マザー・テレサの「心の闇」の問題

ニューズレター第50号

【1】死後、明らかにされたマザー・テレサの「心の闇」

Come Be My Light”出版の大反響

インドの貧民街の聖女マザー・テレサは、献身的で犠牲的な奉仕活動によって世界中の人々から讃美と敬意を集め、1979年にはノーベル平和賞を受賞しました。マザー・テレサの人生は、宗教の壁・人種の壁を越えた無償の純粋な利他愛の歩みそのものであり、物質文明に毒された地球上の人々に、人間としての尊厳と理想像を示すことになりました。マザーは、まさにキリスト教の神の愛の実践者でした。

マザーは1997年、87歳で、インドのコルカタで他界しました。このときマザーが始めた「神の愛の宣教者会」の活動は世界123カ国に広がり、それに従事するシスターの数は3914人にのぼっていました。マザーの葬儀には、自由主義諸国ばかりでなく、社会主義圏の国々もこぞって追悼文を送りました。

マザーの死後、彼女をカトリックの聖人に列するための列福運動が始まり、そのための調査が進められました。そうした動きの中で、マザーの列福運動の担当者の一人で「神の愛の宣教者会」の司祭であったブライアン・コロディエチェク神父によって、マザーが霊的指導者(カトリックの神父)たちとの間で交わした40通以上もの手紙が、一冊の本として出版されることになりました2007年・DOUBLEDAY RELIGION発行)。そしてそこに掲載されたマザーの手紙の内容が、世界中に大きな衝撃と反響を巻き起こすことになりました。

マザーが懺悔聴聞司祭ざんげちょうもんしさいたちに送った書簡(手紙)には、生前は世間に一切知られることのなかったマザーの内面が赤裸々につづられていました。それは一般に知られてきたマザーのイメージから大きく懸け離れたもので、生前のマザーのイメージを覆すような内容でした。この本(“Come Be My Light”)の出版に先立って、その中に掲載されている手紙の一部(抜粋)と論評が米タイム誌に取り上げられ、世界中にマザーの隠された一面が報じられることになりました。

Come Be My Light”という英語のタイトルを見ると、闇の中にいるマザーが主(イエス)に向かって「主よ、私のところに来て、私の光となってください(私を助けてください)」と訴えているかのように思われますが、実はこの言葉は、イエスがマザーを召命した際に、イエスがマザーに語った言葉なのです。

したがって「汝マザーよ、立ちて(来たりて)、私の光となれ!」という意味になります。

「Come Be My Light」のカバー

生前のイメージを崩すマザーの「内面告白」

マザーを敬愛する人々は、神に対する深くて不動の信仰心が彼女の献身的・犠牲的な奉仕活動の源であり、純粋な利他愛の土台であると思ってきました。マザーはしばしば神への信仰を力強く語り、人々を励まし勇気を与えてきました。マザーは絶えず神に感謝の祈りを捧げています。私たちは、神への信仰のゆえにマザーの人生は、常に明るく積極的で希望に満ちたものであったと考えてきました。

ところが彼女が霊的指導者(霊的指導担当の神父)たちに宛てた手紙には、それとは全く反対の“神の存在への疑念”が延々と述べられていたのです。“Come Be My Light”の出版によって、マザーを悩ませ苦しめてきた「心の闇(霊的闇)」の存在が広く知られるようになりました。

マザーの内面告白を綴った手紙は、多くの人々、特にキリスト教関係者に大きなショックを与えることになりました。人々は、マザーを理想的な信仰者・揺るぎない不動の信仰者と考えてきたからです。まさかマザーが神の存在に疑念を抱き、亡くなる直前まで“神の不在感”という「心の闇」に悩み苦しんできたことなど想像だにしなかったのです。

一部の神父だけが知っていたマザーの「心の闇」

生前のマザーの「心の闇(霊的闇)」について知る人間は、5人の神父を含むほんのわずかな教会関係者だけでした。マザーが自分の心の悩みを打ち明け救いを求めたのは、マザーの霊的指導担当者として懺悔告白を聞く立場にあった神父たちでした。いずれも“イエズス会”の神父たちで、ペリエール大司教、ヴァン・エクセム神父、ピカシー神父、ノイナー神父、ピート神父の5人です。

彼らの他には、マザーの身近にいて長年ともに奉仕活動に携わってきたシスターたちでさえもマザーが最も信頼し、自分の後継者として指名したシスター・ニルマラさえも)、マザーの「心の闇」の存在を知ることは一切ありませんでした。マザーの死後、その内面の闇を知ったシスターたちが、たいへんなショックを受けたのは当然のことです。彼女たちは、どのようにしてそのショックを乗り越えたのでしょうか。

神の存在に対する確信の上に堅固なキリスト教の信仰を確立していると思われていたマザーが、実は神の存在について疑念を抱いていたということは大きな驚きです。またそうした「心の闇」を告白したマザーの手紙を、カトリック教会関係者が一般向けに出版することを許可したことにも驚かされます。もちろんカトリック教会側には、マザーの内面告白を公表することが彼女の信仰を一方的におとしめるものではなく、カトリック教会の権威を傷つけるものでもないという確信があってのことだと思われます。

しかしそうしたカトリック教会の思惑とは別に、 マザーが終生「心の闇」に悩んでいたという事実の公表は、世界中に大きな波紋を引き起こすことになりました。

マザーの「心の闇」の軌跡

マザーは5人の霊的指導担当者に、自分の「心の闇(霊的闇)」をどのように告白していったのでしょうか。マザーがたどった「心の闇」の軌跡を、出版本に掲載された手紙の一部を引用して見ていくことにします。

◆1953年(マザー43歳)

――ペリエール大司教への告白

「私の心の中に恐ろしい闇があるために、まるですべてが死んでしまったかのようです。私がこの仕事インド貧民街での奉仕の仕事)を始めるようになって間もないときから、このような状態がずっと続いています。」

◆1954年(マザー44歳)

――ペリエール大司教への告白

「私の魂は、深い闇と悲しみの中に置かれたままです。でも私は不平を言うようなことはいたしません。神が望まれることはすべて、私を用いて成就していただきたいのです。」

◆1955年(マザー45歳)

――ペリエール大司教への告白

[2通の手紙から]

「私の心の中には、表現できないほどの深い孤独があります。」

「私のために祈ってください。私の心のすべてが氷のように冷たいのです。私を支えていた疑うことを知らない信仰は、実際には私にとって、すべて闇を生み出すだけなのです。」

◆1956年(マザー46歳)

――ペリエール大司教への告白

「時々、寂しさの苦痛があまりにも大きいのです。同時に、いなくなってしまった方(イエス)への思慕の情があまりにも深いのです。」

◆1957年(マザー47歳)

――ペリエール大司教への告白

[2通の手紙から]

「私の魂の中には、あまりにも多くの矛盾があります。神への深い思慕の情――神との触れ合いを渇望するその思いが、繰り返し私に苦しみを与えるのです。私は神から求められてはいません。神から拒絶され、虚しく、信仰もなく、愛もなく、熱意もありません。私の魂には何ひとつ魅力あるものがありません。天国は何の意味もありません。それは私には空虚な場所のようにしか感じられません。」

「私のために祈ってください。私がイエスにずっと微笑んでいられるように祈ってください。私は“神がいない”という地獄の苦悩を少し理解しています。しかし、それを表現する言葉が見つかりません。」

◆1958年(マザー48歳)

――ペリエール大司教への告白

「どうか私のために祈ってください。神への思慕の情が、私の心に恐ろしい苦痛を与えています。闇は大きくなるばかりです。何という矛盾が私の心に存在するのでしょう。苦痛があまりにもひどいので、あらゆる世間の評判や人々の話に何も感じることができません。」

◆1958年(マザー48歳)

――ペリエール大司教への告白

[一時的に「心の闇」が消滅した後、再び「心の闇」を体験するようになって]

「主は、私が闇の中にいる方がよいと思っておられるようです。主は、私一人を残してまた去ってしまわれました。」

◆1959年(マザー49歳)

――ピカシー神父への告白

[この手紙の中で、マザーは次のような神(主)への祈りを綴っている]

「主よ、あなたが見捨てなければならない私は、いったい誰なのでしょうか? あなたの愛する子供は今、最も嫌われ者になっています。あなたから求められず、愛されず、私はあなたから捨てられてしまいました。私はあなたを呼び求め、すがりつきますが、あなたは応えてくれません。闇はあまりにも暗く、私は孤独です。求められず、見捨てられて、私は独りぼっちです。愛を求める心の寂しさに耐えられません。

私の信仰は、いったいどこに行ってしまったのでしょうか? 心の底には、虚しさと闇しかありません。主よ、この得体の知れない痛みは、何と苦しいことでしょう。絶えず私の心は痛みます。私には信仰がありません。私の心に次々と湧いてくる考え、私を苦しめる言葉にできない苦悩を口にすることはできません。答えを見い出すことのできない多くの疑問が、私の中に存在しています。私はそれを打ち明けるのが怖いのです。それが神を冒涜ぼうとくすることであると思うと……。もし神がおられるのなら、どうか私を許してください。すべてがイエスとともに天国で終わるという希望を、信じさせてください。(中略)

――その言葉は何の喜びも私にもたらしません。神が私を愛していると教えられてきました。しかし闇と冷たさと虚しさに満ちた現実があまりにも大きいため、私の心は何の喜びも感じることができません。私が(奉仕の)仕事を始める以前には、愛も信仰も神への信頼も祈りも犠牲精神も私の中にありました。主の呼びかけに忠実に従う中で、私は何か間違いをしでかしたのでしょうか? 主から与えられた奉仕の仕事に、私は疑いを持ってはいません。その仕事は私個人のものではなく、神ご自身のものであると確信しています。(中略)

彼等同じ奉仕に携わるシスターたちや世の人々)は、私の心の中には神への信仰と信頼と愛が充満し、神との深い交わりと神のご意志との結びつきが心を駆り立てているに違いないと思っています。彼らは、私が表面上の明るさという仮面によって、どれほどの虚しさと苦悩を覆い隠しているのかを知りません。(中略)神よ、あなたはあまりにも小さき者に何をしておられるのですか?」

マザーはこのように“神の不在感”という「心の闇(霊的闇)」の苦しみを、しぼり出すようにして神に訴えています。しかしその後で――「もしこれがあなたに栄光をもたらすのなら、もしこれであなたが喜びを得るのなら、もしこれで人々の魂があなたの御許みもとに導かれるのなら、もしこれが主(イエス)の渇きを十分に満たすことになるのなら、私は喜んで、人生の最後までこの苦しみを受け入れます」と述べ、キリスト教の信仰者としての道を歩むことを誓っています。

ところがその2ヵ月後には、再び同じような内容の手紙をピカシー神父に送っています。「心の闇」の苦悩を告白し、神への悲痛な祈りを綴っています。

「主よ(イエス様)、あなたは幼少期より私を召命され、あなた自身のものとしてこられました。私たちは共に同じ道を歩んできましたが、今、私はそれに背いて別の道を行こうとしています。地獄にいる者は、神を見失ったために永遠の苦しみを味わうようになると言われていますが、そうした彼らでも“神がいる”というわずかな希望があるならば、あらゆる苦しみを耐え忍ぶことができます。

しかし私の魂は神を見失い、神が私を必要としていない、神が存在していないという魂の激痛にさいなまれています――主よ、どうか私の不敬をお許しください。私は「すべてを語るように」と言われました――私をすっぽりと取り囲んでいる闇の中で、私は自分の魂をあなたに向けて高めることができません。光もインスピレーションも私の魂に入ってきません。私は人々の魂に向けて、神の慈愛を語っていますのに……

