2.超宗教としてのスピリチュアリズムの概要
(1)スピリチュアリズムは霊的真理を土台とした信仰的生き方
――霊的知識に信仰を積み上げた全体がスピリチュアリズム
教条主義と盲信に支配されてきたこれまでの宗教
従来の宗教には、スピリチュアリズムのような明確な霊的真理や霊的事実がありませんでした。ほんの断片的な霊的知識はありましたが、その多くが人間の無知によって歪められたり勝手な考えが付け加えられて、事実から大きく懸け離れたものになってきました。さらに宗教が組織化されるプロセスの中で、宗教者のエゴによってわずかな真理も意図的に歪曲され、また捏造されたニセの教えが加えられて、霊的真実とは全く異なる間違った教義がつくられてしまいました。
このような人工的な教義を、宗教組織は権力をもって人々に押し付けてきました。間違った教義を何の批判もせずに鵜呑みにすることを、人々に強要してきたのです。こうして地上の宗教は、教条主義と盲信によって支配されるようになってしまいました。
信仰の土台となる確固たる霊的知識
スピリチュアリズムは地上人類に、これまでのどの宗教よりも正確で豊富な霊的知識をもたらすことになりました。そして霊的事実の上に立った正しい宗教の在り方を人類の前に提示しました。スピリチュアリズムの登場によって、地上の宗教は「霊的事実」という確固たる信仰の根拠を持つことになりました。心ある人間ならば誰もが受け入れることのできる霊的知識・霊的事実が、信仰の土台となる時代を迎えるようになったのです。
これまでの宗教では、理性が納得できない内容であっても無理やりに信じ込ませ、それが信仰とされてきました。スピリチュアリズムは、そうした盲信的信仰を否定し、これを地上世界から排除するために闘いを挑んできました。スピリチュアリズムという「超宗教」の登場は、まさに人類の宗教の歴史を大きく飛躍させる画期的な出来事なのです。
信仰の土台となる霊的知識
スピリチュアリズムが信仰の土台とする霊的知識とは、「霊魂観」についての知識です。それは従来のスピリチュアリズムの心霊実験・交霊会の歴史を通じて実証された事実に他なりません。具体的には――「人間は死んでも霊として生き続ける」「人間は死後、霊界において生活する」「霊界の霊は、地上の霊媒を通じて働きかけたり、通信を送ってくることができる」というものです。
神と摂理に対する信仰
スピリチュアリズムは、そうした霊的知識(霊魂観の知識)の上に信仰を積み上げますが、その信仰とは――「神と摂理に対する信仰」です。
「霊界人であれ地上人であれ、信仰の対象とすべきものは、神と神の造られた摂理(法則)だけである」「神は宇宙・霊界のすべての存在物と運行を、摂理という法則によって支配している」「摂理による支配のゆえに、すべての人間は完全な平等・公平のもとに置かれている。一人として不平等に扱われることはない」「摂理を通じての神の支配は、神が直接人間に関与することはないということを意味する。従来の宗教のように神に直接許しを請い、特別の保護や恩寵を願っても無駄である。神に奇跡を願ったり、自分に都合のいい許しや恩寵を願い出ても、一切聞き届けられることはない」――以上が、神と摂理に対するスピリチュアリズムの信仰の内容です。
スピリチュアリズムとは、すべての霊界人に共通な信仰的生き方
理性で納得できる確かな霊的知識に、信仰を積み上げたものの全体が“スピリチュアリズム”です。スピリチュアリズムとは、そうした信仰的生き方であり日常生活の在り方です。それは、まさに霊界の人々の宗教的生き方そのものと言えます。
霊界人の生き方、すなわち霊界での信仰的生活とは、地上世界のような信仰心の篤い一部の特別な人だけのものではありません。すべての人間(霊達)に共通する生活であり、霊界人にとって当たり前の在り方なのです。日常生活がそのまま信仰実践となっている霊界では、それを敢えて信仰と呼んだり特別な行為と見なすことはありません。霊界における信仰は、地上人が食事をするのと同じようなものなのです。
(2)スピリチュアリズムの思想の大原則
――霊優位主義・霊中心主義と霊的成長至上主義
物と物質世界を優先するこの世の宗教
