8.『シルバーバーチの霊訓』による、2つのスピリチュアリズムの統合化
2つの本格的な高級霊訓
――カルデックの『霊の書』とモーゼスの『霊訓』
1848年、スピリチュアリズムが地上に展開を始めて以来、霊界からのメッセージが少しずつ届けられるようになりました。霊界通信を通して、霊界から高度な霊的知識と霊的真理を地上世界に伝えること――これが“スピリチュアリズム運動”を進めてきた高級霊の最大の願いです。
フォックス家事件以後、早くも1857年には、フランス人アラン・カルデックの編集による『霊の書』が登場しています。この『霊の書』には、スピリチュアリズムが明らかにすべきほとんどすべてのテーマが取り上げられ、それに対する明確な答えが示されています。まさにスピリチュアリズムの高級霊訓にふさわしい内容を備えています。
1858年、カルデックはフランス初の心霊誌『スピリット評論』を創刊し、フランスにおけるスピリチュアリズム運動を開始しました。彼は1861年『霊媒の書』を編集出版しています。カルデックによる2つの書は、その後のラテン系スピリチュアリズム(スピリティズム)の思想的中心となって、大きな影響力を及ぼすことになります。
一方、カルデックに少し遅れて英国では、ステイントン・モーゼスの自動書記によって『霊訓』が書かれています。インペレーターという高級霊からの通信は1873~83年のほぼ10年間にわたって続けられました(*1883年に『霊訓』出版)。その通信内容が自分の信じてきたキリスト教とあまりにも異なり、キリスト教の教義を否定するものであったためにモーゼスは強く反発し、霊界側と激しい議論を展開します。しかし徐々に、スピリチュアリズム思想の本質を理解していくことになります。
この『霊訓』には、スピリチュアリズム思想のエッセンスがあますところなく記されており、“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれるにふさわしい内容を備えています。モーゼスの『霊訓』は、英国系スピリチュアリズムの思想的中心として、その後、世界中のスピリチュアリズムに大きな影響を与えることになります。
スピリチュアリズム“最大の不幸”
――スピリチュアリズムの2分裂
英国系スピリチュアリズムとフランス系(ラテン系)スピリチュアリズムが協力関係を維持することができていたならば、地球上には1つのスピリチュアリズムだけが存在したはずでした。スピリチュアリズムを進めてきた霊界の高級霊にしてみれば、それが当然の姿です。しかし英国系スピリチュアリズムとフランス系スピリチュアリズムは、対立状態・分裂状態に陥ってしまいました。その後、2つのスピリチュアリズムは歩み寄ることなく、別々の道をたどるようになります。
英国系スピリチュアリズムは英語圏を中心に広がり、フランス系スピリチュアリズムはラテン諸国や南米を中心に拡大していきます。フランス系スピリチュアリズムは、英国系スピリチュアリズムとの違いを明らかにするために、自らを“スピリティズム”と呼んでいます。彼らは、英国系スピリチュアリズムと、自分たちのスピリティズムは別物であると主張しているのです。
当時のスピリチュアリズム大国というべき英仏両国が対立するようになった事態は、スピリチュアリズム全体にとって最大の不幸な出来事と言えます。
2つのスピリチュアリズムの対立点とは?
