スピリチュアリズムの天使論

――神秘のベールに包まれている“天使”の実像

ニューズレター第44号

先回のニューズレター43号では、スピリチュアリズムの天使論の前半を述べました。今回はその後半です。天使の実像については謎のベールに包まれ詳細は明らかにされていませんが、スピリチュアリズムによって示された範囲で述べていきます。

内容は次のようになっています。

8.天使とイエスとスピリチュアリズム

――高級天使イエスの受肉(人間化)

スピリチュアリズムによって明かされた地球人類の最大の秘密

スピリチュアリズムの到来によって、地球人類にはこれまで封印されてきた地球に関する最も重大な秘密が、初めて明らかにされることになりました。長い間、地球人類に隠されてきた奥義おうぎを知ることが、ついに許されるようになったのです。

その秘密とは、これまでキリスト教の創始者とされてきたイエスについての内容です。実は“イエス”は、地球人類を霊性進化の道へと導き、人類を救済するという目的のために高級天使が受肉し、地球の人間として誕生した存在であったのです。耳を疑うような、あまりにも突拍子もない話に唖然あぜんとされるかもしれません。想像を超えた、いかにも馬鹿げた作り話のように思われるかもしれません。しかし、これは事実なのです。

高級天使イエスの受肉(人間化)

神の王国の役人である天使が、人間に生まれ変わるというようなことは、めったにありません。しかしごく稀なことですが、これまでの地球の歴史には、そうした事実が存在します。天使の受肉(人間化)というきわめて特殊な出来事の中で、特別に際立ったケースが、2千年前の高級天使イエスの受肉であったのです。これは人類の歴史上、最も重要な出来事です。前にも後にも、これほど重要な出来事は存在しません。

イエスの受肉の目的は、地球人類を救済することでした。では、なぜイエスは高級天使のままで「地球人類の救済」に携わることができなかったのでしょうか。そこには「神の摂理」に照らしてみたとき、どうしても人間として生まれなければならない理由があったのです。その理由は、天使と人間の立場の違いにあります。

天使の立場は、どこまでも神の王国の役人であり、その役割は住民である人間を外部から管理することでした。天使は、人間の霊的成長の歩みに直接関わり手助けをして導くようなことはできません。それができるのは地球を卒業した人間の霊に限られます。天使の任務は、人間が摂理にそって行動したときには善い結果をもたらし、摂理に反したときには修正の道を示すということです。神に代わって人間に褒美ほうびを与えたり、罰を与えることが役目であって、人間の歩みに手を貸すことはできないのです。

もし、どうしても人間に手を差し伸べて、その成長を助けたいというのであれば、自分自身が人間にならなければなりません。それは天使としての立場を捨てて、人間に生まれ変わるということです。神の王国の役人を辞めて、王国の住人になるということです。イエスは、こうした理由によって高級天使の立場を捨て、人間として生まれ変わる道を選んだのです。

人間としての生き方の見本を示す

高級天使イエスは、人間として生まれ変わることにより、地球人類の救済に直接関わりを持つことができるようになりました。人間となることによって「自己責任の摂理」のもとに自分自身を置き、人類救済の道を進めることができるようになったのです。しかしそれは同時に、イエスに大きな犠牲と負担を強いることになりました。

“受肉”ということは、重苦しい物質の中に魂が閉じ込められた状態で、不自由な肉体を道具とするということを意味します。それは誠意が常に裏切られる物質的環境に身を置いて、人間と同じように物質世界の苦しみを体験しなければならないということなのです。そうした厳しい環境の中で摂理にかなった生き方を貫いたとき、初めて地上人に対して霊的人生の見本を示すことができるようになります。そして地球人類にとって、自分で自分の魂を救う道、自分たちの世界を救う道が開かれることになるのです。

イエスによって始められたスピリチュアリズム運動

今、地球人類に救いの道を提示し、地球人類全体の運命を変えつつある“スピリチュアリズム”は、その大もとをたどると高級天使イエスに至ります。一人の高級天使が地球人類を救済するために受肉し、人間イエスとして誕生したという歴史的事実に行き着きます。

地球人類は、イエスという高級天使が身をていして起こした救済活動によって「霊性進化の道」を出発することになりました。霊界では、地球人類救済のために総動員体制がしかれ、イエスを頂点とする巨大な組織(ヒエラルキー)がつくられました。そして現在も、イエスをはじめとする地球出身の高級霊たちの主導のもとに、その計画が進められています。

『霊訓』に見るイエスの受肉の特殊性

インペレーター霊は、イエスの受肉の特殊性について次のように述べています。

「キリストの場合は、かつて一度も物質界へ降りたことのない高級神霊が人類の向上と物的体験の獲得のために一時的に肉体に宿ったものです。そうした神霊は高い界層に所属し、人類の啓発のために特殊な任務を帯びて派遣されます。」

