5.超宗教・超高次元宗教としてのスピリチュアリズムの本質と特徴(まとめ)

(1)スピリチュアリズムとスピリチュアリスト

これまでの話から“スピリチュアリズム”とはどういうものか、おおよそ理解していただけたと思います。最後にもう一度、スピリチュアリズム全体のポイントと、地上においてスピリチュアリズム運動の主役となる“スピリチュアリスト”について整理してみます。

スピリチュアリズムは、霊界の高級霊による「地球人類救済計画」

スピリチュアリズムを一言で言うならば――「霊界の高級霊によって計画され進められている人類史上最大の救済プロジェクト」ということになります。それが地上世界では、1848年のフォックス家事件から展開することになったのです。

スピリチュアリズムの一番の原点は――「霊界の高級霊による組織的な救済計画である」ということです。したがってスピリチュアリズムのすべては、霊界から出発しています。またスピリチュアリズムが霊界の高級霊を総動員しての大計画である以上、スピリチュアリズムと係わりのない高級霊は存在しないということになります。

スピリチュアリズム運動の最大の目標は、「霊的真理」の伝達と地球人類の「霊的成長」

スピリチュアリズムの第一の目標は――「地上に霊的真理もたらす」ということです。地球人類は「霊的無知」から、物質主義・利己主義という2つのガンを発生させ、悲劇と不幸の暗黒の世界をつくり出してしまいました。

霊界の高級霊達は、そうした地球人類に霊的真理を伝えることによって物質中心主義を「霊中心主義」に、利己主義を「利他主義」に変え、霊的成長の道を歩ませようとします。そして地上にいる間に、霊界での生活のための準備をさせ、他界してから後悔や苦悩を持つことがないようにさせたいと願っています。スピリチュアリズムは、地上人に「霊的成長」という最高の霊的宝と救いをもたらしました。

スピリチュアリズムによる地上世界の霊的新生と、霊的同胞世界の確立

スピリチュアリズムという霊界人が総力を挙げての働きかけによって、地上世界は徐々に霊的に新生してきました。そしてこれまで多くの宗教によって予言されてきた「新しい世界の到来」の時期を迎えることになりました。ニューエイジとかキリストの再臨と言われてきたことは、実はスピリチュアリズムによる「地球規模での霊的新生」を意味していたのです。

今、地球は「人類史上最大の転換期」を迎えています。これまで細々と進められてきた地球人類の霊性進化の歩みが、スピリチュアリズムによって一気に大きく飛躍する時を迎えています。スピリチュアリズムが地球上に普及することによって遠い将来には、神を共通の霊的親とする「霊的大家族世界」――すなわち「霊的同胞世界」が確立することになります。今、地球はその理想世界に向けて第一歩を踏み出したところなのです。

スピリチュアリズムによる地上世界の霊的新生と、霊的同胞世界の確立

スピリチュアリズムは「超宗教」

スピリチュアリズムの本質は、その宗教性にあります。スピリチュアリズムは単なる学問や思想や哲学ではありません。スピリチュアリズムは正真正銘の宗教ですが、その一方で、従来のいずれの宗教とも異なっています。これまでの地上の宗教を基準とした場合、スピリチュアリズムの宗教的内容や要素(組織・創始者・布教)は根本的に違っています。その意味で「スピリチュアリズムは宗教であるが、従来の宗教ではない」ということになります。

スピリチュアリズムは、地上のいずれの宗教をも超越しています。まさにスピリチュアリズムは「超宗教・高次元宗教」なのです。それはスピリチュアリズムが、霊界人の間で常識となっている唯一の神認識・摂理信仰を、そのまま地上世界にもたらそうとするものだからです。霊界には地上世界のような宗教はありませんが、そこではきわめて純粋な信仰生活が営まれています。そうした霊界人に共通する宗教的生き方・信仰的生き方が、まさにスピリチュアリズムそのものなのです。

スピリチュアリストとは?