私は、いったい何のために働いているのでしょうか? もし神が存在しないとするなら、魂は存在できません。もし魂がないのなら、主よ(イエス様)、あなたも真実ではありません。(中略)

私の心には信仰がありません。愛も信頼もありません。あまりにもひどい苦痛があるだけです。(中略)あなたと私との間には、恐ろしいほどに高い垣根(分離)があります。私はもうこれ以上、祈ることはできません。あなたと私を結びつける祈りは、もはや存在しません。私はもう祈りません。私の魂はあなたと一つではありません。(中略)

私はあなた(イエス様)が、大きな愛と力をもって私を今の仕事に召命された事実を疑ってはいません。私を呼び寄せられたのがあなたであったことを、私は知っています。この仕事は、あなた自身がなすべきものであるからです。しかし私には信仰がありません。私は信じていません。イエス様、私の魂を惑わせないでください。」

やはりこのときも神への訴えの後に――「もし私の痛みと苦しみが、私の暗闇と分離があなたを慰めることになるのなら、主よ(イエス様)、私をあなたの望まれるようになさってください(中略)。私はあなた自身のものです。私の魂に、あなたの心の苦しみを刻印してください。私の感情を気にしないでください。私の痛みを心にとめないでください。(中略)主よ、今だけでなく、今後永遠に私が苦しみ続けることをあなたが望まれるのなら、あとのことは心配しないでください。たとえ苦痛で弱った私の姿を見ても……。これは、すべて私の願いです。私はいかなる犠牲を払ってでも、あなたの渇きを癒して差し上げたいのです」と述べ、心の闇の苦しみの中にあっても、すべてをイエスに委ねて受け入れ、キリスト教の教義にそった方向で内面解決の道を見い出そうとする態度を表明しています。

大きく乱れ、激しく揺れ動くマザーの心の様子が手にとるように伝わってきます。

◆1961年(マザー51歳)

――ノイナー神父への告白

「ここ11年間で、私は初めて闇を愛することができるようになりました。なぜなら今の私は、この闇が地上でイエスが味わった闇と痛みのほんの小さな一部分にすぎないことを信じているからです。」

マザーはノイナー神父の霊的指導によって「心の闇(霊的闇)」を、イエスから与えられた仕事の一部分として理解し、自分が体験している闇の苦痛をイエスが味わった苦しみとして受け入れようとしました。このときマザーは、これまで闇で傷ついた心を一時的に開放することができたようです。明らかにマザーにとって霊的な転機・信仰の転機が訪れたようです。しかし、それによってマザーの心に完全な安らぎ・平静がもたらされたわけではありません。依然として「心の闇」は存在し続けたのです。

半年後、マザーはノイナー神父に次のような告白をしています。

「私自身について言えば、闇はとても暗く、痛みはとても辛いために、何も語ることはできません。時々、苦痛の支配がとても大きいのです。 “神よ、助けてください”という私の魂の叫び声が聞こえるのです。(中略)私の前にいるシスターたちは、神を愛し、神に近づき、日々成長の歩みをしています。しかし私は、孤独そのものなのです。空虚で、神から除外され、求められていません。」

◆1962年(マザー52歳)

――ピカシー神父への告白

「神はこのような状態にある私から、いったい何を得ることができるのでしょうか。私には信仰もなく、愛もないのです。先日来、私の心がどれほど暗く落ち込んでいたか、語ることさえできません。(中略)闇はあまりにも暗く、痛みはあまりにも辛いのです。(中略)

人々は、私の信仰を見て、神のもとへ引き寄せられると言います。これは人々を偽っていることにならないでしょうか? 私は、本当のことを言いたいのです。“私には信仰はありません”と伝えたいのです。しかし、その言葉を口にすることはできません。」

◆1964年(マザー54歳)

――ピカシー神父への告白

「私の魂は、あまりにも暗く、あまりにも痛く、あまりにもひどいのです。(中略)私は神を拒絶したい気がします。私にとって何よりも耐え難いのは、神の存在を渇望する強烈な思いなのです。この苦痛に満ちた心の闇のために、私がイエスからユダになってしまうことがないように祈ってください。」

◆1965年(マザー55歳)

――ノイナー神父への告白

「私の心と魂が求めに求めている主がいなくなってから、私の心には何も存在しません。孤独があまりにもひどいのです。どこにも頼れる人は見つかりません。神は霊的なものだけでなく、人の助けさえも奪ってしまわれました。私は誰とも話をすることができません。たとえできたとしても、私の魂には何も入ってきません。(中略)神がいないことはどれほど辛いことでしょう。祈りもなく、信仰もなく、愛もありません。」

◆1967年(マザー57歳)

――ノイナー神父への告白

「これノイナー神父と会ったのに何も話せなかったこと)は、私の魂がどれほど空虚かということを示しています。(中略)私の魂はどれほど神を、ただ神だけを追い求めていることでしょうか。神がいないことが、私の心にどれほど大きな痛みをもたらしていることでしょうか……。」

◆1979年(マザー69歳)

――ピート神父への告白

[ノーベル賞受賞の3ヶ月前]

「イエスは、あなた(ピート神父)を非常に愛しておられます。(中略)しかし私はといえば、沈黙と虚しさがあまりにもひどく、見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえません。祈りで舌は動きますが、何も話せません……。(中略)どうか私のために祈っていただきたいのです。」

すでに69歳になったマザー、しかもノーベル賞を受けようとする直前においてもその心には依然として“神の不在感”が横たわり、彼女を悩ませ苦しめていました。

◆1985年(マザー75歳)

――アルバート・ヒュアート神父への告白

「私がシスターや人々に神や神の仕事について口を開くとき、その人たちに光と喜びと勇気をもたらすことをよく理解しています。しかしその私は、光も喜びも勇気も何も得ていないのです。内面はすべて闇で、神から完全に切り離されているという感覚です。」

ヒュアート神父は、2001年、マザーとピカシー神父との間に交わされた手紙を神学雑誌に載せ、マザーの「心の闇」の存在を初めて世間に公表しました。

ノーベル賞を受賞してから他界するまでの期間にも、マザーが神父たちに内面の問題を相談していたことが“Come Be My Light”の中(第13章)で明らかにされています。死が迫った時期においても「心の闇」に苦しみ内面葛藤の日々を過ごしていた事実を、1995年マザー85歳、死の2年前)にマザーと会ったカーリン主教が証言していますただしカーリン主教は、彼がマザーに「霊的枯渇状態を主(イエス)からの特別な贈り物として神に捧げるように……」と提案すると、マザーはその言葉を受け入れたとしています)

聖人ともくされてきたマザーが“神に対する疑念”を告白していたことは、多くの人々にたいへんな驚きとショックを与えました。まさかマザーにこんな一面があったとは、誰も想像していませんでした。しかも驚いたことに、その「心の闇」はずっとマザーに付きまとい、マザーが他界する直前まで続いていたのです。

「心の闇」と、キリスト教の教義による受容との間の内面葛藤

今回出版された“Come Be My Light”の編集執筆者(コロディエチェク神父)は、マザーの「心の闇(霊的闇)」の存在に焦点をしぼり、その事実を世間に公表しました。この本はカトリック関係者によって出版されたことから明らかなように、マザーの「心の闇」を不信仰という形で示そうとしたものではありません。また、マザーの告白内容によってキリスト教のイメージが崩されるようになるとは考えていなかったことも分かります。

編集執筆者は、マザーに「心の闇」があり、それがマザーの人生の50年近くにわたって存在し続けてきた事実を示すと同時に、マザーが「心の闇」の悩みを複数の神父たちに告白し、キリスト教的な霊的指導を受ける中で教義に従って乗り越えようとしてきた歩みも伝えています。

マザーが自分の霊的指導者たちに「心の闇」の苦しみを訴えるたびに、彼等はキリスト教の教義にそった答えを示し、「心の闇」に対する姿勢や克服の方法(考え方)を教えてきました。キリスト教の中に身を置いているマザーには、神父たちが示す方向性は満足できるものではなくても、正しいものとして受け止められていたはずです。

特に「心の闇」が発生するようになって10年ほど経ったとき1961年、マザー51歳のとき)に出会ったノイナー神父による指導は、マザーの心を揺り動かして大きな転機をもたらすことになりました。そのときマザーは、初めて得心がいく答えを与えられたと思ったようです。ノイナー神父との出会いがきっかけとなり、「心の闇」を前向きに積極的に受け止めようとする姿勢に変っていくことになります。しかし、それによってマザーの心から闇が消滅したわけではありません。その後も他界するまで苦しみは延々と続くことになります。

マザーは、神父たちに「心の闇・霊的渇きの苦しみ」を訴え、彼等によるキリスト教的な指導を受け入れ心を治めようとします。それでもマザーの「心の闇」は消え去ることはなく、ある神父に悩みを打ち明けたかと思えば、また別の神父に相談するといったことを終生続けていったのです。

マザーのこうした心の動きをたどっていくと、自分が抱える「心の闇」とキリスト教の教義との間で激しく揺れ動き、苦悩してきたことが分かります。何よりも死を控えた時期においても心が満たされない状態を訴え、指導を仰いでいたという事実は、マザーが人生の最後の最後まで内面葛藤の苦しみの中にあったことを端的に物語っています。

【2】マザー・テレサの「心の闇」に対する、さまざまな反応

マザー・テレサという“信仰者のかがみ”と思われてきた人物が“神の存在への疑念”を抱いていたという事実は、キリスト教関係者に衝撃を与えただけでなく、他の宗教や一般の人々の間にも大きな反応を引き起こすことになりました。

ここではマザーの「心の闇(霊的闇)」の告白に対する、さまざまな反応と見解を見ていきます。

キリスト教関係者の見方・見解

キリスト教関係者は、マザーの「心の闇」を信仰の危機として捉えるのではなく、むしろその闇はマザーの信仰にとってプラスをもたらすものであったと認識しようとします。マザーの苦悩をイエスや貧しい人々の苦しみと重ね合わせ、それはイエスや貧しい人々と苦しみを分かち合い共有する体験であったとするのです。そしてその内面葛藤を通してマザーは、人類を救おうとするイエスの苦しみの一端を担うことができたと言うのです。

実際にマザーは、こうしたキリスト教的な考え方にそって「心の闇」の苦しみを受け入れようとします。それがイエスの使命に寄与することであり、イエスから与えられた自分の使命であると理解しようとしたのです。キリスト教関係者の多くは、マザーは信仰における喜びと苦しみの両方を体験しながら信仰の道を全うした、としています。

Come Be My Light”の編集執筆者であるコロディエチェク神父も、まさに同じように捉えています。彼は「結び(最終章)」で次のように述べています。

「マザーが最初、イエスから召命されたときには、彼女は光で満ち溢れていました。マザーが聞いたその声は、彼女の魂を神の近くに引き寄せ、よりいっそう神を求めさせることになりました。ところが神の光は、その後すぐに不在の闇となってしまいました。あとに続いた寂しさは、マザーがそれ以前に味わった強烈な慰め・喜びと同じくらい激しいものでした。

マザーは十字架の秘密を共有するために、キリストの受難を通して神と一つとなるために、また彼女が奉仕する貧しい人々と一つとなるために召命されました。イエスの苦しみを共有することで、マザーは『貧しい人々の中の最も貧しい人のため』というイエスの渇きの痛みを深く認識することになりました。彼女が体験し手紙に記した心の闇は、容赦のない苦痛でした。(中略)この厳しい試練の最初から最後まで、マザーは自分の使命に忠実であり続けました。(中略)イエスから愛されず、必要とされていないと感じる心の痛みを乗り越えて、マザーはイエスへの愛を示すために、またイエスに喜びを与えるために、最大限の努力をしました。(中略)マザーの闇の苦痛は、はりつけにされた配偶者(イエス)と彼女をより親密に結びつけることになりました。」

