霊的視野を身につけましょう
――地上世界のすべてを、霊的視点から見るのがスピリチュアリズムの基本です
ニューズレター第17号
1.霊的意識と肉体意識の断絶
霊的視野について理解するために、まず霊界人の意識と、私達地上人が持つ意識の違いを比較してみることにしましょう。霊的視野とは言い換えれば――「霊界人の意識・霊界人の視点」ということです。
霊界での、バーバネルとシルバーバーチの打ち合わせ
シルバーバーチは高級霊界の神庁において、地上圏へ降り、霊的メッセージを地上に届ける仕事を引き受けてくれないかと要請されました。シルバーバーチは、それを自分の使命として引き受けました。ここからシルバーバーチとスピリチュアリズムとの係わりが始まることになります。
シルバーバーチはその使命を実行に移すために、まず自分のメッセージを受け取ってくれる「霊媒」を探すことに着手します。霊界の記録簿を調べ、将来の自分の霊媒にふさわしい者としてバーバネルを選びました。
シルバーバーチの言によれば、シルバーバーチとバーバネルと(地上でバーバネルの妻となった)シルビアは、同じインディビジュアリティーに属するそうです。すなわち「同じ類魂の仲間」であるということです。おそらくシルバーバーチは、その類魂の指導霊であったと思われます。
シルバーバーチは、同じ類魂のメンバーであるバーバネルに、将来、地上に再生し、自分の霊媒としてスピリチュアリズムのために働いてくれないかと話を持ちかけました。バーバネルはその要請を受け入れ、地上に再生して、シルバーバーチの霊媒となって働く決心をすることになります。そしてこの歴史的な霊界通信を成功させるために、それをサポートする強力な霊団(*シルバーバーチ霊団)が結成されることになりました。
バーバネルは、シルバーバーチや、再生時に自分の守護霊となる類魂の仲間の霊と綿密な打ち合わせをし、いよいよ地上に再生することになります。こうしてバーバネルの地上人生が始まりました。シルバーバーチを指導霊とする霊界の霊団は、バーバネル霊が受精する瞬間を注意深く見つめました。そしてバーバネル霊が母胎に宿った瞬間から、その育成と精神の形成に関与していくことになります。バーバネルの育成には、絶えず霊界側からの働きかけがなされ、将来の「霊媒」に向けて着々と準備が進められていきました。
地上へ誕生後のバーバネルの意識
ところが地上に誕生してからのバーバネルは、霊界でのシルバーバーチとの約束を思い出すことはありませんでした。霊界であれほど、地上で霊媒として働いていく強い自覚と決意を固めていたにもかかわらず、それを全く思い出すことなく成長していきます。
18歳までのバーバネルは、霊的なことに関心も体験もなく、将来はビジネスマンとして大きな仕事をしたいという野心を持っていました。バーバネル自身が語ったところによれば、彼の十代の頃は、スピリチュアリズムに対して、むしろ反感を抱いていたそうです。両親の宗教に対する議論を見て育つ中で、彼は次第に無神論に傾き、それから不可知論へと変わっていったと述懐しています。
やがてバーバネルに、霊界での約束を果たす時期がやってきます。18歳の時、婚約中のシルビアをともなって、ブロースタインという中年の女性霊媒の交霊会(ホームサークル)に出席することになりました。そこでバーバネルは、初めて自分が「霊媒」の体験をすることになります。彼は無自覚のうちにトランス状態に入り、彼の口を通じて、シルバーバーチの第一声が発せられることになったのです。
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「霊的意識」を失ってしまう地上人
今述べたようなバーバネルが霊媒になるまでのいきさつについては、『シルバーバーチの霊訓』によって、すでにご存じのことと思います。さてここで注目すべきことは、霊界でのバーバネルは、「再生時には霊媒になる」と決意していたにもかかわらず、地上に生まれてからはそのことを全く意識することがなかったという事実です。
バーバネルは霊界での意識を思い出すどころか、スピリチュアリズムに反発さえしてきました。18歳になるまでは、バーバネルは自分が霊媒になるなどとは想像さえしていなかったのです。地上に再生する前は、霊媒としての役目を果たそうと悲壮な決意をしていたのに、肉体を持ってからは、そのことを部分的にさえ思い出すことがなかったのです。肉体に宿るまでの「霊的意識」と、誕生後の「肉体意識」は、これほどまでに違うということなのです。