スピリチュアリズムを信奉する人々を一般に“スピリチュアリスト”と呼んでいます。スピリチュアリストとは、霊界の大プロジェクトによってもたらされた「霊的真理」と真っ先に出会い、それを人生の指針として受け入れた人々と言えます。この点でスピリチュアリストは、いまだにスピリチュアリズムを知らない人々や、スピリチュアリズムによる霊的真理の価値を認めようとしない人々とは、明らかに違った立場に立っています。

またスピリチュアリストは、大半の人々が知ることのない知識を手にしているということにおいて、特別な霊的責任・霊的義務が背負わされています。この点でもスピリチュアリストは、一般の人々や他の宗教の信仰者とは区別されます。

スピリチュアリストが一般人と違うことは、次のようなことを考えてみればより明確になります。スピリチュアリズムによってもたらされた「霊的真理を他人に伝え、霊的事実に基づいた霊的救いを示すことができるのはスピリチュアリストだけである」ということです。スピリチュアリスト以外の人々は、たとえ霊性が優れ純粋な利他的行為に励んでいても、周りの人々に霊的知識・霊的救いの道を示すことはできません。この点においてスピリチュアリストは、他の宗教者や信仰者とは違っているのです。

すべての霊界人は“スピリチュアリスト”

スピリチュアリズムで言う「霊的真理」とは、神の摂理のことです。「神の摂理」は、すべての人間を支配しています。その真理を受け入れ忠実に実践しようとする人間は皆、スピリチュアリストということになります。これがスピリチュアリストの広義です。

そうした定義に従うならば、すべての霊界人はスピリチュアリストということになります。私達地上のスピリチュアリストは、霊界のスピリチュアリスト(霊達)に倣って、スピリチュアリズム的生き方をしようとする人間なのです。霊界の霊達は皆、私達地上のスピリチュアリストにとって“先輩スピリチュアリスト”なのです。

幽界の下層にいる地縛霊を除き、霊界にいる億万の霊達の中でスピリチュアリズム(霊的真理)を信仰していない者はいません。地上時代はスピリチュアリズムを知らなかった人間も、あるいは地上時代にスピリチュアリズムに反する主張をしてきた宗教者も、霊界に入ってからは考えを改め、全員がスピリチュアリストに生まれ変わっています。歴史上に名を残した人物も霊界に入ってからは、スピリチュアリストになっています。シャカもガンジーもその他多くの有名人も、残らずスピリチュアリストになっているのです。

“スピリチュアリスト”という用語の使用について

世の中には、スピリチュアリストという用語に必要以上にこだわる人々がいます。なかには「神によって造られた人間は、すべてスピリチュアリストと言えるのではないか」という意見を述べる人もいます。その考え方には一理あります。しかし「神の子」イコール「スピリチュアリスト」の定義は、霊界人にはそのまま当てはまりますが、地上人に適用することはできません。なぜならその定義に従うならば、スピリチュアリズムを迫害し、高級霊からスピリチュアリズムの敵と名指しされてきたクリスチャンも、スピリチュアリストになってしまうからです。それは大きな矛盾です。

一方、シルバーバーチは――「私は自分自身をスピリチュアリストとは思っていません」と言っています。このシルバーバーチの言葉は、「霊的摂理にそった生き方こそが問題で、レッテル(呼称)などはどちらでもいい」ということを強調しているものとして受け取るべきです。先に述べたことから分かるように、シルバーバーチは間違いなく熱心なスピリチュアリストなのです。

私達は「霊的真理」を知っているという事実において、一般の人々とは大きな違いがあることを忘れてはなりません。“スピリチュアリスト”という用語は、こうした立場の違いを明らかにするために便宜上用いているにすぎません。立場の違いを示すためにそう呼んでいるまでのことで、逆にスピリチュアリストという呼称にこだわることこそ不自然なのです。

要は、「霊的真理」を真っ先に知っているということの重要性と意義を自覚しているかどうかが肝心な点であり、真理を知っている人間をスピリチュアリストと呼ぼうが別の呼び方をしようが、本質的な問題ではないのです。スピリチュアリストを名乗ることで自らを特別視したり、霊的に高いなどと主張しているわけではありません。キリスト教を信じる人々を“クリスチャン”と呼んでいるのと同じ次元のことなのです。

スピリチュアリストと盲信・狂信

――イエスは教条主義者? シルバーバーチは原理主義者?