『続霊訓』(潮文社)p.46

「イエスはずっと、その使命達成に意欲と愛を寄せる天使の一団からの指示を受けていた。イエスは、常に霊界と連絡を取っていた。その身体が霊の障害とならなかっただけ、それだけ自然に天使の指導を受け入れることができたのである。

地上の救済のために遣わされる霊は、そのほとんどが肉体をまとうことによって霊的感覚が鈍り、それまでの霊界での記憶が遮断されるのが常である。だが、イエスは例外であった。その肉体の純粋さゆえに霊的感覚を鈍らされることがほとんどなく、同等の霊格の天使たちと連絡を取ることができていた。天使たちの生活に通じ、地上への降誕以前の彼らの中における自分の地位まで記憶していたのである。」

『霊訓(完訳・下)』(スピリチュアリズム普及会)p.183~184

『霊訓』については翻訳原文の文体・表現を改めています。

イエスを中心とする高級霊界での“大審議会”と天使の参加

今この時も、地球人イエスを総指揮者として「地球人類救済プロジェクト(スピリチュアリズム)」が進められています。その大計画は、地球圏霊界のすべての霊たちの力を結集して推進されています。スピリチュアリズムでは、年に2回、地球圏霊界の上層においてイエスを中心とする大審議会が開かれます。そこにはスピリチュアリズム運動の責任を担い、指導的立場で携わっている高級霊たちが呼び集められます。この大審議会については、シルバーバーチが繰り返し述べていますので、ここでは詳細は省略します。

さて、その大審議会には高級霊(人霊)ばかりでなく、地球を管理する役目を持った高級天使たちも列席します。天使たちは、オブザーバーとしての立場で大審議会に参加するのです。スピリチュアリズムを進める主役は人間自身(地球出身の霊たち)ですが、天使は摂理の執行者として、側面から人類救済計画に関わることになるのです。

9.天使の存在と多神教の成立

霊界の天使たちを霊視していた太古の人

物質文明が現在ほど支配的でなかった古代の地球人類は、現代人よりもずっと霊能力を発揮していました霊能力の有無が、必ずしも霊性の進歩のレベルを示しているわけではありません。霊性のレベルとしては、かつての地球人よりも現代人の方が全体的に進んでいます)

古代人の多くが、霊界の天使たちを霊視することができました。霊界の至る所に存在する、光り輝く天使たちの姿を認識していたのです。

多神教の形成

――天使を神々とする信仰の成立

天使は、地球に人類が登場する遥か以前に誕生し、進化の道を歩んでいました。そうした天使たちに対して、進化の歴史が浅く未熟な霊性レベルにあった地球人が、脅威と恐れを抱いたとしても不思議ではありません。人々は、人間の霊とは違って目映まばゆいばかりに光り輝く天使たちを“神々である”と思うようになりました。そして天使たちをおそれ崇拝し、信仰の対象とするようになったのです。こうして地球上のさまざまな地域に「多神教」が形成されることになりました。

多神教は、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)からは、原始レベルの宗教と見なされます。しかし心霊学的知識に照らしてみると、それはキリスト教などの一神教よりも多くの点で「霊的事実」に忠実であり、内容的に正当性を持っていることが分かります。

神と天使の区別

――「一神教」と「多神教」の線引き

時代が進み一神教の宗教が形成されるようになると、そこでの信仰対象は「唯一の神(エホバ・ゴッド)」だけに限定されることになりました。そして、それまでの天使たち(神々)との間に明確な区分がなされるようになったのです。神―天使界―人間界という3界層の関係の中で天使界は位置づけされ、神と神々(天使たち)との間には一線が引かれることになりました。天使は、神と人間との中間にあって、仲を取り持つ存在(神の使い)と考えられるようになりました。こうして「一神教」のもとで、天使たちを信仰の対象とする多神教は排斥はいせきされるようになっていきます。

しかしカトリック教会の中では、神(ゴッド)への信仰と並行して、熱心な天使信仰も存在しました。唯一神信仰のもとでも、天使への崇拝の念は人々の間に根強く生き続けたのです。そして中世を経て宗教改革の時代を迎え、天使を信仰対象とする多神教的姿勢が厳しく糾弾きゅうだんされるようになっていきます。

日本の神道の神々とは

――天使を神々とした純粋な多神教か?