キリスト教関係者が言うように、マザーの「心の闇(霊的闇)」がイエスの苦しみを共有する体験であるとするなら、それはイエスと固く結ばれるきっかけとなります。苦しみに耐えることでイエスとの絆が深まり、苦しみは喜びへと引き上げられることになります。さらに苦しみが大きければ大きいほど、イエスとの関係は密接なものとなり、より大きな喜びが得られるようになります。事実、マザーはこうしたキリスト教的な解釈によって「心の闇」を受け入れ、その苦痛を乗り越えようとしました。

しかしそのような解釈では、マザーの魂から発する“霊的欲求”を満たすことはできませんでした。一時的には理性で納得しても、時間をおくと再び心の中に闇の苦しみが湧き起こり、激しい葛藤を繰り返すことになりました。そしてその苦しみは、人生の最後に至るまで続いていくことになったのです。

カトリック教会サイドでは、マザーは「心の闇」を抱きつつも、霊的指導者たちの導きを受けてそれをキリスト教的に受け止め、喜びに転じていくようになったと考えています。「心の闇」は確かに存在したけれど、それはマザーにとって決定的な信仰の危機を招くような深刻なものではなかったと捉えています。

しかし現実には、マザーは繰り返し闇にとらわれ、悩み苦しんできました。マザーの心は「霊的闇」の苦悩と「キリスト教的な解釈」による克服という葛藤の中で激しく揺れ動き、その葛藤は死を迎える直前まで続いていたのです。こうした事実からして、キリスト教関係者が主張するように「心の闇」がマザーの信仰にプラスになったとは、とうてい考えられません。

「心の闇」の苦しみは、イエスの苦しみを共有する体験であるとの認識は、キリスト教の教義に基づくものです。しかしその教義自体が間違っているとするなら、「心の闇」をキリスト教的な解釈によって乗り越えようとしたマザーの内面葛藤は、すべて的外れであったということになってしまいます。

“スピリチュアリズム”から言えば、マザーの「心の闇」の問題はキリスト教の教義の間違いから発している、ということです。キリスト教会の霊的真理に対する無知が、マザーを長期間に及ぶ苦悩の道に追いやることになったのです。キリスト教の教義の間違いが、マザーに「心の闇」という悲劇をもたらすことになったのです。

こうした点については【5】で詳しく取り上げます。

他宗教やキリスト教他宗派の見方・見解

イエスを救世主とは認めないキリスト教以外の宗教イスラム教・ユダヤ教・仏教など)からすれば、熱心なクリスチャンであったマザー・テレサが神の存在に疑念を抱き、人生の長い期間を苦しみ続けてきたという事実は、キリスト教の教義そのものの間違いを証明しているということになります。

一方、マザーと同じキリスト教に属しながらも、正統派の教義三位一体論・贖罪論など)を認めないキリスト教の他宗派の人々も、カトリックの教義が間違っていたためにこうした結果を招いたのだと考えます。そして自分たちの宗派の教義こそが真実であるとの優越心に浸ることになります。

しかし、そうした他宗教・他宗派に属する人々が自分の心を厳しく見つめてみたとき、本当に神の存在を実感していると断言できるでしょうか? また自分と同じ宗教・宗派に属する者たちがマザーの心の揺らぎを非難できるほど立派な人間であるかどうか考えてみれば、必ずしもそうとは言えない現実に気づくはずです。誰もが、マザーを非難する資格がないことを自覚するようになるはずです。

他宗教・他宗派の中に、教義どおりの信仰を全うしている人間が、果たしてどれほどいるでしょうか? もしかしたら一人もいない、ということになるかもしれません。このように考えていくと、マザーの「心の闇」の苦しみは、宗教・宗派を超えたある意味でいずれの信仰者にも共通する問題であることが分かります。

自分たちの宗教・宗派こそが正しい教えを説いているとし、それを基準にマザーを非難することは間違っています。どのような宗教・宗派の教えであっても「霊的事実」に照らしてみれば、多くの間違いを含んでいます。その間違った教義に忠実にそっていこうとすると、やがてその矛盾が苦しみとなって表面化してくるようになるのです。マザーも、キリスト教(カトリック)の間違った教義を信じて真剣に歩んできたために、悲劇的ともいえる苦しみに遭遇することになってしまったのです。

マザーの真価は、「利他愛」という神の摂理に忠実に従ったところにあります。この点でマザーは、他の宗教・宗派の人々に優っています。マザーのように民族・宗教の壁を越えて自己犠牲的な人生を送った人間は、めったにいません。確かにマザーは、信仰的な悩みを持ち続けました。しかし「霊的観点」から言えば、実際の無私無欲の献身的な行為こそが、マザーの真実の「霊的価値・霊性」を示しているのです。

他宗教・他宗派の人々が、神の存在に疑念を持ったという点を引き合いに出してマザーを“不信仰”と非難することは簡単ですが、彼らも(次で述べる)無神論者たちの目には、マザーと何も変らない“偽善的人間”に映るはずです。

無神論者・唯物論者の見方・見解

マザーが「心の闇」を抱いていたことに対して、最も辛らつな批判を浴びせるのは、言うまでもなく神の存在を受け入れない無神論者たちです。“無神論者”からすれば、現実にいるはずがない神を信じ、そのために人生のすべてを捧げるというようなことは、愚かな行為以外の何ものでもありません。無神論者にとっては、マザーだけでなく他宗教・他宗派の信仰者も皆、等しく偽善者なのです。

しかし無神論が正しいという根拠はどこにもありません。無神論者は、「無神論」という宗教(思想)の信者と言えます。勝手に“神はいない”と思い込んでいるにすぎないのです。神を信じる宗教をすべて一括ひとくくりにして“アヘン”と決めつけることは、知性の乏しさを物語っています。神の存在を頭から否定したり、物質という目に見えるものしか信じようとしないことは、その人間の霊性の低さを示しています。無神論者・唯物論者が信仰者を非難するとき、その顔にはしばしば軽蔑けいべつの表情が浮かんでいます。

しかし考え方によっては、そうした無神論者もある意味で必要な存在と言えるかもしれません。なぜなら、それは間違った教義を押し付け、人々を霊的奴隷状態におとしいれてしまうこの世の宗教に対する牽制けんせいになるからです。人々の魂を牢獄に閉じ込めてしまう間違った宗教は、無神論者よりもさらにたちが悪いのです。

したがって無神論者・唯物論者が、今回のマザーの「心の闇」の問題について“それ見たことか”と非難するのに対して、スピリチュアリズムでは彼らの主張にそれなりの正当性を認めるのです。この世のほとんどの宗教は霊的真実から外れた間違った教えを説き、それを人々に強いています。その結果、純朴な人々を“霊的牢獄”に閉じ込め、霊的成長を妨害することになっています。地球上のすべての宗教が、こうした大罪を犯しているのです。

霊的観点からすれば、マザーも間違った宗教ドグマの犠牲者の一人であった、と言えるのです。

心理学者の見方・見解

マザーの「心の闇」の問題を、信仰的な観点からではなく、心理学的な観点から解釈しようとする人々もいます。マザーという信仰者の見本ともいうべき人間が、どうして神の存在に疑念を持つようになったのかを、人間の心理の面から探ろうとするのです。信仰心の中身にアプローチするのではなく、マザーの「心の闇」を心理状態の変化の面から、あるいは精神現象の面から捉えようとするのです。

しかし、そもそも信仰心の何たるかも分からない心理学者が、信仰者の心をあれこれ詮索せんさくするということ自体、僭越せんえつとしか言いようがありません。心理学的なアプローチというと、何かしら客観的でアカデミックであるかのように映りますが、その結論は往々にして的外れのことが多いのです。

マザーの心に闇が生まれるについては、マザーの個人的な性格が関係していることは明らかですが、それが「心の闇」の主な発生原因ではありません。マザーのような激しい性格が信仰と結びつくと、徹底して純粋さを追及するようになります。当然、視野は狭くなって心のゆとりが失われ、取り越し苦労やさまざまな悩みを抱え込むようになります。しかし同じカトリックの修道者の中にも、マザーと似た性格を持った人間や、同様の立場に置かれた人が多くいます。そうした人たちが皆、マザーのような「心の闇」を持つようになるわけではありません。

仕事の多忙さ・修道院運営の責任の重さ・貧しい人々と触れ合う時間の減少といった点が、マザーの「心の闇」の発生原因として指摘されることもあります。しかしこうした問題も、マザーだけに当てはまるものではありません。またマザーが神秘体験で味わった衝撃がある種のトラウマになって、そこから苦しみが発生するようになったとの心理学的な説明がなされることもあります。

確かにマザーの「心の闇」は、36歳のときの神秘的な特殊体験から発生するようになりました。その点から考えると、マザーの「心の闇」は一種のトラウマと言うことができます。ただしマザーの「心の闇」は霊的次元から発生しているものであって、心理学が対象としている表面的な精神現象ではないのです。

マザーの「心の闇」の真相を明らかにするためには、心理学的アプローチではなく心霊学的アプローチが必要とされるのです。

マザー・テレサのファンを自認する人々の反応

生前のマザーのイメージが崩されて最もショックを受けたのが、“マザーファン”と言われている人々ではないでしょうか。キリスト教関係者が大きなショックを受けたのは当然のことですが、先に述べたように、キリスト教では「心の闇」を善いものとして位置づけすることができます。

しかしこれまで一方的にマザーを理想化してきた人々にとって、マザーの「心の闇」の公表は、たいへんな混乱を引き起こすことになりました。ある人はマザーの隠された信仰的苦しみの深さを知り、信仰の世界の凄まじさを見せつけられ、信仰のない自分がマザーを勝手に理想化し慕ってきた軽率さを恥じるようになったかもしれません。実際のマザーは、無邪気なマザーファンが考えているような人間とは全く違っています。マザーは、神(イエス)に対して一途で強烈な憧れを抱き、それを実感できない苦痛にさいなまれてきました。マザーは、表と裏の異なる2つの顔を持った人間だったのです。

世の中には大勢のマザーファンがいます。彼らはこれまでマザーの表に現われた部分、メディアで取り上げられた「表の顔」だけを見て、マザーのファンになってきました。彼らの多くが、マザー・テレサのファンであると自認することによって、自分自身が善人になったかのように思い込んできました。あるいは周りの人々から善人と思われることを期待して、そうしてきたのかもしれません。

しかしマザーの本当のファンであるなら、何よりもマザーの無私無欲の生き方を見習うべきです。献身的・犠牲的なマザーの生き方にならって、自分の人生を自分より恵まれない人々のために捧げるべきです。マザーのファンになるということは、人間の目ではなく神の目を気にして、純粋な奉仕的人生を送ることなのです。

そうした努力がないところでマザーのファンを公言するのは、ある意味でマザーを利用することであり、自分自身をあざむくことになってしまいます。それは本質的には、この世の人々が歌手やタレントやスポーツ選手のファンになるのと同じことなのです。