この辺りの事情は、ハリー・エドワーズにおいても同様です。彼も霊界では、「ヒーラーとして、スピリチュアリズムのために貢献しよう」と決心していたはずなのに、肉体を持ってからは、それを全く思い出すことがなかったということです。それどころか彼も、スピリチュアリズムに対してむしろ反発心を感じていました。そしてスピリチュアリズムとはまるで関係のない、政治の世界に意欲を持ち、国会議員の選挙にも出馬しているのです。そのハリー・エドワーズも時至り、40歳を過ぎて突如、ヒーラーとしての霊的能力が開眼し、霊界で決意していた人生を歩み出すようになったのです。
肉体をまとった地上人は、普通、肉体意識しか自覚することができません。霊界での意識を思い出すことは、ほとんどありません。バーバネルほどの霊媒者であっても、霊界での意識を全く思い出すことがなかったという事実は、地上人の「霊的意識」が、いかに強烈に肉体の壁の中に閉じ込められているかということを示しています。人によっては時に霊的意識を部分的に思い出すことはありますが、それはきわめて稀なことなのです。
今このニューズレターを読んでくださっている大半の方々も、おそらく霊界で、「スピリチュアリズムと係わりを持つ」という明確な決意をして地上に再生したのではないでしょうか。
「守護霊」が必要な理由
こうした事情があるために、私達一人一人に「守護霊」が付くことになります。霊界での決意や打ち合わせの内容を逐一知っている守護霊が、私達地上人の分身として常に寄り添い、私達の意識の中に“インスピレーション”として「霊的意識」を吹き込み、導きをしてくれることになります。守護霊の導きによって、再生前に選択した地上人生の方向に、無意識のうちに近づいていくように仕向けられます。
地上人は、自分自身の判断で自らの人生を選択してきたように思っていますが、実際はこうした形で、霊界から導かれて地上人生を歩んできたのです。皆さん方も、地上に生まれて今日に至るまで「守護霊」に導かれ、スピリチュアリズムとの出会いを得ることができたのです。
私達が地上でスピリチュアリズムにたどり着いたということは、霊界からの導きが成功したことを意味しています。私達を背後から導いてきた守護霊にとって、これまでの苦労が確かな実を結び、再生前に霊界で交わした約束が達成されたことになります。守護霊にとって、これほどの喜びはありません。と同時に、私達にとっても、地上人として最高に幸運な人生をたどってきたということになるのです。
しかし、守護霊の導きが成功することがある一方で、当然のこととして多くの失敗も存在します。地上人類救済のために大きな使命を担って自ら再生を希望した高級霊が、肉体をまとうことによって「霊的感覚」が鈍り、物質的な欲望・煩悩に負けて道を外れることもあります。そして霊界での約束から大きく逸脱し、地上に再生したことの意味を失ってしまうのです。そうした霊の死後の後悔と苦痛は、当然大変なものになります。そして必死に導いてきた守護霊の努力も、すべて無駄になってしまうのです。
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2.霊的視野を持つとは
「霊的真理」から得られる3つの宝
現在、地球に対する霊界からの働きかけは、さまざまな形をとって、ありとあらゆる分野に向けて進められています。その最終目標とするところは、言うまでもなく――「地上世界に霊的真理を広める」という点に置かれています。
その意味で今、私達がシルバーバーチやインペレーターなどの高級霊によってもたらされた霊的真理を受け入れることができたということは、地上人類の中で、最も恵まれた立場にいるということになります。底辺の広いスピリチュアリズムの中で、まさに頂点に立っているということなのです。
霊的真理を手にした私達は、地上世界における「最高次元の霊的宝」を得ていることになりますが、その霊的宝とは、一言で言えば「魂の成長と救い」ということです。
さてその霊的宝は、「3つの霊的恩恵」として見ることもできます。1つ目の霊的恩恵は、これまで地上人類が知ることのなかった「新しい霊的知識」を手にすることができたということです。2つ目は、「新しい霊的視野・霊的視点」を得ることができたということです。私達を取り巻くさまざまな問題、また人生上の悩みなどに対して、これまでとは全く異なる高次元の視野から見ていくことができるようになったのです。3つ目は、「霊的成長のための実践的知識」を手にすることができたということです。地上人生の最大の目的である霊的成長(魂の成長)のために、具体的に何をなすべきかということを明確に知ることができるようになったのです。
私達はスピリチュアリズムによって、こうした素晴らしい霊的宝を得ることになりました。私達スピリチュアリストは――「新しい霊的知識」「新しい霊的視野」「霊的成長のための実践的知識」という3つの霊的宝を、他の地上人に先駆けて与えられたのです。
