霊的身体とチャクラについての誤解

ニューズレター第19号

1.霊的身体についての誤解

古神道の四魂説と、神智しんち学の身体観

現在のスピリチュアリズムにおいて、誤解されがちな問題の一つが、人間の霊的身体についての見解です。“古神道”では人間の身体構成を「四魂説」で説いていますが、この四魂説がスピリチュアリズムの身体観と一致すると考える人々がいます。四魂説でいう荒魂あらみたま和魂にぎみたま幸魂さきみたま奇魂くしみたまは、肉体・幽体・霊体・本体(神体)に相応すると言うのです。四魂説では、肉体以外に3つの霊的身体の存在があるということになりますが、浅野和三郎がこの四魂説を主張したことはよく知られています。その浅野和三郎の影響が、現在の日本のスピリチュアリズムにも引き継がれています。

またスピリチュアリストの中には、“神智学”の身体観をそのまま信じている人々もいます。神智学では、肉体以外に、エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体といった複数の霊的身体があって、それらが肉体に重複しているとします。その「多次元的身体」から、それぞれ異なるオーラが放射されていると言います。

さらにはR・シュタイナーは、神智学から出て、別の身体観をつくり出しました。シュタイナーも、神智学同様、多次元的な身体観を説いています。シュタイナーは、肉体以外に、エーテル体・アストラル体といった霊的身体の存在を主張していますが、それらは神智学と同じ名称を使いながらも、内容的には異なったものとなっています。

この他にも、さまざまな宗教で独自の身体観が説かれています。

「神智学の身体観」と「スピリチュアリズムの身体観」は一見似ているが……

このうち最もスピリチュアリスト達に影響を与え、誤解と混乱を生じさせているのが神智学の身体観です。スピリチュアリズム関連の書物の中で、神智学の「多重身体観」が取り上げられ解説されることがあります。そこでは神智学の身体観は無条件に正しいものとして紹介されています。そのため多くのスピリチュアリストが、スピリチュアリズムの身体観と神智学の身体観は同じものであると錯覚するようになっています。

重要な結論を言えば、神智学や古神道の身体観と、スピリチュアリズムの身体観特にシルバーバーチの身体観)は、一見似ているようで、実は本質的な違い・根本的な違いがあるということです。この違いを明確にすることは、スピリチュアリズムをより深く理解することに通じます。

以下では、シルバーバーチの説明を手がかりにして、スピリチュアリズムの正しい身体観を見ていくことにします。

「霊界の界層」と「霊的身体」の関係

身体は、神の分霊である人間の「霊(真我)」にとっての表現形式の一つです。身体は霊という無形の分霊を表すための個性的な表現形式で、霊を種子とすれば、それを包む果実と考えられます。地上人にとっての身体は2種類あり、すでにご存じのように霊的身体と肉体がそれに相当します。死後の世界において用いる身体が霊体であることは、スピリチュアリズムにおいては常識です。霊体について今さら何の説明が必要なのかと思われるに違いありませんが、この「霊的身体」に対する見解が、現在の多くのスピリチュアリストの間に、誤解と混乱を引き起こしているのです。

死後の世界(霊界)が、さまざまな界層からできていることは、スピリチュアリズムを学んだ方ならば誰もが知っています。霊界はバイブレーションの異なる多くの界層から成り立っています。そしてそれぞれの界層には、その世界にふさわしい霊的成長を遂げた霊達が住んでいます。すなわち高い世界には霊的に進化した霊達が住み、霊界の下層には霊的進化の程度が低い霊達が住むというように、はっきりとした住み分けがなされているのです。高級霊の霊的身体は、高い世界に見合った精妙なバイブレーションをともない、低級霊の霊的身体は、低い世界に合った粗雑なバイブレーションをともなっています。