【3】マザー・テレサの「表の顔」と「内面の闇」

――マザーの二面性と、その大きなギャップ

マザーのキリスト教に基づく奉仕精神と「神の愛の宣教者会」

世界中の人々がマザー・テレサの中に、確信に満ちた神への信仰と明るく積極的な行動力、そして純粋に自己を犠牲にする利他愛・奉仕精神を見てきました。実感のともなった揺ぎない神への信頼と、祈りを通してのイエスとの深い交わりこそが、マザーの活動の原動力であると思ってきました。マザーが語る言葉は、国家や民族・宗教の壁を越えて、多くの人々の心に感動と勇気と励ましを与えてきました。世界中の人々がマザーの姿から、人間の尊厳と理想的な生き方を学ぶことになりました。

マザーは1950年、40歳のときにインドの貧民街に「神の愛の宣教者会」をつくり、貧しい人々の中の最も貧しい人に愛の手を差し伸べ、神とイエスの愛の教えを啓蒙してきました。一人一人の人間は神にとってかけがえのない存在であるということを奉仕活動を通して人々に気づかせ、理解させようとしてきました。マザーは、「あなたが私の兄弟にしたことは、私にしてくれたことである」というイエスの言葉の真実性を、自らの行為によって人々に伝えようとしたのです。こうした精神のもとに、マザーは「神の愛の宣教者会」を始めることになりました。

マザーは、この世から見捨てられ、今にも息を引き取ろうとする哀れな人々の中にイエス・キリストの姿を見ました。彼らに仕えることは、人類のために自ら苦しみを引き受けたイエスに仕えることであると考え、喜びを持って奉仕に携わってきました。マザーは――「人間にとって最も貧しいことは、飢えて食べられないことではなく、社会から見捨てられ、自分はこの世に生まれてくる必要がない人間であったと思うことである。その孤独こそが最大の貧困である」と繰り返し述べています。

マザーが目指したのは、物質次元でのほどこしや上からモノを与えるといったボランティア活動や表面的な人助けではなく、人間の尊厳に基づく「魂への奉仕(霊的奉仕)・神の愛に倣った利他愛の実践」だったのです。マザーはこの世から見捨てられた最も貧しい人々に、神から必要とされていること・愛されていることを自覚させる“霊的救い”を目的とした奉仕活動を展開しようとしたのです。

マザーが設立した「神の愛の宣教者会」は、徐々にその存在を知られるようになり、多くの人々の注目を集めるようになっていきました。そしてマザーのキリスト教徒としての純粋な生き方は、世界中の人々に感動を与えることになりました。

“ノーベル平和賞”受賞のスピーチ

マザーはこうした奉仕活動の理念を、絶えず人々や教会関係者に語ってきました。1979年、マザーの献身的な奉仕活動が認められ“ノーベル平和賞”を受賞することになりました。その際――「祝賀会にかける時間とお金があるのなら、それを私にください。それで何万人もの貧しい人々を救えます」と言って祝賀会を断ったマザーの感動的なエピソードが伝えられています。それはマザーの奉仕精神が本物であることを示した素晴らしい出来事でした。

マザーは“ノーベル賞”受賞のスピーチの中で、次のような言葉を述べています。

「私は、いただいたノーベル平和賞の賞金で、家がない多くの人々のためにホームをつくろうと思います。なぜなら“愛”は家庭から始まると信じているからです。もし貧しい人々のために家をつくることができたなら、もっともっと愛が広がっていくと思います。そして愛を理解することによって私たちは平和をもたらし、“貧しい人々”――家庭の中の、国家の中の、世界の中の貧しい人々に福音をもたらすことができるでしょう。(中略)

イエスが私たちを愛したように、私たちもお互いに愛し合いましょう。完全な愛で、イエスを愛しましょう。もうすぐクリスマスを迎えるこの時、イエスを愛する喜びやお互いを愛する喜びを与えていきましょう。私たちの心に、イエスを愛する喜びを持ち続けましょう。出会うすべての人々に喜びを分け与えましょう。喜びを放つものは本物です。私たちはキリストと共にいないかぎり、幸せにはなれません。キリストは私たちの心の中にいます。キリストは私たちが出会う貧しい人々の中にいます。(中略)

私たちにはイエスがいます。イエスは私たちを愛しています。もし私たちが、神(イエス)が私たちを愛しているということを忘れさえしなければ、イエスが私たちを愛するように、私たちもお互いに愛し合うことができるのです。大きなことをしようとするのではなく、どんな小さなことにも愛を込めて行うことが大切です。そうすればノルウェーは、真実の愛があふれる場所となるでしょう。」

ここにはキリスト教の愛の教えを純粋に結晶化させたようなマザーの崇高な精神が語られています。キリスト教の信仰者の模範と言ってもいいような姿勢が示されています。マザーのスピーチに世界中の人々が感動し、敬愛の念を寄せたことは言うまでもありません。

以上が、これまで世に知られてきたマザーの「表の姿(顔)」の一端です。多くの人々がマザーの生き方を自分の人生の手本とし、またある人はマザーを理想化し、熱烈に憧れることになりました。

マザーの「裏の顔」

ところが2007年、“Come Be My Light”の出版によって、こうしたマザーの「表の顔」の奥に、「心の闇(霊的闇)」という全く反対の「裏の顔」があったことが広く知られるようになりました。それまで人々の目に映っていたのは、自信に満ち、信仰の中で常に神(イエス)と一体化し、喜びと感謝に溢れ、一切の苦しみを超越しているマザーの姿でした。そのマザーとは正反対の、もう一人のマザーの姿が明らかにされたのです。神の存在に対する確信が得られず、「イエスが自分から去ってしまった、イエスに愛されていない」と感じ、孤独に悩む哀れなマザーの姿が表に出されたのです。

Come Be My Light”によれば、マザーはイエスによって貧困者救済の召命を受けてから他界するまでのほとんどの期間を「心の闇」を抱えて生きてきたことになります。本格的な奉仕活動を始めてから亡くなるまでの間、ずっと神の存在に疑念を抱き、煩悶はんもんしてきたことになります。“信仰者のかがみ”と賞讃される外面とは対極的な、ある意味で“信仰心が薄い者”と言ってもいいような内面の問題をひきずったまま人生を歩んできたということです。

もし、マザーの「心の闇」が若い一時期に限定されたものであって年齢を重ねるとともに克服していったとするなら、その苦しみは信仰を深め強固にする“良き試練”であったということになるでしょう。晩年のマザーのあつい信仰心は、若い頃の内面の試練を乗り越えた結果として獲得されたものであったと考えられます。実際、今日まで多くの信仰者が、若い時期に霊的試練・信仰的試練に遭遇し、血みどろの内面の闘いを通してそれを克服した後に、立派な信仰的人格を確立しています。そして晩年には神とともに歩む静かな境地に至っています。

しかしマザーの場合は、そうしたケースとは全く異なっています。40歳の頃に始まった「心の闇」という試練は、マザーが亡くなる87歳まで延々と続いていたのです。その点からして、マザーは「心の闇」を克服することなく他界したということになります。

マザーが「心の闇」に苦悩していたという事実は、多くの人々に大きな衝撃を与えることになりました。マザーが語る積極的で自信に満ちた言葉を人生の拠りどころにしてきた人々は、強いショックを受けました。これまでマザーの「表の顔」だけが世界中に知れわたり、内面の悩み・苦しみは一切知られてきませんでした。人々はマザーの「表の姿」だけを見て感動し、憧れ、尊敬してきました。マザーの生き方を人生の手本とし、時には理想化してきました。見方によっては世界中の人々が、マザーの言葉や姿によってつくり上げられたイメージにだまされてきたと言えるかもしれません。

マザーの表の言葉と現実のギャップ

マザーはノーベル賞の受賞スピーチで力強く神とイエスの愛を語りました。そしてお互いに愛し合うことの重要性や人工中絶の罪を訴えました。マザーのスピーチは、これまで人々が思い描いてきたマザーのイメージを明確に示していました。

しかし先に述べたように、このスピーチの3カ月前、マザーは霊的指導者のピート神父に、それとは正反対の告白をしているのです。「私はといえば、沈黙と虚しさがあまりにもひどく、見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえません」と、自分の哀れな姿をさらけ出しています。ノーベル賞の受賞スピーチとこの告白を比較してみれば、天と地ほどの食い違い・ギャップがあることが分かります。明らかに一方は“光”で、一方は“闇”です。

マザーの言葉の二面性は、至るところに見られます。もう一つ実例を挙げることにします。マザーは1993年、「神の愛の宣教者会」の全メンバーに宛てて「ベナレスからの手紙」を書いています。これはマザーの死の5年前の手紙で、マザーの遺言としてよく知られているものです。  その手紙の中でマザーは、次のように述べています五十嵐薫著『マザー・テレサの真実』PHP研究所発行より引用)

「私はあなた方の中で、まだ本当にイエスと出会っていない人がいることを心配しております。一対一、すなわちあなたとイエスだけで、という意味です。(中略)あなたは本当に生きているイエスを知っていますか。それは本からではなく、あなたの心の中で、あの方と共にあり続けることによって知るのです。(中略)日常、イエスと親しく触れ合うことを諦めてはいけません。(中略)

あなたは信じられますか。もしそれイエスが “I THIRST”「私は渇く」と語りかけていること――筆者)が信じられるのであれば、あなたにはイエスの声が聞こえるでしょう。イエスが現存していることが感じ取れるでしょう。あなた方一人ひとりが、イエスと密接な関係になりなさい。(中略)あの方(イエス)が呼ばれる、あなた本来の名前を聞きなさい。一度きりでなく、毎日聞くのです。心を込めて聞こうとすれば、きっと聞けるようになり、きっと理解できるようになるでしょう。

下線は筆者による

ここには、まさにマザーの「表の顔」が明確に示されています。しかし実際にはマザーは、神(イエス)の愛を求めても得られない苦しみを神父に告白しているのです。マザーがここで述べていることは、本当はマザー自身が必死に求めてきたものです。それが得られないために「心の闇」が生まれ、マザーは苦しみ抜いてきたのです。「イエスと共にあり続ける」――それはマザーが何十年にもわたって煩悶し、求め続けてきたことなのです。

マザーは、自分が必死に求めても得られなかったものを、周りの者たちには“やる気しだいで手にすることができる”と言っているのです。自分には不可能なことを、他人には強く求めていたことになります。このようにマザーの表向きの言葉と現実の心との間には、大きなギャップがあります。

またマザーは、同じ「ベナレスからの手紙」の中で次のようにも述べています。「生きているイエスに個人的に触れ合うことを、妨げようとしているすべてのものに気をつけなさい。悪魔は私たちが人生の痛みを感じたり、過ちを時々起こすことを利用して、イエスが本当にあなたを愛していることを分からなくさせようとしているのです。これは私たちにとって危険で、しかもとても悲しむべきことです。」

ここでマザーは、イエスの存在や愛に対して疑いを持つことは悪魔の計略にはまることである、と厳しく戒めています。しかしそのマザー自身は、神父に対して「私は神から切り離されてしまった」「神の愛が信じられない」「イエスは去ってしまった」などと告白しているのです。

マザーの言い分に従うなら、マザーは悪魔の計略にはめられてしまった、悪魔に騙されていた、ということになります。「表の言葉」と「内面の闇」のギャップが、ここにも見られます。実際には霊界にも地上世界にも、キリスト教で説いているような悪魔・サタンは存在しません。神に対峙たいじし、人々を闇に引きずり込もうとする悪魔・サタンは、空想の産物にすぎません。スピリチュアリズムは霊界の事実として、キリスト教の「サタン存在説」を否定しています。)