地上人に「霊的視野」を持たせることが、スピリチュアリズムの一つの目的
2つ目の霊的宝である「新しい霊的視野」とは「霊的真理に立った考え方・見方・判断をする」ということです。それによって、これまで地上という物質世界を物質的視点だけで眺めていたレベルを抜け出て、物質世界を霊的視野から眺めることができるようになります。シルバーバーチは、こうした「霊的視野」を地上人にもたらすことが、自分達の目的でもあると言っています。
「物質の中に閉じ込められている皆さんにとって、霊的実在を原理とした物の考え方をするのが難しいものであることは、わたしもよく知っております。しかし、そういう考え方をお教えするのが、わたしたちがこうして地上へ戻ってきたそもそもの目的なのです。皆さんが人生を正しい視野、正しい焦点でとらえてくださるように導くことです。」
シルバーバーチに言わせれば、地上人の大半が、人生を正しい視野・正しい焦点でとらえていないということになります。大半の地上人が、間違った考え方で、毎日を過ごしているということなのです。
霊的視野を持つとは、自分の考えを「霊的真理」に添わせること
先程、地上に生まれる前と後では、バーバネルの意識に、いかに大きな隔たりがあるかを述べました。肉体を持った人間の霊的意識は、まるで牢獄の中に閉じ込められたような状態に置かれており、普通は全くと言ってよいほどそれを自覚することはありません。
霊的視野を持つとは、別の言い方をすれば――「霊界の人々が地上世界や地上人を眺めるのと同じように見る」ということです。肉体を持ちながらも、霊界の人々と同じような見方・考え方をすることなのです。したがって霊的視野を持つための努力とは、霊界人にならって、通常の自分の見方・考え方を切り換えて、霊的なものにしていくということになります。
しかし肉体を持ち、霊的感覚の失われてしまった私達にとって、果たしてそうしたことは可能なのでしょうか?霊性の鈍くなってしまっている私達には、とてもできそうにないことのように思われます。ところが「霊的真理」を持っているということが、それを可能にするのです。
霊的真理とは、純粋な霊的視点そのものです。霊界にいる高級霊の視点が、取りも直さず霊的真理として語られているのです。したがって霊的真理に添って自分の考えを変える努力をすることによって、高級霊と同じ「霊的視野」が持てるようになるのです。
もちろん、そのためには大変な努力が要求されます。絶えず霊的真理を思い出し、それに一致させようとする意識的な努力が必要となります。そうしない限り、いつまでたっても肉体的な視野・物質的な視野から抜け出ることはできません。霊的真理を知らない人々と同じような視野しか持つことができません。
霊的視野を持とうと努めることは、最高次元の霊主肉従の実践
霊的成長のための実践の第一歩は、物質・肉体に
スピリチュアリズムの実践の第一歩は、この「霊的な自己コントロール」の闘いから始まります。この闘いに勝ち、自分自身が物質に翻弄されない存在となって、初めて霊的成長が可能となります。スピリチュアリズムではこのように、まず自分自身を修めることが真っ先に求められるのです。従来の多くの宗教と同様、スピリチュアリズムは、自己コントロールを信仰実践の出発点としています。
ところで「霊的な自己コントロール」、すなわち「霊主肉従の内面的闘い」にも、いろいろな段階があるということを知っておく必要があります。低い次元の霊主肉従から、高い次元の霊主肉従があるということです。初歩的な霊主肉従の段階は、物質欲・肉体本能の放縦にストップをかけるということです。具体的には、質素な生活・節度ある生活を心がけるということです。
そして霊主肉従の最も高次なものが、考え・思考そのものを、すべて霊的な観点からなすようにするということです。純粋な霊的思考ができるようにすることです。そしてこれが、まさに「霊的視野を持つ」ということなのです。霊界人のように地上世界の出来事を眺められるようになるということです。
こうした霊的視野を持つためには、当然のこととして、自分の内部の霊的状態が高まっていることが必要とされます。すなわち「初歩的な霊主肉従」がしっかりなされていることが不可欠な条件となります。基本的な霊主肉従が確立した上で、初めて霊的視野という「高次元の霊主肉従」が可能となるのです。
霊的視野によって、心が広くなり「霊的楽天性」が身につく
霊的視野で見るとは、地上世界の出来事を一歩高いところから見下ろし、より広範で高次元の判断をすることです。当然、一般の地上人とは全く異なる判断をすることになります。それは別の言葉で言えば、地上人でありながら、地上人の物質的視点を超えることです。実はこれは、従来の宗教で言われてきた「大きな悟り」の世界に至るのと同じことなのです。もっとも高級霊のレベルから見れば、その程度の悟りは霊界での常識ということになりますが……。