霊的真理を絶対的に信頼し、これに忠実に従おうとする生き方がスピリチュアリズムであり、そうした実践者がスピリチュアリストです。このように言うと、「スピリチュアリズムは教条主義・原理主義ではないか」「スピリチュアリストは狂信・盲信しているのではないか」と批判する人がいます。

これまで何度も述べてきたように、スピリチュアリズムの本質は宗教であり信仰です。スピリチュアリズムだけでなく、いずれの宗教においても信仰対象を心から崇拝し、教えを絶対的に信頼し、それに忠実であろうとします。「信仰」とは、自らを否定して、自分自身を絶対的な存在に従わせようとする精神的営みであり内面的努力です。そこでは、「自分のすべてを捧げる」ということが大前提となっています。これは信仰には、常にある種の盲目性がともなうということを意味します。したがって無神論者からすれば、信仰者は皆、盲信者・狂信者ということになってしまいます。

信仰には、熱心さ・純粋さと盲信性が表裏一体の関係となっています。その盲目性は“信仰の情熱”となって通常ではできないことを可能にしたり、小さな自我の殻を破る力となります。しかし、その盲目性が一歩方向を間違えると“狂気”となり、「正義のため」という理由で戦争やテロを引き起こしたり、自殺や反社会的行為に走らせることになります。信仰にはこうした危うい一面が付きまとうために、知識人から嫌われてきました。現代人の多くが、信仰に忠実であることや、宗教に純粋に打ち込むことを意識的に敬遠しています。

宗教は危険であるとの考え方には一理ありますが、それはスピリチュアリズムには当てはまりません。重大な結論を言えば、熱心さや忠実さが狂気となるのは、その宗教の教えが間違っているからです。問題は――「宗教の教えが本当に正しいかどうか」「神の摂理に一致したものであるかどうか」ということなのです。神の摂理に一致していれば、自然界の営みに完全な調和が存在するように、人間界にも調和がもたらされ矛盾や苦しみは生じません。これまでの宗教の教えが事実でなかったこと、霊的摂理から外れていたことが問題だったのです。

超宗教であるスピリチュアリズムと、地上の人間がつくり出してきた宗教では、その根拠とするところが全く異なります。スピリチュアリズムの教えのすべては、霊界からもたらされるものです。霊的に見たとき唯一、間違いのない教えを説いているのはスピリチュアリズムだけなのです。間違った教えを説く地上の宗教に忠実であろうとすると、結局は盲信・狂信になってしまいます。しかし「霊的真理」を説いているスピリチュアリズムに忠実であることは、決して盲信・狂気にはなりません。それどころかより多くの霊的恩恵がもたらされることになります。スピリチュアリズムでは、自己の見栄や煩悩などによって霊的真理に忠実でないこと、真理を真剣に実践できないことを、むしろ問題であるとします。

スピリチュアリストには当然、スピリチュアリズムの教えに可能なかぎり忠実であることが求められます。純粋に熱心に霊的真理の実践に励むことが望まれます。真理に忠実に従い、これを実践するにはたいへんな困難がともないますが、それでも最大限の努力をし続けることが大切なのです。