神(イエス)の存在と愛に疑念を抱くマザーの言葉を聖書の内容に照らしてみれば、明らかに不信仰・神への冒涜ぼうとくということになります。聖書に述べられている「イエスが弟子たちの不信仰を嘆いた言葉」が事実であるとするなら、疑いを拭い去れないマザーは、キリスト教徒の風上かざかみに置けない不信仰者ということになってしまうでしょう。人々から、ひとかけらの疑念も持っていない模範的キリスト教徒と思われていたマザーも、聖書を基準にして見れば“救いようのない人間”ということになってしまいます。

現実のマザーの姿を見据える

ではマザーは、わざとウソをついて「表の顔」をつくってきたのでしょうか? マザーは「裏の顔」「裏の闇の姿」を隠すために、意識して「表の顔」「表の光の姿」を装ってきたのでしょうか?――そうではありません。マザーが持っていた二面性は、この世のペテン師やニセ霊能者が意図的にウソをついて人々を騙すのとは本質的に異なっています。

マザーは故意にではなく、真剣に道を求める中で光と闇という相反する2つの心・正反対の心を持って生きるようになってしまったのです。そしてマザーは、大きな内面の矛盾を抱えて激しく葛藤することになりました。これが現実のマザーの姿・真実のマザーの姿だったのです。

マザーは「内面の闇」に苦悩しながらも、それを表に出すことなく(隠して)、人々のために模範的な信仰者であり続けようとしました。悪く言えばそれは“立派な信仰者を演じてきた”ということになりますが、マザーにとっては「表の顔」も「裏の顔」も意図的なものではなく、両方がともに真実であったのです。相反する2つの心が、ともにマザーの現実だったのです。

私たちはマザーについて、今後はこうした見方をしていかなければなりません。

マザーに対する見方の変更

――“子供の見方から大人の見方へ”

マザーについての真実とは、「マザーは表と裏の両方の面を持った人間であった」ということです。マザーを尊敬し、人生の良き手本としてきた純朴な人々にとって、そうした受け止め方はあまり好ましいものではないかもしれません。しかし真実が明らかにされた以上、マザーを一方的に理想化するといった無邪気さは卒業しなければなりません。

マザーを尊敬する人々の大半が善人であり、純朴であり、奉仕精神を持っていることは明らかです。そうであるからこそ、マザーという生きた見本に憧れることになりました。しかし、いつまでもそうした見方をすることは、霊界にいるマザーを喜ばせることにはなりません。むしろ苦しめることになってしまうのです。

マザーは、自らの闇の部分を人々に知られないように「表の顔」に徹する努力をしてきたと思われます。マザーの二面性は悪意から発したものではなく、善意から出たものと考えるべきなのですマザーが生前、「神父たちに宛てた手紙を処分してほしい」と再三にわたって願い出ていたのは、「自分を慕っている人々にショックを与えたくない」との思いがあってのことと推察されます)

これまでマザーについて著した本の大半が、マザーの「表の顔」だけを取り上げてきました。マザーの美しく理想的な姿・感動的な一面だけを伝えてきました。いずれの本も、マザーの真実の半分を知らせてきたにすぎません。彼ら(本の著者たち)もマザーの「裏の顔」を知らなかったために、結果的にマザーの虚像をつくり上げることになってしまいました。

今、マザーの「心の闇」について明らかになった以上、私たちはマザーに対する見方を変更していかなければなりません。これまでのようにマザーの力強い感動的な言葉や献身的な奉仕精神を讃美するだけでなく、マザーも私たちと同じように悩み・苦しみながら生きてきた人間であることを認めなければならないのです。その大前提に立って、マザーの本当の価値を再評価すべきなのです。

マザーの心に闇が発生するようになった要因としては、さまざまなことが考えられます。「性格的な要素(あまりの純粋さ・激しさ)」「キリスト教の教義の間違い」「神秘体験に対する無知」といった原因が挙げられますこうした問題については【5】以降で詳細に述べていきます)。マザーは、キリスト教の教えに忠実でありたいと願い、神秘体験に対する霊的知識もない中で――まさにそれは“闇”の環境と言えますが――精いっぱい良心の命令に従って生きてきました。大きなハンディを背負って、ひたすらキリスト教の愛の実践者として歩み続けたマザーを、私たちは正しく理解しなければなりません。マザーの真実の姿を、しっかりと見つめなければなりません。

これまでのような単純にマザーを理想化するといった無邪気で子供っぽいあり方を脱し、ありのままの姿を認め、その中からマザーの真の価値を見出し尊敬していくという大人としての見方と寛容性が、私たちに要求されるのです。霊界でのマザーの歩みを考えると、なおさらそうしたことが言えるのです。

マザーの「心の闇」の存在が公表された今、私たちはマザーに対する見方と態度を子供から大人へと変化させていかなければなりません。スピリチュアリズムは、マザーの表と裏の両面をそっくりそのまま認め、その上でマザーの本当の価値を「霊的事実」の観点から明らかにしています。

マザーを一方的に理想化するあり方も、闇の存在を攻撃材料として“すべての信仰はウソ、マザーもウソつきである”とする考え方も、ともに間違っているのです。

【4】イエスとの出会いから始まった表と裏の両面

マザー・テレサは1910年、マケドニアで生まれました。1928年、18歳のときに、マザーはマケドニアを離れイエズス会のロレット女子修道会に入り、この年インドに旅立ちました。そしてインドのカルカッタ(現コルカタ)で修道院生活を始めました。

修道女としての奉仕の人生が18年に及んだ1946年、36歳のときに、マザーに大転機が訪れました。それが“イエスとの出会い”という神秘体験だったのです。

イエスとの出会いと、「神の愛の宣教者会」の設立

マザーの「神の愛の宣教者会」は、マザーが36歳のときにダージリンへ向かう列車の旅の最中に起きた不思議な体験(神秘体験)が出発点となっています。そのときマザーは、現実さながらの生き生きとしたイエスと出会い、イエスから語りかけられたと述べています。マザーはイエスから、「修道院を出て貧民街に行き、貧しい人々への奉仕活動に携わるように」との召命しょうめいを受けたということです。そしてマザーは38歳のときに修道院を出て、院外居住者としての生活を始めるようになります。その2年後、マザーは「神の愛の宣教者会」を開設します。

この「神の愛の宣教者会」での活動が、マザーの名を広く世界中に知らせることになりました。“貧民街の聖女”としてのマザーの「表の顔」はどんどん知れわたり、多くの人々に感動を与えることになりました。マザーは“イエスとの出会い”という神秘体験によって「神の愛の宣教者会」を設立し、気高けだかく美しい奉仕者としての「表の顔」の路線を突き進むことになったのです。

イエスとの出会いと、「心の闇」の始まり

イエスとの出会いという神秘体験が、現在まで知られてきたマザーの「表の顔」を形成していくきっかけとなりました。マザーにとってイエスとの出会いは、まさに人生を根本から変える最大の出来事でした。ところがこの神秘体験が、マザーに歓喜と希望をもたらし奉仕活動に拍車をかけさせると同時に、皮肉にも「心の闇」を生み出すことになったのです。「神の愛の宣教者会」設立のきっかけとなった歓喜の体験が、マザーを苦しめ続ける裏の世界の出発点にもなってしまったのです。

たぐいまれな神秘体験をしたばかりに、マザーは「表の顔」と「裏の顔」という相反する2つの世界を同時進行させて人生を歩むことになってしまいました。周りの人々には、マザーの「表の顔」「表の姿」しか見えません。そのため人々は、時とともにマザーをますます理想化し、「裏の顔」とのギャップを拡大させていくことになりました。それによってマザーは、よりいっそういたたまれない思いを味わうようになったものと想像されます。

イエスと出会って召命を受けたという“神秘体験”が、果たしてマザーが語る通りのものであったのかどうか、多くの人々の議論の的になりました。その真相については現在まで明確な見解は示されず、謎のままになっています。世界中のキリスト教関係者や神学者も、マザーを批判する無神論者も、またマザーの献身的な奉仕活動に感動し彼女を理想化してきた人々も、この神秘体験の真相を説明することはできませんでした。

しかしマザーの人生を根底から変えることになった“神秘体験”の真相が明らかにされないかぎり、マザーの本当の姿を知ることはできません。また、マザーの「心の闇」の真実も明らかにはなりません。幸いなことに今“スピリチュアリズム”によって、その真相が解明されることになりました。スピリチュアリズムがもたらした「霊的知識」によって、マザーの神秘体験の真実が初めて明らかにされることになったのですそれについては次の【5】で見ていきます)

マザーの二面性を図示すると次のようになります。

マザー・テレサの二面性

【5】マザー・テレサの神秘体験と「心の闇」の真相

1.マザーの神秘体験の実際

マザー・テレサは36歳のときに、“イエスとの出会い”という神秘体験によって修道院を出て貧民街におもむくことになりました。やがてマザーは「神の愛の宣教者会」をつくり、本格的な奉仕の人生を歩み出すことになります。一方、その強烈な神秘体験は、マザーに表の顔とは正反対の「心の闇」という裏の顔をつくり出し、生涯にわたって霊的な悩み・苦しみをもたらすことになりました。

マザーの人生を大きく決定した神秘体験については、マザー自身も生前、簡単に語っていましたが、マザーの死後に出版された書籍や今回の“Come Be My Light”によって、さらに詳しい内容が明らかになりました。ここでは2007年に出版された『マザー・テレサの真実』の中から、マザーの神秘体験の内容を見ていきます。

インドのカルカッタ(現コルカタ)で修道院生活を送っていたマザーに結核の兆候が見られたため、マザーは空気のきれいなダージリンに行って静養するようにと命じられました。1946年9月10日、ダージリンへ向かう列車の旅の途中、マザーが祈りをしていると眼前に突如、十字架につけられた現実さながらのイエスの姿が現れました。そしてイエスはマザーに“I THIRST”(*)と叫びました。十字架につけられたイエスのかたわらには、母マリアや使徒ヨハネやマグダラのマリアの姿も見えました。思いがけない光景に遭遇してマザーは混乱しました。やがてマザーを乗せた列車はダージリンに到着しました。

こうした一連の体験を、マザーはその後、イエスからの直接的な召命であったと理解するようになります。「神の愛の宣教者会」の設立は、この神秘体験が出発点となっています。そのため「神の愛の宣教者会」では、マザーがイエスから召命を受けた1946年9月10日を“インスピレーション・デイ”と呼んでいます。

「私は渇く」という意味のこの聖句は、新約聖書の4つの福音書の中で、ヨハネの福音書だけに出てきます。

ダージリンでマザーが、列車の中での神秘体験をどのように考え受け止めてよいのか分からず一心に祈りをしていると、聖母マリアが現れて「イエスの言われることに“はい”と言って従いなさい。今は分からなくてもその言葉に従いなさい」と語りかけます。その後、決心が固まらないマザーに対して、イエスは再び現れて呼びかけます。イエスの声は、早く次なる行動修道院を出て貧民街に入ること)に移るようにと催促します。

このときの様子を、マザーはペリエール大司教への手紙の中で次のように記しています片柳弘史・編訳『マザー・テレサ書簡集』ドン・ボスコ社発行より、マザーの手紙の一部を引用)

「イエスの仕事をインドでするように何者かが私に呼びかけているから、これらすべてのことをするのです。このような考えは多くの苦しみを生みました。しかし、その声は言い続けるのです。“あなたは拒むのですか”と。ある日、聖体拝領をしているときに、同じ声がはっきりと言いました。“私はインド人の修道者がほしいのです。私の愛のために自らを犠牲にする人々。(中略)十字架の慈しみによって満たされ、愛に満ちた修道女たちがほしいのです。あなたは、私のためにそうするのを拒むのですか。”」