従来の宗教の中には、霊や死後の世界(霊界)に言及したものが多くあります。しかしそうした場合であっても、霊や霊界をそれほど重要視しているわけではありません。肉体や物質世界に対する霊や霊界の優先性は、あまり明確ではありません。地上の宗教は、霊や霊界を取り上げることはあっても、それをどこまでも地上世界の延長として、あるいは地上人生の脇役のような位置に置いています。
スピリチュアリズムが、地上的なものや物質的なものに価値を認めないことと比べると、地上の宗教は物質中心性がきわめて濃厚で、本音レベルでは、この世の幸せと楽しみを優先し、物質的な幸せを追求していると言えます。
霊と霊界を優先するスピリチュアリズム
――「霊優位主義・霊中心主義」
スピリチュアリズムが地上の宗教・思想と根本的に異なる点は――「霊と霊界に徹底した価値を置いている」ということです。スピリチュアリズムでは、肉体や物質世界の中に真実の価値を認めてはいません。霊的な幸せだけが真の幸福であり、物質的な満足は本当の幸福ではないとしています。
スピリチュアリズムでは、物質は常に霊的なものの支配下にあるべきと考えます。肉体は霊の支配下にあって、初めてまともな状態を保つことができます。地上世界も霊界の支配下にあって、初めて本来の価値を持つことになります。霊が主人で、肉体・物質は家臣なのです。これが霊と肉、霊と物質の正しい関係です。このようにスピリチュアリズムは「霊」を主とし、「肉体・物質」を従とする関係を大原則としています。
そこでは当然のこととして、何事においても常に霊と霊界を中心に考えるということになります。すべての価値判断を、霊と霊界を基準にして下します。「人間の幸福は霊と霊界の中にあり、肉体と物質の中には存在しない」「人間が求めるべきものは霊的幸福であり、肉体的・物質的満足ではない」――スピリチュアリズムには、こうした明確な「霊優位主義・霊中心主義」が貫かれています。
スピリチュアリズムの人間観・人生観・人生の目的・死生観
スピリチュアリズムの「霊優位主義・霊中心主義」は、スピリチュアリズムの思想のあらゆる分野に及びます。ここではその一例を示します。
人間観
スピリチュアリズムでは、人間を「霊的存在」と明確に定義します。しかし大半の地上人は霊体の存在を知らないために、人間とは目に見える肉体であると考えています。また霊的存在を認めている人でも、実際には霊は肉体の付属物といった位置づけをします。
しかし人間は肉体をまとった霊(Spirit with body)であって、霊をまとった肉体(Body with spirit)ではありません。このようにスピリチュアリズムでは、霊の中心性・本体性を強く主張します。肉体は霊の外皮であり、霊の表現器官にすぎないのです。
人生観
スピリチュアリズムでは、霊界こそが人間にとって本来の世界と考えます。今、私達が生きている地上世界は、永遠の歩みの中のほんのわずかな一コマです。霊界での永遠的な生活に対し100年にも満たない地上人生は、旅行中のちょっとした逗留先のようなものです。霊界こそがメインで、地上は一時的な仮の世界なのです。
人生の目的
スピリチュアリズムでは、地上人生は霊界という本来の世界へ行くための準備期間と考えます。地上人生の目的は、霊界での生活に備えて訓練をするということです。地上世界で遭遇するさまざまな苦難や困難は、当事者にとっては深刻な問題ですが、それは霊界から見たときには取るに足りない小さな出来事です。その後の霊界での生活をより高めてくれる、ありがたい体験だからです。
死生観
大半の地上人が最も恐れ、最大の不幸と考えるのは“死”ですが、スピリチュアリズムでは“死”は、本来の住処に帰って行く喜ばしい時であるとします。死を恐れるどころか、反対に歓迎します。人々は親族や知人との死別を悲しみますが、本来は遺族においても喜びと希望の時として受け入れるべきものなのです。
*一般人ばかりでなく宗教者までもが、よく次のように言います。「死んでからのことは死んでみなければ分からないのだから、この世を軽視してどうする。この世こそすべてであり、精いっぱい生きなければならない。生きているうちから死後の世界のことを考え、あれこれ迷ってどうする。」