さて死後の世界である霊界ですが、ある人は霊界は大きく3つの界層から成り立っていると言い、別の人は7つの界層から成り立っていると言います。また9つの界層から成り立っていると言う人もいます。このうち最も多く信じられているのが、7つの界層から成り立っているという見解です。マイヤースやインペレーターは、世界は物質世界を含め7つの界層から、そして神智学も、世界は7つの界層から成り立っているとしています。

厳密に言えばインペレーターは、世界を3つに分け、それぞれの世界は7つの界層から成り立っていると言います。そして地球は、一番下の世界の7つある界層の最上層の世界であるとしています。つまり地球の位置する世界の上に、さらに7つの界層を含む2つの世界があるとして、トータル21の界層を想定しています。

またコナン・ドイル霊は、地球の上に、それぞれ3つの界層からなる幽界・霊界・神界と1つの超越界があるとして、10の死後の界層の存在を述べています。

霊界で使用する霊的身体は、各界層に適合する材質からなる身体と考えられます。したがって界層が4つあるなら4つの異なる霊的身体が必要になり、界層が7つであるなら7つの異なる霊的身体が必要になるということです。こうした見解は、とても理論的で筋が通った説明のように感じられます。事実、大半のスピリチュアリスト達がそのように考えています。しかし、この見解には大きな矛盾があるのです。

霊界は、グラデーション的変化をともなう一つの世界

ここで問題としなければならないのは、状態の異なるそれぞれの界層は、明確に区切られているかどうか、明確な境界線があるかどうか、ということです。7つの界層というと普通は、7つの別々の層が、上へ上へと積み上げられているようなイメージを描きがちです。バームクーヘンを大きくしたような、地理的に層をなしている状態を思い浮かべます。多くの人々は無意識のうちに、この7つの界層には区切りがあると考えているのです。

一方、スピリチュアリズム関係の多くの霊界通信では、界層の境界は明確なものではないとしています。7つの世界があるといっても、それは虹のように上下の界層が交じり合って連続していると言うのです。「上下の界層間には明確な境界線は引けないが、全体的に見ると、虹が7色から成り立っているように区分がある」と言うのです。

スピリチュアリズムでは“界層”という言葉を用いていますが、それはどこまでも便宜上、使っているに過ぎません。現実には――「霊界は一つの世界であり、それがグラデーション的に状態が変化している」ということなのです。シルバーバーチは、次のように明快に述べています。

「霊界は7つの界に分かれているなどと、まるで地図でも見るような言い方をする人がいますが、そのようなものではなく、すべてが融合し合っているのです。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.95

「私はその“7つの界”とやらを知りません。第1から第7まで番号のついた界というものを私は知りません。私が知っているのは、たった一つの界があって、それが無限の階梯をなしているということです。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.51~52

霊体は、グラデーション的変化をする一つの身体

霊界における状態の異なった場を界層と名付けるならば、グラデーション的変化をともなう霊界は、無数の界層から成り立っているということになります。3つだ7つだ、9つだというようなものではなく、無数の界層が存在するということです。その無数の界層には、それに見合った霊的レベルの霊達が生活しています。ここまで言えば、人間には3つの霊体がある、7つの霊体があるという考え方の矛盾に気がつかれるはずです。

霊界が無数のグラデーション的変化をともなう世界ならば、そこに住む人間の霊的身体も、無数のグラデーション的変化をしなければなりません。霊界の無限の状態変化に対して、人間の霊的身体も無限の変化をして初めて適応することができるようになります。これが霊的身体について考える際の、一番の原則であり、最も重要な点なのです。人間の霊体は、3つ、7つというように複数あるのではなく――「グラデーション的に変化する一つの身体である」ということがポイントなのです。

とは言うものの、シルバーバーチ自身が、人間には多くの身体があって、死後それを脱ぎ捨てていくというような言い方をしている箇所があります――「あなたには沢山の身体が備わっています」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.104