そうした高く広い視野を持つことによって、地上世界の出来事に振り回されたり、翻弄されることがなくなります。毎日毎日の出来事に、右往左往することなく、常にゆったりと、どっしりと臨むことができるようになります。心に深い安らぎと平安を宿すことができ、「霊的楽天性」という人徳を身につけることができるようになるのです。霊的視野を持つことによって、最高のポジティブ・シンキングが可能となるのです。
「いかなる問題においても、私たちは決して地上的観点から物ごとを見ないということ、地上的尺度で判断しないということ、人間的な憎しみや激情には絶対に巻き込まれないということ、往々にして人間の判断力を曇らせている近視眼的無分別に振り回されることはないということを忘れないでください。」
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- 3.スピリチュアリズム的生き方の特徴(4)霊的視野の重要性と、霊的楽天主義――スピリチュアリズムは霊的視野から地上世界を眺める
霊的視野を身につけることは、本当のスピリチュアルな能力を持つこと、この世の霊能者以上の力を持つこと
霊的視野を持つということは、単なる霊体の持つ能力(霊能力・サイキック能力)を超えたスピリチュアル・レベルの能力を身につけることを意味します。霊の姿を見たり、霊の声を聞くといったサイキック能力を発揮することができる霊能者は多くいます。しかしそうした霊能者の中で、高級霊と同じような視点で、地上世界の出来事を眺めることができる者はめったにいません。
これまでの人類史上、卓越したサイキック能力と、高次のスピリチュアル能力をともに備えた人間としてイエスを挙げることができますが、これは例外中の例外と言えます。肉体を持ちながらも高次の霊的視野を持つことができた人間は、地球人類の歴史の中で、イエスをおいて他にはいなかったのです。
この世には目を見張るような霊能力を発揮することができる人間がいますが、私達はスピリチュアリズムによってもたらされた「霊的真理」を活用することにより、彼ら以上の高い霊的能力を持つことが許されているのです。霊的真理を知ることによって、私達はどんな霊能者よりも高いスピリチュアルな能力を身につけることができます。霊界の高級霊と同じように、永遠の観点から日常の出来事を眺めることができる、価値ある霊的能力が与えられるようになるのです。
そして、そうした高い心境を持つことによって、霊界にいる多くの霊達の協力・応援を引き出すことができるようになるのです。
3.霊的視野の習慣化・定着を目指して
――日常の意識的努力が不可欠
先に述べたようにシルバーバーチは、地上人が霊的視野を持てるようにすることが、自分達が地上に来た目的であると言っています。したがって霊的視野を身につけることは、私達スピリチュアリストにとっての明確な目標となります。霊的視野を身につけるということは、天から与えられた「霊的真理」という宝を、正しく活用し、実践することでもあります。
霊的視野は、語学や新しい技術を習得するように、努力によって少しずつ身につけていくものです。意識しなければ、いつの間にか物質的視野に戻り、すっかりこの世の人々と同じレベルにまで下がってしまいます。したがって霊的視野を身につけるためには、初めは「意識的に霊的真理を思い出す」ことが必要となります。絶えず一人の時間をつくり、霊的真理を思い出し、心の持ち方を正していく作業を繰り返さなければなりません。心の切り換えは、初めはとても難しいことですが、努力を継続する中で徐々に身についていきます。それにともない日常生活においても、自然に霊的視野に基づく考え方ができるようになっていきます。やがて霊的視野が習慣化し、意識の中心に定着するようになります。
このように最初は、意識的に霊的視野を思い出したり、心を切り換える努力をしなければなりません。頭で分かっていても心がしっくりしない、実感が湧かないといったことは初期の段階では普通です。心もなかなか広がりません。そんな時こそ率直に、「神に助力を祈る」ことが必要です。まさに神に祈る好機なのです。そうした祈りは、地上人の霊的成長を心から願ってくれている守護霊にとって、とてもうれしいことであり、必ず全力で手助けしてくれるはずです。
一人になって目を閉じ祈ります――「神様、私に霊的エネルギーを与えてください。私の心にエネルギーを注ぎ込んでください。そして霊的視野が実感できるようにしてください。」5~10分、じっとして霊界からのエネルギーを取り入れるのです。すると自然と不思議な心の安らぎが訪れるようになります。心が明るくなり、力が湧き、頭がすっきりして視界が広がります。すぐそこに霊界があることを、生き生きと感じられるようになります。そしていつの間にか、霊的視野からの見方ができるようになっていることに気がつくはずです。