日本の神道は、しばしば多神教の代表のように言われます。しかし日本の神道が、果して天使たちを神々と認識したところに成立した純粋な多神教であるかどうかについては、多くの疑問が付きまといます。古代の日本では、地方の豪族ごとに“守護神”が祭られていました。その大半が天使を霊視したところに成立したものと思われます。それと同時に、氏族の先祖の霊たちが“祖霊(氏神)”となって子孫を守護するという祖霊・氏神信仰も存在していました天使信仰と先祖霊信仰が並列して存在していたということになります)。古代社会は祭政一致が当たり前であり、守護神・氏神は、氏族を代表する存在と見なされてきました。

やがて大和朝廷の前身である一有力豪族が、各地方の豪族を徐々に支配していきます。その勢力拡大の過程で、支配下に収めた各豪族の守護神を、自分たちの守護神(天照大神あまてらすおおみかみ)のもとに従属させる必要が生じるようになります。そうした政治的意図のもとに、人工的につくり出された宗教が「神道」だったのです。神話(古事記)の中には、大和朝廷の守護神(天照大神)を頂点とする神々の体系が示されています。そして神話によって、大和朝廷の王が日本を治めることが正当化されています。

神道の中には多くの神々が登場しますが、それらは霊視によって認識された天使たちの実際の世界ではありません。各地方の豪族のもとで行われてきた信仰では、天使が神々として崇拝されていた可能性は十分考えられますが、神道という人工的宗教において登場する神々は、必ずしも天使たちを表したものではありません。心霊学の観点からするなら、神道は純粋な多神教とは言えません。

10.ユダヤ・キリスト教における天使たち

――異郷の神々を天使として取り込んだ天使論

天使となった異教徒の神々

旧約・新約聖書の中には、天使に関する記述が見られます。その多くが、異教徒の伝説から借用したものであったり、単なる人間の作り話であったりします。

聖書に登場する天使のルーツをたどると、ユダヤ教の中に取り込まれた異郷の神々と、その神話伝説に行き着きます。この辺りの事情は、日本の神道における神々神話に登場する八百万やおろずの神々)のケースときわめて似ています。古来より地球上の各地には神話が存在し、その神話に基づく宗教と政治が行われてきました。聖書に登場する天使たちは、こうした各地の神話に由来しています。

聖書に登場する天使の中で最もよく知られた存在は、ミカエルとガブリエルです。これにラファエルとウリエルを加えて“四大天使”と呼ばれています。これらの天使たちに共通する“エル”という語尾は、聖書で天使と呼ばれている存在が、元来異郷の神々(エル)であったことを示しています。ミカエルという名称はカルデアの神、ガブリエルはシュメールの神に由来すると言われます。異郷の神々は、聖書の中で天使として重要な脇役を果たしていくことになります。

天使を教義の中に取り込んだキリスト教

西暦325年のニケーア公会議で、教会は天使をキリスト教の教義に含めることを決定しました。ここからキリスト教における「天使信仰・天使崇拝」が始まることになります。キリスト教にとって、天使は重要な存在となりました。その後、中世神学において天使論の大成を見ることになり、天使崇拝は頂点に達するようになります。キリスト教で説かれている天使の内容は、霊的事実に基づくものではありません。その多くが人間の推測の域を出ないものです。

しかし、そうしたキリスト教の天使論の中にも“スピリチュアリズム”から見て正しいものが含まれています。中世において体系化された天使論では、天使の世界が壮大なヒエラルキー(階級世界)であることを述べています。この点は、まさに事実を言い表しています。もちろんヒエラルキーに関する具体的な内容や天使の名称については間違っていますが、天使を神と人間との媒介者であり、天使を人間よりも神に近い存在としている点については、ある面では正しいと言えますイスラム教では、天使の存在を信仰教義の中に組み込んではいるものの、その位置を人間よりも低いとしている点でキリスト教とは違っています)。また人間は神の前に直接出て行くのではなく、天使を介して神と通じるということを述べていますが、その点においてもキリスト教は正しい見解を示しています。

プロテスタンティズムの天使観

中世において一世を風靡ふうびした天使崇拝は、宗教改革によって登場したプロテスタンティズム(新教)から厳しく弾劾だんがいされ排撃されることになりました。プロテスタンティズムは、天使崇拝に見られる異教性・異端性をキリスト教的ではないとして強く否定しました。プロテスタンティズムは、どこまでも神中心の信仰のみを主張し、天使崇拝を間違ったものとしたのです。

崇拝の対象者・祈りの対象者は“神のみ”というプロテスタンティズムの主張は、スピリチュアリズムと同様の見解に立っています。ただしスピリチュアリズムでは「霊的事実」に基づいて神の代理者としての天使の存在と働きを認め、その重要性を主張する点で、プロテスタンティズムとは一線を画しています。

高級霊(指導霊・背後霊)と天使の混同

天使と人間との交わりは現実の出来事であり、すでに述べてきたように人間は絶えず天使の影響を受け、その支配下にあります。天使の存在しない所、天使と関わりのない営みはありません。スピリチュアリズムにおいては、天使の導き・働きかけは、歴史的な一時いちじの出来事・特別な出来事ではなく、日常における当たり前のことなのです。