スピリチュアリズムの霊的真理を忠実に実践することに対して、教条主義であるとか原理主義であると非難することは間違っています。もし霊的真理・霊的摂理に忠実であろうとすることが教条主義・原理主義であるとするなら、霊界にいるイエスやシルバーバーチなどの高級霊も皆、教条主義者・原理主義者ということになってしまいます。すでにスピリチュアリズムと出会っている人間が、こうした言葉で誠実なスピリチュアリストを非難するようなことがあるとするなら、それはスピリチュアリズムに対する理解不足と、自らの傲慢さを示していることに他なりません。

(2)超宗教としてのスピリチュアリズムの特徴

最後に、「超宗教・高次元宗教」としてのスピリチュアリズムの特徴をまとめて整理します。

特徴1

スピリチュアリズムには“教祖”がいません。地上世界における大きな問題点は、しょせんは一人の人間にすぎない者を、神の地位に祭り上げたり、崇拝の対象としたりすることです。そこから宗教は道を踏み外し、エゴの集団と化していくようになります。

人間の霊的本性として、絶対的な存在とつながり、それに従って生きたいという願望がありますが、そうした思いは、すべて「神」に向けるべきなのです。なぜなら人間は、神につながって「神の子供」として生きるように造られているからです。しかし物質の中に閉じ込められ、霊性が鈍くなった地上人は、神の代わりに人間を崇拝の対象とするようになっています。スピリチュアリズムは、こうした“人間崇拝”を徹底して排除します。

特徴2

スピリチュアリズムは、地上の宗教のような“宗教組織”をつくりません。したがって地上の組織宗教に見られるような霊的弊害はないのです。スピリチュアリズムには、魂の成長を目的とした少人数のサークルやチャーチが存在しますが、魂の成長は最終的には一人一人の問題に帰着するという認識から、必ずしも必要なものとは考えません。スピリチュアリズムは、霊的成長にプラスの影響をもたらす範囲において、サークルやチャーチの存在意義を認めています。

特徴3

スピリチュアリズムの推進・展開のほとんどが、霊界の高級霊によってなされています。したがってスピリチュアリズムの“主役”は、霊界にいる高級霊ということになります。他の宗教のように、地上人が主役ではありません。地上のスピリチュアリストは、主役である霊界の高級霊達の補助者、あるいは“道具”としての役割を果たすことになります。スピリチュアリズムにおける真の権威者は、神と霊界の高級霊達なのです。

特徴4

スピリチュアリズムは熱心に霊的真理を普及しようと努めますが、地上の宗教のように人間の力や組織の力、あるいはマスメディアの力を用いての布教活動はしません。スピリチュアリズムは、「霊的時期」のきた地上人の一人一人に霊的真理が手渡されるという形で普及・拡大していくようになります。「霊的真理」を受け入れられる時期のきた人は、霊界の導きによって真理との出会いを果たすようになります。したがって地上人が、がむしゃらに布教を進める必要など全くありません。

特徴5

スピリチュアリズムの土台となる「霊的真理」は、人類史上最高レベルの叡智・知識です。しかも誰にでも理解できるシンプルで分かりやすいものです。スピリチュアリズムの霊的真理が、他の宗教の教義(ドグマ)とは比較にならないほど優れているのは、その内容が霊界の高級霊によって審議されたものだからです。それが用意周到な準備のもとで地上に降ろされました。その結果、霊界に蓄積されてきた霊的知識が、純粋な形で地上にもたらされることになったのです。

そうした高級霊界通信の中で、『シルバーバーチの霊訓』モーゼスの『霊訓』カルデックの『霊の書』の“世界三大霊訓”は、人類にとっての最高の叡智・霊的宝と言えます。この三大霊訓の中に、霊的真理・霊的知識が凝縮されています。スピリチュアリズムの思想が明瞭に示されています。

特徴6

スピリチュアリズムは、神と摂理に対する純粋な信仰であり、生活のすべてを捧げた真剣な霊的人生です。霊的真理・霊的事実という霊的知識を土台とし、その上に信仰的要素(神と摂理への絶対信仰)を積み上げたものの全体が“スピリチュアリズム”と言えます。

