常に理想を目標として努力するのが、スピリチュアリズムの歩みです

――霊的人生における理想追求と失敗、再挑戦

ニューズレター第13号

地上人が完璧な歩みができないことを知っている霊界人

きわめて霊的に低い私達地上人が、完全な歩みをなすことは到底不可能です。そして、それは霊界から私達を導く立場にある高級霊達においては周知のことなのです。「地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか」との質問に、シルバーバーチは次のように答えています。

「それは不可能です。が、そう努力することはできます。努力すること、そのことが性格の形成に役立つのです。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)p.191

スピリチュアリズム推進の任にあたる霊界の人々は、地上人が高い霊的歩みを実行することの困難さを承知した上で、これまでずっと導いてきました。霊界の高級霊においては、地上人が、霊界人や他の進化した天体の住人に近い歩みができないことは初めから承知しているのです。地球という極めて物質性が強く支配し、霊性の影響力を受けつけることのできない世界に住み、そこで肉体を持って生きる地上人が、すぐに理想通りの高い「霊的人生」を送れるとは思っていません。

実行不可能と知りつつ、高いハードルを示す

このように霊界の高級霊は、地上人に高い理想を説いても実行できないことは十二分に知っていますが、それを承知の上で、あえて高いハードルを示しています。これは私達地上人に、「可能な限り成長してほしい」という親心のような深い愛情があるからです。同時にそれは、「徹底して自分に厳しくあれ」という霊的先輩としての励ましでもあります。シルバーバーチは次のように言っています。

「完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活で目指すべき最高の理想なのです。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)p.191

「私たちも、どうせ今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いております。もしも私たちが努力目標としての理想を説かずにいたら、与えられた使命を全うしていないことになります。目標の水準は高めないといけません。低くしてはいけないのです。」

『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)p.132

低い物質世界に閉じ込められている地球人類

霊的真理は、物質に支配された私達地球人類にとっては厳しいものに感じられます。時には単なる教訓として、わざわざ厳しく述べられたのではないかと考えてしまうかも知れません。しかし霊界の住人、あるいは惑星地球より進化が進んでいる天体の住人から見れば、霊的真理によって示された内容は決して特別なことではありません。「霊的成長」をなすためには当たり前のことに過ぎないのです。それがとてつもなく実現不可能なことのように思われるのは、私達が地球という暗黒の世界に閉じ込められているからです。物質に縛られた低い世界を当然とし、それ以外の世界はないと思い込んでいるからなのです。そうした私達は、まさに「井の中のかわず」と同じです。小さな地球という世界の中で、あれこれ自分達なりの価値観を主張し、自分達なりの考えを勝手に言い合っているのです。

そもそも地球という未熟で小さな惑星に住み、それ以外の世界を覗くことができない人間には、何が真実なのか、何に価値があるのかは分かりません。江戸時代の鎖国政策の下で、日本を世界的な視野から見ることができなかったのと同じようなことが、地球人類全体に当てはまるのです。鎖国時代においては、長崎出島のオランダ人が唯一海外との窓口でした。彼らを通じて海外の様子が、一部の人々だけに知られていました。その当時のオランダ人は、まさに現代の地球にとってのスピリチュアリズムに他なりません。つまり私達スピリチュアリストこそが、現在の地上世界を外部から眺める広い視点を持っているということなのです。「霊的真理」を手にしたことによって、特別な「霊的視野」を持つことが可能となっているのです。

いやしを求めるより、自分自身に厳しくあることが優先

高級霊の霊界通信によってもたらされた「霊的真理」を、自分なりに解釈したり、歪曲わいきょくして都合のよいところだけを取り上げるというようなことをしてはなりません。人類の霊的成長を促すために与えられた霊的真理には、実行することが困難に思われたり、耳に痛い内容があるのは当然です。どんな人間でも他人から優しくされることを願います。厳しさよりも、優しさと安らぎを望みます。注意されることよりも、今の自分をそのままで良しとしてほしいのです。自分をあるがままに受け入れ、優しくいたわってくれるのが心地よいのは、人の常なのです。しかし、そうした優しさや慰めだけを求める在り方は、霊的成長を促すものではありません。それは心が傷つき正常さを失った人においてはやむを得ないとしても、真理を知った私達にあっては、乗り越えるべきことなのです。