さて、天使の存在を重視するキリスト教社会(特にカトリック)の中では、天使はさまざまな場面で人間の前に登場します。天使からの啓示や導き・助けは、クリスチャンにとっては、ある種の憧れであり、信仰生活上の記念すべき出来事です。しかしキリスト教社会において天使の働きとされてきた内容の大半は、実際は天使ではなく、高級霊(指導霊・背後霊)によるものでした。高級霊の声を天使の声と勘違いしたり、窮地における高級霊の援助と導きを、天使の働きによるものと間違って理解してきたのです。

天使は神の王国の役人として、安易に人間に手出しできない立場にあります。天使は摂理の番人であって、背後霊・守護霊のように地上人を直接導いたり、守護することはありません。

キリスト教の中には“天使の声を聞いた”という多くの聖職者の逸話が残っていますが、実際には天使ではなく高級霊の声であったと考えるべきです。ジャンヌ・ダルクや聖フランチェスコは天使の声を聞いたとされていますが、それも同様のことなのです。またイエスの誕生に際して、ガブリエル天使がマリアに受胎を告知したということになっていますが、もし本当にマリアが声を聞いたとするなら、それはガブリエル天使ではなく、人間の霊の声であったということなのです。

11.キリスト教の「堕天使悪魔説」

――人類史上最悪の天使論

人類に対する“最大の罪”

 キリスト教が人類に対して犯してきた最大の罪の一つが、「堕天使悪魔説」という間違った教義をつくり上げたことです。この霊界の事実から懸け離れたフィクションとしか言いようのない教義に、地上人類は洗脳され、翻弄ほんろうされてきました。キリスト教によってつくり上げられた罪なる教義は、長い間、人類を不幸の中に陥れてきたばかりでなく、現在の宗教にも影を落とし、多くの人々の不安を煽り、狂信へと駆り立てています。

しかし人類にとって最大の敵とも言うべき「堕天使悪魔説」は、スピリチュアリズムの登場によって今や根本から覆されようとしています。キリスト教は、根幹となる教義の崩壊によって“存在価値”そのものが疑われるようになっています。

堕天使伝説

旧約聖書の冒頭にある『創世記』には、人類の先祖をサタンが誘惑し堕落させるという話が載っています。「サタンはもとは天使であったが、神のおきてに背いて人間を誘惑し、ここに人類の原初の罪が発生するようになった。これが“原罪”と呼ばれるもので、その罪は人類全体に及び、人間は“罪人”としての宿命を背負うことになった。そして神の掟に背いたサタンは、天国から追放され地獄に行くことになった」――以上が有名なサタン伝説・堕天使伝説のあらましです。サタンとなった天使は“大天使ルシファー”と同一視されています。この大天使はあらゆる天使の中で最高位にあり、特別に光り輝く存在であったと言われています。

“天使が堕落する”という話のモチーフは、異教の伝説の中にも存在します。善なる神(善神)に反対する悪なる神(悪神)という構図は、ユダヤ・キリスト教以外の他の宗教にも存在します。こうした「堕落天使伝説」は、ダンテの『神曲』やミルトンの『失楽園』によって、広く地球上に知られることになりました。

さて、キリスト教神学では「堕落天使の“罪”とは何であるのか?」が議論されました。そして、いくつかの説が登場しました。その代表的なものが、情欲説であり傲慢説であり自尊心説です。また嫉妬説や性交説まで飛び出しています。

しかし摂理の執行者たる天使が、摂理に背いて神に反する悪感情(傲慢さ・虚栄心・怒り・嫉妬・情欲)を持つようなことはありません。なぜならそうした利己的な悪感情は、肉体を持った人間にのみ発生するものだからです。肉体本能から発する感情は利己的となり、霊の心から発する感情は利他的となります。この相反する感情が、内面(心の中)で衝突するようになるのです。これが地上人の“内面葛藤”の実態ですが、肉体を持たない天使や高級霊たちには、こうした葛藤はありません。人間は死によって肉体を捨て去ると、悪感情は短期間で消滅するようになります。

そうであるのに一度も肉体を持ったことのない天使、しかも高度に進化した大天使と言われる存在が、どうして地上の人間のみが持つ利己的感情を所有するようになったのでしょうか。それは天使に関する霊的知識がないために、勝手に自分たち地上人を基準にして天使を邪推した考えにすぎません。“天使の堕落”というような出来事そのものが、実際にはあり得ないことなのです。

