超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム―1
――スピリチュアリズムの宗教性の本質と特徴
ニューズレター第37号
シルバーバーチの霊訓を読む人が年々増え、本当のスピリチュアリズムが確立されようとしている今、もう一度、スピリチュアリズムの本質を確認してみることにしましょう。
スピリチュアリズムと出会った方々が、それを正しく理解することによって、これまで欧米を中心として発展してきたスピリチュアリズムが日本において一段と高められ、本物のスピリチュアリズムの展開を可能にすることになります。
日本のスピリチュアリストに決定的に欠落しているのは、スピリチュアリズムの宗教性・信仰性についての理解です。スピリチュアリズムを単に思想として、あるいは精神世界の知識として考えているかぎり、スピリチュアリズムを正しく理解することはできません。また何よりも本人の霊的成長は促されません。
今回と次回は、スピリチュアリズムの「宗教性・信仰性」の本質に焦点をしぼって学ぶことにします。内容は次のようになっています。今回の37号では【1】と【2】を取り上げ、残りは次回(超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム―2)に掲載します。(*この内容はすでにホームページ上で公開していますが、ニューズレターで取り上げるにあたって若干手直しいたしました。)
【1】スピリチュアリズムと他の宗教との根本的違い
――主役は霊界の高級霊・すべては霊界から
1.スピリチュアリズムは超宗教
――地上の宗教を超越した宗教、宗教であって宗教ではないスピリチュアリズム
スピリチュアリズムに対する世間の誤解
スピリチュアリズムは、これまで人々に正しく理解されることはありませんでした。それどころか大きく誤解されたまま現在に至っています。最近になってやっとスピリチュアリズムは、今までにない新しい思想・宗教哲学として認識されるようになってきましたが、大半の人々(*特に欧米人)は依然“スピリチュアリズム”とは、死者のスピリット(霊)を呼び寄せて対話をする交霊術の類であるとか、さまざまな奇跡的な現象を起こす心霊実験のようなものであると思っています。なかにはスピリチュアリズムを新しい宗教の一つ、あるいは新興宗教の一つと考えている人々もいます。
たしかにスピリチュアリズムは、そうした要素を併せ持っています。しかし、その一つの要素だけでスピリチュアリズムを定義しようとすると、事実とは根本的に違うことになってしまいます。
“スピリチュアリズム”という用語について
さて、スピリチュアリズム(Spiritualism)という用語は、一般的に「心霊主義」とか「神霊主義」と訳されます。しかしスピリチュアリズムについての理解が深まると、とても心霊主義といった一つの訳語でその内容を適切に言い表すことなどできるものではないことが分かります。「~主義」というと一つの思想になってしまいますが、スピリチュアリズムはそのような一つの思想の枠に限定されるものではなく、もっと広いものなのです。
スピリチュアリズムには、たいへん優れた思想的・哲学的要素が含まれていますが、それだけにとどまるものではありません。スピリチュアリズムは、心霊現象や思想・道徳、さらには宗教といった要素を併せ持った実に広範で総合的なものなのです。その中で最も重要な要素は「宗教性・信仰性」です。そうした広範なスピリチュアリズムを心霊主義と呼ぶならば、あまりにも実態から懸け離れてしまうことになります。そこで私達は、原語をそのまま用いて“スピリチュアリズム”と呼ぶことにします。
スピリチュアリズムは宗教であるが、地上の宗教とは異なる
スピリチュアリズムは、神と霊の存在・死後の世界を大前提とします。スピリチュアリズムは、これらの存在に対する信念の上に成り立っています。神と霊に対する確信を前提としないスピリチュアリズムはあり得ません。こうしたスピリチュアリズムの基本である神・霊・死後の世界に対する“信心”は、スピリチュアリズムがまさしく宗教以外の何物でもないことを示しています。さらにスピリチュアリズムでは“祈り”の重要性を強調し、祈りの実践を勧めます。これもスピリチュアリズムが、宗教であり信仰そのものであることを意味しています。
このようにスピリチュアリズムは間違いなく宗教であり信仰なのですが、しかしそれはこれまで存在してきた地上の宗教とは根本的に異なっています。これまでの宗教のイメージを基準にして考えると、スピリチュアリズムは多くの点で宗教の枠からはみ出してしまいます。宗教ではなくて、むしろ道徳に近いと言わざるをえなくなってしまいます。結局、スピリチュアリズムは、宗教であって宗教ではないということになります。現にシルバーバーチは――「スピリチュアリズムは霊的知識の上に信仰を積み上げたもの」と述べる一方で、「スピリチュアリズムは信仰ではなく知識です」といった矛盾した言い方をしています。
スピリチュアリズムは、霊界人にとって常識となっている信仰意識・信仰生活のこと
地上人の視点からすればスピリチュアリズムは、宗教であって宗教ではないということになりますが、それはスピリチュアリズムが、霊界人の間で常識となっている信仰意識と信仰生活をそのまま地上にもたらそうとするものだからです。そうしたものがこれまでの地球上には全く存在しなかったために、いざ地上的な定義をしようとすると混乱が生じることになります。
何百億という霊界人は皆、神と神の摂理・神の愛を心から信じています。神の摂理に従って霊的成長を目指して励んでいます。霊界人の生活はそのまま純粋な信仰実践であり、それ以外の生き方は存在しません。もちろん霊界人の中に、神の存在や神の摂理・神の愛の支配に対して疑いを抱いたり不平を言う者など一人もいません。祈りの重要性を知らない者など誰一人いないのです。
そして何より重要な点は、霊界には何百億という霊達がいながら、地球上のような多くの宗教や宗派が全くないということです。広大無辺の霊界にあるのは――「霊的事実に基づく信仰的生き方」というたった一つの宗教だけなのです。その霊界における唯一の宗教を地上にもたらすことによって、地球人類に本当の霊的救いを与えようとするのがスピリチュアリズム運動に他なりません。
スピリチュアリズムは、地上の宗教を超越した高次元宗教
したがってスピリチュアリズムは、数多くある地球上の宗教の一つとして位置づけされるものではありません。しいて言うならば、「地球上のすべての宗教」対「スピリチュアリズム」という構図で考えるべきものなのです。それについてシルバーバーチは、次のように表現しています――「スピリチュアリズムの発展を他の宗教と同列に並べて考えてはいないことを銘記してください。」
(『古代霊シルバーバーチ 不滅の真理』(ハート出版)p.97)
スピリチュアリズムは、地上のあらゆる宗教と次元を全く異にする超宗教です。これまでの地球上のすべての宗教を超越した唯一の宗教です。スピリチュアリズムは、たしかに宗教・信仰ですが、従来の宗教とは次元の異なる「超宗教・高次元宗教」なのです。
スピリチュアリズムの宗教性・信仰性を正しく理解することの重要性
スピリチュアリズムは、これまで地球上に全く存在したことのなかった新しい高次元宗教です。「スピリチュアリズムの宗教性・信仰性」を正確に知ることによって私達は、その本質をより深く理解することができるようになります。またスピリチュアリズムの全体像と特徴を正しく把握することができるようになります。
こうした目的にそって以下では、地上の宗教とスピリチュアリズムの宗教性・信仰性の違いに焦点をしぼって見ていくことにします。一般の宗教と比較してその根本的な違いを見てみることによって、スピリチュアリズムの本質と特徴を明らかにしていきます。
2.スピリチュアリズムと他の教理宗教の外見上の違い
――創始者・組織・布教法の観点から
ここではまず、スピリチュアリズムと他の教理宗教の違いをその外見から比較してみることにします。一般的に教理宗教には創始者・宗教組織・布教活動がともないますが、この3点からスピリチュアリズムと一般的な宗教を比較してみます。
(1)スピリチュアリズムは誰が創始者か?
