハサミやナイフで切るように、スパッと切れるわけではありません。普通は伸びたり縮んだりしながら、徐々に細くなって切れていきます。シルバーコードが切れるときは、大半の人は意識を失い深い眠りの状態に入ります。全身麻酔をかけられたような状態と考えたらよいでしょう。

シルバーコードが切れる際には、霊界の霊たちその多くが、地上時代に本人と深い関係にあった家族や知人など)がコードを切り離す手伝いをします。もし、そうした人々の手に負えないようなときには、霊界にいる専門の医師が立ち会って手助けをすることになります。

実は死者の霊体を肉体から離れさせるには、かなりの技術が必要とされます。霊体と肉体との間には、クモの巣のようなネットワークが張りめぐらされています。2本の太いシルバーコードは、その中で特別なものです。それらを穏やかに切断してあげないといけないのです。病死の場合であれば、時間をかけて1本ずつ切り離していくことになります。急激に切断すると地上人の霊的意識にショックを与えるようになり、その後の幽界での生活に、わずかですが障害をもたらすことになるからです。

死の眠り

霊体と肉体を結んでいたシルバーコードが切れる瞬間は、本人は半睡眠状態で、ほとんど意識を失っています。これが「死の眠り」です。死に際しての苦悶の表情や身もだえの様子を見るのは、死を看取る地上人にはとても辛く、いたたまれない気持になりますが、当の本人は何の苦しみも痛みも感じていないのが普通です。

はたからは、死にかけている人の顔が苦痛に歪んでいるように見えても、もうこの時点では本人には全く苦痛はありません。苦しいのは意識を失う前であって、死ぬ時ではないのです。昔からよく“死に顔が悪いと地獄へ行く”といったようなことが言われてきましたが、これは単なる迷信であって事実ではありません。

死の眠りからの目覚めと混乱

シルバーコードが切れると、霊体だけになった人間は、いよいよ地上を離れ霊界(幽界)に入ることになります。その際、人の心がさまざまであるように、死んで霊界に入るまでのプロセスも一人一人異なります。ここでは、ごく普通の“善人”と言われる人の死の直後の様子を見ていきます。

深い眠りに落ちた後、シルバーコードが完全に切れて霊体と肉体が分離すると、やがて本人は麻酔から醒めるように目を覚まします。目覚めるまでの時間は、人によって異なります。いつまでも目覚めることなく暗黒の境涯に堕ちていく者がいる一方で、反対にほとんど眠りのプロセスなくして霊界入りする人もいます。)

自分の遺体と泣き悲しむ人々を見る

死の眠りから目覚めると、ある人はぼんやりした意識の中で、自分とそっくりの人間がベッドに横たわっているのが見えます。人によっては、あまりにも自分に似ている人間を見て驚きます。さらに不思議なことに、先程まで自分の病室に集まり、最後の別れをしたはずの家族や親戚の人たちの泣いている姿が見えます。

そこで「私はここにいるよ!」と大きな声で叫ぶのですが、その声はいっこうに伝わりません。それでその人たちの肩を叩いたりするのですが、全く気がついてくれません。周りの人たちは皆、自分がそこにいることが分からないのです。

死の自覚の芽生え

大半の人間はこうした状況に非常に戸惑い、不安に駆られ、混乱するようになります。自分を取り巻く様子に大きな不安を抱き、動揺するようになります。「自分の頭がおかしくなったのではないか? 夢を見ているのではないか?」と混乱状態に陥るのが普通です。しかし生前、死後の世界があることを信じていた人は“自分は死んだのかもしれない”と気がつくようになります。)

やがてそうこうするうちに、すでに死んでいるはずの人たちが現れることもあります。10年前に死んだ父親、2年前に死んだ妹も現れます。そうした縁者たちに――「あなたは、もう死んでいるのですよ」と教えられ、「ひょっとしたら自分は死んだのかもしれない」と思うようになります。このようにして少しずつ「死の自覚」が芽生えるようになります。

死から「死の自覚(霊的意識の覚醒)」までの時間は、人によってさまざまです。霊格や知識・地上での習性によって、時間が長くなったり短くなったりします。死の自覚ができると同時に「霊的意識」が芽生え始めるようになります。「死の眠り」から覚めても、混乱状態がひどかったり、なかなか死を自覚できないときには、再び死の眠りを継続させるような状態に置かれます。眠りを通して、調整と自覚が促されることになります。

地上人生をあまりにも利己的・本能的に過ごしてきた人間の場合、「死の眠り」から直接、暗黒の境涯に堕ちていくことがあります。これは地縛霊の1つのケースですが、この問題については後ほど取り上げます。それとは反対に、ほとんど眠りのプロセスを経ずして幽界を通過し、霊界入りする人間もいます。これは霊格・霊性のきわめて高い人間イエスのような)の特殊なケースです。

2)迎えの霊たちとの喜びの対面

感激的な再会

死の自覚が芽生え始めると、すでに他界している親族や兄弟・知人が目の前に現れるようになります。実はこうした親族たちは、死に際してずっと付き添い、新しく霊界入りするための手伝いをしてくれていたのです。本人に死の自覚が生まれると「霊的視野」が開け、周りにいた人々の姿が見えるようになるのです。

