神の摂理と愛の世界―1
ニューズレター第32号
今回と次回は、神の摂理の観点から“愛”について学びます。人間にとって最も価値ある“愛”についての理解を深めることにします。内容は次のようになっています。
今回の32号では1~5までを取り上げ、残りは次回(神の摂理と愛の世界―2)に掲載します。
1.愛の意義と重要性
――人間にとって不可欠な霊的栄養素
愛は最高の摂理
シルバーバーチの霊訓の中に、次のような箇所があります。
(質問)「霊的法則の中でも一番大切なものといえば何でしょうか。」
(答え)「“互いに愛し合うこと”――これが最大の法則です。」
ここでシルバーバーチは、“愛”が最大の摂理であること、人間にとって最も価値あるものであることを明らかにしています。愛こそ、まさに最高の摂理・神の法則であり、宇宙と霊界を満たす神のエネルギーなのです。私達の魂は「愛の実践」によって神の摂理に共鳴し、神に似ていくことになります。私達の魂の成長は、愛の実践を通じてなされます。愛の実践は、人間次元における“神性”の出現を意味します。
シルバーバーチは、愛の重要性を繰り返し強調しています。
「愛がすべての根源です。(中略)愛こそ神の摂理の遂行者です。」
「愛は厳然として存在します。宇宙における最大の力です。大自然の法則を機能させる原動力です。愛あればこそ全宇宙が存在するのです。(中略)生命活動の原動力であり、霊の世界と物質の世界の間に横たわる障害を克服していくのも愛の力です。」
「宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。(中略)全生命の極地であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。」
「愛は全生命の根源であり、宇宙を創造した大霊すなわち神の属性であるがゆえに死滅することはありません。それはまさに生命の息吹でありエッセンスなのです。」
「愛は霊性の最高の表現です。大霊から下さるものです。」
愛は魂成長のための“霊的栄養素”
神は、人間を霊的存在として創造されました。人間の魂は神の分霊であり、ミニチュアの神です。それゆえ人間は神の子供と言えます。霊的存在である人間は、永遠に霊的成長の道をたどることで少しずつ神に近づき、神と深く結ばれるようになっていきます。
さて、その「霊的成長」のためには、霊的栄養素・霊的エネルギーが必要です。肉体の成長に食べ物や飲み物といった栄養素・物質的エネルギー源が必要なように、霊的成長にも霊的エネルギー源が必要となります。愛はまさにそのための“霊的栄養素”なのです。
宇宙・霊界の愛の根源は神に発します。“神の愛”が降下して、宇宙・霊界のすべてを満たしています。その愛のエネルギーが、すべての生命体を生かしています。宇宙の大気中から神の愛のエネルギーを取り入れ、地上で具体的な愛の関係をつくることによって、人間の魂は成長するようになっています。人間の「霊的成長」は、愛の関係をつくり、愛の実践を重ねることで達成されるようになっているのです。
「私はいつも、私へ愛情を覚えてくださる方々の愛念によって心を温めております。私にとっては、地上で窒息しないために吸入できる唯一の酸素は“愛”なのです。地上へ降りてくるためにお預けにされる喜びを補ってくれる最大の慰めは、みなさんからの愛なのです。」
愛の本質は「霊性」
霊界では誰もが“神の愛”を直接感じ取り、それが魂と魂を結びつける絆であることを実感します。愛の本質は「霊性」であり、純粋に霊的な要素です。したがって愛の本当の素晴らしさ、愛の臨場感は、霊の世界である霊界に行ったときに初めて知ることができるようになります。地上における愛の実感度は、霊界で感じる影のようなものです。それほど地上世界と霊界では、愛の現実性において大きな開きがあります。
「愛の真の意義を悟るのは霊の世界へ来てからです。なぜなら愛の本質は霊的なものだからです。愛は魂と魂、精神と精神とを結びつけるものです。」
愛は、神と人間・人間と人間を結びつける“霊的絆”
私達は、神の愛によって存在し生かされています。また神の愛を中心とする愛の世界をつくることによって、永遠に霊的成長の道をたどるようになります。私達人間は、神の愛なくして存在することはできません。神の愛から離れて成長することはできません。
神は、私達人間にとっての「霊的親」であり、私達はその「霊的子供」です。これが神と人間の一番本質的な関係です。その関係を結ぶものが“愛”なのです。神と人間との親子関係も、人間同士の霊的兄弟関係も、すべて愛が“霊的絆”となって成立しています。
「愛とは、魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主である神とのつながりを悟った時に自然に湧き出てくる欲求のことです。」