キリスト教による「サタン魔王説」の強調

旧約聖書の中では、サタンは地獄に追放されたとするものの、神に対峙たいじするような悪の一大勢力のちょうとしては登場していません。神に敵対する勢力の首領(魔王)としてのサタンは存在していません。

それがキリスト教の時代になって、サタンは大きく様変わりし「悪魔の首領(魔王)」として強調されるようになりました。世界は神の支配する善の勢力と、魔王(サタン)の支配する悪の勢力に二分され、この間で激しい戦いが展開するという構図ができ上がりました。そして“ミカエル天使”が善の勢力の代表としてサタンと戦うということになります。

キリスト教会は、自分たちへの反対者・対立者をサタンの勢力と見なし、敵視していきます。自分たち以外は皆、サタンであるといった方向にエスカレートしていきます。キリスト教会は、物欲とエゴと間違った教義のもとで腐敗堕落の道をたどり、やがて善良な人々に対する不当な迫害を始めるようになりました。中世における恥ずべき“魔女狩り”はこうして起こされ、教会にとって都合の悪い人間を“悪魔の手先”として抹殺まっさつすることになったのです。教会への反対者や霊能者には一方的に“サタン”のレッテルが貼られ、残酷な拷問が加えられました。

こうしたキリスト教会の狂信的蛮行は中世だけの出来事ではなく、つい最近に至るまで行われてきました。現代の多くのキリスト教社会の中でも、霊的現象は依然としてサタンの仕業と見なされています。霊能者はサタンの手先と決めつけられ排斥されています。そして最大の非難・攻撃の矛先ほこさきが“スピリチュアリズム”に向けられているのです。

「サタン魔王説」を悪用した洗脳と恐怖の支配

霊的世界のことは一般の人間には分からないのをいいことに、キリスト教会をはじめとする多くの宗教では、デタラメな教義を平気で信者に強いてきました。また教義に異論を唱える者にはサタンのレッテルを貼り、非難・迫害の手段に出てきました。人々はサタンに対する恐れと、教会の権力に対する恐れという二重支配の中で完全に洗脳され、それ以外の考え方ができなくなりました

その結果、本来なら人間の霊的成長を促すべき宗教が、霊的成長を真っ先に阻害・妨害する最悪の存在になってしまいました。2千年もの間、キリスト教は地上人類に対して卑劣な洗脳を行ってきました。そして現在の多くの宗教も「サタン魔王説」を悪用して洗脳を行っています。

スピリチュアリズムによる「堕天使サタン説」「サタン魔王説」の打破

――霊界にサタンはいない

霊界主導によって展開されているスピリチュアリズムは、地上人類を恐怖と洗脳の中に陥れてきた「堕天使サタン(悪魔)説」と「サタン魔王説」を根本から否定します。霊界の高級霊からの通信によって、これまでキリスト教で説かれてきた教えが間違いであり、作り話にすぎないことが明らかにされました。

スピリチュアリズムは「霊的事実」を根拠にして、キリスト教の罪観・救済観を完全に否定しました。霊界にはサタンというような“堕落天使”は存在しません。堕落の結果生じたとされる“原罪”も存在しません。そして魔王(サタン)を中心とする“悪の一大勢力”も存在しないのです幽界下層にたむろして悪行をなす“低級霊”は存在しても、魔王(サタン)のもとに結集して神に対峙・対抗する悪の組織的勢力は存在しません)

「悪の軍団とは、このような未発達・未熟な霊のことであり、それが親和力の働きによって聖なるもの・善なるものへの反抗心のもとに結束する。(中略)こうした低級霊が実に多い。そのすべてが我らの敵である。」

――その首謀者というべき“悪魔”がいるのでしょうか。

「彼らを扇動する悪玉はたくさんいる。しかしキリスト教神学で説くような“悪魔”は存在しない。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)p.33~34

「想像上の産物にすぎない悪魔の問題で心を悩ますのはやめることである。真摯な心の持ち主、純真な心の持ち主、誠意ある心の持ち主にとっては、神学がまことしやかに説く悪魔も魔王も存在しない。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)p.160

「かつては異常行動をする者はすべて“悪魔の憑依”とされた。が、“悪の化身”という意味での“悪魔”は存在しない。霊性の進化の程度が低いという意味での低級霊で、その発想に邪悪な要素が強いというにすぎない。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)p.212

「組織的犯行といっても、聖書にあるような天界から追放された堕落天使の反乱の話を想像してはなりません。あれは象徴的に述べられたまでです。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)p.236

――悪魔はキリスト教が生み出したのでしょうか。

「そうです。自分たちから見て悪と思えるものを何とか片づけるためには、そういうものを発明しなければならなかったのです。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)p.154