特徴7

スピリチュアリズムの信仰対象は、「唯一の神(大霊)」と神の造られた「摂理」だけです。それ以外の対象物を崇拝したり、祈りの対象とすべきではありません。したがって多くの信仰対象を持つ多神教や、天使や歴史上の人物、霊的存在(背後霊・人霊・精霊)への崇拝は間違いです。スピリチュアリズムは、神以外への信仰・崇拝を強く否定します。

特徴8

スピリチュアリズムは、徹底した「霊優位主義・霊中心主義」です。現在までの地上世界は物質中心主義に支配されてきましたが、スピリチュアリズムはそうした在り方に真正面から闘いを挑みます。スピリチュアリズムの視点・価値観・救いは、すべて「霊と霊界」を基準としており、霊を優先(中心と)しないものには一切の価値を認めません。当然のこととして、地上人類が必死に求める物質や富・肉体的快楽・名声・権威・階級などにも価値を認めません。

特徴9

スピリチュアリズムは、「霊的真理」を指針とする霊性の向上(霊的成長)を最終的な目標としています。霊的成長こそが、地上人生の究極の目標であるとします。スピリチュアリズムは、こうした徹底した「霊的成長至上主義」を主張します。

スピリチュアリズムでは、日常生活の一つ一つの営みを、霊的成長にプラスとなるものにしなければなりません。肉体ならびに物質的環境は、人間の霊的成長という目的のための手段となったとき、初めて存在価値を持つことになります。

特徴10

スピリチュアリズムは、地上人類に「最高の救い」をもたらします。スピリチュアリズムが地上人に与える救いとは、「霊的成長」に他なりません。地上における霊的成長は、人間が将来必ず行くことになる霊界への準備ともなっています。それは霊界における幸福に直結する霊的宝と言えます。

特徴11

スピリチュアリズムは、地上人の一人一人に対して「霊的成長」という最高の救いをもたらします。そして地上人類全体に対しては、神を共通の霊的親とする「霊的同胞世界・霊的大家族世界」という救いをもたらします。

特徴12

スピリチュアリズムは、霊的真理の実践を重視する「実践主義」です。実践や行為のともなわない生き方、単なる学問としての真理の探究には全く価値を認めません。霊的真理を指針とし、それを実行し、霊的成長をなすという一連のプロセスが満たされて、初めて真理を知ったことの責任と義務を果たしたことになります。実践なくして、霊的成長はあり得ません。霊的真理の実践行為の総決算が、霊的成長を決定するのです。

スピリチュアリズムでは、地上を「失敗から教訓を学ぶ訓練場所」と見なしています。失敗を繰り返しながらも、真理の示す高い理想・目標に向かって努力するところに意義があるとします。失敗を恐れて何もしないことは罪であり、利己的な生き方なのです。

霊的真理の具体的な実践内容とは、次の4つに整理されます。

  • ①日常生活を霊中心にする。すなわち物質や肉体本能に支配されないようにする
  • ②利他愛を実行する
  • ③霊的真理を他人に伝える
  • ④日常生活の中で生じる困難や苦しみを、霊的視野に立って前向きに受け入れ乗り越える

特徴13

スピリチュアリズムは、「自己責任主義・自力救済主義」を大原則とします。スピリチュアリズムは、地上人の霊的成長は、すべて本人自身の責任のもとでなされるものとします。霊界人は高い真理を示しますが、それを忠実に実践し、魂を成長させるかどうかは地上人の自由意志に任せられます。霊的真理の実践によって魂を成長させ、初めて自分を救うことになる以上、すべての救いは本人自身が決定するということです。

このようにスピリチュアリズムは、「自己責任主義・自力救済主義」を主張します。“救い”は、神仏にすがって得られるものではありません。自分の努力で摂理に合った生き方をすることによってもたらされるものなのです。