こうした発言はいかにももっともらしく聞こえますが、その人間の言う霊界とは、観念の中で考えている世界にすぎません。もし現実に霊界があり、死ねば否応なくそこへ行って生活するようになるということが事実ならば、そうした無責任な発言はできないはずです。問題は――「実際に霊界があるかどうか」なのです。スピリチュアリズムは、霊界をどこまでも現実の問題として考えているのです。
以上は、スピリチュアリズムの「霊優位主義・霊中心主義」に基づく考え方のほんの一例ですが、地上世界には、これほど徹底して霊と霊界をメインとする宗教は他にありません。
「霊的成長至上主義」
――霊的成長が価値判断の絶対基準
スピリチュアリズムの霊と霊界に対する優先主義・中心主義は、必然的に霊的価値観に帰着します。真実の価値は、霊的なものの中にこそ存在します。その真実の価値の一番の核心が「霊的成長」なのです。スピリチュアリズムでは霊的成長を、人間に関わる最も重要なものと考え、ここに絶対的な価値基準を置いています。
人間にとって霊的成長が何よりも重要であるのは、人間が神によって永遠に霊的成長する存在として創造されたからです。人間は神によって分霊を付与され、神の子供としての資格を持つことになりましたが、それは永遠の霊的成長の道をたどるという宿命が与えられたことを意味します。したがって地上人生の目的は「霊的成長」にあります。人間は霊的成長を最優先して求める存在として造られているのです。
私達と同じ神の子供として創造された何百億という霊界の霊達は皆、霊的成長を最優先して求め、霊的成長を目標にして日々の歩みをしています。霊界のあらゆる営みは「霊的成長」という一点に向けてなされています。
霊的成長が人間にとって最も重要なものであるならば、霊的成長にプラスとなるのかマイナスとなるのかによって、すべての行為の価値が決定されることになります。「霊的成長が価値判断の絶対基準となる」ということです。スピリチュアリズムは、霊的成長に結びつかない地上世界での行為や出来事に対して価値を認めません。スピリチュアリズムが、大部分の地上人が必死になって追い求めている物質的財産や名誉・名声・地位・家柄などに全く価値を認めないのは、それらが霊的成長とは無関係であるばかりでなく、人間を霊的成長から遠ざけることにもなるからです。
*地上世界と地上人生の存在価値
こうした話を聞くと、人によっては、スピリチュアリズムは地上世界や物質的なものを全く無視しているように感じられるかもしれません。物質的存在の価値を完全に否定しているように思われるかもしれません。
しかしスピリチュアリズムは、地上人生を全く無意味なものとして無視せよ、否定せよと言っているわけではありません。それどころか霊界という永遠の世界での幸せを獲得するためには、地上における体験が不可欠であると考えています。人間にとって本来の住処は霊界ですが、その霊界での幸・不幸を決定するのが地上生活である以上、地上人生はとても大切なものとなります。
霊界のことを正しく理解できるようになると、必然的に地上人生を、さらに真剣に歩まざるをえなくなります。霊界のことを知らない人より、もっと真剣に真面目に地上生活を送らなければならないと思うようになるのです。
(3)スピリチュアリズムがもたらす最高の救い
――スピリチュアリズムは霊的成長という最高の救いをもたらす
人々が宗教に求めるものは、一言で言えば“苦しみからの救い”に他なりません。人間は、地上人生で遭遇するさまざまな苦しみ・不安・恐怖・悲しみからの救いを宗教に求めてきました。「地球人類救済」を目的として興されたスピリチュアリズムは、従来のいかなる宗教よりも大きな救いを人類にもたらそうとしていますが、それは一体どのようなものなのでしょうか。
ここでは“救い”の観点から、スピリチュアリズムと一般の宗教を比較してみます。
宗教に、死への救いを求めてきた人類
恐怖と感じるものは、人によってそれぞれ異なりますが、多くの人々に共通する恐怖の最たるものは“死”ではないでしょうか。いずれの宗教も、死の恐怖への対処が教えの中心となっています。
シャカは、悟りによる輪廻のサイクルからの解脱として死の問題の解決を図りました。キリスト教では、終末における再臨のイエスによる復活にあずかるという形で死の問題に対処してきました。イスラム教では、この世を正しく生きることによって終末のアッラーの審判で天国行きの切符を手にすることができるとして問題解決を図ってきました。地球人類は、宗教にすがって死の恐怖を乗り越えようとしてきました。