霊的成長をなすためには、自分に厳しいことであっても、それを正面からしっかり受け止めていくことが必要です。たとえ自分には克服し難いことのように思われても、それを全力で立ち向かうための目標として、いつも意識していなければならないのです。シルバーバーチの言うように、常に「高い目標」に向かって努力することが必要なのです。

現状に自己満足したり、あるいは今流行している“心の癒し”を真っ先に求めるようなところからは、霊的進歩は得られないのです。現在は癒しがブームとなっていますが、そこには大きな落とし穴があることを知っておかなければなりません。

本当の「善きサマリア人」とは

自分を今以上に高めようとすれば、当然、苦しみや内面的な闘いが生じることになりますが、「霊的成長」をなすにはそれが不可欠なのです。自分自身に厳しくなければならないということです。よく聖句を持ち出して――「自分はパリサイ人や律法学者でなく、善きサマリア人でありたい」などと言う人がいます。しかしそうした言い方そのものが、自分自身の甘さを容認していることなのです。自分に対しては厳しく、他人に対しては真実の愛と寛容の精神で臨む姿勢があるならば、聖句にかこつけて自分自身への甘さを良しとするようなことはないはずです。

自分に対する厳しさがなければ、善きサマリア人になることなど到底できるものではありません。自分の愛を受けてくれない相手に出会えば、たちまち吹っ飛んでしまうような薄っぺらな愛しか持てません。「霊的真理」という明確な基準を知らされた者が、善きサマリア人などという言い方をして、自分に対する甘さを正当化すべきではありません。また、「自分はあまりにも足りない人間でとても立派なことはできないから、自分流に精一杯の歩みをする」と言う人もいます。しかしこの言葉も、うわべは謙虚そうに聞こえますが、実は自分をサマリア人にたとえるのと同じ発想に立っているのです。

高級霊の苦労を無駄にしない

霊的真理を知ったスピリチュアリストにおいては、常に可能な限り高い目標に向けて努力すべきなのです。そうでなければ、高級霊が苦労して地上に真理をもたらした意味がなくなってしまいます。霊界の人々の苦労を無駄にすることになってしまいます。真理を知った後のたかだか30~50年に過ぎないわずかな人生は、一途に真っすぐに「高い目標」を目指して歩むのが一番よいのです。いまだ霊的真理を知らない人々に対しては寛容であるべきですが、自分自身に対しては厳しく臨むというのが、最も賢明な在り方なのです。

「霊的真理を知ったことについては、それ相応の責任が伴います」と、シルバーバーチは繰り返し述べています。「霊的真理」という明確な知識を手にした私達は、それを知らない世間の人々と同じような歩みでは、良しとされません。「自分なりに精一杯やればよい」というのは確かにその通りですが、この言葉を、自分自身の努力不足や怠慢さの言い訳にしてはいないでしょうか。闘って負ける者は、闘いを避けて逃げる者より、はるかに崇高な霊的人生を歩んでいるのです。

真剣な歩みと自己への絶望

自分自身に高いハードルを課すようになるにつれて、霊的真理が私達に要求する厳しさが理解されるようになります。さらにそれを実践に移すと同時に、スピリチュアリズムにおける霊的人生とは、“修行”そのものであることが実感されるようになります。真理に対する単なる知識レベルの関心を卒業して、それを日常生活の指針として自らを従わせようとする段階に至ると、真理の深さと厳しさが迫ってくるようになります。いったん霊的真理の実践の段階に至った人は、単なる知識レベルの学習会や霊的知識の収集・心霊現象などには無意味さを覚え、馬鹿馬鹿しく感じられるようになります。それは明確な霊的進歩の一つの目安と言えます。