――スピリチュアリズムには教祖はいないのか?
スピリチュアリズムには創始者はいるのか
スピリチュアリズムが“宗教”であるとするなら、人々が真っ先に関心を持つのは「一体、誰がその宗教を始めたのか? 誰がその宗教の教祖なのか?」ということではないでしょうか。誰がスピリチュアリズムを始めたのでしょうか。スピリチュアリズムには教祖のような人がいるのでしょうか。
シャーマニズムやその系統の自然宗教を除外すれば、いずれの教理宗教にも教祖、あるいは開祖がいます。そして弟子達はその人物を崇拝し、時にはその人物を“生き神さま”のように思うものです。世界宗教を見れば、キリスト教のイエス、仏教のシャカ、イスラム教のムハンマド(マホメット)の名前がすぐに思い浮かびます。日本仏教では、天台宗の最澄、真言宗の空海から始まり、鎌倉仏教の法然・親鸞・道元・栄西・日蓮などの開祖の名前が思い出されます。そして江戸後期から始まった新興宗教にも、また最近の新新宗教にも、いずれの宗教にもそれを始めた人間がいます。
スピリチュアリズムの思想の中には、神・霊界・摂理・再生といった従来の宗教と共通するテーマが含まれています。そうしたスピリチュアリズムの教えは、誰によって説かれたものなのでしょうか。確たる思想がある以上、スピリチュアリズムにも教祖がいると考えてもおかしくはありません。
しかしスピリチュアリズムには教祖はいません。では「誰がそうした教えを説いたのか?」ということになります。ここにスピリチュアリズムが地上の宗教と根本的に異なる点があるのです。それを理解するためには、スピリチュアリズム発生の霊的背景について知らなければなりません。
スピリチュアリズムは霊界人から始まった
ここでいきなりスピリチュアリズムに関する最も重大な結論を述べることにします。その重大な結論とは――「スピリチュアリズムは地上人から始まったのではない」ということです。スピリチュアリズムは霊界からスタートしているのです。霊界の高級霊が結集し、地上世界を救うための大プロジェクトが計画されました。そしてその計画に基づき、人類史上かつてなかった霊界を挙げての働きかけが開始されました。それがスピリチュアリズム運動だったのです。そして現在も、霊界の億万の高級霊達が地上人類を救済するために懸命に働きかけています。
霊界があることさえ認めない人々がいる中で、霊界に地球救済の大霊団が結成され、一糸乱れぬ完璧な組織活動が展開されているなどとは想像を超えた作り話のように聞こえます。しかしどのように受け止められようとも、それは厳然とした霊界での事実なのです。この霊界の大軍団の働きかけの目的の一つが――「地上人類に霊的真理・霊的教訓をもたらす」ということなのです。今、私達が手にしているスピリチュアリズムの霊訓・教訓は、霊界にいる高級霊達が「地球人類救済活動」を展開した結果、地上にもたらされたものなのです。
こうした点において、地上の宗教とスピリチュアリズムは根本的に異なっています。その出発点と主役が、全く違っています。スピリチュアリズムの教えは教祖という一人の地上人ではなく、霊界にいる多くの高級霊達によってもたらされたものです。
さて、「スピリチュアリズムは誰から始まったのか?」という最初の質問に戻りますが、その答えは「霊界の高級霊達から」ということになります。スピリチュアリズムは、霊界の高級霊達が出発点となって始まった地球人類救済運動です。そのためスピリチュアリズムには、地上の宗教のような特定の一人の人間(教祖)はいないのです。
(2)スピリチュアリズムには、他の宗教のような組織はないのか?
霊的生命を奪い去る地上の宗教組織
宗教といえば、多くの人々はまず巨大組織を思い浮かべます。その教団の本部には、目を見張るような大きな神殿や教会・寺院がそびえ立っています。地上の宗教には、それを始めた教祖と、その教えを広めるための組織が存在します。自分達の教祖の教えを社会に広めることによって、地上を素晴らしい世界につくり変えようとします。
その動機自体は決して悪いことではないのですが、多くの信者が集まり宗教組織がつくられるようになると、人間の持つ煩悩が当初の純粋さを失わせていくことになります。地上の組織は規模が大きくなると、役割分担に基づく組織活動が避けられなくなります。それにともない必然的に組織内に上下関係が生じるようになります。また組織を維持し布教を推し進めるために多額の資金が必要となり、資金調達がメンバー(信者)にとっての重要な仕事の一つとなるのです。
やがていつの間にか自分達の宗教組織を大きくすることが、そのまま地上人類を幸せにする道であると説かれるようになり、メンバーは教団の拡大が“神の意志”であるかのごとく思い込むようになっていきます。そして神の意志・人類救済の大義のもとで、教団拡大のために時間とエネルギーの大半を費やすことになります。自分達は特別な役目を担っているとの優越心・特別意識が、信者の活動を支えるのです。こうしたことが、いずれの宗教教団においても見られます。
しかし地上の宗教につきものの組織拡大のための活動は、その宗教の霊的生命を徐々に奪い去っていくことになります。資金調達や布教のための活動が、結局は組織自体を衰退に追い込んでいくことになるのです。地上の組織は規模が大きくなればなるほど必ず形骸化し、霊的生命を失い、単なる拘束のための手段に成り下がってしまいます。そして、この世の一般的な組織と同じような権力・金が物を言う世界がつくられることになります。これが大半の宗教がたどってきた共通のパターンです。こうした世俗的な流れに飲み込まれることなく霊的生命を保ち、純粋な信仰を全うしてきた宗教教団は、ほとんどないと言っても過言ではありません。純粋な内面的信仰を求めている人々は、そうした組織宗教の中では存在することができなくなっていきます。組織の拡大のために実績をあげることが“信仰の証”として重要視されるようなところでは、霊的成長は片隅に追いやられてしまうからです。「自分の魂を向上させたい!」と切望する人々は、いずれその組織に魅力を失い、自分の居場所がないといった状況に置かれるようになります。
宗教組織を持たないスピリチュアリズム
スピリチュアリズムには、こうした地上の宗教に見られるような巨大な宗教組織はありません。緩やかな横のつながりを持った協会や連合体はあっても、全体を一人の人間の権威の下にまとめ上げるような宗教組織は存在しません。スピリチュアリズムでは、布教や自分達の魂の成長にプラスとなるような小規模の集まり(サークルやチャーチ)程度のものがあれば十分なのです。
巨大な宗教組織をつくることは、スピリチュアリズムそのものの在り方に反します。スピリチュアリズムでは、小規模のサークルのような集まりが地球上の各地に点在し、それぞれにおいて霊的成長の道を求めることが理想とされるのです。言うまでもなくそうした内部には、お互いの意志を抑圧するようなものがあってはなりません。
他の宗教のような権力の集中した「巨大な宗教組織をつくらない」――これがスピリチュアリズムの大きな特徴の一つです。当然、一人の地上人を特定の地位に祭り上げたり、それを崇拝し信仰の対象とするようなことは一切ありません。人間信仰は、神の摂理から最も懸け離れた在り方なのです。
(3)スピリチュアリズムでは、どのような布教の仕方をするのか?