これを文字どおり受け取るならば、シルバーバーチの身体観は、神智学や古神道の身体観と同じということになってしまいます。しかし『シルバーバーチの霊訓』は、神観を理解するときもそうであったように、一部の言葉だけを鵜呑みにすると、大きな誤解をしてしまうことになります。他の説明箇所も含めて、トータル的に判断しなければなりません。この場合も、まさにそれが当てはまるのです。

私達は、シルバーバーチの次のような別の言葉に注目しなければなりません――「あなたは常に、その時点での霊格にふさわしい身体で自我を表現しているわけです。死後の身体はそういう過程をたどります。それが無限に続くのです『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.104) 「一連の身体があり、それをアストラルだのエーテルだのと呼んでおられますが、それも一個の霊が顕現したものなのです。用語に惑わされてはいけません」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.106

シルバーバーチは、3つ、7つというような独立した複数の身体の存在を肯定しているわけではありません。

「古い霊的身体を脱ぎ捨てる」という言葉の真意は?

シルバーバーチは――「そしてさらに進化すると、昆虫が脱皮するようにそれを脱ぎ捨てます」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)p.104)と言っています。この言葉をそのまま受け入れるならば、霊界では、霊的進化につれて古くなった霊体を脱ぎ捨て、新しい霊体をまとって次の界層に行くということになります。

霊的身体はグラデーション的変化をしながら、さまざまな様相を示すことになるという基本的原則を正しく理解していないと、シルバーバーチの「霊体を脱ぐ」という表現に惑わされ、ここでも大きな勘違いをすることになってしまいます。シルバーバーチの「古い霊的身体を脱ぎ捨てる」という言葉の真意を理解するためには、次の説明を正しく知っておくことが必要です。

「自然に成長し、自然に進化していくのです。程度の低い要素が高い要素に、その場を譲っていくのです。何度も死に、何度も誕生するのです。幽体は肉体の死と同じ過程で失われていくのではありません。低級なものが消えるにつれて浄化され、精妙になっていくのです。それが幽体の死です。そもそも死とは、変化であり復活であり、低いものから高いものへの上昇です。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)p.128

下線は筆者記。

ハート出版『不滅の真理』の218頁には――「人間には幾つもの霊的身体が備わっているわけです」とあります。この原文は、“You have bodies.”であり、文脈から判断すれば霊体と肉体の2つの身体と考えなければなりません。それを幾つもの霊体としたのは、明らかな誤訳です。

全く同じ原文が、潮文社『シルバーバーチの霊訓(3)』の195頁、2行目では――「幾つかの身体が備わっているわけです」となっています。こちらが正しい翻訳です。

「肉体の死」と「幽体の死」の違い

ここ(『シルバーバーチの霊訓(4)』p.128)では、「幽体の死」についての説明がなされています。シルバーバーチは、「幽体の死」は、「肉体の死」とは異なると明確に述べています。

まず「肉体の死」ですが、これは言うまでもなく、霊的身体が「肉体という古くなった身体(衣)を、文字どおり脱ぎ捨てること」です。霊体と肉体という2つの身体が、永遠に分離することです(図1)。

一方「幽体の死」については、幽体にも死の状態があるが、その死は「肉体の死」とは内容的に異なると述べています。すなわち幽体の死とは、肉体の死のように「古くなった身体を脱ぐことではない」と言っているのです。「幽体の死」とは、新旧2つの身体が永遠に分離するということではないのです。

霊体と肉体の分離
【図1】 霊体と肉体の分離

霊的身体は一つですが、それが地上人の場合や死後間もない霊の場合は、幽体と呼ぶことがあります。つまり霊体の低い状態のことを幽体と言っているだけのことで、全く同じものなのです。

「幽体の死」とは精妙化のプロセスのこと

シルバーバーチは、「幽体の死」とは、浄化であり精妙化のプロセスであるとも言っています。これは新しい身体が古い身体を脱ぎ捨てるのではなく、一つの身体の状態が変化することを意味しています。私達の肉体は、古い細胞を捨て去り新しい細胞をつくり出しながら、常に同じ一つの身体を維持しています。外皮のすべてを一度に剥ぎ取って、突如新しい身体が生まれるわけではありません。