「愛こそ宇宙最大の絆なのです。」
摂理を通じて現れる“神の愛”
神の愛は宇宙・霊界に充満していますが、神ご自身は直接姿を現すことはありません。神は自ら造られた摂理を通じて、人間をはじめとする万物の前に現れるようになっています。神との関係は、常に摂理を通じての間接的なものなのです。
しかし、その形式(システム)のために、神の愛はすべての人々に等しく公平に注がれるようになっています。このことは地上人が、神に個人的な愛、自分に対する特別な愛を求めても聞き入れられることはないということを意味します。摂理を通じて私達に注がれる神の愛は、常に絶対平等であり絶対公平なのです。それによって神は、万人に対する「完全な霊的親」として君臨することができるようになっています。誰ひとり特別に神から愛される人間はいない代わりに、誰ひとり見捨てられたり不公平に扱われる人間もいないのです。すべての人間が完全に平等に愛されているのです。

2.スピリチュアリズムの目的
――神の愛が支配する「霊的大家族」
霊界で、すでに確立している霊的同胞世界・霊的大家族
全人類が神を共通の「霊的親」として受け入れ心から慕い尊敬し、すべての人間が等しい「神の子供」として神の愛で結ばれる世界――これが神を中心とする「霊的同胞世界」です。神を親とする「霊的大家族」です。こうした世界は、21世紀の地球上に住む私達にとっては、まるで空想の世界・おとぎ話の世界のように感じられます。現実にはあり得ない単なる理想のように思われます。しかし霊界においては、実際にそうした理想的な世界が確立されているのです。
暗闇に覆われた21世紀、現在の地球は、理想から最も懸け離れた状態にあります。私達の住む地球は、神の愛が支配する世界からきわめて遠いところにあります。
2千年前のイエスの使命
今から2千年前、地上に誕生したイエスの使命は、人々に本当の“神の愛”を教え、神の愛を中心とする「霊的同胞世界」をつくることでした。神を親とする「霊的大家族」をつくるための“愛の革命”を起こすことだったのです。
イエスは、地上人類に初めて真実の神の愛を教え、神が恐れや怒りの存在ではなく愛の方であることを明らかにしました。そして自らの生き方によって、それを証明しようとしました。イエスは“愛の革命”の火を点し、人々に本物の愛を示すことに成功したのです。
しかし残念なことに、イエスによって点火された愛の灯火は、その後、キリスト教の人工の教義のもとで間違って伝えられることになりました。イエスの教えの本質は、教会組織によって歪められ、ニセの教えが2千年の期間を経て世界中に広まってしまいました。
「真実の愛の世界確立」が、スピリチュアリズムの究極の目的
スピリチュアリズムは、正しく広められなかったイエスの愛の教えを、もう一度、地上に行きわたらせようとするものです。イエスの本来の使命に立って原点からやり直し、地上に神の愛が支配する世界をつくることを目的として計画されました。
スピリチュアリズムという人類史上最大のプロジェクトは、現在も霊界のイエスを中心として進められています。2千年前、イエスによって達成できなかった本物の愛の世界・霊的同胞世界を確立することが、スピリチュアリズムの目的であり使命なのです。今、霊界のすべての高級霊達が総力を挙げて、その目的に向かって邁進しています。
「私たちは大霊を共通の父として、全人類が霊的に同胞であるその福音を説きます。」
「愛とは神の摂理を成就することです。お互いが霊的兄弟であり姉妹であり、全人類が霊的親族関係をもった大家族であることを認識すれば、お互いに愛し合わなければならないということになります。」
摂理にそって確立される「霊的同胞世界」
地球という惑星(地上世界)に、これまで霊的同胞世界を築くことができなかったのは、人間同士の間に「神の摂理」に合った愛の関係が確立されなかったからです。地球全体が物質主義と利己主義に支配されていたために、神を中心とした愛の世界をつくり上げることができなかったのです。
神の支配する愛の世界(霊的同胞世界)は、「摂理に一致した愛の関係」づくりから出発しなければなりません。霊的大家族は、地上人類一人一人が「摂理にそった愛の関係」をつくり上げるところからなされていきます。
3.愛の世界の出発点
――愛の関係成立の前提
相手がいて成立する愛の関係
愛情関係は、一人の人間だけでは成立しません。相手(*人間とは限らず動物や植物も含め)がいなければつくれません。神も、自分一人だけで存在していたときには愛を持つことはできませんでした。神は、霊界と大宇宙、そしてそこに住む天使や人間を創造するようになって初めて愛を持つことになりました。
愛の関係は、相手がいて初めて成立するものです。相手との交わりの中で築かれるものなのです。
愛する人と愛される人がいて愛は成立する