――スピリチュアリズムと他の宗教の布教方法の違い
がむしゃらな布教に走る地上の宗教
スピリチュアリズムには他の宗教のような教祖も組織もないということになれば、どのようにしてその教えを社会に広めようとするのでしょうか。ここではまず、地上の宗教の布教の実際を見ることにしましょう。
地上の宗教では、組織のメンバーは、自分達の教団の教えを広めるための布教活動に関わります。宗教組織内では、布教の実績をあげることが、その人の信仰の深さ・熱心さを示す証であると見なされます。このため信者の中には、たいへんな意気込みを持って布教に励む人が現れます。また布教することによって宗教的な救いや利益がもたらされると吹き込まれ、がむしゃらに頑張るような人も存在します。そうした人々は、自分の力を振り絞って教えを広めようとします。頑張れば頑張るだけ、実績があがると考えるのです。そして強引な布教や不自然な布教が、公然と行われることになります。
人間の力に頼らない布教をするスピリチュアリズム
スピリチュアリズムも他の宗教と同じように、霊界から送られてきた教えを一人でも多くの人々に知ってもらいたいとの情熱を持っています。高級霊が努力の果てにもたらしてくれた教訓を広めたいという思いは、一般の宗教に比べても決して劣りません。そこにスピリチュアリズムの進展と地球人類の救いのすべてが懸かっているからです。
しかし「霊的真理の普及」がいかに重要であるとしても、スピリチュアリズムでは、他の宗教のように無茶な布教に走るようなことはありません。この点においてスピリチュアリズムは、他の宗教と根本的に違っています。布教への熱意はあっても、ぎらぎらしていません。常にゆったりとした姿勢で布教に携わっているのです。
スピリチュアリズムの布教の主役は霊界人たち
スピリチュアリズムがこうした布教の姿勢をとることができるのは、布教の主役が地上の人間ではなく、霊界にいる霊達であることをしっかりと自覚しているからです。霊界の人々の働きかけの手助けをすることが、地上サイドの役目であると考えているからです。スピリチュアリズムでは、布教の“主役”は霊界の人々であり、地上人はその補佐役・道具なのです。
自分達は「霊界の道具としてお手伝いをする」という立場をわきまえているために、人間の力に頼ってがむしゃらに布教を推し進めようとはしません。それどころかスピリチュアリズムでは、人間の力だけに頼る押し付けがましい布教を厳しく戒めています。霊的摂理に合わない不自然なやり方をすれば、本当の成果はあがらないばかりか、不自然な分が後になって大きなマイナスを引き起こすことになるからです。
霊的真理を受け入れるには時期がある
スピリチュアリズムでは、地上人が「霊的真理」を受け入れるには時期というものがあるとしています。その人間が一定の霊的成長レベルにまで至らないかぎり、どのようにしても真理を受け入れることはできないと考えています。霊的真理・霊的教訓を受け入れるためには、「魂の窓」が開いて真理に相応できる時期がきていることが決定的に必要とされるのです。
時期がきた人には、霊界からの導きによって自動的に霊的真理と出会う道が開かれるようになります。その人の方から霊的真理のあるところに出向いたり、他の人から真理を手渡されるといった形で出会いのチャンスが訪れるのです。このようにして霊的真理を受け入れる人が、一人、また一人と増えていくようになります。
したがって地上で布教に携わる者は、霊界の人々によって導かれてきた相手に対して、誠意を持って真理を伝えるだけでいいのです。すでに受け入れ態勢のできた人だけを対象とするために、真理を強要する必要は一切ありません。スピリチュアリズムは、よく社会問題となる洗脳や暗示的手法とは無縁です。
また地球人類全体の運命については、霊界サイドが責任を持って救済活動を進めている以上、私達があれこれ気を回す必要はありません。淡々と「真理の種蒔き」に徹すればよいのです。現に今この時も、霊界から地球上の各地に向けて働きかけがなされています。そして時期のきた人々が次々に霊的真理と出会い、霊的に新生しています。時の経過とともに真理を受け入れる人々が増え続け、やがて地球人口の多数派になっていきます。こうした理由からも、スピリチュアリズムが巨大な組織をつくって布教を進める必要性は全くありません。
3.スピリチュアリズムの真理と、地上の宗教の教義(ドグマ)の違い
「スピリチュアリズムと地上の宗教では、どちらの真理の方が優れているのですか?」「スピリチュアリズムも地上の宗教も、神や死後の世界・人類の救いといったテーマを取り上げ、とても似たようなところがありますが、どこがどう違うのですか?」――こんな質問を受けることがあります。
地上の宗教ではとかく、自分達の宗教の教義(ドグマ)こそが一番である、最も優れていると主張します。こうして“ドグマ”をめぐって宗教間に、争いや宗教戦争が生じることになります。
ここではスピリチュアリズムと地上の宗教の教えの違いを比較してみることにしましょう。
(1)スピリチュアリズムによって飛躍的に発展した霊的真理と霊的知識のレベル
新しい真理と古い真理
スピリチュアリズムによって地球人類は、これまで知ることのなかった新しい真理を得ることになりました。そうは言ってもスピリチュアリズムで言う「霊的真理」とは、神と神の属性のことであり、同時に神の造られた摂理(法則)を指しています。それは宇宙が造られて以来、一貫して変化することなく存在してきたものです。その意味で真理は、いつの時代にも同じであり、新しいも古いもないということになります。
この「霊的真理」は、従来の宗教においても部分的ではあっても説かれてきました。したがってスピリチュアリズムと地上の宗教には、一部分ですが共通する内容があります。スピリチュアリズムが明らかにしている霊的真理は、そのすべてがスピリチュアリズムだけのものというわけではありません。
霊的真理は、人類の霊的レベル・知性のレベルに応じて説かれる
スピリチュアリズムと従来の宗教に共通する「霊的真理」は、内容的には同じものであっても、その表現の仕方がかなり違っています。スピリチュアリズムでは霊的真理を、現代人の霊的進化の程度や知性に応じて理解しやすいように説いています。
例えば“神の属性”についてですが、人々の知性や知識が高まれば、それにつれてより多くの表現が可能となります。それだけ神について深く知ることができるようになるということです。“因果応報”といった神の摂理についても同様で、過去の宗教では思いもよらないほど詳しい説明がなされるようになっています。このようにスピリチュアリズムによって地球人類には、従来では考えられなかった多くの霊的恩恵・知的恩恵がもたらされるようになっています。
これは将来、人類の霊性が今より向上したときには、霊的真理・神の摂理について現在よりも一段と深く理解できるようになるということを意味しています。とは言っても、それらは永遠普遍の真理である以上、現在説かれている真理と内容的に矛盾するものではありません。表現方法がさらに詳しくなるということです。
スピリチュアリズムは、飛躍的に霊的知識の量を増大させた