特徴14

スピリチュアリズムは、地上人の心の中を見通す神と高級霊の前に、すべての動機を正して歩むという最高の誠実性が要求される「内面主義・内省主義」です。その意味でスピリチュアリズムは、純粋で深い信仰と言えます。

スピリチュアリズムは、霊界からは地上人の心の内や動機がすべて見通しであることを教えています。真理に対する理解が深まると、霊の前には自分が常に丸裸であり、何ひとつ隠し事ができないことを実感させられるようになります。そのためスピリチュアリストは、誰からも強制されることなく、自発的に「内面主義・内省主義」を実践するようになります。

特徴15

スピリチュアリズムは、地上世界のあらゆる出来事を「霊的視野」から眺めます。地上人が最大の不幸と考える“死”を、喜ばしい出来事ととらえます。また地上人の誰もが避けようとする苦しみ・困難も、魂成長のためのありがたいものと考えるのです。

人間が地上に生まれる目的の一つに、物質世界での苦難を通じて魂を鍛え成長させることがあります。他の宗教が苦しみ・困難・障害を不幸とのみ考え避けようとするのに対して、スピリチュアリズムは苦しみ・困難を歓迎しなさいと教えます。「霊的視野」を持つことによってスピリチュアリストは、「霊的楽天主義」的な生き方・考え方ができるようになります。地上世界にありながら、霊的生活ができるようになるのです。

特徴16

スピリチュアリズムは、他のいずれの宗教よりも、霊界の霊達と密接な関係を結ぶようになります。それはスピリチュアリズムが、霊界を挙げての大計画の地上の足場であり、霊界の軍団の一部となっているからです。霊界の人々と地上のスピリチュアリストは「人類救済」という大義を共有し、願いと苦労を分かち合っています。地上のスピリチュアリストは、霊界の多くの霊達と協力して大プロジェクトを進めています。このような宗教は、どこにも存在しません。

またスピリチュアリズムは、人類救済のために働く数多くの霊達ばかりでなく、魂の個人教授とも言うべき“守護霊”に対しても意識を向け、積極的にこれとの接近を図ります。そのためスピリチュアリストは、他の一般の地上人よりも強い霊的絆で守護霊と結ばれることになります。

特徴17

スピリチュアリズムは、“祈り”を霊的実践として重視します。祈りは霊との絆を強め、より多くの霊的貢献のチャンスをもたらすようになります。それと同時に、日常の物質の壁を破って霊中心の意識をつくり出し、霊的成長を促すことになります。祈りは、霊的成長を達成するための有力な霊的手段です。

特徴18

スピリチュアリズムは、奇跡や物理的心霊現象を霊的真理普及の前段階・前座と見なし、それを特別に重要なものとは考えません。心霊現象は霊的真理と比べたとき、どこまでも玩具のような存在です。霊的現象よりも人間の「霊的成長」、すなわち“心”という内面の成長こそが大切であり、それを真に価値あるものとします。

現在では心霊現象の中心は、かつての物理的心霊現象から「心霊治療(スピリチュアル・ヒーリング)」に移っています。

特徴19

今、霊的真理の普及を目標として、霊界を挙げての“スピリチュアリズム運動”が展開していますが、それと同時に、人々が霊的真理を受け入れるための準備として、地球上のさまざまな分野に向けての働きかけがなされています。スピリチュアリズムの「霊的真理」が普及していくための裾野が、地球レベルで広がっています。

特徴20

現在のスピリチュアリズムは、内外にさまざまな問題伝統宗教からの迫害妨害・スピリチュアリズム内部の敵・ニセ霊能者の問題など)を抱えていますが、それらは今後、スピリチュアリズムが高次元レベルで展開・進展していくにともない、自然に消滅していくようになります。スピリチュアリズムによって示された「霊的真理」は将来、地球上に拡大し、地球人類の“常識”となっていきます。そして自動的に現在の宗教は姿を消すことになります。

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