霊的真理を真剣に実践しようとすればするほど、それに比例して自分の醜さ・足りなさを強く自覚するようになります。何度も同じ失敗を繰り返し、なかなか成長することができない自分の弱さを思い知らされるようになります。そして霊的真理が圧力に感じられ、「自分はスピリチュアリストにふさわしくない」と考えるようになるかも知れません。時には、同じ失敗ばかりを繰り返しながら、いつまでたってもそれを克服する力のない現実を前にして、自分に絶望するようなこともあるでしょう。内面の闘いに疲れ果て、闘いを放棄し、惰性で生活を送るようになっていくかも知れません。

真剣になればなるほど、誠実にスピリチュアリズムの道を実践しようとすればするほど、誰もがこうした苦しみや絶望を体験しなければなりません。まさにこれこそが、地球という霊性進化の未熟な惑星に住む地上人の宿命なのです。

聖と俗の間・霊と物質欲の間を揺れ動きながら

いったんは世俗の生活に戻りかけてしまったものの、何かの拍子にこれではいけないと思い立ち、「霊訓」をもう一度読み返し、気力を取り戻すことになります。誰もがこれまで、何度かこうした体験をしたことがあるはずです。このように私達の現実の歩みは、聖と俗との間を揺れ動きながら進んでいくものなのです。結局、地球という物質性の支配する未熟な惑星に住む限り、物欲に翻弄されることは避けられません。そしてその中で自分の醜さを実感し、同時にそれによって、「スピリチュアリズム」という聖なる世界の素晴らしさを自覚しながら歩んでいくことになります。あまりにも霊性進化の度合いが低い地球にあっては、霊的向上に伴い、聖と俗とのギャップが極端に大きくなっていくのです。

私達としては、どこまでも清らかさを求める努力を続けなければなりません。結局、私達は幾度も失敗を重ねながら、それでも思い直してより高い世界を求め、頑張り続けるしかないのです。地球という進化の低い惑星での生活とはそういうものであると、心を決めなければならないのです。シルバーバーチも――「奮闘努力せずして、どうして成長が得られるのですか」と言っています。

失敗から学び成長する

もう一つ私達がしっかり覚えておかなければならないことは、地上世界は、失敗から学ぶ所であるということです。多くの失敗を体験して、それを「教訓」とすることができれば、その失敗は無駄ではなかったということになります。私達に求められているのは、失敗しないことではなく、失敗から学び、それを糧とし、一歩また一歩と上昇していくことなのです。常に失敗から学びながら、努力し続ける前向きな姿勢が必要なのです。

5年前、10年前の自分の姿を思い返すと、誰もが恥ずかしいような体験や失敗をしています。この世の人々の判断からすれば取り返しのつかないような過ちをしでかし、それを思い出すたびに、自分の人生が終わってしまったかのように感じている人がいるかも知れません。しかし地上における失敗は、すべて学びの材料であり、その体験によって真理への理解を深め、より高い人生を送るためのきっかけに過ぎません。

私達のこれまでの人生は、今この時のためにあったのです。今、皆さんの心の中心に――「スピリチュアリズム普及のために人生を懸けよう」との思いがあるならば、ここに至るまでの歩みのすべてが、最も高い次元において実を結んでいることになります。まさに、これまでのすべてが準備だったのです。

「過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯し、それから学ぶために地上へやって来たようなものなのです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。今、人のためになることをするのです。」

『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)p.193

今この時に、心を改めればよいのです。霊界のことを考えれば、地上のいかなる失敗も取るに足りないものなのです。私達に必要なのは、より高い目標に向かって努力を始めようとする決心だけなのです。

今、真っ先にスピリチュアリズムと出会い、高級霊訓を手にすることができた私達には、より高い目標を目指して邁進していく姿勢が求められています。自分流にやればよいというような甘い姿勢が必要とされているのではありません。いまだ霊的真理を知らない人にあっては、その人なりに精一杯やれば良しとされるでしょうが、私達のように高い目標を示された者においては、どこまでも理想を求める真剣さが要求されるのです。「霊的真理」の重要性が理解できるということは、「霊訓」の示す内容を理想として奮闘・努力すべきということなのです。

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