一方、スピリチュアリズムは、以前には考えられなかったほど格段に多くの霊的知識をもたらすことになりました。これまでの宗教では全く知ることのできなかった数多くの霊界の事実や霊的知識が地上人に示されることになり、霊的世界が急速に身近なものになりました。霊界という未知の世界に対する認識が飛躍的に高まり、今や地上人は死後の世界について、地上世界と同じように知ることができるようになったのです。
それは同時に、従来の宗教の死後の世界に対する見解の間違いや矛盾を白日の下にさらけ出すことになっています。
高級霊界で審議された霊的真理が、地上人に伝えられる
こうした新しい霊的知識は高級霊界で審議され、今の時代に必要性があると判断されたものだけが示されます。スピリチュアリズムによって与えられる知識・情報は、高級霊によって厳格にコントロールされているのです。シルバーバーチは――「霊界での審議会で用意された叡知がこの私を通じて届けられるのを、お聞きになっていらっしゃるのです」と言っています。スピリチュアリズムの霊的真理は、地上人類の霊性に合わせて少しずつもたらされていくものなのです。
(2)死後の世界に対するスピリチュアリズムと地上の宗教の知識の違い
死の問題は、人間にとって最も大きな関心事です。“死”は、どのような人間も避けることのできない宿命であり、何よりも恐ろしい出来事です。これまで地球人類は、死の問題の解決と救いを宗教に求めてきました。当然のこととして「死の問題」は、地上の宗教における最大のテーマの一つとなっています。死と死後の救いについて説かない宗教は存在しません。
地上の鍵穴から霊界を垣間見る
さて、一般的に教理宗教は、地上人である教祖が霊的なインスピレーションを受けたり、死後の世界を垣間見るところから出発します。そして教祖は、死と死後の世界についての新しい知識を人々に示します。
しかし、そうしてもたらされた死後の世界の知識は、どれほど驚異的なものであったとしても、死後の世界のほんのわずかな部分を明らかにしているにすぎません。なぜなら教祖が見た霊界とは、地上世界から“覗き穴”を通して見た小さな世界にすぎないからです。彼らが明らかにすることができるのは、どこまでいっても霊界についてのごく一部の知識・情報だけなのです。
霊界の住人から直接、現地報告がなされる
それに対しスピリチュアリズムでは、霊界にいる霊達から、霊界についての膨大な情報や事実が直接伝えられてきます。霊界のことを一番よく知っているのは、そこに住んでいる当事者、特に高級霊であることは言うまでもありません。そうした霊達から直に現地の様子が伝えられてくるのですから、これほど正確な情報はありません。まさにスピリチュアリズムは、霊界を知り尽くした高級霊からの“現地報告”を地上人にもたらすものなのです。
死後の世界に関する知識・情報は、スピリチュアリズムと地上の宗教では、初めから比較になりません。
(3)地上世界のことは、霊界から見た方がよく分かる
霊的真理・霊的知識については、さらに次のようなことも考える必要があります。それは対象を眺める視点が高くなるにつれて視野が広くなり、物事を正しく判断できるようになるということです。上からは下のすべてが見えますが、下から上はよく見えません。
それは大人と小さな子供を比較してみれば分かります。子供はとかく自分の知っている小さな世界をすべてと思い込み、そこから自己主張をします。その語る内容の狭さや未熟さは、親には一目瞭然です。親の目から見れば、子供の主張の正当性の度合いも明瞭です。大人であればこそ、これまでの人生で培った広い視野から適切な判断ができるのです。
霊界人と地上人の関係は、この親と子供のようなものなのです。「霊界などない。神などいるはずがない」と声高に叫ぶ地上人は、霊界から見れば、何も知らない小さな子供がデパートの玩具売り場の前で駄々をこね、わめき散らしているようなものなのです。
さてスピリチュアリズムは、霊界から地上を、すなわち上から下を見下ろす立場にあります。一方、地上の宗教は、教祖のインスピレーションや啓示を通して地上から霊界を覗き見します。すなわち下から上の世界を見上げる立場にあるのです。上(霊界)からは下(地上界)のすべてが見えますが、下(地上界)から上(霊界)はほんの一部分しか見ることができません。
視野が広ければ広いほど適切な判断ができるということは、次のような別の事例によっても説明できます。海外での生活体験がある人は、一度も海外に行ったことがない人と比べ、日本について深く知ることができます。日本を外側から見たことがない人よりも、日本人自身をもっと広い観点から眺められるようになります。日本人の習慣や長所・短所についても、よく理解することができるようになります。これと同じことが、霊界人と地上人の間においても言えるのです。
目に見える物質世界の出来事だけを相手にしている地上人と比べ、はるかに広く大きなところから地上世界を眺められる霊界人は、より正しく地上世界と地上人のことが分かるのです。地上の揉め事の正邪の判断も的確に下せるのです。
(4)霊界人と地上人の認識能力の違い
――地上の大霊能者といっても、霊界の子供にも及ばない
霊界から見ると、地上人の心の内は手に取るように分かります。霊は、地上人の考えている内容のすべてを知ることができます。地上人の身体から放射されているオーラには、各自の思想・考え・好み・精神状態のすべてが映し出されています。霊は、それを正確に読み取ることができるのです。したがって霊界人に対して地上人は、隠し事は一切できません。この点を考えるだけで霊界人の認識能力は、地上人とは比較にならないことが分かります。
地上人の中には、時にたいへんな霊感を持っている人がいますが、霊界ではその程度の能力は、ごく当り前のありふれたものなのです。地上では“生き神さま”のように思われている大霊能者や教祖も、霊界人から見れば、あまりにもお粗末なレベルにすぎません。シルバーバーチは――「宗教家が大悟したといい、芸術家が最高のインスピレーションに触れたといい、詩人が恍惚たる喜悦に浸ったといっても、われわれ霊界の者から見れば、それは実在のかすかなる影を見たにすぎません」と言っています。
ここまで話を進めてくると、地上世界の出来事を正しく判断するためには、必ず霊界からの視点で見なければならないことが明らかになります。地上の霊能者・宗教者の言うことよりも、高級霊の見解を信じる方が賢明であることが理解されるはずです。
(5)スピリチュアリズムの霊的真理は、地上人類が始まって以来の最高の叡知
このように地上世界について正しく知るためには、霊界から見ることが絶対的に必要です。「どのように歩めば地上人生の目的を最も効果的に果たすことができるのか?」――その答えは、霊界まで含めた広い視野に立ったときに初めて得られるものです。スピリチュアリズムがもたらした霊的知識は、まさにそうした霊界から見た正しい答えを、私達地上人に明らかにしたものなのです。
スピリチュアリズムによって示された霊的知識と、これまで地上世界の宗教によって与えられてきた霊的知識では全く次元が違います。スピリチュアリズムと地上の宗教では、その視野の広さにおいて大人と子供ほどの開きがあります。スピリチュアリズムによって地上人類が手にすることができるようになった知識・情報は、間違いなく地球の歴史が始まって以来の最高のものなのです。
4.スピリチュアリズムにおける霊界通信
――スピリチュアリズムの霊的真理は、どのようにして地上にもたらされるのか
霊界通信とは?