では従来の宗教によって、本当に死後の世界(霊界)での救いは得られたのでしょうか。
霊界通信が明らかにする死後の救いの現実
人間は死後、誰もが霊界に行くようになります。死後の世界の存在を信じていなかった人間も、例外なく霊界で生活することになります。スピリチュアリズムの霊界通信は、地上の信仰者の霊界での様子をリアルに伝えています。
それによって明らかにされたことは、「これまでの地上の宗教では、死後の救いは成就しない」ということです。いくら従来の宗教にすがっても、人間は死後の救いを得ることはできないのです。このように言うと、他の宗教を信じている人々は当然、猛反発することでしょうが……。
霊界入りする大勢の人間が、死後あまりにも醜い状況に堕ちています。地上時代の信仰者の多くが死後、救いとはほど遠い環境の中に置かれています。地上の宗教が本当に人類に救いを与えてきたかどうかは、霊界の現実の中にはっきりと示されているのです。
死後、後悔する熱心な信仰者たち
霊界こそが私達人間にとって本来の世界であり、地上はそのための準備の世界にすぎません。地上人生において霊界行きのためにしっかりと準備をすれば、死後には喜びに満ちた生活が待っています。
ところが生前、信仰熱心だった多くの人々が、死後に地上生活を後悔したり、苦しみを体験するような結果になっています。霊界に行ってから、地上の宗教で教えられてきたような特別の救いなどはないことを聞かされ、これまで信じてきた宗教が何の意味もなかったことを知って愕然とします。そして地上人生を無駄に費やしてきたことを後悔し、できることならもう一度、地上へ再生してやり直したいと思うようになるのです。
普通の人間の死後の状態
地上で宗教と関わりを持った人間ばかりでなく、ごく普通の地上人生を送った人々も、その大半が死後の世界への準備を何もしないまま霊界入りするようになります。彼らは、死後の世界に対する知識もなく、霊界の生活に対する準備もないまま新しい生活を始めようとしますが、ひどい無知と未熟さゆえに混乱し、戸惑うようになります。そこで先輩の霊達に面倒をみてもらうことになります。その指導のもとで、ゼロから生き方を学び直すことになるのです。しかし中には“地縛霊”となって地上近くを徘徊し、地上人に悪影響を及ぼすようになる者もいます。
こうした死後の悲惨なケースがあまりにも多いために、霊界の高級霊達は、地上人類の救いに乗り出すことになったのです。それでは霊界の高級霊が、スピリチュアリズムを通じて地上人にもたらそうとしている救いとは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
真の救いとは、霊的成長の道が示されること
スピリチュアリズムによってもたらされる最高の恩恵は――「霊的成長」という一言に言い尽くされます。すでに述べたように霊的成長こそが、霊的存在である人間にとって最も価値ある永遠的な霊的宝です。スピリチュアリズムの霊的真理は、この霊的成長のために与えられたものなのです。
「霊的真理」は霊的成長を促し、地上人生というごく短い期間に、霊界での生活への準備をさせてくれます。人間は霊的真理を実践することによって地上で必要な霊的成長をなし、同時に霊界での生活への準備をすることができるようになります。まさに「霊的成長の道を示す」ことが、スピリチュアリズムが地上人類に与えようとする救いの実体だったのです。霊的成長こそが、人間にとって最高の恩恵であり、本当の救いなのです。
しかし、これまでの宗教は霊界まで見通した広い視野を持てなかったために、何が地上人にとって最も重要なことなのかが理解できませんでした。人間にとって本当の救いとは何なのかが分かりませんでした。
必ず訪れる死、そして必ず行くことになる霊界――そこでの喜び・幸福に直結する「霊的成長」こそが、地上人類に与えられる“真の救い”に他なりません。スピリチュアリズムは、この本当の救いをもたらすことを目的として、霊界の高級霊達が総力を挙げて進めている大プロジェクトなのです。
(4)スピリチュアリズムの最終目的
――霊的同胞世界・神の愛による霊的大家族世界の確立
“暗黒の地球”