「“あなたは伴侶である私のために、そして人々の魂のためにもう一歩を踏み出すことを恐れるのですか。もうあなたの寛大な心は失われたのですか。私はあなたにとって二番目に大事な存在にしかすぎないのですか。あなたは人々の魂のために死んでいません。(中略)もう一歩踏み出すことで、あなたは私の望みに応えることができます。”」

こうしたイエスの言葉に対してマザーが、「ロレット修道会でこれまで通りあなたのために努めていきたい」と述べると、イエスはさらに次のように語ります。

「“私は、インド人の神の愛の宣教者たちがほしいのです。とても貧しい人々、病気の人や死にかけている人、幼いストリート・チルドレン。彼らのあいだにあって私の愛の炎となれるような人々がほしいのです。貧しい人々を私のもとに連れてきてほしいのです。私への愛の犠牲として自分の生涯を差し出す修道女たちは、彼らの魂を私のもとに連れてくることができます。あなたが最も無能な者であること、弱くて罪深い者であることは知っています。でも、私はあなたがそのような者であるからこそ、あなたを私の栄光のために使いたいのです。あなたは拒むのですか。”」

イエスの言葉はマザーを恐れさせました。一方、マザーの神秘体験を聞いた教会の霊的指導者(エクセム神父)は、マザーに神秘体験のことは忘れ、これまで通り修道生活を全うするように説得します。こうしたことがあってマザーは、イエスが求める使命を自分から取り除いてくれるようイエスに頼んでほしいと、マリアに懇願します。

しかし祈れば祈るほど、イエスの声はますますハッキリしたものになっていきました。そして駄目押しするかのように、マザーに語りかけます。ほとんどイエスからの脅迫のようです。

「“あなたはいつも『あなたが望むすべてのことのために私を使ってください』と言っていたのではありませんか。今こそ、それを実行に移してほしいのです。私の小さな伴侶、私の小さな者よ、私にそれをさせてください。恐れてはいけません。私がいつもあなたと共にいます。あなたはこれからも苦しむでしょうし、今も苦しんでいるでしょう。でも、もしあなたが私の小さな伴侶であるなら、十字架につけられたイエスの伴侶であるのなら、あなたの心に起こるこれらの苦しみを耐えなければいけません。”」

「“もしあなたが、毎日どれだけ多くの子供たちが罪に落ちているかを知っていさえすれば……。裕福で有能な人々の世話をしている修道女たちの修道院は、たくさんあります。でも私のとても貧しい人々のための修道院はまったくないのです。私は彼らを望み、彼らを愛しているのに、あなたは拒むのですか。”」

マザーはイエスの言葉を記した手紙をペリエール大司教に送った後、ダージリンからアサンソールに移動します。そしてマザーは徐々に、イエスの召命に従って生きていくことを決意するようになります。マザーはアサンソールで瞑想の日々を過ごし、そこでイエスとのさらなる神秘体験を続けていくことになります。

マザーは「アサンソールでは、まるで主(イエス)が私に自分を丸ごとくださったようでした。しかし甘美で慰めに満ち、主と固く結ばれた6カ月はあっという間に過ぎてしまいました」と述べています。マザーは再びカルカッタに戻り、貧民街での奉仕活動を始めることになります。

以上が、現在公表されているマザーの神秘体験の内容です。もちろんこれ以外にも教会関係の事情などから公表されていない資料があることでしょう。特にマザーの最初の霊的指導者であったエクセム神父には、マザーは神秘体験について詳しく述べていたはずです。

しかしエクセム神父がマザーから聞いた内容は、ほとんど公表されていません。マザーの神秘体験を考えるうえで重要な内容の一つがアサンソールでの“神秘体験”――甘美で慰めに満ち、イエスと固く結ばれた体験ですが、これについての詳細は明らかにされていません。

2.スピリチュアリズムが明らかにするマザー・テレサの神秘体験の真相

マザーの神秘体験についての、さまざまな解釈

マザー・テレサの神秘体験は、大半の人々にとって、それがいったい何を意味しているのか理解できません。マザーが本当にそうした体験をしていたのか、あるいはマザーがそのように思い込んでいただけなのか判断できません。

マザーが程度の悪いウソをつくような人間ではない以上、その体験には何らかの深い意味があると考える人もいます。無神論者・唯物論者なら、マザーはイエスの幻想を見ただけ、イエスの言葉を聞いたと錯覚しただけ――あまりにもイエスのことを思い詰めたために、脳内でそれが事実であるかのような思い込みを生むことになったと考えるでしょう。精神病者が幻覚を感じるのと同じようなことが、マザーに起きたと決めつけるかもしれません。マザーの神秘体験とは、彼女の心の世界にイエスが登場し、イエスが語りかけた主観的体験・単なる幻想にすぎないと思う人がいるかもしれません。

このようにマザーの神秘体験は、これまでさまざまに解釈され、現在においても謎とされています。

世界中に存在する同様の神秘体験

しかしマザーの神秘体験の真相は、スピリチュアリズムの「霊的知識」によって解明されます。スピリチュアリズムの長年にわたる心霊現象の研究は、マザーの神秘体験が彼女ひとりに限定された独自のものではなく、きわめてありふれた心霊現象の一つであることを明らかにしています。

もしその神秘体験がマザーだけに起きた現象であるとするなら、それはある意味で奇跡ということになります。世の中ではこうした神秘体験が信仰と結びつくと、しばしば奇跡と見なされ、その話が後世にまで語り継がれることになります。

マザーと同じように神秘体験によって信仰人生が大きく転換したケースが、昔からよく知られています。“パウロ”はダマスカスに向かう途中で神秘体験をし、それによってキリスト教に対する迫害者から熱心なキリスト者に転向しました。また“聖フランチェスコ”が神秘体験によってキリスト教会の刷新運動を始めるようになったことも、同様のケースと言えます。

こうした話は、キリスト教に限らず世界中の他の宗教においてもたびたび登場します。

マザーの神秘体験の真相

マザーの神秘体験は、キリスト教徒からすれば一つの奇跡ということになりますが、スピリチュアリズムや心霊学から見るなら、きわめてありふれた心霊現象にすぎません。ここではスピリチュアリズムの「霊的知識」に基づき、マザーの神秘体験の真相を解説していきます。

まず、ダージリンへ向かう列車の中で、マザーが祈りをしていた最中にイエスのビジョンが見え、イエスの声が聞こえたという出来事です。これはマザーに一時的に「霊視能力」と「霊聴能力」が発現したために、霊的ビジョンを見、霊の声を聞くようになったものと解釈することができます。太古の昔から多くの霊能者が、霊界にいる霊の姿を見たり、霊の声を聞いてきましたが、マザーの場合もそれと同じことが起きたのです。他の霊能者とマザーとの違いは、彼女が見聞きしたものがイエスのビジョンであり、イエスの声であったということです。

さて、ここで重要な点は、マザーが見たり聞いたりした姿や声はマザーにとってはイエスのものであったけれど、実際にはそれはイエス本人のものではなかった、ということです。霊界の高級霊がある目的のために、マザーに自分たちがつくったマザー向けのビジョンを見せ、マザー向けの言葉を聞かせたということなのです。マザーが見聞きしたイエスの姿や声はイエス本人のものではなく、霊たちによってつくられたイエスの映像であり、イエスの模声だったのです。心霊的な知識が全くないマザーは、それをイエスの姿であり、イエスの声であると思ってしまいましたが、本当は霊たちによってつくられたものだったのです。

こうした形での心霊現象は、しばしば見られます。地上人が理解しやすい映像や音声をつくり出すというのは、地上人を善導するために高級霊がよく用いる手法です。マザーが聞いたイエスやマリアの声は、2人の代理者としての役割を与えられた高級霊がつくり出したものだったのです。もちろん高級霊が代理者としての役割を果たすについては、さらに高い高級霊の許可が必要となりますし、それをさかのぼっていけば“スピリチュアリズム”という人類救済活動の最高責任者であるイエス本人にまで至ります。したがってマザーが見聞きした姿や声はイエス本人のものではないけれど、すべてイエスの指示・許可のもとで発せられており、内容としてはイエス自身のものと言えます。

霊界側がこうした手法を行使することができたのは、マザーに霊視能力や霊聴能力があったからです。マザーには生まれつき「霊的能力」が備わっていたのです。言い換えれば、マザーは霊能者としての素質を持って生まれてきていた、ということです。それがマザーの長年にわたる修道生活(霊主肉従の生活)・祈りの生活によって発現する時期を迎えていたのです。高級霊はその時期を見計らってマザーに働きかけ、修道院を出て貧しい人々への奉仕の人生を送るように導いていったのです。

マザーが姿を見たり声を聞いたりしたのがイエスやマリアといったキリスト教に関係した人物であったのは、マザーが日頃からキリスト教の教えだけを学び、意識がキリスト教一色に染まっていたからです。マザーは、それ以外の人物に関心を寄せることがなかったのです。もしマザーが熱心な仏教徒であったなら、シャカの映像(ビジョン)やシャカの声が聞こえたはずです。霊界サイドが霊視や霊聴を利用して働きかける際には、地上人が受け入れやすいように配慮します。そのためマザーの場合には、彼女が最も慕い関心を寄せていたイエスやマリアを用いることになったのです。

マザーの「神との合一体験・接神体験」

マザーの神秘体験とは、霊界サイドによって演出された霊視現象・霊聴現象だったことが分かりました。こうした霊界からの導きが功を奏して、マザーは真に価値ある貧しい人々への奉仕の道に踏み出すことになりました。

さて、マザーの神秘体験に関してもう一つ意義深いものが、マザーが「アサンソールでは、イエスが丸ごと自分をマザーに与え、甘美と慰めに満ちた中でイエスと固く結ばれた」と述べている体験です。この体験については、イエスのビジョン(霊視現象)やイエスの言葉(霊聴現象)の時のようには多く語られていません。全くと言ってよいほど、その様子は伝えられていません。実はマザーが言葉少なく語っているこの体験こそが深い意味を持っているのですが、その体験のあまりの特殊性のために、マザーやキリスト教関係者エクセム神父など)によって、意図的に非公表にされた可能性が考えられます。

マザーがごく簡単に触れているこの神秘体験は、古来より「神との合一体験」とか「接神体験」として知られてきた心霊現象なのです。神と一つになったかのような感覚の中で、歓喜と霊的エクスタシーを体験する現象です。修行者の間では、瞑想の最中に神と融合し一つになったかのように感じられる神秘的境地・エクスタシーの境地の存在が知られてきました。このエクスタシーの世界を一度でも体験すると、魂にその強烈な刺激が刻印され、最高の喜び・幸福感を再び味わいたいと渇望するようになります。古代インドの神秘主義では、この世界が“ニルバーナ”と呼ばれ、神と融合・合一する状態と見なされてきました。インドの修行僧や仏教の密教僧の間では、神や仏と自分が融合して一体となる境地が理想化されるようになりました。

一方、キリスト教徒にも同じ心霊現象が発生します。キリスト教徒にとっては、この神秘的境地は、イエスと一体となる世界・イエスと合体する瞬間として理解されることになります。キリスト教の教義によって“修道女はイエスの花嫁である”との意識が形成されているため、この体験には実際に霊的次元での性的歓喜・性的エクスタシーがしばしばともなうようになります。これが「接神体験」です。中世のキリスト教世界においては、神秘体験はとかくサタンの仕業とされたり、魔女の証拠とされ、あまり表立って語られることはありませんでした。