では、地上人類にとって最大の福音というべき霊的知識・霊的教訓は、どのようにして地上人にもたらされるようになるのでしょうか。結論を言えば「霊界通信」という方法によって、あの世にいる高級霊から地上世界に伝えられます。霊界通信とは、巷に見られる「口寄せ」とか「霊媒」といった現象と同じ形式の霊的現象です。また最近のニューエイジでは、「チャネリング」という名称で呼ばれています。
霊界通信には、霊界から通信を送る「通信霊」と、それを受け取って地上人に伝える役目の「霊媒」が必ず存在します(*欧米では「霊媒」は、ミーディアムとかチャネラーと呼ばれます)。霊界通信は、通信霊と地上の霊媒がいないかぎり成立しません。
霊界通信には、トランス状態に入った霊媒を用いて霊がメッセージを語るといった一般的な形式(*これを「入神談話」と言います)以外に、通信霊が霊媒の腕を操って文字を書かせメッセージを伝える方法があります。これを「自動書記」と言います。また「直接談話」といって、霊媒の身体から流出する“エクトプラズム”という特殊な半物質によって発声器をつくり出し、霊がこれを操って直接話をするという方法もあります。
霊界通信にはピンからキリまである
さて「霊界通信」について考えるとき、必ず押さえておかなければならない重要な点があります。それは霊界通信には、内容的にピンからキリまであるということです。霊界からの通信であれば、何でも価値があるというわけではありません。素晴らしい通信がある一方で、実にくだらないものも数多くあります。
したがって通信内容のレベルを見極めることが、私達地上人にとってきわめて大切なこととなります。霊界通信のレベルは、いくつかの要因によって決定されます。その要因とは――「通信霊の霊格」「霊と霊媒の連携状態」「霊媒の人格性と霊性」です。以下ではそれらについて述べていきます。
通信霊の霊格
情報を送ってくる通信霊がどのような霊性の持ち主であるかによって、通信内容のレベルは大きく左右されます。これは通信霊の「霊格」の問題です。高級霊か低級霊か、それとも単なる普通の霊なのかということです。大学教授から与えられる知識と小学校入学前の子供から与えられる知識では、内容は全く違ったものになります。それと同じことが霊界通信にも当てはまります。
実際のところ霊媒を通じて通信を送ってくる霊の大半が、小さな子供に相当する未熟霊・低級霊の類です。霊的に未熟であればあるほど物質的要素を多く持っているため、地上世界と接触しやすくなります。そうした霊達は人生の落伍者のような存在で、嘘を言って地上人をからかったり、地上人を混乱させて困らせたり、苛めたりすることに喜びを感じるのです。そしてデタラメな通信を地上に送ります。何も知らない地上人は低級霊からの通信をありがたがって受け入れますが、それを眺めて彼らは、ほくそ笑んでいるのです。
こうした悪質な低級霊とは別に、他界して間もない霊が通信を送ってくるケースがあります。この場合も霊は物質的要素をまだ拭い去っていないため、物質的世界と容易にコンタクトを取ることができます。しかし本人自身が霊界の新参者ですから、それほど価値のある通信を送ってくることはできません。
一般的に行われている霊界通信のほとんど(90%以上)が、このような霊達(未熟霊・低級霊・新参霊)からのものです。そうした霊達から有益な教訓やメッセージが送られてくることは決してありません。優れた通信霊(高級霊)によるものでないかぎり、人類全体にとって本当に価値のある知識や教訓を得ることはできませんが、現実には高級霊が地上に通信を送ってくることはめったにないのです。
通信霊と霊媒の連携の問題
――通信霊のオーラと霊媒のオーラの融合
霊媒なら日本にも数多く存在しますので、その霊媒を使えば霊界の情報を自由に入手できるようになると思われるかもしれません。しかしレベルの高い霊界の情報を得るためには、今述べたように「霊格の優れた通信霊」の存在が不可欠となります。この難しい条件を、まずクリアしなければなりません。さらに霊界通信には、別の重要な要素が関係します。それが「通信霊と霊媒の連携性」――すなわち通信霊と霊媒のオーラの融合化という問題です。
霊にはもはや肉体がないため、霊界と地上を媒介する「霊媒」がどうしても必要になります。霊界からの情報伝達は、非常に複雑なプロセスを経て行われます。大抵の人々は入神霊媒や自動書記は、霊が霊媒に乗り移り、霊媒の口や手を使って話をしたり文字を書くと思っています。しかし実際には、霊が霊媒の口や手を直接的に使用するわけではありません。
少し難しい話になりますが、そのメカニズムを述べると次のようになります。人間には、今自覚している意識とは別の潜在意識があります。私達地上人の日常の行動の多くが、実はこの潜在意識によって自動的に営まれるようになっています。「潜在意識」は、日常生活の行動や思考のコントロール・タワー(司令塔)のようなものと言えます。霊が、霊媒の潜在意識の言語活動を司る部分を支配すると、霊媒が日常用いている文章や単語を使って自分の考え・通信内容を語ることができるようになります。
さて、この際に問題となるのは「霊がいかに上手に霊媒の潜在意識を支配するか」ということです。霊媒の潜在意識の支配は、霊媒のオーラと霊自身のオーラを融合化させることによって可能となります。ですから初めはぎこちなかった霊界通信も、回を追うごとにオーラの融合化の度合いが進み、洗練されたものになっていきます。霊界通信によって霊界の高い情報を得るためには、霊と霊媒の精妙な連携プレーが必要不可欠となるのです。
オーラの融合化が不十分であると、霊媒がトランス(入神)状態にあっても、語られる言葉は通信霊からのメッセージではなく、潜在意識内にある霊媒自身の考えということになってしまいます。一方、物質性の強い低級霊や死後間もない霊の場合には、霊媒の潜在意識に自分の意識を吹き込むだけで容易にメッセージを伝えることができるため、通信は意外と簡単に行われます。
霊媒の人格性・霊性レベル
霊界通信には、さらにもう一つの重要な要素があります。それは霊媒の「人格性・霊性」の問題です。霊媒の霊性が低く、下品で人格性が劣り、物質性・本能性が強いときには、体全体から物質的な低いオーラが発散されます。そうした人間に、高級霊が接触を図るはずはありません。どれほど望んでも低俗な霊媒は、霊的純粋度の高いものを扱うことはできないのです。
高級霊が用いる霊媒は、人格性・霊性ともに優れ、本能性が少なく、自己犠牲の精神に富んだ人間に限られます。率直に言えば、巷で見られる大半の霊媒者は、高級霊ではなく低級霊の道具になっています。高級霊に相応できる霊媒は、めったにいるものではありません。
スピリチュアリズムにおける厳しい検証と“世界三大霊訓”
こうした理由から、一口に霊界通信・霊媒現象といっても、内容的にはピンからキリまでのレベルが生じることになります。スピリチュアリズムはこれまで、霊界通信や霊媒現象に対して徹底した検証を行ってきました。それを通じて本物とニセモノを厳しく区別し、通信内容のレベルを見定めてきました。
その結果、現在までにいくつかの霊界通信が真価を認められています。その中で特に優れたものが、モーゼスの『霊訓』と『シルバーバーチの霊訓』とアラン・カルデックの『霊の書』で、これらは“世界三大霊訓”と言われています。特に『シルバーバーチの霊訓』は最高レベルの霊界通信で、質量ともに抜きん出ており、地上人類が手にした最高の叡智・最高の教訓と言えます。世界三大霊訓の中に、スピリチュアリズムの思想・教訓の真髄が凝縮されています。
【2】超宗教としてのスピリチュアリズムの概要
1.スピリチュアリズムは霊的真理を土台とした信仰的生き方
――霊的知識に信仰を積み上げた全体がスピリチュアリズム
教条主義と盲信に支配されてきたこれまでの宗教
従来の宗教には、スピリチュアリズムのような明確な霊的真理や霊的事実がありませんでした。ほんの断片的な霊的知識はありましたが、その多くが人間の無知によって歪められたり勝手な考えが付け加えられて、事実から大きく懸け離れたものになってきました。さらに宗教が組織化されるプロセスの中で、宗教者のエゴによってわずかな真理も意図的に歪曲され、また捏造されたニセの教えが加えられて、霊的真実とは全く異なる間違った教義がつくられてしまいました。