こうして守護霊の助けを得ながら、「霊的視野」が実感的なものとして身につくようになっていきます。霊的視野が自分のものになるにつれ、日常の出来事に心が乱されることがなくなり、常に安定した心境を保てるようになります。日々の努力を通じて、霊的視野から物事を眺められるようになったとき、自らの霊的成長を自覚することになるでしょう。
4.霊的視野の実際
――霊的視点を身につけるための実例
次にさまざまなケースごとに、「霊的視野」の実際を見ていくことにしましょう。ここに挙げた実例を、霊的視野を身につけるための練習材料として、また自分の心を整理するための現実の手助けとして、あるいは皆さん方の祈りの言葉として活用してみてください。
霊界と霊達を、霊的視野から見ましょう
――今、皆さん方は、どのような場所にいるでしょうか。自宅の部屋の中でしょうか。会社のオフィスでしょうか。あるいは雑踏の中、通勤電車の中でしょうか。どのような場所であっても、その場から、霊界と霊界人に思いを馳せることにしましょう。
今、私達の目に映るのは物質世界だけです。しかし実際は、その背後に「霊界」があります。現実にこの場に、霊界が展開しています。それを意識してみましょう。目に見える物質世界だけでなく、霊界を心の中に思い描いてみましょう。私達は今、2つの世界に同時に身を置いています。
今、私達の眼前に広がる霊界には多くの霊達がいます。そして私達のすぐ後ろには守護霊がいます。守護霊はいつも、私達一人一人を導き守ってくれています。その「守護霊」の存在を心の中に感じてみましょう。私達の行動と心のすべては、守護霊に知られています。一切の隠し事はできません。ですから裸になって正直に、守護霊に対しましょう。
<祈り>
たとえ肉体を持った私であっても、常に霊界があることを意識できますように……。物質的なものに心を奪われないように、霊的視野を与えてください。いつも私を導き守ってくださっている守護の霊に、心から感謝いたします。
――今度は霊界全体に目を転じてみましょう。
霊界には、地上人類を救うためのスピリチュアリズムの大霊団が組織されていて、地球に向けて働きかけをしています。地球圏霊界のすみずみまで霊達が配属されています。今この時も、世界各地で昼夜を問わず、スピリチュアリズム普及のために働きかけています。私達の背後にも、多くの霊達が連なって応援しています。
<祈り>
私も、霊界の高級霊の方々と同じスピリチュアリズムの一員として、自分の人生を捧げたいと思います。どうか私の人生を、霊界の方々の道具として用いてください。
神を、霊的視野から見ましょう
――物質世界と霊界と霊界人の3つが、同時に心に感じられるようになったら、さらに意識を拡大し、神に思いを馳せることにしましょう。
地上世界・霊界のすべてが、神の霊に包まれています。私達の心、私達の体は神の霊に満たされ、包まれています。神の霊の大海の中に、私達も、物質世界も霊界も霊達も浸っています。
私達は神の分霊であり、神から生まれました。だから神は私達の「霊の親」、私達は神の「霊的子供」です。そして私達一人一人は、今、神から最高の愛で愛されています。神は法則によって世界と人間を支配していますが、その法則の背後には「神の慈悲」が存在しています。神は私達に直接、姿を顕すことはありませんが、私達は常に、神によって愛されているのです。
<祈り>
神様、私はあなたを信じます。私のすべてを、あなたに委ねます。あなたによって愛されていることは、私にとって最高の喜びです。あなたの子供であることに、感謝いたします。
地上世界・地球を、霊的視野から見ましょう
――霊界と神が意識できるようになったら、次は目の前に存在する物質世界・地球を眺めることにしましょう。
眼前に広がる物質世界は、霊界での生活に備えて造られた“訓練の場所”です。わずか100年にも満たない短い地球上での生活で、いろいろな体験をして魂(心)を鍛え、成長させるために私達は生まれてきました。今、私達は魂を成長させるために、地球という物質世界に生きているのです。
その地球は多くの惑星の中で、霊的にきわめて低い場所です。「物質主義と利己主義」だけに支配され、神の愛も光も届かない暗黒の世界になっています。そのため多くの人々が、本来必要のない苦しみを味わっています。しかしその暗黒の地球にも、高級霊によって少しずつ光が射し込まれ、徐々により良い訓練場になりつつあります。
私達は暗黒の地球にあって、幸いにもスピリチュアリズムと出会い、直接、霊的光を受けられる恵まれた立場に立っています。地上人として「最高の恩恵」に浴しているのです。