幽体の変化も、これとよく似ています。幽体は、古い衣服を脱ぎ捨てるように変化するのではなく、幽体の古くなった幽質細胞を捨て去り、新しい幽質細胞に徐々に場を譲っていくプロセスで変化していきます。それをシルバーバーチは比喩的に、「古い身体を脱ぎ捨てる」と言ったのです。つまり「状態の変化・身体の精妙化」ということを指しているのです(図2)。

同一体(霊体)の変化
【図2】 同一体(霊体)の変化

霊界では、こうした「幽体の死」と同じプロセスが、永遠に続いていきます。霊的な進化にともない、自動的に霊的身体の精妙化という過程が続くということなのです。こうして一つの霊的身体はグラデーション的に変化し、無限の変化の様相を持つことになります。この一連の変化を時間をおいて観察すれば、別々の身体をまとっているように見えるのです。

「幽質接合体」の脱ぎ捨て

地上人は、多くの霊体を重ね着しており、霊界での進化にともないそれらを一枚ずつ脱ぎ捨てていくという、一般的に信じられている身体観の間違いが明らかになりました。霊体はそれ自体が変化していくのであって、脱ぎ捨てるという文字どおりのプロセスがあるわけではありません。

さて、ここでは「脱ぎ捨てる」という表現がまさにそのまま当てはまるような、特別な事例を取り上げることにします。それが死の直後に生じる、「幽質接合体」の脱ぎ捨てなのです。

スピリチュアリズムでは一般に、人間を、霊体と肉体の二重構造の存在と説明します。そして“死”とは、霊体と肉体を結ぶシルバーコードが切れ、2つの身体が永遠に分離することだと言っていますが、次に地上人の身体構成を、もう少し詳しく見ていくことにします。

実は、霊体と肉体という2つの身体の中間に、これらを結合する「幽質の中間身体」が存在しています(図3)。幽質でできた衣のような接合身体と言ってよいでしょう。霊体と肉体という2つの身体を結ぶ“接着剤”が、身体のような形をしている状態を思い浮かべたら分かりやすいと思いますが、そうした中間体があるのです。その中間身体は、肉体に近い部分は物質性が濃厚で、霊体に近いところは幽質に近い状態となっています。全体として見れば半物質・半幽質の中間身体と言えるでしょう。

地上人の身体構造
【図3】 地上人の身体構造

睡眠中の幽体離脱時には、この中間接合体が分離し、シルバーコードが形成されます(図4)。シルバーコードは無限に伸びる不思議な性質を持っていますが、肉体の死にともない、切断されることになります。その際、接合体の一部は霊体の外皮のような形で、霊体に引っ付いていきます。地上の時間にして数日間ほどは、霊体は「幽質接合体」という外皮をまとい、そして徐々に、この外皮を脱ぎ落としていくことになります(図5)。この外皮は、マイヤースが言っているダブル(複体)の“ハスク”に相当します。

もし、この幽質の外皮が拭えないと“自縛霊”になり、いつまでも地上臭を持ち続けることになります。実際は、自分自身の意志が外皮を脱ぐことを阻害しているのです。)

地上人の睡眠中の身体状態
【図4】 地上人の睡眠中の身体状態
死後の霊体と幽質接合体の分離
【図5】 死後の霊体と幽質接合体の分離

普通は死の自覚とともに、幽質の外皮は自動的に脱げ落ちるようになり、純粋な霊体だけの存在になって、新たな霊界での生活を始めることになります。

この幽質の外皮(接合体の遺物)が霊体から分離されるプロセスは、まさに文字どおり「古い衣を脱ぎ捨てる」のと同じ状況になっています。あるいは「さなぎが蝶に脱皮する」状態にたとえることもできます。