死後、自分が死んだことに気がつくと、喜びの時が訪れます。すでに亡くなっている人たち、自分と親しかった人たちが大勢集まり、自分の霊界入りを心から歓迎してくれる「最も感激的な再会の体験」をすることになります。

霊界にいる霊たちは、地上人の死を正確にキャッチ

霊界では地上の縁者・知人の死は、正確に知られるようになっています。死の時が近づくと、地上人を迎えに幽界まで降りることになります。

迎えの霊たちは、生前の姿をとって現れる

霊たちは一時的に、どのような姿形をとることもできます。それによって新たに霊界入りした者に身元を知らせることができるようになります。地上で幼くして亡くなり、親よりも先に霊界に入った子供は、その母親が霊界にきた時には、一時的にかつての子供の姿で現れます。母親はそれによって間違いなく、我が子を認識することができるようになります。このため霊界での再会においては、何の問題も生じません。

3)幽界の休息所

親族や知人たちの歓迎を受け、しばらく彼らと対話をした後、出迎えにきてくれた中の一人地上時代の守護霊または知人が多い)に連れられて休息場所に行くことになります。そこで安らかな半睡眠状態で、休息をとるのです。

死んで間もない新参者は、いまだ地上の波動を持ち続け、すぐに霊界になじむことができません。そのため休息所で、自分の身体や精神を霊界に適応させるための調整が行われることになるのです。その間に、霊体にまとわり付くように残っていた「幽質接合体」の残滓ざんしは脱ぎ捨てられ、霊体(幽体)だけの存在になっていきます。

もちろん自分の死をすぐに自覚できるような人、あるいは生前から死後の世界の存在を知り地上にいながら霊的な歩みをしてきた人の場合は死後、休憩所での意識と身体の調整は必要ありません。

4)幽界での審判

地上時代のすべての体験・行為が、眼前に示される

休息場所ではこうした適応プロセスが進行する一方、半醒半睡はんせいはんすいの状態(まどろむような状態)の中で、地上時代の自分の歩みを回顧することになります。自分の目の前に、地上時代のさまざまな出来事が、映画のスクリーンのように展開していきます。その中にはすでに忘れていた出来事も含まれています。地上でなした行為が洗いざらい示され、より高い指導霊のインスピレーションの影響を受けながら見つめ、地上時代のすべての行為を自ら査定することになるのです。

これが「幽界での審判」と言われているものの実際です。

自分で自分を裁く

そこでは「霊的法則」の働きによって、自分で自分を審判し裁くことになります。他の霊が審判し裁くのではありません。地上の裁判のような討議も証拠提出も、一人一人に対する査問などという手間もなく、地上時代のもろもろの行いの霊的価値がひとまとめに明らかにされ、即座に結果が出るようになっています。しかも地上とは異なり、一切のごまかしや言い訳が効かないのです。何が間違っていたのか、どうすればよかったのか、といったことが明瞭に分かるようになります。

霊界(幽界)の審判では、自らが裁判官となって、自分で自分を裁くことになりますが、そのときの判決の基準は――「地上で何を行ったのか、世の中のためにどれほど自分を役立てたのか」ということです。まさに地上での「利他的行為」が判決の基準となるのです。地上人生を物質欲や自分中心のエゴに巻き込まれることなく無欲に生きた人は、自分の地上人生がいかに価値あるものであったのかを実感し、感謝の思いに打たれるようになります。

従来の宗教で言われてきた“閻魔大王による裁き”というような事実はありません。先入観にとらわれた霊能者が、あの世の閻魔による審判があるかのように言うことがありますが、それはすべて自分自身の想念の世界での出来事を事実と錯覚したものです。

屈辱と後悔の中に立たされる傲慢な人間

霊界の審判では、地上時代のあらゆる見せかけががれ落ち、自我が素っ裸にされます。これはある者にとっては、たいへんなショックです。自分の地上時代の間違いが明らかにされるということは、傲慢な人間・利己主義者には大きな苦痛をもたらすようになります。「霊界の審判」は、人によっては屈辱となったり、激しい後悔を引き起こすのです。地上時代には絶対に自分の非を認めなかったひねくれ者も、霊界では必ず間違いを悟るようになり、おのずと罪の重さを自覚するようになります。それにともない必ず、いたたまれないような状態に陥ることになります。

実はこの苦しい状況こそ、自らが犯した摂理に反する行為の結果に他なりません。摂理に違反した生き方や行為が“罪”となって、“罰”をもたらすことになるのです。

本格的な幽界での生活

こうして死後しばらくの間、身体と意識の調整、並びに地上人生の反省というプロセスを経ることになります。それは多くの場合、地上の時間にして数日~数週間早い人で3~4日)で完了するようです。なかには自分自身の人生の学びのために、あるいは自分自身の生き方の間違いを悟るために、指導霊にともなわれて自分の葬式を見せられる人間もいます。葬式に参加する人々の様子を見せつけられ、自分の地上人生がいかに間違っていたのかを知るようになるのです。

そして、いよいよ霊界(幽界)での生活が始まることになります。事故などで突然死した者は、霊的にも大きなショックを受けているため、一般の他界者よりも長期の死の眠りが必要となります。霊界の病院などで十分な眠りをとらせ、ゆっくりと霊界の生活に適応させていきます。そうしないと、後で述べる“地縛霊”になることがあるからです。霊界では新しい他界者を地縛化させないために、全力を挙げてケアが行われています。

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