このような人工的な教義を、宗教組織は権力をもって人々に押し付けてきました。間違った教義を何の批判もせずに鵜呑みにすることを、人々に強要してきたのです。こうして地上の宗教は、教条主義と盲信によって支配されるようになってしまいました。
信仰の土台となる確固たる霊的知識
スピリチュアリズムは地上人類に、これまでのどの宗教よりも正確で豊富な霊的知識をもたらすことになりました。そして霊的事実の上に立った正しい宗教の在り方を人類の前に提示しました。スピリチュアリズムの登場によって、地上の宗教は「霊的事実」という確固たる信仰の根拠を持つことになりました。心ある人間ならば誰もが受け入れることのできる霊的知識・霊的事実が、信仰の土台となる時代を迎えるようになったのです。
これまでの宗教では、理性が納得できない内容であっても無理やりに信じ込ませ、それが信仰とされてきました。スピリチュアリズムは、そうした盲信的信仰を否定し、これを地上世界から排除するために闘いを挑んできました。スピリチュアリズムという「超宗教」の登場は、まさに人類の宗教の歴史を大きく飛躍させる画期的な出来事なのです。
信仰の土台となる霊的知識
スピリチュアリズムが信仰の土台とする霊的知識とは、「霊魂観」についての知識です。それは従来のスピリチュアリズムの心霊実験・交霊会の歴史を通じて実証された事実に他なりません。具体的には――「人間は死んでも霊として生き続ける」「人間は死後、霊界において生活する」「霊界の霊は、地上の霊媒を通じて働きかけたり、通信を送ってくることができる」というものです。
神と摂理に対する信仰
スピリチュアリズムは、そうした霊的知識(霊魂観の知識)の上に信仰を積み上げますが、その信仰とは――「神と摂理に対する信仰」です。
「霊界人であれ地上人であれ、信仰の対象とすべきものは、神と神の造られた摂理(法則)だけである」「神は宇宙・霊界のすべての存在物と運行を、摂理という法則によって支配している」「摂理による支配のゆえに、すべての人間は完全な平等・公平のもとに置かれている。一人として不平等に扱われることはない」「摂理を通じての神の支配は、神が直接人間に関与することはないということを意味する。従来の宗教のように神に直接許しを請い、特別の保護や恩寵を願っても無駄である。神に奇跡を願ったり、自分に都合のいい許しや恩寵を願い出ても、一切聞き届けられることはない」――以上が、神と摂理に対するスピリチュアリズムの信仰の内容です。
スピリチュアリズムとは、すべての霊界人に共通な信仰的生き方
理性で納得できる確かな霊的知識に、信仰を積み上げたものの全体が“スピリチュアリズム”です。スピリチュアリズムとは、そうした信仰的生き方であり日常生活の在り方です。それは、まさに霊界の人々の宗教的生き方そのものと言えます。
霊界人の生き方、すなわち霊界での信仰的生活とは、地上世界のような信仰心の篤い一部の特別な人だけのものではありません。すべての人間(霊達)に共通する生活であり、霊界人にとって当たり前の在り方なのです。日常生活がそのまま信仰実践となっている霊界では、それを敢えて信仰と呼んだり特別な行為と見なすことはありません。霊界における信仰は、地上人が食事をするのと同じようなものなのです。
2.スピリチュアリズムの思想の大原則
――霊優位主義・霊中心主義と霊的成長至上主義
物と物質世界を優先するこの世の宗教
従来の宗教の中には、霊や死後の世界(霊界)に言及したものが多くあります。しかしそうした場合であっても、霊や霊界をそれほど重要視しているわけではありません。肉体や物質世界に対する霊や霊界の優先性は、あまり明確ではありません。地上の宗教は、霊や霊界を取り上げることはあっても、それをどこまでも地上世界の延長として、あるいは地上人生の脇役のような位置に置いています。
スピリチュアリズムが、地上的なものや物質的なものに価値を認めないことと比べると、地上の宗教は物質中心性がきわめて濃厚で、本音レベルでは、この世の幸せと楽しみを優先し、物質的な幸せを追求していると言えます。
霊と霊界を優先するスピリチュアリズム
――「霊優位主義・霊中心主義」
スピリチュアリズムが地上の宗教・思想と根本的に異なる点は――「霊と霊界に徹底した価値を置いている」ということです。スピリチュアリズムでは、肉体や物質世界の中に真実の価値を認めてはいません。霊的な幸せだけが真の幸福であり、物質的な満足は本当の幸福ではないとしています。
スピリチュアリズムでは、物質は常に霊的なものの支配下にあるべきと考えます。肉体は霊の支配下にあって、初めてまともな状態を保つことができます。地上世界も霊界の支配下にあって、初めて本来の価値を持つことになります。霊が主人で、肉体・物質は家臣なのです。これが霊と肉、霊と物質の正しい関係です。このようにスピリチュアリズムは「霊」を主とし、「肉体・物質」を従とする関係を大原則としています。
そこでは当然のこととして、何事においても常に霊と霊界を中心に考えるということになります。すべての価値判断を、霊と霊界を基準にして下します。「人間の幸福は霊と霊界の中にあり、肉体と物質の中には存在しない」「人間が求めるべきものは霊的幸福であり、肉体的・物質的満足ではない」――スピリチュアリズムには、こうした明確な「霊優位主義・霊中心主義」が貫かれています。
スピリチュアリズムの人間観・人生観・人生の目的・死生観
スピリチュアリズムの「霊優位主義・霊中心主義」は、スピリチュアリズムの思想のあらゆる分野に及びます。ここではその一例を示します。
人間観
スピリチュアリズムでは、人間を「霊的存在」と明確に定義します。しかし大半の地上人は霊体の存在を知らないために、人間とは目に見える肉体であると考えています。また霊的存在を認めている人でも、実際には霊は肉体の付属物といった位置づけをします。
しかし人間は肉体をまとった霊(Spirit with body)であって、霊をまとった肉体(Body with spirit)ではありません。このようにスピリチュアリズムでは、霊の中心性・本体性を強く主張します。肉体は霊の外皮であり、霊の表現器官にすぎないのです。
人生観
スピリチュアリズムでは、霊界こそが人間にとって本来の世界と考えます。今、私達が生きている地上世界は、永遠の歩みの中のほんのわずかな一コマです。霊界での永遠的な生活に対し100年にも満たない地上人生は、旅行中のちょっとした逗留先のようなものです。霊界こそがメインで、地上は一時的な仮の世界なのです。
人生の目的
スピリチュアリズムでは、地上人生は霊界という本来の世界へ行くための準備期間と考えます。地上人生の目的は、霊界での生活に備えて訓練をするということです。地上世界で遭遇するさまざまな苦難や困難は、当事者にとっては深刻な問題ですが、それは霊界から見たときには取るに足りない小さな出来事です。その後の霊界での生活をより高めてくれる、ありがたい体験だからです。
死生観
大半の地上人が最も恐れ、最大の不幸と考えるのは“死”ですが、スピリチュアリズムでは“死”は、本来の住処に帰って行く喜ばしい時であるとします。死を恐れるどころか、反対に歓迎します。人々は親族や知人との死別を悲しみますが、本来は遺族においても喜びと希望の時として受け入れるべきものなのです。
*一般人ばかりでなく宗教者までもが、よく次のように言います。「死んでからのことは死んでみなければ分からないのだから、この世を軽視してどうする。この世こそすべてであり、精いっぱい生きなければならない。生きているうちから死後の世界のことを考え、あれこれ迷ってどうする。」
こうした発言はいかにももっともらしく聞こえますが、その人間の言う霊界とは、観念の中で考えている世界にすぎません。もし現実に霊界があり、死ねば否応なくそこへ行って生活するようになるということが事実ならば、そうした無責任な発言はできないはずです。問題は――「実際に霊界があるかどうか」なのです。スピリチュアリズムは、霊界をどこまでも現実の問題として考えているのです。
以上は、スピリチュアリズムの「霊優位主義・霊中心主義」に基づく考え方のほんの一例ですが、地上世界には、これほど徹底して霊と霊界をメインとする宗教は他にありません。
「霊的成長至上主義」