神が人類を愛し、人類は神から愛されている――神と人間は、こうした愛し・愛されるという関係にあります。この「愛し・愛される」という関係が愛の出発点になります。
人間同士の場合も、愛する人と愛される人がいて愛の関係が成立します。そんなことは当たり前だと思われるかも知れませんが、このあまりにも単純な事実の中に、深い愛の真理と本質が潜んでいます。愛とは、愛する人と愛される人がいて始まる関係のことなのです。
これは愛の関係をつくるためには、どちらか一方が「先に愛する立場」に立たなければならないということを意味しています。神と人間の関係であれば、文句なしに神が愛する立場に立っています。人間と動植物の関係であれば、人間が愛する立場にあるのは明白です。
では、人間同士の場合はどうかということになると、ここに急に難しい問題が発生するようになります。なぜなら大半の人々が、まず「先に愛されること」を願うからです。

愛の関係成立の“前提条件”
――霊的な上下関係の決定
愛の本質は“霊”であるため、愛は霊的に高いところから低いところに向かって流れていきます。愛は、より神に近い霊的に高い存在から低い存在に向けて流れていきます。“神の愛”という大元の霊的エネルギーは、霊界の上層界から下層界へと流れ、末端の物質世界に至るようになっています。
そしてこれは霊界と地上界の関係だけでなく、人間同士の間においてもそのまま当てはまります。すなわち霊的上位者から下位者へと霊的エネルギーが流れるようになっているということです。これが愛の関係において「先に愛する」ということなのです。
最も高次元の霊的立場は“神”であることは言うまでもありません。神と人間の間には明確な霊的上下関係が成立しています。それと同様に人間同士の間で愛の関係を築く場合にも、霊的上下関係が明確でなければなりません。お互いが物質世界という平面的な場所にいても、霊的な上下関係を見極めることが必要となります。それが愛の関係成立のための“前提条件”となるのです。
人間同士の「霊的上下関係」
人間同士では、親と子の関係・上司と部下の関係・リーダーとメンバーの関係・教師と生徒の関係のように「霊的上下関係」が明確である場合もあれば、兄弟関係・友人関係・夫婦関係のようにはっきりしていない場合もあります。
実は後者については、固定した上下関係ではなく、状況に応じて変化する流動的な上下関係なのです。同じ人間があるときは先に愛する立場に立ち、別のときには愛される立場に立つというように上下関係が変化するのです。
このケースでも一つ一つの状況においては、どちらかが「先に愛する」という上下関係が成立しています。こうした流動的な人間関係をトータル的に見ると、結果的には平等な関係になっていることが分かります。愛の関係においては、必ずどちらかが先に与える立場に立たなければならないということであり、これが実に重要な意味を持っているのです。
霊的上位者が、愛のスターター
霊的上下関係が決まる、霊的上位の立場が明確になるということは、誰が先に愛するのかが明らかになるということです。それは後で述べる「愛のサイクル」が展開していくうえでの主役・愛のスターター(出発者)が決定するということです。
宇宙・霊界に行きわたるすべての愛の出発者・スターターは神です。そして今、スピリチュアリズムの普及に携わっている霊界の高級霊達は、地球人類に対して霊的上位の立場に立ち、愛のスターターとなっています。スピリチュアリズムは、霊界にいる高級霊達が地上人を「先に愛する」ところから出発しています。それは霊界と地上世界にまたがる壮大な愛の関係確立プロジェクトなのです。
また、地上人の誰もが一人の守護霊によって守られ導かれていますが、その守護霊と地上人では、守護霊が愛のスターター、愛の関係をつくる主役の立場に立っています。しかし実際には守護霊の存在を知らない人々が多いため、守護霊と地上人の愛の関係は一方通行のつながりになってしまっています。ここに霊界の人々の悲しみがあるのです。

4.愛に関する第1の摂理
――「利他性の法則」
神が人間を愛する方法
――利他性の法則
神が人間を愛する方式(愛し方)、これが宇宙・霊界の「愛の法則」となりました。神が人間を愛する方法が、宇宙の万物間における、また人間同士の間における「愛の法則・愛の摂理」となったのです。この神の愛の法則とは、具体的には“利他性”のことです。
利他性とは、相手に対して先に与える、相手の利益・全体の利益のために先に働きかけることです。相手や全体の幸福を自分の幸福よりも優先するということです。その際、先に与える立場に立つのが「霊的上位者」なのです。上の者が先に愛する・先に与える、霊的上位者が下位者に対して見返りを期待せずひたすら与え続ける――これが「利他愛の法則」です。
「最高の徳は愛他的です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。」