――「再生論」をめぐる見解の相違
2つのスピリチュアリズムが対立関係に至るようになった一番の原因は、「再生論」をめぐる見解の相違でした。カルデックによって確立されたフランス系スピリチュアリズム(スピリティズム)では、再生をその思想の中心としています。「再生論」は、スピリティズムの核心部分となっています。再生論に基づいてスピリティズムの救済論が展開されています。スピリティズムにとって再生論を否定することは、そのすべてを否定するに等しいことなのです。
それに対して初期の英国系スピリチュアリズムは、この「再生論」を否定します。再生論は東方(オリエント)の影響を受けたドグマにすぎず、低俗な思想であるという見解に立っています。エンマ・ハーディング、モーゼス、クルックス、オーエン、フィンドレーなどの歴代の英国スピリチュアリストたちは皆、再生を認めませんでした。
こうして「再生論」をめぐっての意見の違いは、歩み寄りさえできないほどに両者を隔てることになってしまいました。そして、そうした状況が長い間続いてきました。
*この背景には、英国スピリチュアリズムと神智学の複雑な関係が存在します。1875年(フォックス家事件から27年後)、ブラヴァッキー夫人は、米国人パートナーのオルコット大佐とニューヨークで神智学協会を設立しました。「神々の知恵」という意味を持つ“神智学”は、東洋の宗教哲学やオカルトを、夫人が壮大な思想にまとめ上げたものです。夫人にはそれなりの霊能力もあり、初めは霊能者として活動していました。スピリチュアリズムとの関係も深く、オルコット大佐との縁もスピリチュアリズムを通じてつくられました。
スピリチュアリズムと神智学は、多くの点で思想的共通性を持っています。反唯物主義、反キリスト教という傾向においても一致します。そのため設立当初(1880年代)には、スピリチュアリストたちとの間に密接な交流がありました。大勢のスピリチュアリストが、神智学徒になるといった状況も見られました。英国スピリチュアリズムの立役者エンマ・ハーディングは、ニューヨークで開かれた神智学の最初の会合に参加していたほどです(*やがて彼女は「輪廻思想」をめぐって神智学協会から離脱します)。また1885年前後には、ステイントン・モーゼス(『霊訓』を記した霊媒)も、数年の間ですがブラヴァッキーと親しい関係を維持していました(*モーゼスもその後、ブラヴァッキーに失望して関係を絶っています)。
ブラヴァッキーは協会設立後、徐々にスピリチュアリズムに対する否定的見解をあからさまにしていきます。スピリチュアリズムに対する敵意を表明するようになり、神智学とスピリチュアリズムは衝突し対立するようになります。ブラヴァッキーは、スピリチュアリズムにおける“交霊会”を否定しました。スピリチュアリズムにとっては、特定の死者との交信は、スピリチュアリズム成立の大前提であり存在の根拠です。それを神智学が否定し、意味のないものと決めつけたのです。もともと英国スピリチュアリストの大部分は“輪廻”を認めていなかったところに、スピリチュアリズムの根幹とも言うべき交霊会を否定されるということが重なり、英国スピリチュアリズムは神智学と決定的な対立関係に立つことになります。
一方、1885年には、SPR(英国心霊研究協会)が派遣したホジソンが、インドに本部を移していたブラヴァッキーの詐欺行為を暴露し、歴史上最大のペテン師と公表するに及びました。ブラヴァッキーは、マハトマなる聖人から通信を受けていたと言ってきましたが、それがすべて“インチキ”であることが露見し、
英国系スピリチュアリズムとフランス系スピリチュアリズムと神智学の違いを整理すると、次のようになります。
交霊会 | 再生 | |
---|---|---|
英国系スピリチュアリズム | ○ | × |
フランス系スピリチュアリズム | ○ | ○ |
神智学 | × | ○ |
*英国系スピリチュアリズムの思想的中心が、スピリチュアリズムのバイブルと言われた『霊訓』です。その霊界通信の受信者(霊媒)がモーゼスですが、彼は生前、一貫して「再生論」に否定的な立場をとってきました。そのため彼の受信した『霊訓』も同じ見解(再生否定論)であるかのように受け取られていますが、実際には『霊訓』(通信霊インペレーター)は再生を否定しているわけではありません。
モーゼスの死後、スピーア夫人によって未掲載分(『霊訓』に載った以外)の通信の一部が編集されて『続・霊訓』として新たに出版されましたが、その中には、むしろ「再生論」を認めるような内容が見られます。インペレーター霊は 「地球上でこれまで一般に信じられてきたような形での再生説(古代インド思想のような機械的再生説)は間違いである」「偉大な霊が人類の啓発のために自ら志願して地上に降誕したり再生することは、これまでの地上の歴史にいくつかの例がある」また「霊性の汚れが極端な場合は、最低界に沈んでから改めて生まれてくることがある」といったことを述べています。さらには「再生の事実については、今の時代(19世紀後半)では、霊界の判断によって広言を避けている一面がある。今はまだその時期が熟していない」とも述べています。また別のところで「再生の問題は、よくよく進化した高級霊にして初めて論じることができる問題である」とも言っています。
要するに『霊訓』は再生を否定しているのではなく、これまでの「一般的な再生論は間違いである」と言っているのです。インペレーター霊が言うように、世間一般で考えられているような再生論は間違いです。その意味では「再生はない」と言うこともできます。