――霊的無知による物質至上主義・利己主義が支配する地上世界
地球という小さな惑星の中で生まれ育った私達地上人は、自分自身の姿を外部から眺めることはできません。外界の様子を全く知らない井の中の蛙と同じです。しかし私達の住んでいる地球を外部から直接見て、隅々まで知り尽くしている人々がいます。それが霊界人なのです。
地球という狭い世界に閉じ込められている地上人は、自分達が住んでいる地球がどれだけ暗く、霊的に低いところであるのかを知りません。しかし霊界という高い別次元の世界から見ると、地球はまさに暗黒の境涯であることが分かるのです。地球は“霊的光”がほとんど届かない暗闇の世界なのです。霊界通信によれば、地球は無数の生命体が存在する惑星の中で、下から2番目に低い霊性の惑星であるということです。
最下層と言ってもいいほどの未熟な地球においては、霊界では常識となっている霊的知識がほとんど知られていません。地球上のほぼすべての宗教が、基本的な霊的真理すら知らずにいます。地球人類は、あまりにも霊的に無知な状態に置かれています。霊界から見たとき地球人類の霊的無知の度合いは、本当にひどいものなのです。
この「霊的無知」が、人々の意識を物質界と肉体に閉じ込め、そこから一歩も外に出られないようにしています。地上人は、物質的欲望・本能(肉体)的欲望を満たすことが幸福であるという錯覚(物質至上主義)にとらわれ、物質的利益や本能的快楽を競って求めています。そして他人を押しのけても自分の物質的利益を獲得しようとし、必然的に醜い争いを発生させることになっています。こうして地球全体が「利己主義」に支配されるようになり、そこからさまざまな悲劇や不幸が地球人類にもたらされるようになったのです。
地球上に蔓延している、さまざまな悲劇・不幸
物質至上主義と利己主義が引き起こす地球上の第1番目の悲劇は――「戦争」です。人間と人間が殺し合いをすることは、地上世界における悲劇の最たるものです。神によって与えられた生命を人間同士が奪い合うことは最大の罪です。他人を殺すことが大罪であると知りながら、現在に至るまで地球人類は戦争をやめることができませんでした。
地球上に人類が登場して以来、戦火の絶えた時代はほとんどありません。今この瞬間も、世界の各地で戦争による殺し合いが行われています。そこでは多くの敵を殺した者が英雄と称えられます。そして高い殺傷能力を持った兵器の開発に各国がしのぎを削っています。
地球上を支配する第2番目の悲劇は――「貧困・飢餓」です。物質的利益を少しでも多く手に入れようとするところからの争いは、一部の力のある者に富を集中させ、大多数の人々を貧困に追いやることになります。現在、世界の4分の1以上の人々が飢餓の状況に置かれています。
神は、地球上のすべての人々(65億人)が十分に食べていけるだけの食料を準備されているのですが、それが不公平に分配されることによって貧困・飢餓といった悲劇が発生しているのです。先進国では、食べ切れなかった食料が大量に捨てられています。その一方で発展途上国には、一日の食にありつけず、ひもじさで苦しんでいる多くの人々がいます。
第3番目の悲劇は――「間違った宗教による霊的弊害」です。地上の宗教の間違った教義や宗教組織が、人々を霊的牢獄の中に閉じ込め、霊的成長の道を閉ざしてきました。宗教は本来、地上人に霊的真理を教え、霊的成長の道を歩ませることをその使命としていますが、これまでの宗教は、人々の霊的成長を促すどころか、反対にそれを妨害してきました。その結果、多くの人々の地上人生が全く無駄なものになってしまったのです。
第4番目の悲劇は――霊的真理がないことによる「精神の堕落」や生きがいの喪失・絶望感といった「心の危機」です。霊的無知の状況に置かれている人々は、自分が何のために生まれてきたのかという地上人生の目的が分からなくなっています。そして人生に意義と価値を見出すことができず、虚しさや絶望感・失望感にとらわれ、無気力状態に陥っています。精神的に荒廃して犯罪を犯したり、自暴自棄になって自殺に走る人間もいます。先進国の人々は物質的には不自由していませんが、心の危機状態からは逃れることができません。多くの人々が精神的地獄の中で生きながらえ、せっかくの地上人生を本当の喜びを知らないまま送っているのです。