こうした「霊的事実」に照らしてみると、キリスト教が虚構の上に築かれた人工的な宗教であることが分かります。もちろんキリスト教の中にも、誠実で真摯な求道者・信仰者はたくさんいます。しかしシルバーバーチが強く非難しているように、キリスト教は今日まで間違った教義で人々の魂を牢獄に閉じ込め、霊的成長の道から遠ざけてきた地上に存在してはならない宗教と言えます。

「堕天使サタン説」「サタン魔王説」に 洗脳された人々

教義による宗教的洗脳は人間の潜在意識にまで及び、すべての思考や判断を強く支配するようになります。“信仰”とは、教義による洗脳プロセスと言っても過言ではありません。宗教教義による洗脳は、目の前の出来事から世界情勢に至るまで、何から何まで教義に当てはめて判断し解釈するような意識をつくり上げます。

堕天使サタン説・サタン魔王説に洗脳された信者は、自分の周りに生じるトラブルのすべてを“サタンの仕業”と考えるようになります。自分に反対する者はサタンであると決めつけ、サタンが働いて自分を神から引き離そうとしていると思うようになります。

そうした状況は“低級霊”にとって願ってもないチャンスです。地上人をからかい、騙し、悪事を働く絶好の機会として働きかけます。低級霊は、いろいろな心霊現象を引き起こしてはサタンの仕業であるかのように見せかけ、恐怖心を煽って面白がります。単に低級霊がからかっているにすぎない出来事も、間違った教義に洗脳された人間には、すべてサタンの仕業として映るようになるのです。

地上でサタン実在説に洗脳され、地上人生を間違った考えのもとに過ごした人も、死後は霊界でサタンなど存在しないことに初めて気がつくようになります。そして自分の地上人生が、いかに真実から懸け離れたものであったかを実感し、しばらくは後悔と無念の中で時を過ごすことになります。

サタンを利用して“低級霊”がからかう

キリスト教徒の中にも、心霊能力のある人間がいます。そして「自分は実際にサタンを見たことがある。遭遇したことがある」と主張する人がいます。しかし結論を言えば、そうした人間が見たというサタンは、実在するサタンではありません。その多くが低級霊のつくり出した想念霊念によってつくり出された霊)であったり、低級霊の変化へんげ(化身霊)であったりします。

間違った教義(サタン魔王説)によって洗脳された地上人、特に霊能者は、低級霊にとっては実に都合のいいカモなのです。そうした地上人を低級霊は、どうにでも操ることができます。霊視能力のある者に、わざとつくり出したニセの映像を見せつけ、さもサタンが実在するかのように信じ込ませることもできます。また霊聴能力のある者の耳元に“自分はサタンだ”とささやきかければ、恐怖を与えおびえさせることもできます。こうしたことを繰り返して騒ぎを引き起こし、サタンの存在が事実であるかのような風潮をつくり出すのです。

低級霊によるからかいは、宗教教団全体を相手にしたときには、さらに効果的になります。霊界から教祖や幹部の自尊心・プライドを操ることで、教団全体を自由自在に混乱させ、翻弄することができるようになります。こうして間違った教義(サタン魔王説)は、教団全体を狂気の中に巻き込むことになるのです。純粋な人間がいったんそこにはまり込んでしまうと、なかなか抜け出せなくなります。恐怖に駆られた人間を間違った教義で縛りつけておくことは、低級霊にとっても宗教教団にとっても、いとも簡単なことなのです。

12.天使に関する諸説と天使ブームの間違い

天使については、その内容の多くが地球人には秘密にされています。そのため天使には常に謎が付きまとい、天使に関するさまざまな説その中にはデタラメで怪しいものが多い)を生み出すことになります。この章の最後に、これまでに存在した天使に関する諸説の中から、いくつか見ていくことにします。

スウェーデンボルグの天使論

中世のキリスト教から抜け出て、現在のスピリチュアリズムに最も近い立場に立っていた人物がエマヌエル・スウェーデンボルグでした。彼は幽体離脱の状態でたびたび霊界を探訪し、その体験を記録として残しました。それは地球人類にとって、初めての本格的な霊界の記述でした。彼はまさにスピリチュアリズムの先駆者であり、多くの霊的知識を地上世界にもたらしました。

スウェーデンボルグは、独特の天使論を展開しています。従来のキリスト教の天使論を離れ、自らの霊界見聞に基づく天使論を主張したのです。スウェーデンボルグの天使論のポイントは、「天使はもとは人間であり、姿も人間のようであって、人間と同じように家に住み、食事をし、結婚もし、仕事に従事している」というものです。彼は天界に住む人々を天使と呼び、その天使たちは、かつて地上で生まれた人間であると述べています。彼の天使論は、「天使イコール人間(高級霊)説」ということになります。