――霊的成長が価値判断の絶対基準
スピリチュアリズムの霊と霊界に対する優先主義・中心主義は、必然的に霊的価値観に帰着します。真実の価値は、霊的なものの中にこそ存在します。その真実の価値の一番の核心が「霊的成長」なのです。スピリチュアリズムでは霊的成長を、人間に関わる最も重要なものと考え、ここに絶対的な価値基準を置いています。
人間にとって霊的成長が何よりも重要であるのは、人間が神によって永遠に霊的成長する存在として創造されたからです。人間は神によって分霊を付与され、神の子供としての資格を持つことになりましたが、それは永遠の霊的成長の道をたどるという宿命が与えられたことを意味します。したがって地上人生の目的は「霊的成長」にあります。人間は霊的成長を最優先して求める存在として造られているのです。
私達と同じ神の子供として創造された何百億という霊界の霊達は皆、霊的成長を最優先して求め、霊的成長を目標にして日々の歩みをしています。霊界のあらゆる営みは「霊的成長」という一点に向けてなされています。
霊的成長が人間にとって最も重要なものであるならば、霊的成長にプラスとなるのかマイナスとなるのかによって、すべての行為の価値が決定されることになります。「霊的成長が価値判断の絶対基準となる」ということです。スピリチュアリズムは、霊的成長に結びつかない地上世界での行為や出来事に対して価値を認めません。スピリチュアリズムが、大部分の地上人が必死になって追い求めている物質的財産や名誉・名声・地位・家柄などに全く価値を認めないのは、それらが霊的成長とは無関係であるばかりでなく、人間を霊的成長から遠ざけることにもなるからです。
*地上世界と地上人生の存在価値
こうした話を聞くと、人によっては、スピリチュアリズムは地上世界や物質的なものを全く無視しているように感じられるかもしれません。物質的存在の価値を完全に否定しているように思われるかもしれません。
しかしスピリチュアリズムは、地上人生を全く無意味なものとして無視せよ、否定せよと言っているわけではありません。それどころか霊界という永遠の世界での幸せを獲得するためには、地上における体験が不可欠であると考えています。人間にとって本来の住処は霊界ですが、その霊界での幸・不幸を決定するのが地上生活である以上、地上人生はとても大切なものとなります。
霊界のことを正しく理解できるようになると、必然的に地上人生を、さらに真剣に歩まざるをえなくなります。霊界のことを知らない人より、もっと真剣に真面目に地上生活を送らなければならないと思うようになるのです。
3.スピリチュアリズムがもたらす最高の救い
――スピリチュアリズムは霊的成長という最高の救いをもたらす
人々が宗教に求めるものは、一言で言えば“苦しみからの救い”に他なりません。人間は、地上人生で遭遇するさまざまな苦しみ・不安・恐怖・悲しみからの救いを宗教に求めてきました。「地球人類救済」を目的として興されたスピリチュアリズムは、従来のいかなる宗教よりも大きな救いを人類にもたらそうとしていますが、それは一体どのようなものなのでしょうか。
ここでは“救い”の観点から、スピリチュアリズムと一般の宗教を比較してみます。
宗教に、死への救いを求めてきた人類
恐怖と感じるものは、人によってそれぞれ異なりますが、多くの人々に共通する恐怖の最たるものは“死”ではないでしょうか。いずれの宗教も、死の恐怖への対処が教えの中心となっています。
シャカは、悟りによる輪廻のサイクルからの解脱として死の問題の解決を図りました。キリスト教では、終末における再臨のイエスによる復活にあずかるという形で死の問題に対処してきました。イスラム教では、この世を正しく生きることによって終末のアッラーの審判で天国行きの切符を手にすることができるとして問題解決を図ってきました。地球人類は、宗教にすがって死の恐怖を乗り越えようとしてきました。
では従来の宗教によって、本当に死後の世界(霊界)での救いは得られたのでしょうか。
霊界通信が明らかにする死後の救いの現実
人間は死後、誰もが霊界に行くようになります。死後の世界の存在を信じていなかった人間も、例外なく霊界で生活することになります。スピリチュアリズムの霊界通信は、地上の信仰者の霊界での様子をリアルに伝えています。
それによって明らかにされたことは、「これまでの地上の宗教では、死後の救いは成就しない」ということです。いくら従来の宗教にすがっても、人間は死後の救いを得ることはできないのです。このように言うと、他の宗教を信じている人々は当然、猛反発することでしょうが……。
霊界入りする大勢の人間が、死後あまりにも醜い状況に堕ちています。地上時代の信仰者の多くが死後、救いとはほど遠い環境の中に置かれています。地上の宗教が本当に人類に救いを与えてきたかどうかは、霊界の現実の中にはっきりと示されているのです。
死後、後悔する熱心な信仰者達
霊界こそが私達人間にとって本来の世界であり、地上はそのための準備の世界にすぎません。地上人生において霊界行きのためにしっかりと準備をすれば、死後には喜びに満ちた生活が待っています。
ところが生前、信仰熱心だった多くの人々が、死後に地上生活を後悔したり、苦しみを体験するような結果になっています。霊界に行ってから、地上の宗教で教えられてきたような特別の救いなどはないことを聞かされ、これまで信じてきた宗教が何の意味もなかったことを知って愕然とします。そして地上人生を無駄に費やしてきたことを後悔し、できることならもう一度、地上へ再生してやり直したいと思うようになるのです。
普通の人間の死後の状態
地上で宗教と関わりを持った人間ばかりでなく、ごく普通の地上人生を送った人々も、その大半が死後の世界への準備を何もしないまま霊界入りするようになります。彼らは、死後の世界に対する知識もなく、霊界の生活に対する準備もないまま新しい生活を始めようとしますが、ひどい無知と未熟さゆえに混乱し、戸惑うようになります。そこで先輩の霊達に面倒をみてもらうことになります。その指導のもとで、ゼロから生き方を学び直すことになるのです。しかし中には“地縛霊”となって地上近くを徘徊し、地上人に悪影響を及ぼすようになる者もいます。
こうした死後の悲惨なケースがあまりにも多いために、霊界の高級霊達は、地上人類の救いに乗り出すことになったのです。それでは霊界の高級霊が、スピリチュアリズムを通じて地上人にもたらそうとしている救いとは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
真の救いとは、霊的成長の道が示されること
スピリチュアリズムによってもたらされる最高の恩恵は――「霊的成長」という一言に言い尽くされます。すでに述べたように霊的成長こそが、霊的存在である人間にとって最も価値ある永遠的な霊的宝です。スピリチュアリズムの霊的真理は、この霊的成長のために与えられたものなのです。
「霊的真理」は霊的成長を促し、地上人生というごく短い期間に、霊界での生活への準備をさせてくれます。人間は霊的真理を実践することによって地上で必要な霊的成長をなし、同時に霊界での生活への準備をすることができるようになります。まさに「霊的成長の道を示す」ことが、スピリチュアリズムが地上人類に与えようとする救いの実体だったのです。霊的成長こそが、人間にとって最高の恩恵であり、本当の救いなのです。
しかし、これまでの宗教は霊界まで見通した広い視野を持てなかったために、何が地上人にとって最も重要なことなのかが理解できませんでした。人間にとって本当の救いとは何なのかが分かりませんでした。
必ず訪れる死、そして必ず行くことになる霊界――そこでの喜び・幸福に直結する「霊的成長」こそが、地上人類に与えられる“真の救い”に他なりません。スピリチュアリズムは、この本当の救いをもたらすことを目的として、霊界の高級霊達が総力を挙げて進めている大プロジェクトなのです。
4.スピリチュアリズムの最終目的
――霊的同胞世界・神の愛による霊的大家族世界の確立
“暗黒の地球”
――霊的無知による物質至上主義・利己主義が支配する地上世界
地球という小さな惑星の中で生まれ育った私達地上人は、自分自身の姿を外部から眺めることはできません。外界の様子を全く知らない井の中の蛙と同じです。しかし私達の住んでいる地球を外部から直接見て、隅々まで知り尽くしている人々がいます。それが霊界人なのです。