「宇宙の大霊は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。向上進化の梯子を登って行けば、己のために何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界にたどり着きます。ただ施すのみの世界です。」
忍耐と寛容性が要求される「利他愛の実践」
自分の利益を後回しにして一方的に相手に与え続ける、これはたいへんな忍耐と困難・寛容性が要求されることです。誰でも、途中で相手からの見返りを期待したくなるものです。愛が返ってこないと相手から裏切られたという思いを持つようになるのが、この世の人間の当り前の姿です。しかし利他性の法則は、ただ与えること、与え続けること、完全に与え尽くすことだけなのです。一切の見返りを期待せず、与えるだけで良しとすることなのです。これは人間常識からは大きく懸け離れていますが、それが「神の摂理」なのです。
高級霊達は、その愛の法則を遵守し、一切の見返りを期待することなく地上人の救いのために身をなげうって働きかけてきました。スピリチュアリズムという救済運動にすべてを捧げてきました。“スピリチュアリズム”は、霊界の高級霊達の忍耐と寛容性によって進められている、まさに純粋な「利他愛の大計画」なのです。
相手を選ばない愛
純粋な利他愛には、自分の欲求を優先的に満たそうというところがありません。何一つ自分のためという要素がないのです。さらに本当の利他愛には、「相手を選ばない」という面があります。好感を覚える人間には親切にし援助をするが、好きでない者に対しては手を貸さないというのが、この世の多くの人々の在り方です。家族や血縁者には親切にするが他人には親切にしないというのが、大多数の人々の愛の実態です。しかし真の利他愛は相手を選びません。家族も他人も外国人も、同じ神の子供であるという「霊的同胞意識・霊的家族意識」によって、すべての人を別け隔てなく愛するのです。
シルバーバーチの次の言葉の中に、純粋な利他愛について分かりやすく述べられています。
「好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感の持てない人を愛する――これが魂の霊格の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければなりません。他人にできないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以だからです。可愛そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心のあった人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。(中略)
愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいことです。しかし奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容貌の人を治療するのは並大抵の心掛けではできません。が、それが奉仕です。真の愛は大小優劣の判断を求めません。愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。」
「愛のサイクル」の確立
霊的上位者が先に愛を与え続ける中で、少しずつその愛が相手によって受け止められるようになります。さらにはそれまで与えてばかりいた相手から、反対に愛が返ってくるようになります。こうなるとそこに「愛のサイクル」が成立することになります。ここにおいて愛の関係は、質的に飛躍・レベルアップし、新しい段階に入ることになります。愛のサイクルは、愛の関係が高まってできるものなのです。
愛のサイクルが成立するためには、すでに述べたように「霊的上位者」による摂理に一致した利他愛の行為が不可欠となります。一方的に与え続ける「利他的行為」が、サイクルづくりの一歩となるのです。愛のサイクルは霊的上位者の純粋な利他愛から始まります。やがてそれが相手によって受け止められ、愛が返されるようになるにつれて、少しずつサイクルができ上がっていきます。そのサイクルがスムーズに展開するようになると、両者がともに相手のために積極的に与え合うようになります。
霊的上位の者が“愛の主役”としてひたすら与え続けること、自分の好み・好き嫌いにかかわらず等しく与えること、これが利他性の法則であり、愛のサイクル確立のための第1法則です。霊的上位者が10~20与え、相手から1~2返ってくるところから、愛のサイクルが出発します。

5.愛に関する第2の摂理(「愛のサイクル」強化の法則)
――多く与えれば与えるほど、多く与えられるという法則
多く与えれば与えるほど、多く与えられる