<祈り>
神様、私に最高の地上人生を与えてくださって、ありがとうございます。私の一生を、スピリチュアリズム普及のため、人類の救いのために捧げます。
地球上の出来事・ニュースを、霊的視野から見ましょう
――地球上で毎日起こっている、さまざまな事件・ニュースに目を向けてみましょう。大半の地上人は、そうした出来事に右往左往し、不安を募らせ、無用な心配・恐怖にとらわれています。
地球上の悲惨な事件・ニュースは、すべて地上人類を支配している「物質主義と利己主義」から生じています。でもそれを、私達が心配したり恐れたりする必要はありません。霊界からの働きかけによって、徐々にではあっても確実に、地球は良い方向に向かっています。
霊界の高級霊達がすべて良きように計らってくださっている以上、私達が将来を憂える必要などありません。私達スピリチュアリストは「霊界の道具」として精いっぱい、スピリチュアリズム普及のためにお手伝いしていけばよいのです。それがベストの生き方なのです。
<祈り>
神様、一刻も早く、地上での醜い争い・
私は地上の出来事に心を乱すことなく、あなたと高級霊の方々の導きを信じます。そして、いつかその努力が実って、地球上に天国が到来することを信じます。
家族を、霊的視野から見ましょう
――次に、地球上の人間関係に意識を向けてみましょう。まず、皆さん方の家族を見てみましょう。家族(家庭)は大半の地上人にとって、心の拠りどころであり、最も大きな慰めの場所となっています。これをどのように見つめるべきでしょうか。
私達の家族の一人一人は、霊的成長を目指して、この地球に生まれてきました。彼らは私達の家族であるより先に、「神の霊的子供」なのです。そして家族のそれぞれに、彼らを導く「守護霊」が付いています。同じ家族であっても霊的成長のレベルは異なり、各自が自分の成長に責任を持って地上人生を生きていかなければなりません。一人一人が皆、霊的成長のための厳しい訓練の道を歩む等しい神の子供なのです。
家庭は人間にとって優れた“愛の訓練場所”ですが、そこで育まれる愛のほとんどは、霊的なものではありません。家族への愛よりもっと価値ある愛は、血縁関係のない人々へ向けての愛です。多くの人々の霊的救いのために働くことこそ、より次元の高い愛の行為なのです。家族愛より「霊的奉仕」の方が、はるかに価値があるのです。
<祈り>
神様、縁あって地上で家族となった者達が、どうか地上人生を有意義に過ごし、霊的成長をなせますように……。
そして自分の意識が家庭を超えて、より広い人類の幸福へと向かいますように……。常に私の心に、家族よりもあなたと全人類への愛が強く宿りますようにお導きください。
まわりの人々を、霊的視野から見ましょう
――家族という身近な人間関係から目を広げ、まわりにいる人々を眺めてみましょう。私達のまわりにはさまざまな人々がいます。背中の曲がった老人がいます。茶髪の青年もいます。会社員風の男性、セーラー服を着た女子高校生も見えます。金持ち風の男性が高級車に乗っています。公園のベンチには、みすぼらしいホームレスの男性の姿が見えます。
まわりの人々の、外見に惑わされてはなりません。すべての人々は、魂を成長させるために地球に生まれてきたのです。しかし大半の人々は地上かぎりの楽しみや喜びを求め、かけがえのない人生を、全く無駄なことだけに費やしています。
彼らが「霊的真理」を知らず、物質的な満足だけを追い求めているのは、何と気の毒なことでしょうか。死ねば素晴らしい霊界に行けることを知らず、死を恐れているのは、何と哀れなことでしょうか。
<祈り>
神様、今、私の目の前にいる人々が一刻も早く霊的真理を受け入れ、霊的人生を歩み出すことができますように……。せっかくの地上人生を、はかない物質欲だけにとらわれて無駄に終えることがないようにお導きください。
――道を歩くと、ブラジル人らしい若者のグループが見えます。またテレビのスイッチを入れると、画面には世界各国の人々の姿が映し出されています。
この人々も皆、私達と同じ「神の子供」です。彼らも魂を成長させるために地球に生まれてきました。そして自分にふさわしい環境として、今の人種・国・性別を選んだのです。彼らは、神の子供であり、私達とは「霊的兄弟姉妹」なのです。
<祈り>
神様、地球上に生を
――物質主義と利己主義の支配するこの地球上には、肉体を維持するための最低条件(食料・衣類・住まい)さえも保証されない気の毒な人々が大勢います。食べる物にも事欠く悲惨な状況の中で、霊的なことなど到底考えられない哀れな人々がたくさんいます。