結論を言えば、スウェーデンボルグの天使論は正しくありません。霊界にいる人間の霊を“天使”と呼んだまでのことであって、見方によっては「人間の霊」の存在だけを認め「本当の天使」の存在を否定しているとも言えます。彼ほどの霊覚者であっても、シルバーコードで肉体とつながれ、肉体的・物質的影響を完全に排除できない中での霊界探訪には、どうしても多くの制約が付きまといます。肉体と完全に関係が断ち切れた霊界人のようには、明瞭な霊視認識ができないのです。霊視能力も行動範囲も限定され、そのために天使の状態を正確に認識できなかったのかもしれません。それが人間の霊(高級霊)と天使を混同させることになってしまったと思われます。

アラン・カルデックの天使論

スピリチュアリズム運動の初期の代表者アラン・カルデックも、スウェーデンボルグと同じような天使論を述べています。彼は著書『天国と地獄』の中で、天使とは進化した人間の霊のこと、すなわち高級霊のことであるといった個人的見解を述べています。これにはスウェーデンボルグの影響があるのかもしれません。

カルデックは霊界からの通信に基づいて、スピリティズム(ラテン系スピリチュアリズム)を確立しました。カルデックの天使論は、スウェーデンボルグと同様に天使の存在そのものを否定する見解と言えます。カルデックが編集した『霊の書』は“世界三大霊訓”の一つに数えられますが、この本の中には「天使イコール高級霊説」はありません。それどころかそこには、人霊とは別の天使の存在について言及している箇所が見られます。

したがってカルデックの説いた「天使イコール高級霊説」は、霊界から示された教えではなく、カルデック個人の考えであることが分かります。カルデックの間違った個人的な見解がスピリティズムを通じて広まったとするなら、実に残念なことです。カルデックはスピリチュアリズム運動の勃興時に、すでに再生の事実を主張し、スピリチュアリズムに大きな貢献をしましたが、その一方でこうした間違った天使論を述べたことは、ある意味で汚点を残したことになります。

『霊訓』の中での天使論

『霊の書』の出版後、しばらくしてステイントン・モーゼスによる『霊訓』英国系スピリチュアリズムのバイブルで“世界三大霊訓”の一つ)が出版されています。そこには高級霊と天使が別の存在であることが明記されています。カルデック以降、天使に対する認識が進歩したことがうかがえます。

一方『霊訓』の中には、インペレーター霊が高級霊を“天使”と表現している箇所があります。高級霊を天使と呼ぶことは、他の霊界通信においてもしばしば見られます。当時の人々が十分な霊的知識のないところで霊界や霊界の住人について質問をしてきたのに合わせ、霊界側が高級霊を天使と呼んでいるのです。通信内容の全体から“天使”という用語が「人間の霊」を意味していることが理解されます。霊界通信を読む際には、この点について注意しなければなりません。“天使”という用語が出てきた場合、高級霊を指しているのか、それとも本当の天使を指しているのか、しっかりと判別して読み進める必要があります。

浅野和三郎の「竜神イコール天使説」

日本スピリチュアリズムの祖、浅野和三郎の「竜神説」はよく知られています。浅野は、竜神が人類の霊的祖先であると言います。そして天使・如来・菩薩・神仙を、竜神と同一の存在であるとしています。すなわち彼は、竜神と天使を同じものと考えていたのです。竜神(天使)は、その発達の程度に応じて幽界・霊界・神界の各層に実在し、その数は増えつつあると言います。

彼はまた、「地球に人類が登場する以前には、竜神がこの世界の代表者であったが、ある時期に竜神は分霊を出して人間を創造した」と言います。「地上の人間は、あくまでも竜神の統制下にあり、常に絶対的な力による支配を受けている。そして個人には個人の守護神(竜神)がおり、民族には民族の守護神(竜神)がおり、太陽系には太陽の守護神(竜神)がおり、この“太陽神”こそが、人類にとっての宇宙神である」と説いています。以上が浅野の「竜神イコール天使説」の骨子です。

竜神が本当に天使であるとするなら、浅野の言う天使(竜神)についての説明は、多くの点で正統的なスピリチュアリズムの見解と一致します。しかし同時に相違点も見られます。その一つは竜神(天使)が人類を創造したという点、もう一つは竜神(太陽神)を宇宙神と同一視している点です。

言うまでもなく人間を創造したのは「神(大霊)」であって、天使ではありません。人類の創造に天使が深く関わってきたことは事実ですが、天使が人間を創造したというのは間違いです。天使も人間も、神(大霊)の分霊を付与されることによって、永遠の霊的存在として誕生するようになったのです。天使と人間は同じ「神の子供」であって、天使は人間の創造者ではありません。竜神(天使)を宇宙神と同一視している点も間違っています。高級天使が、神の代理者・神の王国の役人として太陽系全体を統括支配していることは事実ですが、その高級天使が大霊であるとは言えません。