地球という狭い世界に閉じ込められている地上人は、自分達が住んでいる地球がどれだけ暗く、霊的に低いところであるのかを知りません。しかし霊界という高い別次元の世界から見ると、地球はまさに暗黒の境涯であることが分かるのです。地球は“霊的光”がほとんど届かない暗闇の世界なのです。霊界通信によれば、地球は無数の生命体が存在する惑星の中で、下から2番目に低い霊性の惑星であるということです。
最下層と言ってもいいほどの未熟な地球においては、霊界では常識となっている霊的知識がほとんど知られていません。地球上のほぼすべての宗教が、基本的な霊的真理すら知らずにいます。地球人類は、あまりにも霊的に無知な状態に置かれています。霊界から見たとき地球人類の霊的無知の度合いは、本当にひどいものなのです。
この「霊的無知」が、人々の意識を物質界と肉体に閉じ込め、そこから一歩も外に出られないようにしています。地上人は、物質的欲望・本能(肉体)的欲望を満たすことが幸福であるという錯覚(物質至上主義)にとらわれ、物質的利益や本能的快楽を競って求めています。そして他人を押しのけても自分の物質的利益を獲得しようとし、必然的に醜い争いを発生させることになっています。こうして地球全体が「利己主義」に支配されるようになり、そこからさまざまな悲劇や不幸が地球人類にもたらされるようになったのです。
地球上に蔓延している、さまざまな悲劇・不幸
物質至上主義と利己主義が引き起こす地球上の第1番目の悲劇は――「戦争」です。人間と人間が殺し合いをすることは、地上世界における悲劇の最たるものです。神によって与えられた生命を人間同士が奪い合うことは最大の罪です。他人を殺すことが大罪であると知りながら、現在に至るまで地球人類は戦争をやめることができませんでした。
地球上に人類が登場して以来、戦火の絶えた時代はほとんどありません。今この瞬間も、世界の各地で戦争による殺し合いが行われています。そこでは多くの敵を殺した者が英雄と称えられます。そして高い殺傷能力を持った兵器の開発に各国がしのぎを削っています。
地球上を支配する第2番目の悲劇は――「貧困・飢餓」です。物質的利益を少しでも多く手に入れようとするところからの争いは、一部の力のある者に富を集中させ、大多数の人々を貧困に追いやることになります。現在、世界の4分の1以上の人々が飢餓の状況に置かれています。
神は、地球上のすべての人々(65億人)が十分に食べていけるだけの食料を準備されているのですが、それが不公平に分配されることによって貧困・飢餓といった悲劇が発生しているのです。先進国では、食べ切れなかった食料が大量に捨てられています。その一方で発展途上国には、一日の食にありつけず、ひもじさで苦しんでいる多くの人々がいます。
第3番目の悲劇は――「間違った宗教による霊的弊害」です。地上の宗教の間違った教義や宗教組織が、人々を霊的牢獄の中に閉じ込め、霊的成長の道を閉ざしてきました。宗教は本来、地上人に霊的真理を教え、霊的成長の道を歩ませることをその使命としていますが、これまでの宗教は、人々の霊的成長を促すどころか、反対にそれを妨害してきました。その結果、多くの人々の地上人生が全く無駄なものになってしまったのです。
第4番目の悲劇は――霊的真理がないことによる「精神の堕落」や生きがいの喪失・絶望感といった「心の危機」です。霊的無知の状況に置かれている人々は、自分が何のために生まれてきたのかという地上人生の目的が分からなくなっています。そして人生に意義と価値を見出すことができず、虚しさや絶望感・失望感にとらわれ、無気力状態に陥っています。精神的に荒廃して犯罪を犯したり、自暴自棄になって自殺に走る人間もいます。先進国の人々は物質的には不自由していませんが、心の危機状態からは逃れることができません。多くの人々が精神的地獄の中で生きながらえ、せっかくの地上人生を本当の喜びを知らないまま送っているのです。
第5番目の悲劇は――「動物虐待」と「環境破壊」です。人間が殺し合うことが間違いであるのは、人間の生命が神によって与えられた尊いものだからです。しかし価値があるのは、何も人間の生命だけではありません。動物の生命も神によって与えられた尊いものであり、それを人間が勝手に奪い取ることは許されません。動物は、人間によって殺され食料にされるために神から生命を与えられたわけではないのです。
現在では、摂理に反した動物虐待が当たり前のように行われています。大多数の人々は動物虐待を、間違ったこと・大罪を犯すことだと認識していません。そして虐待は動物に対してばかりでなく、植物や環境に対しても行われています。
こうした残虐行為のすべては、動物・植物に対する利他愛の欠如と人間の傲慢さから生じています。そして動物・植物に対しての摂理に反した罪は、結果的に人間自身に返り、人間を苦しめ窮地に陥れることになっています。
第6番目の悲劇は――「霊的未熟者による霊界の悲劇」です。地上人生を無駄に過ごした人間の多くが、未熟なままで霊界入りすることになります。そして霊界に行ってから後悔し、ゼロから人生をやり直さなければならなくなります。なかにはいつまでも死の自覚を持てず、地縛霊となって地上人にいたずらや悪さをするようになる者もいます。
幽界の下層には、こうした未熟霊・低級霊によって暗黒の領域がつくられています。霊界の高級霊は、出来損ないの霊達を指導教育し、面倒をみなければなりません。地上の悲劇はこのような形で霊界にも悲劇を発生させ、高級霊に多大な面倒をかけることになっています。
高級霊による救済活動の開始
地球上のあまりの惨状を前にして、霊界では高級霊達が結集し、一致団結して「地球人類救済」に乗り出すことになりました。そのための大プロジェクトが立案され、計画にそって綿密な準備が進められました。そして1848年に、地上世界に向けて計画が実行に移されることになりました。それが地上のスピリチュアリズム運動の開始だったのです。
地球上の悲劇は、人類の「物質至上主義」と「利己主義」から発生しています。物質至上主義と利己主義は、地上世界を支配するガンと言えます。その2つのガンは「霊的無知」という、さらなる原因によって発生しています。したがって地球上のすべての悲劇の大もとは霊的無知に帰着します。「霊的無知」は地球上の悲劇の元凶なのです。霊界の高級霊達は、この一番の根本原因を解決するために、地上に「霊的真理」をもたらすことを決定したのです。
スピリチュアリズムの最終目的
地球上の悲劇をなくして地球人類を救うことが、スピリチュアリズムの最終的な目的です。それは「霊的真理」を地上にもたらして霊的無知をなくし、地上を支配してきた物質中心主義を「霊中心主義」に、利己主義を「利他主義」に変えることによって達成されます。霊中心主義と利他主義が地球上に広まれば、地球人類の考え方・生き方は根本から変革するようになります。スピリチュアリズムは、霊的真理による「霊的革命・魂の革命」を興して地球人類を救おうとする史上最大のプロジェクトなのです。
一方、スピリチュアリズムの動きは、地球上から悲劇をなくすことだけにとどまるものではありません。これまでの地球の歴史上に存在したことのない素晴らしい世界を確立することも目的なのです。「霊的真理」が地球上に普及し、真理を実行する地上人(真実の愛を実践する地上人)が増えるにともない、地球上に真実の愛による支配が拡大していきます。そして、すべての地球人類の間に魂と魂の深い結びつきが生まれるようになり、神を共通の霊的親とする「霊的大家族世界」が築かれることになります。世界中の人々が同じ霊的家族として、霊的同胞として愛し合う世界が地球上に到来することになるのです。
スピリチュアリズムが最終的に目指している「霊的同胞世界」、神の愛による「霊的大家族世界」という理想の世界は、これまでの人間常識からは到底実現不可能のように思われるかもしれません。しかしこの計画を進める主役が何百億という高級霊である以上、遠い将来には必ず達成されることになります。「霊的同胞世界」という理想世界・地上天国は今後、何百年という期間をかけて徐々に実現していくことになります。21世紀の現在は、まさにその計画の第一歩を踏み出したところなのです。