脱ぎ捨てられた接合体の遺物(幽質外皮)は、時間とともに分解していきます。しかし、もとの持ち主である“霊”が、何らかの意識を向け、霊的エネルギーを注ぎ込むようになると、捨てられた遺物が操り人形のように活動を始めるようになります。これが霊視能力のある人には“幽霊”として認識されることになります。

一般に“幽霊”と言われるものには、2つのケースがあります。一つはここで取り上げた、幽質外皮がリモートコントロールされたような状態で動き回るというものです。

もう一つのケースは、低級霊・自縛霊が、地上人から霊的エネルギーを奪って物質化したものです。

高級霊の「仮の霊的身体」の着脱

これ以外にもう一つ、「霊体を脱ぎ捨てる」という言葉がピッタリのケースがあります。高級霊は、高級霊界から仕事のためにわざわざ地上圏に降りてくることがあります。シルバーバーチをはじめとする多くの高級霊達は、スピリチュアリズムの大事業推進のために、本来の高い霊界から地上圏の霊界に降り、活発に活動しています。

その際、一時的にその界層に見合った「仮の幽質外皮」を身にまとうことになります。地上圏に身を置くためには、その界層の幽質を素材として仮の身体をつくり上げ、それを身につけることが必要となるのです。そして再び本来の高い世界に戻るときには、その仮の外皮(幽質衣・幽質身体)を脱ぐことになります(図6)。まるで地上人がコートを脱ぐように、「幽質衣(幽質身体)を脱ぎ捨てる」のです。そしてまた地上圏の霊界に降りてくるときには、以前脱ぎ捨てておいた幽質外皮を身にまといます。

高級霊の仮の霊的身体の着脱
【図6】 高級霊の仮の霊的身体の着脱

シルバーバーチは、年2回の高級霊界での大集会に参加するために、地上圏との間を往復していました。その度ごとに、こうした「仮の幽質身体」を脱いだり着たりしていたのです。高級霊界の集会に参加するときには、それを脱ぎ捨て、本来の自分の身体状態になって上昇することになります。その際、脱ぎ捨てた「幽質の衣(仮の身体)」には、意識を残し分解しないようにすると言っています。

それは丁度、肉体の死後、霊体から脱ぎ落とされた幽質外皮が、意識エネルギーを投射されることによってしばらくの間、分解を免れる状況と似ています。遺物となった幽質外皮に意識エネルギーが与えられ、ある種の操り人形・幽霊が出現することになりますが、それと同じようなことが、さらに上層の霊界においても行われているのです。

スピリチュアル・ヒーリングの理論化には、「正しい霊的身体観」が不可欠

スピリチュアル・ヒーリングは、間違いなくこれからの医学(ホリスティック医学)の中心的立場に立つようになります。スピリチュアル・ヒーリングがそうした立場を確立するためには、スピリチュアル・ヒーリングを含めた明確な「医学モデル・医学理論」の確立が必要となります。

ホリスティック医学が、医学理論を確立する際に最も議論の対象となるのが――「霊の問題を、いかに明確な形で医学の中に組み込むか?」ということです。人間は霊性・精神性・身体性の3次元的要素から成り立つ存在である以上、ホリスティック(総合・全体)的な医学理論の中には当然、霊的なもの・霊的要素が含まれなければなりません。そしてそれについて重要な手がかりを与えることができるのがスピリチュアル・ヒーリングなのです。

これまでも、一部の研究者や医師達によって、ホリスティック医学の総合的な理論化の試みがなされてきました。その中で、米国人医師リチャード・ガーバーによる新しいホリスティック医学モデルは、「バイブレーショナル・メディスン(波動医学)」として知られ、現在における最も進んだホリスティック医学モデルの一つとして評価されています。