しかしそうした中にあっても、霊性の高まった一部の修道女たちの「神(イエス)との合一体験・接神体験」が知られてきました。接神体験をした有名な修道女として、13世紀の聖クララ、聖人ハデウェイク、聖人メヒティルト、14世紀の聖カテリーナ、15世紀の聖マージェリー、16~17世紀のベネデッタ・カルリーニなどの名前を挙げることができます。彼女たちは神秘的な霊的境地でイエスと一体となり、霊的な官能体験・恍惚こうこつ体験をしてきたのです。

こうした「神(イエス)との合一体験・接神体験」は、実際にはイエスと交わるのではなく、高級霊や天使の関与によって摂理に一致した形で喜びが与えられるものです。神との合一体験・接神体験は、地上人のサイキック能力が一度に大きく開かれたときに起きる現象です。大量の霊的エネルギーが入ってくることで神の存在や愛の実感度が普段では考えられないほどに高まり、発生するものなのです。この意味で「神との合一体験・接神体験」は、低俗な“憑依現象”とは本質的に異なります。

Come Be My Light”を見ると、マザーがアサンソール滞在中に、あるいはそれ以前のダージリン滞在中から、こうした体験をしていた様子がうかがわれます。マザーが高い霊性と霊能力を兼ね備えた修道女であったために「接神体験」という特別な現象が起きていたことが想像されます。

「神との合一体験」は、肉体がない霊界人にはひんぱんに発生しますが、地上人の場合には肉体という物質が妨げとなって、よほどのことがない限り発生しません。長期にわたる修行生活・厳格な霊主肉従の禁欲生活・真剣で深い瞑想と祈りの生活を通して、ごく一部の人間が体験する稀な出来事となっています。

先に述べたように「神との合一体験」は、文字どおり神と一つになるというものではありません。霊的エネルギーが充満し、霊的感覚が鋭敏になり、神がきわめて身近に感じられるようになる「主観的体験」です。しかし本人には、まさに神と融合・合一したかのような歓喜・幸福感がもたらされるのです。これは神が人間に与えてくださった喜び・幸福感の一つです。霊界に行ったときには、誰もが味わうことになる「至福体験」なのです。

3.マザーの「心の闇」発生の真相と、2つの原因

神秘体験の影響の大きさと「心の闇」の正体

マザーが36歳のときに、霊視現象・霊聴現象・接神現象(イエスとの合一体験)が集中して発生しました。こうした霊界から引き起こされた心霊現象を通して、マザーは新たな人生を歩み出す決心を固めていくことになります。マザーに修道院を出る決心をさせるために、霊界側はさまざまな心霊現象を起こしてマザーに働きかけました。マザーの決心を促すために、リアルで実感的なイエスの姿を見せ、イエスさながらの声を聞かせ、イエスとの触れ合いをさせてきました。もちろんそのすべてがイエス本人のものではなかったのですが、マザーは心の底からイエスであると信じ込んだのです。

36歳のときの神秘体験が、マザーの心に大きな刻印を残すことになりました。それはマザーにとって、決して忘れることのできない人生最大の出来事だったのです。マザーは神秘体験を通して現実そのもののリアルなイエスと出会い、イエスと触れ合い、イエスと一体化しました。この体験の衝撃があまりにも強すぎたため、それが失われたとき、言葉にできないほどの喪失感とショックがマザーを襲うことになりました。リアルなイエスとの触れ合いが失われたとき、“神(イエス)の不在感”という苦しみが心を占めるようになりました。実はこれこそが“神秘体験”から始まったマザーの「心の闇」の正体だったのです。

イエスと出会い、イエスと交わり一体となるという体験は、マザーに歓喜をもたらしました。マザーにとっては、その体験こそが神(イエス)の存在を実感する出来事でした。そしてそれが失われると、頭(理性)では神を信じてはいても、実感のともなわない現実の中で、神もイエスもいない闇の世界が展開することになってしまいました。マザーは、その後の人生を、神(イエス)の不在感という悲しみ・苦しみを抱いて過ごすことになってしまったのです。一時期の“強烈な神秘体験”――それが神を実感することであると思い込んでしまったところから、マザーの悲劇が生まれたのです。

心霊現象に対する無知が招いた「心の闇」

マザーやマザーを指導する教会関係者に、ここで述べてきたような霊視や霊聴や神との合一体験・接神体験といった「心霊現象」についての知識があったなら、マザーの喪失感を「心の闇」として捉えるようなことはなかったはずです。マザーに、自分が体験したものはいくつかの心霊的な条件が整って発生した特殊な現象であるとの認識があれば、悩み苦しみ続けるようなことにはならなかったはずです。イエスの声が聞こえなくなったからといって、焦るようなことはなかったでしょう。

一時期に神秘体験(心霊現象)が集中して発生したのは、その時が霊界側にとってマザーを新しい道に導く絶好のタイミングだったからです。その後、神秘体験が発生しなくなったのは、霊界側から見たとき一定の成果があげられて、もはや心霊現象によって導く必要性がなくなったためか、あるいはマザーの反応があまりにも的外れで、これ以上は危険であるとの判断がなされたためかのいずれかです。

マザーは晩年、「ベナレスからの手紙」の中で「神の愛の宣教者会」の全メンバーに向けて、次のように述べています。「一対一でイエスと出会い、イエスの声を聞きなさい。リアルなイエスの姿を見、生きているイエスと愛において一つとなりなさい」――実はこうしたことはすべて、マザーが36歳のときの神秘体験の内容なのです。マザーは、「かつて自分がしたのと同じ体験を皆にもしてほしい!」と望んだのです。

ところが当のマザーはといえば、イエスの姿も見えず、イエスの声も聞こえず、イエスとの一体感が失われて苦しみ続けていたのです。マザーは、自らの「心の闇」の苦しみを押し殺して隠し、皆には「より深くイエスと結ばれるように」とのアドバイスをしたのです。

しかし、これは明らかに的外れなアドバイスです。イエスの姿を見、イエスの声を聞くためには、霊能力という生まれつきの能力が必要となります。それと同時に、霊界側の働きかけが必要です。愛があればイエスを見、イエスの声を聞けるというものではないのです。またそうした条件が整ってイエスと出会ったとしても、それは本物のイエスではない、ということなのです。

キリスト教の教義の間違いも「心の闇」発生の大きな原因

マザーが「心の闇」を発生させてしまったもう一つの原因は、キリスト教の教義の間違いにあります。修道者の生活は、いずれの宗教・宗派にかかわらず共通しています。それは、一日が祈りで始まり祈りで終わるということです。彼らの祈りは、神への懇願・願い事が大きな部分を占めています。祈りは、神に対して直接願い事をする行為となっています。実は、そこに地上の大半の宗教の根本的な間違いがあるのです。

もし神と人間が直接的な関係にあるとするなら、そうした祈りは正しい行為と言えますが、実際には神と人間は直接的な関係にはありません。神は人間をはじめ万物を創造すると同時に、それらを維持するための仕組みもつくり出しました。それが「摂理(法則)」です。神と人間は、いかなる場合においても、摂理を介して間接的に結ばれるようになっています。すなわち人間は、摂理を通してのみ神と関係を持つことができるようになっているのです。これが「神の摂理」による間接支配のシステムです。この観点から神について言えば、「摂理の神」ということになります。

こうした事実を人間サイドから見ると、神は常に摂理を通して現れ、人間の目には神は摂理そのもののように映ることになります。人間が常に願い求めてきた「愛の神」は、摂理の背後に隠れていて、人間の前には現れないようになっているのです。

しかしこれまで地球人類は、神と人間の関係を直接的なものと考えてきました。人間が真剣に祈り求めれば、神はそれを聞き届けてくれると思い込んできました。そのため不幸や災いを取り除き、幸せをもたらしてほしいと必死に祈っても、それが実現しないと“どうして神は苦しむ自分を助けてくれないのか”と思うようになったのです。人によってはいくら祈っても聞き届けられない現実の中で、“神などいない”と考えるようになってしまいました。

マザーの場合も、これと同じことが言えます。マザーは毎日、真剣に神に祈ってきました。かつてイエス(神)と触れ合い交わった体験を、もう一度させてほしいと祈り続けてきました。しかし、いつまでたってもマザーの願いは聞き届けられませんでした。必死になって祈れば祈るほど、マザーの苦しみは大きくなっていきました。マザーの「心の闇」は、神と人間が「摂理(法則)」という機械的システムによって結ばれている事実を知らなかったところから発生したものなのです。

もしマザーに、あるいはキリスト教会に、「神と人間の関係は摂理を介して間接的に成立するものである」との認識があったなら、マザーの祈りの内容も、神に対する姿勢も根本から違っていたはずです。「摂理という無慈悲で機械的な形をとってしか神は現れない」と分かっていたなら、むやみに神を呼び求め、神にすがるようなことはしなかったでしょう。マザーは、ひたすら「神の摂理」に自分をそわせるようになっていったと思われます。「神の摂理」と一致した歩みをしているなら、何ひとつ心配する必要はないのだと、心を切り替えることができたはずです。マザーは「神の摂理」に対する無知から、的外れな悩みを抱え込むことになったのです。

このようにキリスト教の間違った神観が、マザーの心に闇を生み出すことになりました。神を「愛の存在」としてだけ捉え、「摂理の神」についての認識がなかったために、マザーは“神の不在感”という「心の闇」を持ち続けることになってしまったのです。

また、イエスを神と同一視する“三位一体”の神観も、マザーの「心の闇」の原因となっています。その間違った教義によって、「イエスの不在」イコール「神の不在」と考えるようになってしまいました。マザーは、キリスト教の教えを信じ込み、それを基にしてすべての判断をしていったために「心の闇」を発生させることになってしまったのです。

こうした意味でマザーは、間違ったキリスト教の教義の犠牲者であった、と言えます。マザーは生前、多くの祈りをしてきました。毎日、早朝から神に祈りを捧げてきました。しかし神に対する間違った認識のもとでのマザーの祈りの多くは、的外れなものだったのです。

とは言え、それによってマザーの人生が無意味で無価値なものになったわけではありません。マザーは、やはり聖女に相応しい霊的価値がある崇高な人生を過ごしてきたのです。最後に、スピリチュアリズムから見たマザーの真の価値について述べていきます。

【6】マザー・テレサの死後の様子と、スピリチュアリズムによるマザーの再評価

――霊界でのマザーの歩みと霊的観点から見たマザーの真価

1.マザーの死後の様子

マザーは、1997年に他界しました。その死を世界中の人々が悲しみましたが、マザーは死後霊界に入ってから、どのような歩みをしたのでしょうか。マザーから霊界通信は送られてきていないため、その詳細について知ることはできません。

しかしマザーと同じように特定の宗教の熱心な信者でありながら、人類への純粋な奉仕に一生を捧げた先人たちの他界後の様子が知られています。そうした高い霊性を持った先人たちの霊界での歩みから、マザーの死後の様子を推測することができます。

地上時代のキリスト教の教義を捨て、新しく「霊的事実」を受け入れる

マザーは地上人生を熱心なキリスト教徒として過ごしました。そのキリスト教の教義が霊的事実と一致していたなら何も問題はなかったのですが、残念ながらマザーは霊的事実と懸け離れた人工的な教えに洗脳されたまま一生を終えることになりました。

マザーは死後、しばらくの間はキリスト教の間違った教えを信じていましたが、やがてかつてカトリック教会に属していた神父や修道者から、キリスト教の教義の間違いを教えさとされることになりました。初めマザーは戸惑い、なかなか彼らの指導を受け入れることができませんでした。しかし霊界での時が経過する中で、徐々にキリスト教の間違いについて理解するようになっていきました。