愛に関する第1の摂理「利他性の法則」が、愛のサイクルを確立するための法則であるとするなら、第2の摂理は、愛のサイクルをさらに強化するための法則です。“利他性”とは自分の利益を考えずに、相手のため、相手の幸福のために与え続けることでした。こうした在り方は、現在の地球上の人々にはなかなか理解できません。利他的行為は、一方的に自分の利益を失うだけの損をする生き方と考えます。
しかし本当はそれとは全く逆で、利他的行為によって結果的に、いっそう多くのものを得ることになるのです。利他愛が純粋になればなるほど、与えるものが多くなればなるほど、それに応じてより多くのものが与えられる(返ってくる)ようになります。
利他愛は、物質次元の世界に限定して見れば“物を失う・損をする”ということになりますが、「霊的価値観」に立って見るなら失うものは何もありません。それどころか人間にとって一番大切な「霊的宝(神の愛・霊的幸福・霊的成長)」が、ますます与えられるようになるのです。その意味で利他愛を実践することは、最も賢く、得をする生き方と言えます。「愛を与える」という行為は、霊的成長をなすためのプロセスそのものとなっているため、最高の宝が与えられることになるのです。
「施しを受けるよりも施しを授ける方が幸せです。」
人に多く与えれば与えるほど、さらに多くの神の愛と霊的エネルギーが流れ込んでくる
愛は純粋に霊的なものです。したがって本当の愛(霊的愛・摂理にそった愛・利他愛)を他人に与えると、与えた分の“神の愛”が直ちに補給されるようになっています。霊的エネルギーがその人の「霊」に流れ込んでくるようになります。そしてその流れ込んだ霊的エネルギーが「魂の窓」を押し広げ、次にはさらに多くの神のエネルギーを取り入れることができるようになります。こうして結果的に、与えた分より多くの愛とエネルギーが与えられることになるのです。「利他愛の行為」によって決して損をすることがないのは、このためです。
また、与えた愛を相手が受け止め、愛を返してくるようになるならば、神から与えられる愛にプラスして相手からの愛も返ってくることになります。つまりトータルすると、相手に与えた以上の愛とエネルギーが、自分自身に返ってくることになるのです。

「自己を滅却することによって実は自分が救われていることを知ることでしょう。なぜならその人たちは人間はかくあるべきという摂理に則った行為をしているからです。それは取り引きだの報酬だのといった類のものではなく、多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果に他なりません。」
「いつもこう申し上げているのです――施しをする人は必ずそれ以上の施しをしてもらっており、差引勘定すればいつも戴いたものの方が多くなっていると。施す者が施しを受けるというのが摂理なのです。なぜなら、施しをしようとすることは魂の窓を開き、精神を広げ、心を大きくすることであり、その広くなったチャンネルを通して愛と導きと保護の力が流れ込むことになるからです。」
「犠牲的生活によって魂が“損”をすることはありません。また利己的生活によっていささかも“得”をすることはありません。」
*世の中のビジネス書では、この「与えれば与えるほど多く与えられる法則」が金儲けの賢い方法として紹介されることがあります。それはいかにも意味深い人生訓・深遠な金儲け哲学のように思われます。その考えによれば、お金を儲けた人は、さも奉仕性が豊かで無欲な人間のように映りますが、実はそれは霊的真理の誤用なのです。
「多く与えれば多く与えられるという法則」は、どこまでも「霊的真理」であって霊的次元の事柄に適用されるものです。物質次元のことにストレートに当てはまるものではありません。与えれば与えるほど豊かになるのは、霊的次元のことであって、物質的なもの・金銭的なものではないのです。摂理に合った無償の生き方をしていれば、最低の物質的条件は保障されるようになっています。しかし、それは物質的に豊かになることを意味しているわけではありません。
何のために必要以上の物やお金を手に入れようとするのか、その動機をチェックしてみれば、自分の浅はかさに気がつくはずです。物質的に豊かになることは、決して素晴らしいことではないのです。
愛のサイクルの強化と、さらなる愛の喜び
神の摂理にそった本物の愛のサイクルがいったん成立すると、両者は愛を与え合う関係になり、時間とともにそのサイクルの輪はどんどん太く強くなっていきます。相手に与えることが原動力となって、愛のサイクルは加速度的に大きくなっていきます。その結果、お互いにますます多くの愛を受けられるようになるのです。愛の発展とは、こうした「愛のサイクルの強化」のことなのです。
こうなると両者は、与え・与えられる愛の喜びの中で、いっそう霊的成長が促されることになります。