リチャード・ガーバーは、神智学の「多重身体論」を導入して、意欲的に、そして大胆に総合的な医学理論の確立を目指してきました。彼は、多次元にわたって存在する複数の身体とそこを流れるエネルギーを土台として、健康観・病気観・治療観をつくり上げてきました。それと同時に、これまで存在してきたさまざまな民間療法を、自らの治療メカニズムの観点から解説し、あらゆる治療法がバイブレーショナル・メディスンの中に位置づけされることを証明しようとしました。このようにして彼は、壮大な医学モデルをつくり上げました。

しかし、そうした彼の総合的な医学モデルも、スピリチュアリズムの観点から見れば、残念ながらそのすべてが空論に過ぎないことになります。それは彼が、神智学の霊的身体論を理論体系化の前提とし、理論展開上の出発としているからです。間違った土台の上に築かれた理論は、いかに壮大な理論体系であっても、すべて事実から懸け離れたものとなってしまいます。前提とした身体観が間違っていたために、せっかくの労作も、すべてが空論となってしまいました。

これからのホリスティック医学には、スピリチュアル・ヒーリングという実践と、それを理論化したモデルが必要となってきます。そのためにはスピリチュアリズムの正確な身体観の理解が、何よりもまず不可欠なものとなるのです。今後のホリスティック医学の発展のために――「スピリチュアリズムの身体観」を土台とした医学モデルづくりが、早急に求められることになるのです。

2.“チャクラ”についての誤解

「チャクラ思想」の影響

チャクラは、古代インド思想(ウパニシャッド)や、それを踏襲する神智学における重要な概念です。チャクラは微細身という不可視の身体上にある霊的中枢で、皿状の渦巻き形態をしているとされ、これが回転することによって、プラナーというエネルギーを出し入れすると言われています。また瞑想時にチャクラに意識を集中することによってチャクラが開発され、超能力が身につくとも言われています。

チャクラを巡っては諸説があり、その数にしても6つから9つといったように、さまざまな解釈が入り乱れています。チャクラの数については、現在では一般的に7つと考えられています。精神世界や神秘主義、あるいはニューエイジでは、チャクラの存在は常識のように思われています。また超能力の開発といえばチャクラと瞑想がすぐに取り上げられるほど、人々の間に浸透しています。

この“チャクラ”は、これまで見てきた複数の霊的身体論と同じく、現在のスピリチュアリストの中に大きな影響を及ぼしています。チャクラの存在を無条件に正しいものとして受け入れるような傾向が見られ、スピリチュアリズム関連の書物には、たびたびチャクラの解説が掲載されます。また海外のスピリチュアリズム関連機関での霊能開発セミナーでも、チャクラの存在が当たり前のこととして取り上げられ、チャクラについて学び、チャクラを意識した瞑想が取り入れられています。現在の多くのスピリチュアリストは、「チャクラ思想」に洗脳されていると言えるでしょう。

“チャクラ”に否定的なシルバーバーチ

神智学で言うような“チャクラ”という霊的中枢器官が現実に存在するものならば、スピリチュアリストがそれを信じたとしても何の問題もありません。

シルバーバーチには、ありとあらゆる難問が寄せられています。そしてシルバーバーチは、その一つ一つの質問に誠意をもって答えています。これまで寄せられた多くの質問内容が多岐にわたることを考えると、当然のこととしてチャクラについても何らかの説明があるのではないかと思われます。チャクラについては霊的能力との深い係わりが指摘されている以上、シルバーバーチがこの問題に触れないはずはないと思われます。シルバーバーチは、霊体やシルバーコードなど霊的事実について詳細に、しかも何度も繰り返して述べています。

ところが膨大な量に上る『シルバーバーチの霊訓』の中には、チャクラに関する説明は、全くといってよいほど見当たらないのです。

そうした中で唯一、シルバーバーチの“チャクラ”に対する考え方を窺い知ることができる発言が残されています。有名な英国の女性霊能者ドリス・ストークがシルバーバーチの交霊会に招待された折に語られたものです。その席でシルバーバーチは、チャクラについて次のような見解を述べています。