地上時代の間違った信仰を捨て去るにともない、マザーは先輩霊・指導霊から示される正しい「霊的知識」を、凄まじい勢いで吸収していきました。そして地上時代の神秘体験の真実と、自分を苦しめてきた「心の闇」の真相を知ることになったのです。

イエスについての真実を知り、スピリチュアリストになる

死後、マザーは自分の地上人生が多くの間違いによって占められてきたことに後悔の思いを持ちました。しかしその後悔は一時的なもので、そのうち自分がこれまで心から慕ってきたイエスが、霊界を総動員しての「地球人類救済プロジェクト(スピリチュアリズム)」の総責任者であることを知るようになります。そしてイエスの率いる霊界の軍団の一員として働くことを決心します。

マザーは、地上でなしてきたインドでの貧困者への奉仕活動を“スピリチュアリズム運動”の一環として位置づけし、それを霊界から援助する役割を買って出ました。こうしてマザーは現在、地上で献身的に歩む奉仕者を霊界から援助するという仕事に携わっています。

今、マザーは霊界で一人の高級霊として、またイエス主導の霊界の大軍団の一兵士として、スピリチュアリズム運動に参加しています。熱心な“スピリチュアリスト”として、他の高級霊たちとともに地球人類の救いのために歩んでいるのです。

地球圏霊界に属する高級霊の全員が、霊界を挙げての“スピリチュアリズム運動”に参加しています。スピリチュアリズム運動に参加している者を“スピリチュアリスト”と呼ぶなら、マザー・テレサを含めたすべての高級霊は皆、“スピリチュアリスト”ということになります。この意味で、スピリチュアリストではない高級霊はいないのです。

真実のイエスの愛を体験

マザーは、霊界でスピリチュアリズム運動に参加する中で、地上時代には求めても得られなかった“イエスの愛”を強烈に体験する生活を送るようになりました。霊界を総動員してのスピリチュアリズム運動が「地球人類を救いたい!」というイエスの愛から出発したものであることを知り、その中に身を投じることでイエスの愛をふんだんに味わうことができるようになったのです。

地上時代に魂の奥底から渇望してきた「イエスと愛において一つになる」という歓喜と至福の体験を、マザーは今、霊界において思う存分満喫しています。最高の喜び・幸福感を味わっているのです。そしてキリスト教徒としてではなく“スピリチュアリスト”として、地上時代に携わってきた仕事を霊界から精力的に推し進めています。イエスの軍団の一員として、「スピリチュアリズム普及」のために全力で働いているのです。

2.霊的観点から見たマザーの真価

何を信じるか・何を語るかではなく、何をするかが重要

神の摂理からすれば、その人間の本当の価値は、「何を信じるか・何を語るか」というところにあるのではありません。人間にとって一番大切な霊的成長は、日常生活の中での現実の行為によって決まるのです。「何を信じるか・何を語るか」ではなく、「何をするか」によって、その人の霊性が決定されるのです。

地上では信条や語る言葉や外面によって、しばしばその人間の評価が下されます。正義や愛を語る人間、道徳的な言葉を口にする者は、とかく立派な人間だと見なされがちです。しかし実際には、この世的な評価とは裏腹に、その人間の心の中はエゴと虚栄心と物欲で一杯ということもあるのです。地上では簡単に人々を騙し、自分を善く見せかけることができますが、内面のすべてが知られる霊界では、地上のようなウソやゴマカシは一切通用しません。

“マザーの真価”

――純粋で犠牲的な利他愛の実践

「人間は何を信じるかではなく、何を行うかで真価と霊性が決定する」――これが神の摂理です。確かにマザーは、地上時代には間違った教えを信じてきました。神とイエスについて、真実から懸け離れた教えを信じ込んできました。「霊的事実」に照らしてみると、キリスト教の教義に染まってきたマザーの地上人生には多くの間違いがありました。

しかしマザーは、自分の人生を純粋で犠牲的な奉仕活動に捧げてきました。自分の利益・幸福を後回しにして、貧しい人々のために、自らの時間とエネルギーを捧げ尽くしてきました。そこには私利私欲というものは何ひとつありませんでした。こうした生き方が、マザーの霊性を高め、真実の霊的人格をつくり上げることになったのです。マザーの地上人生は、「利他愛」という最も重要な「神の摂理」と完全に一致していました。信じたものは間違っていましたが、「正しい行為」によってマザーの霊性は高められ、霊的成長の道を歩むことができたのです。ここにマザーの真価があるのです。

マザーの一生は、まさに純粋な利他愛の実践そのものでした。マザーは地球人類の中で、最も「神の摂理」と一致した歩みをしてきました。最高に「霊的価値」がある生き方をしてきたのです。マザーの地上人生は、霊界の高級霊たちが今、自らをすべて犠牲にして地球人類のために献身的に働いているのと同じ次元の歩みでした。マザーは霊界の高級霊と同様の霊的実践を、地上にいながらにして行ってきたのです。マザーは、いかなる宗教・宗派に属する人々もかなわない真に霊的価値がある人生を送ってきたのです。

マザーは地上では、「心の闇」という無意味で的外れな悩みを抱えて生きることになりました。しかしそうした歩みであっても、その純粋な利他愛の実践は、マザーの魂を「正真正銘の聖女・高級霊の高み」にまで引き上げました。「何を信じるかではなく、何を行うかが本人の霊性と霊的成長を決定する」――この神の摂理の真実性を、マザーの人生は証明しているのです。

マザーが地上人類に示した手本

――無償の利他的行為の実際

マザーが「心の闇」を抱えながらも、貧しい人々への奉仕活動にすべてを捧げ尽くしてきたという生き方それ自体が“人類への教訓”と言えます。マザーの生き方は、私たちスピリチュアリストにとっても手本というべきものであり――「何を信じるか、何を語るかより、何を行うかが重要である」「信条や美しい言葉より、実際の行いこそがその人間の霊性を示している」という真理を教えています。マザーはキリスト教の内部に身を置いていたため、否応なく間違った教義を信じ込み、「心の闇」という悲劇を発生させることになってしまいました。

しかしそうした苦しい状況にあっても、マザーはなすべき奉仕活動に専念してきました。スピリチュアリズムから言えば、マザーの実際の行為が、マザーを聖人にしたということです。マザーの信仰がマザーを聖人にしたのではなく、「無償の利他愛の実践がマザーを聖人にした」ということなのです。「何を信じるかではなく、何を行うかがその人間の真価と霊性を高める」という霊的真理を、マザーは自らの生き方を通して実証したのです。

【7】マザーを良き手本とし、さらにはマザーを乗り越える

「心の闇」を抱えながらも、マザー・テレサはその純粋な利他愛の実践によって、地球人類に多くの教訓を残しました。マザーの生き方は、一般の人々だけでなくスピリチュアリストにとっても良き手本と言えます。

最後に、マザーに対する正しい見方と、マザーが私たちに残した教訓について見ていきます。

霊界には億万のマザー・テレサがいる事実を忘れない

地球人類のために人生のすべてを捧げ、犠牲的な歩みをしてきたのはマザー・テレサひとりだけではありません。霊界において“スピリチュアリズム運動”を進めている高級霊たちは、全員がマザーと同じく完全な利他愛の実践者です。霊界には、まさに億万のマザー・テレサがいるということなのです。

この重大な「霊的事実」を認識すれば、マザーだけを理想化し、崇拝するようなことがあってはならないことに気がつくようになります。確かにマザーは、地上ではめったに存在しない純粋な利他愛の持ち主でしたが、霊界においては数限りなくいる高級霊の一人にすぎないのです。

偽善的ボランティア活動をしない

マザーは利他愛の実践に関して、きわめて重要な教訓を私たちに残しています。それは私たちが奉仕する対象者は、すぐ目の前にいる貧しい人々・自分より恵まれない人々である、ということです。マザーはインドの貧困者に奉仕するために、インド国籍を得てインド人となっています。イエスはマザーを召命する際に、「インド人の修道女がほしい」と語りかけています。

マザーを理想化するファンの中には、わざわざインドに出向いてマザーの奉仕活動を手伝うボランティア活動に参加する人がいました現在でも同じです)。しかしそうした行為は、マザーが本心から望んでいたことではなかったはずです。おそらくマザーは、「わざわざツアーを組んで日本から来て奉仕活動をするくらいなら、日本にいて貧しい日本人のために奉仕すればいいのに……」と思っていたことでしょう。そうすればインドを訪ねるための旅費や滞在費を、貧しいインド人に与えることもできるのです。

インドにまで足を運んでマザーの手伝いをするという行為の底辺には、“自分の生きがいや満足を求める”という未熟な思い・幼稚な考えが潜んでいます。“自分は善いことをしている”という勝手な思い込みやエゴ的満足心が存在していることもあります。もしそうした思いがあるなら、インドにまで行って奉仕活動に参加することは“偽善的ボランティア”ということになってしまいます。事実、マザーは日本を訪問したときに、次のように述べています。「日本人はわざわざボランティア活動のためにインドに行かなくても、日本にいて貧しい人々を助けてください。日本の貧しい人々に奉仕してください」――「利他愛」の本質に照らしてみれば、このマザーの言葉は当然のことなのです。

もし今、マザーが生きていたなら――「私は私のすべきことをしますから、あなた方はあなた方のすべきことをしてください。私は私の場所(インド)で全力を尽くしますから、あなた方はあなた方の場所(日本)で全力を尽くしてください」と声を大にして言ったはずです。純粋な利他愛は、対象者や場所を選びません。

もし奉仕する相手や場所にこだわるようなことがあるとするなら、その人の奉仕精神や利他愛が本物ではないことを示しています。それはエゴ的行為・偽善的奉仕活動ということにもなりかねません。自己満足を求めるだけの子供っぽいボランティア活動は、一刻も早く卒業すべきです。“自分は善いことをしている”と自分自身を騙し続けるようなボランティア活動は、自らの魂をおとしめ、偽善者の仲間入りをさせることになってしまいます。

マザーより大きな奉仕の可能性

マザーは、世間から見捨てられた貧困者に誠心誠意をもって奉仕してきました。貧しい人々の中の最も貧しい人の心に励ましを与えてきました。しかしマザーには死後の世界についての正しい知識がなかったため、死んでいく人々に、死後の世界の真実を教えてあげることができませんでした。「霊界の事実」を知ることは、死を恐れる人々にとって“最高の救い”となります。

こうした意味で、霊界についての詳細な事実を知っている私たちスピリチュアリストは、マザーにはできなかった奉仕ができるのです。霊的知識を伝えて人々に“霊的救い”をもたらすという、次元の高い奉仕ができるのです。物質次元での人助けも利他愛であり立派な奉仕ですが、“霊的次元”での人助けは、それにも増して優れた奉仕活動です。それは永遠の魂の救いに直結するからです。より本質的で高次元の救いをもたらすことができるという点で、私たちにはマザーよりも大きな利他愛実践のチャンス・奉仕のチャンスが与えられているのです。

霊界にいるマザーは、“スピリチュアリズム”こそがイエスの愛の普及活動であり、人々の魂に真の救いを与える「最高の利他愛の実践・最高次元の奉仕」であることを悟っています。そして地上のスピリチュアリストに協力して「霊的真理の普及」に全力を傾けているのです。

今、霊界にいるマザーの願いは明瞭です。“スピリチュアリズム”が地球上に広まり、「霊的真理」が人々の人生の指針となり、世界中の人々が“霊的人生”を送るようになることなのです。

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