地上に生を享けた人々は皆、地上生活を通じて霊的成長をなすために生きています。それが地球全体の未熟さのために犠牲となり、霊の道具である肉体さえも維持することができなくなるというのは、本当に悲惨なことです。今後、何百年をへて地球が霊的に進化した暁には、こうした人々は、地球上には存在しなくなるはずです。
しかし21世紀の現代では、地球はまだそこまで進化していないために、多くの哀れな犠牲者達を生み出しています。地球人類全体の未熟さのために犠牲となった人々は、霊界において埋め合わせの道を歩むことになり、永い視点から見れば、決して不公平な扱いを受けることはありません。しかし現在の地球上においては、彼らは最も不幸な人々なのです。
<祈り>
神様、どうか最も恵まれない地上の仲間達に、生命をつなぐ最低限の保証が与えられますように……。今、地上人生において最低のものさえ得られずに死んでいく哀れな兄弟姉妹達には、霊界での幸福と、今後の霊的成長の道が約束されますように……。
そして地球全体が進化して、一刻も早く、こうした哀れな人々を生み出すことのない惑星に至ることができますようにお導きください。
自分自身のことを、霊的視野から見ましょう
――ここで目を転じ、今度は、自分自身のことを霊的視野から見ることにしましょう。
私達は、魂を成長させるために地上に生まれてきました。肉体は、地上で魂を成長させるのに必要な道具のようなものです。道具(肉体)は死とともに朽ち果て、土に戻りますが、私達の魂は、死後も霊界で永遠に生き続けます。
霊界こそが、私達の本来の世界であり、今は
<祈り>
神様、私の人生は、人々への奉仕と自分の霊的成長をなすためだけにあることを、強く自覚させてください。物欲に惑わされ、本能の放縦に流されることがないように、私を高めてください。もっともっと清い世界を求める力を、どうかお与えください。
自分の人生とライフワークを、霊的視野から見ましょう
――私達は、何のために生きているのでしょうか。大半の人々が人生に確かな目的を見い出せないまま空しく時を過ごし、死んでいきます。自分の一生を懸けて追い求めていく目標を持った人々は、ほとんどいません。
それは物質世界だけがすべてだと思い、人生を永遠の尺度から考えられないからです。
私達は「霊界の道具」として、スピリチュアリズムのために働くことを決意し、自ら願って地上に生まれました。私達の地上人生は、霊界の人々の地上人類救済活動に協力するためにあるのです。私達を通じて、一人でも多くの人々が「霊的真理」に出会うことが、私達の本来の願いでした。それを思えば、真理普及と関係のないどちらでもいいことに、自分の人生を費やしてはならないはずです。
これからの私達の人生を、すべて神と霊界に捧げ、「良き霊界の道具」として奉仕の道を歩んでいきましょう。
<祈り>
神様、私の人生を、すべてあなたの道具として捧げます。この世の物質的利益や名声は、何も求めません。私の唯一の願いは、この地上人生を終えたときに――“お前はすべてを人類のために捧げた、良き神の道具であった”という、あなたからの評価をいただくことだけです。どうぞ、私のすべてをあなたの道具として存分にお使いください。
苦しみ・困難を、霊的視野から見ましょう
――地上人生では、苦しみ・困難との遭遇は避けられません。次々と苦しみや困難が生じてきます。それはこの地上は、苦しみを体験する中で霊的成長をなすための“訓練場所”として造られているからです。
大半の人々は、何とか苦しみから逃げることだけを考えますが、同じ苦しみ・困難も、霊的視野から見れば小さなものとなります。そうした苦しみ・困難への対処こそ、まさにスピリチュアリストならではの努力なのです。
すべての苦しみ・困難は、自分の霊的成長を促すものとして生じてきます。物質次元にとらわれなければ、教訓を学び、霊的成長の糧とすることができるものです。正しい考え方をもって臨めば、地上の苦しみはすべて良いものとなるのです。その地上の苦しみは、一時的なものであり、いつまでも続くわけではありません。
また私達には、霊界の霊達(守護霊)という最強の味方・真の理解者がいます。霊界の人々が私達の人生をすべて良きように計らってくださる以上、その導きを信じるべきです。私達にとって、最も良い道が示されるのです。ですから自分なりにあがいたり、余分な心配や取り越し苦労をしないようにしましょう。いたずらに心配し、恐れや不安を募らせ苦しむのは、霊界の人々の導きを忘れているか、信じていないからです。それは自分の未熟さであり、霊性の鈍さに他なりません。
地上では、とかく人目を気にするところから苦しみが生じますが、霊的真理を知った者は、人の目より「神の目」を気にしなければなりません。自分に対するまわりの人々の評価は、気にする必要はないのです。今、自分が神の前に正しく立ち、心を高める努力をしているかどうかだけが問題なのです。