「伝統的ということは古くさいということを意味し、進歩がないということの証明でもあります。たとえばチャクラについて説くことは必ずしも必要とは考えません。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)p.55

これによるとシルバーバーチは、チャクラについての世間一般の姿勢に対して、明確な否定的立場を取っていることが分かります。チャクラを意識した伝統的な霊的能力開発の方法に対して、シルバーバーチは明確な批判的態度を示しているのです。もしチャクラについての従来の見解が正しいものなら、あるいはチャクラの開発が霊能力獲得に本当に効果があるのなら、シルバーバーチがわざわざここまで否定的な見解を述べることはなかったでしょう。

シルバーバーチ以外の通信霊で、人間の霊的身体について詳細で分析的説明を身上としていたのがマイヤース霊です。このマイヤースからの通信にも、不思議なことにチャクラについて言及した箇所が見当たらないのです。ダブルや神経魂などの極めて細部にわたる霊的身体の観察の中に、チャクラに関係する内容が見つからないのです。

こうした状況をどのように考えるべきでしょうか。結論を言えば、“チャクラ”というタントラ・ヨーガや神智学で言われてきたような独立した霊的器官は、もともと実在しないということなのです。霊的事実に対して、常に詳細な説明を心がけているシルバーバーチやマイヤースの霊界通信にそうした記述が見られないということは、チャクラそのものが存在しないからなのです。

“チャクラ”とは、霊体と肉体の接合点

とは言っても、『シルバーバーチの霊訓』の中には、チャクラを連想させるような記述が全くないというわけではありません。例えば――「いにしえの賢人が指摘している“第3の目”とか“太陽神経叢”などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一(link up)する場なのです」『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)p.39)とか、「そこから(ヒーラーのエネルギーが)患者の松果体ないしは太陽神経叢を通って体内に流れ込みます」『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)p.40)といったようなことが述べられています。

第3の目とか太陽神経叢は、位置的にはチャクラと一致します。しかしこれは、チャクラという独立器官の存在を示唆するものではなく、従来“チャクラ”と言われてきたものが、実は霊体と肉体の接合点を、地上サイドから観察したものであることを意味しているのです。この接点を通って霊体から肉体へ霊的エネルギーが流れ込み、反対に肉体から霊体へもエネルギーが入っていくことになります。この接点は、先に述べた霊体と肉体を連結する「幽質接合体」に存在します(図7)。

霊体と肉体の接合点(チャクラ)
【図7】

接点を通って霊体から多くの霊的エネルギーが肉体に流れ込むとき、その接点の状況を霊的視力で見ると、まるで一つの器官が活発に活動しているように見えます。そこからエネルギーがほとばしって流れ込んでくるように見えるのです。こうして大量の霊的エネルギーが肉体に流れ込むことにより、霊体に備わっている能力が肉体を通じて部分的に発現されるようになります。これがチャクラ開発にともなう超能力の発現なのです。

睡眠中など、幽体が肉体から離脱する時、シルバーコードによって2つの身体が結ばれています。その際、特別太い2本のシルバーコードがあります(図8)。

シルバーコード
【図8】

一つが霊体と肉体の頭部第3の目の部分)を結ぶもの、もう一つが霊体と肉体の腹部太陽神経叢の部分)を結ぶものです。霊体と肉体は、シルバーコードによって分離中もエネルギーの交換をしています。これは“チャクラ”が、霊体と肉体のエネルギーの通路となる接点のことであり、霊体と肉体が分離するときには両者を結ぶシルバーコードになることを示しています。

霊的なエネルギーを接合部に集中的に投射することによって、いっとき接合部が拡大し、急激に超能力を持つようなことが起こります。またドラッグなどの薬物によっても、部分的に接合部が広げられ、霊通するなどの現象が生じることがあります。言うまでもなく、こうした形での霊能力開発は邪道であり、“低級霊”のいいオモチャにされることになります。

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