こうした点において、浅野の「竜神イコール天使説」は訂正されなければなりません。

天使イコール宇宙人説

天使に関わるこっけいな説の代表が、「天使イコール宇宙人説」です。これは従来天使と言われてきた存在が、実は宇宙からの来訪者・宇宙人であったというものです。そしてこの説は“UFO伝説”と重なって、「天使(宇宙人)がUFOに乗って地球にやってきた」という説に発展(?)しています。

地球上には宇宙人と接触したという人々(コンタクティー)がいますが、その話の多くは催眠術を受けている間に思い出したとされるものであり、催眠の誘導によってつくり出された“フィクション”の可能性が濃厚です。あるいは“低級霊”が地上人をからかうために引き起こした霊的な演出であることも考えられます。もし未知なる存在との遭遇が事実であるとするなら、それは宇宙人ではなく、霊界人か本物の天使であったと考えるべきです。

天使からのチャネリング?

海外のニューエイジや日本の新新宗教、あるいは心霊世界に関心のある人々の間では、しばしば天使からの通信(チャネリング)が話題となります。その天使ですが、何と言っても“ミカエル大天使”が圧倒的に多いのが特徴です。キリスト教の中でも、ミカエル大天使の存在が重要視されてきましたが、ここでも同じようにミカエル天使がひんぱんに登場するのです。チャネリング(霊界通信)を通じて届けられたとされるミカエル天使からのメッセージは膨大な量に上ります。

しかし天使からのメッセージと言われるものの大半が、実際には低級霊からの通信であったり、チャネラー(霊能者)の単なる思い込みや作り話であったりします。すでに説明しましたが、そもそも高級霊(人間の霊)を差しおいて、天使が優先的に人類にメッセージを送るというようなことはありません。なぜなら地球人類にとって必要なメッセージは、まず高級霊を通じて届けられるようになっているからです。高級霊は、同じ地球出身の先輩霊としての責務があるために、地球人類を助け導くのです。ここに地球圏全体としての「自己責任の摂理」があります。

天使が霊界において高級霊にメッセージを与えることは、たびたびあります。しかし天使が地上人に直接メッセージを伝えるようなことは、ほとんどないと言っても過言ではありません。したがって天使からのメッセージとされるものや、天使とチャネリングすると言うようなチャネラー(霊能者)に対しては、その真偽を疑ってかかるべきです。

天使ブームの問題点

天使からのチャネリングと同様に気をつけなければならないのが、天使に対する低俗な好奇心から引き起こされる“天使ブーム”です。もし地上人が天使について正しい霊的知識を持っているなら、安易に天使に好奇心を抱いたり、過大な関心を寄せるようなことはないはずです。軽率に天使の名前を持ち出すようなことはないはずです。

中世ではキリスト教の間違った教義によって天使ブームが起こりましたが、それと同じようなことが、その後も繰り返し発生しました。現在でも日本の新新宗教や精神世界、そして欧米のニューエイジの中では、軽々しい天使ブームが巻き起こっています。ミカエル天使の生まれ変わりであると称する霊能者や、ミカエル天使が守護霊・指導霊であると主張する教祖やチャネラーたちが、次々と現れています。そして人々の低俗な好奇心と関心につけ込んで、狂信じみた天使ブームをつくり上げています。

言うまでもないことですが、ミカエル天使が人間に生まれ変わるというような話は事実ではありません。世界中に、ミカエル天使の生まれ変わりであると言う人間や、ミカエル天使が守護神・指導霊であると主張する教団が多く存在しますが、そうしたことはあり得ないのです。そもそも“ミカエル”という名前の天使は、霊界には実在しません。ミカエルなどの天使の名前を用いる霊能者や教団は、何の根拠もない詐欺さぎに等しいことをしているのです。

稀に霊界人が、地上人の未熟さに合わせて好意的に配慮し“ミカエル天使”などといった名前の使用を黙認することがありますが、その場合も決して本当の天使ではないことを知っておくべきなのです。

また天使ブームの中で、天使からのメッセージを受け取ったとか、天使の守護によって危機から救われたというような体験がしばしば語られますが、それは天使ではなく人間の霊、特に守護霊の働きによるものです。臨死体験者が天使と会ったというような話もよく聞きますが、それも天使ではなく、すべて人間の霊なのです。

地上人にとって真っ先に意識すべき対象は「神と守護霊」であって、天使ではありません。守護霊を無視し、天使だけに意識を向けるという点で、天使ブームは大きな間違いを犯しています。現在の“天使ブーム”は、占いブームや前世さがしブームと共通する、実に馬鹿げた風潮と言えます。

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