<祈り>
神様、いつの間にか物質次元の意識にとらわれ、あなたの存在と霊界の事実を忘れていました。そして、どちらでもいいような地上の出来事に心を奪われ、取り越し苦労をしていました。あなたが愛してくださっていること、そして常に霊界の方々が最大の導きをしてくださっていること、そのため何一つ心配する必要はなかったことを忘れていました。
神様、いつもあなたのことを強く思い、霊界の方々の導きを実感し、地上世界の出来事に超然とできるような広い視野を、私にお与えください。自分のことで悩み、エネルギーを費やすのではなく、人々への奉仕のために、すべてのエネルギーを傾けることができますように……。
地上の出来事は決して大きなものではないことを、自分の生き方を通じて、まわりの人々に示すことができますよう、どうか力をお与えください。
寂しさ・孤独を、霊的視野から見ましょう
――人間にとっての最大の苦しみは、誰からも愛されていないという寂しさ・孤独です。人はこの寂しさ・孤独から逃れるために、刹那的刺激や本能的快楽を追い求めます。他人とのお喋りやペットによって自分を慰めたり、趣味や娯楽で気を紛らわせようとします。
私達スピリチュアリストにとっても、寂しさ・孤独を乗り越えることは容易ではありません。それはまさに地上世界ならではの修行の現場であり、「霊的真理」を本当に活用する時なのです。
今、私達一人一人は、地上のどんな人間(両親・家族)よりも深い愛で、「神と守護霊」から愛されています。私達が今、寂しさを感じているのは、日常生活の忙しさの中で、その一番肝心なことをすっかり忘れていたからです。私達は、決して独りぼっちではありません。いつも神と守護霊と一緒です。
神と守護霊から「最高の利他愛」で愛されている私達は、何と幸せな人間なのでしょうか。それなのにその事実を忘れ、寂しくなって、いつの間にか自分と同じ不完全な人間から、愛されたいと考えていたのです。
今すぐ「神と守護霊」に意識を向け、その愛を思い起こし、霊的エネルギーをもらうことにしましょう。守護霊から与えられる霊的エネルギーによって、私達の心は満たされ、元気が湧いてくるはずです。
<祈り>
神様、あなたと霊界の方々から、真実の愛で愛されている私は、本当に幸せ者です。できることならばその愛を、もっともっと強く実感させてください。そして他の人から愛されることを期待するのではなく、自分が先に愛することができる強い人間になれますように……。
霊界の方々が地上人を愛するように、いつも明るい“愛の灯台”となれますようにお導きください。
死を迎える人を、霊的視野から見ましょう
――地上人にとって、“死”は避けられない宿命です。誰もが何十年か後には、必ず死に直面しなければなりません。一般の人々にとって、死は最大の不幸であり、最も悲しい出来事です。そして多くの人々が、何とか少しでも先に延ばしたいと思っています。
しかしスピリチュアリズムでは“死”について、180度異なる考え方をします。
死は素晴らしい再出発の時であり、楽しみに待ち望むべき喜びの時です。もうすぐ死を迎え、霊界に戻ろうとする人は、病気の苦しみや肉体の重さから解放され、素晴らしい出発をしようとしています。間違いなく、地上人生よりずっと幸せな生活が待っています。そうした新しい門出を迎えた人には、祝福の言葉を贈るべきなのです。
<祈り>
神様、今、霊界に旅立とうとするこの人が、死を自覚し、霊界での環境に早く慣れますように……。霊界の人々の迎えに、素直に従うことができますようにお導きください。
自分の死を、霊的視野から見ましょう
――最後に、自分の死について考えてみましょう。いつ死を迎えてもよいように、「霊的真理」に照らし合わせて、心の準備をしておくことが必要です。
私達自身が重病で“死”を避けられない状況のときは、霊的真理で心を整理し、霊界に思いを馳せ、死の訪れを静かに待ちましょう。死の直後には、あの世にいる家族や親しい人達が出迎えてくれるはずです。その人達との再会を心待ちにして、喜びに胸をふくらませましょう。
<祈り>
神様、私はもうすぐ地上人生を終わろうとしています。私は短い地上人生の中でスピリチュアリズムと出会い、スピリチュアリズムのために働くという、幸せな人生を送ることができました。まだまだやりたいことがたくさんありますが、それは他の多くの人々が、代わってやってくれるものと信じています。
私は霊界に行ってからも引き続き、霊界の方々とともに、スピリチュアリズム普及のために働きたいと思います。すべてをあなたに委ねますから、どうか霊界でも、スピリチュアリズムのために貢献する道を、私にお与えください。
神様、これまでのあなたの導きに、心から感謝いたします。