第5番目の悲劇は――「動物虐待」と「環境破壊」です。人間が殺し合うことが間違いであるのは、人間の生命が神によって与えられた尊いものだからです。しかし価値があるのは、何も人間の生命だけではありません。動物の生命も神によって与えられた尊いものであり、それを人間が勝手に奪い取ることは許されません。動物は、人間によって殺され食料にされるために神から生命を与えられたわけではないのです。
現在では、摂理に反した動物虐待が当たり前のように行われています。大多数の人々は動物虐待を、間違ったこと・大罪を犯すことだと認識していません。そして虐待は動物に対してばかりでなく、植物や環境に対しても行われています。
こうした残虐行為のすべては、動物・植物に対する利他愛の欠如と人間の傲慢さから生じています。そして動物・植物に対しての摂理に反した罪は、結果的に人間自身に返り、人間を苦しめ窮地に陥れることになっています。
第6番目の悲劇は――「霊的未熟者による霊界の悲劇」です。地上人生を無駄に過ごした人間の多くが、未熟なままで霊界入りすることになります。そして霊界に行ってから後悔し、ゼロから人生をやり直さなければならなくなります。なかにはいつまでも死の自覚を持てず、地縛霊となって地上人にいたずらや悪さをするようになる者もいます。
幽界の下層には、こうした未熟霊・低級霊によって暗黒の領域がつくられています。霊界の高級霊は、出来損ないの霊達を指導教育し、面倒をみなければなりません。地上の悲劇はこのような形で霊界にも悲劇を発生させ、高級霊に多大な面倒をかけることになっています。
高級霊による救済活動の開始
地球上のあまりの惨状を前にして、霊界では高級霊達が結集し、一致団結して「地球人類救済」に乗り出すことになりました。そのための大プロジェクトが立案され、計画にそって綿密な準備が進められました。そして1848年に、地上世界に向けて計画が実行に移されることになりました。それが地上のスピリチュアリズム運動の開始だったのです。
地球上の悲劇は、人類の「物質至上主義」と「利己主義」から発生しています。物質至上主義と利己主義は、地上世界を支配するガンと言えます。その2つのガンは「霊的無知」という、さらなる原因によって発生しています。したがって地球上のすべての悲劇の大もとは霊的無知に帰着します。「霊的無知」は地球上の悲劇の元凶なのです。霊界の高級霊達は、この一番の根本原因を解決するために、地上に「霊的真理」をもたらすことを決定したのです。
スピリチュアリズムの最終目的
地球上の悲劇をなくして地球人類を救うことが、スピリチュアリズムの最終的な目的です。それは「霊的真理」を地上にもたらして霊的無知をなくし、地上を支配してきた物質中心主義を「霊中心主義」に、利己主義を「利他主義」に変えることによって達成されます。霊中心主義と利他主義が地球上に広まれば、地球人類の考え方・生き方は根本から変革するようになります。スピリチュアリズムは、霊的真理による「霊的革命・魂の革命」を興して地球人類を救おうとする史上最大のプロジェクトなのです。
一方、スピリチュアリズムの動きは、地球上から悲劇をなくすことだけにとどまるものではありません。これまでの地球の歴史上に存在したことのない素晴らしい世界を確立することも目的なのです。「霊的真理」が地球上に普及し、真理を実行する地上人(真実の愛を実践する地上人)が増えるにともない、地球上に真実の愛による支配が拡大していきます。そして、すべての地球人類の間に魂と魂の深い結びつきが生まれるようになり、神を共通の霊的親とする「霊的大家族世界」が築かれることになります。世界中の人々が同じ霊的家族として、霊的同胞として愛し合う世界が地球上に到来することになるのです。
スピリチュアリズムが最終的に目指している「霊的同胞世界」、神の愛による「霊的大家族世界」という理想の世界は、これまでの人間常識からは到底実現不可能のように思われるかもしれません。しかしこの計画を進める主役が何百億という高級霊である以上、遠い将来には必ず達成されることになります。「霊的同胞世界」という理想世界・地上天国は今後、何百年という期間をかけて徐々に実現していくことになります。21世紀の現在は、まさにその計画の第一歩を踏み出したところなのです。