その後、1920年代に至ってシルバーバーチが登場するようになり、正しい再生論が説かれることになりました。
英国系スピリチュアリズムの内部から現れた「再生論」
英国系スピリチュアリズムでは、長い間「再生論」が否定されてきました。今述べたように“神智学”に対する反発が、英国スピリチュアリズム主流派の再生論否定の流れをつくり出してきた一面もあります。(*神智学は、霊界との交信を認めないという点でスピリチュアリズムの根幹を否定し、その一方で強力な「再生論」を主張しています。)
ところが1920年頃になって、英国スピリチュアリズムの内部から「再生論」を説く霊界通信が現れるようになってきました。その代表がマイヤースやシルバーバーチやホワイトイーグルの通信です。英国内における再生論容認の動きは徐々に広がり、1950年頃には、英国スピリチュアリストの中にも「再生論」を受け入れる人々が増えるようになりました。
特に『シルバーバーチの霊訓』における“類魂”という霊的事実を中心とした再生論は、きわめて説得性のあるものです。この『シルバーバーチの霊訓』の登場によって、英国スピリチュアリズムのそれまでの再生否定論に大きな変化が生じることになりました。シルバーバーチによれば、霊界にいる霊であっても、一定の霊性レベルに至らないかぎり、再生の事実を理解することはできないということです。そうした霊たちも、その後の霊的成長にともない再生が事実であることを理解するようになることを明らかにしています。
『シルバーバーチの霊訓』による、2つのスピリチュアリズムの統合化
シルバーバーチやホワイトイーグルなどの登場によって、これまで再生論否定であった英国スピリチュアリズムが、根底から揺り動かされるようになりました。これは英国スピリチュアリズムの主流派にとっては、最大の危機的状況と言えます。これまで軽視してきたラテン系スピリチュアリズムが正しくて、再生を否定してきた自分たちが間違っていたということになるからです。『シルバーバーチの霊訓』による再生論の展開は、スピリチュアリズムに大きな変化をもたらすことになりました。
シルバーバーチの出現によって長い間2つに分裂してきたスピリチュアリズムは、1つに統合される可能性が出てきました。シルバーバーチの説く真理の内容は、モーゼスの『霊訓』・カルデックの『霊の書』と基本的には同じであっても、その説明の豊富さ・深さ・説得性・緻密性・スケールの大きさなど、どの点をとっても一段と優れています。これまで“2つのバイブル”によって導かれてきた英国系スピリチュアリズムとラテン系スピリチュアリズムが、より次元を高めて1つに歩み寄る道が示されることになりました。
英国系スピリチュアリズムとフランス系スピリチュアリズム(スピリティズム)の最大の対立点は、「輪廻再生」にありました。この問題をめぐっての対立は、シルバーバーチの登場によって、次のように克服・統合されるようになります。
シルバーバーチは再生の複雑な仕組みを、インディビジュアリティー(意識の総体)とパーソナリティー(肉体を通して示される人物像)という概念を用いて画期的な説明をしています。(*その詳しい内容については「スピリチュアリズムの思想1」において説明していますので、ここでは省略します。)
再生は“インディビジュアリティー”を基準として考えないかぎり、正しく理解することはできません。“パーソナリティー”を基準とした考え方では、真実の再生を説明できませんし、間違ってしまいます。そうした再生は実際には存在しません。ところがこれまで地球上に存在してきた再生論はすべて、その間違った再生論――すなわち“パーソナリティー”を基準としたものだったのです。したがって、「これまで人類が考えてきたような再生はない」ということになります。古代インド思想における輪廻は、神智学などにも影響を与えましたが、そうした単純な再生は実際には存在しなかったのです。神智学で言うような再生はありません。「神智学が主張する輪廻再生は事実ではない。間違っている」ということなのです。こうした複雑な事情を考慮しないかぎり、再生の是非を論じることはできません。
さて、英国系スピリチュアリズムは再生を否定してきましたが、それを神智学に代表される“パーソナリティー”を基準とした再生論とするならば、否定するのは正しい見解ということになります。英国スピリチュアリズムが
一方、再生の事実を強力に主張してきたフランス系スピリチュアリズム(スピリティズム)の見解は、それをシルバーバーチによって明らかにされた“インディビジュアリティー”を基準とした再生論であると考えるなら、これもまた正しいということになります。高級霊が示した再生とは、言うまでもなく「霊界の事実」としての再生であり、“インディビジュアリティー”を基準としたものを意味しています。
このようにシルバーバーチによって示された「再生論」において、両者の見解の食い違いは明瞭に解決され、それと同時にそれぞれの見解が正当性を持っていることが明らかにされるようになりました。再生をめぐっての両者の見解の食い違いは、シルバーバーチの再生論によって見事に整理されることになったのです。
今、地球上のスピリチュアリズムは、『シルバーバーチの霊訓』という最高の霊界通信によって1つに統合する時期を迎えています。地球上のスピリチュアリズムは紆余曲折の歩みの末、やっと一本化して新たな発展に向けて出発する段階に至ったのです。